2011年03月28日の日記です


何がデマで、何がデマでないのか。  2011-03-28 14:53:02  その他

そろそろ落ち着いたころなので書いておこう。


震災2日後あたりに、「デマに惑わされないように」との政府公式見解が出された。

これを受けて、新聞などでもデマに気をつけるように、との報道、告知が繰り返し行われた。


では、混乱が落ち着きつつある今、あえて問おう。

デマとは何なのか?


我が家でとっている新聞(あえて名は伏す)では、チェーンメールでデマが出回っている、と報道された。

だからメール情報は信じるな、と書く一方で、ツイッターでは善意の輪が広がっており、活用することが呼びかけられていた。

ツイッターでもデマが回っている、と新聞社が認めた記事を書いたのは、震災から1週間も経ってからだ。

その後も、一度報道した内容を覆すのが恥ずかしいのか、ツイッターは善でメールは悪、と言う形の報道姿勢は変わらない。


デマの多くはツイッターで広まっているのに、それらを「信用できる情報」だと活用を勧めているのである。

この報道自体は「デマ」ではないのか?



東京電力は、少なくとも計画停電については、当初から十分な情報を提供していた。

ただし、その情報は、「電力」に関しての基礎的な知識がなくては理解できない情報だった。

混乱の中で、他者に十分伝えるための方策を練る時間がなかった、ともいえる。これは仕方のないことだ。


しかし、多くの報道機関が、東京電力の情報を、適切でない省略を行って伝えた。

省略は紙面の都合などもあり仕方のないことだが、その省略が適切でなかったのは、報道機関が不勉強だったせいである。


報道機関はその後、この計画停電による混乱を糾弾した。しかし、混乱は適切に情報が伝えられなかったことによって起こったものだ。


「チェーンメールやRTによってデマが広まる」と告知をしている報道機関は、内容を理解しないまま情報を伝えることで多くの混乱を引き起こしたのである。

この報道自体は「デマ」ではないのか?



原発の事故について、政府は(というより首相は)いち早く対応を開始した。

このことは評価すべきだ。しかし、対応が早かったのは「政府主導」を演出したかったためだ、という疑いがでている。


真相を僕は知る由もないが、東京電力や原子力保安院、原子力安全委員会が記者会見を行おうとしても、それを制して「まず最初に政府が発表する」という形を取ろうとしたそうである。

ところが、専門外の人間が記者会見を行おうとすれば、その人間に必要十分な知識を与えるために、必要以上に時間をかけなくてはならない。


このことにより、発表は遅れに遅れ、その発表の準備のために対策の「次の一手」を繰り出すのも遅れ、災害が深刻になった節がある。


首相が、自分にとって都合のよい形で情報を発表しようとして、適切なタイミングを逸した情報しか出せなくなり、混乱が広まる。

この発表自体は「デマ」ではないのか?




非常時には十分な情報を得る事が難しくなる。

その状況では、得た情報の妥当性を検証する事も難しい。


実は、これは「非常時」に限らない。

平常時であっても、我々は思ったほど情報を得られていない。


「デマに惑わされないように」

というのはたやすいが、デマとそうでない情報を見分ける簡単な方法は存在しないのだ。


かくして、デマに惑わされないように、という政府発表自体が、人心を惑わすデマに過ぎなくなる。

正しくは、こう言うべきなのだ。


「情報に振り回されないように」


問題は、情報の質ではなく、受け取った側の対応なのだ。




  地下を巡る情報に振りまわされるのは

  ビジョンが曖昧なんデショウ

  頭ん中バグっちゃってさぁ


多くの人が知っていると思う歌「アポロ」の一部。


地下を巡っているかどうかはともかく、情報に振り回されないためには「ビジョン」を持つことが大切だ。

自分がどうすべきか、どうあるべきかを明確に分かっていれば、どんな情報が入ってきても振り回されることはない。


先に、新聞社の例を二つと、政府の例を一つあげた。

これらに共通している事は、情報を受け取ったものが、本来行うべき仕事をしていない、と言うことだ。


新聞社は、報道機関として、事実の裏にあるものや、情報発信者が発信しきれていない「真意」を汲み取らなくてはならなかった。

混乱時であることを言い訳にして、それらの仕事を怠り、単に入ってきた情報を再発信した。チェーンメールやRTと同じ事をしたにすぎない。

これでは、ツイッターでデマが出回りやすいのと同じ行動だ。それを、責任を自負するメディアが行っているのだから、罪はさらに重い。


政府も、情報を受け取ったら「かっこつけて発表する」準備に明け暮れるのではなく、すぐに打開策の策定に走らなくてはならなかった。事態は一刻を争うのだ。

しかし、それらの仕事を怠り、単に入ってきた情報を再発信した。…こちらもRTしたに過ぎない。

その間に、事態は深刻になった。情報は遅きに失するものとなった。


「デマに惑わされないように」と発信する政府が、情報に振り回されているのだ。

この罪は重い。




我々はどう行動すべきだろう?


有用な情報とデマを見分けるための簡単な方法は存在しないが、行動の指針は立てられる。



まず、入ってきた情報を二つに分けること。


情報には、事実の報道と、誰かの意見の二つがある。ただし、どんな情報であっても、この「どちらか」に単純に属しているわけではない。


どんなに事実をストレートに報道しているように見えても、それは事実の「断片」でしかない。全体は膨大すぎて伝えられないため、誰かが「必要と思われる箇所」だけを抽出しているのだ。となれば、それは既に事実ではなく、誰かの意見を反映していると見なくてはならない。


「必要と思われる部分」を抽出した人間が、本当にその分野の専門家であれば良い。

しかし、新聞記者は「記事を書く専門家」であるだけで、記事内容の分野の専門家ではない。抽出方法が間違っていることは、往々にしてありえる。

(だから、ツイッターが善でメールが悪、なんて頓珍漢な記事を書くのだ)



新聞によく出ている「有識者の意見」などは、事実ですらない。その分野に詳しくない新聞記者が、詳しいだろうと勝手に推察して記事の執筆をお願いしているだけだ。


その分野に詳しい人間が推薦する人間は、確実に詳しい。しかし、まったく素人が適当に探し出した人間が、詳しいとは限らない。

少なくとも、僕の購読していた新聞では、放射線と放射能の区別もつかない「原子力の専門家」が記事を書いていた。そして、新聞社はその記事がおかしいことに気づかずに、そのまま「専門家意見」と銘打って掲載したのだ。


この、混沌とした状況の中から、何が少なくとも事実で、何が個人の意見に過ぎないのかを分別しなくてはならない。

これが、情報に振り回されないための第一歩だ。




次に、情報の裏づけ調査を行わなくてはならない。

事実の断片であれば、別の断片を見つけ出して、より全体像に近いものを描き出す必要がある。

個人の意見であれば、その意見がどの程度の妥当性を持っているのか、その意見のよりどころとなる事実が本当なのかどうかを調べなくてはならない。



緊急性の高い報道ではよくあることだが、個人の意見を出している「有識者」も、断片的な情報を元に状況を推察している場合がある。

ここで、事実の断片を組合せて「全体像」を描き出すことが役に立つ。

有識者のコメントは新聞に多いが、印刷や配布の都合から、その記事は今あなたがいる状況よりも、数時間前に書かれているはずだ。

今の最新情報と照らし合わせると、前提条件自体が間違っていて、意見そのものが無効となっている場合もある。


逆に、有識者が「仮定」として書いていることが現実化している場合、意見は情報としての信憑性を増す。有識者が本当にその分野に詳しいことが前提だが。



事実の断片を集める時は、より多くの情報を当たらなくてはならない。

可能であれば、発信源に近い情報を当たること。誰かによって省略される前の情報が、一番多くの情報を含んでいるためだ。


どこに行っても同じ情報しかなかったり、発信源不明の情報であれば、その時点で怪しいものとして扱うこと。

なんらかの「憂慮すべき事態」が起こっているのであれば、情報がそんなに薄っぺらなものであるわけがない。




そして、十分な情報を得られたところで、情報を活かさなくてはならない。

その情報は、自分の行動を決定付けるのに十分なものか?


今すぐ自分が行動を起こすべきだ、と考えるなら、その行動を起こすべきだろう。

家を捨てて避難する必要があるならば、今すぐそうすべきだ。

パンを買わないと困ったことになるなら、今すぐ買いに走ればよい。

節電のために電気を消す必要があれば、今すぐ不要な家電品をプラグから抜こう。


自分で十分に吟味した情報であれば、それはデマではない。情報を分析した上で、自分が生きるためのリスク管理だ。


推論が間違っていて困ったことになっても、それは自分の責任だ。

パンを買い込んだのに翌日もパンが店に並んでいたのなら、カビる前に食べるしかない。

もしくはスズメの餌にしても良い。…金銭的に損したと思っても、自分の責任なのだ。



さて、推論の結果、自分がすぐに被害をこうむるわけではないが、家族や友人には警告しなくてはならない、との結論に達したとする。


では、警告すべきだ。…ただし、自分の言葉で。誰かが言っていた、とか、どこかに書いてあった、ではなく、自分の責任で。


十分に吟味した情報なのだから、それはデマではない。自分が発信者である事を添えて、堂々と発信しよう。

間違えていたとしても、あとで友人や家族から怒られたり、笑われたりするだけだ。

人に情報を伝える時は、その程度の覚悟を持って望もう。




さて、最後に重要な事を一つ。


長々と書かさせてもらったが、ここに書いてある事を無条件に信じてはならない。

感心しようとも、反感を持とうとも、もしくは全く無視しようとも構わない。

しかし、無視する場合を除いて、情報の裏を取ること。


僕が何か、根本的な間違いを犯して意見を述べている可能性がある。

情報の裏を取らずに信じれば、「情報に振り回される」ことになる。

それは、この記事の趣旨から言って、本意ではない。


間違いがあれば意見を書いてもらえれば幸いだが、後で読む人はその意見を信じてはならない。

僕の間違いを訂正してくれる意見だったとしても、その意見自体が間違っているかもしれない。

必ず裏を取ること。




今の世の中は、昔に比べて情報があふれている。

しかし、情報の質は決して上がっていない。


昔なら情報が少なかったため、一つづつの情報を吟味する時間があった。

今ではそれすらも難しい。乗り切るには一定の技術が必要だ。


技術は磨かなければ身につかないが、身についてしまえば難しいものではない。

すぐに情報を見分ける技術を磨こう。

まずは今、目の前にあるこの情報を疑うことから始めるのだ。




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【azip77】 参考まで | 「吉田調書」など公開 菅直人元首相は福島原発事故で何を批判されているのか? | 2014.09.24 | thepage.jp | http://thepage.jp/detail/20140924-00000020-wordleaf (2015-04-08 13:31:44)


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