第2部 コンピューター開発史

今回からしばらく、第2部としてコンピューターの歴史のオーバービューを解説して行こうと思います。

いままでも短いタイムスパン(およそ15年)の中で「筆者個人が所有した」コンピューターを紹介してきましたが、今度のタイムスパンはそれよりも長く、紹介するのも歴史に名を残すような機種のみに絞りこみます。


コンピューターの歴史は案外深く、計算に使う道具という意味までさかのぼれば、カルクリからアバカス(算盤)、ネイピアの計算棒、歯車計算機などがあります。もっとも、これらは「カリキュレータ」(計算する機械)と呼ばれ、計算の手助けを行うものでした。

コンピューターという言葉は、カリキュレータを正しい手順にしたがって操作する人、つまり計算手の意味です。計算というのは闇雲に行えば良いものではなく、一定の手順にしたがって、時によっては数値の意味を判断しながら行わなくては意味がありません。

歯車程度の仕掛けしか使えない時代には、この手順を正しくこなすというのは、人間にしか出来ない仕事でした。


しかし、19世紀の末に、間違えやすい人間の手を借りずに、歯車のみで正確な計算を行う事を夢みた男がいました。それが「コンピューターの父」と呼ばれる、チャールズ・バベジ卿です。

目次

バベジの生きた時代

階差機関 (Difference Engine)

解析機関(Analytical Engine)

解析機関のプログラム

功績の実証


なお、今回は機械が歯車で作られているという特性上、その動作原理などは社会の歯車階差機関&解析機関として取り上げています。そちらもあわせてご覧下さい。


バベジの生きた時代

バベジのことを語るには、時代を無視するわけに行きません。19世紀のイギリスおよびヨーロッパというのは、産業革命により急激な文化的進歩を遂げていました。

裕福な階層の間では、趣味としてさまざまな研究を行う人々も出てきました。当時はまだ「研究分野」という概念には乏しく、自然科学と芸術と発明は一体化していたのですが、このころから徐々に自然科学の分野が細分化され、「科学者」という言葉がうまれます。


バベジは、そんな科学者の一人でした。伝聞ではかなり変人だった事になっていますが、実際の所は科学的探求心旺盛で、完璧主義者だっただけのようです。

サー・チャールズ・バベジ(1850)  Sir Charles Babbage 晩年の写真 (1850年頃)

 本文には挙げていないが、バベジはイギリスに大陸式の微分積分学を広めた若き数学者集団「アナリティカルズ」の中心人物であり、イギリス数学者最高の栄誉であるケンブリッジ大学ルーカス講座教授でもあった。(現在、ルーカス教授はホーキング博士であり、古くはニュートンも教授職にあった)
 また、活動は科学・数学以外にも経済分野や実業にもおよび、マルクスなどにも多大な影響を与えている。

バベジは、水面を歩行出来る機械を考案して実験中に溺れ掛けたりしていますし、火山の調査で火口に降りて危険な目にもあっています。

鉄道の路線埋設にあたり、すでに普及している線路幅とは違う幅を提唱して論争をくりひろげたりもしていますし、発売される数表を片っ端からコレクションして、間違いを見つけては出版社にクレームをつけるなどということもしています。

これらはすべてバベジなりの考えがあっての事でしたが、他の人から見れば変人に見えたとしても仕方がなかったのでしょう。


また、バベジは統計学の父とも呼ばれ、優れた統計の手法によって、郵便料金の均一化や保険料算定の基礎となる式を考案しています。現在では世界中であたりまえのように普及している郵便制度も、彼がいなくては始まらなかったのです。

そんな「現状よりも理想」を追い求める彼らしい活動の最大の物が、「絶対に間違えない計算機」の作成だったのです。


階差機関 (Difference Engine)

当時、計算に数表は不可欠でした。三角関数、平方根立方根、対数表など、数多くの数表が作られ、その精度を競っていました。

これらの数表は、単純な計算を延々と繰り返すことで作る事が可能です。しかし、人間がやる事ですから、間違いによる誤差が入る事は有りましたし、たとえ正しい数表を作ったとしても、活字を拾う段階で間違う事も有りました。


数表は航海等でも使われ、わずかな誤差は遭難に繋がりかねませんでした。そのため、正確な数表を作ることは、国の勢力を左右するほどの重要ごとだったのです。


バベジが数表の誤りを見つけてはクレームをつけていた、というのも、それほど数表が重要なものだったからです。しかし、出版社にとっては迷惑な客だったようです。

そこで、バベジは計算から印刷までを完全自動で行う機械、階差機関を考案します。この機械はすべての数列が最終的に単純な「差」で表される事を利用して、複雑な計算を行う機械でした。


階差、というのは、数字列の間の差に注目する考え方です。
 たとえば、Xの自乗数列(X2の解)

   1 4 9 16 25 36 49

 の差を考えると、

   3 5 7 9 11 13

 というふうになります。これを1次階差と呼びます。

 さらにこの差(2次階差)を考えて見ると、

   2 2 2 2 2

というふうに、すべての差が一定になっていることがわかります。

このように、一見複雑な関係を単純な関係として表すことができるのが階差の便利なところです。

多項式からなる関数では、何次もの階差を求めると、最終的に一定の数値になることがわかっています。そこで、これを歯車で計算できるようにすれば、逆に足し算の繰り返しで正確な数表が作れることになります。

バベジは、このようにして関数の表を作ろうと考えたのです。

階差機関(試作品)
 階差機関の制作が長引くなか、周囲の理解を得るために急遽作られた階差機関。
 実演用であり、5桁の数値を2次階差まで演算できる。
 (実際の階差機関のスペックは、20桁6次階差が予定されていた)

 当時はバベジ家の居間に置かれ、現在はロンドン科学博物館に保存されている。現在でも動作するそうだ。
 また、東京理科大学の科学資料室に複製が置かれている。上野の国立科学博物館にもあるそうだが、こちらは未確認。

 ちなみに、小さなテーブルに載せられるほどのサイズ。案外小さい。

バベジのアイデアはこれだけにとどまりません。正確な数表を作っても出版のさいに活字を拾い間違えては意味がありませんから、自動的に活字をならべる機構まで作ろうとしたのです。

さらに、その為の活字を人間がセットする時に間違った活字が混入しないように、新型の活字を考案すると言う念の入りようです。


この機械は、動力に蒸気を使うことを想定しており、やはり蒸気を使う当時の最大の発明品であった、「エンジン」の名を使って「ディファレンス・エンジン」と名付けられました。エンジンというのは、ラテン語で「創造力・創造力によって作られた機械」の意味でもあります。

しかし、これだけの機械を個人で作るのは、さすがに資金的に難が有りました。そこでバベジはこれを国家プロジェクトにするように進言し、約束を取り付けます。これは世界で始めて行われた国家プロジェクトでした。


次ページ: 解析機関(Analytical Engine)


1 2 3 次ページ

(ページ作成 1997-12-07)
(最終更新 2013-05-23)

戻る
トップページへ

-- share --

430022

-- follow --




- Reverse Link -