2015年06月16日の日記です


アスペルガー症候群  2015-06-16 17:24:51  その他

なんとなくカミングアウト、かな?


ツイッターで他の方が、アスペルガー症候群の診断ページをツイートしてた。

会社で話題になったからやって見たって。


で、僕も興味本位でやって見た。27点。


66点以上だと、アスペルガー症候群の可能性があるようです。

37点が平均だというので、むしろアスペルガーからは遠い。


問題無し。現在のところは。




子供の頃には、アスペルガー症候群なんて言葉も一般的ではなかった。

でも、今考えると、僕はアスペルガー症候群「気味」だったのではないかな、と思う。


ただ、この症状って、年齢と共に改善するのね。

…いや、改善と言うと違うな。まるでアスペが悪いことのようだ。


一応、「症候群」と呼んでいるだけあって、精神科的には病気の扱いなのだろう。

ただ、精神科の言うところの病気というのは、「人とちょっと違ってる」というだけ。


周囲の人がそれで困っていて、本人も困っているのであれば、誰かの手助けが必要ということになる。

「アスペルガーです」と診断できただけでも、周囲の心構えが変わってくるのでこの診断には意味がある。


ただ、これは「ちょっと極端な性格だけど、そういう性格の人です」と言われた、と捉える程度が良いと思う。

病気じゃないし、何かが悪いわけではないのだから。




先に書いた通り、僕の子供の頃はこの言葉はなかった。

でも、僕の子供の頃を自分で振り返ると、どうもアスペなのね。


えーと、古い記憶から行くと、1歳半くらいの頃の記憶があります。


…これはただそれだけ。何かの行動がおかしかった思い出ではない。

でも、「やたら古いことを記憶している」というのもアスペの特徴の一つ。


どうも、一般的には保育園や幼稚園の頃の記憶とか、感情とか覚えてない、という人の方が世間には多いようだ。


保育園のお母さん方と話していても、子供の行動がよくわからない、なんて人は多々いる。

自分の時はどうだったかも覚えてないらしい。


えー、そんな「既に物心ついた」頃の記憶なんて、いくらでもあるし、その時どう思ったかも覚えている。




子供の頃、自分の行動を気にする子供だった。


さっきやってたことと、いまやっていることが一貫していなくてはおかしい。

「他人からどう見えるか」を気にしすぎて、自分の行動を窮屈にしていた。


「一貫性」を求めるっていうのも、アスペの特徴ね。


もちろん、そんなことを気にしてない時もあったけど、気にしすぎるともうダメ。

やりたくもないことをやらなくてはならなかったりする。


でも、これは小学校にあがるころには「自分が思っているほどに、他人は自分を気にしていない」と気づいた。

だって、一生懸命やっても評価されないことの方が多いんだもの。


それで、心の中で「さっきまでやっていたのだから続けないと」と思っている時でも、「他人は自分を気にしていない」と言い聞かせて止められるようになった。


今でも、時々心の中で唱えないとやめられない時もある。





子供の頃、自分中心な話し方を良くした。

自分の話を聞いてくれないと怒ったり、途中で遮られそうになっても話を続けたり。


これも、一貫性の一種。


多分、中学くらいまでそうだったと思う。

でも、ある時「人が話し始めたら、話の途中でも自分は一旦黙った方がよい」と気づいた。


話を続けたかったら、その人の話が終わってからでも遅くはない。

でも、その人の話…わざわざ途中で割り込ませるのだから、自分の話に対する疑問などがあるなら、それを聞いてから方向修正してもいい。


そこから違う方に話が進んでしまって、続きを話せなくなることもある。

そんな時は、自分の話は誰も興味を持ってなかったんだな、と素直に諦める。



時々、それで諦めていたら、数時間後に「そういえば、さっきの話の続きは」とか言われることあるけど。

それはそれで、そこからまた話せばよい。




小学生の頃、良く忘れ物をした。宿題も忘れてやらなかったりした。

これは、アスペじゃなくて、もしかしたら ADHD (注意欠陥多動性障害)も入っていたのかもしれない。


でも、何かに集中すると他のことを忘れてしまう、というのも無関係ではないように思う。


今でも、ついうっかり保育園の提出物を出し忘れて先生方に迷惑かけたりします。

優先順位順に、目につくところに置いておいたりするのだけどね。




また一貫性の話なのだけど、とにかく、中途半端な状態になっているのが気持ち悪い。

それくらいなら、途中まで積み上げたものをきれいさっぱり消して、最初からなかったことにしたい。


このサイトも、初期の頃に2年くらい消していた時期があります。

最初は「週に1度は話題を更新する」という方針で始めたのだけど、やっていて自分で決めたルールが辛くなった。


他にもいろいろあって、もういっそのことサイトやめてしまえ! と消してしまった。


その後、周囲から「良い内容だったから勿体ない」「更新しないでもいいから公開を続けてほしい」という意見を貰って、再開しました。


これは社会人になってからの行動。大人になるにつれて症状は軽減する、とはいっても、本質は変わらない。

だって、これは「そういう性格」なのだから。



実のところ「東海道歩き」の話題も、HP200LX の話題も、中途半端なまま止まっている。

これ、気持ち悪い。どうにかしたい。


でも、今は「ネットなんて趣味で、生活の方が大事」って考えてほったらかしです。すみません。




さて、アスペが悪いことかと言えば、そんなことはない。一切ない。全くない。


多分、子供の頃の僕は変な奴で、いじめられっ子だった。

今考えるとアスペだったことは、いじめられる要因として十分だったのだろう。


でも、いまとなってはこの性格であることに感謝している。


アスペは、対人能力に問題がある一方で、論理能力は人よりも高い。

好きなことでは集中力がやたら高く、細かな部分まで注意が行くし、それらを記憶できる。


論理偏重なので、数学などにはやたら強い。

…はずなのだけど、実は自分の中で論理を構築できないと、先に進めなくて落ちこぼれる。


僕は数学は好きだけど、高校の時に漸化式が納得できずにつまづいた。

いくつかの類型があるのはわかるのだけど、元の式からどの類型か判断する基準が見つけられなかったのだ。

類型ごとの式も、意味がわからないので覚えられなかった。


先生にわからない、と尋ねたら、「なんとなくわかれ」と意味不明のアドバイスをもらって、先に進めなくなった。

実のところ、今でも判って無い。


#先に、細かなことも覚えられる、と書いたけど、それは論理的な流れの中での話。

 無意味な数字の羅列とかは覚えられない。実際、僕は16年も使っている自分の携帯電話の番号を未だに覚えていない。




話が横道にそれた。数学で落ちこぼれた話はどうでもいい。


論理性があって、細かな部分まで注意して記憶できる、というのは、プログラマーとしては理想的な能力だ。

多分、だからプログラムが好きになったのだし、この職業を選んだのだろう。

そういう能力を持っていたことに感謝している。


これは前向きな話で、海外では、アスペなどを「障害」と捉えるよりも、「gifted」=「神より与えられし者」と捉えよう、という動きがあるようだ。

もちろん、最初からそうなのではなく、問題のある精神障害者だと考えられていた時代も長いのだけど。



僕はプログラム教育はやるべきだと思っているけど、そう書くとすぐにC言語みたいなプログラム言語を思い浮かべて、「あんなの一般人には無理」という反発をする人がいる。


Cなんてのは、かなり細かな部分を理解しないと使えない言語で、アスペ気味のプログラマでないと使えないと思う。

そんなものを一般の子供に使わせる必要はない。


プログラム教育は、もっとざっくりとアルゴリズムを示せる言語で良い。

目的は、論理的に考える力を養うことなのだから、「将来実際に役立つ言語」なんて不要だ。



プログラムが面白いと感じて、天才の片鱗を見せる子がいたら…多分、潜在的にアスペなのだと思うけど、そういう子は勝手にもっとすごい言語に進めばいい。


将来プログラマとして有望だ。gifted なのだから。




アスペルガーは男性に多く、軽度の場合を含めれば 100人に 1人くらいはいるそうだ。

ただ、子供の頃は問題行動があっても、徐々に問題が無くなっていく。


…「治る」というより、自分の性格が巻き起こす周囲との軋轢に気付き、そうならない方法を体得していくのだ。

僕がそうであったように。


軽度の場合はそれで治ったように見える。

でも、先に書いたようにこれは性格だから、対処法を覚えただけで本質は変わっていない。



本質っていうのは、対人関係が苦手で、興味を持ったことは深く突き詰めて、自分の世界に入ると周囲が目に入らなくなる集中力。

「オタク」と呼ばれる人たちの一部はこれだ。みんながそうだ、とは言えないけど。


大抵、オタクの中でも何かを突き詰めすぎて、周囲から浮いちゃう人。

みんなが、あの人はすごいと認めながらも、すごすぎて周りと溝を作っちゃう人。

それは天賦の才だと思う。そういう人が世界を変える。



世界の偉人と呼ばれる人の多くが、アスペだったんじゃないかとも言われる。


エジソンが子供の頃小学校で「雰囲気を読まず」退学になったのは有名な話。

ニュートンが暖炉の前で椅子に座って考えていて、執事に「暑いのでどうにかしてくれ」と言ったのも有名な話。

(執事は、ニュートンを一旦立たせて、椅子を少し後ろに引いた)


アインシュタインの「ベロ出し写真」も、そもそも対人関係が苦手で、困ってあのような表情になったものです。




そんなわけで、僕は多分軽度のアスペルガーだったと思うし、今でも本質は変わってないと思う。

ただ対人関係の対処法…「何かあったら、とにかく黙っておく」を覚えただけで。


カミングアウトと共に、アスペは別に何の問題もないし、むしろ天賦の才を与えられているのだよ、と記しておきます。


…その天賦の才を伸ばせるかどうかは本人・周囲次第なのですけど。




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