統一規格への挑戦

私の知る限り、「始めての」パソコン統一規格は3つあります。最初がMSX、次がTRON、最後がSVR4です。この3つはそれぞれ違う性格をもった「統一」なのですが、技術にうとい新聞各社はすべて「世界初のパソコン統一規格」として扱っていました。

今回から数回の予定で、真の意味で「初」であったMSXパソコンを取り上げる予定です。

MSX 総合目次

MSX第1回 統一規格への挑戦

  MSXの誕生 MSXのメモリ構成 MSX の個性

MSX第2回 MSXの周辺ペリフェラル

  VDP・TMS9918 PSG・AY-3-8910

MSX第3回 MSXのシステムソフトウェア

  MSX-BASIC BIOS MSX-DOS  当時の時代背景


MSXの誕生

MSXが産声を上げたのは1983年の秋でした。当時のパソコン業界は混沌としており、各社がそれぞれに工夫を凝らしたハードを作っていました。

当時のパソコンはスペック性能よりもむしろアイディアの良さが競われており、たった1点を除いて性能が同じのパソコン、などというのは山ほどありました。また、それを逆手にとって、さまざまな機能をチップに収めたLSIなどがたくさん作られていましたので、それを組み合わせただけのパソコンも多数ありました。

詳しい歴史はこの連載の趣旨から外れますので取り上げませんが、規格統一を望む声が上がったのは当然といえましょう。しかも、その声はユーザーサイドよりもソフトメーカー各社から強く出ていました。同じような機械がたくさんあると移植に手間がかかり、効率が悪いからです。

そして、ついに当時からすでに大手ソフトメーカーであったマイクロソフト社と、日本のコンピューター界を牽引していたアスキーの共同規格でMSXが誕生することになります。

MSXはマイクロソフトのBASICを搭載し、CPUにZ80、VDPにTMS9918、音源にAY-3-8910を搭載したコンピューターの規格で、これらのLSIの組み合わせは、当時のパソコンでは最も平均的なものでした。


当時、同じ様な構成の機械としては、SC-3000や、M-5などがありました。また、CPUは違うものの、ぴゅう太、MAX MACHINEなどもこの仲間と思われます(情報不足で自信はないが)。

ただ平均的でなかったのは、拡張性を最大限に考慮していたことです。これは、統一規格を作る必然性から、絶対必要なことでした。当時のパソコンはメーカーの個性を出したものが多く、統一規格・・・すなわち、個性のないパソコンなどというのは売れるとは思えませんでしたから、メーカー毎に工夫を凝らして拡張出来る余地を残す必要があったのです。


MSXという名称も、マイクロソフト社のMSに、無限の可能性(拡張性)を意味する未知数Xをつけたものだとされています。

GENERAL PAXON広告  MSX初期の名品「PAXON」。家庭用テレビを使用できるMSXで、あえて専用モニターを使用。現在のような「モニタ一体型」ではなく「パソコン内蔵テレビ」と、高級家電品としてMSXを売り込んでいた。MSXの頃は(現在でもそうだが)パソコンに拒否反応を示す人が多く、MSXは統一規格ゆえに「家電品としてのパソコン」として注目されていた。


MSXのメモリ構成

MSXの最大の特徴は、地味ながらもよく考えられたメモリシステムでしょう。

メモリはすべてスロットの形で用意され、スロットは4つ用意されていました。

これらのスロットは、さらに4つに拡張することが出来ました。これにより、スロットは最大16個となります(拡張したスロットは信号のタイミングが若干変わるため、動かない周辺機器も多かったのですが)。

スロット1つあたり、64Kbyteのメモリ空間を持っていましたから、MSXは全体で1Mbyteものメモリを持てることになります。これは、当時としては驚異的なメモリ搭載量でした。

もっとも、CPUであるZ80は64Kbyteのメモリ空間しか持っていません。そこで、メモリは64Kbyteを切り替えて使用することになります。メモリ全部を一遍に切り替えたのではプログラムの整合性が取れずに暴走してしまうので、メモリは16Kbyteづつ4つのページにわけられ、ページ単位で切り替え可能となっていました。

本体 スロット1
スロット2
スロット3
スロット4 拡張スロット1
拡張スロット2
拡張スロット3
拡張スロット4 ページ1
ページ2
ページ3
ページ4

左にスロットの構成図で示します。ここでは最後のスロット/拡張スロットのみを詳しく書いていますが、他のスロットも構成は同じです。また、拡張スロットを使わずにスロットからページを参照することも出来ます。

16Kのページが4枚64Kで1スロット、4つのスロットがさらに4つに拡張できるため、全部で16スロット、64K*16で1024K = 1Mbyteのメモリ空間となります。


BASICBIOS(BasicInputOutputSystem)のROMは、ページ1、2に配置されていました。

ユーザーメモリはページ1〜4のどこにでも配置できましたが、BASIC使用時は3、4しか使用出来ないために、初期のMSXでは32KのRAMをページ3、4に配置するのが一般的でした。

MSXの特徴であるカートリッジのゲームなども、システム側からはスロットにROMメモリが拡張された形で認識されます。

MSXは立ち上げシーケンスのなかで、全てのスロットの、全ての拡張スロットの、全てのページの先頭2byteを調べ、これがアスキー文字の「AB」だった場合にはそのページを呼び出す決まりになっていました。

カートリッジに挿されたものが拡張ハードウェアであった場合はこのプログラムで初期化/デバイスドライバの登録を行い、ゲームなどの場合にはプログラムを実行します。これにより、MSXでは現在でいうPlug&Playを実現していました。


MSXの個性

最初に述べたように、MSXを成功させるためには、それを作ってくれるメーカーが独自の特色をだせる必要がありました。当時新しくパソコン業界に参入しようとするメーカーは、すなわち「他社とは違うことがしたい」から入ってくるのが普通でしたから、互換性という言葉はかえって邪魔なものだったのです。

MSXはスロットに独自のハードウェアを搭載することで、この条件を満たしていました。出来合いのコンピューターを買ってきて、そこに部品を一つ付け加えるだけでそのメーカー独自のコンピューターが作れるのです。これに家電品メーカー各社が飛びつきました。


多くのメーカーは内蔵ROMにさまざまなソフトを搭載するにとどまりましたが、ソニーは数色のカラーバリエーションを発表し、コンピューターにファッション性を持たせようとしました。
 YAMAHAはFM音源や音声合成、ミュージックキーボードなどのハードウェアを拡張出来る専用スロットを作成しました。このスロットはどうも拡張スロットに特殊なハードウェアを接続し、コネクタ形状を通常のコネクタとは変えて外に引き出したものだったようです。
 富士通は同社のパソコンFM-7と接続できるようにしました。接続した場合は、ゲームに適したMSXのハードウェアをFM-7の高速なCPUで操作することが出来るようになり、メモリも拡張メモリとして無駄にならないようになっていました。
 日立もカセットレコーダーと手書き文字入力パッドを備えたMSXを作っていますが、この文字入力パッドはアルファベットしか入力できなかったようです。

このように、MSXは出来合いのコンピューターを安価に用意した上で、さらにその上に拡張が可能で、しかもそれによって互換性が失われることはない、という、非常に巧妙な作りをしていました。

しかし安価なことを最優先したために、画面周りの性能が特に劣っていました。ゲームに使うには色数が足りなく、実務に使うには解像度が足りない・・・

この悩みはMSX2が発売になるまで続くことになります。

YAMAHA YIS503広告   MSX初期の名品、ヤマハの「YIS503」。ヤマハ独自のカートリッジスロットを持ち、音楽関係の拡張機能を豊富にしていた。この独自スロットはのちに別売りカートリッジで他のMSXでも使用できるようになり、急速にYISは存在意義を失うが、「楽器メーカーが作った、楽器としてのパソコン」は他に例がないのではなかろうか。
(ページ作成 1996-10-13)

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