2015年03月25日の日記です

目次

03-25 ベーマガに出会うまで
03-25 ゲームの条件


ベーマガに出会うまで  2015-03-25 18:01:29  コンピュータ 業界記

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ぎーちさんとの対談(?)の最初のテーマは「ゲームを作り始めたきっかけ」だったのだと思います。多分。


なんとなく話ししながら、自然な流れでそうなっていったので、特に質問があったわけでもないのね。

だから脱線しまくり。その後の質問でも、脱線したまま質問に答えてなかったりすることも多く、改めてぎーちさん宛ての返答も兼ねて、ここに書き留めます。




冒頭の質問。ゲームを作り始めたきっかけ。

これは、「ゲーム作り」と「プログラム」の両方の意味があるのと思いますが、分離できないのでごっちゃに。



覚えている最初は、小学校2年の時に東京タワーに連れて行ってもらったことです。

ここで、「コンピューター展」みたいなイベントをやっていた


発売直後の PC-8001 で動くゲームを見て、強い興味を持っています。

これが初めてパソコンを見た記憶。




小学校3年の時、友達の家に積んであった古本の中に、「初歩のラジオ」を発見します。

その頃、電気回路にも興味があった。


丁度発見した号は、小学生でもわかるくらい簡単な「電気工作」を楽しむ趣旨の特集が載っていて、古本で捨てるものだから、と譲り受けました。


この本を隅々まで読みました。その中に、丁度連載第1回の「BASIC 講座」がありました。

簡単な内容を何度も読み返し、興味を持ちます。




この頃、年の離れた兄と一緒に、はじめて「ゲームセンター」に行ったのではないかな。

テレビゲームってスペースインベーダーのこと、と思っていたのですが、もっとゲームの世界は広いと知ります。


ドンキーコングが最新ゲームだったはず。

兄が1度だけ遊ばせてくれたけど、面白いと思う前に終わったのじゃないかな。


その後、ゲームセンターに行かないでも駄菓子屋などにゲームが置いてある、と知ります。




小学校4年の時、貯金を使って学研の電子ブロック「FXマイコン」を購入。


上に書いたように電子回路にも興味がありましたし、パソコンにも興味があった。

それなりに遊んだのだけど、機械語だったので自分でプログラムなんて組めない。




確か同じころ、友達の家にゲームのテーブル筐体が持ち込まれました。

親戚の家が喫茶店やっていて、1台余ったから「しばらく置かせてくれ」と持ってきたのだとか。


日本物産のローリングクラッシュでした。


遊んだのは3度ほどだと思いますが、フリープレイだったので攻略して、ノートに「面クリアパターン」まとめました。

初めての「やり込んだゲーム」。




小学校5年の時、ファミコン発売。

これも自分の貯めていたお年玉貯金で購入。


すごく面白かったのだけど、ふと「あれ、コンピューターって、自分でプログラムできるじゃなかったっけ?」と気づきます。

ファミリー「コンピューター」のはずだけど、これはコンピューターじゃない。ただのゲーム機だ。




小学校6年の時、ファミコンは大ブームになっています。

欲しくても買えなかった友達が、親が代わりに MSX を買ってきました。


その友達は、本当はファミコンがやりたい。僕は、プログラムがやりたい。

利害が一致して、1か月くらいの間交換します。


これが、はじめての BASIC 。

それまで、憧れて書籍などを読んで勉強はしていましたが、急に使えるはずもない。


MSX-BASIC って、実行を途中で一時停止する機能あるんだよね。


3つの数字が適当に表示が変わるのを「一時停止」して、揃ったら成功、というスロットマシン作った覚えがあります。

一時停止するって、ゲームでもなんでもない。でも、自分としてはゲームを作ったつもり。


セーブする方法がなかったので、電源を切ったらプログラムが消えます。

翌日、改良案を思いついたら昨日と同じものを作ったうえで、改良する。


毎日毎日、同じようなプログラムを作りつづけました。

同じのつもりでも、「同じことを実現する、もっとスマートなやり方」とかを思いついて、改良されていく。


同じものを作るしかなかったから、自然に改良が進みました。

この時は「面倒くさい」って思ってたけど、今考えると非常にいいトレーニング方法。




中学1年で、ファミリーベーシックが発売されます。

誕生日の直前だった。お年玉貯金で…買うにはお金が足りなかった。

ファミコン発売以前は、お金って特に使わず貯金してたけど、ファミコン以降はゲーム買ってたから。


誕生日に、親が半分くらい援助してくれて、ファミリーベーシックを手に入れます。




BASIC の勉強になる本は無いか…探しに行った本屋でベーマガと出合います。

丁度「ファミリーベーシック発売」という速報が掲載されていて、サンプルプログラムがあった。(1984年8月号)


この号から購入を開始。

翌号からは投稿プログラムが掲載されていました。


ベーマガでは、ファミベ用はもちろん、他の機種用のプログラムも結構目を通していました。

面白そうなゲームは移植を試みたりね。




というわけで、冒頭の質問の答え。


僕の場合、ゲームとパソコン・プログラムは同時進行で好きになり、どれも十分に手を出せないまま、憧れている期間が長く続きました。

機械持ってないのに、BASIC の本だけ何度も読み返したりね。


中学1年でファミベを入手して、それを期にゲームのプログラムに一気にのめり込みます。

すでに知識はあるので、難しそうという意識はなかった。


ただ、それなりにまともなゲームが作れるようになるのは、もう少し後の話になります。



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ゲームの条件  2015-03-25 18:20:46  業界記

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ぎーちさんとの対談は、話があちこちに脱線しまくっていたので、答えられていない質問もいっぱいあります。

僕の現在の考えを記録する良い機会なので、昔話と並行して書いていきます。


個人の意見だから、読んでも何も役立たないよ、ということは先に断わっておきます。




質問の一つに「ゲームが成立する条件として、お金を払うことは必要と思うか」というものがありました。


質問意図としては、業務用にしろ家庭用にしろ、お金を払って遊ばないとゲームがつまらなく感じられる、ということかと思います。


スマホ時代になって、無料ゲームがよく配布されていますが、これがつまらないと言われることが多いです。

また、業務用のゲームなどで、イベントで「フリープレイ」(無料で何度でも遊べること)になった途端に面白く感じなくなる、という現象も、実際に存在します。




僕としては、ゲームに必要なものは2つだけだと思います。


1) 目的

2) 障害(目的を阻害するもの)


これが揃っていればゲームとなる可能性があります。

可能性だけね。揃っていても、バランスが悪いとゲームとして成立しない。


障害が適切でないと、ゲームがつまらなくなります。

敵が強すぎてクリアできる気がしない、敵が弱すぎてすぐクリアできてしまう、などね。




ところで、もっと根源的な問いを出します。

ゲームって何のために存在するのでしょう?


娯楽のため? 現代的にはそうでしょう。

でも、娯楽なんて行う余裕がない時代から、ゲーム自体は存在しています。


ゲームは、殺し合いを避けるために存在したのだという説があります。

僕はその説を支持しています。



腹を空かした原始人が5人いたとします。

協力して狩りをして獲物を得たのですが、2人分しかありません。


どうしましょう。協力したのだから、少しづつ分ける、というのも方法です。

でも、それだと分け前は少しで、空腹が収まりません。


殺し合いを初めて、3人減れば2人は満腹になります。

でも、自分が殺されるかもしれないリスクは避けたい。ここは穏便に行きたいところです。



そこで、平べったい石を見つけてきて、片側に動物の血で印を付けます。

一人づつ空中に投げ、落ちた時に血が付いた側が見えたら、獲物を貰う権利があります。

逆側が上になったら権利放棄。


権利者多数ならその中でやり直し。権利者が少ないなら敗者復活。

これで2人が獲物にありつき、残りの3人は別の獲物を探しに行きます。



上に書いたのは全くの想像だけど、おそらく初期の「ゲーム」とはこうしたものであったはずです。




外国のゲームセンターでは、一定の基準をクリアすれば景品を出す、というのが普通に行われています。

今でも、ゲームをやる動機として「成功報酬を得る」というのは、大切なのです。


日本でも、パチンコとか、競馬とか、成功報酬が得られるゲームはあります。


…が、なぜか風俗営業法で、テレビゲームは景品を提供してはならないことになりました。

ここで、日本のゲームは独自の進化を遂げます。


報酬を、物から情報に変化させたのです。


いわゆる「先の面が見たい」からゲームをする状態。

「ハイスコアを取りたい」「カンストしたい」でも、なんでもいいです。

景品もないのにゲームを遊びたくなる仕掛けを用意した。



大切なことは、報酬が情報に変わっても、これが「成功者に」与えられるものだったことです。




ところで、ある時テレビゲームに革命が起きました。


「コンティニュー」の登場です。ドルアーガの塔が最初だったんじゃないかな。


ゲームセンターにとって、ゲームは「商売」です。ゲームが面白いかどうかより、お金が入ることの方が大切。

本来、成功者への報酬だったはずの「先の面が見たい」は、お金で解決できる問題となりました。


これ、最初に書いたゲームの条件の一つとしては「障害」が軽くなった、ということですね。


でも、コンティニューにはお金が必要です。無限に続けることはできません。


しかも、途中から始めるということは、いきなり難しいところから続けるのです。

続けても続けても、遊べる時間はどんどん少なくなっていく…


「障害」の一つとして「有限のお金」がゲームのルールに組み込まれたのです。




さて、ここで最初の「お金を払うことは必要か」という質問に戻ります。


今、有限のお金がゲームのルールに組み込まれた、と書きました。

これが「お金を払わないでよい」となったらどうなるでしょう?


もはや、ゲームに障害は存在しなくなります。

誰でも目的に到達できるようになります。


これは、最初に書いた「目的と障害のバランスが悪い」状態で、つまらないゲームです。



でも、注意してください。

「無料になったからつまらなくなった」のではありません。


ゲームの大切なルールとして組み込まれていた「お金は有限」という部分を変更してしまったのがつまらなくなった原因です。


もっと端的に言えば、ゲームのルールに手を加えたらつまらなくなった、というだけ。

改造して無敵にしたらつまらなくなった、というのと同じで、当たり前です。




無料でも面白いゲーム、というのは存在し得ます。


情報としての報酬は、無料でも出すことができます。

ただし、「先の面が見たくなる」ような構成を行うには、それなりの開発資金が必要です。


どういう方法で資金回収するかは、開発側の問題。

ともかく、プレイヤーにとって面白いのに無料、は実現できるし、すでに多数存在しています。



ただ、これで面白いゲームは、おそらく遊ぶ人を選びます。万人受けするゲームではない。

コンティニュー不可、何度でも遊んでいいけど、腕が無いと先に進めない、というゲームになるから。


難易度は多少低めに設定して、練習すれば誰でも最後に到達できる、くらいにすれば万人受けするかな。

この場合、上級者でも楽しめる仕掛けを入れておくのを忘れずに。



誰でも最後まで行けるゲームは、ゲーム好きにとって簡単すぎてつまらない。

それでは「無料ゲームはやっぱつまらない」になってしまう。


でも、一見難易度が低くても、隠された「上級者向けの目的」に気付いたとたんに難易度が跳ね上がる、というゲームの作り方もできる。




初代ピクミンがそうだった。

気付かないプレイヤーには「簡単すぎる」「つまらない」と言われていたのだけど、一部の「気づいた」人は、非常に難易度の高い、攻略しがいのあるゲームとして遊んでいた。



ただ、ピクミンほど作り込んだゲームは、プロでないと作れないと思います。

そして、プロが作ったゲームを無料で遊ばせたら割に合わない。



お金を払わないゲームがつまらない、ということは無いと思っていますが、無料で遊ばせてくれる程度のゲームはつまらない、ということはあるかもしれません。



ところで、以下は完全に余談。


昨年末に、Amazon が Android 用の「チューチューロケット」を無料で配布していました。

Amazon アプリの広告の一環として、広告費でセガのゲームを無料配布したのね。


これは、「開発がどうにか資金回収し、ユーザーには無料提供」というモデルケース。

実はこのゲーム、昔遊びたかったけど、遊んでなかったんだよねー。


「すでに存在する」と書いた無料で面白いゲームの一つとして、これを想定していました。



昔は市販したクオリティのゲームの移植ですが、操作はスマホでやりやすいように改めています。

でも、ゲーム内容はまったくそのまま。良移植。


パズルゲームなので、じっくり考えられれば誰でも解ける。

考えて判らないなら、試行錯誤で何とかなる。


逆に言うと、解けない面があっても、お金払ってヒント貰ったりはできない。

その点ではやはり、昔風のゲーム。遊ぶ人を選びます。


#昔のゲームのそのままなので、すでに解答を書いたページも多数あります。

 でも、パズルなので「解答を見る」のはゲームをつまらなくするだけ。


 ゲームの外側にある「ゲームのルール」をどうするか、プレイヤーの心構えが問われます。

 そんな部分も、やっぱり遊ぶ人を選ぶ昔風のゲーム。



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