2015年04月02日の日記です


祝一平 命日(1999)  2015-04-02 12:32:52  今日は何の日
祝一平 命日(1999)

今日は、祝一平さんの命日(1999)


知る人ぞ知る、ですね。

パソコン雑誌 Oh!X のライターをやっていて、人気があった方でした。

後に有限会社満開製作所を設立、X68000 用のディスクマガジン「電脳倶楽部」を刊行しています。


1988年5月創刊です。一応、日本で最初のディスクマガジンとされています。


ディスクマガジンと言うのは当時新しい概念で、MSX 用の「ディスクステーション」が有名でした。

こちらはコンパイルが発行していたもので、1988年7月創刊。


2か月しか違わないから、真似したとは思わない。

ディスク搭載のコンピューターが増えて、そこで雑誌形式のものを作ろう…というアイディアは、誰もが思いついたのでしょう。


#追記:情報頂きました。

 1983年には DiskFM/DiskPC などが鈴木技研から発行されていた、とのこと。

 そういう先行例もあるので、ディスクステーションも含めて「新しいアイディア」ではなかったようです。

 他にも多数出ていたようですが、月刊ではなかったこと、電脳倶楽部の発行開始時にはすでに廃刊していたこと、などから電脳倶楽部は「日本初」を名乗っていたようです。



ディスクステーションは、MSX向けのゲーム情報誌の形を取っていました。

新作ゲームの体験版とか、非常に古いゲームを丸ごととか、すごい簡単なミニゲームとか、ゲームだらけ。


電脳倶楽部は、投稿中心のパソコン雑誌でした。


投稿プログラムなどもあり、アルゴリズムの解説などもあります。

X68k の画像フォーマット形式としてよく使われた、PIC などは、電脳倶楽部で発表されたものです。


また、「著作権が無いデータを電子化する」という活動を始め、古い小説や、日本国憲法全文、英語辞書などのデータが発表されていました。


これ、いくつかは現在の「青空文庫」に引き継がれ、収録されています。




実は、僕が Oh!X を読み始めた時には、祝一平氏の「最も人気があった」時期は過ぎており、あまり活躍を知りません。


友人が電脳倶楽部を購入しており、フリーソフトでほしいものなどがあった際にはコピーしてもらっていました。


…いや、正直に言えば、電脳倶楽部自体、ある程度コピーさせてもらっていました。

電脳倶楽部は、コピープロテクト掛けない方針を貫いていましたから。


#データは壊れるから、まずバックアップを取りましょう、と毎号書いてあった。



大学1年の時、大学祭のために作ったゲームを「電脳倶楽部に投稿しなよ」という友達の勧めで投稿します。


電脳倶楽部は年間購読契約をするもので、読者には必ず会員番号が割り当てられます。

投稿にも会員番号が必要だったのですが、友人の会員番号で投稿しました。


この際、学祭に出したバージョンより面データを大幅に減らしました。

ディスク雑誌なので、大きなデータを使えない制約…もあるのですが、それよりも「フルバージョンは販売したい」と思ったためです。


たいして出来が良いゲームでもないのに、金を取ろうなんて思い上がったもんです (^^;;



電脳倶楽部では、どうやら「会員以外からの初投稿」だったようなのですが、ゲームを掲載してくれました。

それだけでなく、「販売するのであれば武尊からどうか」という話を頂きました。


電脳倶楽部は年間購読契約が必要だった、と先に書きましたが、1号づつの販売も出来るように、当時ブラザー工業が展開していたソフトウェアの自動販売機「武尊」での販売を始める予定でした。


ブラザーの方でも、販売するソフトを増やしたくて探していたのです。

ただ、この時点では「法人しか相手にしない」とのことで、満開製作所が間に入ってくれました。


#その後、武尊は同人ソフトにも門戸を開きました。

 この時点でも、事実上の「同人」第1号だったわけです。




武尊で販売したい、というお話を頂いたときに、満開製作所から呼び出されて祝一平氏にもお会いしました。

冬の寒い日だったと思います。夕ご飯をご馳走になりました。


それだけでなく、電脳倶楽部の採用者や、読者プレゼントのみでもらえる様々なグッズを、まとめていただきました。


これ、投稿が採用されても、1点づつしかもらえないもの。

まとめてもらえたのはおそらく貴重なので、まだ置いてあります。


でもね、このグッズが全部バカバカしいんだ。

エッチな鉛筆セット」とかね。HB~8Hで、「ちょっとH♡」とか「すごくH♡」とか書いてあるの。


逆さまにアスキーコード表が印刷されたTシャツと言うのもあります。

逆さまになっているからこそ、自分が下を向けばアスキーコード表を読める。


アスキーコード表が裏に印刷されたカードカレンダーももらいました。

クレジットカードサイズで、カレンダーとして使えなくなっても、アスキーコードが便利で持ち歩いてた。


あ、ひとつだけ、今はもうないグッズもあります。


「おいしすぎて…コーヒー中毒」という名前の飴。

これは、満開製作所のオリジナルではなく、当時の北海道のメーカーが作っていたもの。


パッケージに描かれた顔の絵が不気味で、さらに商品名が「中毒」。インパクト大でした。

でも、飴を置いとくわけにもいかないので、全部食べちゃった。




祝一平氏に会ったときはまだ大学1年でしたが、「将来プログラマーになるの?」と聞かれました。


なれればなりたい、というようなことを答えたと思います。そしたら、「C言語は勉強しといた方がいいよ」と言われました。


販売してもらったゲーム、Comet は BASIC で作っていたのね。

実際、BASIC では限界を感じていたし、そこからコンバータでCにしてコンパイルしていたので、Cもなんとなく見ていた。


#BASIC コンバータの限界で、意図しない動作をすることがあった。

 その時は、Cになったソースを見て、何が起きているか理解して、回避する様に BASIC プログラムを変えた。


すぐにCの勉強を始め…挫折します。

なんだか、妙に回りくどくて面倒くさかった。アセンブラの方がよほど簡単だ、と思った。


それで 68k のアセンブラで1本ゲームを作るのですが、ゲームを作ると「アセンブラで全部作るのは大変だ」と思い始めた。


これで、Cとアセンブラを組み合わせ、適材適所で使う、というのを覚えます。

一度アセンブラを理解してからCに戻ったら、Cがどういう意図で作られているかもわかったし、「アセンブラで最適化されやすい」記述方法なんかも理解できるようになりました。



もちろん、実際に仕事を始めてからはCの知識は非常に役立ちました。




冒頭に添付してある写真は、祝一平氏の名刺です。

祝一平ってペンネームだから、本名の名刺ももらっている。でも、ここは有名な名前の方で。


文字しかないすごく簡素な名刺だけど、ちゃんと遊び心が入っている。



\満開製作所\電脳倶楽部編集長\

祝一平


と書いてある。

これ、MS-DOS 的なツリー構造表記で「所属」を表現しているのね。


DOS では、ディレクトリ表現にバックスラッシュ(\)を使いました。

日本語の文字コードでは、バックスラッシュではなく¥になってしまうのだけど。


今なら PC UNIX が浸透しているし、URL でも見慣れているので / で書くのかもしれない。

でも、当時は MS-DOS の方が遥かに知られていて、でもパソコン自体が一般的でない趣味。


パソコン好きな人はニヤリとするし、そうでない人には全く意味がわからず、それでいて違和感がない。

ちょっとひねった表記方法でした。



先日、僕の名刺の裏の絵を公開したのですが、表面の「所属」部分は、祝一平氏の名刺のアイディアを真似させてもらっています。


ただし、所属ではなく「属性」として、C++風に多重継承している。


(僕の名前) : 代表取締役, プログラマ


としてあるのね。


そんなところも真似させてもらうくらいには、影響受けてます。




そんなわけで、祝一平氏は1度会っただけの人ですが、僕に影響を与えた人物です。

亡くなったと知ったのは、不義理なことに1回忌を過ぎてからでした。





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