今日は太陽暦採用記念日。
つい1か月ほど前、10月15日に、「グレゴリオ暦の制定日」というのを紹介しました。
グレゴリオ暦…今のカレンダーと同じものを、ローマ教皇グレゴリウス13世が制定した日(1582)。
でも、これはローマ帝国内だけで通用する暦でした。
これがよくできているから、徐々にほかの国にも浸透していきます。
1752年9月14日にはイギリス帝国が導入。
アメリカを含む、イギリス領の植民地も一緒に導入となります。
だから、アメリカ生まれの UNIX で cal コマンドでカレンダーを表示すると、1752年 9月には面白い表示が見られる。
そして日本では、1873年の元日からグレゴリオ暦(日本では、単に「太陽暦」とも呼ばれます)を導入することにして、1872年の 11月 9日に「太陽暦の採用」を発表したのです。
…この 11月 9日って、旧暦ですね。太陰暦。
でも、現在の 11月 9日が「太陽暦採用記念日」ということになっています。
まぁ、記念日なんていい加減なものだしね。
ちなみに、1872 年の旧暦 11月 9日は、えーと…現在の 12月9日にあたりますね。
本当は、発表と同時に太陽暦の導入、としたかったようです。
当初の案では、本来 29日で終わりの旧暦 11月を 31日までに延長し、11月の終わりで年を終わりにする、というものだったとか。
上に書いたように、このときは運よく新暦と旧暦が「1か月違いの同じ日付」でした。
だから、新暦 12月と同じように、31日までにしてしまえば、そのままスムーズに新暦に移行できる。
でも、さすがに発表即導入、というのは反対意見も出て、「12月3日を翌年の元日とする」ことになったそうです。
それでも、告知から導入まで23日しかありません。非常に混乱したようです。
ちなみに、このときに「六曜カレンダー」が発行され始めます。
六曜って陰陽道などで使われた、と思っている人がいるし、それは事実その通りなのだけど、一般には浸透していなかった。
陰陽道だって、平安時代にブームになった程度だしね。
江戸の末期にはお手軽な「占い」としての六曜が流行するのだけど、暦に書き込んだりはしません。
この日はいいことあるよ、とか、気を付けて、とか書かれた紙を神社仏閣で配布しただけ。
おみくじと変わらないレベル。まぁ、気軽なエンターテインメントです。
この六曜、旧暦を使っていれば、非常に簡単に計算できるようになっていました。
逆にいえば、六曜がわかると旧暦の日付がなんとなくわかります。
さて、明治時代に入り、新暦導入に当たって、旧暦を使ってはならないことになりました。
カレンダーを作るのも禁止です。
でも、六曜までは禁止されていない。
そこで、カレンダーに六曜が併記されるようになります。
事実上、禁止された旧暦カレンダーを作っているのと同じ。
それでも、庶民がこれが「旧暦を知るのに役立つ」と思って使っていただけ。
いまでも、平成の年号を「昭和」換算する人がいますが、それと同じこと。
たまたま江戸時代に流行した占いと同じ言葉が書いてあるだけで、そこに深い意味はありません。
…でも、時代が経って、今でも六曜が印刷されたカレンダーはあって、すでに旧暦なんて誰も使わなくなっている。
この六曜は何のために書かれているんだ? と、知らない人が江戸時代の占いを持ち出して、その日は縁起が悪い、とか言い出す始末。
昭和の中期に非常に流行し、弊害もたくさん出ました。
最近は多くの人が「根も葉もない迷信」だと理解してきたけど、まだ結婚式や葬式の日程で六曜を気にする人がいます。
(だからカレンダーにも印刷されているのですが)
話を変えます。
わずか1か月足らずの告知で太陽暦を導入した理由ですが、「諸外国に合わせる」という必要性もありました。
でも、給与支払いのため、という側面もあった模様。
江戸時代は、士官する武士には録が与えられました。これ、今でいえば「年棒」のこと。
1年間いくら、という契約なのですね。
でも、明治になって月給制に変わりました。
そして、太陰暦では「閏月」があります。1年が13か月になる年があるのです。
1873年が、ちょうどその年でした。
そのままでは、13か月分の給料を払う必要があります。でも、太陽暦に移行すれば12か月分で済みます。
1か月分の給料が浮くのです。
さらに、最初に書いたように「11月を 31日までとして、12月をなくす」方法で太陽暦を導入すれば、1872年も1か月分が浮きます。
なんと、2か月分も給与支払いが無くなってしまう。
これが、1か月足らずの告知で強引に太陽暦を導入した理由だったようです。
同じテーマの日記(最近の一覧)
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |