今日は、ロバート・エバレットの誕生日(1921)。
誰それ。…という反応が正常です。
Whirlwind I 、というあまり知られていないコンピューターがあり、そのコンピューターを作成するプロジェクトの、No.2 の地位にいた人です。普通知らないわな。
世界初のコンピューターってどれ? という質問に対しては、普通は ENIAC という答えが出てきます。
ちょっと聞きかじった人なら、ENIAC よりも古いとされる ABC や Z4 を答えるかもしれません。
一方で、現代的なコンピューターの条件として「ノイマン型」を理解している人なら、EDVAC や EDSAC あたりを挙げるでしょう。
でも実は、それらのコンピューターの設計は現代とはかなり違います。
少しでも早く計算を行うにはどうすればよいか、軍の予算をふんだんにつぎ込んで、MIT の天才たちが作った、常識外れのコンピューターが Whirlwind I でした。
当時はまだ「スーパーコンピューター」という概念は無いのですが、世界初のスーパーコンピューターだった、と呼ぶ人もいます。
そして、この設計手法は非常に良いものだったので、その後のコンピューターのスタンダードになっていきます。
現代の PC は、 ENIAC や EDSAC の子孫と言うよりも、Whirlwind I の子孫です。
歯車計算機が類人猿で ENIAC がアウストラロピテクスだとしたら、Whirlwind Iでホモサピエンスになった、というくらい違います。
(なんだ、このわかりにくい例えは…)
で、エバレットはそのプロジェクトの No.2 で、事実上の最高責任者でした。
なんで No.2 なのに最高責任者?
それはもちろん、No.1 が各界の調整で多忙を極めたためです。
Whirlwind I の作成は、非常に大規模なプロジェクトでした。
軍と、軍の研究機関と、MIT の3者で連絡を取り合いながら作成されています。
予算も膨大。関わる人数も膨大。もちろん資料や会議の回数も膨大です。
プロジェクトリーダーは多忙を極め、現場の指揮はできません。
それで、エバレットが no.2 でありながら、事実上の最高責任者となったのです。
後に、関係機関の連絡を取りやすくしたり、特許を集約する目的で、MIT 発祥の軍需会社 MITER (マイター)が生まれています。
この時にもエバレットは創設者に名を連ね、後には最高責任者も務めています。
Whirlwind I は、コンピューターにディスプレイが接続された初めてのマシンでした。
面白そうなデバイスを見たら遊んでみるのがプログラマーの常。
Whirlwind I の完成前、まだ一部機能しか動いていない段階で、すでに「弾むボール」というプログラムが作られています。
ディスプレイに、ボールが放物線を描きながら飛び、落ちると弾む、というだけのもの。
これ、歴史的なことを知らないと全く理解できませんが、「すごく面白い」プログラムでした。
これがきっかけの一つとなり、後に「ディスプレイに面白いものを表示する」プログラムが流行し、その中から、テレビゲームの元祖が生まれることになります。
Whirlwind I に興味を持った方は、別記事で詳細書いていますのでご覧ください。
「弾むボール」から派生して、各種ゲームが作られた様子は、「世界初のテレビゲーム」の記事にまとめています。
今回は短め。だって、エバレットはやっぱマイナーな人物で、詳細情報があまりないのだもの…
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