2017年03月09日の日記です


BSD 初リリース日 (1978)  2017-03-09 15:30:18  コンピュータ 今日は何の日

今日は BSD 初リリースの日(1978)


UNIX は、AT&T ベル研究所で作成されました。

別に商品として作られたわけではなく、ケン・トンプソンが「ゲームを遊びたい」という素敵な理由で作り始めた、趣味のシステムです。


でも、ベル研究所は「研究所」だけあって優れた人材が集まっていました。

仲間が寄ってたかって UNIX を改良し、優れた OS へと育ちます。


当初 PDP-7 でアセンブラで作られれていた UNIX は、PDP-11 に移植され、新たな言語「C」ですべてを書き直されます。

これにより、OS自体の構造も他の人に判り易くなりました。


この頃になると、ベル研究所も UNIX の商品価値に気付き始めたみたい。

でも、AT&T はあまりに巨大企業で、独占禁止法により本来の業務…電話以外の商売を禁じられていました。


だから、UNIX は「無償」で、ソースコードが大学などの研究機関に配布されます。

OSの研究用、という名目でした。


特に、カリフォルニア大学バークレー校では、UNIX の生みの親であるケン・トンプソンが直接出向いて講義を行うなど、積極的に UNIX を導入しました。




バークレー校に、ビル・ジョイという学生がいました。


彼は UNIX を積極的に改良し、オリジナルにはなかった各種機能を追加します。

そして、ある程度改良が溜まった時点で、これらをまとめて公開しました。


オリジナルに対するパッチ集です。そのため、使用するにはオリジナルが必要です。

しかし、これが「バークレイ・ソフトウェア・ディストリビューション」(Berkeley Software Distribution)、略してBSDです。


1978年の3月9日に配布された first BSD (1BSD) では、Pascal コンパイラと、ex エディタが含まれています。


この ex エディタ、以前に書いています

UNIX の標準エディタだった ed を改良して、豊富な機能を持たせたものです。


特筆すべきは、ビデオテレタイプ…ブラウン管を使用した端末用に、「ビジュアルモード」を持っていたこと。


通常の「ラインエディタ」モードなら、テレタイプでも使用できます。

ビジュアルモードはビデオテレタイプでしか使えませんが、前後の行を同時に参照しながらファイル編集が行え、しかも編集位置を示すカーソルを、自由に動かすことができるのです。


…いわゆるスクリーンエディタ、今我々が「エディタ」と呼んでいるものの元祖ですね。


このモードは、起動後に切り替えることもできましたが、コマンドファイルの名前を変え(シンボリックリンクを作ればいい)、起動時からビジュアルモードにすることもできました。


ビジュアルモードの際は、コマンドを vi とします。Visual の先頭2文字です。




BSD はその後も版を重ね、便利になっていきます。

UNIX に初めて「仮想記憶」を取り入れたのは、3BSD。

UNIX はすべてを「ファイル」として統一しようという思想があるのですが、ネットワークすらも「ファイル」の一つにしてしまったのが 4.2BSD 。


BSD は本家 AT&T の UNIX を超え、広く使われ始めていました。

しかし、BSD は AT&T UNIX の派生品であり、AT&T のライセンスを受けたものしか使用できませんでした。


この不便を無くすため、AT&T 由来のコードが徹底的に排除されていきます。

1989 年には、4.3BSD Net/1 として、完全ライセンスフリーな BSD が作成されています。



こうした改良には DARPA も資金を提供し、バークレー校だけではなく、多くの大学から専門家が協力しています。

4.2BSD には、マスコットキャラも用意されました。




しかし、BSD が改良を続ける間にも、AT&T は「独占禁止法」により解体され、分社化しました。


分社化した AT&T は、もう大企業ではなく、「電話事業のみ」の縛りも無くなりました。

UNIX を商品化しようとする AT&T と BSD の間に訴訟が起こります(1992~1994)。


結局、この訴訟では UNIX の商標権が AT&T にあることが認められ、BSD は「UNIX」という名前を捨てます。

これ以前、BSD は「BSD UNIX」と呼ばれていたのですが、以降は単に BSD となります。



AT&T の UNIX … System V は、この間にも着々と「標準化」を進めていました。

ヒューレットパッカード、IBM、SCO、NEC、アップル、そして Sun など、多くのメーカーが「System V 準拠」の UNIX を作っていました。


特に Sun の System V 陣営への参加は決定的でした。

Sun は、もともと最初の BSD を作った学生たちが起業した会社で、BSD を搭載したワークステーションを作り続けてきた会社です。


その Sun が技術協力することで、 SystemV には BSD 由来の機能も数多く搭載され、それまでの「本家対元祖」のような戦いに終止符が打たれるのです。




1990年前後は、上に書いたように System V 対 BSD という構図が見られたのですが、90年代後半に入って Linux が勢力を持ち始めると、この構図も有耶無耶になってしまいました。


2大勢力がいがみ合っている間に、横からきて人気をかっさらう…漁夫の利の構図ですね。


でも、実際 Linux は、System V 互換を目指して開発が始まりながらも、最終的には両者のいいとこどり。

趣味で始めてプライドなんてなかったから、節操はないけど使いやすい実装を行いました。


BSD と System V がそれぞれのプライドで互換性が悪かったころには、これがウケた。



今でも、BSD の流れを汲む PC BSD はあります。


FreeBSD、NetBSD、OpenBSD が主な勢力だったのだけど、今では「Mac OS X」が一大勢力かな。

あまり、これを BSD だと思っている人いないのだけど。





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