目次
03-25 ベーマガに出会うまで
03-25 ゲームの条件
ぎーちさんとの対談(?)の最初のテーマは「ゲームを作り始めたきっかけ」だったのだと思います。多分。
なんとなく話ししながら、自然な流れでそうなっていったので、特に質問があったわけでもないのね。
だから脱線しまくり。その後の質問でも、脱線したまま質問に答えてなかったりすることも多く、改めてぎーちさん宛ての返答も兼ねて、ここに書き留めます。
冒頭の質問。ゲームを作り始めたきっかけ。
これは、「ゲーム作り」と「プログラム」の両方の意味があるのと思いますが、分離できないのでごっちゃに。
覚えている最初は、小学校2年の時に東京タワーに連れて行ってもらったことです。
ここで、「コンピューター展」みたいなイベントをやっていた。
発売直後の PC-8001 で動くゲームを見て、強い興味を持っています。
これが初めてパソコンを見た記憶。
小学校3年の時、友達の家に積んであった古本の中に、「初歩のラジオ」を発見します。
その頃、電気回路にも興味があった。
丁度発見した号は、小学生でもわかるくらい簡単な「電気工作」を楽しむ趣旨の特集が載っていて、古本で捨てるものだから、と譲り受けました。
この本を隅々まで読みました。その中に、丁度連載第1回の「BASIC 講座」がありました。
簡単な内容を何度も読み返し、興味を持ちます。
この頃、年の離れた兄と一緒に、はじめて「ゲームセンター」に行ったのではないかな。
テレビゲームってスペースインベーダーのこと、と思っていたのですが、もっとゲームの世界は広いと知ります。
ドンキーコングが最新ゲームだったはず。
兄が1度だけ遊ばせてくれたけど、面白いと思う前に終わったのじゃないかな。
その後、ゲームセンターに行かないでも駄菓子屋などにゲームが置いてある、と知ります。
小学校4年の時、貯金を使って学研の電子ブロック「FXマイコン」を購入。
上に書いたように電子回路にも興味がありましたし、パソコンにも興味があった。
それなりに遊んだのだけど、機械語だったので自分でプログラムなんて組めない。
確か同じころ、友達の家にゲームのテーブル筐体が持ち込まれました。
親戚の家が喫茶店やっていて、1台余ったから「しばらく置かせてくれ」と持ってきたのだとか。
日本物産のローリングクラッシュでした。
遊んだのは3度ほどだと思いますが、フリープレイだったので攻略して、ノートに「面クリアパターン」まとめました。
初めての「やり込んだゲーム」。
小学校5年の時、ファミコン発売。
これも自分の貯めていたお年玉貯金で購入。
すごく面白かったのだけど、ふと「あれ、コンピューターって、自分でプログラムできるじゃなかったっけ?」と気づきます。
ファミリー「コンピューター」のはずだけど、これはコンピューターじゃない。ただのゲーム機だ。
小学校6年の時、ファミコンは大ブームになっています。
欲しくても買えなかった友達が、親が代わりに MSX を買ってきました。
その友達は、本当はファミコンがやりたい。僕は、プログラムがやりたい。
利害が一致して、1か月くらいの間交換します。
これが、はじめての BASIC 。
それまで、憧れて書籍などを読んで勉強はしていましたが、急に使えるはずもない。
MSX-BASIC って、実行を途中で一時停止する機能あるんだよね。
3つの数字が適当に表示が変わるのを「一時停止」して、揃ったら成功、というスロットマシン作った覚えがあります。
一時停止するって、ゲームでもなんでもない。でも、自分としてはゲームを作ったつもり。
セーブする方法がなかったので、電源を切ったらプログラムが消えます。
翌日、改良案を思いついたら昨日と同じものを作ったうえで、改良する。
毎日毎日、同じようなプログラムを作りつづけました。
同じのつもりでも、「同じことを実現する、もっとスマートなやり方」とかを思いついて、改良されていく。
同じものを作るしかなかったから、自然に改良が進みました。
この時は「面倒くさい」って思ってたけど、今考えると非常にいいトレーニング方法。
中学1年で、ファミリーベーシックが発売されます。
誕生日の直前だった。お年玉貯金で…買うにはお金が足りなかった。
ファミコン発売以前は、お金って特に使わず貯金してたけど、ファミコン以降はゲーム買ってたから。
誕生日に、親が半分くらい援助してくれて、ファミリーベーシックを手に入れます。
BASIC の勉強になる本は無いか…探しに行った本屋でベーマガと出合います。
丁度「ファミリーベーシック発売」という速報が掲載されていて、サンプルプログラムがあった。(1984年8月号)
この号から購入を開始。
翌号からは投稿プログラムが掲載されていました。
ベーマガでは、ファミベ用はもちろん、他の機種用のプログラムも結構目を通していました。
面白そうなゲームは移植を試みたりね。
というわけで、冒頭の質問の答え。
僕の場合、ゲームとパソコン・プログラムは同時進行で好きになり、どれも十分に手を出せないまま、憧れている期間が長く続きました。
機械持ってないのに、BASIC の本だけ何度も読み返したりね。
中学1年でファミベを入手して、それを期にゲームのプログラムに一気にのめり込みます。
すでに知識はあるので、難しそうという意識はなかった。
ただ、それなりにまともなゲームが作れるようになるのは、もう少し後の話になります。
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ぎーちさんとの対談は、話があちこちに脱線しまくっていたので、答えられていない質問もいっぱいあります。
僕の現在の考えを記録する良い機会なので、昔話と並行して書いていきます。
個人の意見だから、読んでも何も役立たないよ、ということは先に断わっておきます。
質問の一つに「ゲームが成立する条件として、お金を払うことは必要と思うか」というものがありました。
質問意図としては、業務用にしろ家庭用にしろ、お金を払って遊ばないとゲームがつまらなく感じられる、ということかと思います。
スマホ時代になって、無料ゲームがよく配布されていますが、これがつまらないと言われることが多いです。
また、業務用のゲームなどで、イベントで「フリープレイ」(無料で何度でも遊べること)になった途端に面白く感じなくなる、という現象も、実際に存在します。
僕としては、ゲームに必要なものは2つだけだと思います。
1) 目的
2) 障害(目的を阻害するもの)
これが揃っていればゲームとなる可能性があります。
可能性だけね。揃っていても、バランスが悪いとゲームとして成立しない。
障害が適切でないと、ゲームがつまらなくなります。
敵が強すぎてクリアできる気がしない、敵が弱すぎてすぐクリアできてしまう、などね。
ところで、もっと根源的な問いを出します。
ゲームって何のために存在するのでしょう?
娯楽のため? 現代的にはそうでしょう。
でも、娯楽なんて行う余裕がない時代から、ゲーム自体は存在しています。
ゲームは、殺し合いを避けるために存在したのだという説があります。
僕はその説を支持しています。
腹を空かした原始人が5人いたとします。
協力して狩りをして獲物を得たのですが、2人分しかありません。
どうしましょう。協力したのだから、少しづつ分ける、というのも方法です。
でも、それだと分け前は少しで、空腹が収まりません。
殺し合いを初めて、3人減れば2人は満腹になります。
でも、自分が殺されるかもしれないリスクは避けたい。ここは穏便に行きたいところです。
そこで、平べったい石を見つけてきて、片側に動物の血で印を付けます。
一人づつ空中に投げ、落ちた時に血が付いた側が見えたら、獲物を貰う権利があります。
逆側が上になったら権利放棄。
権利者多数ならその中でやり直し。権利者が少ないなら敗者復活。
これで2人が獲物にありつき、残りの3人は別の獲物を探しに行きます。
上に書いたのは全くの想像だけど、おそらく初期の「ゲーム」とはこうしたものであったはずです。
外国のゲームセンターでは、一定の基準をクリアすれば景品を出す、というのが普通に行われています。
今でも、ゲームをやる動機として「成功報酬を得る」というのは、大切なのです。
日本でも、パチンコとか、競馬とか、成功報酬が得られるゲームはあります。
…が、なぜか風俗営業法で、テレビゲームは景品を提供してはならないことになりました。
ここで、日本のゲームは独自の進化を遂げます。
報酬を、物から情報に変化させたのです。
いわゆる「先の面が見たい」からゲームをする状態。
「ハイスコアを取りたい」「カンストしたい」でも、なんでもいいです。
景品もないのにゲームを遊びたくなる仕掛けを用意した。
大切なことは、報酬が情報に変わっても、これが「成功者に」与えられるものだったことです。
ところで、ある時テレビゲームに革命が起きました。
「コンティニュー」の登場です。ドルアーガの塔が最初だったんじゃないかな。
ゲームセンターにとって、ゲームは「商売」です。ゲームが面白いかどうかより、お金が入ることの方が大切。
本来、成功者への報酬だったはずの「先の面が見たい」は、お金で解決できる問題となりました。
これ、最初に書いたゲームの条件の一つとしては「障害」が軽くなった、ということですね。
でも、コンティニューにはお金が必要です。無限に続けることはできません。
しかも、途中から始めるということは、いきなり難しいところから続けるのです。
続けても続けても、遊べる時間はどんどん少なくなっていく…
「障害」の一つとして「有限のお金」がゲームのルールに組み込まれたのです。
さて、ここで最初の「お金を払うことは必要か」という質問に戻ります。
今、有限のお金がゲームのルールに組み込まれた、と書きました。
これが「お金を払わないでよい」となったらどうなるでしょう?
もはや、ゲームに障害は存在しなくなります。
誰でも目的に到達できるようになります。
これは、最初に書いた「目的と障害のバランスが悪い」状態で、つまらないゲームです。
でも、注意してください。
「無料になったからつまらなくなった」のではありません。
ゲームの大切なルールとして組み込まれていた「お金は有限」という部分を変更してしまったのがつまらなくなった原因です。
もっと端的に言えば、ゲームのルールに手を加えたらつまらなくなった、というだけ。
改造して無敵にしたらつまらなくなった、というのと同じで、当たり前です。
無料でも面白いゲーム、というのは存在し得ます。
情報としての報酬は、無料でも出すことができます。
ただし、「先の面が見たくなる」ような構成を行うには、それなりの開発資金が必要です。
どういう方法で資金回収するかは、開発側の問題。
ともかく、プレイヤーにとって面白いのに無料、は実現できるし、すでに多数存在しています。
ただ、これで面白いゲームは、おそらく遊ぶ人を選びます。万人受けするゲームではない。
コンティニュー不可、何度でも遊んでいいけど、腕が無いと先に進めない、というゲームになるから。
難易度は多少低めに設定して、練習すれば誰でも最後に到達できる、くらいにすれば万人受けするかな。
この場合、上級者でも楽しめる仕掛けを入れておくのを忘れずに。
誰でも最後まで行けるゲームは、ゲーム好きにとって簡単すぎてつまらない。
それでは「無料ゲームはやっぱつまらない」になってしまう。
でも、一見難易度が低くても、隠された「上級者向けの目的」に気付いたとたんに難易度が跳ね上がる、というゲームの作り方もできる。
初代ピクミンがそうだった。
気付かないプレイヤーには「簡単すぎる」「つまらない」と言われていたのだけど、一部の「気づいた」人は、非常に難易度の高い、攻略しがいのあるゲームとして遊んでいた。
ただ、ピクミンほど作り込んだゲームは、プロでないと作れないと思います。
そして、プロが作ったゲームを無料で遊ばせたら割に合わない。
お金を払わないゲームがつまらない、ということは無いと思っていますが、無料で遊ばせてくれる程度のゲームはつまらない、ということはあるかもしれません。
ところで、以下は完全に余談。
昨年末に、Amazon が Android 用の「チューチューロケット」を無料で配布していました。
Amazon アプリの広告の一環として、広告費でセガのゲームを無料配布したのね。
これは、「開発がどうにか資金回収し、ユーザーには無料提供」というモデルケース。
実はこのゲーム、昔遊びたかったけど、遊んでなかったんだよねー。
「すでに存在する」と書いた無料で面白いゲームの一つとして、これを想定していました。
昔は市販したクオリティのゲームの移植ですが、操作はスマホでやりやすいように改めています。
でも、ゲーム内容はまったくそのまま。良移植。
パズルゲームなので、じっくり考えられれば誰でも解ける。
考えて判らないなら、試行錯誤で何とかなる。
逆に言うと、解けない面があっても、お金払ってヒント貰ったりはできない。
その点ではやはり、昔風のゲーム。遊ぶ人を選びます。
#昔のゲームのそのままなので、すでに解答を書いたページも多数あります。
でも、パズルなので「解答を見る」のはゲームをつまらなくするだけ。
ゲームの外側にある「ゲームのルール」をどうするか、プレイヤーの心構えが問われます。
そんな部分も、やっぱり遊ぶ人を選ぶ昔風のゲーム。
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