2015年06月19日の日記です


トーマス・J・ワトソンの命日(1956)  2015-06-19 10:05:47  コンピュータ 歯車 今日は何の日

今日は、トーマス・J・ワトソンの命日(1956)。


IBM の初代社長です。起業した人かというとちょっと違うのだけど。

ちなみに、2代目社長となるトーマス・J・ワトソンはこの人の子供。


わー、なんだそれ。子供に自分と同じ名前付けるな。

ややこしいので、一般に父親は「シニア」または「ワトソン」、子供は「ジュニア」または「トム」(トーマスの愛称)と呼ばれます。


#日本では名前はややこしくないようにするものだけど、欧米では親の名前を「受け継がせる」のもごく普通。




先日から、ハーバード・マーク1IBM SSEC の話を書いてきました。

どちらも、IBM 公式には「自動計算機」ですが、それらはシニアの時代に作られています。


一方、IBM 701以降の「コンピューター」は、ジュニアに社長交代してから。


公式にどう呼ぶか、というだけの問題で、SSEC が事実上コンピューターと呼んでも差支えが無い機械であることは、SSEC の話題として書いています。




シニアの生涯…を語ったところで、Wikipedia と似たような記述になってしまうので、詳細を知りたい人はそっちを見てください。

英語記事の忠実な翻訳のようなので、それなりの信頼性はありそうですが、検証したわけではないので保証はしません。


ざっくりとだけまとめておきます。


田舎者だったシニアは、成人しても良い職に就けずに転職を繰り返します。

でも、やっと得たミシンのセールスマン(当時はミシンは高価で実入りの良い商品だった)の職を、酒の失敗でクビに。


さらに、この失敗が知れ渡り、どこも雇ってくれなくなります。

仕方なく自営の肉屋を始めますが、これも失敗。


商店を始めるために分割で購入したレジスター…当時としては最新の「計算機」…を処分するために販売元の NCR を訪れ、とにかく職も金もなく支払いが続けられないことを相談したことから、NCR に入社します。


ここで…ライバル社の機械を使っている店に行って、こっそり「破壊する」という汚い方法を使い、売り上げを伸ばします。

これでシニアの地位は上がり、中古レジスターの販売会社を任されると、そこでも「ダンピング販売してライバル店を潰す」という汚い方法を使い、トップシェアを奪います。


ただ、行き過ぎた販売行為に 1912年に独占禁止法で起訴され、一度は有罪判決に。

(これは、アメリカで初めての、独占禁止法による企業起訴でした)


シニアは上告し、様々な主張を行います。


政府は、控訴審の手間を惜しみ諦めます。これで無罪に。




NCR をトップシェア企業にし、訴えられたとはいっても結果は「無罪」となったシニアは、CTR 社に好待遇で迎え入れられます。


CTR は「コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング」の意味で、パンチカード集計機の始祖である、タビュレーティング・マシーンズ社を元とした企業です。


さらに CTR 社で社長となったシニアは、社名を「インターナショナル・ビジネス・マシーン」社に改名。

これが IBM の名前の由来となります。


大会社のトップとなったシニアは、もう以前のような荒くれ者ではありませんでした。

汚い方法を使うようなことはありません。



IBM は、CTR の頃と同じようにパンチカード集計機を商売の中心としています。

ただし、ただ「販売」して終わるのではなく、その機械を商売の中でどのように使用し、どのように利益を出していくか、コンサルタントのような業務も行いました。


機械を販売するのではなく、機械を使って業務を改善する「サービス」を販売する。

そのサービスを買って良かった、と思えるほどの利益を出して見せる。損したとは言わせない。


そのためには、サービスを行う従業員を大切にしなくてはならないし、従業員はお客様の利益を第一に考えなくてはならない。


この頃に彼が掲げた IBM の標語「Think」は、お客様のために従業員の一人一人が何を出来るか考えよ、という意味です。




とにかく、シニアは従業員を家族のように大切にしたようです。


自身が若いころに酒で大失敗していたため、社員にも細かな飲酒規則を定めたようです。

これも、彼なりに社員を思っていたのでしょう。ジュニアはこれに懐疑的だったようですが。


多くの社員が協力した IBM ASCC が…勝手に「ハーバード・マーク1」と名前を変えられ、IBM の協力があったことを一切語られなかったことに激高した、というのも理解できます。


ASCC の雪辱を晴らすべく SSEC を作った時に、これを「コンピューター」と呼ばなかったのも、当時「コンピューター」は IBM の社員の肩書だったためでしょう。

社員が誇りをもって行っている仕事を、決して機械なんかに奪わせたりはしない。社員を大切にする、という意思の表れのように思います。


こちらも、想いは立派でも当時の世相としては、IBM を時代遅れにしかねない考えだったため、ジュニアに代替わりしたらすぐに IBM 701 「コンピューター」を発表しています。




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