春暁/孟浩然
春眠不覺曉 春眠暁を覚えず
處處聞啼鳥 処処啼鳥を聞く
夜来風雨聲 夜来風雨の声
花落知多少 花落つること知りぬ多少ぞ
先日、妻が急に「春眠暁を覚えずって、どういう意味?」と聞いてきた。
自分が知っている意味を答えたら、妻も全く同じ認識だという。
自分は高校で習った覚えがある。妻は、中学・高校・大学の第2外国語(中国語を選択していた)で、やはり同じことを聞いたという。
それだけ多くのところで教えているのだから、多少の意味のずれはあるかもしれないが、正しい認識なのだろう。
が、その解釈が、インターネットのどこを探しても出ていない、という。
気になって自分も調べたが、確かにその解釈に出会わなかった。
ネットで標準的に解説されている内容。
代表的なものとして、Yahoo!辞書から。
大辞泉:
《孟浩然「春暁」から》春の夜はまことに眠り心地がいいので、朝が来たことにも気付かず、つい寝過ごしてしまう。
大辞林:
〔補説〕 孟浩然の詩「春暁」に「春眠不レ覚レ暁処々聞二啼鳥一」とあるのによる
春の夜は短い上に寝心地よく、暁になってもなかなか目がさめない。
…ちょっとまて。
寝心地がよいから寝過ごした、というのでは、「夜来風雨の声」と矛盾してしまう。
少なくとも、孟浩然は夜のうちに風雨が来たことを知っているのだ。「寝心地良くて寝ていた」のではない。
春の夜は短い、ということについては、似たことを解説したページが他にも多数あった。
冬に比べて朝が早くなるから、朝起きることができない、という解説。
ただ、後で書くようにこれも違うように思う。
冗談として「春は眠い」という意味として使うのはかまわないが、辞書の解説としてはちょっとおかしい。
(もっとも、「一般的に広まっている」意味はこちらなので、必ずしも間違いではない。辞書は原義に忠実であることよりも、多くの人が使っている言葉の使い方に従っている方が重要なこともあるだろう。また、電子辞書だから細かな解説が省かれている、という可能性だってある)
別の意見として、こんなものもあった。
どこのページで見かけたか失念。「自説」だとして紹介していた。
孟浩然は大学者だったので、勉学に励んで夜更かしをしたのだろう。
そんな日の連続なので、この日は夜が明けても気づかず、寝過ごしてしまった。
夜起きていたので、風雨が来ていたことも知っている。花も落ちたことだろう。
しかし、眠くて外を確認する気にもなれない。
(勉強のほうが大切で、花などどうでもよいから確認しない)
これなら矛盾は無い。
この詩を、孟浩然が何を考えながら書いたのかはわからないが、解釈というのは読み手にゆだねられるものだから、十分な解釈だと思う。
妻と僕が学校で学んでいた解釈、というのは以下のようなもの。
夜の間に風雨が訪れ、せっかく咲いた春の花(古代中国だから桃でしょうね)が散ってしまうのではないかと、気が気でない。
そのためなかなか寝付けず、いつの間にか寝入ってはいたが朝が来たのに気づかなかった。
どうやら雨は止んだようで、鳥の声で目覚めはしたが、花はどれほど散ってしまったのだろう。
(目覚めのまどろみの中で考えているため、外の様子はまだ確認していない)
花がどれほど散ったか、と気にするほどの人なので、勉強に興味があるから花などどうでもよい、ということは無いと思う。
鳥が鳴いている、というのどかな描写で、天候は既に回復していることがわかる。
詩全体は心優しく、美しい情景なのだが、「春眠暁を覚えず」の原因に関して言えば、春が心地よいからでも、夜明けが早いからでもなく、「睡眠不足だから」である。
解釈は読み手にゆだねられている、とはいっても、最初の1行だけを取り出して「春は眠い」って解釈はどうかと思う。
…ってなことを、仕事の都合で徹夜作業しながら書いております。
明日の朝、起きられるかなー。子供に起こされるんだろうなぁ… (^^;
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