2012年07月09日の日記です


づつ について  2012-07-09 17:09:26  その他

当サイトの各ページの一番下では、一行掲示板がつけてあり、誤字脱字などの指摘を受け付けている。


自分は結構そそっかしく、がさつなので、十分に確認しないまま文章を公開してしまうことがある。

そうすると、誤字脱字がたくさんある。あとで自分で読み直しても気づくくらいだから、他人から見ればもっとあるだろう。


というわけで、気づいたら教えてね、という他力本願スタイルをとっているのである。

もちろん、誤字脱字のような「些細な」事ではなく、書いている内容が根本的に違う、という指摘もありがたい。



そして、本日平方根の求め方のページで、以下のような指摘をいただいた。


【えへへ】 1つづつ⇒1つずつ (2012-07-09 14:15:41)


これはおそらく誤字の指摘だろう、と判断した。指摘をいただけることは非常にありがたい。



しかし、これには少し悩んでしまった。自分の知る限りでは、「1つづつ」は間違いではないはず、だからだ。


僕は好んで「づつ」の表現を使う。特に明確な理由はなく、なんとなく好みだから、というだけの理由だが。


なんとなくなので、「ずつ」を排除しているわけでもない。いま、自分のサイト内を google で検索したら、「ずつ」が含まれるページが40、「づつ」が含まれるページが225あった。




もっとも、自分が正しいと言い張る自信はない。気になるので調べてみた。


まず、旧仮名遣いでは「づつ」が一般的なようだ。

一説には、「づつ」の語源が、「1つ、2つ」と「つ」を重ねる意味だから、だそうだ。



これが「ずつ」になったのは、戦後間もない昭和21年に、内閣訓令で「現代かなづかい」を定めたため。



人によって賛否はあろうが、この「現代かなづかい」は非常に意義の深かったものだと考える。


これ以前は、「話し言葉と書き言葉」は明確に違うものだった。

違うがゆえに、「書き言葉」を習得するのは難しく、読み書きが出来ない人がそれなりに存在した。


話し言葉では「ず」と「づ」は同じように聞こえるのに、書き言葉では正しく書き分けなくてはいけない。

…これを簡便化するために、基本的に「ず」を使うことに定めた。


これによって、明治ごろから始まっていた「文言一致運動」(文…書き言葉と、言…話し言葉を一致させよう、という運動)は完成を見る。



しかし、大胆な改革には犠牲を伴う。

原則として「づ」を使わない、というのは少し乱暴すぎた。

極端な話、小説を書くのに時代感を演出するための旧仮名遣い、というものすら許されない。


そもそも、「現代かなづかい」の訓令文面自体が矛盾を持っている。

かなづかいの基本的な規則として、「現代語音にもとづいて整理する」ことを定めているのだ。


「現代語音」つまり、話し言葉をそのまま書くべきだ、として、同じ音の場合、例えば「ず」と「づ」がある場合は、原則として「ず」を使う、としている。

しかし、その文面に「もとづいて」が出てくる、という矛盾がある。


もちろん、擁護も可能だ。原則として、と言っているのだから、例外もある。


「現代かなづかい」では、2語が複合して出来た言葉において、後ろの言葉の頭が「濁音になる」場合は、もとの字を使うことにしている。

なので、「もとづいて」が「もと」と「つく」の複合語だ、と考えれば矛盾はない。


しかし、その場合は新たな矛盾が生まれる。

「現代語音」とわざわざ言っているのは、過去における単語の成り立ちなどは考慮せず、現代的に一語であると認められているものは一語として考える、と言う意味だ。


「もとづく」は、現代において一語だ。これが複合語だ、という主張は、「現代語音」を重視した考えと矛盾してしまう。


いずれにしても、「現代語音にもとづいて整理する」という文面は矛盾が生じていることになる。




そんなわけで批判も多く、昭和21年に出された「現代かなづかい」は、昭和61年に廃止されている。

とはいえ、文章を書く際の指針は必要なので、新たに「現代仮名遣い」が制定される。


ただし、現代かなづかいと違い、たった一つの方法が正しく、他は間違い、というような決め付けを行わない。

具体的には「ず」と書くことが薦められている部分でも「づ」を使っても構わない。


また、適用範囲も、現代かなづかいでは「広く各方面にこの使用を勧め」「徹底する」としていたのに対し、主に公共性が高い文章に適用し、小説などは除外することが明確にされた。


ちなみに、外来語も適用外である。

何よりも、「現代かなづかい」以前に使われていた「歴史的かなづかい」を尊重し、理解を深めることが有用であるとされた。


そう、今となっては、「語源に対して正しい表記」を行うことが間違いではなくなったのだ。



これで小説も自由に書ける。

chassisを、「シャーシ」とあらわそうが「シャシー」とあらわそうがどちらも間違いではない。

Babbageを「バベジ」と書こうが「バベッジ」と書こうがどちらも間違いではない。

「づつ」だろうが「ずつ」だろうが問題ない。


そして、最初の問題に立ち返る。



自分は「づつ」という表記が好きだ。なんとなく好きだっただけだが、今回調べて「1つ、2つの つ を重ねたもの」と知ったので、なおさらこれが正しい表記だと確信した。

それが、「歴史的かなづかいを尊重する」ということだろう。


とはいえ、「ずつ」のほうが「現代仮名遣い」においては本則である。「づつ」を使っても構わない、というだけで、自分がマイナーであることは忘れてはならない。


ただし、「ずつ」が本則なのは公共性が高い文章の場合だけ。

このページは、僕が好きなように書いているだけで、公共性の高い文章には該当しない。(と思う)




多様性を認められる社会というのは、成熟した社会だと思う。


「現代かなづかい」は、統一することを主眼としていて、多様性は認めていなかった。

戦後、日本に余裕なんてなかった時期に定められたのだから、これはこれで構わないと思う。


しかし、「現代仮名遣い」は、多様性を認めていて、ルールを逸脱することを許容している。

もっとも、言葉はインターフェイスでもあるので、大きな逸脱は良いことではない。


それでも、逸脱を許容する…つまりは多様性を認めているのは、社会が成熟したのだと思う。




今回、調査中に何度も目にしたのが「この表記が正しく、こちらは間違い」という内容の文章。

多くは、廃止された「現代かなづかい」を根拠としたものだ。


実のところ、「現代かなづかい」以前には明確な基準はなかったので、間違いは存在しなかった。

そして、「現代仮名遣い」では、指針を示しているが逸脱を間違いとはしていない。


長い日本語の歴史で、「現代かなづかい」が効力をもった40年だけが、やたらと「間違い」を指摘される異常な時代であった、ということだ。

せっかく文章を書いて間違いだといわれると、気持ちが萎縮してしまう。


今は、こんな些細なことで間違いだといえる根拠はなくなった。

萎縮することはない。みんな、もっとおおらかに文章を書いてよいと思う。



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