目次
03-28 ファミベ、MSX、X68k
03-28 家庭用と業務用
03-28 X68000発売日(1987)
ここに書いている内容は、順を追って整理しています。
僕の昔話になってしまっているけど、小学生から始まって、中学生でベーマガに投稿した話まで書きました。
ぎーちさんとの対談の時は、こんなに順序立てていません。時代とか飛び回る。
最初に話したのが、今回の話。
#お店に入る前に、歩きながら話してた内容。
ツイッターで、ぎーちさんが「ベーマガ投稿してた人と話がしたい」と書いていたので、ファミベで投稿した話は先にしています。
そして、お会いした時にまず「ぎーちさん、とお呼びしていいですか?」と尋ねた。
これで、「あれ、もしかしてMマガ読んでました?」と言われました。
はい、その通り。読んでましたし、ぎーちさんの4コマ漫画好きでした。
#特に気に入っていた一つは、今でもその内容を言える。
言ったら恥ずかしがられたのでここには書かないけど。
#MSXマガジン永久保存版3には、ぎーちさんの4ページ漫画と、4コマ2本が載ってる。
サイン貰おうと思って持っていったのに、話が楽しくてサイン貰い忘れた!
さて、MSX も使ってた、という話からパソコン遍歴の話に。
僕は、ファミベの後 MSX 、MSX2 と進み、X68k を購入しました。
その隙間に、PB-100 とか PC-E500 などのポケコンも使っているけどね。
#前回書いたけど、父に怒られてファミコン禁止になった。
ポケコンなら隠れてこそこそやれるから購入。
ぎーちさんは、SC-3000 から MSX に進んだそうです。
X68k は憧れではあったけど、高くて買えなかったって。
僕は、大学の夏休みをみっちりバイト入れて、その賃金を全部突っ込んで、1年型落ちの X68k を入手しました。
当時はパソコンってすごく高かったし、X68k はその中でも特に高かった。
一式およそ 50万。型落ちを通販の安売りで買っても 30万しました。
ファミベ、MSX(2/2+/TurboR含む)、 X68k 、と進んだ人はゲーム業界には多いようです。
ぎーちさんはゲーム業界でフリーライターをしていたのでそういう方に会っているようですし、僕の周囲にもいます。
なんででしょうねぇ、という話になった。
乱暴なあて推量をすると、お金持ちで自分でゲームを買える人は、きっとゲームで遊んだと思う。
貧乏でゲーム買えないのにゲームが好き、という人は、夢想しながら自分で似たようなものを作る。
この時に、高価なパソコンを使えるわけもなく、ファミベみたいな貧乏くさい機械になる。
じゃぁ、X68k は何なのさ、ということになるけど、成長後だからね。
僕もぎーちさんも、第2次ベビーブーム世代です。
この世代、すごく人数が多いから、商売のターゲットにされている。
ファミベも、MSX2 も、X68k も僕ら世代が「ちょうどよい」時代になったところに発売されています。
ファミコンが「小学校高学年」あたりをターゲットにして登場したのが小学5年生の時。
ちょっと背伸びしてパソコンに興味を持つ中学生の時に、ファミベが発売されました。
MSX2が急激に安くなって普及期に入るのが、そろそろ「ファミコンは子供っぽい」と思い始める高校の時。
パソコンは一式15万円くらいの時代に、5万円だったので高校生でも自分で買えました。
X68k は、欲しいもののためならバイトもできる大学生の時。
バイトしてバイクや車を買うやつだっていたのだから、パソコンくらい、なんてことない。
パソコン以外では、ガチャピン・ムックも、ガンダムのプラモデルも、コロコロコミックも、チョロQも、僕ら世代に売り込んできた商材。
もう、それは見事にカモられているわけですが、いろんなおもちゃが提供されて楽しかった世代でもある。
でも、すでに書いたようにファミベは入門には良い機械でした。
絵はお仕着せの物しか使えない。メモリは少ない。
だから、プログラムだけに集中して、辛くなる前に「限界」に達してしまう。一番面白いところだけのつまみ食い。
そこから、安い上に「ファミベと同じようにスプライトが使える」という理由で MSX2 に移るわけだけど、僕は出来ることが急に増えすぎて戸惑った。
プログラムはしたのだけど、ゲームはあまり作りませんでした。(小さなのは作ったけど)
X68k は、構造が「ファミコンを豪華にした」ような感じだった。
だから、ファミベ出身者としては懐かしい。これはものすごい使い込んだ。
でね、これらの機種の共通点である「スプライト」は、ゲーム作りたい人にとっては、本当にありがたい機能だった。
スプライトがなくたってゲームは作れるけど、細かなテクニックを駆使しないといけない。
もちろんそういう方向の腕を磨いた人もいるけど、それは技術者であってクリエイターではない。
ゲーム業界で「クリエイター」になった人が、ファミベ・MSX・X68k というコースをたどった人が多い、というのであれば、そういう理由があるのだと思います。
以下余談。ぎーちさんにも話したのだけど。
僕らの世代が「子どもが多いターゲット世代」だったので、5歳下は割りを食っています。
上の世代が遊んでいた面白そうなものは、その時にはまだ年齢が低すぎて遊べない。
でも、遊べそうな年代になった時にはブームも終わっており、入手も困難。
この繰り返し。面白いものが何もない。
仕方がないから自分たちで新しいことを始める。
その時は誰も注目しないのだけど、下の世代に受け継がれ、さらに3歳下の世代が「今子供たちにこんなことが流行っている」と注目される。
ずーっと、この「谷間」を歩いてきた世代が、第2次ベビーブームの5歳下世代。
この世代を示す言葉すらない。
実は彼らの世代は自分たちを示す言葉を「作り続けている」のだけど、この言葉もいつも3歳下に奪われる。
ちなみに、就職時期は一番求人比率が悪かったときでした。
でも、これも統計がまとまって「あまりに酷い」と問題視されるのは3年後で、3歳年下が同情されるんだよね。
その時にはもう状況が改善していたのだけど。
不遇の世代です。
彼らの世代に、もっと光を!
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ぎーちさんとの対談は…対談と言うよりだべっていただけなので、どんどん脱線する。
ゲームとお金、という話から、業務用と家庭用で作り方が違う、という話になった。
僕は、業務用ゲームを作る部署に入る以前は、業務用のゲームは気軽に遊んでもらえるけど、家庭用は遊んでもらいにくい、と思っていました。
業務用は 100円で始められるけど、家庭用は5千円以上が普通だからね。
先日書いた通り、僕がゲーム作る動機は「僕が作ったものを遊んでもらいたい」でした。
だから、最初から遊んでもらいやすいと思っていた業務用を希望していたのではなかったかな。
それで業務用部署に配属された。
でも、入ってすぐに、業務用の方がずっと遊んでもらいにくいのだ、と教わります。
そして、実際その通りでした。
家庭用だと、買うまでのハードルは高いけど、買ってもらえれば、じっくり遊んでくれる。
多少複雑で奥深いルールがあったとしても、それを理解するまでやりこんで「面白い」と言ってもらえる。
だけど、業務用は気軽に100円をだし、ルールも読まないでゲームを始めます。
そして、3分程度でゲームオーバー。
この3分間が勝負です。
この間に、ゲームのルールを理解してもらって、「面白かったからもう1回」と思わせるくらい楽しませる必要がある。
断言しましょう。
人間は、はじめて見たものを3分で理解する、なんてことは、絶対にできません。
だから、「全く新しいタイプのゲーム」なんて業務用では作れない。
既視感…どっかで見たような感じ、というゲームだと理解が速いから、あえて物まねを作る。
オリジナルを作りたい、というプライドは、多分みんな持ってる。
でも、プライドでは飯を食えない。それよりは、売れたゲームを真似するほうが商売になります。
でも、そこに少しだけ、新しい「なにか」を付け加えます。ここが勝負どころ。
この、付けくわえられたものによって、「このゲームは新しい」と感じさせなくてはならない。
時代を切り拓いてきたゲームですら、全く新しい、なんてことはありませんでした。
パックマンの前にはヘッドオンがあったし、ゼビウスの前にはギャラクシアンがあった。
ストリートファイターの前にもイーアルカンフーがありました。
少しづつ、少しづつアイディアを加えることで、全く違うジャンルになったゲームでも、根は同じであったりします。
ドンキーコングは、パックマンのような「迷路を抜けていく中で、一発逆転もある」というアイディアだけど、横から見た形にして、重力を表現した。
いまではジャンプゲームの始祖とされます。
ヘッドオンも、「すべてのターゲットを消せば面クリア」という、インベーダーのブームの中で作られたもので、ターゲットの消し方を工夫したもの。
インベーダー以前からカーレースはあったから、うまく混ぜただけ。でも、今ではドットイートゲームの始祖とされる。
そのインベーダーも、「ブロック崩しのブロックが動いたら面白い」というアイディアから作られている。
ヒットゲームは、どんなに新しいものに見えても、「既視感」を大切にしています。
その既視感のバランスのとり方が難しくて、「知っているのに新しい」とヒットする。
「良く知ってる」だけだと物まねに思われて「知らないほど新しい」と拒否されます。
テレビゲームが好きな人には、ナムコの黄金期を懐かしむ人がいます。
ギャラクシアンから、ドルアーガの塔くらいまでのゲームかな。
出すゲーム出すゲーム、それまで見たことのないようなものだった。同じようなゲームは出さなかった。
その思いが今でも強くて、「最近のゲームは似たようなのばかり」と嘆く人もいます。
でも、今のゲームクリエイターが昔に比べて劣っているとか、アイディアを出せなくなったというのではない。
プレイヤーが昔のような「突拍子もないアイディア」を求めなくなったから作らないのです。
むしろ「このゲームなら遊べそう」と思える、既視感の強いゲームが求められている。
僕個人としては、またナムコの黄金期のような、突拍子もないアイディアを見たいのですが、それは「商売」としてはやりにくい。
これ、「プロには」作れない、というだけだよ。
そういうゲームを作っちゃだめだとか言うことでは全然ないし、むしろ作ればヒットする可能性がある。
自作ゲームを作る人には、狙い目のジャンルでもあります。
自作する人は、多分プロの作った作品、自分の好きな「あのゲーム」に憧れて真似することが多いと思う。
でも、そういうものを作っても、ライバルが多くて、苦労の割に注目されない。辛いだけ。
むしろプロが作れない「突拍子もないアイディア」を入れるといいです。
ライバルはいないし、出来が悪くても唯一無二の存在になれます。
君は、その世界での第1人者です。
もちろん、面白くなければやっぱり注目されないのだけど。
でも、ライバルが多いところに切り込んでいくより、よほどいいと思うよ。
もし大ヒットして「既視感」のあるものになった時には、真似をしたゲームが出てくるでしょう。
でも、君がそのジャンルを切り拓いたと自慢できるようになります。
家庭用なら新しいものが作れるかというと、やっぱり茨の道ですけどね。
ゲームの面白さって、遊んでみないとわからないのに、遊ぶために5千円払う必要があるのですから。
だから、こっちも「面白いとわかっているゲームの亜流」が増えます。
ただ、「後半グッとくるストーリー展開」とかは家庭用じゃないと作れないものですね。
ゲームシステムが、後半になってルールの巧妙さに気付く、とかいうのもそう。
…ただ、やっぱそういうのは評価されないんだよね。
家庭用は高いから、情報誌で事前情報を読んで購入を決める人が多い。
でも、記事を書く人も最後まで遊んで書く余裕はないし、遊んだとしても事前に「後半の展開」は書くわけにいかない。
だから、どんでん返しで面白いストーリーのゲームとか、売れないです。商売として成立しない。
ここでも、既視感のあるゲームの方が、評価は低くても商売として手堅いんです。
時折、商売っ気抜きで「面白いゲームを作るんじゃぁ!」ってやらかすクリエイターがいて、すごいものを作ってくれる。
これは、家庭用に多い気がします。
やっぱね、ルールやストーリーを複雑にするのが許されるのは、家庭用だけだから。
こういうゲーム、ファンはすごく高く評価してくれるけど、やっぱ儲からなくて、後に続く人はいなかったりします。
寂しい現実。実際問題として商売なのだし、儲からないと明日のご飯も食べられないのですが。
もっと、「ただ面白いだけ」のゲームが評価されるといいんですけどね。
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ちょうど、ぎーちさんとの対談話で X68k の話題を書いたところだったけど、今日は X68k の発売日でした。
これはもう、熱い思いを18年前に書いている。
でも、18年も経つと、その後の思いも多少はあります。
ちょっと書かせてもらいましょう。
定価は 36万9千円だったそうです。
正確な数字がすぐに見つかる。18年前に書いたときはそこまで調べなかった。
当時のパソコンは、だんだん性能が上がってきていて、ビジネス用の PC98 で一式40万円くらいだったかな。
ホビー用の PC88 だと、一式 30万円くらいでした。
…これだけ聞くと、X68k は案外高くないように思えますね。
PC88 と違って 16bit 機だし、同じ 16bit の PC98 より少し安い。
でも、X68k は「一式」じゃなくて、本体価格だからね。
X68k は、テレビ事業部が作ったもので、「テレビの可能性を広げるパソコン」という思想がありました。
だから、専用ディスプレイはテレビとしても使える。チューナーが付いているんです。
テレビの画面にパソコンの画面を重ねることもできる。これ、パソコン側ではなく、専用テレビ側で制御していました。
せっかく画面を重ねられるのだから、ビデオに録画できるように、テレビに「出力」機能が付いている。
さらに、パソコン側からテレビのチャンネルを変えたり、音量を変えたりできる。
本体の電源を切っている時でも、キーボードでテレビを操作できました。
技術的なことを言えば、テレビは 15KHz の映像周波数で表示を行っていて、当時の一般的なパソコンは 24KHz の映像周波数を使っていました。
X68k は、他のパソコンより画面が細かかったので、31KHz を使っています。
専用ディスプレイは、この3種類の信号入力を適切に見分け、自動的に表示を変えるように作られていました。
なんだかすごいね。
この、専用テレビがめちゃくちゃ高い。
パソコン専用ディスプレイって、細かな文字を表示しないといけない都合もあって、一般にテレビより高いのね。
それが、X68k 専用だとディスプレイだけで 12万9800円。
パソコンの機能の一部を、ディスプレイ側に入れ込んじゃってあるからね。
合計で50万円弱。1987年だから、消費税導入前ですね。
「5年間は設計を変えない」と言った、ということにされていることが多いのですけど、ちょっと違うと読んだことがあります。
当時としては、ものすごい性能の機械だった。
発表会見に集まった記者たちが驚き、こんな高性能にして採算に合うのか、と聞いた。
それに対して「5年先を見越して設計しています」と答えた。
ただそれだけ。
今はすごい機能に見えるものでも、5年後には普通になるだろう。
だから、それを見越していろんな機能を入れてある、というだけで「設計を変えない」とは言っていない。
でも、「設計を変えない」と雑誌などに書かれ、ユーザーがそれを信じるようになった。
性能が高いマシンを発売したら、ユーザーに対する裏切り行為になってしまう。
進化の激しいパソコン業界で、5年間性能を変えるわけにはいかなくなった。
これで、X68k は「性能の低い機械」となって、パソコン業界の中で取り残されていきます。
やっと5年が過ぎて、性能を上げた機械を出しても手遅れ。
まぁ、設計を変えられたのか、というと難しかったとも思います。
5年目のマシンも、ただ CPU を高速化しただけだったし、その高速化も周辺が遅いからあまり活かされなかった。
設計が美しすぎた、というのが X68k の弱点だったと思います。
全てが一体となって設計され、一分の隙も無かった。
だからこそ、後から改良を入れる余裕もなかった。設計した時点が「最高」で、その後の展開がなかったんです。
IBM-PC なんて、最初から設計が汚かった。つぎはぎだらけだった。
その代り、ツギハギ部分を叩き切って、別の機能に挿げ替えることも簡単だった。
結果として、時代に合わせて変わりつづけられました。
実は、「美しいものは儚い」って、このページの開設当初からの隠しテーマなんだよね。
今は使われない昔の機種・機械を紹介しているけど、やっぱ紹介する機械は、僕なりの「審美眼」で選んだものだけになっている。
でも、その「美しいもの」はもう使われていないのです。
大抵は、設計が美しすぎて改造できず、時代に取り残されたものなのね。
僕は、大学生の頃までは「美しいことは正義」だと思っていた。
でも、そうじゃない。時代を超えるには清濁併せ持たねばならないのだ、と教えてくれた機械が X68k でした。
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