2017年06月21日の日記です


ゼルダ雑感  2017-06-21 11:31:42  コンピュータ 家族

3日ほど前に、ゼルダの雑感を書いている個人blog を読んだ。


今回のゼルダは「自由度が高い」とされるのだけど、実際遊んでみると、そこかしこで任天堂の見えざるコントロールを感じられ、強制ではなくやんわりと、導かれているのがわかる、という内容。


「おせっかいおばさん」と表現していたけど、非常によくわかる。

このおせっかいが嫌な感じではなく、意図を感じたら信頼して乗っかれる安心感がある。


だから乗っかっていくと、自由だと言われながらもみんなが同じような進め方になる、というのも同意。




と、同意したうえで、我が家の話を書いておこう。

上の記事に倣い、僕のゼルダ遍歴から。



僕はファミコンゼルダ・リンクの冒険はリアルタイムに遊んだ。


スーファミは持ってなかったので遊んでないけど、後に「神々のトライフォース」の GBA 移植版は遊んだ。


GB の「夢を見る島」は、高校の後輩の「やるべき」という強力プッシュで借りて遊んだ。

でも、急いで遊んで返したので、あまり細かいことを覚えていない。


ゲームキューブ版は発売日前に予約し、予約特典でもらえた N64 のゼルダを1か月間遊び倒した。

裏ゼルダとムジュラもついてきたのだけど、GC 版が発売になったのでそちらに移行してしまい、遊んでない。


GC 版「風のタクト」は…N64 が面白かったので期待していたが、少し肩透かしと思った。

その後 Wii 版「トワイライトプリンセス」も買ったが、これは「面白くない」と感じて、途中で放棄した。


Wii版の「スカイウォードソード」は遊ぶ気にもならず、完全スルー。


近年の 3Dゼルダには、N64 の人気を超えようとして「がんばりすぎた」残念感を感じている。

プレイヤーに感動を与えようとしすぎて、押し付け気味に思えるのだ。



だから、今回のゼルダも、「あぁ、また出るんだ」程度でスルーのつもりだった。

…が、Switch 発売直前のインタビューなどで「近年の嫌な部分が払拭されている」ことを知り、遊びたくなった。


でも、Switch 大人気で入手できなかったのね。

入手は4月末。発売から2カ月たっていた。


で、いま2か月近く遊んだ状態。




「とりあえずの目的」である、ガノン征伐は果たした。


でも、このゲームは目的があってないようなもの。

「ミニチャレンジ」と呼ばれる、いわゆる RPG の「使いっぱしり」はゲーム中に大量に発生して、無視して進んでもいいのだけど、ゲームクリア後はこれをひとつづつ解決して楽しんでいる。


ミニチャレンジではないが、各地にある「祠」や、木の妖精「コログ」探しも楽しめる。

ストーリー上の目標はガノン征伐だけど、実際にはこちらの探索のほうがずっと楽しい。



ネタばれになるかもしれないけど、ガノン戦はまだ「近年のゼルダのいやらしさ」を感じた。


強いんじゃなくて、倒し方がわかるまでダメージを与えられない。

でも、こちらも逃げ回っていればダメージを受けない。

硬直した状態で延々と時間を浪費するゲームを「面白い」とはとても言えない。

ゼルダの嫌な部分がほとんどなくなっているとはいえ、完全ではなかったな、という感想。




家族中で遊んでいるが、暗黙の了解がある。

「先を進んでいる人のプレイは見ない」ということだ。


また、後から遊んでいる人にヒントを出すのもなし。

具体的に「はい」「いいえ」で答えられるくらい絞り込んだ、わずかな質問程度は答えるけど。


この結果、それぞれが自分の考えで進めているのだけど、「自由度」が非常に高いことがわかる。

この点において、「任天堂のコントロール」なんて存在していない。

(いや、もちろん道に迷わないような親切なサジェストはあるのだけど)



妻は僕よりも先を行っている。

自由時間の違いで、僕より多少長く遊んでいるためだ。


ただ、プレイスタイルは結構違う。

僕は敵を見るとできるだけ殲滅してから先に進む。

逃げ回っていて、前からも敵が来て挟み撃ち…というのが怖いから、着実に進みたいのだ。


そうやって、目的地に向けてどんどん進んでいった。



妻は、無視できそうな敵なら逃げ回って先に進む。

逃げる途中で道を外れてしまうこともあるし、逃げ回ることで節約した時間で、周囲を無駄に探索したりもする。


この結果、ストーリーの進行具合は同程度でも、妻のほうが多くの「なにか」を発見していた。

その一方で、闘うことで得られる報酬…強い武器などは、僕の方が持っていた。



長男は、中学1年生だがゲーム慣れしていないので、まだストーリーの中盤だ。


後ろから見ているとイライラするくらい、本筋と関係のない部分を楽しんでいる。

ゲーム慣れしていないので、触っているだけで楽しい段階なのだ。


例えば、稲刈りをすると米が手に入る、と知ると、延々と稲刈りだけをやり続ける。

その稲に火をつけると燃え広がり、上昇気流が起こって飛び上がれる、と知ると、面白がってそれを延々続ける。


とにかく「これやったらどうなるのだろう?」と思ったら試してみる。

さまざまな操作を試しているので、僕も妻も気づかなかったような「操作テクニック」を編み出している。


敵と戦うのを極度に恐れ、挟み撃ちにあったりするとワープして逃げかえる。

操作などの「ストーリー外の部分」を楽しみすぎて、ストーリー上、次に向かうべき場所を忘れてしまう。


だから、ストーリーはあまり進んでいない。



小学校4年生の長女は、「素材集め」と「買い物」が楽しい様で、そうしたゲームとして遊んでいる。


家族中で一番大胆な行動に出て、マップを入手していない土地でも闇雲にガンガン進んでみて、そこで見つけた「まだ見ぬもの」を、買えるものであればどんどん購入する。


なので、ストーリー進行や「マップの入手具合」とは関係なく、後半にならないと入手できないはずのものを持っていたりする。



進行度合いの割には、コログの発見率が非常に高い。

元々四葉のクローバー集めが特技で、「見た目のわずかな異常」に気付く能力が非常に高い。

それがゲーム中でも活かされているのだ。


闘うことも恐れないので、長男よりストーリーを進めているが、ボス戦などは怖いようだ。

ボスの前まで行くといったん退却し、長男がボスを超えるのを待って(ヒントを得て)ボス戦に挑む。


一方で、とにかく先に進むことが楽しいので、村などを見つけても人の話をちゃんと聞かない。

ヒントをくれる人を無視したまま先に進み、「あれぇ? これどうするの?」なんて言っている。


普段からも「人の話をちゃんと聞くように」と注意されている子なのだけど、ゲームを遊んでいる時にも同じ注意をするとは思わなかった。




ストーリーも…一応、4つの「小ボス」がいるのだけど、どこから倒してもかまわない。

いや、倒さずにいきなり大ボスに挑むこともできるのだけど、初回プレイでそれをやる人はいないだろう。


たぶん、最初の「小ボス」はみんな一緒だと思うんだ。

ここは「任天堂のコントロール」が利いている。うちでも、4人とも同じだった。


でも、その次のボスはもう、人によって違うのではないかと思う。

一応「これを2つ目に倒すべきなのだろう」というボスはいて、長男と長女は素直にそこに進んでいた。


でも、僕と妻は、気づかずに4番目のボスに進んでしまっていた。

余りの強さに泣きそうになりながら戦って、「2体目でこんなに強いのだと、この後どうなるんだ」と思って拍子抜けした。


「おせっかいおばさん」の話として書けば、いきなりこのボスのいる方向に進んだのも、それなりのサジェストがあったからなんだ。

詳しく書くとネタバレになるから書かないけど、理由を説明したら納得してもらえると思う。



だから、おせっかいおばさんは確かにいるのかもしれないけど、コントロールは絶対ではない。

4体中2体目のボス、という時点でかなり違いが出てくるし、そこに至るまでも遊び方が全く異なる。


買い物はせずに節約している人もいれば、ガンガン買い物をする人もいる。

さまざまな操作の可能性を試す人もいれば、そんなことよりストーリーを進めようとする人もいる。


これは十分に「ゲーム慣れしていない人にとっても、自由性が高い」ということかと思う。




じつは、この「ゲーム慣れしていない人にとっても」という部分で、舌を巻いている。


僕もゲーム業界の端っこにいた人間だから分かるけど、遊ぶ人ごとに遊び方が異なるゲームって、言うのは簡単だけど作るのは非常に難しい。


ましてや、「ゲーム初心者」と、「ゲーム慣れした上級者」が同じ世界で楽しめるなんてすごいことだ。


過去に、何度かそうしたゲームを見たことがある。

逆にいえば、いろいろなゲームを見ていても、初心者と上級者が共に楽しめるゲームなんて、数えるほどしかなかった。


絶対的な条件としてはゲームの目的を無視して、操作するだけで楽しめること。


敵が怖いなら戦わないでよい。ストーリーを進めるのが難しいなら、最初の場所にいればいい。

それでも楽しめる、というのは、本当にシステムがよくできていないといけない。


今回のゼルダは、そうしたゲームの中でもトップクラスであるように思う。




ところで、小学校2年生の次女は…いや、彼女は遊んでいない。

マリオカート8は大好きで遊んでいるので、ゲームができないわけではない。


ただ、「敵が出てくるゲーム」というだけで怖いようだ。

長男や長女が遊んでいるのを眺めているが、強い敵が出てくると緊張感に耐えかねて、別の部屋に逃げてしまう。


自分で遊んでなくても「緊張感に耐えられない」ほどにゲーム世界に入り込める。

遊んでいない子の行動をとっても、ゲームがよくできていることを意味している。




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