2012年10月の日記です

目次

05日 運動会
12日 発掘
28日 山歩き


運動会  2012-10-05 09:27:30  家族

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小学校、保育園と、2週に続いて週末運動会。


小学校の運動会は…退屈。

まだ子供が一人しか在学していないせいもあるが、出番の間が長すぎて、長女・次女も暇をもてあましている。


そこで、妻が長男の出番の合間に家に帰り、暇つぶしを持ってきた。

そのうち一つが、アートバルーン。



妻はPTAの手伝いをやっていたので、アートバルーンを持っては来たが作れない。

妻はいろいろと作れるのだが、僕は犬しか作れない。


というわけで、長女の保育園の友達も合わせて、犬を作ってあげる。


すると、近くにいた知らない子達が「僕も欲しい」と言い出す。

ちゃんと礼節をもって「作ってください」と言えた子には作ってあげる。

礼節を持っている子は、遊んでいるうちに壊れた(ねじってあった部分がほどけてしまった)と言ってくれば直してあげる。


でも、一人だけ「犬じゃなくて剣が欲しい」と言って聞かない子がいて、申し訳ないが何もあげなかった。

剣なんて作れないし(大体の構造は知っているが、結構難しい)、わがままばかり言って礼節をわきまえなかったため。



長男は…まぁ、ひどいもの。

運動オンチは僕に似たのだろうが、苦手だからと最初から逃げの姿勢の競技があったのは情けない。


勝敗の付かない踊りはのびのびと踊っていたのだが。体を動かすこと自体は好きなのだ。




保育園の運動会は、家族中で楽しめる。

親の参加する競技もあるし、OB小学生の参加できる競技もある。


終了後に先生が言っていたことだが、「毎年大人が本気を出すのが、この保育園の運動会の楽しいところ」。


運動会に限らず、この保育園では大人が本気を出すことが多い。

いい大人が、大人気なく子供と一緒に遊ぶ。それが出来る環境は非常に良いと思う。



午前中の競技で、赤組の圧倒的優勢。うちの子は赤組なので大喜び。


午前中最後の競技は鈴割り。

これは毎年恒例で、子供の力では割れないことになっている。(そのように作っている)


で、なかなか割れないので一旦中断し、園長先生が魔法をかける。

…あきらかに、カッターで切れ目を入れる。「魔法だ」と言っているのに、園児もみんな切っていることを知っている。


そして、これも恒例だが、負けているチームを割れやすいように切る。


しかし、この「割れにくい鈴」を作るのは、結構職人芸なのだ。

銀紙と金紙はもともと強度が違うので、「同じ程度の強さ」「そのままでは割れない」「カッターを入れればすぐ割れる」という微妙な強さでそろえるのが難しい。


3年前まで、8年間保育園に在籍していた PTA の方が、この職人芸の持ち主だった。

ところが、その方はすでにいない。2年前は、カッターを入れたらその時点で鈴が割れてしまい、あわててガムテープで直したら、今度はいくら玉をぶつけても割れない、と言う状態になった。


さらに、今年は古くなった鈴を作り直したらしい。

いろいろな話を聞いて、今年もおかしなことになるのではないか、と誰もが危惧していた。


…やっぱそうだった。この時点で圧倒的に勝っている赤組が、先に鈴を割ってしまった。

昼ごはんの時点で圧倒的な赤組勝利。




午後最初の競技は綱引き。

毎年恒例で、園児だけでなく、OB小学生、PTAも綱引きを行う。


ここで、小学生も赤組の勝利。…が、なぜか「両方がんばったから引き分けとします」とアナウンス。


後で知ったところによると、白組が負けているので、白組のOBが非常に多く集まり、白組の人数が多すぎたらしい。

「白組が負けているのだからそのままで良い」という意見も出たものの、公平にしないといけない、という判断で、弟妹が白組にいる小学生を、強制的に赤組に振り分けることに。


しかも、年齢の低い順に並んで前から数え、「後ろのほうを」赤組に振り分けた。

つまり、赤組は人数は同じでも、力の強い子が集まっている。


白組に応援が集まったのに強制的に赤に振り分け、しかも振り分け方が悪くて赤を強くしてしまった、というのが赤組勝利の理由。そして、これを補正するために「ゲーム無効」にした、と言うのが真相。



次はPTAの綱引き。

ここで、偉い先生からアナウンス。

「白組負けています。がんばってください。赤組の方、…わかってますね…」


…なんて大人気ないアナウンスなんだ (^^;;


赤組PTAの方、これに怒ったのか(?)圧倒的な力をみせ、白をぐいぐい引っ張る。

そして、勝利目前で急に力を緩め、白勝利。

試合としては負けたが、勝負には勝った、と言うところか。



不可解なことはまだ続く。

紅白リレーでは、毎年園児とPTAが競技を行う。


今年は急遽「小学生」の部門が作られる。

…どうやら、白が負けすぎていて、そのまま順当に競技をすると、どんなに勝っても追いつかないらしい。

そこで、チャンスを与えるために競技を増やした、というわけ。


白組はがんばり、小学生・PTA部門で白組勝利。


#うちの妻もPTAで走り、速過ぎてバトンを渡したところで転倒。

 (渡した相手が想像以上に遅かったため、ぶつからないために避けたところ姿勢を崩した)

 受身を取ってごろごろ転がったのが余計に「大事故」に見えたようで、多くの方が心配していた。


さらに不可解なことは続く。

最後の数競技は、得点板に得点表示がされなくなる。これも毎年恒例で、最後の発表までどちらが勝ったかわからないようにするためだ。

しかし、「最後に掲示された得点」の時点で、赤がまだかなり優勢だった。


なのに、最後には1点差で逆転されていた。

…どうも、最終近くの競技の配点を高くしたらしい。


最後のPTA会長の挨拶も、園長先生の挨拶も、歯切れが悪い。

「どちらが勝った」ことには出来るだけ言及せず、たった1点しか差が無いし、どっちも良くがんばりました、ということで終わらせようとする。


たぶん、あそこからの大逆転と言うのは「やりすぎて」しまったのだろう。



十分楽しめたし、勝ち負けはどうでも良いことではあるのだけど、後味の悪い運動会でした。



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名前 内容

発掘  2012-10-12 17:04:27  コンピュータ 家族

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しばらく前にサーバーのHDDが壊れ、データの保全作業を行った。


…要らないデータが山ほど入っていて、データコピーに時間がかかった。


HDD の容量は年々増え続けている。



高校の頃、父が会社から持ち帰った(レンタル落ちの)オフィスコンピューターには、「8メガバイト大容量固定磁気ディスク」が搭載されていた。(ちなみに、フロッピーディスクは「標準8インチディスク」だった)


大学においてあった PC-9801 は、40M の HDD を20M*2のパーテーションに切って使っていたっけ。

その後、自分が手に入れた X68k は 40M をパーテーションなしで使えた。海のように広大な容量だと思った。


でも、この話を妻にすると、「そんな昔話は知らない」と一蹴される。

妻が最初に使ったパソコンは Mac の Perfoma で、HDD は 340M あった。

僕も X68k の次は Perfoma を使っていた。モデルは違ったが、ディスク容量も同じ 340M だったように思う。



初めて容量が「ギガ」で表現されるようになったときは、すごいと思った。

まさかこんな単位が出てくるとは。


でも、このころは使用するデータ量の伸びもすごかった。

X68k のころは、データは自分で作り出したものが主だったが、この頃には Internet が普及し始めていて、ダウンロードしたデータが主になっていた。

(ちなみに、回線はまだアナログで、28.8kbps のモデムを使っていた。ダウンロードしたデータは「もったいなくて」消せなかった)


また、QV-10 の登場で「写真データをパソコンで管理する」ようになっていた。

これがまた、(現像代がいらないので)気軽に写真がとれてうれしかったが、ディスク容量を圧迫した。


だから、ギガ単位の容量があっても、データを時々整理しないと容量が足りなくなった。




現在は、容量で困ることは余りない。

データが増えすぎて、整理する気も起きない。


新しい環境に移るとき、取捨選択するのが面倒で「全部コピー」してきた。


しかし、サーバーのダウンタイムを最小化するために、サーバー内部のデータだけでも整理しなくちゃならんだろ。

…とおもって、古いデータを時々見直し始めた。


そうしたら、もう存在しないと思っていたデータが、次々出てくる。


10年前に仕事で作成していたが、途中で開発中止になったCGI プログラム…なんてものは、もういらないだろう。こんなものは消去。

10年前の年賀状のあて先データも、もう要らない。というか、今更読み込めるソフトがない。


8年前に家を設計していたとき、「家の間取り体感ソフト」で作ったモデリングデータももういらない。


15年前に、当ページの(!)オフ会で撮影した写真が出てきた。

当ページのオフ会、というだけあって、古いパソコンの写真がごろごろある。


これ、「いつかこのページに載せる」と約束していた気がするが、いつか載せないとな。



そして、当ページの最初期からのファイルを保存してあるのを発掘した。

現在、当ページは自作の CMS を使って、記事のデータを元に HTML を自動生成している。


しかし、昔は HTML タグを手打ちしていた。CMS に移行する際に、それまでのデータを全部保存しておいたものだ。


基本的にはデータは全部移行しているので、当時からある内容に関しては大差ない。


昔使っていた「歴代タイトルロゴ」があるな。

当初は、季節ごとに、季節感のある写真に変えたりしていたのだよ。


各コーナーも、現在はテキストでコーナータイトル作っているけど、当初は画像が入っていた。

(なにぶんアナログモデム時代だったので、「出来るだけ軽いほうが良い」という意見をもらって、コーナータイトルはテキストのみで作るようになった)


過去の日記も発掘した。

この「日記データ」が、CMS 導入時に移行しなかった最も大きなデータだと思う。



発掘した日記は、96年9月28日から、98年10月11日まで。基本的には、毎週1度書いていたようだ。

…あれ? 当ページ、一番古いデータは「1996年10月1日」に作ったことにしてあるけど、実際はもう少し前に出来ていたようだ。


懐かしい日記。元々公開していたものだから、また公開したい気もする。(誰も得しないけど、個人的な思い出・当ページの歴史として)


でも、今見ると公開できない内容もあるんだよね (^^;;


当時はネットは今ほど「気軽に見れる」時代でもなかったし、「簡単に探し出せる」時代でもなかった。

だから、個人情報に当たるものや、企業秘密にあたるものを書いてしまったりしている。


まぁ、問題ないように加筆修正しながら、気が向いたら公開するかもしれません。




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山歩き  2012-10-28 14:44:47  旅行記 家族

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子供と一緒に山歩き。


…を、いつかしたいと思っていた。


東海道の旅は長男が生まれる直前。


その長男も、すでに8歳。

その下に5歳の長女も3歳の次女もいる。この子達が小さいうちは、山歩きなんてとても出来なかった。



でも、次女が3歳だ。もう、簡単な山歩きならできる気がする、と今年の5月に近所の山を登って確信した。


六国見山は近所過ぎて、2時間程度で終わってしまった。

次はもっと長いコースを、と画策していたが、夏は暑いので秋を待っていた。




秋になったら運動会やら遠足やらで忙しい。

合間を縫って3週間ほど前に山歩きを計画したら、当日は雨だった。


今週は久しぶりに何も無い週末で、昨日の天気予報は晴れだった。

この日を逃したら寒くなりすぎて山歩きできなくなりそうだ。


というわけで、昨日急遽子供を誘い、家族で山歩きに出た。




家から 2km ほど離れた公園から、鎌倉の山の中に入ることが出来る。

しかし、街中を 2km 歩いたら、子供はきっとそれだけで退屈して、帰ろうと言い出す。

なので、そこまではバスで行く。


たった 2km なのでバス代がもったいない、と妻に言われたが、行楽費としては安いもの。


公園からは、山に入る整備された階段がある。

いわゆる「天園ハイキングコース」に入る道だ。

鎌倉側の端は建長寺となっているが、そこから 800m ほど入ったところに接続する。


そこから歩く。ひたすら歩く。

子供は「山歩き」の趣旨を理解していないので、「どこまで行くの?」と目的地を気にしている。


ゴールはあるけど、そこに行くのが目的ではなくて、歩く途中を楽しむんだよ、と教えても理解できない。

綺麗な花や、どんぐりを探しながら歩いてごらん、と言ったら、やっと楽しみながら歩けるようになった。



1時間弱で、鎌倉の最高地点、大平山に到着。大人なら30分の距離だな。


#お詫びを書かないといけない。

 5月に六国見山について日記を書いた際、いろいろ調べた結論として、

 大平山は鎌倉市ではなく横浜市であり、最高地点は六国見山、としていた。

 これはそう書いてある WEB ページがそれなりの数あったために信用したのだが、誤りだった。


 大平山近辺は市境になっているが、最高地点は間違いなく鎌倉市側だった。

 市境は最高地点には設定されておらず、80m も離れていた。




おやつとして、持ってきたカントリーマームを食べる。

まだ子供は元気で、食べ終わったら広場ではしゃいでいる。


じゃぁ、先に進もうと出発する。

長男は多少疲れたようなので、飴をなめながら歩く。


#長女は時々、次女はほとんど抱っこなので疲れていない。




天園の茶屋を抜け、円海山方面へ。

実は、今回たどる道は、僕がボーイスカウトの頃に毎年歩いていたコースの一部だ。


ボーイスカウトのころは、毎年元日に、本郷台から港南台まで街中を歩き、円海山から鎌倉まで山の中を歩き、江ノ島まで再び街中を歩いて初日の出を見ていた。



市境広場でちょうど12時過ぎだったので、お弁当を食べる。

お弁当はおにぎりのみ、4合分を持ってきた。


おかずが無い、ということが多少不評だったが、良く食べる。

おかずを持ってくるとお弁当箱が必要になり、荷物が増えるから、抱っこやおんぶに支障が出るのだよ。



2時間歩いて、子供たちも多少疲れた様子だったが、食事と休憩で復活。


ここからはバス通りに降りやすい。

ここで子供たちが限界だったら中断、と考えていたが、先に進むことにする。


「市境広場」の名前のとおり、ここまでは鎌倉市で、ここからは横浜市。

横浜市に入ったら、急に道がよくなった。もちろん山道なのだが、整備されている。


横浜側の散策路としては、いわゆる「ビートルズトレイル」を進む。

…ボーイスカウトで通った道、と先に書いたが、それはもう30年近く前の話。


今通ると、道がずっと歩きやすくなっていることに気づく。

急なアップダウンがなくなっていて、時にはコンクリート製の橋がわたしてあったりして、道が平坦。


山らしい楽しみは無いけど、気軽に山に親しむにはいいかも。




ビートルズトレイルも、大人の足なら1時間少しの道。

しかし、子供と一緒だと、途中1回の休憩を挟んで、2時間かかった。


山道を降りてからも、港南台駅まで30分程度。

3時過ぎには、(時々家族で入る)港南台のミスタードーナツに入っておりました。


僕の目的としては、ここで3時のおやつを食べられれば成功、と思っていたので、大成功でした。

全行程では 9km 程度を、5時間(も)かけて歩いたことになります。



長男は非常に疲れたようだったけど、ミスドの中華麺を食べて復活。

(長男は甘すぎるものは余り好きでないので、ドーナツより中華麺を好む)


次女は山を降りてすぐ、抱っこされたまま眠り、ミスドに入って起きた。

次女が歩いた距離は、おそらく 2km 程度。


長女は前半はがんばって歩き、後半は妻におんぶが増えました。

しかし、5歳の女の子にしては良くがんばった、と思います。



次はどこだろうな。

もう1~2箇所鎌倉近辺の山を歩いたら、足柄山とか大山に行ってみたい気がする。


#ずっと「山らしさ」は増えるけど、初心者向けの気軽な山。


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