2015年06月の日記です

目次

01日 冒険遊び場と変わった地震
02日 ハーバード・マーク1
03日 ロバート・ノイス命日(1990)、ジョン・エッカート命日(1995)
03日 セガ創立日(1960)
12日 生卵と生豚と
16日 アスペルガー症候群
19日 トーマス・J・ワトソンの命日(1956)
19日 パンク
21日 山歩き
22日 IBM 産業スパイ事件(1982)
22日 node.js の雑感
24日 若者の恋愛観
24日 結婚と経済
26日 バーコードが初めて使われた日(1974)


冒険遊び場と変わった地震  2015-06-01 10:53:29  旅行記 家族 天文

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毎年恒例冒険遊び場。


…なのだけど、毎年は3月の最初の土曜日。雨の時は1日延期。


ところが、今年は3月の土日が2日共雨。「中止」となってしまったのだけど、5月の最後の土日に再度開催してくれた。




いつもと同じつもりで行くと、およそ3か月ずれたことで遊びが大きく違っている。


いや、同じと言えば同じなのだけど、心構えが違う。

3月頭にやると、焚火の近くには人が自然と集まった。でも、5月末だとそれほど集まらない。


冬にはやらない「水鉄砲づくり」が大人気。

山肌を登って遊ぶ子も、冬よりも身軽に動ける。


一方で、半袖の子も多いので山遊びは多少危険でもある。かすり傷の怪我多し。



風船で遊んでいる子もいたが、冬は大丈夫だったのに、夏はやたら割れる。

イネ科の雑草は葉がとがっているから、触れると割れてしまうんだな。


ちょっと季節が違うだけで、遊び方もいろいろ変るなぁ、と思った次第。




その土曜日の夜、ちょっと大きな地震があった。


妻は好きな歌手のコンサートがあって出かけていた。

子供たちを風呂に入れた後で、長男はまだ風呂に入っていて、僕は座って本を読んでいた。


あれ、何か揺れた気がする、と思っても子供は気づいていない。

気のせいではないことの確認のためテレビを付けたら、地震速報が出ていた。

8時24分、地震がありました、というテロップ。


この速報を確認している時、2度目の揺れ。今度は少し大きく、長かった。

時計を確認した。8時27分。



NHKは臨時ニュースに切り替わった。

震源は小笠原諸島沖、となっているけど、小笠原と埼玉で震度5。

この時点で、「刺激されて連動された、2震源の地震ではないか」と思う。


妻からメールが来ていた。

コンサートは終わって帰宅中だったけど、電車は緊急停止した、とのこと。

その時点での情報をメールで送る。


その後、マグニチュード8.5、震源は地下590kmと…


590km? とんでもない深さだ。でも、これを知って瞬時に理解。


2回揺れたのは、震源が2つあるのでも、余震と本震だったのでもなく、P波とS波だったのだ。

完全分離されてしまい、3分もずれるほどの「遠く」からやってきたことになる。



特にそれ以上新しい情報もなかった。

子供は寝る時間なので、寝かしつける。




子供が寝てから起きてきてテレビなどで情報収集。

妻が載っている電車は、ずっと様子見で動かないままのようだ。


10時半から政府の記者会見があるというので、NHKでは10時24分からもう一度臨時ニュースになっていた。

この会見の様子と、解説などが終わったのが11時。この時点でも、まだ電車は動いていない。


これは、妻は今日中には帰ってこないかな…と覚悟して、寝ようかと思ったところに妻が帰宅した。

電車動いてないとテレビで言っていたけど何で? と聞くと、徐行運転だけど動いてはいたらしい。


ただ、すでに乗っている人・駅のホームで待っている人だけを運び、駅への入場は制限していたみたい、とのこと。

そのため、表向きは「動いていない」ことにしてあったようだ。




翌日からの新聞記事などを見て、地学先攻だった妻が「多分」で解説してくれた。

(専門会見ではないが、全くの素人でもない。間違えているかもしれない、とあらかじめ断っておく)


震源が小笠原沖であるにも関わらず、埼玉でも揺れが大きかったのは、地震波の伝わり方と関係がある。


地面には、地震波を伝えやすい部分と、伝えにくい部分がある。

これは深さとだいたい関係していて、深いほうが伝えやすい。


普通は、それほど深いところで地震は起こらないので、震源近くが強く揺れ、遠くになるほど弱くなる。

ただ、地震というのは震源から「地表」に向かうだけでなく、地下にも向かう。


地下で伝えやすいところに達し、その内部を伝わって再び地上に現れることがある。

中学の理科(地学)で習う「モホロビチッチ不連続面」というやつだ。



今回の地震では、大深度で起きたために、伝えやすい部分を直接動かしてしまった。

そのため、非常に広い範囲に揺れが伝わり、日本全国で震度1以上を観測することになった。


そして、地震波が屈折するときに、2つに分離した。

(水面の光の屈折の際に、反射も同時に起こるために2つに分離するようなものだ)


そのため、小笠原だけでなく、埼玉近辺にも強く波が伝わった。

これが、震源から遠い場所でも強く揺れた場所があった理由。



これほどの大深度(翌日夜、震源は地下 682km、マグニチュード8.1に修正。その後得られたデータを精査した結果)で地震が起きること自体が珍しい。

新聞では、日本の下に潜り込むプレートが世界一古いから…と説明してあったけど、それがなぜ地震につながるのか?



「古い」というのは、プレートが生み出されてからの時間がたっている、という意味だ。

海嶺でプレートが作りだされ、海溝に沈んでいく。


アメリカ西海岸沖のナスカ海嶺で作りだされたプレートは、日本海溝・マリアナ海溝に沈んでいくのだけど、この「太平洋プレート」は、非常に大きい。


大きいから、海嶺から海溝まで達するのに時間がかかる。これが「世界一古い」という意味だ。

そして、時間がたっているので、一番冷えて、固まっていて、重い。


重いから、海溝では一気に沈み込む。日本海溝は狭くて深いし、マリアナ海溝は世界一の深さだ。

そして、冷えているものが一気に沈むから、地球内の熱で温まるまでに、かなり深いところまで行く。


温まって「溶けて」しまえば、柔らかくなって地震が起きることは無い。

でも、まだ固いうちに力がかかって、割れれば地震になる。


これが、今回大深度で地震が起きた理由。

実のところ、そのくらいの深さでもたびたび地震は起きているのだけど、深すぎて地表に揺れが届かないという。


今回はマグニチュード8を超える「大地震」だったために、地表でも揺れた。

しかも、震源が深いので北海道から沖縄まで、日本全国が揺れる珍しい地震となった。




ちなみに、緊急地震速報が出なかったことに対して批判している人たちがいるようだ。

先に書いたように、これほどの大深度地震はめったに観測されないので、データが無い。


たまたま埼玉が強く揺れたけど、プレートは日本全国にほとんどつながっているわけで(だから全国揺れたわけで)、どこに揺れが強く伝わるかは、まったく予想できなかったともいえる。


データを積み重ねれば、地中の状況が逆算できて、地震の伝わり方を予測できるかもしれない。

でも、そのためには「めったに起こらない」珍しい地震が、あと100回くらい起きてくれなくちゃ。



めったに起こらないタイプの地震なのだから、「次に起きたらどうするのか」と心配するものでもないと思う。




妻にとっては、土曜日は「冒険遊び場」に子供たちと行って、その後コンサートに出かけ、地震の影響に巻き込まれて深夜にやっと帰宅…という大変疲れる日だったようだ。


#夕ご飯も食べてなかったようで、帰ってから「もう寝る前だから少しだけ」とサラダ食べてました。



しかし、マグニチュード8を超え、人口密集地域で震度5を超えたにもかかわらず、大きな混乱が無いというのは日本がある種異常なところ(良い意味で)だろう。


エレベーターは首都圏で多数止まって大変だったようだ。

現状の集計で1万3000基が止まっていて、まだ集計が出ていないメーカー分も含めればもっと増える様子。


「止まる」のは良いとして、再始動は法律の問題があって、国家資格を持つ専門家にしかできないらしい。

これだけ多数止まると専門家の数が足りず、混乱した。


ビル管理者が自分で再起動してもいいように、柔軟に運用できるように法的整備が必要だ、という議論が始まっている。




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【JANYSKA】 「モホロビチッチ不連続面」の「チ」が抜けて「モホロビッチ不連続面」になっていますよ (2015-06-01 15:25:08)

ハーバード・マーク1  2015-06-02 11:01:33  コンピュータ 歯車

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昨日のうちに、ハーバード・マーク1こと IBM ASCC の概要記事を公開しました。


これは、歯車計算機だから歯車ページね。

プログラムが組めるのでコンピューター扱いでも…と迷ったのだけど、「最後の歯車計算機」として扱うことにした。




もう、10年来「中高生の夏休みの宿題のためのページを書きたい」と言い続けています。


2000年代の前半に、3年くらい開けて2回、中高生から連絡が来たのね。

「夏休みの宿題にしたいので、最初のコンピューターについて教えてください」って。

(その後は来てないのだけど)


僕は趣味で調べているだけで、偉そうに言える専門家ではない。

大体、こんな分野に専門家がいるとも思えない。

でも、知っていることだけでもざっとまとめたページを作るのは悪くない、と考えました。


僕のページは1つづつの機械を深く掘り下げるように書いているけど、実際には歴史の流れも一緒に見て、歴史的に近い機械の何が活かされて、何が新規アイディアなのかを知るのが楽しいから。

流れをまとめたページを作れば、そういう俯瞰視点を持つ意味でも役に立つ。



先日、急に「そろそろ夏だな」と思ったときに思い出して、いまから書くとしたらどんな機械を紹介すればいいだろう、と思ったのです。




コンピューターの歴史の中には、重要な機械が沢山あり、僕が名前程度しか知らないものもいっぱいです。

多分、恥ずかしながら名前も知らない機械だっていっぱいあるはず。


もちろん「最初のコンピューター」に的を絞ればかなり範囲も減るのだけど、それでも詳細を知らない機械は一杯ある。


大体の流れを追うのに必要なマシンはこれくらいかな…とまとめていく中で、急に SSEC を思い出しました。


以前、NOP 命令を調べた時に気になっていたマシンです。

その時に詳細資料を探したのだけど、見つかりませんでした。古い機械だからね。



ところが、この時ふと思い浮かんだキーワードで探してみたら…見つかったのです。

SSEC の技術資料を一生懸命探していたのが良くなかった。特許を調べたら、この時代の特許は今と違って、馬鹿正直に技術を解説していたのでした。


#現代の特許は、少しでも範囲を広げるように、できるだけぼかした書き方をするテクニックが重視されます。

 でも、当時は「発明品を馬鹿正直に解説する」特許書面が多いのでした。




IBM が始めて作ったコンピューター、IBM 701 にはすでに NOP がありました。

以前の調査では、どうもこれが「一番古い」NOP 命令でした。


でも、IBM は、701 以前にも「プログラム可能な計算機」を2台作っていまいた。


1つめは、今回紹介した、ハーバード・マーク1こと IBM ASCC。

これに NOP 命令が存在していないことは、以前に調査してわかっていました。


そして、もう一台は ASCC の後に、701 の前に作られた、SSEC 。

SSEC に NOP が存在したのかどうかが、非常に気になっていました。


僕が信頼しているコンピューター歴史書には、SSEC は ASCC を高速・大規模にしただけで、特筆する点は無いマシン、としていました。

だから、僕の予想も SSEC には NOP は無い、となっていたのですが…



…特許書面を調べると、なんと NOP 命令(当時の表記では no op 命令)がありました。

まさか、コンピューター以前から NOP が存在したとは思わなかった。



しかし、あるとわかった以上 SSEC の詳細を調べなくては。

そのつもりで SSEC の詳細を調べたら、ASCC とはかなり違う。

「高速・大規模にしただけ」なんて話では、全然ない。


#と言っても、もちろん類似性はある。類似性にだけ注目すれば、高速・大規模にしただけに見える。

 新規性もあって、新規部分を見れば全然違うマシンに思えてくる。

 これをどう考えるかは人によるので、読んだ本の記述がおかしいとは思わない。


SSEC のこと書いて、最初の NOP 命令の記事も訂正しないと…と調べていくと、SSEC は今のコンピューターとはかなり考え方が違う。

そう、やっぱり ASCC の技術の延長にある、というのは紛れもない事実。


これは、片方だけ解説しても片手落ちだ。歴史を正しく認識するためには、この2つはセットで扱わないと。




自分でも、この時点で「悪い癖が出た」と判っていました。

TX-0 の資料を見つけて読みだしたときも、Whirlwind I の存在を知ってしまって、そちらの記事を書き始めたら泥沼にはまって、なかなか TX-0 に進めなかったんだよね。


でも、幸い ASCC はバベジの解析機関の影響を受けた機械でした。解析機関はずっと以前に書いているから、そちらの説明はいりません。


というわけで、調べたことをまとめたものが、昨日公開した記事。

わかりやすい概要と、興味がある人向けの詳細の2本立てになっています。




次は SSEC 書かないとね。


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ロバート・ノイス命日(1990)、ジョン・エッカート命日(1995)  2015-06-03 10:25:27  コンピュータ 今日は何の日

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今日は…

ロバート・ノイスの命日(1990)。

ジョン・エッカートの命日(1995)。


ノイスは、シリコンバレーの市長、と呼ばれた人です。

あ、シリコンバレーって、地域の通称で市ではないし、正式な地名ですらないからね。


世界初の IC を開発したフェアチャイルド社と、インテル社を創業した人でもあります。

詳しくは誕生日に書いた記事を読んでね。



ジョン・エッカートは、最初のコンピューターとされる ENIAC の回路設計をした人です。

その後、UNIVAC I も設計し、コンピューター時代を切り拓きました。


こちらも、詳しくは誕生日に書いた記事を読んでね。



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セガ創立日(1960)  2015-06-03 10:46:52  コンピュータ 今日は何の日

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…らしいです。公式見解としては。


以前にセガの設立までの歴史を調べていますが、1960年が設立というのは、どうも中途半端に感じてしまう。



ただ、現在のセガの登記上は、1960年に「日本娯楽物産」として行われているようです。


それ以前に「サービス・ゲームズ・ジャパン」としての会社があるはずなのですが、分社したのはどうもケンカ別れのようなので、どちらかが「跡を継ぐ」のではなく、古い会社は解散して別々の会社を設立した形を取ったのかもしれません。


もしくは、「サービス・ゲームズ・ジャパン」は違法な賭博機器を扱っていた会社でもあるので、公的な届を出していなかったか。

今となっては調べることもできないと思いますが、現存している会社の登記の最初が1960年の6月3日である、ということなのでしょう。


というわけで、日付としては中途半端だなー、と思いながら、公式見解のようなのでここに記しておきます。



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生卵と生豚と  2015-06-12 12:16:10  料理

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当ページの黎明期(?)に掲載したミルクセーキのレシピは、いまでもそこそこ人気。

先日のツイッターでこのページをツイートしてくれている人を発見した。


#時々エゴサーチしてますよ。


何の話してたんだろうなー、と見に行くと、もちろんミルクセーキ飲みたくなったという話から始まっているのだけど、その後の疑問が素晴らしかった。


レシピページには、アメリカ式とフランス式のミルクセーキの違いも跡から追記されているのだけど、日本で一般に知られているのはフランス式。生卵を使う。


で、ここに疑問。

「生卵は日本人くらいしか食べないというけど、フランス人はミルクセーキは飲むのか」


これにハッとした。

生卵の話は知っていたけど、ミルクセーキは飲むのか、とは思ったことなかった。




気になったら調査。早速調べる。

…なるほど、フランス人は「調理しない卵」は気持ち悪がるのだな。


さて、その前に、なぜ「生卵は日本人くらいしか食べない」と言われるのか、書いておく必要があるだろう。



卵に対する感情は国ごとにかなり違っていて、アメリカでは法的に飲食店で生卵の提供を禁止している州もある。

イギリスでも、基本的に生は食べない。


理由は簡単で、生卵はかなりの確率でサルモネラ菌に汚染されるためだ。

卵の殻は微細な穴だらけで、菌の大きさなら簡単に通り抜けられる。


卵は、鶏舎の中で産み落とされるものだ。当然、そこには鶏糞が高確率に落ちている。

鶏糞中には当然のように雑菌がいる。


自然界に於いて、卵が簡単に汚染されるようでは困るので、卵白には殺菌の作用もある。

なので大抵の雑菌は大丈夫なのだけど、サルモネラ菌は繁殖してしまうようだ。


また、鶏自体がサルモネラ菌に犯されている場合がある。

大抵は病気になるようだ。この時点で発見され、排除されれば問題はない。


しかし、感染しても発症しない場合がある。

この場合、卵巣に菌が入り込み、産み落とした瞬間から卵にサルモネラ菌が入っていることがある。




日本では、鶏糞の問題は鶏を飼育するケージを傾斜付の金網にし、鶏糞は外に落ち、卵はすぐに傾斜で転がって集められるシステムを作ることで対応している。

卵にわずかについた鶏糞なども、集められてすぐに殺菌・洗浄する。


鶏自体の感染は、時々鶏の健康チェックをすることや、万が一病気の鶏が出たら、周辺も「発症していないが保菌の可能性あり」としてまとめて屠殺することで対応している。


こうした努力の結果、日本の卵は世界一の鮮度を保ち、卵かけご飯を食べられるし、ミルクセーキも飲める。

でも、一般に海外では生卵を食べない。



…ここまでは理解していた。ここからは今回知ったこと。


外部からのサルモネラ菌感染の際は、菌は卵白内にとどまる。

やはり卵白に殺菌効果があるため、あまり活動できないようだ。


卵が古くなると、卵黄を守る薄膜の効果が薄れ、卵黄に入り繁殖する。

また、卵を「割る」と、これも卵黄を守る薄膜が傷つき、卵黄が感染し、繁殖する。


生で食べる場合は、新鮮なものを、割ってすぐに食べること。


万が一、親鳥が感染していた場合は、最初から卵黄内に入るために繁殖するが、この場合は鶏舎で病気が発生することが多いため、確率的には非常に低い。



さて、フランス人の話でいえば、大抵は卵白には火を通すが卵黄は生に近い、半熟の状態を好むそうだ。

これは非常に理に適っている。


どうしても、卵白を生のまま食べたいジェラートづくりなどでは、熱い糖蜜を入れて殺菌したりする。

イタリアンメレンゲの作り方



じゃぁミルクセーキはどうなのだ、というと、フランス風は黄味だけで作る、と自分の追記でも書いてあった。

これなら問題ない。


全卵で作ることもあるけど、それは田舎で鶏を飼っていて、新鮮だとわかっている時だけ飲めるご馳走だったりするようだ。

(フランスは農業大国で、都会暮らしの人も「レジャーとして」農村に出かけることが多い)


というわけで、疑問は氷解。

調べてみると面白いもんで、疑問をくれた方に感謝。





さて、話は急に変わる。

この話を考えていて、数日前からモヤモヤしていたことを書きたくなった。


厚生労働省の基準が6月の頭にあらたまり、今日から「豚のレバー」を飲食店で提供することが禁止になりました。

3年前の「生牛レバー提供禁止」で、代わりに豚のレバーが提供されていたからね。


その基準が示された6月頭にちょっと話題になって、多くは「当然だ」という声だった。

僕もそう思う。


ただ、「生の豚肉は病原菌がいるから食べてはならない」という反応も多々見た。

今回の禁止措置は、それとは違う。

あくまでも、「生の豚レバー」の禁止に過ぎない。


理由は、レバーは血管の入り組んだ臓器であり、精肉された時点から内部に雑菌が入り込み始めてしまうから、と考えるのが良いだろう。




豚はたんぱく質などの組成が人間に近いとされている。

人間に近いため、人間が必要な栄養分を過不足なく持っている。そのため豚肉は美味い、とされる。

(一般に、羊・豚・牛の順に美味く、鶏はずっと下とされる)


そして、人間に近いためか、豚の病気は人間にも感染する、とされている。


ちなみに、鳥の病気は人間に感染しないが、豚には感染する。

鳥のインフルエンザが豚に感染し、豚の中で変異して人間に感染する様になった、とされるのが「鳥インフルエンザ」だ。


先に書いた「病原菌がいるから」と言っている人は、もちろんこのことを言っているのだとわかっている。

僕もまた、この説を支持する。生の豚肉を食べようとは、あまり思わない。



「新鮮だから」と言って提供する店が多いのも問題で、新鮮であることと病原菌の有無は無関係だ。

でも、「無菌飼育されたものだから」で生の肉を出す店があったとしたら…それは別に構わないと思うし、今回の基準でもそれは禁じていない。


(先に書いた理由で、無菌飼育でもレバーは禁止すべきと思う)




ところで、TOKYO X という豚肉のブランドがある。食べたことはない高級品だけど。

この豚肉は、非常に高度な飼育法が取られていて、頭文字を取って SaBAQ と呼ぶ。TOKYO SaBAQ だ。

(「東京砂漠」って、1976年に流行した歌があったのね。)


細かなことは省くけど、完全に無菌状態で何世代も飼育していて、病原菌を持っていないことがわかっている。


この点において、生卵の話と変わらない。

品質管理の努力が認められて生卵は許されるのに、豚肉は許されないのか。



サバはアニサキス(寄生虫)が高確率でいるから、生で食べてはいけない、とされる。

一般に締め鯖にされるが、酢で締めたくらいではアニサキスは死なないそうだ。食べてはならない。


でも、関鯖は生で食べても大丈夫だとされている。

一般に鯖は回遊するのだけど、関鯖は回遊せず、一生を関付近の海峡で過ごす。


この海峡は潮の流れが速いため、筋肉が発達し、堅いために寄生虫が入り込めないそうだ。

回遊しないことも含め、アニサキスへの感染率が低いから、生で食べても大丈夫。


…科学的根拠はないらしいけど、多くの人がその通りだと信じているし、経験則的には正しそうだ。



同じく、鮭は生で食べてはならない、と昔は言われていた。

でも、今は回転寿司屋でも生鮭が当たり前に出てくる、そういう時代だ。


ノルウェーサーモンなら、養殖だから寄生虫が入り込まないそうだ。

なるほど、生卵と同じで、業者の努力によるものだ。


水産物豊富なノルウェーで、魚介好きの日本に輸出できるものを作ろう、という国家プロジェクトの元、日本人好みの味になる養殖法を作り出したそうだ。


粘り強く、20年かけて徐々に売り込みをかけ、日本人も抵抗なく生鮭を食べるようになった。




昔から生で食べてはならない、とされてきた鯖や鮭は、現在は生で食べることに抵抗が無い。

海外では生で食べる習慣のない卵は、業者の努力によって生で食べることに抵抗が無い。


豚肉も、業者の努力で無菌豚は生まれている。生卵と変わらない。

昔からの習慣なんて、鯖や鮭と同じで20年たてば変わるだろう。


#豚生レバーをありがたがる人がいるのだから、すでに習慣は薄れているのだと思う。


と、業者さんの努力を認めたうえで、僕は今のところ豚の生肉を食べたいとは思わない。


それどころか、牛の生肉も抵抗がある。表面を焼いてくれれば、中がレアでも構わないけど。

これは、雑菌汚染の問題。



じゃぁ生はダメかというと、馬刺は食べるし、魚の刺身も食べる。

刺身としてノルウェーサーモンだって食べるのだから、「昔からダメだと言われてきた」も問題ではない。


ちゃんと調理されていれば虫だって食べるから、見た目の問題でもない。



自分でも、何が閾値になっているのか、よく理解できていない。

最初に「モヤモヤしてる」と書いたのは、そのこと。


豚肉も、20年たったらレアステーキで食べてるかもしれない。



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アスペルガー症候群  2015-06-16 17:24:51  その他

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なんとなくカミングアウト、かな?


ツイッターで他の方が、アスペルガー症候群の診断ページをツイートしてた。

会社で話題になったからやって見たって。


で、僕も興味本位でやって見た。27点。


66点以上だと、アスペルガー症候群の可能性があるようです。

37点が平均だというので、むしろアスペルガーからは遠い。


問題無し。現在のところは。




子供の頃には、アスペルガー症候群なんて言葉も一般的ではなかった。

でも、今考えると、僕はアスペルガー症候群「気味」だったのではないかな、と思う。


ただ、この症状って、年齢と共に改善するのね。

…いや、改善と言うと違うな。まるでアスペが悪いことのようだ。


一応、「症候群」と呼んでいるだけあって、精神科的には病気の扱いなのだろう。

ただ、精神科の言うところの病気というのは、「人とちょっと違ってる」というだけ。


周囲の人がそれで困っていて、本人も困っているのであれば、誰かの手助けが必要ということになる。

「アスペルガーです」と診断できただけでも、周囲の心構えが変わってくるのでこの診断には意味がある。


ただ、これは「ちょっと極端な性格だけど、そういう性格の人です」と言われた、と捉える程度が良いと思う。

病気じゃないし、何かが悪いわけではないのだから。




先に書いた通り、僕の子供の頃はこの言葉はなかった。

でも、僕の子供の頃を自分で振り返ると、どうもアスペなのね。


えーと、古い記憶から行くと、1歳半くらいの頃の記憶があります。


…これはただそれだけ。何かの行動がおかしかった思い出ではない。

でも、「やたら古いことを記憶している」というのもアスペの特徴の一つ。


どうも、一般的には保育園や幼稚園の頃の記憶とか、感情とか覚えてない、という人の方が世間には多いようだ。


保育園のお母さん方と話していても、子供の行動がよくわからない、なんて人は多々いる。

自分の時はどうだったかも覚えてないらしい。


えー、そんな「既に物心ついた」頃の記憶なんて、いくらでもあるし、その時どう思ったかも覚えている。




子供の頃、自分の行動を気にする子供だった。


さっきやってたことと、いまやっていることが一貫していなくてはおかしい。

「他人からどう見えるか」を気にしすぎて、自分の行動を窮屈にしていた。


「一貫性」を求めるっていうのも、アスペの特徴ね。


もちろん、そんなことを気にしてない時もあったけど、気にしすぎるともうダメ。

やりたくもないことをやらなくてはならなかったりする。


でも、これは小学校にあがるころには「自分が思っているほどに、他人は自分を気にしていない」と気づいた。

だって、一生懸命やっても評価されないことの方が多いんだもの。


それで、心の中で「さっきまでやっていたのだから続けないと」と思っている時でも、「他人は自分を気にしていない」と言い聞かせて止められるようになった。


今でも、時々心の中で唱えないとやめられない時もある。





子供の頃、自分中心な話し方を良くした。

自分の話を聞いてくれないと怒ったり、途中で遮られそうになっても話を続けたり。


これも、一貫性の一種。


多分、中学くらいまでそうだったと思う。

でも、ある時「人が話し始めたら、話の途中でも自分は一旦黙った方がよい」と気づいた。


話を続けたかったら、その人の話が終わってからでも遅くはない。

でも、その人の話…わざわざ途中で割り込ませるのだから、自分の話に対する疑問などがあるなら、それを聞いてから方向修正してもいい。


そこから違う方に話が進んでしまって、続きを話せなくなることもある。

そんな時は、自分の話は誰も興味を持ってなかったんだな、と素直に諦める。



時々、それで諦めていたら、数時間後に「そういえば、さっきの話の続きは」とか言われることあるけど。

それはそれで、そこからまた話せばよい。




小学生の頃、良く忘れ物をした。宿題も忘れてやらなかったりした。

これは、アスペじゃなくて、もしかしたら ADHD (注意欠陥多動性障害)も入っていたのかもしれない。


でも、何かに集中すると他のことを忘れてしまう、というのも無関係ではないように思う。


今でも、ついうっかり保育園の提出物を出し忘れて先生方に迷惑かけたりします。

優先順位順に、目につくところに置いておいたりするのだけどね。




また一貫性の話なのだけど、とにかく、中途半端な状態になっているのが気持ち悪い。

それくらいなら、途中まで積み上げたものをきれいさっぱり消して、最初からなかったことにしたい。


このサイトも、初期の頃に2年くらい消していた時期があります。

最初は「週に1度は話題を更新する」という方針で始めたのだけど、やっていて自分で決めたルールが辛くなった。


他にもいろいろあって、もういっそのことサイトやめてしまえ! と消してしまった。


その後、周囲から「良い内容だったから勿体ない」「更新しないでもいいから公開を続けてほしい」という意見を貰って、再開しました。


これは社会人になってからの行動。大人になるにつれて症状は軽減する、とはいっても、本質は変わらない。

だって、これは「そういう性格」なのだから。



実のところ「東海道歩き」の話題も、HP200LX の話題も、中途半端なまま止まっている。

これ、気持ち悪い。どうにかしたい。


でも、今は「ネットなんて趣味で、生活の方が大事」って考えてほったらかしです。すみません。




さて、アスペが悪いことかと言えば、そんなことはない。一切ない。全くない。


多分、子供の頃の僕は変な奴で、いじめられっ子だった。

今考えるとアスペだったことは、いじめられる要因として十分だったのだろう。


でも、いまとなってはこの性格であることに感謝している。


アスペは、対人能力に問題がある一方で、論理能力は人よりも高い。

好きなことでは集中力がやたら高く、細かな部分まで注意が行くし、それらを記憶できる。


論理偏重なので、数学などにはやたら強い。

…はずなのだけど、実は自分の中で論理を構築できないと、先に進めなくて落ちこぼれる。


僕は数学は好きだけど、高校の時に漸化式が納得できずにつまづいた。

いくつかの類型があるのはわかるのだけど、元の式からどの類型か判断する基準が見つけられなかったのだ。

類型ごとの式も、意味がわからないので覚えられなかった。


先生にわからない、と尋ねたら、「なんとなくわかれ」と意味不明のアドバイスをもらって、先に進めなくなった。

実のところ、今でも判って無い。


#先に、細かなことも覚えられる、と書いたけど、それは論理的な流れの中での話。

 無意味な数字の羅列とかは覚えられない。実際、僕は16年も使っている自分の携帯電話の番号を未だに覚えていない。




話が横道にそれた。数学で落ちこぼれた話はどうでもいい。


論理性があって、細かな部分まで注意して記憶できる、というのは、プログラマーとしては理想的な能力だ。

多分、だからプログラムが好きになったのだし、この職業を選んだのだろう。

そういう能力を持っていたことに感謝している。


これは前向きな話で、海外では、アスペなどを「障害」と捉えるよりも、「gifted」=「神より与えられし者」と捉えよう、という動きがあるようだ。

もちろん、最初からそうなのではなく、問題のある精神障害者だと考えられていた時代も長いのだけど。



僕はプログラム教育はやるべきだと思っているけど、そう書くとすぐにC言語みたいなプログラム言語を思い浮かべて、「あんなの一般人には無理」という反発をする人がいる。


Cなんてのは、かなり細かな部分を理解しないと使えない言語で、アスペ気味のプログラマでないと使えないと思う。

そんなものを一般の子供に使わせる必要はない。


プログラム教育は、もっとざっくりとアルゴリズムを示せる言語で良い。

目的は、論理的に考える力を養うことなのだから、「将来実際に役立つ言語」なんて不要だ。



プログラムが面白いと感じて、天才の片鱗を見せる子がいたら…多分、潜在的にアスペなのだと思うけど、そういう子は勝手にもっとすごい言語に進めばいい。


将来プログラマとして有望だ。gifted なのだから。




アスペルガーは男性に多く、軽度の場合を含めれば 100人に 1人くらいはいるそうだ。

ただ、子供の頃は問題行動があっても、徐々に問題が無くなっていく。


…「治る」というより、自分の性格が巻き起こす周囲との軋轢に気付き、そうならない方法を体得していくのだ。

僕がそうであったように。


軽度の場合はそれで治ったように見える。

でも、先に書いたようにこれは性格だから、対処法を覚えただけで本質は変わっていない。



本質っていうのは、対人関係が苦手で、興味を持ったことは深く突き詰めて、自分の世界に入ると周囲が目に入らなくなる集中力。

「オタク」と呼ばれる人たちの一部はこれだ。みんながそうだ、とは言えないけど。


大抵、オタクの中でも何かを突き詰めすぎて、周囲から浮いちゃう人。

みんなが、あの人はすごいと認めながらも、すごすぎて周りと溝を作っちゃう人。

それは天賦の才だと思う。そういう人が世界を変える。



世界の偉人と呼ばれる人の多くが、アスペだったんじゃないかとも言われる。


エジソンが子供の頃小学校で「雰囲気を読まず」退学になったのは有名な話。

ニュートンが暖炉の前で椅子に座って考えていて、執事に「暑いのでどうにかしてくれ」と言ったのも有名な話。

(執事は、ニュートンを一旦立たせて、椅子を少し後ろに引いた)


アインシュタインの「ベロ出し写真」も、そもそも対人関係が苦手で、困ってあのような表情になったものです。




そんなわけで、僕は多分軽度のアスペルガーだったと思うし、今でも本質は変わってないと思う。

ただ対人関係の対処法…「何かあったら、とにかく黙っておく」を覚えただけで。


カミングアウトと共に、アスペは別に何の問題もないし、むしろ天賦の才を与えられているのだよ、と記しておきます。


…その天賦の才を伸ばせるかどうかは本人・周囲次第なのですけど。



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トーマス・J・ワトソンの命日(1956)  2015-06-19 10:05:47  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、トーマス・J・ワトソンの命日(1956)。


IBM の初代社長です。起業した人かというとちょっと違うのだけど。

ちなみに、2代目社長となるトーマス・J・ワトソンはこの人の子供。


わー、なんだそれ。子供に自分と同じ名前付けるな。

ややこしいので、一般に父親は「シニア」または「ワトソン」、子供は「ジュニア」または「トム」(トーマスの愛称)と呼ばれます。


#日本では名前はややこしくないようにするものだけど、欧米では親の名前を「受け継がせる」のもごく普通。




先日から、ハーバード・マーク1IBM SSEC の話を書いてきました。

どちらも、IBM 公式には「自動計算機」ですが、それらはシニアの時代に作られています。


一方、IBM 701以降の「コンピューター」は、ジュニアに社長交代してから。


公式にどう呼ぶか、というだけの問題で、SSEC が事実上コンピューターと呼んでも差支えが無い機械であることは、SSEC の話題として書いています。




シニアの生涯…を語ったところで、Wikipedia と似たような記述になってしまうので、詳細を知りたい人はそっちを見てください。

英語記事の忠実な翻訳のようなので、それなりの信頼性はありそうですが、検証したわけではないので保証はしません。


ざっくりとだけまとめておきます。


田舎者だったシニアは、成人しても良い職に就けずに転職を繰り返します。

でも、やっと得たミシンのセールスマン(当時はミシンは高価で実入りの良い商品だった)の職を、酒の失敗でクビに。


さらに、この失敗が知れ渡り、どこも雇ってくれなくなります。

仕方なく自営の肉屋を始めますが、これも失敗。


商店を始めるために分割で購入したレジスター…当時としては最新の「計算機」…を処分するために販売元の NCR を訪れ、とにかく職も金もなく支払いが続けられないことを相談したことから、NCR に入社します。


ここで…ライバル社の機械を使っている店に行って、こっそり「破壊する」という汚い方法を使い、売り上げを伸ばします。

これでシニアの地位は上がり、中古レジスターの販売会社を任されると、そこでも「ダンピング販売してライバル店を潰す」という汚い方法を使い、トップシェアを奪います。


ただ、行き過ぎた販売行為に 1912年に独占禁止法で起訴され、一度は有罪判決に。

(これは、アメリカで初めての、独占禁止法による企業起訴でした)


シニアは上告し、様々な主張を行います。


政府は、控訴審の手間を惜しみ諦めます。これで無罪に。




NCR をトップシェア企業にし、訴えられたとはいっても結果は「無罪」となったシニアは、CTR 社に好待遇で迎え入れられます。


CTR は「コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング」の意味で、パンチカード集計機の始祖である、タビュレーティング・マシーンズ社を元とした企業です。


さらに CTR 社で社長となったシニアは、社名を「インターナショナル・ビジネス・マシーン」社に改名。

これが IBM の名前の由来となります。


大会社のトップとなったシニアは、もう以前のような荒くれ者ではありませんでした。

汚い方法を使うようなことはありません。



IBM は、CTR の頃と同じようにパンチカード集計機を商売の中心としています。

ただし、ただ「販売」して終わるのではなく、その機械を商売の中でどのように使用し、どのように利益を出していくか、コンサルタントのような業務も行いました。


機械を販売するのではなく、機械を使って業務を改善する「サービス」を販売する。

そのサービスを買って良かった、と思えるほどの利益を出して見せる。損したとは言わせない。


そのためには、サービスを行う従業員を大切にしなくてはならないし、従業員はお客様の利益を第一に考えなくてはならない。


この頃に彼が掲げた IBM の標語「Think」は、お客様のために従業員の一人一人が何を出来るか考えよ、という意味です。




とにかく、シニアは従業員を家族のように大切にしたようです。


自身が若いころに酒で大失敗していたため、社員にも細かな飲酒規則を定めたようです。

これも、彼なりに社員を思っていたのでしょう。ジュニアはこれに懐疑的だったようですが。


多くの社員が協力した IBM ASCC が…勝手に「ハーバード・マーク1」と名前を変えられ、IBM の協力があったことを一切語られなかったことに激高した、というのも理解できます。


ASCC の雪辱を晴らすべく SSEC を作った時に、これを「コンピューター」と呼ばなかったのも、当時「コンピューター」は IBM の社員の肩書だったためでしょう。

社員が誇りをもって行っている仕事を、決して機械なんかに奪わせたりはしない。社員を大切にする、という意思の表れのように思います。


こちらも、想いは立派でも当時の世相としては、IBM を時代遅れにしかねない考えだったため、ジュニアに代替わりしたらすぐに IBM 701 「コンピューター」を発表しています。



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パンク  2015-06-19 20:29:48  歯車 住まい 家族

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パンク

昨日、次女を保育園に迎えに行く時に雨が降りそうだったので、車で行こうとした。


…家を出てすぐ、何か変な異音がする。

すぐに近所のスーパーの駐車場に入り、確認すると左後輪がパンクし、破けていた。


すぐに家に引き返す。

見ると、家を出るところから、変なタイヤ痕がある。


どうやら、駐車している間に空気が抜け、それに気づかずに走り出したためにタイヤが破けてしまったようだ。




昨日のところは、自転車で迎えに行き(幸い雨は降らなかった)事なきを得た。

その後、夕食作ったり風呂入れたりで、パンク対処は出来ず。


今朝は雨。保育園に送っていくのに車使いたい、雨。


さっさと朝ごはんを食べ、雨が小降りになったタイミングで応急処置開始。

マニュアル読んだら、スペアタイヤは後輪には使うな、前輪を後輪に回し、スペアは前輪に入れよ、とある。


…面倒くさい。ここで一度気勢をそがれる。


でも、修理に持っていくにしても、スペアには変えなくてはならない。やっぱやる。



実は、10年近く前に一度パンクしたことがあり、スペア交換したことはあった。


その時は、中古で車を求めて1年程度。まだ大丈夫だろうと思ってタイヤはそのままにしてたら、前の持ち主がかなり酷使していた(それは距離計からも判っていた)ようで、空気が抜けた。


その時の経験があるので、タイヤ交換は 30分ほどで終了。

保育園に送る時間には間に合ったのだけど、丁度雨はやんでいたし、妻が自転車で送ってくれた。




妻が自転車で送って行ってくれたのは、保育園に送る時間では、そのままタイヤを買いに行けないとわかっていたから。

行って、家に帰って、すぐ後にまた出かけて…と2度手間になってしまう。


10時過ぎ、近所の「タイヤ館」に出かける。ブリジストンのショップだな。

実は、10年前のパンクの際も、ここでタイヤを買っている。


というか、10年タイヤ変えてないことが問題だな、とは分かっている。

それほど乗らないから、表面の溝はまだ交換サインまで削れてなかったんだよ。

(一応、2年ごとの車検の際に確認はしている)


でも、距離による劣化だけでなく、ゴムは時間によっても劣化する。変えないといけなかった。反省。



タイヤ館に着いたときは、土砂降り。

状況を説明したら、スタッフの方がタイヤの型番など確認しに行き…「ずいぶん長く乗られましたね」と。


水にぬれると状態は把握しにくくなるのだけど、それでもはっきりわかるほど劣化していたらしい。




10年前は、数種類の適合タイヤがあって、その中から選べた。


でも、乗っているタイプの車が減っているのは知っている。今は適合タイヤが一種類しかなかった。

選択の余地はないので、それでお願いする。


アライメントと調整しますか? と聞かれる。

結構高いけど、10年乗っている車だから、メンテナンスしてもらおう。頼む。


今の車、すでにぼろぼろだけど、家の前の道狭いから他の車じゃ入れないんだ。

大事に使わないと。



あとは、作業の様子を見ながら1時間…フリードリンク飲みながら、ひたすら待つだけ。


せっかくなので、作業風景をツイートしながら待ってみた。




せっかくだからコンピューター? の話。

アライメント調整というのは、タイヤの取り付け角度の調整のこと。


前輪は、少し内側を向くくらいが良い。後輪は平行についていればよい。

これを調整するわけだけど、もちろんその前に、取り付け角度を「測定」する必要がある。


タイヤにぴったりくっつく、羽のようなものを付けて、パソコンでカメラで撮って認識させていたようだ。

羽根には、黒地に白い細かな丸がいっぱい描いてあった。


これで、認識させながら、車を手で押して動かす。

わずか…30cm 程度しか動かしていないと思う。


でも、羽は動く。これを画像認識させることで、角度を測定しているようなのだ。


測定後、車軸を何やら調整していた。

後で聞いたところでは、うちの車は前輪しか調整できるようになっていなかった、とのこと。


逆に言えば、調整できないので狂いも少なかった。後輪はほぼ大丈夫。

前輪は、内側に向きすぎていたし、左右で角度が違ったので、調整してくれた。




というわけで、これでまた10年は持つ…なんて言っちゃいけないね。

次は、もっとこまめに状態確認する様にします。



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山歩き  2015-06-21 15:02:28  旅行記 家族

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3年近く前に、鎌倉から港南台まで尾根伝いに歩く、天園ハイキングコースを家族で歩いたことがある

また歩きたいな、と思いつつ、あの時は子供たちが疲れて大変だったという思いもあった。


なんとなく、今年の春ごろから「今年なら大丈夫じゃないか」と思い始め、少し前から「行くなら暑い真夏ではなく、そろそろか」と思い始めた。


で、昨日梅雨のさなかなのに天気予報が外れて綺麗に晴れた。

これは、今日行ったらどうだろうと急に思った。




思った理由の一つは、朝ラジオのアウトドアレジャー番組で「今日は潮干狩りに適しています」と言っていたためだ。

先に書いたように天気予報が外れて晴れ。じゃぁ潮干狩り行くか、と思って詳細情報調べたら、干潮が出かけやすい時間にかかっているという意味合いで「適している」というだけで、実はそれほど適してなかった。


じゃぁ山歩き行くか、と思ったけど念のために「晴れたから遊び行こうと思うけど、海と山どっちがいい?」と子供に聞いてみる。

2対1で山、だった。じゃぁ山に行こう。


そこからお弁当用にお米を5合焚きはじめ、おにぎりを作って家を出たのは 10時過ぎ。

山に入るのは、11時前だった。




梅雨の合間だから、多少は予想していたが道がぬかるんでいる個所が多い。

とはいえ、致命的なほどにはぬかるんでいない。むしろ、場所によっては全く雨の影響を感じない。


おにぎり以外に、おやつとしてバナナチップスをと、出る直前に目についたので「サクマドロップス」を持ってきていた。

(サクマドロップス、防災用に購入してあったのだけど、賞味期限が切れたばかり)


歩きはじめて 30分ほどで、早くも次女が「疲れた」と言い出す。

もうちょっと歩いたらお昼ごはんだよ、と言ってもダメな感じだったので、飴をなめさせると元気が出て歩き出した。


全員飴をなめながら進む。



すぐに、鎌倉市最高地点となる大平山山頂に付く。

ここでお弁当…と思っていたのだけど、まだ時間的に少し早いし、今飴をなめたばかり。


でも、「景色がいいからおにぎり食べよう」と子供が言うので、1個だけ食べる。




ちょっと歩いて天園の茶屋へ。

大平山山頂から少し進んだところに市境があり、この茶屋は横浜市になる。


そして、横浜市の最高地点。159.4m だそうです。

後で書くけど、横浜市の「最高峰」ではないけど「最高地点」だというのがミソ。

山としては、山頂が鎌倉市になっているからね。



長男は前回歩いたときのことを覚えていて、前回は咲いてなかったけどアジサイが綺麗、と言ってました。

前回秋だったから、流石にアジサイは咲いてなかった。




また飴をなめながら進む。

次女は遅れ気味で僕と一緒に歩くのだけど、トトロの「さんぽ」を歌えば、ご機嫌で歩く。

疲れたと言いながらも、自力で歩くのだから体力が付いたものだ。


時々、ぬかるみが道全体に広がり、大人なら足を大きく広げて上手く歩けば大丈夫だけど、次女にはどうしようもない個所がある。

そういう時だけ、ちょっとだけ抱っこ。これは体力の問題ではない。


左手にずっと、霊園が見える。

歩いても歩いても、霊園。一体どうなっているのか。




1時近くになり、前回もお弁当を食べた市境付近の広場へ。

先に「天園の茶屋は横浜市」と書いたのだけど、山道は基本的に尾根伝いに進んでいて、市境も尾根伝いにある。


道は横浜と鎌倉を行ったり来たりしながら進むことになるのだけど、それでは整備もままならないので、霊園を超えて「本格的に横浜市」に入るまでは、鎌倉市が管轄しているようだ。


横浜市に入ると、上郷にある、横浜自然観察の森(以前、NHKの番組「モリゾー・キッコロ 森へ行こうよ」でよく使われていた)の端を通るようになる。

ここからが、本格的に横浜市の道となる。


ここで本格的にお弁当。


東京電力が送電設備の更新工事をしている、というのは、ハイキングコースのところどころにお詫びが出ていて知っていた。


でも、この広場には資材運搬用のモノレールが設置されていた。

モノレールの進む方角が今回のコースから外れるので、どこに繋がっているのかは未確認。




横浜市側は整備されていて歩きやすい…と前回思ったのだけど、今回はそれがあだとなった。


平坦に整備されているところが多く、平坦なので水はけが悪い。

鎌倉市側ではぬかるみはそれほど多くなかったのだけど、横浜市側はぬかるみも多い。


でも、山道なのにコース設定がちゃんとされていて、自然と親しむための情報板や、コースを示す番号標識も多い。

子供たちは、この番号を探す「遊び」をしながら元気に進む。


あいかわらず、時々飴を要求されたり、道端で何か見つけて立ち止まったり、ペースは遅いのだけど楽しみながら進んでいった。


横浜自然観察の森と金沢市民の森の境を通り、金沢市民の森の端を歩いていく。


途中の分岐で「こっちに行くと、以前に遊びに行った金沢動物園。横浜で一番長い滑り台がある」と教えると、次女が行きたがった。

それはまた今度ね、と約束が増えた。




すれ違ったおじさんが、そっちの道に行くと見晴らしが良いよ、と教えてくれた。

子供たちは、すでにそっちの道に入って行く気満々。


見れば、階段が続いている。ちょっと坂がきついけどね、とおじさんは言って去って行った。


階段、どのくらい登るのだろう…と思ったけど、たいした距離じゃなかった。

次女に合わせてゆっくり上ったけど、大人なら多分3分かからない。


横浜市の最高峰、大丸山だそうだ。156.8m。

先ほど書いた天園の茶屋は 159.4m 。最高峰だけど最高地点ではない、微妙なところ。


でも、風景は確かにすばらしい。

ベンチやテーブルなどもあり、ガスストーブもってきて料理して食べている人もいた。




金沢市民の森を離れるあたりで、ベンチがあるのでいったん休憩。

前回もここで休憩したよね、と長男はよく覚えていた。


バナナチップスを食べる。

僕が好きだから、というのもあるのだけど、持ち運びやすい固さ・食べやすい適度な柔らかさ・腹持ち・適度な甘み…などなど、こういう時のおやつには最適だと思っている。



さらに瀬上市民の森の端を通るコースに移り…ずっと端を通れば、前回通ったのと同じコース。

もうゴールが近づいてきて、子供もまだ体力があるようなので、少し遠回りしてみる。


瀬上市民の森は、中央付近に池があるので、そちらにすすむ。

…階段を、すごい勢いで下っていく。これ、後でその分登らないといけないのではないか、と思うと、ちょっとコース取りを誤ったかな、とも思う。


階段の途中に、「希少植物なので草刈りはしないでください」と書いて、ロープで囲んだエリアがあった。

どうも、この市民の森を守っている団体が2つあって、草刈りなどの労働作業を請け負っているグループと、この市民の森の自然を守っているグループに分かれているようだ。


互いのグループが連絡を取り合って環境を守っている。素晴らしいと思う。


階段の下まで行くと、湿地帯の中に木で橋を架けたような遊歩道が…


ここは尾瀬か。周囲の自然はあえて手付かずな感じで、ところどころ川のせせらぎがあって素晴らしい。

先に進むと小さな池があって、これが地図にあった池かな、と思ったけどそうではなかった。




ベンチと机が置かれた場所があった。池の上休憩所。ちょっと休憩。


机の下はちょうどよい日陰のようで、シノブシダが茂っている。

別に珍しいシダではないけど、環境が良くないと生えない、と妻が教えてくれた。


ここはメインコースから外れているので、誰も人が来ない。

耳を澄ませると、風で木々が揺れる音が聞こえる。とても落ち着いた、良いスペースだ。


しばらく休憩して出発しようとすると、誰かが落としたと思われる「ゴミ」を見つけた。


ワインのコルク栓。

ゴミを残すのは褒められたことではないが、このスペースでワインを飲もうとしたことにはセンスの良さを感じた。




この先に、目的の池があった。

すぐそばに笹が生えていて、長女が「笹舟作りたい」というので、しばらく皆で遊ぶ。


さらに先に進み、池の下広場に。ここにも机などが置かれている。


ここから先は、川が流れているので川沿いに歩く。

実は、この川のずっと下流に暮らしていたことがある。


その時…子供も生まれる前に、妻と一緒に「川の上流まで行ってみよう」と、途中までは自転車で来た。

でも、その時は「市民の森」に入ってしまうところで引き返した覚えがある。今回、その先を見た形。



川沿いには、里山保存を目的とした田んぼが作られていたり、蛍やトンボのためのビオトープがあったりした。

ここの蛍、ヘイケボタルだそうだ。そんなところにもセンスの良さを感じる。


ゲンジボタルは光が強いので好まれて、良く養殖される。見ごろは1週間程度。

でも、光が弱いヘイケボタルも、その可憐さが美しい。見ごろはゲンジの後、1か月程度。


ちなみに、我が家の現在暮らしている場所から歩いて5分程度の場所でも、養殖されたゲンジボタルが毎年みられるし、家の庭には時々ヘイケボタルが出る。どっちもかわいらしい。




川沿いに進んで、市民の森を抜けると、急に町の中だ。

栄高校の裏手にでる。


ここから港南台まで歩くが、ここで次女は疲れたというので負ぶってあるく。すぐ寝てしまった。

長男、ここまでは元気だったのに、町の中は疲れると言いながら歩く。


実際、アスファルトは歩いていて疲れる。自動車のための道路であって、人が歩く道路ではない、と以前に東海道歩きした時にも思った。



港南台まで歩いて、前回と同じくドーナツを食べようと思っていたけど、「アイス食べたい」と妻が言って、子供も賛同したのでアイスを食べて終了。



子供たちも体力がついてきたようなので、次は手ごろな山を登ってみるか。



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IBM 産業スパイ事件(1982)  2015-06-22 10:59:32  コンピュータ 今日は何の日

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今日は IBM 産業スパイ事件の発覚した日(1982)。


日本のコンピューター業界を震撼させた事件でした。

今となっては日立と三菱がスパイをやった、という程度の、企業が行き過ぎただけの話だと思われているけど、これ「国策」の一環が暴走したのです。




日本のコンピューター開発は…どこまででも遡れますが、FACOM 100 の話から始めましょう。

富士通の池田敏雄が設計し、1954年に完成したコンピューターで、リレー式でした。



名前は似ていますが別会社の富士写真フィルムは、1956年に FUJIC を完成します。

これが、日本で最初の真空管式コンピューターでした。


技術者であった岡崎文次が、レンズの設計のために独自で開発したもので、会社としての関与はありません。

IBM の SSEC の影響を受けています。


1959年には、東京大学が中心となり、東芝・日立が協力し、TAC が完成します。

実は、FUJIC よりも先に開発が開始された、国の予算をつぎ込んだ国家プロジェクトでしたが、目標が野心的過ぎ難航、何度も設計変更を繰り返しています。


その影響もあり、完成した時にはすでに時代遅れでした。

こちらは EDSAC の影響を受けています。


1964年には、通産省の予算で富士通・沖電気・日本電気が共同で FONTAC を作成。

この頃から、各社が「コンピューターの作り方」を理解し、独自開発を開始します。


日立の HITAC、富士通の FACOM、日本電気の NEAC、東芝の TOSBAC 、三菱の MELCOM、沖電気の OKIMINTAC…




通産省は、この状況に危機感を持ちます。


コンピューターは、これから確実に産業の中心となる、というのは誰の目にも明らかでした。


1970年代初頭、IBMが巨大メーカーに成長しつつありました。

日本国内だけで6社も互換性のないコンピューターが乱立していては、これらの大企業に潰されてしまいます。


そこで、通産省では、「国内で、IBMに対抗できるコンピューターを育てる」ための対策を行います。


方法は3つ。

1) IBMと技術提携を行わない、IBM互換機路線

2) IBMに対抗できる大企業の互換機路線

3) 日本独自路線


2 の大企業とは、事実上ハネウェル社です。


1960年代、アメリカには8つのコンピューターメーカーがあり、「IBM と7人の小人」と呼ばれていました。

ハネウェルはその一つでありながら、1970年に MULTICS の技術を持つGE社と合併し、力を伸ばしていました。



通産省の指導の元、国内の各社は上のいずれかの道を選び、提携することが求められました。


まず、富士通と日立はすでにIBM互換機を作成していたため、互換路線を選びました。


日本電気はすでにハネウェルと提携していました。

東芝も、すでにGEと提携していましたが、GEがハネウェルに吸収合併されました。


そこで、日本電気と東芝も提携し、ハネウェル互換路線を選びます。


三菱・沖電気は「取り残された」形で提携し、独自路線を歩むことになりました。




さて、時間を一気に進め、産業スパイ事件の話へ。


富士通と日立は提携し、技術的な交流は図りつつもお互い独自に、IBM System/370 の互換機を作成していました。


これ、互換性を持つ機械を独自技術で作成している、という形で、IBM との技術提携はありません。

ただし、IBM で System/360 (370の旧世代機)を設計した技術者で、後に独立したジーン・アムダールの会社と富士通は提携し、技術的ノウハウを得ていました。


1981年、IBM はこうした「互換機」が世界中で増えていたため、設計を一部変更して、性能を上げるとともに互換機を作りにくくした、System/370-XA を発表します。


日立はこの「設計変更」の詳細を入手しようとして、IBM のおとり捜査に引っかかり、1982年の今日、社員5名が逮捕されます。


#この時、日立社員5人と共に、三菱社員1名も逮捕されています。

 三菱は当初は「独自路線」グループでしたが、この頃には余りに強くなった IBM の互換機を作ろうとしていました。


この刑事事件は、司法取引により決着。しかし、IBM から、民事損害賠償訴訟を起こされます。




System/370-XA は、各種回路が特許で守られていたうえ、それまでは後から読み込まれるソフトウェアであった「OS」の一部を、ハードウェア内に持つようになっていました。

(現在でいう、BIOS に相当するもの)


System/360 や 370 の頃は、同等の機能の回路で置き換えも可能でしたが、370-XA の特許は強力で、簡単には回避できません。

また、BIOS に関しては単純な回路ではなく、プログラム…著作物です。

著作権の場合「類似したもの」を作ったとしても、盗作としてアウトです。


#少なくとも、この時点では IBM はそのような認識で動いていた。

 ずっと後に、IBM・コンパックが BIOS の著作権を争い、現在は違う認識となっている。


結局、日立は IBM の許可を得ずに機械を販売しないこと、訴訟費用は全部日立が負担すること、ソフトウェアやインターフェイスなどに関して、使用する対価を払うこと…などを条件に和解します。

日立からすれば、IBM 互換路線に「お墨付き」を貰った格好で、この後も互換路線を進みます。


富士通も日立の訴訟に危機感を持ち、同様の取引を結びますが、徐々に IBM 互換路線から非互換路線にシフト。




いずれにしても、通産省の狙った「独自技術による互換」という路線は無くなってしまったことになります。


この頃は、IBM が強くなりすぎてハネウェル社もコンピューターから事実上の撤退。

特に、吸収合併したGEの互換機は消滅し、GE互換だった東芝も撤退、同じグループだった日本電気にコンピューター部門を売却しています。


独自路線だった三菱・沖も、先に書いたように三菱がIBM互換路線に進もうとして、スパイ事件に発展。

沖電気は、コンピューター本体は断念して、周辺機器製造に特化しています。



国策だった3グループ化は大失敗。日本のコンピューター産業は死んでしまう…。

「IBM産業スパイ事件」とは、そうした危機的な状況を意味する事件だったのです。




翌1983年、日本電気がスーパーコンピューターの新シリーズ、SX-2 を発表します。

(シリーズ最初の機種が 2 で、後に廉価版の 1 を発売)


この SX-2 は、世界で初めて GFLOPS を超えたコンピューターで、同時に初めてアメリカ以外のコンピューターが速度で世界一になった機械でした。


日本のコンピューター産業復活の狼煙、でした。


…この後、急に力を付ける日本のコンピューター業界にアメリカが危機感を感じ、1980年代後半から90年代前半の貿易摩擦につながっていきます。



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node.js の雑感  2015-06-22 17:41:16  コンピュータ

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ここ1年くらい、仕事で node.js をいじっているのだけど、ちょっと愚痴を書いてみる。


node.js が流行したのはもう何年も前のこと。

Apache よりずっと速く処理できる、ということだったけど、仕事でそこまで処理速度が必要なことはやっていなかったし、その時は、ふぅん、そんな技術もあるんだ、という程度。


1年ほど前に、WEB socket 使いたい仕事があって調べたら、node.js を使うのが一番やりやすいとわかった。

最初はよくわからない技術だったけど、その後それなりに実績もあるようだし、使ってみようと思った。




と書いたところで、相変わらず node.js がマイナー技術だという認識なので、コイツが何者であるかを最初に説明しよう。


今これを読んでくれている人は、おそらくPCかスマホの WEB ブラウザで読んでいるだろう。

多分、そのブラウザには Javascript というプログラム言語の実行環境が備わっている。


プログラムなんてどんな言語でもそれほど大きくは変わらないものだけど、それぞれ特徴はある。

Javascript の最大の特徴は、WEB ブラウザという「利用者が直接使う部分」に密着する様に作られている、ということだ。


人が使う部分…フロントエンドとか、ユーザーインターフェイスとか言われるけど、その部分はとにかく人を待たせてはいけない。

Javascript も、「人を待たせない」ことを理念として作られている。


具体的に言うと、「1秒待つ」とか、「ユーザーの入力を待つ」とか、「ファイルを開いて内容を得る」なんて考え方が無い。

これらは、パソコンの計算速度に比べると、途方もなく遅いからだ。


代わりに存在しているのが、「1秒後に関数呼び出し」「ユーザー入力が終わったら関数呼び出し」「ファイルの内容を引数に関数呼び出し」というように、とにかく待つ代わりに「あとで呼び出して」と依頼しておく方法。


このプログラム方法、初心者にはとてもわかりづらい。




まぁ、初心者にわかりづらい、なんていうのは些細な話。

ブラウザだから、ユーザーを待たせないことが第一で、そのためにはプログラマーが苦労するのは当然なのだから。


でも、ブラウザに限らず、プログラムが「待たせたくない」場所は多い。

サーバーは人が使わないから多少遅くてもいい…と言われたのは昔の話で、今は多数のサーバーアクセスを高速にこなすことが求められている。


だって、クラウド時代だもの。昔とはサーバーの接続量がケタ違い。



で、Apache …というか、その上でよく使われる PHP は「ファイルを開いて内容を得る」とか「SQL にクエリを投げて、返事を待つ」とか、とにかく遅い動作が多い。

これ、Javascript みたいに「終わったら関数呼び出し」にしたらいいんじゃない? というのが、node.js の基本的な発想。


google が作成し、chrome に搭載されている Javascirpt のエンジンを使って、サーバーで動作できるようにしてしまった。



書ける人が多い Javascript がサーバーでも使える~というような説明も見るのだけど、これはミスリードだと思う。

主眼は Javascript を使うことではなくて、「待たせない」プログラム手法がすでに確立されている言語を使うこと。




先に WEB socket を使うなら node.js と書いたけど、これは実のところ node.js である必要はない。

WEB socket というのは、TCP/IP ソケット上で実現されている HTTP 接続の上で、TCP/IP のような「ソケット」を実現しよう…という、回りくどい技術。


でも、HTTP というのは、TCP/IP の機能の、ほんの一部を利用して作っているんだ。

それを拡張し、再度 TCP/IP のような汎用性を持たせれば、メリットは計り知れない。


じゃぁ TCP/IP 使えばいいじゃん、となりそうだけど、WEB socket だと、HTTP の延長上にあるので WEB ブラウザから使いやすい。


Apache + PHP だと、Apache が完全に HTTP を前提に作られているので、WEB socket は扱いにくい。

そこで、node.js の出番となる。


実のところ、WEB socket はまだブラウザごとに実装が一部食い違ったり、実装していないブラウザもある。

そういう場合でも、node.js 上のライブラリ、socket.io が、ブラウザごとの差異を隠してくれる。




さて、前提条件の話だけでずいぶん長くなったな…


node.js + socket.io の勉強を始めた時は、右も左もわからなかったので、分かりやすいチュートリアルに従って使い始めた。

そのチュートリアル自体が多少古いものだったので、Express ver.2.x を前提としていた。


この Express は、node.js 上で動く WEB サーバー。

当時の socket.io では、WEB サーバーが前提として必要だった。



でも、実はこの時点で Express の最新版は 3.x だった。

判っていたけど、3.x 対応の使い方説明で良いものがなかったので、「後でバージョンあげられるでしょ?」と思って、古いバージョンを使った。



…で、話は一気に最近へ。


Express は v2 と v3 と v4 で、全然互換性が無い。

いや、全然というのは間違いか。でも、ずいぶん書き変えないと動かない。


socket.io も、v0.9 が長い間使われていたけど、v1.x 系列となった。

こちらも、かなり書き換えないと動かない。


メールを扱おうと思って nodemailer というライブラリを使った。

これも、v0.7 から最近 ver1.0 になり、かなり書き換えないと動かない。



互換性を保てない設計変更が悪い、とは言わない。

最初から完璧な設計なんてできないし、作り進めるうえで変更しないといけないことも多いだろう。


でも、node.js の界隈は、互換性を気にしている人なんて誰もいない、というように思える。



理由は二つあって、node.js を使う最大の理由が「速度」だというのが一つ。

過去との互換性を気にして速度を落とすなんて馬鹿馬鹿しい。効率のためには互換性を切ったっていいだろう。


もう一つ、おそらくは「後から関数を呼んでもらう」というスタイルのプログラムは、速度効率は良いかもしれないけど、互換性を保ったまま拡張することが困難になりやすい。

多分、多くの原因はこちらだろう。




これは自分がプログラムしていて困った部分だけど、ループ処理している部分があった。

その中で、扱う値を「SQL DB に入っている値を参照して」扱いを変えなくてはならない、ということになった。


これ、絶望的なプログラム書き換えを伴う。

PHP なら、SQL に問い合わせて、答えを見るだけだ。


でも、node.js では、SQL 問い合わせは関数を呼び出してもらう必要がある。関数が増える。

この関数は、「後で」呼び出されるものだ。すぐに答えを得られるわけではない。


でも、ループしているのは「全部を処理する」ためのループではなく「順次処理する」ためのループだった。

1つの処理が終わってから次の処理に入らないといけない。


処理の中の DB 問い合わせが、すぐに結果を得られないため、ループそのものを解体する必要が出てきた。


ループの中身を関数として書き出し、関数の中で DB 問い合わせをし、結果を貰うための関数を呼び出す。

結果で呼び出される関数の中でループ変数にあたるものを操作し、必要であればループの中身にあたる関数を呼び出すことで「ループ」を構成する。


再帰プログラムのようで、再帰ではない。

だって、呼び出しは遅延して行われるのだもの。DB 問い合わせした後に関数は終了し、スタックは解放されるので、再帰階層が深くなってもメモリを馬鹿食いしたりはしない。


逆に言えば、スタック解放されるからローカル変数は使えない。

グローバルをやたら増やしたくはないから、クロージャのように関数内で変数と関数を定義して、「解放されないローカル変数」を作り出す必要がある。



複雑怪奇なプログラムになった。

こういう大幅な書き換えがあると、呼び出し方法も変わることが多い。


そう、つまり、ライブラリ作者たちも同じような理由で呼び出し方法を「変えざるを得ない」ことがあるのではないかな、と思う。




Apache + PHP だと、ロードバランサ―を使って多重化できる。

万が一サーバーが死んでも大丈夫。


PHP は、アクセスの度に呼び出される。エラーが起きても、次のユーザーの接続で再起動される。


でも、node.js はそうではない。Apache にあたる、サーバー自体を書いている。

正しくエラーハンドリングすれば止まることはないのだけど、止まったら致命的。


でも、多くの人が同じ悩みがあるから、cluster を作ることができる。

複数のプロセスを同時に起動しておいて、どれかが止まっても大丈夫なようにするのね。


この cluster 化の方法が、多くの人が考えたため、たくさんある。

プログラムを大幅に書き変える必要がある物から、簡単に cluster 化できるものまで。



最近の流行は pm2 のようだ。

クラスタ化するだけでなく、接続を出来るだけ保ったまま、順次プログラムの再起動も出来る。


#socket.io は「ずっと通信路を保つ」ため、この通信路はどうしても切れてしまう。

 socket.io 自体に、通信が切れたらすぐ再接続する仕組みはあるが、再接続後に先ほどと同じ状況を整えるのはプログラムが責任を持つ必要がある。

 もっとも、これは pm2 と関係なく、いつ通信が不安定になるかわからないので、作らないといけない処理だ。


で、この pm2 を使おうとしたら、socket.io はおかしくなる。

socket.io はそのままではクラスタ対応できていないのだ。


まぁ、PHP だって、ロードバランサを使う時には守らないといけない決まりがある。

これは当然だろう。そして、socket.io も、いくつかの決まりを守ればクラスタ化できる。



…うまいくいかない。

この作業、半年くらい前に一度やって、どうしてもうまくいかないので一度断念した。




最近再チャレンジして、理由がわかった。


socket.io の v0.9 までは、クラスタ化に対応いしていたのだけど、v1.0 になった時に対応を「外部に任せた」のだった。


いや、そのことは知っていたよ。

多くのページがその方法を書いているから、その通りにしたのだけどダメだった。


で、知識が増えて再チャレンジして、多くのページが勘違い記述していることを知った。

世の中の半数以上のページが v0.9 前提で書かれていて、残る半数のうち、8割以上が 0.9 から 1.0 になって、新たな記述方法となったことを伝えている。


でも、そうじゃない。v1.0 になって、概念が変わった。細分化された。

クラスタ対応は「通信」と「ハンドシェイク」の2段階に分割され、多くのページに書かれているのは「通信」の対応だけだったのだ。


通信はできるが、ハンドシェイクにすごく時間がかかるようになる。


#socket.io は、ハンドシェイクのために2回アクセスを行う。

 この2回が同じサーバーなら成功して通信に入るが、違うサーバーだとリトライする。

 確率問題で成功するまで、延々リトライを繰り返すため、接続に時間がかかるようになる。



socket.io の公式ページの奥底に、ハンドシェイクは外部の別プログラムに任せる、ということと、推奨するライブラリが書いてあった。

でも、このライブラリは、pm2 とは違う cluster 化ライブラリを前提としていた。

そのライブラリは、確かにクラスタ化してくれるが、低機能で役に立たない。




探し回って、やっとわずかな情報で socket.io のハンドシェイクをクラスタ対応にする方法がわかった…ように思えた。


方法は二つあった。


1つは、大幅に socket.io の接続部分を書き変える方法。

もう一つは、それをライブラリ化したもの。


ライブラリの方を使ってみたら、うまく動かない。

どうやら、socket.io やその他もろもろのライブラリに依存してしまうようだ。

バージョンが変わるごとに非互換になるので、こういうことになる。


大幅に書き換えが必要な方は、まだ試していない。

その書き換え方法が、どのバージョンでつかえるのか明記されていないため。


でも、node.js の歴史自体が浅く、まだバージョンによって互換性が致命的に失われることを理解している人が少ないため、バージョンを明記した記事はあまり見かけない。


自分が求めている方法を見つけては、試しに自分のプログラムに組み込んでみて(場合によっては非常に大きな書き換えを伴う!)、ダメだったら自分の勘違いなのかバージョンが違っているのかを理解して、多くの場合は「諦め」て別の情報を探す、という決断が必要となる。





と、以上は node.js に対する愚痴でした。

node.js を使いこなしている人から見たら、入り口付近で悩んでいるだけかもしれない。


ライブラリも全部 javascript で書かれているから、自分で解析して書き変えてしまう、という方法もなくはない。

でも、今後のバージョンアップ(と、そのたびの非互換性)を考えると、手を加えるのは得策でないように思う。



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若者の恋愛観  2015-06-24 16:46:23  その他

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ここ数日…多分閣議決定された少子化社会対策白書(まだ閣議決定のみで未発表)のせいだと思うけど、恋愛・結婚観に関する記事をネットでよく見かける。


恋愛なんて個人のプライベートのもっとも足るものだと思うし、好きにすれ、というだけなのだけど、思うところを少し書いてみようと思う。




報道によれば、白書では新たに若者の恋愛観が盛り込まれたようだ。

昨年までは、出産年齢や就労状況、出産人数、子育て環境などが話題の中心だったのだけど、「そもそも結婚しない人が増えている」ところにまで対策を踏み込む、ということになる。


未婚で恋人もいない男女の37.6%が、別に恋人が欲しいと思わない、と答えたそうで、多くの報道で、「若者が恋愛に後ろ向き」であると取り上げている。




今の若者は恋愛に後ろ向きなのか?

僕は、そんなことはないと思う。


今の若者が恋愛に後ろ向きなのではない。

昔から常に、若者というのは、思われているほどには恋愛に興味がなかったのだ。


夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した、というのは有名な話題だが、これは当時の日本人に「Love」の感覚がなかったため。

(この話が事実か、などを取り上げると面白いけど、話がそれるので割愛)


自由恋愛なんて、第2次世界大戦前には一般的ではなかった。

逆に言えば、自主的に「恋愛」をしないでも、周囲が相手をあてがって結婚させる、というのは普通のことだったし、そういう仕組みがあるから婚姻率は高かった。


この方法の場合、全然知らない人と結婚することもあるわけだけど、その人の「人柄」は、周囲が保障してくれる。

保証の裏には、良い人でなかった場合には、何らかの形で責任を取る、というのも含まれている。


知らない相手であっても、安心して結婚ができた。




戦争に負けて「アメリカ」へのあこがれが強くなると、自由恋愛が一般化し始める。


1960年代にはお見合い結婚は恋愛結婚より多かったのだけど、1970年代には逆転している


でも、1980年代でも1/4がお見合い結婚だ。珍しい話ではなかった。


この頃、バブル経済もあって、経済的にはみんなが裕福になる。

一生懸命働く必要もなかったので、残業なんてなかった。


そして、恋愛は「趣味」となる。

多くの人と恋愛をしてみる。一人だけに一途に尽くして…なんていうのは時代遅れ、という風潮で、相手の数を競う雰囲気もあった。


#僕はこの時代には恋愛年齢でないので実態は知らない。

 そういう恋愛スタイルが「先鋭的」だったから報じられたのか、一般化していたのかわからない。


趣味なので、無責任に楽しめる。うまくいかなければ、お見合いという最終手段があった。

趣味なので、別の趣味を持っている人はやる必要もない。こちらも、お見合いはまだ正常に機能していた。




その後、趣味として恋愛した人が「失敗した場合に」お見合いをしたことから、見合い結婚は恥ずかしいものだ、という風潮になっていく。

2000年代には見合い結婚はわずか 6.2%。


お見合いが機能しなくなったので、そもそも趣味に没頭する生活で恋愛に興味が無い人は、結婚しなくなっていく。

昔なら、周囲が強制的に結婚させていたのにね。


それが悪いことだとは言わない。そういう社会になった、というだけの話。

でも、これをもってして「若者の草食化」とか、「恋愛に後ろ向きになった」というのは、違う。



今回の報道で記事を書いたのが、それなりに中堅以上の記者だとすれば…1980年代には結婚しているだろう。

まだ、お見合いがセーフティネットとして働き、恋愛が「趣味」であった時代だ。


その時代の記者が、自分の若者時代を懐古しながら「今時の若者は」と記事を書いているのであれば、勘違いも甚だしい。

若者が変わったのではなく、社会情勢が変わっていることに気付かねばならない。


#白書の中身はまだ一般に公表されていないが、昨年分を見ると、冷静なデータとその分析が中心なので、勘違いは無いと思われる。

 報道は、あくまでも記者レベルの感想が混入しているだけだろう。




白書では、「恋人が欲しくない」理由も集計している。

恋愛が面倒、46.2% 。趣味に力を入れたい、45.1%。



僕は 1990年代の若者(その頃大学生)だけど、趣味の方が大切で、恋愛は全然やらなかった。

恋人が欲しいという気持ちがなかったわけではない。でも、趣味の方が大事。


たとえば、昔の話を見ても、趣味に走って家庭をないがしろにする男は多かった。

先に書いた通り、結婚は周囲が無理やりさせてしまうことが多いから、趣味に力を入れると「家庭をないがしろにする」ことになる。


だから、白書の集計は今の若者が変わったという話ではなく、昔から変わらないのだと思う。

(昔の、家庭をないがしろにするダメ男の率に関しては集計が無いので、比較できないけど)


恋愛が面倒、も、そもそも昔は恋愛しないで結婚する人が多かったので比較のしようがない。

1980年代の自由恋愛が流行した時期だって、失敗してもお見合いという「セーフティネット」があったのだから、ある意味いい加減にやればよかった。


今の時代になって、恋愛で失敗すると一生結婚できないかもしれない、という強迫観念が付きまとうようになる。

そんなもの、面倒に決まっている。



#失敗したらやり直せばいいのは判っていても、じゃぁやり直すってどうするの?

 さっさと次を始めるのも前の人に失礼だろう…とか、いろいろ余計なことを考えちゃうと面倒なんですよ。




ここからは個人的な話。


僕も恋愛はオクテでした。

プログラムしているほうが楽しかった。


恋愛に興味がなかったわけではないけど、当時から「失敗できない」脅迫感はあり、やっぱ面倒くさくてやる気にならなかった。


僕は姉と妹がいて、少女漫画もよく見て育ちました。

だから、そこに書かれている「理想の恋愛」を演じきれる自信がなかった、というのも面倒だった理由です。

これ、多分今でも同じ悩みはあると思う。

(今は、そうした恋愛が少女漫画だけでなく、少年漫画でも描かれるから)



今は結婚しています。

そういう面倒くささを感じない人と出会えたから。


僕が趣味の WEB ページ…今これを書いているページを公開しておいたら、見た人が時々連絡くれたのね。

当時は、WEB ページが面白かったらお礼メールする、というのは普通の作法でした。


そんな中で、パソコンの動作原理とかに興味を持っている人がいて、解説するとなかなか呑み込みが良い。頭が良いのがわかる。

楽しいからいろいろ解説していて、男性だと思っていたらある時女性だと知った。


これは…自分が恋愛にオクテであるという自認はあったから、自分の趣味の話についてこれる子を逃したら後は無いぞ、と思ってアプローチしました。

恋愛中も「面倒くさい」という感じは無くて、話の合う友達のように気楽に接することができました。



今でも、妻には感謝してます。

妻の存在が無かったら、僕は結婚しなかったと思うから。



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結婚と経済  2015-06-24 17:36:52  その他

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ついでにもう一本書いとこう。

先の白書絡みで、今の若者は昔に比べて金も時間もないから、結婚や子育てなんてできない、と言っている人を見かけたので。


これは、ある程度事実だと思うのだけど、恋愛や結婚・子育てが「金がかかる」と思っているのであれば、多少勘違いもあるとは思う。


以下、男の視点から書きます。




恋愛での一番の不幸は、金銭感覚が合わないことだと思う。


特に、女性が「男が金を出して当然」と思っている場合は最悪で、そんな相手とは恋愛しないのがよろしい。


結婚したら女は家に入る、というのも、男が金を出す、と同義。

昔ならそれでよかった。税制もそれを前提に組まれていた。


でも、残念ながら現状は社会制度が変わった。夫婦共働きでないと、税制的に不利になるようになっている。


#ちなみに、「旦那」という言葉は、金を持ってくる人、という意味のサンスクリット語、ダーナから。

 英語になると「ドナー」となって、提供者の意味になる。

 共働きの場合、夫は「旦那」と呼ばれていい気になっていてはいけない。

 


次に、不幸なのが、女性の頭が悪い場合。

残念ながら、日本には「女は頭が悪いくらいがかわいい」とか、「頭のいい女は結婚できない」みたいな風潮がある。


これを信じている男性がいたら、今すぐ考え方を改めたほうがいい。

頭が悪い女と付き合うのは、一時的に「自分の方が優れている」という優越感には浸れるけど、後が面倒なことになる。


というのも、結局生活の中で頭がよくないと、無駄な金を浪費し続けることになるから。

世の中、頭がいい奴は儲けて、頭が悪い奴はふんだくられるように出来ている。その良し悪しをどうこう言うのではなくて、それが現実だ。


ここで、「ちょっと頭の悪い」女性と結婚すると、少しづつ、いろんなところで金をとられ続けることになる。

結婚したら金が余計にかかる、というケースが発生する。


#逆に、男が頭が悪くて金を気にしていなかったのに、女性がしっかりしている場合…

 男が「妻が金にうるさくて」とか愚痴る場合があるのだけど、しっかり倹約してくれているのに感謝せねばなりません。

 その上で、どうしても譲れない趣味のものは買うとか、夫婦間の相談は必要です。




賢い必要はないけど、人に騙されず、冷静な判断が出来る程度の相手と結婚して、共働きであれば、収入は増えて支出は減る。


収入倍増ということもないし、支出が減ると言っても二人それぞれが払っていた頃よりも減るというだけで、1人より減ることはあり得ない。

でも、トータルでちゃんとプラスが出る。


子育てはけっこう金がかかるのは事実だけど、工夫で乗り切れる部分も多い。

だって、昔の人はそんなに子育てに金をかけていなかったのだから。


工夫したり、昔はどうやってたのかな、と調べてみたり、結局は頭の良さが重要。


昔と決定的に違うのは、予防接種の医療費などがかさむこと。

これだって適切に申請すれば、無料になったりする。

結局頭が良くないといけない。



いずれにしても「正しい相手を選べれば」という前提付なのだけど、生活がいきなり悪化することはないし、何とかなるもんだよ。




男のプライドとして、十分な収入を得るまでは…とか、もっと漠然と「一人前の男になる前は」という人もいる。


これについては、僕は友達の結婚した理由を聞いたときに目からウロコが落ちました。

この友人、父君から「結婚して家庭を守り、子供を育て上げた男を一人前と呼ぶのだ。結婚前に一人前になれるわけがない」と言われ、結婚を決意したそうです。


この話、僕が妻と結婚する時も後押しになりました。




実際、今でも自分が一人前だとは思いませんよ…

自営業で仕事しているけど、独立時は全然収入無くて、妻の収入で支えられていたもの。


でも、幸い妻の両親も自営で、収入がほぼないときの苦労を妻は知っていた。

収入が少なくても工夫して乗り切れた。


先の日記も、最後は妻への感謝で締めくくったわけですが、やっぱ今回も妻に感謝して終わります。

彼女と出会わなかったら、こんなに好きなことやって暮らせてなかったと思う。




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バーコードが初めて使われた日(1974)  2015-06-26 10:55:59  コンピュータ 今日は何の日

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今日はバーコードが初めて使われた日(1974)。


バーコードが作られるまでの長い歴史と、その仕組みは過去に書いています。


ちなみに、基本アイディアの発明者は学生だったけど後に IBM に入社し、特許を IBM に売却しています。

IBM はさらに RCA 社に特許転売。特許の中で、読み取り装置にどうしても RCA 社の部品が必要だったためです。


RCA 社は特許活用を狙いますが、特許で出されていたアイディアそのままではうまく使えませんでした。

ふたたび、特許出願者も参加して(つまり、IBM も参加して)実用にすべく改良がおこなわれます。


結果として、現在の「バーコード」を考案したのは IBM です

もちろん、最初の読み取り機付レジスター…POS 端末、と後に呼ばれることになるものも、IBM 製。



で、今日はその「バーコードシステム」が初めて市場で使用されるようになった日。

バーコードを使用する第1号店は、オハイオ州のスーパーマーケットでした。


最初に購入されたのは、「10パック入りフルーツガム」。購入時刻は朝8時1分でした。


このガムは、購入時のレシートと共にスミソニアン博物館で保管展示されています。



この少し前から、食品業界は「バーコード」を正式採用し、いくつかのメーカーではバーコードを商品パッケージに直接印刷していました。


10パック入りフルーツガムも、そうしたバーコード印刷済み商品の一つ。


でも、まだ印刷されたない商品も数多くあります。

そんな商品には、1枚づつシールにコードを印刷して店員が貼っておく必要があります。


バーコードは、元々こうした「簡易印刷機」で扱いやすいように工夫されたコードでした。

元々線で構成されていますから、用紙が「引っ張られる」方向に線を引いておけば、多少滲んだとしても線の幅は変わらないのです。


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