2017年07月の日記です

目次

02日 バーベキュー
03日 血液型別性格診断
03日 当たる占いの作り方
06日 セレンディピティ
12日 ジョージ・イーストマン 誕生日(1854)
13日 ルビク・エルネーの誕生日(1944)
24日 テレワーク・デイ
24日 スプラトゥーン2初感


バーベキュー  2017-07-02 11:18:54  料理 家族

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以前に仕事をした会社のバーベキューに誘われた。



その会社とは、仕事はしていたのだけど実はあまり面識がない。

ネットで仕事を請け負って、ネットで作業して、そのまま仕事が終わってしまたっため。


過去の日記だけど、ここら辺の話は、その仕事中の話題。


ボタンの左右位置

iOS の position:fixed バグ回避方法

iOS の hoverバグ回避方法


突貫で開発していたのがよくわかるな。懐かしい。

ちなみに、ボタン左右位置でもめたアプリは、最終的には上下に並べることになった。


ボタンの中に「何をするボタンか」を書こうとすると、スマホの画面では左右に並べるのは狭くなるし、良い選択だったと思う。




折角お誘いいただいたので、喜んでお伺いした。

家族参加可能、ということだったので、家族全員で参加。


以前働いていた人など、関係者を広く集めて行っていたようだ。

当然知らない人も多数いる。もうすぐ退職する方の送別会も兼ねていたようだ。



そんな中で、上に書いたプログラムを作っていた時の関係者が、二人来てくれていた。

僕が参加するならぜひ会いたい、ということで参加を決めてくださったそうだ。

それは、僕としてもありがたい。会ってゆっくり話をしてみたかった。



以前作ったプログラムには、関係者はたくさんいた。

来てくれたのは2人。


1人は、立ち上げ時に軌道に乗せるまでを担当して離脱したマネージャーの人。


元々他社からの依頼を受けた形の仕事で、その会社からは短い納期で無理難題をたくさん突き付けられていた。

それを整理し、無理なものは無理とばっさばっさと切り捨て、形に持って行ったマネージャーの人の力量には感服していた。


離脱後に聞いたが、この人傭兵をやっていたことがあるらしい。

なるほど、極限下での取捨選択に長けているわけだ。



もう1人は、多数いたプログラマーの中で、僕が唯一「この人は出来る人だ」と思っていた人。

(そんなことを書くと他の方に悪いのだけど)


僕は「Javascriptを使える人」という条件で仕事を請け負ったのだけど、実際には CSS も必須の仕事だった。

でも、僕は当初 CSS には不慣れだった。


この人は CSS と Javascript を組み合わせる技法に長けていて、ずいぶんとこの人から技を盗ませてもらった。


#いまでは CSS と Javascript の組み合わせは慣れてます。



それぞれ、1歳数か月のお子さんが1人づついて、うちも子連れで行ったので和やかなバーベキューとなった。




うちの中学生になった長男が、6歳くらいまでの子の面倒を見るのが昔から好きで、プログラマーの方のお子さん…男の子とずっと遊んでいた。


男の子、今カーズとトーマスが大好きだそうだ。

長男も、トミカ・プラレールとトーマスが大好きだった時代がある。


なので、今でもある程度名前を憶えている。

「これねー ヒロ!」とか急に言われても、ちゃんと何のことかわかる。



そのうち、小さい子が石を拾って遊び始めたら、それとなく、「あっちにもいっぱいあるよ」とか教えてあげてた。


拾ってきてあげるのではなく、場所を教えて自分で取りに行かせるのね。

小さい子は、石に興味があるのではなく、拾い集めるその行動自体を楽しんでいる、というのを理解している。



長男のこの能力は、3歳の頃…長女が生まれたころから発揮されていた。

おかげで、2人目の子育ては、1人目より楽だった。


次女…3人目に至っては、長男が育てたようなものだ、とよく冗談で言っている。

(もちろん親はちゃんと関わっているのだけど、本当に長男は子育ての「即戦力」になってくれていた。

 今でもいいお兄ちゃんだ)



うちの長女、次女は長男ほど小さな子の相手は上手ではないが、長男が遊んでいるので一緒に遊んでいる。

これで、子供同士で遊んでくれているので、親はゆっくりと飲み食いしながら会話ができた。




プログラマーの方は、このページを読んでくれているそうだ。


…この仕事関係者に一度も URL を教えたことはないのだけど、本人も知らないうちに「僕のページ」だと認識していたらしい。

まぁ、当たりなのだけど。


パソピア7が最初のマシンで、その後知人から X1 を譲り受け、祝一平氏の「試験に出る X1」で機械語を勉強したというのだから、結構な筋金入り。

なるほど、できる人だと思っていたけど、機械語まで使える人であったか。



非常に低レベルまで理解できている人というのは、高級言語を使っていても、書くコードの質が違う。

なにかこう、「最適化の意図」が見え隠れしたりする。


プログラムなんて動けばいいのだけど(祝一平氏もそう言っていた)、ただ「動いたから完成」のコードと、動作原理まで理解して書かれたコードでは、信頼性が異なる。


でも、信頼性が高いプログラムを作れる人には、なかなかお目にかかれない。

そういう人と話をするのは、それだけで楽しい。




会は3時間ほどでお開きだったので、それほど長くはお話できなかった。

もっとも、顔を合わせたのは初めてなので、時間がありすぎたら持て余していたかもしれない。


しかし、また呼ばれたらぜひ参加したい、と思える会であった。



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09年 夏風邪

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血液型別性格診断  2017-07-03 13:15:47  その他

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先日、ラジオを聴いていたら「ブラハラ」という単語が出てきた。

何かと思えば、ブラッド・ハラスメントの略語で、「君はA型だから、こういう仕事は向いてないでしょ」みたいに血液型で性格を決めつけられてしまうことらしい。



そういえば、以前に聞いた話。

どこだったか国立大学の教授が、授業中に「血液型の性格診断には根拠がない」ということを何気なく話したら、信じていたのにショックだ、という学生が過半数だったそうだ。


国立大学だから、それなりに頭が良い人が揃っている。

それでも、血液型で性格が決まると信じてしまっているのが過半数。


この事実に、大学教授はショックを受けたらしい。



そのことの善し悪しを言いたいのではない。

「非科学的」なんて言ったところで、信じている人が多いという事実は変えられない。


ただ、ここでは「なんでそんなことになったのか」をギリギリ知っている世代として、記録を残しておかないといけない、と思ったのだ。




「もはや戦後ではない」が流行語になったのが、1956年。

この頃が、後の世にいう「高度経済成長」の始まりの時期で、その後 20年にわたり経済成長が続く。


1960年代の後半には、多くの人が豊かになった。

しかしその一方で、物質的な豊かさだけでいいのか、という自省が広がっていた。


この時代を背景に広がったのが「占いブーム」。

科学では測りきれない何かがあるのではないか、と皆が期待して、様々な「占い」がもてはやされる。


団塊の世代が20歳くらい…多感な年ごろだ。

多くの人が、こうした「占い」を本気で信じ、世の中には科学ではわからないことがある、と科学を否定した。

否定することがかっこいい時代だった。


この世代は、科学や客観的データを否定し、精神世界…変な迷信に入っていくことが「かっこいい」と思っている人が多い。

ついでに言うと、仲間を作るのが好きでもある。自分の価値観を周囲に押し付けてくる。


学生運動とかも含めて、青春時代に、世間がそういう空気だったのだから仕方がない。


もちろん、多くの人はその後大人になるにつれて世の中を知り、自省しているのだけど、今でも考え方を変えない人は「老害」と呼ばれている。



#余談:日本では、世の中の変わり目には占いが流行しやすい、という素地はある。

 幕末だって、明治時代だって、占いのブームはあった。

 だから、この時だけが特別だったわけでもない。




別に老害の話をしたいのではなくて、1960年代末に占いブームがあり、姓名判断とか、筆跡判断とか、印章判断とか、六曜占いとか、九星気学とか、四柱推命とか‥‥

まぁ、ともかくいろんな占い本が出た。「自分で占える」という本がブームの中心だった。


占い、とひとくくりにされるのだけど、「性格診断」の側面が大きかったのも特徴の一つ。


先に書いたように、精神世界に入っていくのがこの頃のブームの特徴だから。

自分はこういう性格、というのを診断して、「類型」がわかることで安心しようとする。


今でも、自分をどこかの枠に当てはめて安心する人、いるよね。


ちなみに、「精神世界」の方向は、1970年代には超能力とかUFOとか「ノストラダムスの大予言」のオカルトブームに繋がっていく。


このノストラダムスの大予言が「1999年に世界が滅亡する」と広めたのが 20年たって本気で信じられてしまい、1990年代後半にはカルト宗教ブームとなってオウム真理教のサリン(毒ガス)テロ事件へと突き進む。



上の例では、六曜占いも入れてあるけど、「結婚式をするなら大安吉日」とか、この頃のブームの影響ね。

六曜自体はそれ以前からあるけど、あれは旧暦を使うことが強制的に廃止されたときに、何とかして旧暦を知ろうとする庶民の知恵で広まったもので、「占い」ではなかった。


#平安時代までさかのぼれば占いなのだけど、それだって今とは違うものだ。



青春の頃は他人に影響されやすく、それは知識を吸収しやすいという良さでもあるのだけど、悪いものに取りつかれやすくもある。

1960年代に急に言い出されたものが、そのころ青春時代を過ごした人が「ずっと昔からそうなっている」と信じたものだから、今でも「大安吉日」とかに振り回されて辟易する人がいる。




血液型占いもこの頃に出てきたもので、「占い」の一種に過ぎない。

具体的にいえば、1971年に出版された「血液型でわかる相性 伸ばす相手、こわす相手」という本だ。



ただ、血液型占いは他とはちょっと違っていた。


血液型によって性格が決まる、という、科学的にありそうな「似非科学」を持ち出したのが1点。

(血液型が発見されたのは 1900年。

 これが人格などにも影響があるのではないか、という研究を日本人が行い、1932年に発表されている。

 この時点では「科学」だった。

 しかし、その後追試が行われ、1934年頃には完全に否定され「似非科学」になっている)


もうひとつ、他の占いが細かく分類し、複雑化することで信憑性を増そうとしていたのに、たった4つのタイプしかない判り易さが1点。


この特徴が他のものと違っていたものだから、「占いブーム」の終焉を乗り越えて、1980年代に再びブームを起こした。

(上の本の著者が死んで、真似た本を書きやすくなったという理由もあったようだ)




1980年代後半は、経済発展によって「物質的な豊かさ」が極まっていて、ろくに仕事をしない社員でも会社は雇っている余裕があった。


結構後(1996年)になるけど、ヒット曲に「渋谷で5時」がある。これ、1980年代の雰囲気がまだ残っている歌だ。

5時前に仕事をやめて帰ってしまっても問題なかった。「働かない」ことを自慢した時代。


#その一方で、仕事が忙しくて寝る時間もない、という不健康自慢をする人もいた時代だけど。



「合コン」がブームになり、初めてあった人とでも、とりあえず30分盛り上がれる話の類型、というのが好まれた。


「10回クイズ」とか「王様ゲーム」とかだけど、「血液型性格診断」というのもそうした話題の一つ。


1971年の本は、本としての体裁を整えるために、たった4種類でもそれなりの「深みのある」考察をしていた。

でも、ここでの血液型診断は、合コンの初めに5分程度で盛り上がるためのもの。

だから、非常に薄っぺらい。「A型はやたら細かい」とか「O型はおおざっぱ」で終わり。


嘉門達夫が、「血液型別ハンバーガーショップ」を歌ったのは 1991年。


この歌の中でも「たった4種類に分類されるわけない」と歌っている。

多くの人が、血液型診断を知っていながら、「そんなわけない」と心の中で突っ込みを入れ、でも話のマクラとしては使っていた。


だから、この歌がギャグとして成立する。




でも、先に書いたように、「青春時代に刷り込まれたもの」は妄信しやすい。

1990年代に青春時代だった…いま40代後半くらいになると、本気で血液型占いを信じている人がいる。まぁ、あまり多くはないのだけど。


いや、血液型占いは、その後独り歩きして「占い」ではない似非科学になった。


そして、生まれた時から血液型占いが存在していた、今の20代くらいになると、半数近くが信じている。

これが、冒頭に挙げた大学教授の話になる。



先に書いたように、1930年代にはすでに「似非科学」になっている。

だから多くの学者は取り合わないのだけど、あまりにも多くの人が信じているという弊害を見過ごせず、今でも検証実験が行われる。


もちろん、最新の論文でも「性格と血液型に相関は見られない」そうだ。


でも、こうしたデータはわかりきっていることで、「面白くない」から、あまり大きく取り上げられない。

その結果、血液型性格診断が似非科学だ、と知らない人が増え、悪循環となる。




最初に書いたのだけど、血液型占いを信じることの善し悪しを言いたいのではない。


ただ、似非科学ってこうやってひろまるんだなぁと、興味深い事例として知っておいてもらうといい。


六曜だって、たった 20年程度で「ずっと昔の伝統」だと思われたし、血液型占いも 20年程度で本気で信じられるようになった。



この後の動きも大体わかっていて、否定意見が徐々に浸透して廃れていく。

だけど、それは若い世代が正しい認識に至るだけで、今信じている世代が考えを変えるわけではない。


つまりは、新しい時代の「老害」だ。害をなす主役は、今の大学生あたりの世代だろうね。




とりあえず血液型占いをサンプルに、その登場から普及までを書いたら、それなりの行数になってしまった。


もう一つ、血液型占いが広まる上で非常に重要だった「確実に当たる占い」の話を書きたい。


血液型占いがこんなに普及してしまったのは、ちゃんと「当たっているから」だ。

似非科学だけど、ちゃんと当たる。そこにはカラクリがある。


でも、それはまた別記事で


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当たる占いの作り方  2017-07-03 16:11:10  その他

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占い話の続きです。


最初に書いておくけど、僕は占いを否定しない。

読み進めると、占いを似非科学だと糾弾しているように見えるかもしれないけど、そうではないので落ち着いて最後まで読むように。


そして、これから書くことは「無粋」の一言に尽きるので、占い好きの人は読まないほうがいい。



一応自分のプロフィールを書いておけば、大ヒットした占いゲーム機のプログラマーだった。

(このサイト内で探せば、何のゲームかわかる。

 でも、あえてリンクしない。ここで名前を出せば、ゲームに関わった人に迷惑を掛けるから)


その後も、いくつかの占いゲーム機に関わったし、携帯コンテンツの占いで大ヒットしたコンテンツのプログラムをやった。

(こちらの名前は、まだこのサイト内で明らかにしていないので探しても無駄)


高校時代、興味があってタロットカードとかもやっていた。


占いそのものは好きだし、上に書いたように占いプログラムなんかも好き。

今でも、雑誌などの占いコーナーは楽しく読んでいる。




「当たるも八卦、当たらぬも八卦」という言葉がある。


八卦というのは、中国系の占いを貫く基礎概念で、ここでは「占い」の意味で使われている。

つまり、占いは当たったり外れたりする、ということ。


「占いなんてあてにならないから気にするな」という文脈で使われたりする。


でも、それはこの言葉の真意ではなくて、「占いと一括りにするが、占い師によって当たるものもあれば、当たらないものもある」が正しい意味だ。

良く当てる占い師は、本当に良く当てる。そして、ダメな占い師は全然当たらない。



占いというと未来のことを予想する技術だと思われがちなのだけど、もしそうであれば、「よく当てる」なんていうのはオカルトだ。

そんな技術はない、と断言できる。


良く当てる占い師というのは、そうではなくて「あたった」と思わせるのがうまいのだ。

占って欲しい人の心理を巧みに突いて、当たったと思わせる。これは心理学で、科学だ。似非科学ではない。


でも、当たらない占い師は、「占い」という似非科学を信じ、当たらないのは自分の占い技術が低いからだ、と、日々精進しようとする。

残念ながら、それではいつまでたっても当たらない。


結局、占いの世界でも、頭の良い人はうまくやるし、頭の悪い人はダメだという話。




占いっていうのはカウンセリング技術で、相談者を悩みから解放するためのものだ。

だから、相談者が納得して悩みから解放されるのであれば、その裏にどんな技術を使っていたってかまわない。


タロットカードとか、非常によくできていて、1枚のカードに2重3重に意味を持たせている。

有名な「死神」のカードであれば、死とか破局とか悪い意味だと思っている人が多いのだけど、


・死

・破局

・新たなる始まり

・再生

・収穫

・希望


…などなど、全く正反対とも言える意味を持たせてある。

(逆位置に、とかではなく、そのままで正反対の意味にできる)


その意味はちゃんと絵の中にもシンボルとして描かれているので、「ほら、ここを見て」と示して解説することで、信じてもらいやすい。


ホロスコープだってそうだし、手相だってそうだ。

1つのシンボルに対し、2重3重の意味がついていて、占い師の思うがままの意味を持たせることができる。


先に書いたように、この意味にとらわれすぎて、カードの意味をできるだけ解釈するような占い師はあたらない。

全部の意味を言ったら、答えがぼやけて何を言っているのかわからないし、そもそもあんなカードで未来がわかるはずがない。


良い占い師は、相手の心理を読み解いて、その人に適したアドバイスをするのだけど、その道具としてカードを使う。

伝えたい言葉に一番近い「意味」をクローズアップして見せて、この通りお告げにもあるから、あなたはこうすべきだ…と後押しする。



悩みっていうのは、大抵相談する時点で本人の答えは出ているのだけど、怖くて踏み出せないだけ。

それを「そういう運命だ」と示してあげれば、納得して一歩を踏み出せるし、実は本人が出した答えなので悪いことにはならない。




それなら精神科医のカウンセリングを受ければ、と思う人もいるかもしれないが、それではダメだ。

悩みを持っている人は、自分ではそれが「些細な悩み」だと思いたい。


だから、精神科医を訪ねる、というのは障壁が高すぎる。でも、悩みを打ち明けないと心が押しつぶされそう。

こういう隙間に現れて人助けをするのが占い師で、良い占い師は自分の仕事の価値をよく理解している。


#ちなみに、良い占い師なんて全体の1割もいない。

 占い師に限らず、精神科医だってそうだし、どんな世界でも良い人には巡り合いにくいものだ。




ところで、僕が作っていたような占いゲームでは、対面で仕事をする占い師のようなことはできない。

そこで、文章テクニックを駆使するわけだけだ。


占いゲームや、雑誌なんかの占い文章というのは、大雑把に言えば次の3つの部分からなっている。


・現状分析

・未来に起こること

・未来へのアドバイス


文字数の制約によっては現状分析は端折られる場合もあるけど、基本的にはこの3つをセットにする。


読む人は、現状分析をまず読み、自分に当てはまることを確認することで「この占いは信頼できそうだ」と判断する。

逆に言えば、現状分析さえ正しく当てていれば、占い全体を信用してもらえる。



現状分析の文面は、例えばこんな感じ。


・普段は見せませんが、あなたには非常にやさしい面があります。

・人知れず努力しているあなた。

・仲の良い友達といるとき、普段とは違う安らぎを感じませんか?

・今は離れているけど、懐かしい人に会いたいと思うときはありませんか?


人には知られていないけど、あなた自身の内面はこの通り、というような文面がいい。


上の文面はどれも、誰にでも当てはまるようなことしか書いていない。

でも、妙に具体的に言われると、「よくわかってくれている」って、多くの人が共感する。


これで共感を得てしまうと、「この占い、あたっている」という気分になる。

未来のことなんてその時点ではわからないし、本当に「未来」になるころには、占いの内容なんて忘れている。

だから、現状分析で共感を得れば、「当たる占い」という印象は強くなる。




とはいえ、占いだから未来予知は大切だ。

ここでも、同じように「誰にでも起きること」を書こう。



・今日の午後、知人が嬉しい話を持ってくるかもしれません。

・身近な誰かが、あなたの努力に気付いてくれそうです。

・残念ながら、今日は悲しいことが起きそうです。

・いつもと違う道を通ると、なにか発見がありそう。


これも、なんでもいい。

大切なのは、誰にでも毎日起こっているようなことを、いかにもそれらしくいうこと。


違う道を通ったら何か発見があるのなんて当たり前だし、努力していればだれか気づくだろう。

1日の間にはいい話も、悪い話も持ち込まれるが、持ち込むのは大抵「知人」だ。



最初の現状分析は、妙に具体的にしたほうが「当たっている」感じがする。

だけど、未来予測はできるだけぼかす。ぼかしながらも、言い切ることでぼかしている感じを消す。


そうすると、何かあった時に、「あ、これが占いで言っていたことかな」って勝手に当てはめてくれる。




未来へのアドバイスは、未来予測をうけて、適当に当たり障りのないことを書く。


先に挙げた


・今日の午後、知人が嬉しい話を持ってくるかもしれません。


の後に書くのであれば


・でも気を付けて。まずは落ち着いて情報を集めてみましょう。

・知人と一緒に、ささやかなお祝いなどいかがでしょう?

・まずは話に乗ってみましょう。迷うのはその後で。


とか、なんでもいい。

なにか話を持ち込まれたときに、取るべきパターンを思うように並べておけば体裁が整う。


アドバイスなのだから、「未来予測」が当たった際に、次に取るべき行動…誰でも気軽にできることを書くのがコツ。

もちろん、誰でもとるような行動だから、「占い通りにしたらひどい目にあった」というようなことにはならない。




はい、これで占い文章一丁上がり。

「誰にでも当てはまる」ことしか書いていないのだから、確実に当たる。


ここまでの話で興味を持った人は、雑誌の占いコーナーなどで、「自分とは違う項目」の文面を読んでみるといい。

それでも当たる。だって当たることしか書いていないのだもの。



先の例は、最低限の短い文章だ。

雑誌に載せる占いコーナーなら、この程度の短さでもいいかもしれない。


占いゲームの場合、「文章を読む」のが楽しみの一つでもあるので、400字~1000字くらい欲しい。

こうした肉付けは文章力が物を言う。方針はわかったのだから、後は書くだけ。



あとは、この文章をたくさん…雑誌に載せる星座占いなら12個、占いゲームなら…そうだな、1000種類くらい用意しようか。

ゲームの中に「占いのジャンル」(総合運、恋愛運、金運…など)があるなら、それぞれに1000種類。


100種類くらいだと、毎日占っていると1か月程度ですぐに「同じ文章」に遭遇することになる。

同じことばっかり言っている占いでは、すぐに信憑性が落ちてしまう。


1000種類くらいあれば、同じ文章が出るころまでには、それが同じ文章であることも忘れてしまっているだろう。


占い師の本当のすごさっていうのは、占いの技を習得しているとかではなくて、こういう文章をたくさん書けることだと思う。

(星座占いだって、毎日12種類、何年も書き続けるような人がいる。すごいと思う)




占いゲームが、こうした文面をランダムに出しているだけだと思われるのもどうかと思うので、もう少し書いておこう。


先に書いたように、占い師は相談者にとって最も良いと思うアドバイスをする。

とはいえ、多くの占いには「占い手順」があって、そのアルゴリズムに従えば、コンピューターでも「それっぽく」結果を出すことができる。


中には「霊感占い」とか「水晶玉占い」のように、アルゴリズムが定まらないものもある。

そういうものは、占いゲームの対象にはできない。


#オーラ写真、という霊感に近い分野を扱った占いゲーム機はあったけど、あれはあれでアルゴリズムがある。



さて、アルゴリズムがあるのであれば、それを忠実にプログラムするのがプログラマの務めだと思う。


たとえゲーム機と言えども、占いをする人は真剣な悩みを抱えているかもしれない。

それに対しては誠実に向き合わなくてはならない。「ランダムでいいや」なんて態度は真摯でないと思うのだ。


…まぁ、これは僕の考え。世の中には「ランダムでいいや」な占いゲームだってあるかもしれない。

僕はいくつかの占いゲームに関わったが、そのすべてで真面目にプログラムを作成した。


でも、先に書いた通り、文章はどれを見たって当たるようにできている。


実際、僕は関わっていないのだが、先輩が作った占いゲームの実装ミスが発覚したことがある。


詳細は書かないが、発売後数年たってから本職の占い師の方がたまたまあそんで、画面表示がおかしいことに気付いたのだ。


#ゲームにはちゃんと占い師さんの監修があったのだけど、その方はアルゴリズム発案と文面作成が主な仕事だったので、完成後のチェックは甘かったようだ。


気付いた方が親切に手紙をくださり、アルゴリズム実装ミスが発覚したので慌てて修正、新規 ROM を全国の店舗に送って差し替えた。


でも、この数年誰も間違いに気づかなかったし、「よく当たる占い」と評判だった。

極論すればランダムでも当たっただろう。それでも、修正版 ROM は作られたし、差し替えられるのだ。


当たった、と感じるのは、結局占いの技術ではなく、相談者の気持ちの問題だから。

その気持ちを裏切るようなことをしていれば、いつか「当たる」という評価を頂けなくなる。


だから、たとえバグが占いの精度に関係ないとしても、バグを修正して、より「当たる」ように心がけるのだ。



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セレンディピティ  2017-07-06 18:23:40  その他

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20世紀最後の年、2000年のノーベル賞受賞者は、日本人の白川英樹博士だった。


導電性高分子…電気を通すプラスチックの発見による受賞。


いきなりの余談なのだけど、会社の同僚で仲の良かった奴が、「なんでプラスチックに電気通したくらいでノーベル賞なの? 電気通したいなら金属使えばいいじゃん」と言っていた。


そこで、「プラスチックは透明だから、液晶ディスプレイが作れた」と言ったら、驚いた顔で無言になり、一瞬後に「その発明はノーベル賞もんだ!」と納得していた。


#いつの時代もそうだけど、日本でのノーベル賞の報道は、その受賞研究とかが紹介されず、交遊録とかばかり。

 だからその知人が不勉強だったわけではない。

 

 ちなみに、「ポリマー充電池」などもこの物質の応用で、軽くて自在な形にできるのでモバイル機器に活用されている。




さて、白川博士を紹介したいのではなくて、博士の受賞スピーチに出てきた「セレンディピティー」という言葉の話。


これ、博士のスピーチ以前は、日本人のほとんどが知らない単語だった。

当時、この耳慣れない言葉を、多くの新聞などで「セレンディップの三人の王子、という童話のように、思いがけない幸運に出会うことを意味する言葉」と解説していた。


今では、「セレンディピティー」という言葉を、多くの日本人が知っている。

でも、相変わらず、言葉の元となった童話がどんなものかは知らない。


どんなお話なのか気になっていた。

セレンディピティーという言葉は中世に作られたというような解説も読んだことがあったので、そのころのお話なのかな、とも。



先日、子供を図書館に連れて行ったとき、児童書のコーナーに「セレンディピティ物語 幸せを招ぶ三人の王子」という本を見つけた。


喜んで借りてきた。本の前書きにも、白川博士のスピーチの件が書かれている。


元は、5世紀ごろに成立したお話だそうだ。まだ日本が中国から「倭」と呼ばれていた時代。(倭の五王の時代)

童話というよりは民話だな。誰かが作ったものではなくて、自然発生的にまとまったお話。


セレンディップ、という国の三人の王子が主人公だけど、セレンディップというのは、セイロン、スリランカのその頃の名称だそうだ。


16世紀…大航海時代のさなかにはヨーロッパに物語が伝わり、イタリアで本として出版されている。

異国情緒あふれる物語として楽しまれたようだ。



そして18世紀、正確には 1754年に、イギリスの小説家が友人への手紙の中で「セレンディピティ」という造語を使っている。

子供の頃に読んだ、セレンディップの三人の王子にちなんだ造語だとして、その言葉の意味も定義している。


これが広まり、20世紀中ごろにはイギリスではよく使われる言葉になる。

その後徐々に世界に広がり、20世紀の最後の年に、やっと日本にも入ってきたというわけだ。




話を急に変えるのだけど、少し前に、インドネシアの影絵芝居を見た。


本来一晩中語り明かすことが多い物語で、ストーリー性よりも「一晩中語り続ける」ことが重視されている節がある。

影絵の人形を使ってはいるが、一人芝居。だから、思い付きで話は転がっていくし、いくらでも引き伸ばせる。

もっとも、大まかな骨子は決まっていて、驚きの展開とかにはならないので、見るほうも長い話の途中で寝ても大丈夫。


当然話はグダグダなのだけど、そんなことはどうでもいいのだ。

夜通し続けるような祝い事の席で、これも起きている人がいる限り、「にぎやかし」に上演を続ける、ということが重要なのだから。




で、「セレンディップの三人の王子」にも、同じような雰囲気を感じた。

スリランカからインドのあたりが舞台で、次の王位継承者にふさわしい人格を備えるために、王様の命令で旅に出た三人の王子が主人公。


一人は知恵者。一人は勇敢で、一人は工作技術に長けている。

三人が力を合わせながら難題を切り抜けていくのが見所。


旅の目的は「島の周りに生息する竜を退治する薬を手に入れるため」なのだけど、行く先々で様々な人に会う。

それらの人の悩みを解決するために走り回り、時には命を懸け、決して自分たちが王子だとは明かさない。


ピンチにあっても、ご都合主義的展開で必ず成功する。

そして、当初の予定になかった「すばらしいもの」が成功報酬としてついてくる。


隣国の傲慢な王様は、彼らの働きに改心したばかりか、是非妹と結婚してやってくれないか、と申し出る。

さらに隣国の女王は、国を襲う怪物を退治した彼らに結婚を申し込み、一緒に国を治めてほしいと頼む。


女王には生き別れの妹がいたが、傲慢な王様はそうとは知らずに、偶然会った彼女に恋していた。

行方知らずの妹を見つけ出し、王様に合わせるとともに、その生い立ち語りから女王の妹であるとも判明する。



結局、竜を退治する薬を見つける、という旅は失敗に終わっている。

でも、探索は失敗だけど、目的は果たす。


薬の秘密は仙人が知っているのだけど、彼らは仙人に礼儀を尽くし、無理に秘密を奪おうとはしなかった。

仙人はこれに感心したのか(彼は一切喋らないので理由は不明のままだけど)、仙人がいたるところに薬をまき、国は平和を取り戻す。



こうして旅は終わるのだけど、旅の最中に、王子であることを隠し、粗末な身なりをしていた彼らに優しくしてくれた女性がいた。

貧乏ではあるが、非常に聡明な女性。


王子の一人は、彼女に恋をし、身分を隠して彼女の元に通い、結婚の約束を取り付ける。

これで、主要な登場人物全員が結婚相手を見つけ、幸せになる。



旅の目的は失敗に終わるけど、そんなことよりも多くの幸せを見つけて結果オーライ。

…これが「セレンディピティ」という言葉の元となった物語の骨子だ。




なかなか面白かった。

ご都合主義とか、途中納得いかない部分もあるけれど、全員が幸せに終わる物語というのはいいもんだ。


五世紀に成立した話が今でも伝わっているというのだから、インド文化は懐が深いと思う。



ちなみに、読んだ本はアメリカ人が話をまとめて本として出版したのを、日本語訳したもの。

古いお話なので亜流は山ほどあると思うし、お話ごとに細かな部分は違うんじゃないかと思う。


先に書いたインドネシアの影絵といっしょで、骨子くらいしか決まってないんじゃないかな。



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ジョージ・イーストマン 誕生日(1854)  2017-07-12 10:52:12  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日は、ジョージ・イーストマンの誕生日(1854)

写真で有名なコダック社…正確には、イーストマン・コダック社の創業者です。



写真は、19世紀の序盤…1826年に発明されています。

最初は、撮影に8時間もかかるものでした。


しかし10年ほどで撮影時間は 10~20分ほどに短縮されます。

ただし、この方法は「左右が反転してしまう」「高価」などの問題がありました。


さらに 15年ほど…1851年には、左右が正しく記録され、安価で、わずか15秒で撮影でき、しかも何枚でも複製が可能という方法が発明されます。


この方法の欠点は、撮影時にガラスに「薬品」を塗り、これが乾くまでに撮影・現像・定着などの作業を行わなくてはならないこと。

薬品の専門知識が必要ですし、写真館での撮影ならともかく、屋外での撮影にはたくさんの荷物を運ばなくてはなりませんでした。



そして、この方法からもたったの 20年で…1871年に、あらかじめ薬品を塗って乾かしたガラス板を使用する「写真乾板」が発明されます。

乾板の製造、撮影、現像が、遠く離れた場所でできるようになります。


「カメラ」自体はそれまでのものが使え、撮影のためのガラス板を変えればよいだけだったため、「写真乾板」は、あっという間に普及します。




ジョージ・イーストマンは、写真乾板の大量生産方法で特許を取得し、1880年に工場を設立しています。

翌年には会社組織化し、「イーストマン乾板会社」を設立。


1885年には、それまでガラスに塗るのが当たり前だった薬剤を、紙に塗って巻き取った「ロールフィルム」の製造を開始します。


エジソンとの共同研究によるもので、開発中だった「映画」での使用を想定していました。

後々までカメラ用フィルムとして使用される 35mm という幅は、このときに決定しています。


(この映画を見る機械、「キネトスコープ」は1891年に公開。その前に撮影機が完成しているようだが、一般公開したものではないので完成年不明)




そして、1888年。

イーストマンは、この「ロールフィルム」を使った新しい商売を始めます。


小型のカメラの中に、ロールフィルムがセットされた状態で売っています。

これで、100枚の写真が撮影できます。


フィルムが終わったら、カメラと 10ドルを現像所に送ると、すべての写真をプリントし、新しいフィルムを装填して返送されてきます。



これ以前は、カメラというのは専門知識が無くては扱えないものでした。


フィルムは光に弱く、取り出し・装填には間違えてはならない手順がありました。

そして、当時のカメラは、写真1枚ごとにフィルムを入れ替えていました。


また、フィルムの現像・プリントなども専門知識が必要でした。


これを、「100枚連続でとれる」ようにして、手間を無くしたのです。

そして、複雑な取り出し・現像は専門家に任せる、というサービスをセットで売ったのです。


それまで専門家しか撮れなかった写真を、一般に開放したと言えます。



このときのキャッチフレーズが「You press the button, we do the rest」。

意訳すると「ボタンを押すだけ。後は我々にお任せを」という感じかな。


このときに、カメラのブランドとして新しく作ったのが「Kodak」という単語です。

イーストマンが好きなアルファベットが K で、「K で始まり、K で終わる、短くて力強い音の言葉」として作り出した造語で、意味はありません。



ところで、フィルムを使い切ったらカメラごと現像所へ…って、1980年代後半に流行した「レンズ付きフィルム」と同じ感覚です。

レンズ付きフィルムは「新しい物」に思えたのですが、100年前に同じような商売があったのですね。




翌年、1889年には、フィルムを紙ではなく、透明なセルロイドで作成するようになります。

先にキネトスコープの話を書きましたが、実際のキネトスコープでは、こちらのセルロイドフィルムを使用しています。


セルロイドは、紙と同じように植物由来のシートです。

紙は物理的に繊維をほぐし、形を変えたものですが、セルロイドは科学的に溶かして生成します。


そのため、紙よりも表面が滑らかで、薬剤を均一に塗ることができますし、透明なので光を透過するという利点もあります。


#ガラス乾板では、光を透過させることで写真の複製を行いました。

 同じことができるようになったわけです。



問題点もいろいろあり、後にセルロイドは使われなくなるのですが、それはまた別の話。




1890年には、イーストマンは「折り畳みカメラ」を発売します。

カメラはその構造上、光を通さない頑丈な箱である必要がありますが、折り畳み式にしてポケットに入るようにしたものです。


高価なものだったようですが、気軽に使えることからヒット商品となります。


これで「コダック」の名前が知れ渡り、1892年には社名を「イーストマン・コダック」に変更。




ところで、1897年に、有名な小説「ドラキュラ」が刊行されています。


序盤で、ドラキュラ伯爵からロンドンにある邸宅を買いたい、という依頼を受けた主人公弁護士が、ペンシルバニアに行って伯爵と話をするシーンがあります。


ここで、遠い異国の邸宅の様子を詳しく聞きたいという伯爵に、主人公が


 I have taken with my kodak views of it from various points.

 いろいろな場所からの眺めを、私のコダックで取って来ましたよ。


答えるのです


当時、「コダック」が、カメラと同じ意味で使われていたことがよくわかります。


#作者のブラム・ストーカーは新し物好きだったようで、ドラキュラの中には、当時の最新の発明が次々出てくる。

 多くの人の日記を繋ぎ合わせる形で話は進行するのだけど、タイプライター(1890年頃から普及)や、蓄音機(1877年発明)で日記を記録する人々がいる。

 電話機も出てくるが、これも 1890年代に普及。

 「最新で科学的な世相」の中に、「中世から生きている化け物」が紛れ込む、という筋立てが当時の人には恐ろしかったのだと思うけど、今読むと全部古臭くてカッコいい。




実業家としては成功を収めたイーストマンですが、その生涯はあまり幸せそうではありません。


13歳の時に父が病死。16歳の時には、2番目の姉が病死。

イーストマンは、高校を中退して働き始め、コダック社の成功に至ります。


苦労しながら自分を育ててくれた母に孝行したい、と多くの贈り物をしたようですが、母は高価な贈り物を受け取ろうとはしなかったようです。

苦労したからこそ、子供が自分への贈り物にお金を使うよりも、自分のために使ってほしかったのかもしれません。


そして、1907年の母の死。

晩年は病気を患っており、少し動くと痛がり、車椅子生活だったようです。


結婚もしておらず、親族のいないイーストマンは、慈善活動にお金を使うようになります。

大学や病院などに多額の寄付を繰り返し、彼や、彼の母の名前を付けた施設がたくさん作られています。



1930年頃から背骨の病気を患います。立つことも歩くのも痛く、何もできない日々。

おそらくは母と同じ病気です。


そして、1932年 3月 14日に、ピストル自殺。


遺書にはただ短く、こう書かれていました。


 To my Friends, My work is done. Why wait?

 友へ、仕事は終わった。なぜ待つ?



待つ…何を待つ?


おそらくは、痛みを耐えながら迫りくる死を…でしょうね。

苦痛しかなく、その先に待つのが死であれば、待たずに今すぐ…ということなのでしょう。




彼は「仕事は終わった」と言葉を残しました。

確かに、十分すぎるほどの仕事を…世の中を大きく変えています。


カメラを作ったのは彼ではありませんが、カメラを誰でも使える道具にし、普及させたのは彼でした。



20世紀は「映像の世紀」「情報化時代」などと呼ばれます。

カメラは、遠い異国のニュースであっても、危険な戦争の前線の話であっても、文章よりも雄弁に情報を伝えてきました。


そして今も、情報機器…スマホなどの重要な機能として、カメラが組み込まれています。

この世の中は、ジョージ・イーストマンによって生み出されたのです。



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あきよし】 誤字指摘ありがとうございます。無粋なんかではなく、ありがたいですよ :-) できるだけ読み返して推敲もしているのですが、趣味に使う時間も限られるもので、誤字脱字・そもそもの情報の勘違いも多いです。 (2017-07-26 09:15:13)

【セイ】 更新いつも楽しみにしています。無粋ではありますが誤字指摘です。「広告を中退して」→「高校を中退して」 (2017-07-13 11:28:42)

ルビク・エルネーの誕生日(1944)  2017-07-13 16:22:37  その他

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今日は、ルビク・エルネー(Rubik Ernő)の誕生日(1944)


ハンガリー語の名前よりも、英語表記の「エルノー・ルービック」のほうがわかりやすいかもしれません。

ルービック・キューブの発明者です。


彼は、彫刻家で建築家。

立体造形の専門家、と言ったほうが良いでしょうか。


大学で、立体造形の面白さを学生に伝えるべく教鞭をとっていました。


1974年、彼は、部品が固定されているわけではなく自由に可動し、しかし全体としての構造は決して壊れない、という不思議な造形を作り出します。

全体としては立方体で、1つの面が縦横3つに分かれた9分割になっています。


彼はこれを「マジックキューブ」と名付け、学生に披露します。

多くの学生が、この不思議な造形に深い関心を示しました。



そこで彼は、この構造の特許を取り、プラスチックで大量生産できる形状に改良して、大量生産を試みます。




ところで、当時のハンガリーは共産主義の国です。


共産主義では、すべての経済は国によって統制されます。

どこの工場で、何をどれだけ生産するか、それをどれだけの価格で売り出すか、などは国が決めます。


ルービックは、国の計画にはない「新しいおもちゃ」を製造しようとしたわけで、なかなか協力してくれる工場は見つかりませんでした。



ただ、共産主義と言っても国ごとに体制はまちまちで、ハンガリーは比較的「管理の緩い」国でした。

全ての生産活動が国有なわけではなく、わずかとはいえ民間企業もありました。


ルービックも、最終的には製造工場を見つけ、1977年に「マジックキューブ」を発売しています。



以前書きましたが、共産主義国のソ連で生まれた「テトリス」が最初に市販されたのも、ハンガリーでした。

共産主義国でありながらソ連からの圧力に反発し、最終的にベルリンの壁の撤去や、ソ連崩壊を招いたのも、ハンガリーです。




1979年、マジックキューブが、ドイツのニュルンベルグで行われた、玩具展示会に出品されます。

ここでの展示は好評で、続けてロンドン・パリ・ニューヨークの展示会にも出品されます。


ここで、アメリカのおもちゃ会社が販売ライセンスを得ます。

この際に、「マジックキューブ」という凡庸な名前を変更しようと考えました。


複雑すぎて誰も解けない、という「ゴルディアスの結び目」や、貴重で高価な細工物を意味する「インカの黄金」など、いくつかの名称案があったと言います。

しかし、最終的には発明者の名前を冠した「ルービック・キューブ」となりました。


アメリカでの発売は 1980年5月。

日本でも7月には発売され、入手できないほどの大ブームを起こします。




日本発売以降は、知っている人が多いと思うので説明するまでもないでしょう。

以下は個人的な思い出。



入手困難なほど売れたので、偽物が出回りました。うちにあったのも偽物。


Wikipedia によれば「2月には海賊版が出回る」となっているのですが、購入したのは1月です。

祖父の急死で母の実家に行き、1月だったので集まった親戚からずいぶんお年玉をもらいました。

その帰りに駅ビルのおもちゃ屋で兄が見つけて購入したので、1月で間違いありません


その時点では、「偽物が出回っている」なんて知りませんでした。本物のつもりで買ったのです。


しばらく後に、20円のガチャガチャで、「6面完成法」を書いた小さな紙を売っていました。

あたりだと、20円ガチャのカプセルに入るサイズに小さく作った偽物のルービックキューブが入っているのだけど、この「完成法」も十分なあたりだった。

だって、家に誰も完成できないキューブ(偽物)が転がっているんだから。


#この紙、ある程度後期のルービックキューブ(公式)に付属していたものを、丸パクリして小さく印刷しただけのものだったらしい。

 著作権も何もあったもんじゃない、1980年代の話。



ルービックキューブに刺激され、立体パズルゲームが起きました。

うちの家族が面白がって買ってきたので、今でもいろいろ残っています。


3×3ではなく、2×2の構造のものを見つけ購入しました。

…が、これ、「真ん中の列がない」と考えると、ルービックキューブと同じアルゴリズムで解けてしまう。


4×4も、5×5もでました。

でも、これらもちょっと工夫すると、通常のルービックキューブと同じ状況に落とし込めるのですね。


結局、3×3は、シンプルでありながら十分複雑な構造を作っていたと判ります。




同じルービックさんの作品としては、ルービックスネークというのもありました。

正方形を分割した三角柱を回転する関節で繋いだ構造で、正解のある「パズル」ではなく、自由な形状を作って遊びます。


ルービックさんの意図としては、キューブも「いじっているだけで面白い構造」だったのですが、すでに完成させるパズルとしてヒットしています。

それに対し、スネークは正解がなかったため、あまり売れなかったように思います。


あと、ルービックマジック。

板が自由にパタパタと動くパズルなのだけど、発売されたころにはパズルブームも去っていたし、構造的にも子供が紙で作る工作に似ていた。

(子供の紙工作よりも自由度がずっと高いのだけど)


なので、これは僕は遊んでません。




現在は、6面完成にかかった時間を競う「スピードキューブ」という公式競技があります。

昔から速度競技はあったのだけど、今は電子的に時間を計測するので、1/1000 秒レベルで競われます。


…この計測機器、カップスタッキング用に開発された奴だよね、って以前から思ってました。

日本ではカップスタッキングがマイナーなので、すっかりスピードキューブ用の機器だと思われている気がする。


…いや、スピードキューブもマイナーか。

単に工夫したタイマーなので、真似したというより「使えるものだから使った」だけだと思うけど。




同時期に流行した他社製品。


「立体パズルが流行」ということで、工夫を凝らしたものがいろいろ発売されました。


結構類似アイディア多数だったのが、円筒形の上にスライドパズル(いわゆる15パズル)を作ったもの。

ピースは自由には動かず、円筒の長辺方向に動きます。

そして、分割された円筒を回転させることで、周方向にも動かせます。


…やってみるとわかるけど、結局スライドパズルです。

スライドパズルはもともと好きなので、見た目が変わっただけであまり面白いとは思わなかった。


立体でパズルなんだから、と、単に知恵の輪のリバイバルもあったように思います。

今でも売っている「キャストパズル」とか、いったんはこの頃に出てきたのではなかったかな。

(後に再ブームを起こしますが)



任天堂の「テンビリオン」。

これは、ヒットしました。ポストルービックキューブとしては本命だったのではないかと思います。

うちにもなぜか2個ありました。兄弟が多いので、「おもしろそう」で買ってきたのが重複したらしい。



これも、上に書いたような「円筒形スライドパズル」なのですが、一ひねりしています。

なので、あまりスライドパズルという感じはありません。


難易度は「スライドパズルだ」と気づけば難しくありませんが、ひねってあるので気付くまでは難しいです。

この絶妙の難易度が受けて、特にドイツで大ヒットだったそうです。




話はどんどん逸れますよ。

以下はルービックさんの話ではなく、ほとんど雑談。



ルービック・キューブの特許取得は 1975年。

でも、発売は 1977年だし、日本で知られるようになったのは 1980年。


これに対して、日本でも 1976年に同様のおもちゃを考案し、特許を出願している人がいます。

『サイコロ型回転式組合せ玩具』


上のリンクを見ると、出願が昭和 51年 = 1976年 とわかります。

公開番号、広告番号のリンクで、特許の概要もわかります。



今では、特許は「公知になっていない技術」にしか与えられません。

しかし、1976年当時では、外国の特許がある(つまり、技術が公知になっている)としても、十分に調査する技術もなく、また法律もそこまで求めていなかったため、特許が成立してしまうのです。


でも、公文書だからこそ、ルービック・キューブのほうが申請が速いとわかります。



そんなわけで、「大ヒットおもちゃを考案していたけど、わずかな時間差で泣いた人」として、この人がテレビ番組に出ていました。

たしか、「小川宏のなんでもカンでも!」という番組だったと思う。


そこで作成した実物も持ってきていたのですが…

発想としては同じなのですが、少し大きくて扱いづらそうなのと、6面に絵を貼っていて「絵合わせパズル」にしてしまっているのですね。



ルービックキューブの各面が「色」だけになっているのには意味があって、絵にすると理不尽な難易度になってしまうのです。

ピースの位置が正しかったとしても、中央のピースが「回転」してしまい、この制御がややこしいのですね。


#ルービックキューブの中央ピースに自分で印をつけて、その回転方向も正確に合わせる…という、あえて難易度を上げた遊びもあるそうです。



なので、ゲームとしてのルービック・キューブは本当によくできていたと思うのです。




ところで、ハンガリーの特許が先に成立していたとしても、国内は国内で特許が成立しています。

そして、特許は国ごとの決まりですから、成立した以上、この特許は有効です。


番組的には「わずかな時間差で泣いた」ことになっていたのですが、今の知識で考えると、それだけではなさそうです。



特許というのは、「見た目」ではなく「技術」に与えられるものです。


#見た目であれば意匠登録とかしないといけない


そして、この特許をよく読むと「球にビスで留める」という構造(技術)を、特許要件にしているのです。


ルービック・キューブを分解してみたことがある人ならわかりますが、中に球なんて入っていません。

なので、ルービック・キューブは、そもそもこの特許に抵触していません。



…書きすぎ特許ですね。

発明者が直接特許を書くと、構造を説明しようとして詳細に書きすぎてしまうことがあります。


その場合、構造を少し変えてやると、特許に抵触しなくなるのです。


#曲がるストローの話とか有名。

 蛇腹部分を「六角形に作る」と書いてしまったが、これは使いやすくするために、繊細な加工を工夫した部分だった。

 後から出てきた類似商品はそうした繊細加工が無く、みんな丸だったので使いにくいが、特許に抵触しなかった。





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テレワーク・デイ  2017-07-24 12:27:54  その他

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今日はテレワーク・デイらしい。

3年後の今日に東京オリンピックが開幕するそうで、3年後に向けてテレワークを増やそう、という意図。


オリンピックは、海外からも多数の人が来ると予想される。

タダでさえ過密な東京が、もっと過密になる。


じゃぁ、東京で働いている人のうち、東京に来る必要がない人が、東京に来なければいい。



実際、ロンドンオリンピック(2012)ではそういう理論で、テレワークを推奨したところ普及したのだそうだ。

日本もそれに倣おう、という試み。




1990年代後半がインターネットの普及黎明期なのだけど、2000年に入ると ADSL が普及し始め、家庭でも常時接続が増える。


これにより、情報だけであれば、家庭にいても気軽に入手できるようになった。


会社に出向かないと仕事ができない人…営業とか、直接顔を合わせないとどうしようもない人はともかくとして、そうではない人は家にいても仕事ができる。

情報ではなく「もの」を相手にしていたとしても、時々成果物を提出すればいいことにして、在宅作業を増やせる。


そのようにすると、会社は大きなオフィスを維持する必要がなくなる。


家賃・土地代、さらにはオフィスの電気代などの光熱費、社員が集中することで社員食堂を用意しなくてはならない福利厚生費、社員に使わせるパソコンや机などの機材費…

その他、多くの出費を抑えられる。


「顔を合わせない」ことの効率の悪さがあったとしても、それを補って余りある節約効果がある。


これで、アメリカではテレワークが一気に広まった。


実は、会社がパソコンや光熱費に金を使わなくなった分、個人がパソコンを購入し、回線契約し、クーラーをつけて快適に仕事をしなくてはならない。

一極集中させればスケールメリットで安くできるところを、分散しているので効率が悪いともいえる。


でも、普段から趣味で良いパソコンを買い、速い回線を求めるような「技術者」にとっては、わざわざ仕事のために出費が必要、とは考えない。


それどころか、アメリカでは納税は個人で行うから、「趣味のもの」が「仕事のもの」に変わることで、必要経費となって税金が圧縮される。


何と言っても、快適な我が家から出なくてよいのだ。


会社では「眠いから昼寝」なんて許されないけど、自宅ならそれも可能。

依頼された仕事を、期日までにちゃんと仕上げれば何も問題はない。


会社側にも、労働者側にもテレワークのメリットがあった。




アメリカではいち早く普及したが、イギリスでは普及が遅かった。5年は遅れていた。

そこで、先に書いたように、ロンドンオリンピックに関連付けて、テレワークの導入が推進された。


…イギリスの事情は詳しくは知らないのだけど、それで定着したというのだから、成功だったのだろう。



そして、日本だ。5年遅れていたイギリスよりも、さらに8年送れている。

干支一回りしているのだから、周回遅れと言っていいだろう。


実のところ、これまでにも何度も、テレワークの推進策が取り入れられている。

でも、全く定着しないままここまで遅くなった。


技術的な問題ではない。今や多くの家で常時接続が普及しているし、パソコンだって普及している。

テレワークは「全員に」強要するものでもないので、技術が不得手な人間はやらなくてもいい。


それでも普及しない。

つまりは、日本人のメンタルに徹底的に合わないのだ。


でも、メンタルって、結局「理由はない」ってことだからね。

会社の人事部と総務部と技術部が面倒を背負い込む覚悟があれば、十分に導入できる。


たぶん、それこそが一番難しいことなのだろうけど。


#これらの部署は会社を回す屋台骨だと思うのだけど、事務仕事だと思われ、軽んじられている。

 十分な人員も配備されないので、面倒を背負い込むことなんてできない。




以前にも書いたのだけど、多分日本で一番テレワーク導入を難しくしているのは、「月給」という給与体系。


月給とは言っているけど、実際には時給で、1日の勤務ノルマがある。

勤務ノルマは、労働内容ではなく、時間だ。8時間会社にいればよい。


逆に言えば、有能な人でも仕事をさっさと終わらせて自由にすることができない。

それどころか、有能だから手が空いたら、別の仕事が持ち込まれる。


無能な奴の作業までやる羽目になって、給料は一緒。

だから、有能な人は「爪を隠す」必要がある。会社としては労働効率が上がらない。


労働効率が上がらないとわかっているから、残業することを前提に、基本給は低く抑えられている。

残業が前提なので、勤務時間管理が必須で、タイムカードを押す必要がある。



これがテレワークと恐ろしく相性が悪い。


基本給をあげ、残業せずとも残業代「以上」の給与が出るようにして、時間ではなく「労働内容」を重視しないといけない。


作業の目的を明確に与え、そのミッションをクリアすることで成功報酬を出す、という給与体系。

確実に作業が行われる前提なので、会社にとってもリスクが少ない。



そうなると、仕事さえできれば勤務時間は関係ない、という話になる。

ここに来てやっと、テレワークが可能になる。


アメリカでは元からそうした労働形態だし、イギリスでも同じようだ。

日本ではまだそうなっていない。…一部の企業はそうしているようだけど、多数派ではない。


ここら辺の話、以前に詳しく書いた





僕は自分でも勤務形態がよくわからないのだけど、まぁテレワークなのかな、と思う。


企業に雇用されているわけではない、フリーランスの立場だ。

でも、仕事を受けている間は密接に連絡を取り、与えられた「要求仕様」にかなうプログラムを作っている。


期日までにモノが完成すればよい。


この期日だって、無理難題を押し付けられるのではなく、合意のうえで決めている。

金銭面も含めてね。


だから、手に余ると思えばお断りすればいいし(報酬はなくなるが)、納期が短いと夜遅くまで作業したりもするが、その苦労に見合う報酬をいただければ問題はない。


仕事を自分でコントロールしている、ということ。


…と言うと、聞こえは格好いい。

大抵は、納期に間に合わなかったらどうしよう、と思いながら、頑張って前倒しで作る。

早く完成してしまわないと不安だからね。納期より早く完成して困ることは、なにもない。


だから、必要なら夜遅くまで作業するし、それで眠ければ昼寝する。

そういう「柔軟な生活」ができるのも、テレワークの良さだ。



昼寝していると、依頼主(そこそこ大きい会社)の副社長がいきなり電話かけてきて、ビビったりするけど。

直接の担当者は別にいるのだけど、副社長がフットワーク軽い人で、質問があると末端の技術者にも気軽に電話してくるのね。


その姿勢は嫌ではないのだけど、「みんなが働いているはずの時間」に昼寝している、テレワークの悪い面でもあります。




数時間後に追記


総務省・厚生労働省が作ったテレワーク推進企業ネットワークのページを見ると、テレワークの導入の問題を


・技術と、その技術を導入・運用するコストの問題

・見えない場所での勤務時間をどう管理するか


に分けて考えているようだ。


後者、このページに書いてある僕の主張とは異なるのだけど、日本で導入しようと思ったら、やっぱり勤務時間管理をしたくなってしまうのかもしれない。


でも、そもそも勤務時間で縛る日本の管理方法のままテレワークを導入しようとすると、面倒(コスト)ばかりが増えて、メリットがあまり得られないように思う。

(というか、アメリカで話題になった 2000年代後半には、日本でもこの方法で導入しようとした企業が結構あり、コストの増加に耐えかねてみんなやめてしまった。

 失敗に学ばなければ、同じことを繰り返すことになるだろう)



新聞などで見る限り、時間管理をやめて労働内容に対する報酬、という賃金体系に移行する会社も、大企業・中小企業問わずに出てきてはいるようだ。

でも、そうした企業は、わざわざ新聞報道されてしまう程度には珍しい。


労働方法に対する意識を変える、いい機会だと思うのだけどな。



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先日もゼルダ雑感書いていたし、Switch漬けだな、と思いながら。


前作「スプラトゥーン」はやっていない。WiiU 持ってないから。

そもそも、僕は3Dの「撃ち合い」ゲームは好きではなく、今回のスプラ2も興味はあったが、購入直前まで迷っていた。


子供が興味を持って遊びたがっていて、発売前までどうするか悩んでいた。

中学生の長男なら十分遊べそうだけど、小学校2年生の次女には遊べないんじゃないかな、という気持ちもあったから。


購入に踏み切ったのは、ゲームは好きだが詳しくはない妻が、発売日の夜に「スプラトゥーンっていつ発売なの?」と聞いてきたから。

ツイッターで周辺の人がみんな話題にしていて、そろそろ発売なのかな、と気になったのだそうだ。



#注:「撃ち合いゲーム」を、以下 FPS と書く。

 First Person Shooting、「自分視点の撃ち合い」の意味で、自分が画面に表示されるスプラトゥーンは、厳密には FPS ではなく、TPS (Third Person Shooting) だ。

 しかし、TPS という用語は FPS ほど一般的でないので、TPS も含めて FPS と言われてしまうことが多い。




で、購入後15分ほど遊んでみる。

3試合して、この段階ではまだ「思ったよりも悪くない」程度の感想だったけど、そもそも妻の言葉で購入に踏み切ったので、妻に交代する。


その後妻のプレイを見ながら…自分でやっているのではないので、冷静に分析しながら、思った以上に初心者に優しいゲームだと知る。



翌日は土曜日。

子供に購入を伝え、夏休み入ったし、土曜日なので思いっきり遊ぶのを許可する。



普段は、ゲーム時間は1人1日1時間半程度に制限している。

というか、学校もあるし、3人で時間を分け合うと、その程度しか遊べない。


でも、この日は朝からゲーム三昧。30分~1時間程度で交代しつつ、1人3時間づつ遊んだ。




先日、ゼルダの話を書いたときに、「触っていても面白いゲーム」を作るのは難しい、と書いた。


ゼルダは、触っているだけで面白い。

戦うのが怖いなら、敵から逃げ続けていてもゲームが成立する。


森の中でリンゴや鳥の卵、キノコなどを拾い、それらを組み合わせて料理しているだけで面白いから。


いや、そんな目的すら不要だ。

緻密に描かれた美しい風景は、歩き回っているだけで世界を観光している気分にさせてくれる。


「ガノン征伐」なんて目的は、些細なことだ。目的なんて気にしないでいい。ただいじっているだけで面白いゲーム。

それがゼルダだった。



それに対して、スプラトゥーンは、対戦ゲームだ。

触っているだけ、というわけにはいかない。「戦うのが怖い」なんて言っていられないし、相手に勝つ、という目的を強要される。


にもかかわらず、目的を忘れて「触っているだけで面白い」状態を作り出している。



こんなこと、1からやっている人は今さらだろうけど、僕が感心したので細かく説明する。


普通、FPS は「敵を倒した数」を中心とした評価を競う。

でも、スプラトゥーンでは敵を倒すことは、評価に一切関係しない。

(後で書くけど利点はある)


敵を倒した数になると、経験が最大の武器となる。

ゲーム慣れして、冷静沈着に敵を倒せる人が強いし、長い時間遊んで強い武器を持っている人が強い。

一番良いのは、やられた人が復活するポイント付近で物陰に隠れて待ち構え、倒し続けることだ。


これ、初心者お断りのゲームだ。

もちろん、様々な評価軸で強さを算出し、同じくらいの強さの人同士をマッチングするようなシステムにより、皆が楽しく遊べるようにする。


それでも、ゲームに十分に慣れたうえで、あえてアカウントを作り直して1から始める、などで「俺だけが最強の世界」を楽しもうとする人がいる。

もちろん、ゲーム制作者側はあまりこのような行為をしてほしくない。


初心者が嫌な思いをすればプレイヤーが先細りになるし、ひいては続編もなく打ち切り、ということになりかねないからだ。

ゲームが好きで、ハマり込んでいる人が自らの好きな世界を壊す、という悲しい例だが、事実として存在する。



スプラトゥーンは、1の時点から、このような「FPS の問題点」を克服するべく作られていた。


評価の軸は「塗りつぶした面積」だ。

だから、敵がいたら逃げ回わる、という戦略が可能になる。


敵の目をかいくぐり、敵地に侵入し、すでに敵が塗った部分を自分の色に染め上げていく…

「撃ち合い」のゲームであるにもかかわらず、撃たない鬼ごっこが成立する。


これが、思った以上に幅の広い遊びになっていることに感心した。




まだ2日しか遊んでいないが、家族のプレイの様子を書いてみよう。

ゼルダの記事も読んでもらうと、家族の性格がよくわかるかもしれない。


まず中一の長男。一番遊んでみたがっていた。

ゼルダでは、敵との戦いを極度に恐れる傾向にあった。


スプラ2でも、ヘタレぶりは変わらず。

なんとか「敵に見つからずに生き延びる方法」を見つけようとして、物陰に隠れていたりする。

それでは、塗り面積を広げられない。


詳細は後で書くけど、塗った面積は個人評価につながり、評価を溜めることでより強い武器などを入手できる。

だから、思い切って「塗り」に出ようとすると、今度は無防備に敵に突っ込み、討ち死に。


頭は良いのだけど、判断力が悪い。

「敵の色を塗りつぶせば、相手の陣地も減るし、こちらの陣地は増えるから、2倍の効果!」

と言って、敵の陣地に切り込みたがる。当然討ち死に。



最初は全然チームに貢献できていない感じだった。

でもまぁ、遊び続ければ慣れるもので、500pt程度は確実に塗れるようになってきた。




小4の長女。

ゼルダでは、人の話を聞かず、地図も入手せず、度胸だけで世界を突き進んで探検し、見つけたものは手持ち資金で買いあさっていた。


スプラ2でも同じプレイスタイル。

ただ、こちらはストーリーなどないので、人の話なんて聞かないでいい。地図のような、ゲーム中に入手するアイテムもない。


だから、度胸で敵陣に突っ込んでいく、というプレイスタイルは、スプラ2に向いている。

もっとも、これで討ち死にしていたら無謀な馬鹿なのだけど、勝負勘が良くて、自分よりランクが高い相手でもバタバタとなぎ倒す。


広い面積を塗ろうとするよりも、敵陣深くに続く道を開拓しようとする。

なので、後についてきて援護してくれる人が出る場合があって、そんなときは本当に…相手チームが可哀そうになる試合展開となる。



はっきり言って、我が家で一番「横から見ていて楽しい」プレイスタイルだ。

ついたあだ名が「切り込み隊長」。


#小学校4年生だから、「切り込みってなに?」と、言われていることを理解していない。教えたけど。




小2の次女。

彼女は、ゼルダはやっていない。「敵と戦うのが怖い」というのが理由。


同じ理由で、スプラ2も最初は見ているだけだった。

でも、あまりに長男・長女が楽しそうに遊んでいるので、ちょっと遊んでみる、と手を出して…十分楽しんでいる。


戦うのが怖い小2女児でも、「対戦シューティング」を遊べるのだ。これってすごいことだと思う。


プレイスタイルは、前線での戦いを避けるもの。

みな前線に突き進むし、そういうゲームなのだけど、最後の「塗り面積のジャッジ」を見ていると、結構「塗り残し」が勝負を分けるのがわかる。


プレイフィールドは基本的に四角く、出撃地点は辺の中央あたりか、角。

そこから、中央に作られる(であろう)前線にまっしぐらに進むと、どうしても自陣近くの角に塗り残しが出やすい。


こうした部分を着実に塗っていく。

自陣近くは、大抵自分の側の色になっているが、たまに「切り込んできた」相手によって、まだらに色が違う。

そうした部分も、着実に塗り戻していく。


この戦略は僕が教えたものだけど、細かな部分をちまちま塗るのは、ゲーム慣れしていない子でも楽しいようだ。


残り1分程度になったら、その後の身の振り方を決める。


自分のチームが勝つと、勝利ボーナス点が全員に入る。

だから、勝ちそうならそのまま細かな部分の塗りつぶしを続行し、勝ちを確実にする。


負けると、ボーナス点は入らず、個々人の「塗りつぶしポイント」が入るだけ。

だから、負けそうなら前線に進んで、思い切ってポイントを稼ぐ。


なに、やられてもかまわない。

負けているということは、前線は自陣側に寄っている。やられても、すぐに前線に復帰できる。


それでいて、すでに自分側の色の部分をちまちまと塗っているより、敵側の色の中で適当にインクをばら撒いているほうが、「塗りつぶした面積」は多いのでポイントが稼げる。


目標は、500pt 稼ぐこと。

慣れないうちは 300pt とか、ひどいときは 100pt で終わっていたのだけど、次女も2日遊ぶ間に慣れ、500pt は確実にとれるようになった。




さて、遊ぶ人によって幅広い戦略が可能になる、とわかってもらったところで、細かなルールの説明を行っておこう。


Switch のゲームには説明書が付いてこないので、僕もよく理解できていない部分があるのだけど。


試合中は、塗った面積が「ポイント」として表示されている。

壁は塗ってもポイントにならない。ただ、壁を塗ると登ることができ、周囲にインクをばら撒きやすくなるので、無意味ではない。


何も塗られていないところに塗っても、敵の色のところに塗ってもポイントは同じ。

すでに自分側の色のところを塗っても、何ももらえない。



まず、塗った「ポイント」は、そのままゲーム内で武器などを買える通貨となる。

勝利すると、ボーナスで 1000 ポイント上乗せされる。


通貨とは別に、経験値があり、経験値によってランクが上がる。

塗ったポイントは、100 の単位ごとにもらえる。100,200,300,400,500 で、それ以上はない。


また、参加者全員に、3分遊んだことに対する報酬 300pt が、勝利したチームならさらに 600pt がもらえる。


他にもボーナスはあるのだけど、以上が基本。


これが、次女の遊び方の話に書いた、「勝てそうなら勝ちを確実にするように動き、負けそうなら 500pt を超えることを目指す」という理由だ。




話は脇にそれるがここで書いておこう。


3分遊んだ報酬は、おそらく「途中で通信を切断されないため」のものだと思う。

ゲーム作成者として、途中で通信切断されるのは困るから、ポイントをちらつかせて最後まで遊んでもらおうとしているのだろう。


でも、実はこれ目当てで、遊ぶ気がない人も参加してくる。

全く動かず(スタート地点に棒立ちはおかしいから、適当な物陰に潜んでいる)、最後の戦績表示画面を見ても、全く塗っていない。

チームとしては迷惑な話で、子供たちはそういう人がいることに怒っているようだ。



しかし、ゲーム制作者の端くれとして言わせてもらうなら、そうすることで得をするシステムになっているのだから、そのプレイヤーは悪くない。

ゲームの遊びかたはそれぞれだ。「まじめにやれ」なんて強要される覚えもない。


ただ、運営側は遠からず対策をするんじゃないかな。

全くやる気がない人には、参加賞の 300pt や、たまたまチームが勝利した際のボーナスなどを一切与えなければよい。


次女が初めて遊んだ際でも 100pt は塗れていたから、100pt ボーナスを取得しなくては、それ以外のボーナスももらえない、とかね。




相手チームが強いと…というか、組み合わせは時の運だし、必ずしも強い人がいるチームが強いわけでもない。

だから、「うまく歯車がかみ合うと」くらいのイメージなのだけど、前線が中央付近からずいぶんと偏ることがある。


こんな時は、さすがに勝ち負けがはっきりする。


だけど、前線は案外中央付近にでき、動きにくいものだ。


当然な話で、倒されたキャラクターはそれぞれの陣地のスタート地点から復活するし、そこから前線まで行かなくてはならない。

自陣に前線が近づけば、前線に早く到達できる。遠いと遅くなる。


ということは、自陣に近い前線は相手側に押し戻しやすいし、自陣から遠い前線は、押し戻されやすい。

結果として中央付近が前線になる。



このことを前提とすると、前線までの「自陣側」を、塗り残しなく、より緻密に塗ったほうの勝ちだ。

これが、次女に授けた「塗り残しを無くす」作戦となる。



しかし、チームの勝ちなんて関係なく、自分がポイントを…仮想通貨を稼ぎたいのであれば、思い切って敵陣に飛び込むといい。

自分側の色はほとんどないので、どこを塗ってもポイントになる。


戦うことは目的ではないので、敵のいないところを狙って大量に塗りつぶせば、一気に大量得点。

もちろん、敵陣に近いのですぐに塗り返されることになる。


戦いが目的ではないとはいえ、倒されると復活までに数秒間(状況により短縮もされるが、5秒程度)かかるし、陣地一番奥のスタート地点に戻される。


だから、相手側に前線を進めるために、相手を倒すことは決して無駄ではない。

戦いが得意な人は前線で戦いつつ、陣地を広げる。


苦手な人は相手に塗られてしまった部分を後方で「修復」したり、戦いを避けつつも相手陣地に忍び込んで塗ってみたり、やれることは結構ある。



戦いはあまり起こらず、お互いに相手陣地を塗るような混戦になることがあるのだけど、そういう時は終了時のポイントも総じて高い。

みんなが「塗り続ける」わけだからね。


負けたとしても、結構稼げたので良しとしようか、と思える。


長女が「切り込んでいく」と、そういう試合展開になりやすい。

ランクを上げる経験値に関しては、500pt で頭打ち。それ以上稼ぐ必要はない。


でも、通貨としては、稼いだだけもらえる。大量に塗ることにはそれなりの利点がある。

買い物を楽しみたい人には良い戦法。


#そして、長女はゼルダと同じく、武器や服を買いまくる。




僕や妻がどうしているかというと、実は子供に時間を奪われて、あまり遊べていない。


まぁ、それでも遊んではいるけどね。

僕は、最初は突き進んで前線形成に加担して、その後は倒されて戻るたびに、すこし寄り道して塗り残しを消しながら前線に向かう、というスタイル。


500pt を超えるまでは前線に進むことを優先しているけど、それ以降は自陣の塗り残しをできるだけなくす。

残り一分を過ぎたら、思い切って敵陣に切り込んでいく…と言う感じ。


でも、塗りやすい武器を中心に使っているので、戦闘力は低い。

敵陣に切り込んだ場合でも、戦いは避けて、あまり人が通らない裏通りを塗る感じかな。


#自陣と敵陣は対称形。普段から塗り残しを気にしているので、人が入りにくいエリアも把握している。

 人が入りにくいなら奪い返されにくいので、この戦略は結構効く。


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