2015年04月08日の日記です

目次

04-08 ゲーム開始時の主人公の位置
04-08 レディジュエルペット


ゲーム開始時の主人公の位置  2015-04-08 11:28:23  コンピュータ

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先日、横スクロール方向はなぜ左から右に進むのか、ということを思い付きで書いたら、思ったより反響いただきました。

思い付きだから、そんなに読んでいただいたこと自体が申し訳ない (^^;;


スーパーマリオブラザース以前に、ドンキーコングでも左下にいるから右に進むしかない、スーマリもこれを引き継いだのではないか、という意見も頂きました。

うん、それは僕も思ったので、さらっと書いた。さらっと書いただけで、その間のつながりは想像に任せたのだけど。


ただ、この「左下スタート」にも違和感があった。

ドンキーコングがそうだったから、では説明になっていなくて、ではなぜドンキーコングは左下スタートだったのか、を考えないといけない。




2015.4.13追記


どうも勘違いされているので、前もって追記。


この話題、元々ゲーム「だけ」の話ではなく、西欧と日本の文化論比較です。

西欧では主人公は右に向かって進むが、日本では左に向かって進む。


今でも、日本のアニメとか見ていると、主人公は画面右側に立っていて、左に向かうことが多いです。


しかし、ゲームはみんな左から右に向かう。それはなぜか、というのが、前回記事の最初にリンクした、元々の話題。


以上、明示的な追記は終りですが、以下の文章に「日本的」「西欧的」と書いてある部分があったら、この追記の際に一緒に追記しています。




それで、「固定画面の時代に主人公はどこに出現したか」を調べてました。


えーと、調べて表を作っていたら、膨大だけど無意味な気がしていたので公表しない。

気になる人は自分で思いつく限りのゲームを調べてみてください。



それでもって、有名なゲームだけ使ってざっくりと説明。まずは固定画面ゲームから。


ポンとかブロック崩しの時代(1976頃まで)は、ボリュームを使ったダイヤル操作が多い。

これは物理的なもので、自機の「出現位置」は、ダイヤル位置に左右される。


スペースインベーダー(1978)は、左下に出現。

文字を書くときも左から右に書くし、コンピューターの座標も普通は左から右に進むので、それで左なのかな、とも思う。


または、左下に残機数が書かれているので、「そこから出てきた」イメージなのかもしれない。


ただ、この後は「中央出現」が多い。

ヘッドオン(1979)、ギャラクシアン(1979)、パックマン(1980)、スペースパニック(1980)、フロッガー(1981)、アミダー(1981)…


僕が嘘ついている可能性もあるので、別のゲームも調べてみてほしいのだけど、ほとんどのゲームが画面中央~画面下中央のあたりで始まる。



この中でも、例えばヘッドオンは、中央下に、敵と並んで現れる。

この時、敵が左側で、プレイヤーは右側。立ち位置としては日本的。

スタートしてすぐに右に向かって走りはじめる。ここは西欧的。



パックマンは中央に向き不明で出現するが、特に操作しないと左向きに走りはじめる。日本的。

ここら辺に「左に進むか右に進むか」の好みは出始めているかもしれない。


ドンキーコング(1981)は、前述のように左下スタートだ。西欧的。

でも、これが他のゲームに影響を与えたかというと、それほど与えていない。


ハンバーガー(1982)、ディグダグ(1982)なんかは、やっぱり中央スタート。


ディグダグはちょっと面白い。

ゲーム開始時にデモがあるのだが、画面右上から主人公が登場し、中央まで歩く。

そして、主人公が右を向いた状態から始まる。


「左向きに歩いてくるけど、右向きスタート」になっている。


この後のゲームは、すべてがそうだというわけではないが、ゲーム前に小さなデモが付くことが多くなる。

そのデモによって、主人公の登場位置を明確にすることで、「中央以外でもわかってもらえる」工夫をするようになる。



ロックンロープ(1983)は、内容的にもドンキーコングの影響を受けているのが見受けられ、左下スタート。

ドンキーコングと同じ任天堂が作ったポパイ(1982)は、左上スタート。

マリオブラザース(1983)は、2人同時プレイ可能だったので、左下と右下からスタートする。


#当初、ドンキーコングはポパイの版権を取って作る予定だった。

 その後宮本さんは「版権不要でオリジナルキャラ立てよう」と心変わりしたようだが、法務部は版権を取ってしまったようだ。


だんだん固定画面ゲームが減っていくが、ちゃっくんぽっぷ(1984)、フェアリーランドストーリー(1985)、バブルボブル(1986)のように、タイトーは固定画面にこだわった時期がある。


登場位置は、左上、左下、左下と右下、だ。

バブルボブルは2人同時プレイができたので、登場位置が2か所ある。

これも、先に書いたように開始前にデモがあり、出現場所が明示される。



ロードランナー(1984)のように、出現位置が面ごとに変わる場合もある。

これは、家庭用のパズルゲームからの移植なので、「わかりやすさ」を重視していたわけではなかったという事情もあるように思う。


でも、業務用では画面開始時に主人公を点滅させ、位置を明示してから始まるようになっていた。




続いてスクロールゲーム。年代は巻き戻る。


最初と言われるのはディフェンダー(1980)。

操作が複雑なゲームで、横スクロールだけど左右どちらに進むことも出来た。

ただ、最初の状態では右に向かって進むようになっている。西欧的(メーカーも海外)


ディフェンダーは世界的な大ヒットで、真似をしたゲームが沢山作られる。



その中で頭一つ抜き出た面白さでヒットとなったのが、スクランブル(1981)。

これは先にも書いたのだけど、右に向かって進む。グラディウスの元になったゲームだ。


ディフェンダーを真似したゲームだろうから、「最初の方向」に進んだのかもしれないけど、先に書いたように「左端でスプライトが破綻するから、左をあまり見てほしくなかった」のかもしれない。


このヒットでみんな右向きになった…なんて簡単な話にはならない。

スクロールゲームは続々出てくるけど、結構いろいろある。


ラリーX(1980)、ニューラリーX(1981)、ボスコニアン(1981)。

同じ基板を使ったナムコの作品だけど、主人公は常に画面中央に固定されていて、自由方向のスクロール。最初は上に進む。


スクランブルがヒットしたコナミも、タイムパイロット(1982)で、画面中央に自機を固定した自由スクロールを作っている。

こちらは、初期状態は右向き。


マッピー(1983)をスクロールと呼んでよいかわからないが、2画面分の画面を左右に動ける。

2画面しかないから、固定画面とスクロールの中間的な感覚。

これが、右端から主人公がスタートして、最初のスクロールは左に向かうことになる。日本的。


マッピーと同じ基板のドルアーガの塔(1984)は、主人公の出現位置は決まってなかった。



ハイパーオリンピック(1983)は、いろんなゲームが入っているので必ずしもスクロールしないが、スクロールする場合は右向き。


コナミはスクランブル以降、基本的に右向きスクロールが好きなようだ。

でも、これはオリンピックを題材としたもので、トラック競技のテレビ中継は基本的に右向きに走るようになる。

(トラックは反時計回りで、観客席に近い部分は右向きに走ることになる)


このスクロール方向には必然性があるかもしれない。


サーカスチャーリー(1984)も右向き。


グラディウス(1985)も右向きだけど、これはスクランブル2として開発が開始されたものなので、同じ方向なのは必然だ。



ファミコンだけど、エキサイトバイク(1984)は右向き。

これは、トラック競技なので、ハイパーオリンピックと同じ必然性があったかもしれない。

Bボタンを使うと加速できる、という点で、スーパーマリオとの関連性を指摘する人もいる。




ここら辺から、ファミコン向けのゲームも出てくる。


バルーンファイト(1984)は左向き。ただしファミコン版。

業務用は2画面の縦スクロールだった。家庭用は固定画面。


そして、家庭用にしかないオマケゲームがあって、これが左向きの横スクロール。日本的。

(オマケだけど、本編より好きという人も多い)


スパルタンX(1984)も、最初は左向き。日本的。

これは前回も書いたけど、奇数面は左向きで、偶数面は右向き。交互に進む。


パックランド(1984)も似たような構成だけど、最初は右向き。西欧的。アメリカのアニメを元にしたからか。

右に進むと妖精の国があって、3面右に進むと到着。4面目は、自分の家に帰るために左向きに進む。


チョップリフター(1985)。原作は 1982年のパソコンゲーム。

左右に自由スクロールだけど、最初は右端から始まる。海外のゲームなのに日本的。

左向きに進んで捕虜となった人質を救出し、右の基地に連れて帰る。


チャレンジャー(1985)。ファミコンゲームで…内容詰め込みすぎ。

1面は横スクロール。デモ画面で、主人公は左向きに進んでいる。

でも、ゲーム開始と同時に右向きに進まないといけない。しばらく進むと折り返し点があって、左に進む。




さて、ここで一度まとめる。1985年くらいまでの、ゲームの「進行方向」だ。


固定画面ゲームでは、最初の登場位置は左右中央あたりが多い。(上下は中央から下が多い)

初期位置で「左右の向き」がある場合、どちらもそれなりにある。特に統一されている感じは無い。


それ以外の場所から出現することもあるが、左下や左上など、左側が多い感じ。そこから右に進む。


右端登場のマッピーとか、デモだけとはいえ右から登場するディグダグなど、ナムコは右が好きな感じ。

そこから左に向かって進む。

(パックマンは中央から開始だけど、左に向かって進む)


スクロールゲームでも、特にどちら向き、と決まっている感じは無い。

まぁ、コナミがかたくなに右向きスクロールを主張している感じはするし、左右自由にスクロールできる作品の場合、初期方向は右から、が多いかも。


ただ、1985年には大事件が起こっていて、これを機に進行方向が定まってしまったのではないか、と思っている。




スーパーマリオブラザース(1985・夏・ファミコン)

言わずと知れた、世界的大ヒットゲーム。右向きに進む。

作者である任天堂の宮本さんが、パックランドを見て作った、と証言している


と同時に、実はドンキーコング時点でスクロールゲームを作りたかったとも言っている。

当時すでにスクランブルがヒットしていたから、あんなのをやりたかったけど、基板がなかったと。


宮本さんとしては、マリオのスクロールジャンプゲームは、最初からスクランブルと同じく右に進むものだったのかもしれない。

実際には試作したものの「形にならず」、先に進まなかったのが、パックランドにヒントを得て一気に形になっていく。


パックランドでは左向きに進むステージがあるが、マリオはスクランブルのように、右へ、右へと突き進む。


ドンキーコング時点で、将来作りたい、という思いはあったので左下スタートにした、という可能性はあるかもしれない。



スパルタンX(1985・初夏・ファミコン)


業務用のファミコン移植で、結構人気が出た。

スーパーマリオより前の作品になる。左向きに進むことが違和感がある、という話は特になかったと思う。


チャレンジャー(1985・秋・ファミコン)

先にすでに書いたけど、左右どちらにもスクロールした。これに違和感を持った、という話は特に聞かない。



スカイキッド(1985・年末・業務用)。進行方向が左向きの横スクロールシューティングで、異端だとされる。

でも、発売時点でそれほど変わっているという印象を受けた覚えはない。

(個人的な感想であり、効能を確約するものではありません)


僕はシューティング苦手だったのであまり遊ばなかったのだけど、友達がスカイキッドがすごく上手だったので、良くプレイを見てた。

好きでプレイしている人もいるのだし、受け入れられなかった、ということは無いだろう。



ここまで、スーパーマリオが右に進むが、左に進むゲームもそれなりにあるし、おかしいという話にもならなかったと思う。




ところで、スーパーマリオはいきなり大ヒットになったわけではない。

夏に発売されて、徐々に人気が高まっていき、クリスマス商戦で、ファミコン本体も入手困難になるほどの大ブームを巻き起こした。


この前後にファミコンを購入して…もしくは、入手できないから MSX やセガを買ってもらい、「コレジャナイ」感を漂わせながら…はじめてテレビゲームを遊んだ、という人が非常に多い。


そうした人たちは、他に面白いゲームも探して買ったとは思うけど、すでに半年以上前の作品である、スパルタンXやバルーンファイトを買った人が多くいた、とは思えない。

むしろ、スーパーマリオを真似して出てきたゲーム…当然右に進むゲームを買ったのではないだろうか。


スクロールとは右に向かうものであり、左に進むなんて想像もできなかったに違いない。


次のブームはファミコン版のグラディウス(1986・春)だった。

これもまた、右に向かって進むゲームだ。



そして、ファミコン版のスカイキッド(1986・夏)も発売される。


当時はまだナムコのゲームは特別視されていたし、前年の業務用は、それなりにヒットしたゲームだった。

期待して買った人も多いだろう。


…おそらくは、「スカイキッドはスクロール方向がおかしい」と言われ出したのは、ここではなかったかと思う。


スーパーマリオが初めて遊んだテレビゲームで、いくつかのマリオ類似ゲームを遊び、グラディウスを遊んだ「だけ」の、経験の少ない人々にとって、期待したソフトが「逆方向に進むスクロールだった」というのは、理解できなかったに違いない。



スーパーマリオは世界中で大ヒットしたし、スカイキッドのファミコン移植に対する拒否反応は、他のメーカーも学んだろう。

これ以降、テレビゲームで横スクロールする際は、右向きに進む、というのが不文律になったのではないかと思う。


ゲームを遊ぶうえで、説明書を熟読する人は少ない。

既に知られているゲームの操作方法を踏襲する、というのは、理にかなった方法なのだ。

(これは「真似」ではない。共通認識が広まっただけのことだ)




さて、以上のことは、現状僕が思ったこと、というだけで十分な検証はなされていません。

あまり鵜呑みにしないように



前回書いた「スーパーマリオが決定づけた」「スーパーマリオは技術的な問題だったのではないか」という説を引きずっているので、スーパーマリオ以降変わったのではないか、という観点で物を見ている。


僕は1980年初頭~中盤頃のナムコのゲームが大好きだったので、ナムコのゲームが左向きに進みやすい(パックマンや、ディグダグのデモ、マッピーなど)という点に注視しすぎて、左向きがおかしいとは思えない、と言っているだけかもしれません。



当時から左向きは異端だった、ナムコなんて弱小メーカーで誰も見向きもしなかった、という主張をする人がいたって、べつに構わないかと思います。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

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【azip77】 スクランブルとほぼ同時期のジャンプバグも右向きでした。この2つのゲームが決定づけた感もあります。(この件、意識していたのか今一度宮本さんに聞いてみたい) (2015-04-08 12:38:11)

レディジュエルペット  2015-04-08 18:36:54  家族

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最近親ばか話書いてなかったので、たまには書きます。

というか、アニメ話だな。


僕、それほどアニメ見なかったのだけど、子供が生まれてからは一緒によく見てます。

付き合いで、というのではなくて、結構楽しんでる。


高校の頃はアニメ独特のお約束にどうもなじめず、アニメは「嫌い」だったのに、こんなに自分がアニメを楽しむと思ってなかった。


#やはりお約束の多い、ミュージカルなんかは好きだったりするから、案外そういう素養があるのかもしれない。




で、レディジュエルペットの話なのです。


長女がジュエルペットに興味を持ったのは、第2シリーズ終了間際だった。

丁度CATVで第1シリーズの再放送もやっていたので、主にそちらを見つつ第2シリーズも見てた。


でも、この時点で第2シリーズの内容はよくわからなかったし、東日本震災が起きたこともあって、よくわからないテレビを無理に見るのはやめてしまった。


その後第3シリーズを見つつ、第1シリーズを見終わり、続けて CATV で始まった第2シリーズを見る。

この第2シリーズ…「ジュエルペットてぃんくる」は、、大人になってから見たアニメで、一番好きな作品かもしれない。今でも。




その後子供たちは「プリキュア」も好きになって、こちらも再放送とか探して見た。


「フレッシュ」以外のテレビシリーズは全部見てるのかな。

それぞれ面白くて、このシリーズの人気が高い理由がよくわかる。


僕の趣味としては「スイート」が気に入っていて、見終わった時点で スイートと てぃんくる の比較とか書いてる。

放送時期もかさなっていて、不思議と類似点が多いんだよね。


スイートも てぃんくる も、女児向けにしては不思議なほどにストーリーが重苦しいのよ。

(プリキュアはハートキャッチも重苦しかったり、結構そういうの好きなのかもしれないけど)


テーマも似ていて、最終的には「人間の負の感情と向き合い、共生すること」が重要になっている。



ただ、この後のジュエルペットは、どうもよくわからないのが多かった。

誰に対してお話を作っているのかわからない。大人向けにしても、女児向けにしても中途半端、という感じだった。


正直、うちの子供たちもジュエルペットは飽きてしまって、なかば惰性で見ていた。

キャラクターはまだ好きなのだけど、お話として楽しめなかったのね。




で、今日の表題、レディジュエルペット。

先日終わったばかりのアニメです。


最初は、惰性のまま見はじめて、それほど面白いと思わなかった。

レディになることを目指す…というのは聞こえがいいけど、「花嫁学校」見たいなイメージで、時代錯誤に思えた。


ただ、少女漫画的な恋愛ドラマとしては、だんだん面白くなってきた。

見てて恥ずかしくなるような、べたべたの少女漫画展開だったけど。


それが、途中から、急に変わる。

サスペンス調の推理ドラマになっていって、このころから、ぐいぐいと話に引き込む展開になっていく。


えーと、先に「花嫁学校」と書いたけど、学園ドラマではあるのね。

男女別学だけど、すぐ近くに女子校と男子校があり、交流があると思ってください。

学校の狙いは、立派な「レディ」「プリンス」を育てること。


ところが、主人公たちの同期に、1人「資格を持たないもの」が紛れ込んでいるということがわかる。

どう考えても、主人公だけがいろいろおかしな状況で入学しており、本人も知らないだけで資格を持ってないのではないかと思うのだけど…



この謎が明かされていくに従い、もっと大きな謎が展開し始める。

恋愛ドラマ部分で出来上がった人間関係が変化し始める。


ジュエルペットのうちの1匹が謎のカギとなっているのだけど、彼女自身、別の人間に騙され、操られているだけ。

その操っている人間は誰なのか…



と同時に、「レディ」と「プリンス」をなぜ育てているのか、単に紳士淑女を育てたいわけではない、という学校の意図がわかってくる。

学校のある「魔法の世界」は、魔法があるからこそ不安定な部分があり、時々魔物が現れる。


この魔物から国を守るために、強い意思と覚悟を持ち、それでいて誰からも慕われる存在が必要で、そうした人物を育てるのが学校の目的。


この人物は、どんどん排出されなくてはならない。

なぜなら、国を守るために、選ばれた「トップオブレディ」は、命をも捧げなくてはならない場合があるから。


ここら辺から、悲壮な戦争物語に変わっていく。

謎の強大な魔物の群れ。次々と命を落とす仲間たち。




絶対、女児向けアニメじゃないよねー。

うちの次女(5歳)は、怖がって途中で見るのを嫌がっていました。


だから見てなかったのだけど、4月になって次のジュエルペットはじまっちゃったから、2か月分くらい一気に見た。




主人公は、次々と倒れる「トップオブレディ」達に次いで、代理として戦わなくてはならない状況になるのだけど、戦えない。

怖いのではなくて、敵を倒すことが良いことだ、とは思えない、迷いがあるから。


最終的に、敵とは「和解」する。

敵とは人間の弱い心、邪心が固まってできた存在で、それを見てみぬふりして封印しようとしてきただけだ、と理解したから。


…ここらへん、「てぃんくる」や「スイート」に似ているのだけど、どちらかというとスイートに近い。


しかし、戦いで国はボロボロになり、多くのものが死んでいる。魔物との和解が成立しても、こうしたものは帰らない。


そこで主人公は、最後の手段を使う。


自分の存在と引き換えに願いをかなえる魔法で、死んだものを生き返らせてもらう。

主人公と愛し合い、彼女を支えるプリンスも、同じ魔法で国を元に戻してもらう。


こうして世界は平和になり、元通りになるのだけど、主人公たちは世界から消えてしまう。




…と、ここで終わりかと思ったらまだ2週分もあるのです。

最後まで書くのは野暮だから書かない。気になる人は再放送探して。


ちゃんとハッピーエンドになるのだけど、ここからの2週分、涙ボロボロの展開です。


怖がっていた次女も、最後の方は「続き見たい」と言い続け、涙ぐみながら見てました。


てぃんくる、スイートもそうなのだけど、悪人が誰一人いないんだよね。


敵も含めて、みんなそれぞれの事情があって、そこに悲劇が起きてしまう。

でも、みんなの力でその悲劇を乗り越え、ハッピーエンドに持っていける。


そういう話の展開には弱いので、いい年のおっさんが、女児向けアニメ見て涙流しながら語るわけです。




さて、気になること。


まず、一番気になるのはプリキュアとの内容かぶり。

この春から始まったプリキュア、「プリンセスを目指す」ないようなのだけど、「レディ」と設定的に似ているのが気になる。


先に書いたとおり「てぃんくる」と、その終了近くに始まった「スイート」も似てる。

プリキュアが後追いしているように見える。


これは、妻によれば「ターゲット年齢層の流行などのアンケートに基づけば、似てしまうのも仕方がないのではないか」とのこと。

子供への「将来の夢」調査で、数年前に女の子は「お嫁さん」が上位に入って話題を呼んだそうで、それをアニメにするなら「レディ」なり「プリンセス」なりを目指す内容になるのではないか、と。


うーむ、それはあるかもしれない。

てぃんくる とスイートの時は、内容的にも似ていた。今回は プリンセス が始まったばかりなので、まだわからない。




ジュエルペットの方に話を戻します。


てぃんくる は、暗いストーリーの、最も暗い終盤部分で東日本震災が起き、一気に視聴率を落としました。

あの不安状況下で暗い話を見たい人はあまりいないでしょうね。


今回のレディ、終盤輪をかけて暗いです。

しかも、魔物の表現として、黒い雲のようなものが地を這いながら襲い掛かって来る描写が頻繁にあった。


…津波を連想させます。おそらく、わざとやってるよね。

魔物によって荒廃した国も、津波に襲われた街のように感じる。



もう一つ、先に僕はストーリーに「戦争」と書いたのだけど、実際は魔物は軍隊は成していない。

同時に出現するのは常に1匹だけ。でも倒しても次々現れるし、上に書いたように魔物の元となる邪念は津波のように襲い掛かる。


主人公たちは撤退を繰り返し、最後は仮設のテント内での生活を余儀なくされる。

これがすごく戦争を思わせる。でも、主人公は戦うことを望まず、和解の道を探しつづける。

戦わないせいで仲間に犠牲者が出て、自分を責め続けても戦いを望まない。


これ、震災後の世の中…はっきり言ってしまえば、中国や韓国との衝突や、集団的自衛権のことを言ってないだろうか。

戦ってしまえば楽かもしれないけど、辛くても、犠牲を払っても、和解の道を探すべきだ、という主張ではないだろうか。




てぃんくるは、震災により最後まで見た子が減ってしまったようなのだけど、「別れの悲しみを乗り越え、前向きに生きていく」ことを訴えるラストでした。


恐らく、震災とは関係ない。最初からそういうストーリーだったのだと思う。

震災後だからこそ活きる重要なメッセージともいえるけど、まだ立ち直れない人が多く、早すぎた。



レディは、同じことを、今このタイミングでやろうとしたのではないかな、と思うのです。

その後の世界の変遷も含めて、難しいし辛い内容だけど、平和を守るために強い心が必要だという内容を伝えようとしているように思います。

幼児向けらしくない展開でしたが、幼児期だからこそ、伝えないといけないことなのかもしれません。



てぃんくる以降「誰に向けているかわからない」内容で作ってきたのは、こうしたシリアスで前向きなストーリーを作りたくても、震災から立ち直れないうちはそのメッセージを出すことに迷いがあったのではないかな。


…というのは買いかぶりすぎかもしれない?

でも、てぃんくるが好きだっただけに、同じようなテイストの話がジュエルペットでもう一度見られたのが嬉しいのです。


誰も悪人がいない、最後に笑顔になれるストーリーを、これからも作り上げてほしい。

きっとまた、小さい子供泣いちゃうけど。



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