2015年04月13日の日記です


春は忙しい  2015-04-13 11:28:25  コンピュータ 歯車 社会科見学 家族

先日家族旅行という大イベントを執り行ったが、この週末は科学館のハシゴ。

来週も科学イベントの予定で、次女の誕生日にはピューロランドにも行かなくてはならない、と思っている。


冬の間、子供たちが「いきたーい」と言っていたことに「はいはい、暖かくなったらね」とか「誕生日にね」とか、いいかげんな空約束を繰り返すからこうなる。

春は忙しい。




11日(土)は、科学未来館へ。


去年の秋に、TVCMやっていたイベントを次女が見たがって、来ています。

…が、そのCM予告だった。その時点ではまだ始まってなかった。


じゃぁ、また今度こよう、と言ったきり、忘れてた。

3月の中ごろ「そういえば、あの約束は?」と次女に言われる。しまった! 会期は2月末までだった!



…が、大好評につき、会期延長していました。ゴールデンウィークまで。

ただ、大人気で、休日は朝早くに行って整理券を受け取り、その整理券に書かれた時間にならないと入場できない、という制限があります。


じゃぁ、ゴールデンウィークなんてもっと混むし、春休み中もダメだろう。

春休みが明けた次の休日である11日に、朝早くから出かけます。


運よく(?)この日は雨。

車で行くから雨でもそれほど問題はないし、客足は鈍ってそれほど混まないだろう。




開場前に付いたのに、すでにチケット購入待ちの行列。

すでに科学館は開いていました。お客さんが多く並んでいるし、雨だから開けたみたい。


10分ほど並んでチケット買います。

見たかった特別展、「チームラボ展」は、整理券を貰わないと入れません。が、まだ朝早かったから、配っている整理券は今すぐ入れるものでした。


#整理券が無いと入れないから…と、全部見るまで、昼ご飯も食べずにみっちり遊んだのですが、外に出たら「今日は整理券無しで入れます」に変わってました。



さて、全体内容については、ざっくりと。


最初に置いてある展示…というか部屋。

天井からのプロジェクター映像で、床には花が咲き乱れています。でも、踏んだら散る。

美しいけど…もう、20年以上前から類似作品あるよね。技術が上がって花の表現は美しくなったけど、その程度どまり。


部屋を出てずっと後のところで、技術的な詳細解説がありました。

それを知ってからもう一度見たら、もうちょっと深く楽しめたけど、これは芸術だから、解説なんてなしに感じられるかどうかが重要。


そういう意味では、この部屋に余りとどまっていた人はいないし、子供たちもすぐ飽きてた。

「世界中で大人気のメディアアート作家集団」という触れ込みの割にたいしたことないな、というのが最初の部屋を見た率直な感想。


他の作品を見た後で、きっとこれは初期の作品で、だから最初に置いてあったのだろうと思いました。

後で出てくる作品は、もっと面白いものが多数あったから。


…この作品、比較的新作だから最初に置いてあったのね (^^;;




前半は、主に「アート」としての作品が中心。それも、「和」と「デジタル」の融合に挑んだものが多い。

面白い表現もあり、興味深く拝見したのだけど、ただの映像作品。ビデオを流し続けているだけ、というのと変わらない。


奥の方に、江戸の絵師、伊藤若冲の絵画をデジタル表現したものがあった。

若冲の絵を3D化し、動かしたものを、若冲風のレンダリングで描く。ここまでなら他の作品と変わらない、ただのビデオ作品だ。


若冲の絵画の特徴に、全体に升目が設定されている、というものがあるらしい。

らしい、というのは、若冲の絵は見たことあったけど、マス目なんて意識してなかったから。


デジタル作品としては、その升目が2つの状態を持っている。


1つは、マス目の枠はあるけど、基本的に本来の絵がそのまま見える状態。本来の若冲の絵。

もう1つは、マス目の中が、代表される色に塗りつぶされてしまう状態。モザイク画になる。


この2状態が、不思議に入れかわる。基本は「升目だけ」で、ところどころ「モザイク」になる。

モザイクの場所は、生きているように広がり、消滅する。ちょうどライフゲームでもやっているような感じだが、ライフゲームとも違うアルゴリズム。


これは、鑑賞する人によって変化する様につくられている、らしい。

音とか、前を歩く人をセンシングしているとか、何をやっているのか探ろうとしたのだけど、分からなかった。


その意味では、インタラクティブ性があるのだとしても弱すぎて、やはりただのビデオ作品と変わらなくなる。

ちょっと残念なだけど、表現方法は非常に面白くて印象に残った。




後半、デジタルとアートを融合したことで生まれた「遊園地」空間。

次女が行きたがっていたのは、当然ながらこちらが目的。


入り口に、「まだ かみさまが いたるところにいたころの ものがたり」という作品があった。


長男、これがものすごく気に入った。

実は先の「アート」側にも類似作品があり、こちらがバージョンアップのようだ。


上から象形文字が落ちてくる。漢字の原型ね。

これを触ると、文字で表現されているものが現れる。


「山」を触るとそこに山が現れ、「木」を触ると木が立つ。

「火」に触れると火が現れ、「水」を触ると水が噴き出す。


アート側のものは、ここまでの表現で終わっていた。

しかし、「遊園地」はもう一歩進んでいる。


木に火が触れると燃えてしまう。でも、水を使って火を消せる。

雨でも火は消えるし、雨は木を育てることもできる。


犬に火を見せれば驚いて逃げるし、象を人…これは遊ぶ人本人が撫でてやれば、喜んで鼻を上げて鳴く。


他にも、非常に多くの「コンボ技」があって、説明表も配っていました。




会場での一番人気は、3Dで街を作る塗り絵。

配られている塗り絵…飛行機、自動車、消防車、バス、UFOなどの乗り物系と、いろいろな形のビルに、自由にクレヨンで色を塗ってもらう。


高速スキャナで読み取ると、すぐに巨大画面に現れます。

3Dで、テクスチャは適当に解釈されて、それらしく貼られている。


家はUFOが運んで来ます。

時々怪獣が現れ、古い家を壊します。動けないものの「登場」「退場」をうまく処理している。


車とか、動くものは当然、自分でやってきて、古くなると出てこなくなる。

でも、1時間程度はとどまってくれるみたい。描いてしばらくして、自分の描いたのがまだいるのを見ると嬉しい。


これ、3階にある常設展示「おやっこ広場」(入るのに整理券が必要)にも置いてありました。

画面は小さいけど、そちらには、ロボットとか飛行船とか木とか、特別展には無い塗り絵もあります。

しかも、画面がタッチパネルで、触ることでいろんな反応もします。


大画面とはまた別の面白さ。




これの「前作」にあたる、水族館を作るものも人気でした。

こちらは、魚がペラペラで3Dではないのね。動きは3D的だけど、パラッパラッパーみたいな感じ(例えが古いけど)。



さらに、会期延長してからの「新作」として、ふなっしー版もあった。

みんなでふなっしーのデザインをして、画面の中を歩き回る。シュール。


こちらは、急きょ追加したものなので会場に入りきらない。廊下に置かれていた。

会場から廊下に出ないとみられないし、廊下に大画面が置いてあるので、狭い。


ちなみに、ふなっしーだけでなく、普通の人間(男の子、女の子、髪型違いで2種類ずつ)もデザインできる。


とりあえず、あの寸胴体系、おどる埴輪にしてやった。

妻はウルトラマン作ってた。


埴輪とウルトラマンが出会って挨拶をし、一緒に「梨汁ブシャー!」ってやってる。シュール。




さて、他にもあるけど、全部は解説しない。その代り、1つだけ詳細解説。


実は、「我が家的に」一番大ヒットだったのが、「小人が住まうテーブル」。


他のものに比べて、見た目が地味で、一見して何をするのかもわかりにくい。

だから、多くの人が一瞥して、もしくは少し触って、「よくわからない」という反応で通り過ぎていく。


でもこれ、すごく良くできています。遊ばないのはもったいない。


円形のテーブルに、天井からプロジェクターで投影された「小人」達が住んでいます。

テーブルの縁が地面。中央付近に太陽があって、太陽の周囲には雲が出る。


全部、輪郭だけの線画で表現されていて、ものすごくかわいい。

一方で、線の中身が「黒い」ため、テーブルは地味に見えます。これが興味を持たれない理由。


でも、古いゲームを知っている人なら、シンプルだからこそ表現できるものがある、ということに同意してもらえると思う。


この「小人」たちは、レミングスみたいにずんずん歩き続けている。

何もなければ、平和に進み続けるのだけど、突進してくる「牛」なんかも存在する。


牛に跳ね飛ばされると、小人はすっ飛ぶ。で、どこかに着地して、また歩き始める。


「火」というのもあって、小人はコイツをジャンプで飛び越す。大きな火になると越えきれず、痛そうに目を×印にして跳ねまわったりする。

ちなみに、牛は火だって跳ね飛ばす。


雲からは雨が降っていて、雨が当たると火は消える。

地面に雨が当たると、草が生えてくることもある。草はやがて実をつけ、小人が見つけて食べたりする。




さて、面白いのはここから。

自分の手を、テーブルの縁に置く。小人はこれを障害物と認識し、火と同じように飛び越える。

段差を設けてやると、1段目に乗って、さらにジャンプして2段目に進む。


飛びきれないほどの高い段差を…テーブル端に腕を置いておくと、それは「木」だと認識されるようだ。

腕から、にょきにょきと葉っぱが生えてくる。やがて、リンゴがなったりする。


高い木は飛び越えられないので、梯子を持ってきたりする。

この梯子が、ぐにゃぐにゃしていて不思議な存在。

小人がのぼり、一番上から飛び降りたりする。木の横にうまく梯子があれば、飛び越えられることもある。


木に生えるリンゴは大きいのだけど、そのままでは小人は食べられないようだ。

手を急にどけると落っこちて、地面に落ちると小さいいくつかのリンゴに「割れる」。

小さなサイズだと小人は食べれるようで、落ちているリンゴを見つけると食べることがある。


時々、腕を置いても木とは認識されないで…「フライパン」だと思われてしまうようだ。手の上に目玉焼きやケーキが現れることもある。


#会場のテーブルの上には、おもちゃのフライパンが置いてあった。本来これの上に目玉焼きが出来るようだ。

 フライパンを置くと、周囲に火が現れることもある。



雲から降る雨に手をかざしてやると傘になる。これで、小人を雨から守ることもできる。

もっとも、元々小人は雨を気にしない。


雨から守りたいのは「火」だろう。

手で少しづつ押すと、火を動かせる。火をくっつけると大きくなるし、草やリンゴ、目玉焼きなどを火にくべると、どんどん大きく育つ。

ところが、雨が当たるとすぐ消える。火を育てる遊びをする子も結構いた。


一方で、草を育ててたくさんの実をつけたい子もいる。

草から火を離したい子、近づけたい子。


思惑とは別に、牛に跳ね飛ばされた火がどこへ飛ぶかはわからない。

草をたくさん育てていると、面積が広いのだから火が飛んでくる確率も高い。そして、草が密集しているとあっという間に延焼する。

なかなか、リスクとリターンのバランスが良い。


これはゲームではないのだけど、目的を持った途端に、各々が勝手に遊ぶゲームになる。

しかも、そのゲームのバランスは絶妙で、うまくいきはじめると邪魔が入る。




空には星が1つ、出ていることがある。

…基本的には出ているのだけど、星を「使いすぎる」と、しばらく消えていることもあるようだ。


…使う? 星を?



この星に、小人がぶつかると、たくさんの「キラキラ」を放出する。

ハート、星、アスタリスク、渦巻き、ひし形…いろんな形の模様が、星から一斉に飛び出すんだ。


この世界、基本的にはテーブルの中で閉じている。円形のテーブルの縁が地面で、その外側には何もない。

だけど、この「キラキラ」だけは、テーブルからも零れ落ちて床に飛び散る。これがなかなか見ごたえがある。



でも、普通にやっていると、小人が牛にすっ飛ばされて、偶然ぶつかるときくらいしかこの現象は起きない。


…最終的には、この現象を強制的におこそう、とするゲームに発展した。


両手で小さな部屋を作り、小人が逃げ出さないようにする。

(親指が床に、その他の指が壁になるように両手を置く)


そのままずりずりと空に上げていくと、小人は星に近づいていく。

これで星にぶつければいい。


星も障害物の影響を受ける。そこで、星を囲い込んで地表に引きずりおろす、という作戦も出現した。

(何も起こらないけど、太陽や雲でもできる)


地面までくれば、小人はいくらでもいる。

ただ、地面でキラキラが発生しても、中央で発生するほどの「派手さ」は無い。

中央から一気にはじけ飛ぶ、という方が面白かった。


また、星はキラキラを出すと、同時に「はじかれて」少し違う位置に移動する。

地表だと、特に中央に戻ろうとする力が強く働くようで、苦労する割にはすぐに星に逃げられてしまう。


逆に、上空であれば同時に何人もの小人をぶつけることも可能。

きらきらが発生しすぎると、計算量が爆発的に増え、一瞬画面が「フリーズ」する。

(ゲーム専門用語でいうところの「処理落ち」)


これが楽しくて、どこまで計算負荷をかけられるか、の勝負に発展していく。


#この遊びに気付いたとき、うちの子供たちだけでなく、周囲の子供も面白がってこの遊びに参加し始めた。


ただ、動きが止まった瞬間は、小人も止まってしまう。「連続してぶつける」のには限界があった。



限界を打ち破るのは「牛も星にぶつかる」と発見した時。

牛は体が大きいので、一気に何度もあたり判定を起こしてしまうようだ。

小人よりも、キラキラの発生個数が多くなるようで、牛2頭を同時にぶつけたりすると、ものすごい処理落ちになる。


通常、処理落ちしても数フレーム…時間にして、1/10 秒程度だろう。

しかし、最大の処理落ちの際には、2秒くらい画面が止まっていた。

しまった、やりすぎてシステムを停止させてしまったか、とヒヤリとしたくらい。


#まぁ、そうなったらスタッフの人に謝って再起動してもらうだけですが。




「デジタルメディアアート」なんて言葉が出てきたのは、20年位前だったのではないかと思う。


#メディアアート、自体は映画などを含むものとして、20世紀中盤にはあった。

 「デジタル」とつくのは、コンピューターを使った芸術。


この言葉、僕は「ゲーム崩れ」と同義だと思っている。

この言い方が失礼極まりないのは承知しているが、多くのデジタルメディアアートが、そうなっていると思う。



チームラボ展で言えば、前半のアート部分は、ゲームですらない、ただのビデオだった。

最先端技術を使っているが、見ているだけ。映画と変わらない。


後半の遊園地部分は、「インタラクティブ」と言いながら、そうなっていない作品が多い。

塗り絵は子供たちは楽しんだが、画面に表示された後は「自分の描いたのがそこにいる」と見ることが楽しみになってしまい、これも映画と変わらない。


「デジタルメディアアート」と呼ぶのはおこがましい、20世紀中盤からあるものの延長に過ぎない。



長男の気に入っていた「かみさまがいたころのものがたり」は、触れることで事象が起き、その事象の組み合わせでさらに別の事象が起きる、ということで非常にインタラクティブだ。

ここに来てやっと、「デジタル」であることの意味が出始める。


ただ、しばらくやっていると飽きる。事象を起こしたいのだが、上から象形文字が降ってくるのを待つしかなく、組み合わせは運でしかないからだ。

ゲームになり切れないゲーム。僕がそう呼ぶのは、こうした作品だ。




「小人の住まうテーブル」は、見事なゲームだった。

ただ、これがゲームであることは、ほとんどの人が気づいていない。何を目指したものなのかも理解されていない。


多くの人は、自分の手を「障害物として使う」という操作方法を理解できず、表示されいるオブジェクトを「スワイプ」して動かそうとしていた。

ゲームとして見た際には、説明書を熟読しないと遊べない、失敗作の部類だろう。


でも、僕はこのゲームを高く評価する。今までにない新天地を切り拓いたからだ。

先駆者は理解されず、多くの人が素通りするのも仕方がないことだ。



似たようなゲームが20年ほど前にあった気もするが、あれも理解されなかった。



一方で、アートとして見た際には、「ゲーム」と捉えられてしまうのは不本意なんでしょうなぁ、やっぱ。

アートと言うのは見たこともないようなものを提示するのが本領なわけで、ゲームという既存の枠組みに組み込まれるようじゃダメなのだと思う。


アートである以上ゲームにならない「ゲーム崩れ」だというのは、宿命でもあるのだと思う。


でもね、好奇心を刺激してくれるものが良いアートだ、とも僕は思っている。

ルールがよく出来ていると、ついつい遊び始めてしまうわけで、結果としてゲームとして成立するのもまた、アートとして出来のよい証拠、のハズ。


ここら辺、僕自身がアート製作者ではないので、アートの人たちがどう思っているかはわかりません。

ゲームになるようじゃアートじゃないのか、アートだからこそゲームになるべきなのか。




アートがどういうものであるかはさておき、この「小人」、子供たちが非常に楽しかったようで、同じようなものを Scratch で作りたい、と言っています。

インスパイアされて真似したくなっちゃうって、最高の褒め言葉だと思う。



この翌日も外出したので忙しくまだ作りはじめてないのだけど、長男と長女は一緒に「Scratch で作れそうな程度の」、サブセットルールを考案した様子。


作る前から「途中であきらめるかも」って弱気なのだけど、元作品がよく出来ていることがわかっているからこそ、とてもそこまで作れないだろうと思っちゃってるのね。


あれは、アート作成としてはプロの作品だ。あそこまで作れなくても、やってみることに意義がある。




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