2011年03月21日の日記です


停電の記憶  2011-03-21 20:38:16  歯車 旅行記 住まい

子供のころ、停電があるとわくわくした。

大抵は台風の夜などで、普段は閉めないところまで雨戸を閉め、停電するとロウソクの周囲に家族が集まる。

いつもと同じ場所、いつもと同じ生活の中なのに、いつもと違う非日常がそこにあった。


この経験は、年代によって大きく異なると思う。

昭和50年代初頭までは時々停電があったものだが、その時間はどんどん短くなっていった。

そして、50年代中盤以降は、停電その物が珍しく、たまに停電があっても1分程度で回復するのが当然となった。



そんなこともあって、震災直後に停電した時は、30分もすれば回復するだろうと思った。

もっと言うなら「回復してしまうのだろう」という気持ちだった。


しかし、子供を保育園に迎えにいくとき、信号が消えているのを見てわくわくした。

その後、ラジオで情報が集まるにつれ、想像をはるかに越える大災害であることが分かってきた。


大変なことになった、という思いと同時に、自分でも不謹慎だと思いながら、わくわくする気持ちが大きくなってきた。

停電は3日くらい続くかもしれない。自分と妻だけならどうにでもなるが、3人の子供を抱えてどう対処するか。できる限りの対策を考えながら、当面今夜を乗りきるために部屋の片付けと、夕食作りを始めた。


結局この日の停電は6時間ほどで回復したが、いつまた停電するかも分からず、電気がきている間にそのための対策は十分に行っておくことにした。



そして現状。

今のところ計画停電はうまく働いており、予定外の停電は起こっていない。


あらかじめ時刻が予告された停電であれば準備しておくことができる。

非日常の3時間を乗りきり…楽しむために、子供にも事前に停電の意義をよく話し、みなで…わくわくしながら待つ。


まだ慣れていないので、停電によるトラブルが出る場合もある。

しかし、それは単に自分の準備不足によるものだ。あたふたとトラブルを回避しながら、次回のために強く心に刻み込む。

次回のため? …次回の計画停電の時間ではない。いつか必ずくる、自分が被災したときのためだ。



いまもラジオでは「節電にご協力を」と話をしている。

もちろん、停電時間外でもできる限り節電を心がけている。

だけど、節電に「協力」するんじゃない。協力、というのは、他者のために行う、という意味だ。

みんな当事者なんだから協力じゃなくて自分のためにやるんでしょ?




計画停電1日めは大混乱だった。これは電車各社が慎重になりすぎたためで、案外電力は足りていた。

そのため、2、3日目は順調に行った。思ったより大丈夫じゃないか、と多くの人が思ったようだ。


そのため、4日目は調子に乗りすぎて電力需要が上がり、再度混乱を引き起こした。

僕個人の意見としては、電力が足りないときは電車を止めるのではなく、予定外の地域でも通電を止めてしまえばよいと思う。


この「4日め」を忘れてはいけない。

皆が調子にのって、少しずつ電気を多く使ったから、社会的混乱が引き起こされて、皆の生活が混乱したのだ。


東京電力が悪い、などと言ってはいけない。

自分は節電していたのだから、別の人が悪い、などと言ってはいけない。

自分が当事者なのだから、自分の行いを見直さなくてはいけない。


僕はこのあと、家庭内LANのHUBなどの、常時通電していた機器も不要な際は電源を切ることにした。

すでに節電は心がけていたが、あと少し、わずかな節電でも必ず意味がある。




最後に、現状で感じている、最高の「わくわく」を。


これを機に、社会のあり方が変革するのではないか、と僅かに期待している。

…いや、多分そうはならない。人間はおろかだ。同じ過ちをもう一度繰り返すだろう、と言う気持ちも強い。

でも、5%くらいの確率で、変革に期待したい気持ちがある。



原発は、これからも使われるだろう。原発なしでは、現代社会を支えられないからだ。

でも、今後の新規建設は厳しくなることは必至だ。


原発の代わりに火力発電所を使ったら?

出力が全然違う。火力発電所を100基も作れば原発の代わりになるだろうが、今度はCO2排出の多さが社会問題となるだろう。


太陽光発電を皆が導入したら?

夏の昼間のピーク電力を解消することはできそうだ。でも、冬の夜の電力需要は変わらない。


蓄電は可能か?

…わずかには。各家庭に太陽電池と蓄電池を準備したとして、夜の早い時間の電力ピークくらいは解消できるかもしれない。

でも、その後の時間はやはり電力を買う必要がある。



つまり、どうやっても「元の生活」になど戻れないということだ。

ならば、より積極的に、状況に合わせた生活に変えていくしかない。



ほんの30年前まで、テレビもコンビニも、24時間いつでも使えるわけではなかった。

便利さを追求した結果それらは24時間に対応したが、それは過剰な対応ではなかったか?


コンビニができる以前は、商店もせいぜい7時までしか開いていなかった。

その時間に買い物をして帰宅できるように、ちゃんと皆が5時に終業し、残業はよほど特別な場合にしか行われなかった。


コンビニができて、残業がふえ、社員一人当たりの仕事量が増えたために効率が上がり、社員を整理する事ができるようになったために失業者が増えた。

仕事を持っている人も残業して家に帰るため、テレビの放送は深夜にまで及び、夜更かしして朝食を抜いて出社する人が増えた。

それで、誰かが幸せになったのか?


別に、あの時代に戻りたいなどというのではない。

今の時代には、今のやり方があるだろう。


例えば、サテライトオフィスを増やし、ブロードバンド回線で結ぶ。

通勤時間が減るし、電車の運用本数も減らせる。開発ならそれで充分だろうし、実際に人と会うことが仕事の営業であっても地域に根ざした「支店」が増えると考えれば、営業車もその使用燃料も減らせるだろう。


もちろん、問題は山ほどある。オフィス分散による管理の手間は増大するだろうし、やはり直接顔を合わせないと意思の疎通が難しいこともあるだろう。


しかし、サテライトオフィスが増えて職住が接近したとき、コンビニの営業時間は「7時から夜11時」で十分になるだろうし、早く帰宅すれば、その後ゆっくりくつろいだとしても深夜のテレビ番組は不要になる。

そうすれば、電力需要ももっと減らすことができるのではないか。


もちろん、そうなっても深夜に仕事がある人はいるだろう。それでいい。全員が変わる必要はない。全体としてその傾向が出ればよいのだ。


そのように生活が変革すれば、太陽電池と充電池で必要電力の多くを賄い、不足分を補うために火力発電などを使用する、という社会のありかたが現実味をおび始める。

すぐに太陽電池が普及するとも思えないが、当面多くの人が生活を変えれば、原子力発電所を「なくせる」ほどでなくても、「新設しなくてもよい」程度にはできるかもしれない。


サテライトオフィスがすぐ用意できなくても、夏までに在宅勤務制度を導入する企業が増えれば、夏の停電を軽減できるかもしれない。


残業時間が減るということは、収入が減るということだ。先に書いたとおり、企業は労働力の減少を「新規雇用」でまかなう必要がある。一種のワークシェアリングだ。

しかし、職住接近していれば、無駄な外食や移動のための経費も減らすことができる。収入が僅かに減っても、それほど生活は困窮しないはずだ。



電力が足りない状況はすぐには解消しない。3年程度は続くのではないかと思っている。長期戦だ。

「当面の」計画停電期間である、4月末までを乗り切れば終わりではないのだ。

長期戦に耐えるために、企業も勤務形態を見直すことに消極的ではいけないだろうと思う。




全体として目指すのは、移動や深夜の照明など、「なくても構わない」エネルギーを削減することによる、省エネルギー社会だ。

残業時間の短縮によって、コンビニの営業時間の短縮、深夜テレビ放送のカットなどは「狙って」いるが、新規雇用などはおまけとしてついてくるものだ。



…先に書いたように、このように事が進むとはあまり思っていない。

だけど、少しでもその方向に進んだほうが、よりよい世の中になっていくのではないか、と思っている。




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