2023年04月の日記です

目次

01日 城ヶ島
02日 X68000Z
10日 続 X68000Z
10日 素人プログラマから見たX68k
24日 コラムス97の配信


城ヶ島  2023-04-01 16:07:00  社会科見学 家族

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忙しくて時間が空いてしまった。

これから書くのは、春分の日、3月21日のこと。




コロナ禍の直前、長男が高校受験のため、家族旅行などは余り行けなかった。

そのままコロナ禍、さらに昨年は長男の大学受験、長女の高校受験で、やはりあまり出かけられていない。


長男は、今年受けた大学は全部受かったのだが、もう一年取り組んでさらに上を目指すことにした。

なので、来年も余りでかけられないかもしれない。


じゃぁ、今のうちにちょっと遊びに行こう。

いろいろ考えると、春分の日の休みしかタイミングがない、と気づいたのは2日前。


どこ行こう。


慌てて家族で話し合うが、とにかくちょっと気晴らしで外に出られれば良いのだ、ということで、比較的近い城ヶ島に行ってみることになった。


以前から行ってみたかったのだけど、行ってなかったのだよね。

子供が小さいうちは、そちらの方面に行くなら、近くにある「ソレイユの丘」とか「京急油壷マリンパーク」の方が受けが良かったから。


しかし、今なら城ヶ島は楽しめるように思う。




城ヶ島は、地学的に非常に面白い。

大学時代に地学を専攻していた妻は、せっかく近所なのだからと、以前から行きたがっていた。


遊園地みたいな面白さではなく、学術的な面白さは、前知識が必要だ。

時間がなかったが、ネットで調べる。


早稲田大学の学生が、授業で作成したらしい、三浦半島の地学の面白いポイントをまとめた PDF を見つけた


なるほど。城ヶ島以外もいろいろ面白そう。

もし時間があればもう一か所くらい回るのも良い、と思いつつ、多分時間はないだろう。


この PDF は、自分の Ideapad duetに入れて持っていくことにする。


特に、京急ホテル南側にあるという断層は見所だろう。

前日夜に子供たちにこの PDF を見せたところ、次女が「資料集に載ってたやつだろと思う」と、中学の理科で使っている資料集を持ってきた。


たしかに、おなじ場所と思われる写真が載っていた。

全国の学校の授業で使われているというのは、やっぱ見所なのだろう。


横須賀市自然人文博物館が、YouTube で、三浦半島の地学について解説ビデオを公開していた。


調べると、行く途中にちょっと寄り道したら、この博物館に行けそうだ。

事前知識があった方が面白いので、寄っていこう。




当日は朝8時出発。博物館まで1時間くらいの予定で、博物館は9時オープンだから。


で、博物館については今回の日記の本題ではないので、多くは書かない。


ただ、素晴らしかったとだけ記しておこう。

でも、地学要素は思った以上に少なかった。もう少し説明していると思っていたのだけど。


入場料がいると思っていたが、無料だそうだ。博物館に入った場合、駐車場も1時間無料。

次の目的地があるので、速足で内容を全部見たのだが、1時間以内だった。


「もっとゆっくり見たかった。また来よう」と家族全員の意見がそろった。




さて、途中は端折って城ヶ島。


駐車場は何カ所かにあるが、京急ホテル南側の断層というのは、西端にあるようだ。

なので、一番西の駐車場に停める。


その後で気づいたのだが、城ヶ島では、一日の間に何度も駐車場を出し入れして、何時間留めても、450円。安い。


少し歩いて、最初の目的地「長津呂の磯」(ながとろのいそ)を目指す。




磯が見えて、ちょっと驚いた。


写真などでは見ていたのでどういう場所かは知っていたのだけど、思っていたよりずっと広大だったのだ。


地層が横倒しになり、地面に広がっている。

波に侵食され、縞模様を作っている。


いわゆる「鬼の洗濯板」と呼ばれるような地形なのだけど、凄く広かった。


岩場を観察しながら、どんどん西端を目指す。


京急ホテルは、先日営業を停止して解体中らしい。

とすると、この先に見えている工事現場がそれだろう。


その南側が目的地なので、もう少し先に行かねばなるまい。


途中で急に、次女が「多分ここら辺」と、持ってきていた資料集を見始めた。


電柱の位置と、灯台の位置を見ると確かに似ている。

しかしもう少し離れた場所だな…と移動してみると、目的の断層があった。



写真でもわかりやすい断層なのだが、写真に入りきれないほど大きい、というのも現地で初めて気づいた。

これは、実際に自分の目で見る価値がある。


特徴的なリップルマーク(水の流れの跡)みたいのがあるな、と思っていて、この時は子供にそう説明してしまった。

しかし、いま早稲田のまとめた PDF 見たら違うね。火炎構造と呼ばれる模様で、下の層より上の層が重いために侵食してできた、と書いてある。

いずれにしても、特徴的で面白い模様。



この後もしばらく磯遊び。

他の兄弟に「水に落ちないでよ」と注意していた次女が、真っ先に水たまりに足を突っ込むなど。

(結局3人とも、それぞれの理由で靴を濡らしたのだが)




一旦駐車場近くの商店街に戻り、昼ご飯を食べる。

時間は1時過ぎ。実は、駐車場に止めたころが12時ごろで、どこの食堂も混んでいたので後にしたのだ。


商店街から少し離れた、人通りの少ないところに「しぶき亭」という店があった。

建物も新しくて清潔感があるのでそこに入って食べる。


人少ないし、場所悪いし、建物新しいし、最近できた店なのかな…と思っていたら、この日記を書く際に調べて「有名な老舗」だと知った。


ただ、コロナ禍で客が減ったので一度閉店して、新築して再オープンしたのだそうだ。


家族五人で頼んだもの。

マグロ丼(次女)、いかさし丼(長男)、それらが半分づつのミックス丼(妻)。

マグロカツ定食(長女と僕)。


せっかく三浦半島まで来たのだからマグロ食べたい、と思っていたので、大満足。

美味しかった。


食後に、客席係のおじいさんが、三浦大根を一本くれた。


(そういえば、料理にも全部、大根と大根葉の浅漬けがついていた。これもおいしかった)




磯遊びしているときに、遠くに馬の背洞門が見えた。

これも、城ヶ島の有名スポット。


次はあそこへ行こう。島の東側からハイキングコースを通っていける、ということなので、車で東側の駐車場に移動。


最初、僕が間違えて、東端の城ヶ島公園に入ってしまい、勘違いに気づいて戻る。


ハイキングコースの途中には、ウミウ展望台がある。

ウミウは、県の天然記念物になっていそうだ。


ここから見える崖も、地学的に面白いそうなので見る。

…正直、それほど面白さはない。下の方に初声層、という地層があり、ここが削られた後で、上部に関東ローム層ができているのが見えるのだそうだ。

なるほど。言われてみれば地層の模様が下側にえぐれている部分があるが、断層のようにわかりやすい派手なものではない。




さらに歩けば、馬の背洞門。…の、上側に出る。

本当に真上は、危険なので立ち入り禁止。


馬の背洞門は、海の浸食で崖が削られて、大きな穴が開いたところ。

上の部分が、わずかに繋がっているので「穴」になっている。


これが崩れたら、陸側と海側に、それぞれ岩が立っているだけだな。


自然にこんなものができるのはすごいな、と思うが、妻曰く、「すごいと思うが、ただ削られただけで、地学的に面白いところはない」とのこと。


でも、見た目のすごさは重要。いわゆる「映えスポット」で、多くの人が記念撮影していた。


…のみならず、ウェディングフォトを取っているカップルも、「この場にいるだけで」5~6組。


入れ替わり立ち代わり、別のカップルが来ている。ハイキングコースを歩いているときにもすれ違った。

コロナ禍で披露宴とかやりにくいので、結婚の報告を写真で行う例増えてるんだよね。


この日、少し雨が降っていて、山道はぬかるんでいた。

貸衣装屋さんは後で洗うの大変だろう、と妻がいらぬ心配をしていた。




ここで妻が、僕の Duet に入れてある PDF を見せて欲しい、という。


しばらく眺めて、「ここだ。ここ行きたい」と言ったのは、城ヶ島公園の東端にある磯。


実は、地学徒に非常に有名な場所はここなのだそうだ。

城ヶ島の紹介では必ず出てくるので、城ヶ島に行けば当たり前に行けると思っていたら、どこに行っても違うから今調べていた、とのこと。


城ヶ島公園は、先ほど少し入り、勘違いだと分かって引き返した。

でも、もう一度一番端の、安房崎まで行く。


ここの地層は、初声層(ウミウ展望台でも下側に見えた層)と、三崎層が、重なった上で横倒しになっているのだそうだ。


しかも、下側にあるはずの三崎層は、上にある初声層に斜めに削り取られている。

その境界には、礫(小さな石)が沢山みられる。


三崎層の上で大きな海底地すべりがあり、その上に初声層が堆積した、ということらしい。

そのダイナミックな動きが地層に現れているので、ここは有名。


…らしいのだけど。正直よくわからん。

それぞれの地層は、はっきり色も違って分かりやすいらしい。乾燥していれば。

でも、この日は雨が降ったりやんだりしていて、全体に濡れていた。

そのせいで、地層の違いがよくわからない。

(と言っても、せっかくだから散々探してそれらしい場所は見つけたのだけど)


PDF 改めて読むと、城ヶ島の外側の三浦半島の地層と比べた際に、「地層の位置が逆転している」というのも見どころらしいですね。

それだけ、地層をねじる大きな力が働いた、ということ。


でも、これは城ヶ島だけ見ているとわからない。




そろそろ戻ろうとしたところで、公園内のアナウンスがありました。

時間は4時半。5時には駐車場は閉鎖なので、帰り支度を促すものでした。


そういえば、公園の端に灯台が立っています。先がとがった白い灯台で、地面付近は緑色のグラデーション。


「三浦半島でとれる新鮮な野菜をイメージ」だそうですが…。つまり、三浦大根だよね。

大根をさかさまに立てたイメージの灯台。なかなか面白いです。




駐車場は閉鎖、というのでこの日はこれでおしまい。


もう一つ見たいのあったのだけど…地層全体が褶曲(曲がりくねっている)するのではなく、1つの層だけが褶曲する「スランプ層」というのがどこかにあったらしい。


改めて調べたら、昼ごはん食べた、しぶき亭の近くだった。

下調べ不足。気になるものをチェックするだけでなく、ちゃんと見る順番も考えておくべきだった。




帰り道、かっぱ寿司三浦店に入って、美味しい三崎の海の幸を堪能しました。

回転寿司でも、魚がおいしいところの店は美味しい。と思う。



20年くらい前に入った三崎漁港近くの回転寿司屋が、安いのにすごくおいしかったの。

本当はそこに行こうと思っていた。


でも、ネットで調べても、そこに寿司屋はありませんでした。

まぁ、20年も経つと、店が無くなっても当然よね。





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X68000Z  2023-04-02 12:53:06  コンピュータ

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X68000Z の Early Access Kit が昨日届いた。


以前、日記で話題にしたことがある。

当時は計画発表のみだった。その後クラウドファンディングで受付が開始され、1日で当初の目標金額を達成。

結局、目標の 10倍に達したために、生産が間に合わないということで締め切られた。


以前の日記では「様子見」としていたが、その後の情報は期待を持てるものだったので、僕も出資した。

一番安い、製品だけもらう内容だけど。




しかし、「せっかくだから欲しい」程度で、待ち望んでいたわけではない。

なので、ネットで「届いた」という知らせを見たときも、製品出荷だと気づいてなかった。


最初に開発参加者向けに出荷していたからね。届いたというのも、今更参加とかできたのか? と思っただけ。

すぐに、「あぁ、本格的な出荷か」と理解したけど。


クロネコヤマトから連絡がきて、3月31日にお届け、となっていた。

そうか、速いな、と思っていたら、夜まで待っても来なかった。



で、昨日、4月1日は仕事で、PC 前で待機している必要があった。

待機して、連絡用の slack を確認できる体制にあればよかったので、長い日記書いて公開したのだけど。


そんなわけで、製品は午後早い時間に届いたのだけど、放置。

夜になって中身を確認したが、動作確認に至らなかった。




そして、先ほど本格的に動作確認した。


HDMI モニタが必要だが、今使ってない PC 用はスピーカー内蔵してないんだよな…

サーバの動作確認などで緊急に使うために追いおてある、小さな HDMI モニタを出した。これはスピーカー内蔵。


キーボードの感触は、悪くない。

しかし、今更 X68k の配列は、PC につなげてまで使おうとは思わない。

値段高い購入品だから、コレクションとして置いとくだけになるだろう。


X68k のキーボード自体は好きだよ。日本語入力のことをすごく考えて作られている。

現在普及しているキーボードのような、英語入力を考えたものに最低限のキーを追加しただけ、とは違う。


しかし、X68k の日本語変換FEP は、キー操作などは良くても変換エンジンと辞書がダメだったけどね。



マウス。こちらも高級品になる。

X68k の付属マウスのイメージをそのままに、現代的なマウスホイールもついていて、Windows で使用できるように考えられている。

さらに、トラックボールマウスだ。トラックボールにもなるのだ。


でも、「マウスとトラックボールをくっつけただけ」で、X68k のマウスのような仕組みではない。

あれは、マウスのボールを物理的に持ち上げて上に出すことでトラックボールになる、という面白ギミックだった。

今時のマウスは光学センサーだから、X68k のマウスを再現するために、わざわざボールを入れてある。このボールは上下に動いたりしない。


こちらも良くできている、と褒めはするが、コレクションとして置いとくだけになるだろう。




本体の質感は悪くない。

インタラプトキーとリセットキーもちゃんと動作する。


しかし、最初起動に戸惑った。せっかくだからグラディウスを起動、と思ったら、エラーになって起動しないのだ。


システムディスクを入れると、起動できる。

B ドライブにグラディウスを入れて、そこから起動できるかな、と思ったが、B ドライブを認識しない。


B ドライブ壊れてる? と思ってシステムディスクを B に入れると、ちゃんとそちらから起動できる。


グラディウスの SD が初期不良? と思って、超連射 68k で試すが、こちらもエラーになる。


ちゃんとマニュアルを読まないといかんな、と思って読むのだけど、特に説明はない。

説明がないということは、普通に操作して起動できるということか?



…ネットで調べた。

起動方法についての PDF が配布されていた。どうも、説明書の印刷が製品出荷に間に合わなかったようだ。


なるほど。

X68000Z は、X68k の動作を再現する「エミュレートモード」と、ゲーム機として気軽に使うための「ランチャーモード」があるようだ。


そして、付属するゲームである、グラディウスと超連射 68k は、ランチャーモードから起動しないといけない。

モードの切り替えは、インタラプトキーの長押しで行える。


ランチャーモードからエミュレーターを起動することもできるので、「X68k と同じ動作にしたい」という強い欲求がない限り、ランチャーモードにしておくのが便利そうだ。



ランチャーモードでは、起動したゲームを終了してランチャーに戻ったりすることもできる。

ただし、エミュレーターモードに入ると、戻れない。


ここら辺、Wii の時のゲームキューブ互換モードみたいだ。




そんなわけで、グラディウスを遊んでみる。

ランチャー上では、グラディウスがどのようなゲームか、という説明も行われる。


なるほど、単にエミュレータとして起動するのではなく、時代背景などの説明もできるのか。

ランチャーモード、よく考えられているな。


懐かしい。そして、すでにパターンを忘れているので、1面クリアもままならない。

何度か遊んで2面の途中で死に、やめた。


超連射を遊んでみる。

こちらも、ランチャー上で説明が出る。有名な同人ソフトだ。


当時から話題にはなっていた。X68k の性能を超えた数のスプライトを表示している。

理論上、4倍の数まで出せるのだそうだ。すごいな。


ゲームとしてはなかなか面白い。

グラディウスはゲームセンター向けだから、100円で長時間遊ばれると困るんだよね。すぐ死ぬような難易度。


でも、超連射は同人ソフト。遊んでいて気持ちいいことが優先されていて、心地よく遊べる。


しかし、しばらく遊んでゲームオーバー。ひとまずはこれで終了。




Windows で、SD カードの中を覗いてみる。

…Windows では見られないフォーマットのようだ。


となると、Windows で自分のデータを SD カードに何らかの方法で書き込んで、X68kZ で見る、というのはすぐにはできなさそうだ。


コメットのディスクイメージなら手元にあるのだけど。



すでに、X68kZ 向けの専用ソフトが発売されている。

当時の内容ほぼそのままらしいけど、ランチャーモードから起動できる、シューティングゲーム作成ソフト。


あと、ZOOM (当時の X68k 向けの人気ソフト会社)も何か発売を考えているようだ。


それらを考えると、Windows でアクセスできないようにする気持ちは、わからないではない。



翌日追記


X68k の「エミュレータ部分」のマニュアルも、PDF で公開されていた。


これを読んだら、FAT32 の SDHC カードに X68000Z というディレクトリを作成し、その中に XDF ディスクイメージを置くと、エミュレータ起動時にディスクを認識させられる、ということだった。


早速、コメットのディスクイメージを起動してみる。


せっかくだからマウスをトラックボールモードで…

元々トラックボール用として考えたゲームだったから。


しばらく遊ぶ。懐かしいけど、拙いね。

よくこんなものを売ろうとしたものだ。若気の至り。


しかし、若気の至りで「評価される」喜びを知り、その後の人生の転機となったのだ。


過去にScratch 版を作ってみたりもしたけど、オリジナルがもう一度見られた、というのはそれだけでうれしいものだ。


(いや、実機復活させたときに少し遊んだ覚えがあるし、win 用の X68k エミュでも遊んでいるのだけど。)





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続 X68000Z  2023-04-10 10:01:59  コンピュータ

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X68000Z (以下 X68kZ)が届いて遊んでいるが、思っていた以上に楽しい。


僕はこういうエミュレータにそれほど興味がなかったので、コレクションとして置いておくだけになると思っていた。

せっかくだから少し使ってみよう、とセットアップしたら、思った以上に遊べてしまっている、という感じだ。


当初、X68kZ は「ミニファミコン」や「メガドラミニ」、もっと言えば「ミニPC-8001」と同じように、ゲームを何本か内蔵した形で発売するつもりだったようだ。

でも、当時のファン…所有していた人や、高くて買えなかったが憧れていた人たちからの強い要望を受けて、「パソコンとして」のエミュレータとなった。


もっとも、届いたときの最初の日記で書いたように、ゲーム機としてのモードと、パソコンエミュレータとしてのモードを切り替えられる、二重人格マシンでもある。


付属のゲームは2つしかない。これらはゲーム機としてのモードで起動し、動作が保証される。

一方で、エミュレータのモードでは動作保証がないが、ディスクイメージがあれば好きなプログラムを動作させられる。


ネット上の反応を見ると、「付属ゲームが2つしかない」ことについて失望している人もいるようだ。


メガドラミニ2なんて、ずっと安いのに60本のゲームが入っている。

X68kZ は高いのに、2本しかついてこない。




X68k は、現役当時「業務用のゲームが完全移植できる」パソコンだと言われていた。

ゲーム好きなら欲しいパソコン。でも、高性能なだけに、非常に高価でもあった。


今回、X68kZ を入手した人の中には、当時あこがれていたが買えなかった、という人も多いようだ。

そういう人は、当時のゲームが遊べない X68kZ に失望したのだろう。


でも、僕が「思った以上に楽しい」と言っているのは、エミュレータモードの存在なのだ。

ゲーム機としてのモードは、あまり重要ではない。だから付属ゲームが少ないのも、それで構わない。




エミュレータなら Windows 用のもので十分ではないか、という人もいるだろう。

まったくその通りだ。僕もそう思っていた。

もっと言えば、X68kZ のエミュレーションは最低限の精度しか持っておらず、Windows 用の方が正しい挙動を再現できる。


でも、小さいウィンドウの中で動くんじゃないんだよ。

マウス操作するために、エミュレータ内のマウスと、Windows のマウスを切り替える必要はないんだよ。


いや、それだって全画面モードを使えばいいだけの話。Windows 用のエミュレータで十分。まったくその通り。


だから、あとは単に「思い入れ」と「思い出補正」という言葉に尽きるのだろうと思う。

これは非常に個人的な体験に基づくものになるので、万人に勧められるものではない。




ここで、付属する2本のゲームについて書いておこう。


まず、グラディウス。

当時ゲームセンターで大人気だったゲームだ。発売は 1985年。


ちょうどファミコンブームが始まった頃。

ファミコンは、ゲームセンターで遊ぶようなゲームが家でも遊べる、という触れ込みで売れ始めた。

実際、発売時のキラータイトルであったドンキーコングは、ゲームセンター向けと遜色のない出来だった。(全4面構成が、3面構成に減らされていたけど)


グラディウスも、翌年(1986)にはファミコンに移植された。

原作の雰囲気をよく活かした移植ではあったが、見た目もゲーム性も、随分と違うものになっていた。


ほかのパソコン向け移植も発売された。

MSX 版は、ファミコンとは違う方向性の移植で好評だった。しかし、やっぱり本物とは違う。

それ以外のパソコン向けは、ファミコン版をベースに、更に劣化させた移植だった。


あぁ、やっぱりゲームセンターのゲームを家で遊ぶ、なんていうのは夢だったんだ。

多くのゲームマニアが落胆した、その年の年末、開発中の X68k が公表された。


そこでは、ゲームセンターのものとそっくりなグラディウスが動いていた。


X68k の実際の発売年は 1987年春だが、グラディウスは「X68k ならこんな事ができる」と見せつける、優れた技術デモだった。


ひるがえって現代。

今でもグラディウスは人気で、Nintendo Switch や PS4 にもゲームセンター版の、かなり完璧な移植が発売されている。


だから、ゲームを遊ぶことが目的であれば、わざわざ X68kZ で遊ぶ必要はない。

X68kZ にグラディウスが付属する、というのは、X68k にグラディウスが付属したことに対する、オマージュだ。

X68k はここから始まったのだ。


そしてもう一本。超連射68k。

こちらは、1997年に発表された同人ソフトだ


X68k シリーズは、1993 年発売の X68030 で終了している。以降後継機は出ていない。

専門誌であった Oh! X も、1995年末で休刊している。


そのさらにあと、1997 年に発売されたソフトなので、実際のところ遊んだことのある X68k ユーザは少ないはず。少なくとも、僕は X68k では遊んでいない。

ただ、作者自身によるWindows 版が 2001年に公開されていて、僕はそちらは遊んだ。


つまり、懐かしのソフト、というものではないし、遊ぶことが目的であれば、Windows でも遊べる。


しかし、当時話題になったのは覚えている。

同人ソフトだからこそ、市販ソフトにはないような技術的チャレンジを行っている

巧妙なプログラムにより、X68k の限界を超える数のキャラクタを表示しているんだ。


だから、これが動けば、X68kZ のエミュレーション能力がそれなりのものである、という証明にはなる。

同時に、X68k 最後の話題作を付属させることにもなる。



さて、X68kZ には、3つの SD カードが付属する。

2つは、上に書いたゲームが入っている。

残る1つは、パソコンエミュレータとして起動するための OS だ。


これは、X68kZ の制作者からのメッセージだ。


ゲームにより、X68k の最初と最後を示した。

OS は、その中間を埋めるもの。


しかし、OS というのはゲームと違い、そのまま楽しむものではない。

「何かを起動するためのプラットフォーム」だ。


君なら、何を起動する?


この問いに答えられる人は、X68kZ を楽しむことができる。



「無いものは作る」


この言葉は、X68k を象徴するものとして語られる。

僕が過去に X68k について書いた記事でも多用している。

書いた当時は X68k を知るものも多く、この言葉の真意が伝わりやすかった、と思う。


この言葉は、X68kZ の宣伝文句でも使われていた。

しかし、すでに当時を知るものは少ない。

言葉自体が神格化して、ねじ曲がっているように思う。



X68k は、圧倒的に「無かった」。


ソフトの数で、当時絶対王者だった PC98 に負けるのは当然。

ライバルとされていた FM-Towns にも、圧倒的に負けていた。

X68k はゲームに強かった、と言われるが、そのゲームの数ですら負けているのだ。


でも、X68k は、ソフトを持っていないが「ソフトを作りやすいハード」を持っていた。

後で詳細を語るが、使い始めの素人でも、それなりのソフトを作れたし、発表できた。


無いものは作る、というのは、なんでも作ってしまう熱い技術者集団を示す言葉ではない。

無いから仕方なく自分たちで作り、不格好でもいいから環境を整えようともがいた軌跡を示す言葉だ。


市販ソフトの少ない X68k は、こうしたソフトを中心として回っていた。

X68k を再現する、というのであれば、市販ソフトの収録よりも、こうしたソフトを収録しないといけない。


実際、超連射68k は同人ソフトなわけだが、先に書いた通り当時遊んだ人は少なかったはずだ。

当時遊ばれたものは…市販ではないからこそ、権利関係などが確認できずに収録は難しいだろう。


当時の X68k を懐かしむ「ミニ」を作るにあたり、ゲームではなくエミュレータをメインコンテンツとする、というのは大英断だったと思う。



ネット上では、当時自分が作ったソフトを公開している人がいる。

僕も公開している


ゲームに限らず、探せばいろいろある。

そういうものを探して動かしてみるのが楽しい。


最初に書いた通り、Windows のエミュレータでも遊べる。そちらの方が再現性も高い。


でも、遊び終わって次のソフトを見るときに、「本体上のリセットスイッチを押す」というのが、当時を知っているものにとっては、たまらなく懐かしい。


Windows のエミュレータではこうならないのだ。

それだけで入手した意味があった。


何度も書くけど、これは思い出補正だ。当時持っていた人間だから懐かしめるものだ。

憧れていた人が買って、「ゲームが2本しかない」と嘆く気持ちはわかるのだ。


でも、ファミコンミニも、メガドライブミニも、そうでしょ?

今更昔のゲームが遊びたいというよりも、思い出を懐かしみたい、という側面が強いと思う。


思い出がない人間には、懐かしめない。

X68kZ だってそれは同じ。それだけのことだ。



X68kZ の話としてはこれで終わりなのだけど、途中で書いた話の詳細を、次の記事に書きたいと思う。


X68k が、素人でもプログラムを組みやすい環境だった、という話だ。


こういう「使い勝手」の話は、スペックに現れない。

ずっと昔に自分が書いた記事でもあまり取り上げていなかったので、今更ながら記しておこうと思う。



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素人プログラマから見たX68k  2023-04-10 10:48:18  コンピュータ

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先の話の続き


当時の状況を記そう。

当時、ホビープログラマが最初に使う言語は BASIC だった。


8bit 機では、OS は存在して無くて、起動すると ROM に入っている BASIC が動き始める、というのが普通だった。

シャープ製マシンは ROM に入ってなかったけど、本体を買うと BASIC が付属している点は変わらない。


16bit でも BASIC が付属しているのは当たり前だった。

PC98 は、PC88 の BASIC 互換マシンとして作られた。当然 ROM BASIC もあるし、DISK BASIC 、DOS BASIC もある。


X68k にも、X-BASIC が付属した。


今となっては、当時の BASIC の環境は忘れられかけている。


文法は、今でも残っているね。BASIC という言語自体は残っている。

でも、「環境」としては、今と全然違う。


BASIC は OS と、エディタと、デバッガと、実行環境が混然一体となったものだった。


ソースコードをエディットしている最中に、命令の動作詳細を知りたくなったとする。


その時は、その場で命令を実行してみることができる。

実行して、動作を確認して、納得したらソースコードに組み込む。


プログラムが出来たら全体を実行してみるが、途中でエラーで止まってしまったとしよう。


原因調査のため、止まったあたりのソースコードを表示する。

どうも、そこで使われている変数の内容がおかしい気がする。


その場で、変数の内容を表示する命令を打ち込むと、命令が実行され、変数の内容が表示される。


こうやってデバッグを進めることができる。




この環境、プログラムに不慣れな初心者にとって、めちゃくちゃ使いやすかった。


ただ、非常に大きな欠点があって、プログラムの実行速度が遅かった。


いつでもコマンドを実行できる、というのは、コマンドを解釈して実行する機構があるためだ。

そして、プログラムはこれを連続して動かしている。文法解釈をいちいち行いながら動くので、遅いのだ。


一応、BASIC コンパイラというものもあった。

先に書いたように、BASIC はエディタとデバッガと実行環境を総合したような環境で、この環境自体が大きい。


完成したプログラムを BASIC コンパイラに通すと、OS から起動できる実行形式のプログラムを生成してくれる。

この際、速度も改善する。


でも、そもそも BASIC って、初心者にはわかりやすい反面、コンパイラで速度を上げたりしにくい構造だったのね。

PC98 の DOS BASIC の場合、コンパイラを通しても速度は3倍程度にしかならなかった。




X68k の X-BASIC は、当時の他のコンピューターの BASIC とは、文法面から少し異なっていた。


とはいえ、BASIC ではある。先に書いたような、エディタとデバッガと実行環境が統合されたような、初心者でも使いやすい環境は実現されていた。


この、「少し異なる文法」がミソだ。

当時は、パソコンユーザーにはまだ C言語はあまり普及していない。

しかし、X-BASIC の文法は、C言語に非常に近いものだったのだ。


そして、SHARP 純正の C 言語が発売される。

このセットには、X-BASIC のプログラムを C に変換するプログラムが含まれていた。

もちろん、Cコンパイルすれば、機械語の実行ファイルになる。


これは素晴らしい「BASIC コンパイラ」だった。


先に、BASIC は文法を解釈しながら実行する、と書いた。

それに対し、C 言語は、文法解釈を先に行い、結果として「CPU が直接理解できる」機械語プログラムのファイルを生成する。(この作業をコンパイルと呼ぶ)


結果として、プログラムの実行時には、余計な動作が一切入らない。

このため、非常に高速に動くのだ。


PC98 の BASIC コンパイラのような3倍程度ではなかった。

ちゃんと速度を測ったことは無いけど、超高速。機械語として動作するからね。


初心者が気軽にプログラムを作り始め、最終的に十分な速度で動作するプログラムを作れたんだ。

これは、他のパソコンにはない環境だった。




さて、実行速度が速ければプログラムが組めるようになるか、というと、そんなことは無い。


ゲームを作りたいと思ったら、キャラクターを表示しないといけない。


PC98 の BASIC でも、画面に描いたキャラクターを動かすくらいのことはできた。

でも、全てをグラフィックとして扱う必要があった。

キャラクターを描いて、消して、少しずれたところにまた描いて、の繰り返しだ。これで動いて見える。


ただ、「消して」のところで、背景も消える。

「描いて」のところでも、キャラクターを含む矩形全体を描くので、キャラクターの周囲が四角く消えてしまう。


背景があるような華やかなゲームを作るのは、BASIC では事実上無理だった。


じゃぁ、一念発起して機械語を勉強してみようか…とすると、急に高い壁が立ちはだかる。

詳細を書くと長くなるので、過去に書いた記事を紹介しておこう。

当時のパソコンは、一般的に横8ドットをまとめて扱う


BASIC でキャラクターを扱うときは、このことを気にしないでいいようになっている。

でも、機械語だと知らないとダメだ。

適当にグラフィックを扱うと、周囲のドットを破壊してしまうので、それを解消するプログラムが必要だった。


とにかく、ゲームを作りたくてキャラクタを動かそうとすると、それだけでも大変だった。


これ、ゲームに限った話ではない。

ちょっとグラフィックを扱うツールを作ろうと思ったら、マウスカーソルとか、選択範囲とかでグラフィック表示が必要だ。


しかし、処理対象のグラフィックを壊すわけにはいかない。

一旦グラフィックをメモリに退避したり、いろいろ複雑なプログラムを作る必要がある。


もっというと、これは PC98 に限った事情だが、画面を構成する情報を「設定」出来ても「読出し」できないものがあった。

画面を構成する、4096色中 16色のパレットは、設定専用で読み出せないのだ。


ということは、「現在表示している画面を加工して、セーブ」という操作はできない。

グラフィックを加工するフィルタを作りたければ、それだけで、ファイルの読み込み、グラフィック圧縮フォーマットの展開、画像加工、グラフィックの圧縮、ファイルの書き出し、までをセットで作る必要がある。


初心者が何かしようと思っても、余りにも壁が高い。

それが当時の、普通のパソコン環境だった。




X68k には、こうした制約がなかった。


キャラクターを動かしたいなら、スプライトを使えば良い。

動かす際に、以前描いたものを消す、というような操作は必要ないし、背景を壊す心配もない。

周囲だって、適切に「透明」として背景を見せてくれる。


グラフィックを扱いたいなら、1ドットは1ワード(16bit) に対応していた。

1ドットを構成するメモリが、他のドットと共有されることは無い。


さらに、グラフィックを複数重ね合わせることもできたので、グラフィックの範囲指定などで枠を表示しても、グラフィックを壊さない。


こちらも詳細は過去の記事に譲ろう

とにかく画面関係が豊富で、扱う際に何かに気をつけないといけない、というような制約が少なかった。

(全くないとは言わない)


先に書いたように、グラフィックを加工するプログラムを作りたい、とする。


画像の読み込みと書き出しは、すでに存在しているプログラムに任せることができた。

操作パレットや範囲指定の枠表示などは、表示中のグラフィックに影響を与えないように描けた。


グラフィックの操作は、1ドット単位でメモリの読み書きを行えばよいだけ。


あとは、処理の中心となる「加工」部分をどう作るか。

このアイディアだけに集中すればよい。


初心者でも、自分が作りたいプログラムを作りやすい環境だったんだ。




もう一つ、OPM ドライバの話を書いておこう。これは大発明だったと思う。


また BASIC の話に戻ってしまうのだが、日本のパソコンのBASICは、音楽演奏機能が充実していた。


これ不思議で、海外のパソコンには見られないんだよね。過去に調べたことがある

ともかく、日本ではパソコンの楽しみの一つに音楽演奏があり、パソコン用の、文字の組み合わせで楽譜を表現する「MML」と呼ばれる記法が出来上がっていた。


当時の MML を使った演奏は、BASIC の中に組み込まれていたのだけど、演奏中は他の動作が止まるのが普通だった。

非力な CPU では、そうしないと演奏のテンポとかを保証できなかったからだろう。


ところが、X68k の MML 機能はそうではなかったんだ。

演奏を開始すると、演奏を続けたままプログラムの動作を続行してしまう。

これにより、ゲームに BGM が付けられた。


最初は BASIC の中だけの機能だったのだけど、すぐに音楽機能は「OPM ドライバ」という名前で切り離され、OS 標準機能の一部になった。


これにより、「全ての」プログラムが、気軽に BGM をつけられるようになったんだ。


これもまた、素人がゲームを作る上では強力な、超強力な機能だった。




他の PC でゲームを作ろうと思ったら、速度を確保することが難しく、キャラクターを表示することが難しく、BGM をつけることも難しい。


この問題が、最初から解決していたのが X68k という環境だ。


だから、素人でも作品を作れたし発表できた。


ゲームに限らず、自分が興味を持つ分野だけを、集中して取り組めた。

それ以外の部分は、すでにあるものを使えばいい。


大根おろしPRO68k」とか、当時有名な PDS だった。

今でもインパクトで覚えている人が多いようだ。


内容見ると、超くだらない。白い四角をマウスで動かして、画面中央の「おろし金」にこすりつけると、四角が小さくなって白い点々が増える。ただそれだけ。

でも、おろし金のギザギザと、白い点々と、四角い「大根」はちゃんと重ね合わせ処理が行われているのね。

X68k だから別画面に描いているだけだと思う。でも、PC98 でこれを作ろうと思ったら大変な処理になる。


こうした「思いつきの冗談」みたいなものでも、すぐにプログラムが組めてしまう。




そして、もう一つ。重要なピースがある。

X68k は、市販ソフトがほとんどなかった、ということだ。


パソコンを使って何かをしようと思ったら、普通はそれができるソフトを探すだろう。

でも、X68k には市販ソフトがなかった。探すことすらできなかった。


じゃぁ、自分で作るしかない。

仕方がないからやるだけだし、自分用だから多少出来が悪くても構わない。


先ほど書いたように、BASIC でもそれなりのものが作れてしまうのが、X68k だった。

とにかくプログラムを作ってみて、目的を達成する。


そして、自分が困っているのだから、こんなプログラムでも使う人がいるかもしれない、と、当時流行し始めたパソコン通信にアップロードする。

もしくは、雑誌 Oh! X に投稿する。ディスクマガジン電脳倶楽部に投稿する。


X68k にはとにかくソフトがなかった。多少出来が悪くても、動くだけでありがたい。

電脳倶楽部の編集長も、「動いているプログラムは良いプログラム」と言っていた。

多少出来が悪くたって、ないよりはある方がずっといいのだ。


そうか。出来が悪くても、ある方が良いのか。

これが、X68k の当時のユーザーの認識だったと思う。


だから、自分が何か作ったら、出来が悪くても、恥ずかしげもなく公表する。

そういうソフトを見た人は、そのレベルでいいんだ、と、また出来の悪いソフトでも公表する。


この、とにかく公表するし、みんながそれをありがたがる、という構図は、現代でもなかなか見られない。


これが、良いスパイラルを産む。


公表して、みんなにありがたがられた人は、また何か作ったら公表しようと思う。

次の作品へのモチベーションになる。


そうして作品を作り続ける。作り続けるうちに、技術も上がり、もっと良いものを作れるようになる。


X68k のソフトウェア環境は、こうしてユーザーたち自身の手で作られていった。


これが、「無いものは作る」と呼ばれる文化の正体だ。


決して、技術力の高い人間が、なんでも作ってきた、というような文化ではない。

仕方がないから出来の悪いものでも作り、公開し、泥臭く環境を整えていった文化だ。


結果として、すごい人を育てる良い環境になった。

でも、最初からすごかったわけではない。




最後に、今の初心者が X68kZ を使ったら、同じように上達できるか? ということについて。


当時「使いやすかった」と言われる環境だから、今から自分も何か作ってみたい、という人は少なからずいるようだ。


しかし、ここまで読んでくれた人には、答が分かると思う。


「プログラムを作りやすい」というのは、あくまでも当時の他のパソコンに比較しての話。

今なら、何も古いマシンのエミュレータを使う必要はない。

Unity とかを始めて見るのがいいだろう。初心者の内は Scratch でもいい。


どちらも、他の人に作品を公表しやすい環境だ。

X68k がそうであったように、出来が悪くても恥ずかしげもなく公表し、評価をもらえることが大切だと思う。


プログラムに限らない。絵でも音楽でも、今は昔に比べてずっと公表しやすい。


ただ、なんでも有難がられた X68k と違い、今はソフトも情報もあふれている。

出来が悪いと容赦なく叩かれるし、ちょっと初心者に厳しい環境かもしれない、とは思う。



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今年の1月に、タイトー Hey がコラムス 97 の配信をやっていた


で、今度は VGM ロボット深谷店がコラムス 97 の配信をやったらしい


Hey は1週間だったが、ロボットは1日だけ。

事前に情報は得ていたが、忘れていて見逃した。


でも、Youtube でも配信を行ってくれていたた。

上のリンクはアーカイブのもので、後からでも見られる。


で、見られるといったところで、特に見所はなかったです。

タイムラインをサムネイルで確認できるので、全部見るまでもなくわかる。


だれもコラムス 2000 まで行かなかったし、当然カンストするような人もいない。


しかし、Hey の配信はニコ動課金ユーザでないと後から見られないが、Youtube は誰でも見られるので、ここに記録だけ残しておく次第です。


▲目次へ ⇒この記事のURL

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