2016年08月の日記です

目次

01日 Microsoft Office 発売日 (1989)
03日 【訃報】シーモア・パパート
03日 カシオミニ 発売日(1972)
04日 手相占い特別版
09日 宇宙からの初メール(1991)
12日 家族旅行:プレジャーフォレスト
12日 極楽パイロット
12日 プレジャーフォレスト・キャンプエリア
12日 プレジャーフォレスト・2日目
18日 利用明細のWEBページ
18日 プリンタの不調
19日 ゴードン・ベル 誕生日(1934)
25日 Linuxの存在が明かされた日(1991)
26日 108項目チェックリスト
29日 マイケル・ジャクソン 誕生日(1958)
30日 著作権の初出年
31日 「人工知能」の生まれた日(1955)


Microsoft Office 発売日 (1989)  2016-08-01 14:16:28  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、Microsoft Office の発売日 (1989)


最初のバージョンは、Macintosh用のソフトでした。


当時 Apple と Microsoft は仲が良くて、Apple II 用の BASIC も Microsoft が作っていました。


#当初の整数 BASIC は、Woz の作。

 しかし、浮動小数点への要望が大きかったこと、Microsoft BASIC は事実上の標準になっていたことなどから、Microsoft に作成を依頼した。

 名称は Applesoft BASIC。



Macintosh の発売時にも、発売前から Microsoft に試作機などを提供し、ビジネスソフトを開発させています。

このときに作られたのが Word と Excel でした。




Mac には、Mac WORD 、Mac DRAW など、いくつかのソフトが同梱されていました。

これらは「GUI の使い方」を示すお手本にはなりましたが、ワープロやグラフィックソフトとしては、それほど高機能ではありません。


そこで、Microsoft も Mac 用に本格的なワープロソフトを発売します。

1984 年1月発売の、Microsoft Word for Macintosh でした。


#Microsoft の作った UNIX 環境である、XENIX 用に発売したワープロソフトの移植。

 XENIX 用は Multi-Tool Word という名前だった。




AppleII は、世界初の表計算ソフトである VisiCalc に牽引されてシェアを伸ばしました。

IBM-PC は、 VisiCalc よりも強力な表計算ソフト、Lotus 1-2-3 に牽引されてシェアを伸ばしました。


Apple は、表計算ソフトの重要性を理解していました。

そこで、Microsoft に表計算ソフトを作ってほしい、と依頼したようです。


…これは、どうも「会社として」の約束ではなく、Jobs が友人である Gates に依頼したもの。

この際に、非公開だった Mac の内部情報まで開示し、「どのように使ってもかまわない」と確約する直筆メモまで渡しています。


後に Windows と Macintosh の GUI が似ている、という訴訟になった時、このメモが原因で Apple は敗訴しています。



ともかく、Mac の GUI を上手に使った表計算ソフト Excel は、1985年9月に発売になっています。




その後、1987 年に Forethought 社から、Mac 用に、それまでになかった新しいタイプのソフトが発売されます。

「PowerPoint」というそのソフトは、コンピューターを使ってプレゼンテーションを行うという、新しいビジネススタイルの提案でした。


当時のパソコンは、本体・モニタ・キーボードが別々なのが当たり前。

移動するにしても、セットアップが面倒でした。


しかし、Mac は本体・モニタが1体型で、持ち運びのための持ち手までついています。

キーボードなしでもマウスで操作できます。


これを活かし、顧客の前で Mac の画面を見せてプレゼンテーションができる、という画期的なソフトでした。


Microsoft は、このソフトに将来性を感じ、会社ごと買収。自社のラインナップに加えます。


そして、Excel / Word / PowerPoint をセットにしてビジネス用パックを発売します。

1989 年の今日発売された、「Microsoft Office」でした。




Office は、それまで個別販売していたソフトの寄せ集めにすぎません。

しかし、これからコンピューターを使おうとする人が、まとめて必要なものを買うことができました。


実のところ、これ以前も Microsoft は類似のソフトを作ってきていましたし、この後もしばらく作り続けています。

Microsoft Works というのがそれで、ワープロ・表計算・データベースを中心として、いくつかの機能を使うことができました。


Handy98 に付属していたバージョンでは、このほか「グラフ作成」と「パソコン通信」の機能があった。


Works は、機能を単純に絞り込んだソフトの集合体でした。

最初から一緒に使うことを前提に設計されているので、インターフェイスもできるだけ共通化され、わかりやすいものでした。


しかし、初心者がちょっと使うには十分なのですが、本格的に使おうとし始めると、機能不足を感じるのです。



Office は、Works よりも高価でしたが、最初からフルセットの機能が使えました。

各ソフトは出自は別々でしたが…もちろん、Office が発売されるまでにインターフェイスは統合され、わかりやすく使えるのです。


今となっては当たり前に思うかもしれませんが、これは当時すごいことでした。

同じ OS の上で動く、同じ会社が作ったソフトであっても、それぞれのソフトごとに使い勝手がバラバラ、というのが当時の普通でしたから。




Microsoft は、 Windows が 3.1 以降になって普及し始めたときに、Office を OS にバンドルして販売する戦略を取ります。


バンドル版 Office は、特に人気がある Word / Excel だけに絞り込まれていました。

しかし、この2つだけ使えれば十分、という人も多く、Word / Excel を使いたいから Windows を選ぶ、という「キラーソフト」として十分な役割を果たしています。



ライバルである Lotus 社や、Justsystem も、Lotus SuperOffice や Justsystem Office などの対抗製品を投入するのですが、「OS にバンドルされる」という強力な販売経路を前に、大きく差をつけられてしまいます。


#このやり方は、独占禁止法違反だということで後に訴訟になっています。

 現在は、バンドルソフトは OS / PC 販売時に料金を示して別途購入できる、という形で解決しています。

 (適正な金額が示されているので、市販品を買うのと変わらず、優位な販売方法とは言えない)




フルセットの機能を提供しつつ、ワープロ・表計算を中心としたいくつかのソフトウェアを提供…という形式は、今でも各社から提供されています。


まず、有名どころでは、旧 Sun Microsystems が作成していた Star Office。

Sun が作成した Java のキラーソフト…となる予定だった、Java 上で動くオフィスソフトです。


Java 上で動く、ということは、すべてのコンピューターで動く。(とされていた)

Sun は開発をオープンソースにすることにして、すべてのソースコードが公開されました。


これを元に、OpenOffice.org というソフトが作られます。


後に、Sun が Oracle に買収され、オープンソースの理念が引き継がれなくなる可能性が出ました。

その際に作られたのが LibreOffice 。


事実上 OpenOffice.org の主要メンバーは、すべてこちらに移行しています。

企業買収の影響でブランド名だけが変わってしまった、ということ。


Oracle は、OpenOffice.org を Apache 財団に寄贈しました。

現在こちらは Apache OpenOffice となっています。

Apache ライセンスで提供されているのですが、このライセンスは完全な「フリー」ではないため、LibreOffice と袂を分かった格好です。



もう一つ、IBM は、Lotus を買収し、Lotus SuperOffice の後継に当たる Lotus Symphony を無償で提供しています。


ただし、こちらの中身は OpenOffice をベースとしたもの。

過去の Lotus SuperOffice とは全く異なる、ブランド力だけを活かしたものです。


以上は StarOffice を源流とする無料オフィス製品です。




もう一つの有名 Office 製品の流れの代表としては、KingSoft Office があるでしょう。

MicroSoft Office 互換を目指して作られた、Windows 用の Office 製品。


ファイルもある程度互換性がありますし、操作性も似通っている。

「互換品」としては一番信頼性があるようで、人気があります。

とはいえ、あくまでも互換品で、完全に同じものではありません。


同様の「Microsoft Office 互換」ソフトは、他にもいくつかありましたが、今は大体消えてしまったようです。



さらに、全く新しい流れを作り出したものとして、Google のアプリケーション製品群があります。

ただし、Google はこれを Office とは名付けていません。


ドキュメント(ワープロ)、スプレッドシート(表計算)、スライド(プレゼンテーション)があり、それぞれ Word / Excel / PowerPoint と、ある程度のファイル互換性を持っています。完全ではないけど。


すべて Javascript で書かれていて、WEB ブラウザ上で動きます。

何よりも、オンラインで同時に多人数で編集できるとか、URL が割り振られるのでアクセスすることでデータを得られ、機械的な処理も可能とか、従来の Office にはない新たな使い方が広がります。


ここら辺、以前に Chrome Book を買ったときに詳しく書いてますね。



本家である Microsoft Office も、Google のやり方の新しさには気づいたようで、類似ソフトを作っています。


Office Online


名前は Microsoft Office を連想させますが、Google の製品並みに「別物」だということを認識しておく必要はあるでしょう。

ただ、インターフェイスなどは極力似せてあるので、Microsoft Office に親しんだ人には使い易そうです。




以上、今日は Microsoft Office の最初のバージョンが発売された日だったので、Office がどれほどその後のソフト業界を変えてきたか、現在進行形の部分も含めて書いてみました。


すでに、いわゆる「Office」…Windows 上で動くマイクロソフトのデスクトップアプリ、は以前ほど優位性を持ってないように思います。

それでも、Office の中核がワープロと表計算である限り、これらのソフトは求めら続けるのでしょうし、統一的にデザインされた(同じ製造元の)製品のほうが使いやすいのだろうとは思います。


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【訃報】シーモア・パパート  2016-08-03 10:16:14  コンピュータ 今日は何の日

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7月31日、パパートが亡くなったそうです。享年88歳。

昨日知ったのですが、昨日は仕事が忙しくて訃報をかけませんでした。


LOGO を作った人です。

LOGO は今となっては古い言語なのですが、「計算機」に「計算させない」ための言語、というスゴイ発想の転換でした。


もちろん、コンピューターのアプリケーションで、計算を目的としていないものはあります。

しかし、それだって内部ではいろいろな計算をやっている。プログラムというのは計算で成り立っています。



でも、この「計算」こそが、プログラムを難しいものだと思わせている元凶だ、とパパートは考えました。

細かな数字なんてどうだっていい。

「プログラムする」こと自体を楽しめる言語を作れば、子供だってプログラムを楽しめるのではないか。




パパートは教育学者であると同時に、数学者でした。

そして、数学にとって当時はまだ「新しい武器」であったコンピューターにも触れていました。


この頃、BASIC のような「初心者向けのプログラム言語」が作られ始めていました。

パパートの在籍する MIT でも、子供に扱える、簡単なプログラム言語は作れないかと研究を始めます。



BASIC は、「文法が平易」で「実行しながらデバッグがしやすい」言語です。

しかし、そこで扱う概念はやはりコンピューターそのもので、計算することが中心になっていました。


これでは子供にとっては難しすぎます。

そこで、パパートはもっと概念が簡単なプログラム言語を作ろうとします。



プログラムの難しさは、計算を多用することと、できることが抽象的過ぎることの2点に集約されます。

そこで、パパートは複雑な計算をしないでも、ロボットが動かせる言語を作りました。


抽象的であることは、「ロボットに命令する」という具体性に置き換えて解決しました。

そして、常にロボットを中心として考えることで「座標系」の概念を知らないでも絵を描けるようにしたのです。


手順を示して絵…グラフを描くということは、幾何数学そのものです。

しかし、そこには座標系やベクトルなどの難しい概念は存在せず、分度器で測れる「角度」と、ものさしで測れる「距離」だけがあればいいのです。




LOGO は BASIC のようなものを目指して作られ始めましたが、できたものは全く違ったものでした。


BASIC は、プログラムの初歩を教えるものです。

文法は扱いやすく、デバッグもしやすいのですが、当時主流だった FORTRAN や COBOL と、根本的な部分では変わりません。

「なにか」を解決するためのプログラムを作るための道具です。


しかし、LOGO はプログラム言語でありながら、役に立つプログラムを作るための道具ではありませんでした。

LOGO で重要なのは、出来上がった成果物ではなく、その成果物を作る過程なのです。


子供は目的を達成するために、綿密に計画を立て、その手順をコンピューターにプログラムします。

しかし、大抵は思い違いなどで誤動作するものです。この「バグ」の原因を突き止め、自分の勘違いを修正しなくてはなりません。


人は成功からは何も学べません。

上手くいく、とわかっている知識だけを詰め込まれても、たいした役には立たないのです。


それよりも、何度も繰り返し失敗し、失敗した時にどう対処すればいいのか、どういうやり方なら失敗しにくいのか、実地で経験し続けることは、子供にとって何よりも重要な体験となります。


LOGO は、子供がそれを学ぶことができる言語なのです。



LOGO の開発話に関しては、パパートの誕生日にも記事を書いています。

興味のある方はそちらもお読みください。




LOGO は Smalltalk を生み出し、Smalltalk は Squeak, Scratch を生み出しました。


Scratch は、現在子供向けとしては一番成功しているプログラム言語です。

LOGO と同じように、具体性をもってプログラムできますし、非常に巧妙な仕組みで、初心者でも簡単にゲームやアニメを作れます。


#一応本職のゲームプログラマの目で見ても、ゲームに関しては「子供でも使える」けど、子供だましではない本格的なものが作れます。



一方で、Smalltalk は「オブジェクト指向」という新しいプログラム技法を生み出しています。

LOGO が「ロボットに教える」という具体性でプログラムを解かりやすくしたように、任意の機能を持った「オブジェクト」(物、という意味)をプログラムして、オブジェクトの組み合わせでプログラムをしていく、という技法です。


オブジェクト指向は、C++ や Objective-C を生み、Java や Javascript にも使われてきました。

こちらは単純に LOGO の子孫とは呼びにくいものですが、パパートの考えた「わかりやすくするための具体性」は受け継いでいます。



4年後をめどに、日本でも学習指導要領が改められ、子供にも積極的にコンピューターに触れさせることになりました。

少し前から方針は明らかにされていましたが、一昨日詳細が発表されてニュースをにぎわしたところです。


日本で、パパートの目指した教育がやっと取り入れられようとしている時の残念な訃報でした。


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カシオミニ 発売日(1972)  2016-08-03 14:19:12  コンピュータ 歯車 今日は何の日

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今日はカシオミニが発売された日(1972)。


名前は有名ですが、もちろん僕は実機を使ったことも、CMをリアルタイムに見たこともありません。

年がばれるけど、この世にはいたけど物心ついてない頃。



カシオミニは、ポケットに入るサイズの電卓です。

電卓というのは、「電子卓上計算機」の略です。卓上、つまりはデスクトップです。


その卓上計算機が、ポケットに入るサイズになるまでには激しい競争がありました。




「卓上」計算機になる前の話から始めましょう。


1950 年代、計算機と言えばタイガー計算機でした。

桁ごとにレバーが付いていて、その位置で 0~9 の数字を表します。

そして、クランクを回して歯車を動かすことで計算を行います。


足し算引き算はクランクを1回まわすだけ。


掛け算の場合、クランクを「かけたい数」だけ回します。

つまり、足し算を繰り返せば掛け算になる、という原理です。


ただ、大きな数をかけたいときにはこのままでは大変ですから、桁をずらすことで「筆算」と同じ原理で高速に計算できました。

割り算はもう少し複雑になりますが、おおむね掛け算の逆の考え方です。



1937年には、電動式のタイガー計算機も開発されていますが、高価で普及はもう少し後です。

電動式では、桁をずらす部分まで含め、自動的に掛け算・割り算を行ってくれました。


1950年代になると電動式も普及し始めますが、手動式でも高価なものだったので、一般的だったわけではありません。




コンピューターは「計算機」に自動制御機能を追加したものですから、電気式計算機もコンピューター以前からありました。


初期のものはリレー回路を使用していて、非常に巨大で、遅いものです。

それでも歯車式よりも高速で動作したため、特に膨大な計算が必要な組織で使用されていました。


この頃の計算機は、数値の入力も歯車式の計算機を模していました。

桁ごとに 0~9の数値を選ぶ、という方式です。10桁の入力がができるなら、10桁それぞれに 0~9 の数字が必要で、数字だけで 100個のキーが必要でした。

これを「フルキー方式」と呼びます。


カシオ計算機は、もともとはこの「リレー式計算機」を作成する企業でした。

まだ計算機と言えばタイガー計算機のような歯車式が中心で、リレー式計算機なんて作られていない頃のこと。


樫尾4兄弟の次男の発案で、リレー式の計算機を作り始め、1957年に「14-A」計算機が完成します。

カシオ計算機は、この機械の利益で作られた会社です。


使いやすさを考慮し、フルキー式ではなく、世界初の「テンキー式」を採用した計算機でした。

テンキー式とは…いうまでもなく、今の我々が知っている「計算機」の入力方法です。

10個のキーで 0~9 の数値を入力し、キーを押すごとに以前に入力した桁が上の桁に送られていきます。


表示に関しては、各桁ごとに 0~9 を示すランプがついていました。

まだ現在のような7セグ表示(いわゆるデジタル数字表示)はありませんし、それ以前につかわれた、数字の形の電極が重なるように入れてある「ニキシー管」も普及前です。



14-A は歯車などの機械部分を持たない「純電気式計算機」であり卓上計算機ではありません。

一見、机の上に置かれているように見えるのですが、その机こそが本体。上に載っているように見えるのは、入出力を行う操作盤です。


価格は 48万 5千円でした。

大学卒の初任給が1万円未満、あんぱん1個が12円の時代です。


#当時の「大学卒」は、非常に限られたエリートだったことに留意。今の大卒と違って高給取り。

 今の感覚でいえば、1000万円近い機械でしょうか。




1964年 7月、シャープが「電子卓上計算機」コンペット CS-10A を発売します。53万 5千円。

フルキー方式でしたが、カシオのものよりもずっと小さく、机の上に乗せることができました。

なによりも、リレーと違いトランジスタを使用していたため、高速でした。


カシオはまだリレー式を作っていたのですが、トランジスタ式の研究も開始し、いや応なく切り替えていく形になります。


ここにきて、電卓市場に乗り出してくる会社が相次ぎ、後に「電卓競争」と呼ばれる状態に突入します。

各社機能と安さを競うようになり、どんどんコストパフォーマンスが上がっていきました。



1966年 7月に、日本計算器販売の発売した Busicom 161 が、競争の中で一歩抜き出ます。

数値の記憶部分に高価なトランジスタを使うのではなく、安価なコアメモリを使うようにした製品でした。

値段は 29万 8千円。たった2年で、電卓の値段は半額近くまで下がったことになります。


同社は、製品名のほうが有名になったために、後に「ビジコン」と社名変更します。




この頃、電卓の機能競争は、購入する各社ごとに必要な計算を行いやすくする「アプリケーション」の競争に入っていきます。


銀行に納入するなら複利計算などがすぐできるように。設計事務所に納入するなら構造計算がすぐできるように。

レンズメーカーに納入するなら、光の屈折計算がすぐできるように…


これらをすべて、トランジスタの論理回路で実現していくのです。

値段は下げなくてはならない一方、このカスタマイズ作業が非常に大変で、電卓メーカーの収益を圧迫し始めていました。


また、トランジスタを使った回路ははんだ付け個所も非常におおく、工場での組み立てコストも悩みの種でした。




1969年、シャープが QT-8D を発売します。

世界初の、LSI によって論理回路を実現した電卓でした。


基本演算部分を集積回路にし、アプリケーション部分は別に作り込めるようにすることで、はんだ付けのコストを大幅に減らしています。

値段は 99,800円と、10万円以下を実現しました。


ビジコンも追随し、LSI を1つだけの「ワンチップ化」に成功。BUSICOM LE-120A。

これにより、電池駆動でポケットに入るサイズを実現します。89,800円。


とはいえ、これは小さすぎるため、アプリケーションの作り込みなどはできないものでした。


ビジコンの次の一手が、「アプリケーションを回路の組み合わせではなく、ソフトで実現する」という 141-PF でした。

値段は 159,800円と少し高めですが、計算結果をプリントアウトできる高級機種でした。


この 141-PF を作成する過程で、世界初の「1chip CPU」である i4004 が作られています。

こちらは過去に 4004の発売日 で書いているので、興味のある方はお読みください。




ところで、1960年代は「所得倍増計画」が実行された年代でもあります。

池田勇人内閣総理大臣の打ち出した政策で、10年間で国民の所得を倍増させる、という計画。


実際は所得は4倍に増えています。好景気の時代でした。

先に、1957年ごろの大学卒初任給が1万円未満、と書きましたが、1970年代頭には 4万 6千円ほどになっています。

ちなみに、あんぱんの値段も 12円から 40円に値上がりしています。


生活に余裕ができ、レジャーブームが起こったころでもあります。

特に、ボーリングは簡単な運動で誰でもでき、屋内なので天候にも左右されないなど、いいことづくめで大ブームを起こします。




カシオ計算機の中でもボーリングはブームでしたが、当時のボーリングはすべての計算を手で行います。

(今みたいな、自動計算はない時代ですから)


ボーリングの計算は結構複雑です。

ストライク(1回の投球で的をすべて倒す)、スペア(2回の投球で的をすべて倒す)を出すと、その後の2回、1回の投球の点数がボーナスとして加算されます。

さらに、この頃はブームですから上手な人もいて、ハンデなども考慮した計算が必要です。


ここで、カシオ4兄弟の四男が、「ボーリング用の電卓があれば売れるのではないか」と発案します。

ボーリングの点数は最大で300点なので、数ゲームやって集計しても4桁あれば十分。

その分値段を下げ、ポケットに入るサイズにして…


早速技術者が仮計算してみると、1万円を切る販売価格で作れそうです。

四男とその技術者の二人だけで、他の人には一切内緒で完成させてしまいました。



作成の過程で、8桁になると製造コストが上がるが、4桁と6桁では大して変わらないことが判明。

表示は6桁になります。


従来、1桁ごとに1つの蛍光表示管(広義の真空管の一種)を使っていたのを、6桁を封入した大きな蛍光表示管にすることでコストを下げます。


#ただし、当初からそのように設計したというだけで、初期型には1桁ごとの普通のものが使われた。

 6桁封入した管を特注すると、計画が他社にばれてしまう恐れがあったため。


表示は6桁ですが、6桁×6桁=12桁の掛け算性能を持ちます。

この際、上位6桁だけが表示され、下位6桁はボタンによる表示切替で見ることができました。



ボタンにはそれまで使われていたスイッチ(リードスイッチ)と違い、パネルスイッチを採用します。

パネルスイッチとは、基板に「途中が途切れた線」が作り込まれていて、スイッチ側の導電体を押し当てることで電気を流す仕組み。

今では当たり前に使われていますが、当時としては新しいコストダウン技術でした。



完成した電卓を重役会議で披露すると、兄弟の中での反応は上々。

しかし、部長クラスの重役になると「こんなおもちゃみたいなもの、売れるわけがない」という反応もあり、意見は分かれます。




当時の電卓は事務用品ですから、事務用品店の経路で販売されていました。


しかし、カシオミニは個人消費を狙った低価格商品です。

全く新しい流通網として、文房具屋に卸すネットワークを構築します。


そして、個人向けにテレビCMが作られます。

「答え1発! カシオミニ!」


当初の予定を超え、12,800円になってしまったのですが、それでも当時は驚くほどの低価格。

カシオミニは大ヒットします。

生産が間に合わず、営業の仕事は客に謝ってまわること、と言われたほどでした。



月産10万台で、10か月後には100万台。

1年近くたっても生産量が下がらず売れ続けていたのですから、本当の大ヒット商品です。


海外にも多く輸出されていました。100万台のうち 20万台は海外輸出だったそうです。


当時の電卓は、高い計算力を持つ「兵器」の一種だという考え方で、業界では海外への輸出の自主規制が行われていました。

ただし、ここで定義される「電卓」とは、8桁以上の計算能力を持つもの。

カシオミニは、6桁しかないためこの規制も潜り抜け、自由に輸出できたのだそうです。


ここに「電卓戦争」の時代は終結します。




カシオミニはその後も改良が続けられ、まずは定価は据え置きで製造コストの削減・使い勝手の向上を、ついで値下げを行っていきます。

3年後には、4800円と5千円を切りました。


シリーズ累計では1000万台を超える売り上げ台数となったそうです。


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手相占い特別版  2016-08-04 10:34:41  業界記

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厳密にいうと 20年たっていないのだけど、時事ネタなので書いてしまいましょう。


石原裕次郎記念館、という施設があります。

昭和の大スター、石原裕次郎さんのゆかりの品などを展示する施設です。


ここが、来年の8月いっぱいで閉館することに決定したそうです。



彼が幼少期を過ごした北海道の小樽市にあるのですが、25年前のオープン当初は大人気でした。

開館時点で、すでに裕次郎さんが亡くなって4年たっていたのですが、まだ人気あったからね。

往年のファンだった年配者が、バスツアーで押し寄せる新名所でした。




オープンが25年前で、これから書く話は、たしか 1998年末のこと。

開館7年目くらいの話ですね。

当初のブームがひと段落点き、ちょっと客足に陰りが…というタイミングでしょうか。


セガに対して依頼がありました。

裕次郎記念館から依頼があったのか、それとも営業が提案したのかはわかりませんが。



裕次郎記念館を訪れる人の多くは年配者で、テレビゲームなどには全く興味がない世代。


しかし、プリクラを置いたところ大人気。

裕次郎や、彼が作った芸能事務所である石原プロモーションに所属する俳優たちと一緒に記念写真が撮れる、というものでした。


この世代は占いも結構好き。

じゃぁ、あらかじめ石原プロの人々の手相を入れて置き、「相性占い」ができる手相占いを置いたらウケるのではないか?

というのが依頼内容でした。



もうちょっと詳細に書くと、「手相占いちょっとみせて」には、二人で遊べる相性占いモードがあったのね。

同性でも友人としての相性を占えるし、異性なら恋愛運なども占える。


1人用モードはなくして相性占い専用にして、でも実際には一人用で、あらかじめ用意した俳優データとの相性を占う、という趣旨。



プリクラは画像を変えるだけだから安い開発費で特別版を用意できるのだけど、プログラムをここまで変えると結構人件費かかります。

コストまで考えて依頼してきたのかどうかは不明。


#もし、コストを判っていた依頼なら、占いゲーム機1台に数百万出す用意があったということです。

 でも、当時の裕次郎記念館なら出せたかもね…




これね、僕が会社を辞める1~2か月前に話が来たのよ。

退職に向けて引継ぎなどもして、着々と準備をしている中での話。


その時の1研には、手相占いを作ったチームの人は、デザイナーや企画も含めてすべてやめていて、僕しか残っていませんでした。


#サウンドの人は残ってたな。でも、サウンドは基本的に2研所属だったから。


部長から慰留が入りました。

まずは、3か月くらい退職する日を伸ばすつもりはないか、という形で。


僕にその気がないとわかると、会社は辞めてもいいから、この仕事の発注を受けてくれないか、という形で。


#僕は独立して仕事をするつもりで、会社の設立準備もしていました。


しかし、発注するとしても今までの給料しか出せないと言います。

それじゃぁ、辞めないのと何も変わらないよ。


会社を辞めるのって、かなり勇気を振り絞って決めた決断でした。

ここでずるずると会社にいたら、独立する決心が鈍ってしまうかもしれない、という危機感を感じました。


そして、この仕事は、きっぱりと断りました。

部長は残念そうでしたが、それでおわり。この話自体無くなってしまったようです。


裕次郎ファンで、手相による相性占いなんてやってみたかった、という人、ごめんなさい。




後知恵でいえば、会社設立後しばらくは、自分で仕事を探すものの、いい仕事あまりなかったんだよね。

だから、外注の形で受けても悪くなかったかもしれない。


その一方で、このときに飛び出したから、その後 i-mode ブームの時にうまく時流に乗れていい思いをさせてもらった、というのもあります。


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宇宙からの初メール(1991)  2016-08-09 16:55:33  コンピュータ 今日は何の日

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1991年の今日、宇宙から初めてのメールが送られました。


メールと言っても、インターネットではなくてパソコン通信ですね。

1991年にはすでにインターネットメールはありますが、一般的に広まってはいなかったので。


具体的には、Apple が運営していた AppleLink というサービス上でのメールが送信されました。




1991年 8月 3日に、スペースシャトル・アトランティスが打ち上げられました。


ミッション番号は STS-43。

その中に「Mac in Space II」というプロジェクトがありました。


これ以前も、宇宙に DOS マシンを持って行ったりしたことはあったようです。

しかし、それらは特定の実験にコンピューターが必要になったから、などの理由。


このプロジェクトでは、もっと広範囲にコンピューターを…Mac を活用できないかを探るものでした。


乗員の健康管理にも使用されましたし、無重力化で使いやすいインターフェイスの実験も行われました。

メールの送信も、そうしたプロジェクトの一環だったのです。




実験には Macintosh Portable が使われました。

…Mac 好きの中でも、結構「珍品」扱いされる機種。


Portable は、妥協せずにデスクトップに見劣りしない性能を搭載し、キーボードやマウス代わりのトラックボールも内蔵したため、非常に大きくて重い機械でした。


元々 Mac は「電子文具」をコンセプトに開発されている側面があります。

初代から、小さなディスプレイは本体と一体型で、軽量でハンドルもついていたために持ち運べました。


このため、「持ち運びやすさ」でいえば、Portable よりも一体型 Mac のほうが上だったと言われることも多いです。


じゃぁ、なんで狭い宇宙船内に、そんなに大きな「Portable」を持ち込んだのか…というと、どうやら「トラックボール」が重要だったようです。


当時のマウスは、内部に球が入っていました。

球の入っている空間には余裕があり、球は「重力で下に引っ張られる」ことで接地していました。


また、球の動きは接触しているホイールで感知されますが、このホイールも重力で球と接していました。

つまり、マウスは宇宙空間では使えないのです。


そもそも、無重力空間では使いやすいインターフェイスも変わるかもしれません。


そこで、標準のトラックボール以外にも、3つの装置が用意されました。


・業務用ゲーム機などで使われる、大型の 2inch トラックボール

・操縦桿を改造して、上部に親指で操作できる小さなトラックボールを付けたもの

・光学式マウス


ちなみに、当時の光学式マウスは、今のものと違い、光を反射し、反射面に格子模様が印刷された専用のマウスパッドを必要とします。


#この格子模様をわざとぐにゃぐにゃに歪めた「ジョーク製品」があって、まっすぐマウスを動かしても、カーソルはぐにゃぐにゃと動いた。


各種装置を使ってどれが使いやすいかを評価したはずなのですが、その評価については公開されていないようです。



さて、当時 Mac を対象としたパソコン通信を、Apple が運営していました。

サービス名は AppleLink 。そして、接続するための専用ソフトが AppleLink 。


パソコン通信は基本的に「文字だけ」の世界です。

文字で表示されるメニューを見て、文字でコマンドを送ると、文字でメッセージが送り返されてきます。


しかし、AppleLink では、Mac でファイル操作を行う Finder と同じ感覚で操作ができます。


接続後、メニューがアイコンで示され、アイコンをクリックすることでメニュー階層を辿れます。

そして、文章をクリックすると、画像や様々なフォントを含む「リッチテキスト」で表示されるのです。



もちろんメールも送れます。


宇宙から AppleLink に接続を行い、メールを送る、というのもプロジェクトの実験の一つでした。




8月 9日、宇宙の Macintosh Portable から地上に向けて、AppleLink のメールが送信されました。

送信したのは、Shannon Lucid と James C. Adamson の2名で、次のようなものでした。


Hello Earth! Greetings from the STS-43 Crew.

This is the first AppleLink from space.

Having a GREAT time, wish you were here,...send cryo and RCS!

Hasta la vista, baby,...we'll be back!


意訳:

こんにちわ、地球! STS-43 の乗員からの挨拶です。

これは宇宙から初めての AppleLink です。


素晴らしいひと時、あなたがここにいてほしい、…cryo と RCS を送って!

地獄で会おうぜ、ベイビー、…すぐもどる!



これ、テストメッセージなので無茶苦茶。後半は冗談の連続です。


「あなたがここにいてほしい」はピンク・フロイドの大ヒットアルバムタイトル。

「地獄で会おうぜ、ベイビー、…すぐもどる!」は、映画「ターミネーター2」の印象的なセリフですね。

ミッション直前の 1991年 7月 3日に公開されたばかりでした。


#映画では I'll be back! なのだけど、ここでは we'll としている。

 冗談部分は正確な翻訳より、映画や曲名の邦題にあわせた。


cryo は cryogenics の意味で、極低温で貯蔵するものを意味します。

RCS は Reaction Control System で、姿勢制御のためのシステム。


スペースシャトルで極低温物質、RCS にも関連するものと言えば…液体酸素と液体水素燃料。


つまり、「酸素と燃料を送れ」って言ってるんですね。

「素晴らしいひと時」をもっと体験していたいから、酸素と燃料があれば滞在時間が伸ばせます。


2016.9.1 追記

コメント欄で教えていただきましたが、シャトルの RCS の燃料と酸化剤はヒドラジンと四酸化二窒素だそうです。

これらは常温で液体。混ぜただけで発火するために宇宙でも使いやすいのだとか。


液体酸素と液体水素を使っているのは、シャトルの発射時のみ使われる「メインエンジン」だけでした。

こちらは混ぜたうえで「着火」しないといけないので、火が燃えない宇宙では使いづらい。


…とすると cryo は何のことを言っているのだろう?


まぁ、内容を見てもノリ一発で書いている文章なので、あまり深く考えてないと思いますが。


このメールは簡単に送れたわけではなく、3回もリトライしてやっと届いたものなのだそうです。

その3回目も、メールは送信できたものネット接続を維持し続けることができませんでした。


つまり、この時点でのメール送信実験は、半分成功、半分失敗。

宇宙からのメッセージ送信方法として常用するのはまだ難しそうだ、という結果になります。




この実験から 19年後の 2010年 1月 22日、国際宇宙ステーションが、インターネットに直接接続されました。


これ以前にも、なんどか宇宙飛行士がネットにメッセージを送ったりしていました。

ただし、実際には地上にいる人間が送信を代行する形で運用されています。


それが、代行は不要で直接ネットに接続可能となったのです。



宇宙からインターネットへの、ダイレクト接続で最初に送信されたのは、twitter メッセージでした。





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名前 内容

あきよし】 おぉ、そうなんですね。ちゃんと調べずに書いてしまいました。ありがとうございます。 (2016-09-01 08:45:42)

【vandy1】 本筋から逸れた話になりますが、シャトルのRCSの燃料と酸化剤はヒドラジンと四酸化二窒素ですね。 (2016-08-30 22:10:24)

家族旅行:プレジャーフォレスト  2016-08-12 16:16:11  旅行記 家族

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毎年恒例夏の家族旅行、8月5日(金)~6日(土)を使い、今年は相模湖リゾートプレジャーフォレストに行ってきた。

いくつかに分けて書く。まとめて読むにはこちらから



プレジャーフォレストは、以前に行ったことがあるんだよね。

結構楽しいからまた行きたいね、と子供とは話していたのだけど、気軽に行くにはちょっと距離が遠い。


それとは別に、以前に富士の裾野の遊園地「ぐりんぱ」で、お気軽キャンプをやったことがあった。


正確にいえば、ぐりんぱの横に併設されたキャンプ場。

保育園の頃に乗りもの好きだった長男はキャンピングカーへのあこがれがあって、乗せてやりたいと思って探した。

そしたら、ぐりんぱでキャンピングカーに泊まることができた。


食事はキャンプらしく自分で作るのだけど、食材は用意されている。

キャンプ場とはいえ風呂もある。…という、キャンプと言ってよいかもわからないもの。



そして、プレジャーフォレストは、ぐりんぱと同じく「富士急ハイランドグループ」。

同じようにキャンプ場がある。


またキャンピングカーに泊まりたい、と言われていたのだけど、同じじゃつまらないので今度はテントにした。




さて、当日。


前日の夜、長女が昼間の遊び疲れで速く眠くなり、早めに床に就いた。

僕はいつも通り寝たのだけど、妻は休みに入る前に気になる仕事を終わらせたいからと言って、子供が寝た後で仕事を続けていた。


その後、早く寝ていた長女が、夜中に目が覚めてしまったらしい。

すでに寝た後なので眠れず、妻は長女に付き合う形で、朝まで寝られなかった。

(といっても、長女が静かに本を読んでいる横で、横になって仮眠はしていたそうだ)



6時起床、と言ってあったのだけど、長男・次女も5時半ごろには目覚める。

用意はほとんど前日に終わらせている。


7時前に出発。

朝ごはんは近所のマクドナルドで済ましたけど、30分ほどかかった。

本格的に出発したのは7時半ごろ。


プレジャーフォレストまでは、高速を使って1時間半弱。

朝5時ごろに調べたら、高速つかわないでも1時間半で行けることになっていたのだけど、朝7時だとすでに2時間以上かかることになっていた。




プレジャーフォレスト近くで高速を降り、コンビニを探す。

しかし案外ない。


ダイエーがあった。朝8時から夜10時半まで開いているようだ。

田舎のスーパーはコンビニの機能を兼ねるのか。


そこで、昼ごはんを購入する。

以前に行ったときに、プレジャーフォレストは広い草原スペースが結構あり、ピクニック気分でお弁当を広げている人が多かったから。


#そもそも、僕が子供の頃は「相模湖ピクニックランド」という名前だった。


レストランは一カ所しかなくて混むし、昼ごはんはお弁当にしようという算段。


買い物をして、プレジャーフォレストに着いたのは9時過ぎだった。

オープン直後の時間で、大体狙い通り。




宿泊者専用のチケット売り場があったのでそこに並ぶ。

前のお客さんが、想定と違って揉めていた。


うちが申し込んだプランでは、プレジャーフォレスト2日入園券と、1日フリーパスが付属している。

しかし、フリーパスはプランによっては付属していない。


前のお客さんは、申し込みのプランを間違えてフリーパスが付いていなかったらしい。

別途フリーパスを購入することは出来るが、宿泊者の割引はつかない。

宿泊プラン変更は、遊園地の窓口ではできず、キャンプ場窓口に行かなくてはならない。


キャンプ場窓口までは車で5分程度なので、宿泊プラン変更を選んだようだった。

行ってみようと思って情報を探していて、今このページを見ている方はお気を付けください。



さて、自分の番。

前のお客さんのようなトラブルはなかったのだけど、いろいろとホームページの説明と異なっている。


宿泊者は、事前に「預り金」をいくらか払うことになっていたのだけど、不要だった。

宿泊仮証明書が発行され、もし入園チケットが必要な場合は、その仮証明書がチケット代わりになるそうだ。

(この仮証明書は、後でキャンプ場でチェックインした時点で、正規の証明書と交換になる)


フリーパスは、宿泊者用の特別なものだった。普通のフリーパスと明らかに色が違う。

多分、宿泊者は2日滞在するので、日によって色を変えるなどして、2日間使えないようにしているのだろう。

(フリーパスはテープで手首に巻く。一度貼ったら破り捨てるまではがせないので、きつく巻きすぎないよう注意)



そして、これもホームページに書かれていなかったのだけど、フリーパスの利かない2日目に1度だけじゃぶじゃぶパラダイス(夏限定の水遊び)に入れる権利か、子供3人分の宝探しスタンプラリーの参加権がもらえた。


どっちが得かわからず、スタンプラリーを選択。以前来た時に子供と一緒に楽しんだからだ。

でも、これはプールでもよかったかもしれない。


プールは1回1000円、スタンプラリーは500円だった。




さて、園内のことを詳細に書くとだらだらと続いてしまいそうなので、要点だけ。


子供にとって一番の楽しみでもあった、アスレチック「ピカソのたまご」はとりあえずお預け。

このアトラクション、プレジャーフォレストの目玉の一つだけど、無料。

入園券しか持たない2日目でも遊べる。


前回来た時は、次女は身長制限で楽しめない乗り物が多数あった。

100cm 未満だと、乗れるものは本当に限られる。でも、今回は大抵乗れた。


100cm未満でも乗れる…前回すごく次女が気に入っていた「空飛ぶブランコ」から始まり、片っ端から乗り物に乗っていく。


新アトラクション「ターザンマニア」は、10歳以上との明記があった。

長男はOKで遊びたがったため、2手に分かれる。

(これ、あとで調べたら、10歳未満でも親が同伴なら大丈夫だった)



プレジャーフォレストの遊園地エリアは、入り口ゲートから見て、山を登る方向に広がっている。

中腹に多くの施設が集まり、リフトで登る山頂に大型遊具がある。

また、山を登らずゲートから進んだ方向に、小さい子でも遊べる迷路などのアトラクションがある。


11時前に、主に中腹エリアは遊んでしまった形。

スタンプラリーも、おそらくそこにあると思われるものは取りつくした。




長女が「ココドコ」やりたいという。

これは長女の記憶が少し混乱していて、「ココドコ」はぐりんぱにあったアトラクション。


でも、「ココドコ」の元となった、「からくり砦」がプレジャーフォレストにある。

これは、5階建てで隠し扉・一方通行などがある迷路。


長男は1人で行きたがり、見事一方通行にハマって、ゴールできずに途中退出。

長女も罠にはまったが、僕が通りかかって救出した。

次女は僕と行動したので問題なくゴール。


「からくり砦」の迷路は一つだが、途中で集めるスタンプが違う2コースがある。

もう一度やるかと聞いたが、暑いから水遊びに行こうという。


じゃぶじゃぶパラダイスへ。これは季節限定。

子供向けの、プールではない「水遊び」で、滑り台が多数ある。


大人も半ズボンで入って子供と遊ぶ人もいるが、大抵は見ているだけ。

僕も半ズボンではないので入れない。暑いが見てるだけ。


1時間ほど遊び、昼になって腹が減ったので終了。




前回来た時に多くの人がお弁当を食べていた草原スペースは、「ターザンマニア」に姿を変えていた。

じゃぁ、山の上でお弁当を食べようということになり、リフトで上へ。


リフト降り場脇にテーブルも屋根もある休憩所があったので、そこでお昼。

長女が観覧車に乗りたいというので、高いのが怖い長男を残し、観覧車へ。


長男はこの日初めて親のデジカメ(最近使っていなかった古いもの)を持たせたので、観覧車に乗っている僕らの写真を撮っていた。


山頂には小さな池があり、鯉がいる。100円で餌の自動販売機がある。

次女が餌をあげたがり、自分の小遣いで購入。

のんびり餌やりのあいだ、池のほとりでしばし休憩。



実は、近くにスタンプがあり、鯉に夢中の次女は長女に「スタンプ押しといて」と頼んでいた。

しかし、長女には聞こえてなかった。ここでのスタンプ押し忘れ、後で気づいて僕が取りに来るはめになった。


のんびり休憩しているのだけど、山の上には大型遊具がある。

ひとつは先に書いた、観覧車。見晴らしがよくのんびりしている。


でも、後の二つは絶叫マシン。富士急ハイランドグループらしい。

前回来た時は工事中だった。



のんびりと鯉に餌を上げている横で、轟音と叫び声が聞こえる。すごい空間だ。



ところで、ここにある、夏休み前にオープンしたばかりの「極楽パイロット」に乗ってみた。

詳細は後で書く




リフトで降りてしまうとスタンプを集められないので、歩いて山を下りる。

次女が歩くの疲れたというので、途中少しおんぶ。


これで、山の中腹と山頂のエリアのスタンプは全部集めた。


次女が、そこにあった「バギーカート」に乗りたいというので、また2手に分かれる。

妻と他の子は迷路などのエリアに向かい、スタンプを探す。

僕と次女はバギーカートを楽しんだ。

いわゆるゴーカートだけど、山裾の地形を生かして、アップダウンが激しい。楽しかった。




迷路エリアに向かうと、長女と妻がジェットコースターに乗っていた。

子供向けの怖くないやつね。


長男は、それでも「怖い」と言ってまた写真撮影している。

合流した次女も乗り、長女は連続して3回乗った。


さらに迷路を楽しむ。

鏡の迷路で長男は1人で進み、からくりがわからずに出てこない。救出に向かった。


#なんか、長男がダメなように見えるが、「一人でやりたいけどまだ難しい」お年頃なだけ。

 下二人は親についてくるので脱出できて当然。



迷路エリアのさらに先にもスタンプがあるというヒントがあったので、そこまで向かって遊園地のスタンプを全部入手。



この順序で取ったのは意味があって、そこからキャンプエリアはすぐ近く。

そのままキャンプエリアに向かった



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名前 内容

極楽パイロット  2016-08-12 16:16:40  歯車 旅行記 家族

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家族旅行としては話の途中なのだけど、プレジャーフォレストにできたばかりの新アトラクション、「極楽パイロット」に乗ってきたので、ちょっと説明。


まったく前知識のないところから、まず、遊んでいる人を見た。


デフォルメされた飛行機のようなものの、コックピット部分に乗る。

足はぶらんぶらんしている状態。


大きなアームに振り回され、飛行機がぶんぶん飛ぶ。

各機の動きはまちまちで、ゆらゆら揺れているのやら、キリモミ飛行しているのやらいる。



どうやら、左右の翼の角度を変えることができて、上手くやるとキリモミ状態になる模様。


この時点で、「あぁ、手の動きを感知して、モーター動かしてんだな」と思った。


ただ、絶叫マシンっぽい見た目なのに、あまりキャーキャー言う人はいないんだよね。

ちょっと不思議に思った。




次、乗るところで説明ビデオが流されている。

YouTube に同じビデオがあるのを見つけたのでリンクしておこう。



あっ… これ、極楽パイロットじゃない。

色が違うからプロトタイプ時点での映像なのかと思っていたけど、同じグループ遊園地の「富士急ハイランド」で、極楽パイロットと同日にオープンした新アトラクション、「テンテコマイ」のビデオだ。


しかし、そんなことは見たときには気づかなかったので、気づかないふりをして話を進めよう。


このビデオでの説明は、実際の上手な人の操作を見ながら、「左右の翼を、タイミングよく反転させる」ということの説明のみ。



なるほど、これだけの説明で十分。

モーターなんて入ってなかった。翼に風をうけて、その力で機体を回すという、純粋に物理的な動作。


風車の羽が、中心点を挟んで逆の角度になっているように、翼を左右逆にしていれば、風車のように回転する。


もっとも、人間の体重を回そうというのだから、風車のように簡単には回らない。

ブランコをこぐように、小さな揺れから共振を起こし、だんだんと大きな揺れにしなくてはならない。


デフォルメされた飛行機の「翼」は、実際の飛行機でいう「エレベーター」(翼の後ろの可動部分)にあたる。

そう考えると、これはただの乗り物ではなく、流体力学を応用した物理実験機だ。


キリモミ飛行は、この動作を完全に把握した人だけが到達できる。

時間は限られているので、その時間内にキリモミを発生させられるかどうかが、この遊具の楽しみのポイントとなる。


ここまで、頭では理解できた。


#周囲の待っている人の会話を聞いていると、ここまでの理解に及ばない人が多数。

 なんか、うまく翼を動かせばキリモミするらしい、程度の認識なのだけど、それではキリモミに入れない。




乗り込んで、シートベルトを締め、肩を抑えるように上からハーネスを締め、さらにハーネスが緩まないようにベルトを締める。

すごく厳重に「落ちないように」安全策を取ったうえで、いよいよ「離陸」。


垂直離着陸機のイメージなのか、ゆっくりと上に持ち上げられる。

ただし、アームがある都合上、全員「斜めに」なる。


そして、各機体を固定しているブレーキ(?)が外される。

斜めの状態から急にフリーになるので、左右に揺らされる。


ここ、事前説明になかったので油断していた。

この「揺れ」を最初の種として共振を起こしていけば、最短時間でキリモミに入れるのだろう。



最初は、振り回される感覚にも慣れていないので、自分の「揺れ」が認識できない。

それが認識できないと、ブランコをこぐように大きくすることができない。

でも、じきに慣れて、共振させながら揺れを大きくしていく。


ある程度揺れが大きくなると、一番揺れたところで「そのまま回転するのではないか」と期待して、翼の角度を切り替えられなくなる。

この「最後のひと押し」ができないのが悔しい。でも、悔しいということは良いゲームだということだ。


そして、コツがわかった。

アームによる「振り回し」は、斜めの軌道になっている。つまり、「落下」する瞬間があるのだけど、ここが一番風圧が強い。

だから、このタイミングでキリモミに入るのが一番入りやすい。



キリモミに入ったら、翼を動かしてはならない。そのままの角度を維持すれば回り続ける。

しかし、徐々に回転が加速していく。目が回り、気持ち悪くなるので「一度止めよう」と思って止めてしまった。


#理解して回転に入れたのであれば、止めることも難しくない。


さて、再チャレンジ。これがまた、すぐには回らない。

もう一度回せて、今度はそのまま維持、と思ったところで終了時間になって終わってしまった。




姿勢としては「頭を後ろにつけるように」と事前説明があった。

でも、落下する瞬間とか、ハーネスに体重を預けることになる。

回転にうまく入れずに「逆立ち」した状態で止まると、肩で支えることになる。


大丈夫だと思うのだけど、結構怖い。


ただ、ものすごく怖いのかと言うと、冷静にならないと姿勢制御できないので、叫ぶような怖さはない。

状態を冷静に把握できている時って、怖さを感じないものだ。


ちなみに、自分で機体を揺らさなければ、ただぶんぶん振り回されるだけで、回転木馬とそれほど変わらない。

(いや、回転木馬と違い、落ちる部分があるからちょっとは怖いか)


怖い状態にできる人は怖いとは感じず、怖い状態にできない人は当然怖くない、という不思議な乗り物。

絶叫マシンのはずなのに、あまり叫び声が聞こえないのはこれが理由だったようだ。


「回せるかどうか」に挑むゲームとしては、かなり面白いと思った。

絶叫マシンじゃなくて、体感ゲームマシンだ。



WingWar を R-360 でプレイしている感覚に近いと思った。

いや、R-360ではそのゲーム以外プレイしたことないからだけど。


#WingWar は飛行機のゲームで、宙返りやキリモミ飛行も可能なのだけど、そのようにする操作は結構難しい。

 そして、R-360 は特殊な筐体で、対応ゲームを遊ぶとコックピットが自由に回転する。



ところで、後で知ったのだけど、回転数カウントされているそうだ。

大記録が出るとアナウンスしてくれるらしいので、本当に「ゲーム」として楽しむリピーターもいるらしい。


回り始めたら後は「翼の角度を維持する」以外にやることはないので、いかに早くキリモミに入るか、だけが勝負だろう。


あと、回転してると、怖いというより、気持ち悪くなる。

それに耐えられるかどうか、という勝負で、記録を出したとしてもあまり楽しい体験にはならない気がする。



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名前 内容

プレジャーフォレスト・キャンプエリア  2016-08-12 16:17:34  旅行記 家族

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家族旅行の話の続きです。


キャンプエリア。

正式名称は「パディントン・ベアー・キャンプグラウンド」。


中の区画には「マーマレードキャラバンズ」とか名付けられている。

気にしてなかったけど、子供が「パディントンだからマーマレードなんだねぇ」と言い出して気づく。


そういえば、パディントンの大好物がマーマレードだったっけ。

お話の作者の旦那さんの大好物がマーマレードで、パディントンがマーマレード好きなのも旦那さんのイメージなのだとか。

(以上、子供が「グレーテルのかまど」で見たことを覚えていた情報。)



遊園地とキャンプエリアの境目は曖昧で、遊園地の端の方には、バンガローなどが立ち並んでいる。

なので遊園地から歩いてキャンプエリアに入ったのだけど、宿泊受付するロッジは、遊園地から一番離れたところだった。


案外遠くて、また次女が「歩き疲れた」と文句を言う。


4時ごろにチェックイン。遊園地で受け取った「仮宿泊証明」をわたし、本当の宿泊証明が発行される。

この証明があれば、明日も遊園地にそのまま入れる。


予約したプランでは、夕食と朝食が付いてくる。この引換券がそれぞれ1枚。

あと、温泉に割引で入れる券。合計4枚の紙をもらう。


宿泊者は部屋の鍵を受け取って…とホームページなどには書いてあるのだけど、テントに鍵はない。

そこで、鍵代わりに電気ランタンを貸してくれた。

チェックアウト時は、鍵を返すのではなく、このランタンを返す。


ここから、自分たちの宿泊するテントまで歩く。これがまた結構ある。

遊園地との境目エリアのギリギリのあたりまで戻った。

(つまり、遊園地までは非常に近い)




初めてのテントに、子供は大喜び。

妻は眠いのですぐ横になり、仮眠。


テントは、快適ではあるが使いやすくはない形状。

というのも、隣にタープなどを立て、接続するのが前提とした形状のテントを、独立して使用しているから。

入り口部分の布が、庇を作れるように大きくなっているのだけど、それを支えるところがないため、出入りするたびに大きな布が邪魔になる。


テントなので布は巻き上げられるのだけど、巻き上げても邪魔なほど大きい布が付いているのだよ。


とはいえ、難点はそれくらい。

ドームテントより大きく、家形テントより小さい感じの室内は、結構広い。


なによりも、完全な2重構造。

フライシートだけでもテントに見える形の中に、さらに小さなテントを立てている。

山間部なので朝露が多く、目覚めたときには外はびっしょり濡れていたけど、内側には全然水が染みてこない。


家形テントでも、水にぬれたフライシートがたるんで一部テント本体に付く、なんていうのは当たり前だからね。


テントは皆、斜面にウッドデッキを作り、その上に立っている。

これが、夜でも地面から冷気が来るのを防ぎ、昼間は風通しがよく涼しい状態を作り上げている。

また、虫などもテントに入りづらいので、テント内が快適になる。


初心者が楽しむには非常に良い感じだった。




さて、妻が寝ているが、子供たちに「車取ってくるので、30分ほど待ってるように」と言い、遊園地エリアに向かう。

遊園地エリアの第1駐車場…キャンプエリアから、一番遠いところに車置いてあるからね。



先に少し書いたけど、スタンプラリーで、山頂の池の近くのスタンプを次女が押し忘れている。

ついでに取ってしまおう、とリフトへ。


山頂のリフト降り場で、係員の方に「あれ? お父さん1人?」と尋ねられる。

事情を説明したら「じゃぁ、『極楽パイロット』乗っていっちゃいなよ」と勧められた。


その手があったか!

言われるまで全く考えてなかった。子供を待たせているから早く帰らなきゃ、と思ってた。


実は、僕は結構絶叫マシン好き。

高校から大学生の頃は、友達と遊園地に行っては絶叫マシンをいろいろ試していた。


妻が苦手なので、妻と付き合い始めてからは遊園地に行っても乗らなくなり、子供が生まれたらなおさら縁遠くなった。

しかし、このときは単独行動で、しかも平日なので待ち時間はほとんどない。



というわけで、できたばかりの新アトラクション「極楽パイロット」に乗ってみたのだけど、詳細は先に説明した通り。




スタンプを入手し、再びリフトで降りる。

そして車に乗り、キャンプ場へ。


プレジャーフォレストの園内を走っているだけなのだけど、結構曲がりくねった山道で、車で5分くらいかかる。

係員に言ってテント近くまで車を入れさせてもらい、荷物を運ぶ。


その後、車は受付ロッジ近くの駐車場へ。

これ、宿泊プランによってはテントの横においておけるのだけど、今回はそうではなかった。



この時点で5時近く。

5時まで待ち、テントから真っすぐ山を2区画ほど登ったところにある、バーベキュー場に行きます。


夕食はバーベキュー。

食材と燃料、調理器具は用意されていて、全部自分たちで調理します。


この燃料が、非常によく燃える炭。

どれくらい良く燃えるかと言うと、炎が上がって直接触れた食材に少し煤が付く。


…いや、炭としてはあまり良くないものですね。

ただ、廃材となるヤシ殻を素材とした「自然にやさしい」素材らしいのと、着火も非常に簡単なので初心者向けには良いのでこれを使っているのでしょう。


火力は結構強くて、肉を焼いていても油断するとすぐ焦げてしまう。

焼いている人は忙しくて食べられないパターン。


とはいえ、子供も焼いてみたいというので途中焼き役を変わったり、楽しみながら食べられた。


肉は焼きやすいサイズに切られ、小分けして真空パックされている。

野菜は自分で切るのだけど…包丁が全く切れない。ただの鉄の薄い板。


まぁ、鉄板でも野菜くらい切れるからね。無理やり切ります。

危ないから子供にはやらせられない。


子供がいると「よく切れる包丁」ってのも危ないので、どちらが良いかは微妙な所。





肉の後に焼きそば、さらに焼きマシュマロを使ったお菓子「スモア」までセットになっている。

「一人分」は焼きそば1人前+少なめの焼肉+野菜+スモア3個、だ。


子供には食べきれないだろうと、最初から使う量を抑えめにした。

余った食材は持ち帰り。



楽しみながら2時間近く食べ、7時ごろに片づけをしていたら、花火が打ち上げられた。

キャンプ場でささやかな花火大会。


子供と妻は花火好きなので、あと少し残った片づけは引き受けて見に行かせる。

片付け終わって、しばらくの間一緒に見られた。




花火が終わったのが8時過ぎ。

見やすい場所を求め、見ていたのはロッジが見える場所。駐車場も近い。


そのまま車に乗り込み、もう一度遊園地エリアへ。


夏の時期、「納涼イルミリオン」と銘打って夜間営業を行っている。

9時までなのでそれほど遊ぶ余裕はないが、見ることが目的。


プレジャーフォレストは、冬はイルミネーションがとてもきれいだと評判。

「相模湖イルミリオン」という名前で営業している。


冬季のみ…といっても3月いっぱいまでは「冬」ということで営業しているのだけど、評判が良かったので今年はゴールデンウィークも行ったらしい。

銘打って「夜桜イルミリオン」。


そして、今年は夏休みも営業している。それが「納涼イルミリオン」。

おそらくほとんど同じで、一部の電球色を変えている程度だと思う。

明らかにクリスマスツリーみたいなのあったし。


でも、文句はない。

事実上の通年営業だとしても、実際非常に美しかったし、これを「片付けて来年の冬また準備する」なんて言うのは大変だろう。

そのまま設置しておいて、時々やるので正解だと思う。



「綺麗ですよ」って写真はよく見るのだけど、一番きれいなあたりを写したものばかり見るので、そのあたりに重点的にイルミネーションを施しているのかと思った。


でも、実際はそうではなくて、園内全体が美しく彩られる。

一番目立つ遊園地中腹エリアも、山頂エリアも、迷路などがあるエリアも。

そして、キャンプ場エリアも、ロッジ付近は彩られている。


単に昼間の遊園地を電飾で美しくする、というのではない。

昼間はまったく気づかないような地味な場所が、夜のライトアップで非常に美しい空間になったりする。

遊園地の雰囲気が変わってしまう感じ。


1時間しか見られなかったけど、特に見たいと言っていた長女も大満足。




9時過ぎ、遊園地を出てキャンプ場へ。


考えてみれば、この日は朝9時に遊園地に入っているので、12時間遊び倒したことになる。

もう眠そうな次女をつれてシャワー室へ。


ロッジの近くのシャワー室が比較的綺麗だけど、それ以外にも数カ所に用意されている。

キャンプ場にシャワーが用意されている、と言うだけで非常に良い環境。


ただし、長男曰く「すごい汚くていやだった」そうです。

キャンプ場で電気つけられるから、虫が入ってきてしまうのね。

裸になる空間に虫がいる、というのが嫌だったらしい。



テントに戻り、疲れた、と長男就寝。

長女と次女は、折角のキャンプだからテントの中で遊びたい、と、僕と妻を含めて UNO を3回ほどプレイ。

でも、それで終わり。



子供が寝た後で、妻と少し外に出て缶チューハイのみながら星を見た。


キャンプ場は真っ暗ではなく、街灯などが付いているし、山なので夜霞がかかっている。

条件は良くないのだけど、星がよく見えた。



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名前 内容

プレジャーフォレスト・2日目  2016-08-12 16:17:56  旅行記 家族

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今年の家族旅行の話、これで最後です。


キャンプの朝は早い。


日が昇れば明るくなるから、朝5時前に起きてしまう。

でも、子供は寝ているし、起きたとはいってもこちらも眠い。

毛布にくるまり寝ころんだまま、ぐでぐでしてる。


5時を過ぎ、荷物整理を始めると、一緒に寝ていた長男が起きた。

テントは男女で分けている。


夜露でフライシートがびっしょり濡れているのがわかったので、乾かすためもあり、出入り口を網戸にする。

そんな作業をしている間に長女・次女も起きたので、女性テントも網戸にする。


「おなかすいた」と子供たちが言うので、ウッドデッキに車座になって非常食のお菓子などを食べる。

朝ごはん8時からだから、ずいぶん時間があるんだよね。


前日までに、スタンプラリーは1つを除き、すべてを集めていた。

最後の一つは、それ以外の全部を集めることでやっとヒントがわかるようになっている。


夜の間に考え、大体場所のめぼしもついていた。

キャンプエリア内にあるので、朝の散歩もかねて探しに行ってみる。


…あっさりと見つかった。

テントに戻り、荷物整理して撤収準備。

まだ時間があるので UNO で遊ぶ。


そうこうしている間にやっと朝ごはんの時間になったので、バーベキュー場に向かう。


朝はビュッフェ形式。すでにできているご飯を好きなようにとって食べる。

いつものごとく次女は食べきれないほど取って「お父さん食べて」になるし、長男は「美味しかったから食べ過ぎたー」ってなってる。




撤収準備はできているので、テントに戻ったら最後の清掃。

入る前から、テントの周囲に結構ゴミが散らかっていた。それらを全部拾う。


自分の名誉のためだ。我が家がゴミを散らかしていった、と思われたらたまらない。

それと、山の自然への感謝のため。


ロッジに行き、鍵代わりのランランを返したらチェックアウト完了。




ふたたび遊園地に向かう。

入園は無料だけど、すでにフリーパスはないので遊ぶのは有料。


まず、園に入ってすぐに、スタンプラリーの景品をもらう。


全部押せているから、パーフェクト賞だ!

「パーフェクト」ってハンコを押してもらえるだけで、ハンコ5個と賞品は同じなのだけど。


そして、昨日は我慢していた「ピカソのたまご」。

これは無料なので、昨日は遊ばないでおいた。


長男はアスレチックが大好きで、決して手抜きをせずにきっちり遊ぶ。

長女・次女はとにかく「ゴールした」と競争するのが好きで、多少ずるをしても先を急ぐ。


ところが、プレジャーフォレストのピカソのたまごには、「9ルーレット」という強敵が待ち構えている。

アスレチックとは言いつつ、運のみのゲーム。9マスの中でルーレットに従い移動し、ゴールを目指す。


各マスからは、それぞれ4方向に進める。

ゴール直前のマスまで進むのが一苦労なのだけど、ゴール直前のマスからゴールに進める道は1本だけ。

まじめにやっていると、まずゴールできない。みんな途中で飽きてずるをするのが普通なのだけど、長男はまじめにやりたがる。


これ、前半にあるのだけど、やっている間に妻から「ゴールした」と連絡が来て、長男もさすがに諦めた。

まだ9ルーレット、と返事をしたので、長女と次女も戻ってきて、みんなでゴールを目指す。




ゴールしたら11時ごろ。

他に遊ぶものはないし、暑いのでレストランで涼んでから次の場所に向かおう。


…とおもったら、昼には早いのにレストランがすごく混んでいる。

とりあえず涼もう、ということでスーベニアショップへ。


しばらく涼んで、信玄餅と、次女が買いたがったお土産の髪ゴム 150円だけ買って帰る。


レストランで何か冷たいものでも、と言っていたのだけど、それは外で食べることにしよう。




プレジャーフォレストの周辺には特に面白いところはない。

事前に調べたのだけど、相模湖がある程度で、その相模湖も家族連れで遊ぶような感じではない。


相模湖記念館、というのがあるので、そこに行ってみることにした。

みんな科学館好きだから、何か楽しめるかもしれない。


一応、12時ごろになっていたので、ファミレスに入って…約束していた「冷たいスイーツ」を食べる。

みんなアイスクリームなどを頼む中で、長男は「ハンバーグカレー食べたい」としっかり昼食を食べた。


#いつもは朝ごはんは7時ごろ。

 この日は9時まで食べていたので、あまりおなかすいていない。



それから相模湖記念館行ったのですが、期待外れでした。

市民センターの一室に相模湖のことを展示してある部屋がある、というだけなのね。


しかも、後半は子供ウケを意識しすぎて、相模湖と全く関係ない展示内容。

一応「ダム」ってことで電気つながりではあるのだけど、単に電気実験のような内容ばかり。



「アルゴブロック」というプログラミング教材が置いてあった。

プログラム教育は以前から興味があるし、一度見たかったのだけど…


これは、ブロックを繋ぐことでプログラムする教材。

画面上に、「ロボットを経路通りに動かす」などの問題が出されて、実際のブロックを接続することでそのプログラムを作る。


ブロックには、「前」「回転」「右」などが書かれている。

回転は、ロータリースイッチが付いていて、45度単位で角度指定できる。

前とか右とかは、数字を変更できるスイッチがあって、距離を指定できる。


#ここで、「右」とは、方向を変えないで横にスライド、という動作。

 方向を変えるのは「回転」のブロックに限られる。


他に、「繰り返し」と「繰り返し終わり」のブロックもある。

繰り返しブロックには数字パネルをはめ込む端子があり、その数字の分だけ繰り返す。


なぜ「前」と同じような数字スイッチにしなかったのかわからない。ここだけ操作が統一されていない。


特殊な動きとして、「前」と「右」は横に(並列に)つなぐことができて、斜めに進める。

物事の手順を教える、というのが目的のはずなのに、ここは無手順で横に並べられる、というのも統一感がない。




遊んだのだけど、正直なところ、面白くなかった。

プログラム教材、と言いつつ、プログラムの勉強にはなっていない。


ブロックという「物理的なもの」を使っているので、自由にプログラムを組もうとすると、ブロックの数が足りない、という制約にぶつかる。

どのブロックも、2~3個しかないのだもの。


その結果、課題がちょっと難しくなると、「自由にプログラムして解決する」というよりは、「制約の中でプログラムできるように最適化する」ことが重要になる。

プログラムの初心者向け教材なのに、いきなり制約下での最適化が目的になる、というのは何か違う。


移動ブロックを同時に使って斜めに進める、というのは、制約下でできることを増やす策なのだろうけど、すでに書いたように統一感がないし、「手順を考える」という目的と合っていない。



アルゴブロックって、考案されたころには結構もてはやされて、いろんなニュース記事で読んだ。

でも全然普及しないから遊べず、今回たまたま遊んでみたら、普及しない理由がよくわかった気がする。




アルゴブロック批判だけで無駄に長く書いてしまったが、子供たちがすぐ飽きたので、相模湖記念館は早々に退出する。

次女はホールのソファーで寝てしまっていた。



もうちょっとダムらしいところを、と思ってダムの堤防近くに車で入る。

堤防上には道路が通っているのだけど、車は入れない歩行者道路。


次女が寝ているので僕は車で待ち、妻と子供たちでダムをちょっと見学してきた。


…これで終わり。

2日目が思ったより楽しめなかったので、「もっと遊びたい」という声が出たのだけど、とりあえず帰路につく。

その代わり、帰り道で面白そうなものを見つけたら寄る、という条件。

子供たち、テレビでやっている「ぶらり旅」みたいな番組好きです。


でもね、2日目は楽しめなくても、1日目に思う存分遊んだ。

車が走り出したら、疲れが出て3人ともぐっすりと寝てしまった。


結局、どこにも寄らずに家まで帰りついたよ。



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利用明細のWEBページ  2016-08-18 11:59:48  その他

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会社の決算期なので書類掻き集めている。

こまめにやっとけばいいのに、っていう至極もっともな突っ込みはこの際おいとく。


そのうえで書くと、電話料金のような「月々の利用明細」が結構問題だ。


今時、利用明細を郵送で送ってくる、という会社は少ない。

別料金払えば送ってくれるのだけど、うちみたいな零細企業だとそのわずかな金を惜しみたい。


WEB で見られるから見てね、となっているのが普通だから、それを印刷することになる。




この明細書の扱いが、会社によって激しく違う。


Biglobe の SIM を使っているのだけど、明細書ページの使いやすさに感心した。

ある月の明細を見ていて、「前の月」「後の月」が簡単な操作で移動できるし、離れた月へもプルダウンメニューから移動できる。


事務作業している時には、まとまった期間の明細を全部出力したいので、この「次の月」への移動がとても便利。

使う人のことを良くわかっている。


そして、これが一番大事なのだけど、印刷すると全く見た目の違う、保存する経理書類として適切な形式の「利用明細」が得られる。

そこには、「次の月」とかプルダウンメニューなどの、操作インターフェイスは一切入っていない。




技術詳細としては、CSS のメディアタイプで振り分けているだけだ。

この説明でわかる人は、以下25行ほど読み飛ばしていい。


…改めて説明しよう。


WEB のページは HTML で記述されている。

HTML は、表示する文章などに「データの意味」を与えるものだ。


たとえば、ある部分は見出しで、ある部分は本文の段落。

そしてこの部分は引用、などと指定していく。


一応、そのままの HTML でも、それなりの表示はしてくれる。

見出しは大きな文字を使うし、引用部分は段落を下げる。


でも、もっと見た目を整えたいのであれば、この「意味」に対して、どういう「見た目」にしたいのか、という指示を、Cascading Style Sheet (CSS) で行う。


この CSS なのだけど、普通に指定しておけば、画面上も印刷時も同じ見た目になる。

でも、CSS の指定時に「画面用」「印刷用」とか、さらには「PC用」「スマホ用」とか分けられる。


メディアごとに異なる見た目を用意できることから、「メディアタイプ」と呼ぶ。


そして…やっと最初の話に戻れた。

Biglobe では、1つのページに、画面用の見た目と印刷用の見た目を用意している。


画面用の見た目では「前の月」「次の月」などの機能ボタンが配置されているが、印刷時はこれらのボタンは消えうせる。

そして、明細書として適切な見た目で印刷され、そのまま経理書類として保存しやすいようになっている。




アサヒネットは、Biglobe のように「1つのページの見た目を CSSで制御する」のではなく、印刷用の別ページを用意してあった。

しかし、インターフェイスとしては使いやすいし、悪くない。


一方、楽天カードは、印刷用の仕組みはなかった。

画面用の見た目をそのまま印刷すると、最初の1ページには丸ごと、どうでもいい情報が入る。

(画面遷移のインターフェイスとか、過去の明細の保存期間のお知らせなど)


でも、これが「ちょうど1ページ」なのは都合がよく、2ページ目から印刷すると大体残しておきたい情報がみっちり入る。


残念なのは、最初の1ページに入る情報が「ちょうど1ページ」になるように計算されているわけではなく、偶然だということだ。


実は、直近3カ月とそれ以前で、ページの体裁が少し異なる。

そのため、最近のページを見ると、必要な情報が1ページ目途中から始まってしまう。


また、Javascript を使い、ページのスクロールに合わせて動的に CSS を書き換えるようになっていた。


具体的には、ページ一番上の表示は「ヘッダ」として、スクロールに合わせてついてくるようになっている。

ページを開いたときは何も設定されていないのだけど、スクロールして初めて fixed になるようだ。


この結果、印刷を開始するスクロール位置によって、印刷結果が変わってしまう。

fixed だと印刷時も紙の一番上に表示してくれるのだけど、経理上重要な「明細書」の一部が、この表示で隠されてしまう。

これは経理上全く許し難いことで、多数のページを印刷してから気づき、隠されてしまったページの再印刷となった。




見た中で最悪だったのが、DMM の明細ページ。

DMM の sim は安くて便利なので使っているのだけど、明細を印刷して保存することは全く考えられていない。


Biglobe と同じように、画面用の CSS と印刷用の CSS を分ける作りになっているんだ。


でも、印刷用の CSS というものは存在していない。

「画面用」の指定を印刷時に使うわけにはいかないので、印刷時は「素の HTML」になる。


先に書いたように、素の HTML でもそれなりの表示にはなる…ようにできる。

ところが、DMM のページは、CSS で成形することを前提に作られていて、素の HTML では見た目が非常に崩れるのだった。


結果として、保存したい情報をまともに印刷できない、ということになる。



ところで、google chrome の印刷機能は独特で、プリンタドライバを介さないで印刷しようとする。

そして、WEB を印刷するときに、「おそらくここが本文」という場所を経験則的に探し当てて、不要な部分をカットして印刷するモードがある。



これを試してみたところ、DMM のページでは利用明細以外の部分を綺麗にカットすることができた。

表組などは崩れているのだけど、必要な情報は保全できるので、この機能を利用して明細を印刷した。




僕のページは人のことを言えるほどインターフェイスについて考えられてはいない。

考えられてはいないのだけど、この際、心に棚をつくって、自分のことは棚上げして言わせてもらおう。


課金明細を WEB 化するのであれば、単に WEB で「見られる」だけではなく、印刷して保存することを考慮してほしい、と思う。


Biglobe の作り方は最善だし、アサヒネットのやり方も悪くない。

(多分、アサヒネットは CSS がまだ今ほど使い物にならなかった頃に作られたシステム)


楽天のは結構ダメなのだけど、少なくとも画面の見た目のまま印刷できるので、表組を使うことが多い明細としては悪くない。


でも、印刷時に表組すら崩れてしまう DMM のやり方はダメだ。

CSS に「画面用」の指定を入れるのであれば、「印刷用」も作っておかないと意味がない。


安い sim を便利に使わせてもらっているし、こういう細かな部分はコストに跳ね返るので仕方がないとも思うのだけど、改善してほしい部分だ。




そして、実は一番困ったのは NTT 東日本だった。


明細ページに入るためのインターフェイスがややこしすぎ。

自分で決められないのでとても覚えていられない「ユーザー ID」と、パスワード、それと「お客様番号」の3つが揃わないと認証できない。


しばらくアクセスしないと ID は失効して、再発行を依頼すると郵送で送られてくる、というシステムだ。


実は、失効していてアクセスできないので、再発行依頼したところ。

印刷以前の問題なので、是非改善してほしい。



さらにいえば、「明細」と「請求」は別の関連企業によって管理されていて、両方見るには2つのIDが必要になる。

別々に管理しているので、明細と請求が異なる場合もある、と説明されているけど、それじゃ何のための明細かわからない。



「セキュリティのため」なんて言わせない。

セキュリティに敏感な銀行だってこんなに意味の分からない認証方法は使っていないのだから。



#現在、NTT東日本は「インフラ会社」になりつつあり、「顧客管理」を別会社に任せる戦略を打ち出している。

 先に書いたように、「明細」と「請求」が別会社になっているのもその一環。

 この請求会社は自由に選ぶことができて、うちの場合、アサヒネットを窓口にするように切り替えれば、NTT東日本のサービスはほぼそのままで、請求がアサヒネットから来るようになる。

 ひと段落したら切り替えてやろう、と画策している。



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プリンタの不調  2016-08-18 17:14:10  コンピュータ

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1週間ほど前に、Windows 10 anniversary update のお知らせが来たので早速入れてみた。


POPfile が動かなくなり、addUser すると戻る、というのは相変わらず。

まぁ、これはアップデートの度の恒例行事となった感があるので別にいい。

というか、そろそろ POPfile が対処する問題だと思うのだけど、新版は出ていないようだった。



それよりも、困ったのは、プリンタが不調になったことだった。




先に書いたのだけど、ちょうど決算期で帳票などの印刷が多かった

プリンタが不調になり、何も印刷できなくなった。これは困る。


プリンタの不調で検索してみると、定番の答えが「一度プリンタを削除し、再度インストールしろ」だ。

やってみたけど不調は治らない。


問題切り分けのため、いろいろ試してみる。


現在、我が家のプリンタは Brother DDP-J557N だ。

これは、Google Cloud Print に対応している。


プリンタへの設定で、僕のグーグルアカウントと紐づける。

そして、Chrome から印刷する際に「Cloud Print」を選ぶ。


これで、Windows のドライバを使わずに印刷ができる。

問題なく出力された。プリンタはおかしくない。



Windows でテストページの印刷を試みてもプリンタは動かない。

プリンタキューのウィンドウを開いた状態で印刷すると、キューに一端入ったデータが、印刷完了したように消える。

しかし、実際にはプリンタは動かない。


キューが悪いのか…と、キューを使わない設定にしてみる。

すると、印刷した直後に、印刷したアプリごと落ちる。

どうやら、印刷する部分のどこかがおかしいようだ。


ははぁ、すると、キューに溜めた後に印刷しようとしたプロセスが落ちていて、キューからは受け取った、という扱いになっているのだな。




いろいろいじっていたら、プリンタドライバの設定画面にもテスト印刷があった。

試してみると、なんとこれが動く。


Windows のテスト印刷とは違う結果が出力される。

ノズルの目詰まりなどを確認するために、1ドットづつを制御する特殊な印刷を行っているようだ。


ということは、ドライバは悪くないのか。

うーん、Windows のプリンタドライバがどうなっているのか理解していないので、何が起こっているのかさっぱりわからん。



調べてみると、Windows のプリンタドライバは、カーネルプロセスとユーザープロセスの2つに分かれているようだった。


ユーザープロセスは、設定などのインターフェイス部分を請け負っている。

また、印刷したデータを受け取り、処理してキューに流し込む部分までを請け負っている。


カーネルプロセスは、キューからデータを受け取り、実際にプリンタまで送る部分を請け負っている。


なるほど、これでわかった。

おかしくなっているのはカーネルプロセスドライバだ。

独自のテスト印刷は動作したが、このときは細かな部分まで制御したいため、ユーザーモードからキューを介さずに直接印刷を行っているのだろう。




通常、Windows からプリンタを削除しても、ドライバまでは削除されない。

改めてプリンタをインストールすると、保存しておいたドライバが使われてしまう。


これだけでも、ドライバ登録情報などが壊れただけなら治ってしまう。

「ドライバからインストール」は初心者にはハードルが高いため、この対処方法が広まっているのだろう。


しかし、今はドライバが壊れているらしい、とわかってきたので、ドライバからインストールし直したい。


調べると、Brother のページに「ドライバ・アンインストーラ」があった。

これで、完全にドライバを消せるらしいので、いったん消去。


これでプリンタをインストールしたら…Windows10 に「Brother のプリンタドライバ」が入っているようだ。

機能は最低限だけどとりあえず動く、というもの。これを入れられてしまった。


最新の純正ドライバはダウンロードしてあるので、慌てて上書き。

これでプリンタは快調に動くようになった。




ところが、だ。これで終わりではなかった。


僕のマシンではプリンタが動くようになったが、妻が経理で使用しているノートパソコンから印刷ができない。


ブラザーのプリンタは去年の末に買ったもので、前回の経理作業の際にはなかった。

ノートパソコンはサブマシンで、特に印刷する必要もなかったのでドライバを入れていなかったのだ。


ドライバを入れたが、なぜか動かない。

こちらも、テスト印刷は出来る。

しかし、普通の文書を印刷すると、キューにたまったまま一向に送り出されない。


印刷を始めた瞬間、プリンタは紙を送って印字状態に入る。

しかし、そのままデータが送られてこないので、タイムアウトして紙を排出してしまう。


キューにたまったデータをキャンセルしても、今度は一向にキャンセルされない。


僕のマシンの不調とは様子が違うが、同じようにドライバのアンインストール・再インストールを行ってみる。

しかし直らない。



実は、以前もこうした状態になったことがあった。

その時は、家の中のネットワーク構成を変え、プリンタへの接続(WiFi接続している)電波が弱くなり、データを送るのに時間がかかりすぎていたのだった。


家のネットワークを見直す。スイッチングハブをリセットしてみる。

WiFi ステーションのファームウェアがアップデートしているのを見つけ、最新版にしてみる。


しかし、状況は改善しない。




ひとまず、必要な帳票を僕のマシンで印刷するが、経理マシンからしか印刷できないものもある。

妻がいろいろ調べていたら、原因は以前のプリンタのドライバがまだ入っていたことだった。



「プリンタ」は削除したのだけど、先に書いたようにドライバはまだ残っている。

ただ、ここでいうドライバは、単にハードディスクの上に残されているだけで、OS に対しては何もしないはずだし、できないはず。

(だって、プリンタを削除したことで、ドライバとしては動かなくなっているのだから)


でも、前のプリンタの純正ドライバは、プリンタドライバ以外にもいくつかのツールを残していっていた。

今時のスキャン一体型にはよくあることだけど、スキャンソフトとか入っていたのね。


これらの「なにか」が、ブラザーのドライバとコンフリクトを起こしていたようだ。

妻が以前のドライバを完全に消去したら、無事印刷できるようになった。




というわけで、今回の記事のまとめ。


プリンタが不調になったら、一度完全にドライバをアンインストールして入れ直してみよう。

該当機種以外のドライバでも、入っているプリンタドライバ関連は全部アンインストール。


最近は WiFi 接続のプリンタも多いけど、接続状態が悪いと印刷に時間がかかることもある。

今回は違ったのだけど、これも見直し項目に考えておいた方がいいかもしれない。


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プリンタの不調【日記 16/08/18】

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02年 ボランティア

13年 終戦と父の命日と


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ゴードン・ベル 誕生日(1934)  2016-08-19 17:50:25  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、ゴードン・ベルの誕生日(1934)。


PDP-11 の設計者にして、VAX の開発責任者。

そして、ハイ・パフォーマンス・コンピューティングを推進する「ゴードン・ベル賞」の提唱者です。


コンピューター業界を大きく変えた偉人。




PDP シリーズを開発した DEC 社は、もともと MIT の関係者が作った会社です。

MIT で開発された、TX-0 というコンピューターに将来性を感じ、量産するために設立された会社でした。


ゴードン・ベルも MIT の卒業生で、別の教授が設立した会社で働いていたのですが、引き抜かれて DEC の初期社員となりました。



当時は、コンピューターとは「専門のサービスマンしか触れない高価な機械」でした。

しかし PDP-1 は、購入したユーザーが自由に触ってよい機械でした。


ベルは、この PDP-1 の入出力システムを設計しています。


その後、PDP-1 の上位互換機である PDP-4 の設計を任され、PDP-5 にも参加、PDP-6 の設計も任されます。


しかし、これらの機械、ほとんど売れていません。

PDP-5 は初めての廉価機で、PDP-1 の 18bit とは互換性のない 12bit 、PDP-6 は DEC 初の大型コンピューターで、36bit でした。


その後も PDP シリーズは続くのですが、PDP-4 の後継機で初期の UNIX が作られた PDP-7 、PDP-5 の後継機で個人でも購入できるほど低価格となった PDP-8 あたりが有名です。




この後、ベルは DEC を辞め、カーネギー・メロン大学で計算機科学の講師となります。

そこで計算機のアーキテクチャなどを研究し、再び DEC に戻り、PDP-11 の開発を行います。


学術的な研究成果として作られた PDP-11 は、それまでのどんなコンピューターとも違っていました。

これまでのコンピューターは、技術的な都合で設計されていて、プログラマはその都合を察し、パズルのように最適なプログラムを組む能力が求められていました。


しかし、PDP-11 では「プログラマが使いやすい命令セット」が作られていたのです。

多数のレジスタ、直交性の高い命令、豊富なアドレッシングモード…


…これらの用語を説明すると長いので、知りたい人は PDP-11 を参考に設計された MC68000 の説明をお読みください。


ともかく、これはコンピューターのありようを変えてしまう大傑作でした。

この後は、PDP-11 のような設計が「良いもの」とされました。

先に書いた MC68000 だけでなく、PDP-11 を参考にしたコンピューターは数多くあります。



また、この後 UNIX は PDP-7 から PDP-11 に移植されます。

移植の際にはC言語が作成されるのですが、PDP-11 のアセンブラに「コンパイル」しやすいような言語設計を行ったため、C言語にはところどころに PDP-11 の影響が残る、とされています。




16bit の PDP-11 は、32bit に拡張されて、上位互換の VAX-11 となります。

この開発主任を務めたのもベルでした。


VAX-11 には、専用の OS として VMS が作られました。

しかし、PDP-11 用の UNIX もまた、VAX-11 に対応して普及しました。


VMS は非常に優れた OS だったのですが、VAX-11 「以外」でも使えた UNIX のほうが普及しました。



後に DEC は倒産し、部門ごとに解体され、別会社に吸収されます。

このときに、VMS を作成していた部門は Microsoft が吸収合併します。


ここで新たに作られたのが、VMS より一歩進んだ OS …アルファベットをそれぞれ一文字づつ進めて、コードネーム WNT でした。

後の Windows NT 、そして現在の Windows 10 のコア部分です。




ベルは DEC の副社長にまでなっていましたが、倒産前に退社しています。


その後マルチプロセッサシステムを作成する会社を設立し、このような並列コンピューター…「ハイ・パフォーマンス・コンピューティング」を推進すべく、ゴードン・ベル賞を設立します。


単に性能を競う、スーパーコンピューターのための賞ではありません。

「ハイパフォーマンス」の名前の示す通り、価格・性能比に優れたマシンや、それらを向上させる新アイディアなどに送られる賞となっています。


地球シミュレータや「京」、TUBAME2.0 など、日本の並列コンピューターもゴードン・ベル賞を受賞しています。


さらにその後、ベルはマイクロソフトの研究部門、マイクロソフト・リサーチの立ち上げから関わり、現在も名誉研究員となっています。




最後に、1992年10月に発売された雑誌に掲載された、ベルのインタビューから言葉を抜粋。


Twenty-five years from now...Computers will be exactly like telephones. They are probably going to be communicating all the time ... I would hope that by the year 2000 there is this big [networking] infrastructure, giving us arbitrary bandwidth on a pay-as-you-go basis.


意訳:

今から25年後、コンピューターは電話のようになります。

それらは皆、常時接続で通信をしています。


2000年ごろには大きなネットワークインフラが整備されて、誰でもお金を払えば使えるようになることを願っています。


これ、あまりに的確で驚きました。


1992 年だと、まだインターネットブームの前。研究者なら使っていたけどね。

インターネットがブームになったのは 1995 年ごろで、google が有名になるのが 1999年ごろ。


ADSL によって家庭向けの「常時接続」サービスが始まるのが、日本では 1999年ごろ。

光ファイバによる常時接続は 2001年。


1992年から「25年後」は来年 2017 年なのですが、すでに電話とコンピューターの区別は曖昧となっています。

それらは皆、常時接続で通信をしています。



でも、同じインタビューでのもう一つの言葉を紹介しておかないと、フェアではないでしょうね。


Somebody once said, 'He's never wrong about the future, but he does tend to be wrong about how long it takes.'


意訳:

誰かがこういったんだ。

「彼の未来展望は決して間違えていない。だけど、時期については結構間違うね」



先の予測、時期までぴったり合っている、というのは偶然かもしれません。



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Linuxの存在が明かされた日(1991)  2016-08-25 10:29:09  コンピュータ 今日は何の日

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この日をわざわざ取り上げるかどうか悩みました。


というのも、数日前に「Linuxの25周年の日」とする記事を読んでしまったから。

まぁ、幸い今日は他にめぼしい話題もないので(笑)、取り上げることにしました。




1991 年のこの日、Linus Torvalds は、minix のニュースグループに「minix のどこが好きですか?」という投稿をしました。


以下、意訳しましょう。


minix のどこが好きですか?


minix をお使いの皆さん、こんにちは。

私は、386(486) AT 互換機用の(フリーの)OS を作っています。

(GNU 製品のような大規模で専門的なものではなく、趣味にすぎません)


4月から作り始め、やっと動かせるような状態になってきたところです。


そこで、多くの人から、minix の好きな所、嫌いなところを教えてもらいたいと思っています。

というのも、私の OS は minix に似ているのです。

(ファイルシステムの構造など、全く同じです(そのほうが実用性があるため))


現在、bash(1.08) と gcc(1.40) が大体動いています。

数か月以内には、実用的に動くようになるでしょう。


なので、この後どのような機能を作るべきか、皆が何を欲しがっているか知りたいのです。

どんな意見でもありがたいです。でも、言われた通り作るとは約束できません。


         Linus.(メールアドレス)


追伸.

minix のコードは一切使っていません。

マルチスレッドファイルシステムを持ちます。

移植性はありません。(386 のタスクスイッチなどを使っています)

そして、AT ハードディスク以外のサポートは一切ありません。僕が持ってませんから :-(


これに対し、すぐに反応した人が一人。


(ソースコードが)フリーであることに期待し、移植性がないというが Amiga への移植は困難そうか、と聞いています。


Linus は、移植性のなさがどのようなものか、詫びながら詳細を解説しています。

minix と違い、ハードウェアの機能をそのまま見せ、386 の機能に頼ってしまっている部分が多数あることを示す内容です。


この返信により、minix がハードウェアを隠蔽し、メモリ管理もややこしいことに対する「不満」が次々出されます。

どうやら、新 OS ではそれらの不満が解消されそうだ。期待している、なんなら手伝う、という内容です。


でも、このときはそれで終わり。

まだまだ「Linux」の姿は見えません。



Linux が本当に姿を現したのは、3週間ほどたった 9月17日のことです。


こちらは以前「Linux の初公開日」として書いています。是非合わせてお読みください。



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名前 内容

108項目チェックリスト  2016-08-26 18:25:42  業界記

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業界話の番外編。

20年たった話、ともいえるし、長い時間の話なので、最後のほうは20年たってないように思うのだけど、いい機会なので書いてしまおう。


Twitter の TL で、「デバッグの天才っているよね」という話題が盛り上がっていた。


ここでいうデバッグとは、厳密にいえば「バグ出し」のことね。バグを出現させる仕事。

念のために書けば、バグとはプログラムの動作の誤りのこと。


デバッグとは本来「バグを無くす」、つまり正しい動作にする作業の意味で、バグを出すことではない。


でも、存在するかどうかもわからないバグを無くすことは出来ない。

「バグを出す」ことこそが、デバッグの上で一番重要な作業だ。


そのことから、バグ出しのことを「デバッグ」と言ってしまう場合も多い。


デバッグプレイ、というとき、それはゲームのバグを出す目的で遊ぶことだ。

ゲームバランスなどを確認する「テストプレイ」とは異なる。


そして、デバッグの天才は天性の勘で、または執念によって、次々と誰も気づかなかったバグをあぶり出し、さらには「確実にバグを再現する」方法まで編み出してくれるのだ。




会社で働いていた時も、バグ出しの天才がいた。


完成間近で部内に置かれているゲームをプレイして、難易度が高いゲームであるにも関わらず、ノーコンティニューで2周したりする。

また別のゲームでは、ノーミス全面クリアを誰よりも早く達成する。


まず、そこまでゲームをやり込む、ということが「前提条件」となる。


そして、そこまでやり込んだ腕前を持って、あえておかしな武器ですべてのボスに挑んでみたり、弾を撃たずに逃げ回ってみたり、画面端を狙って撃ち続けてみたり、面クリアと同時にゲームオーバーになってみたりする。


とにかく、プログラマーが想定もしていないような条件を引き起こしてみる。

これが「バグ出し」で一番重要なことだ。


プログラマーはごく普通の状況を想定してプログラムを作っているから、あえて意地悪をしなくてはならない。

極端な状況でのテストというのはバグが出やすい。


チェック方法はエスカレートして、全く同時に複数のキーを押してみたり、コインが入ると全く同時にスタートボタンを押してみたり、普通のレバーではありえないが、上と下、右と左を同時入力してみたりする。


これらは、普通の方法ではなかなか難しい。

彼は、このためにワニ口クリップを結線したボタンを用意していて、コンパネを開けて、各種ボタン結線の間をショートさせてチェックを行っていた。




彼は僕と同期の企画で、新人の時からデバッグプレイで才能を見せていた。

多数のゲームのチェックをやっていたのだけど、過去にバグを見つけた部分に関しては、別のゲームでも必ず同じような状況を試すようにしていた。


それを繰り返すうちに、「いろいろなゲームに共通してバグが出やすいポイント」に気付き、チェック項目リストを作り始める。


項目が80を超えたころに、「108項目チェックリスト、って名前にしたらカッコイイと思ってるんだけど、なんか他にバグ出そうなポイントあるかな」って、明らかに目的と手段が入れ替わり始めた。


とはいえ、最終的に本当に 108項目のリストを作り上げ、その内容は実際にバグが出やすい、プログラマーが気付きにくい状況で埋まっていた。


#一部の項目は、基板ごとに分かれていた。ST-V 用チェック項目のグループとか、MODEL2用のチェック項目のグループとかあったのね。

 さらに、2人同時プレイの時の項目とか、エンディングの有無でも項目が異なったりした。

 だから、すべてのゲームで 108項目をチェックする必要がある、というわけではなかった。




この 108項目でどれほどのバグが出るかで、プログラムの品質をある程度推し量ることができた。


あまりバグが出なければ、そのプログラムを作った人は、「想定外」のことまでかなり考えて、きっちりしたプログラムを作っている、と言える。高品質なプログラムだ。


逆にバグが多ければ、そのプログラムは低品質だ。見た目は動いていても、他にもバグが多数あることが予期される。

そういうプログラムは、ゲーム中にも徹底しておかしな操作をして、バグを洗い出す必要があった。




ところがだ。

ある時、ゲームを作成している下請け会社から、「リスト項目の意味が分からないところがある」という問い合わせの電話がかかってきた。


最初は何の話か分からない。詳しく聞くと、彼の作った 108項目チェックリストだった。

個人的にまとめていたものだったのに、いつの間にか流出していた。


サポートに電話がかかってくるということは、公式なものだと思われている。

そして、この項目が全部 OK になればそのまま発売できる、というものだと思われていた。



とんでもない。

これらは「最低限のテスト」であって、それが OK だったら発売できる、などというものではない。


これらはプログラムの品質を推定し、どの程度デバッグを本気でやるべきかを事前検査する意味合いを持っていた。

あくまでも極秘のテスト項目であり、このテストにだけ OK を取れるように事前チェックをされてしまうと、プログラムの品質が推定できなくなってしまう。



バグを無くすには、とにかくバグを見つけ出すしかない。


しかし、バグを見つけ出す、単純で広く適用可能な方法なんてない。

そんなものがあれば、それこそプログラマが待ち望む「銀の弾丸」だろう。


だけど、少なくともバグが多そうかどうかを知るための指標を、彼は数年の苦労で作り上げた。

それがいつの間にか流出することで、指標は指標として役に立たなくなってしまった。


それどころか、下請け会社に「このチェックさえ通ればいい」と誤解させてしまった。

それはつまり、バグを一生懸命探そうという気を失わせ、プログラムの品質を下げてしまうことを意味する。



彼が作ったものは、確かに役に立っていた。

しかし、誰かが意図を理解しないままに流出させてしまった。

それによって起こったことは、彼の意図とは正反対の、品質を下げてしまう効果だった。


最初から、こんなもの作り上げないほうがよかったのかもしれない。

彼が、そう言って後悔していたのを覚えている。


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名前 内容

マイケル・ジャクソン 誕生日(1958)  2016-08-29 14:29:52  今日は何の日

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今日はマイケル・ジャクソンの誕生日(1958)。


でも、すみません。

僕マイケル・ジャクソンに関してそれほど詳しくないですよ。


音楽をそれほど聞かないし、洋楽となるとなおさらわからない。

でも、マイケル・ジャクソンはゲーム業界…特にセガとは仲が良かったので、ゲーム関連の話題として書いておいても良いかと思います。




マイケルの生い立ちとかは飛ばします。

僕が書くよりもずっと詳しい話が、ネットを探せばいっぱいある。



とにかく彼は世界で一番売り上げたレコードの記録を持っていましたし、お金もたくさん持っていました。


でも、それと引き換えに「自由」を失っています。

あまりにも有名になりすぎて、家から出ることもできない。

子供の時から芸能界に入っていたため、遊ぶ友達もいない。



その時期が、ちょうどテレビゲームの黎明~黄金期と重なっていました。

彼は家の中でテレビゲームで遊び、テレビゲームが友達でした。


自宅に遊園地を作り、ゲームセンターも作り、多数の業務用ゲームを個人で所有していました。

特にセガのゲームが好きで、当時一番高価だった業務用ゲーム機「R-360」を個人で買ってしまったことも話題となっていました。


マイケルは、世界ツアーを度々行っていたので日本にも来ていました。

ツアーの際にはもちろん、それ以外にも打ち合わせなどで「お忍び」で来日しています。


そういうお忍びの際には、セガ本社を訪れることもたびたびありました。


R-360 も、セガ本社で一度体験し、即決で購入を決めたのだそうです。

ちなみに、値段は 1600万円。




セガから発売されたゲーム、「マイケルジャクソンズ・ムーンウォーカー」は、マイケルの持ち込み企画だったそうです。

といっても、同名の映画が同時期に作られていますから、映画のストーリーを活かしたゲームを作れないか、程度のアイディアを持ち込んだのではないかと思います。


映画のストーリーでは、マイケルは麻薬組織に誘拐された子供たちを取り戻すために戦います。

ゲームも、ほぼ同じストーリー。

映画もゲームも、実際にはマイケルの歌と踊りを見る内容で、ストーリーなんてあってないようなものですけど。


セガが作ったゲームは、業務用とメガドライブ用で、同じタイトルですが違う内容でした。

世間的に評価が高いのはメガドライブ用だと思います。



このゲーム、内容的に突飛なので「クソゲー」とされやすいのですが、結構面白くて僕は好きです。


もっとも、3面クリアしたら電源をそっと切るゲームかなぁ…

僕としては、ソニック・ザ・ヘッジホッグも3面クリアで電源を切るゲーム。

メガドラには、よくできているのだけどだらだらと長すぎるゲームが多いように思っています。




マイケルとセガは友好的な関係にありました。

しかし、この後マイケルが、児童虐待で訴えられます。


アメリカでは、児童虐待は日本よりも「人でなし」のイメージが強いです。

このスキャンダルで、マイケルのイメージは地に落ち、ゴシップ誌などでも彼を悪く書くことが流行します。


やはり、黒人であることで快く思っていなかった人も多いのかもしれません。

とにかく、マイケルを叩いておけば話題に事欠かないし、売り上げも上がる…そういう状態でした。


児童虐待は、金持ちのマイケルから何とかして金を手に入れようとした人のでっち上げだった、と後にわかっています。

しかし、一度落ちたイメージは回復しません。



この裁判の直前に、マイケルはアメリカでも人気のあった、ソニック・ザ・ヘッジホッグの次回作があるなら、是非音楽を作らせてほしい、とセガに言っていたそうです。


ここでの「次回作」は3のことで、実際にマイケルが音楽を書いたという噂もあります

ただ、裁判になってしまったのでマイケルの名前を出せなくなり、発売時には公式見解として「音楽は社内制作」となった。


あとから出てきた証言や状況証拠的に、どうやらマイケルが作った音楽がそのまま使われていたらしいのですけどね。


全然別の部署で作られているゲームですし、僕は真偽のほどは知りません。




裁判がひと段落してから、マイケルは何度かセガにお忍びで来ていました。


ちょうど20年ほど前だったと思いましたが、僕のいた部署にも来ています。

そのころはプリント倶楽部が流行していたので、マイケルもプリント倶楽部を1度遊び、シールを持って帰りました。


…ところで、プリント倶楽部って、コンティニューで「今のシールをもう1枚作る」機能があるんですよね。

マイケルが帰った後、大量印刷して奪い合いになっていました。



さらに後には、「スペースチャンネル5」などにも出演していますね。

歌って踊るゲームね。


このときは、完成したゲームを見せたところ「是非出演したい」と言われて、急遽最終面にゲスト出演となったそうです。

後の続編では、準主役として出演しています。




アメリカは日本人が思っている以上に階級社会で、社会的に成功し、富と名声を得たものは、上流社会の仲間入りをしたがります。


マイケルの肌が、黒人なのに白くなっていったのは病気のためです。

しかし、彼が「白人になりたがっている」というゴシップが語られていました。

これもまた、白人でないと上流社会に入りにくいためです。


しかし、実際のマイケルは、黒人であることを恥ずかしいなどとは思ってませんでしたし、むしろ自分の出自である貧困層と共にいたいと思っていたようです。



テレビゲームのようなものは、上流階級の人は遊びません。

…まぁ、実際はどうか知りませんが、少なくとも遊んでいると公言するようなものではない。


しかし、マイケルは自宅にゲームセンターを作り、公言していました。

「底辺層の娯楽」を楽しむ、決して上流層に媚びようとはしていない姿勢を見せたのです。


これもまた、貧困層と共にいることを伝える、メッセージだったのではないかと思います。





最後に自分の話を。


最初に書いた通り、僕はあまり音楽聞きませんし、洋楽になるとなおさら聞いていません。


でも、メガドライブの「ムーンウォーカー」が結構好きだったので、元ネタとしての映画「ムーンウォーカー」は一応見ている。


一時期ペンネームとして「WIZ」を使っていたので(西武企画のゲーム「魔法使いWIZ」が好きでした)、マイケルジャクソンが出演した映画「WIZ」も一応見ている。


あまり知らないのは事実なのですが、ちょっと話題に書きたいと思う程度には追いかけてますね。



でも、深入りしてはいなかったので、ゴシップ誌が書くような悪いうわさも真に受けてました。

死んだ後でいろんな話が伝えられ、そこでやっと噂が根も葉もなかったと知りました。



実は、先に書いたプリクラシール、僕は持ってません。同じ部屋にいたのだけど、遠目にちょっと見ただけで、それほど見ようとも思わなかった。


当時はまだ悪い噂が残っていたせいもあります。

折角世界的大スターが近くに来ていたのだから、もう少し見とけばよかったかな。




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名前 内容

【隆三】 まさかここでセイブWIZの話題になるとは。アイテムや敵のパターンもランダムな運ゲーなのに独特の世界観が妙に魅力的で好きなゲームでした。昔、駄菓子屋の20円アップライト筐体や銭湯に置いてあったテーブル筐体でプレイしました。それにしても、マイケルももう居ないんですね… (2016-09-03 20:39:08)

著作権の初出年  2016-08-30 11:37:06  その他

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過去に書いた記事をちょっと追記したところ、その追記が間違えているのではないか、という指摘をいただいた。


僕が間違えていることは重々あるので指摘は大歓迎。

特に、今回は詳しそうな方が、根拠を含めて指摘してくれた。


ただ、ちゃんと調べたところ、指摘をくださった方が間違えていた。

このことに対して特に怒りはないし、調べたことは僕自身の知識ともなったので、やはり感謝しかない。


詳しそうな方でも間違っていたということは、これが非常にわかりにくい概念なのだろう。

せっかくなので、調べたことも含めて詳しく解説してみたいと思う。



話は著作権のことだけど、僕は法律の専門家ではないし、ましてや著作権の専門家でもない。

でも、ゲーム会社に勤めていた時に、著作権の概念は叩き込まれた。


もちろん、専門家ではない以上間違えがあるかもしれない。

間違いがある場合、もしくは今回の話の発端のように、疑問がある場合はどんどん指摘してほしい。




話の発端から説明しよう。


まず、僕は過去に著作権表記についての記事を書いている。



でも、ここで「年を書く」ということだけ書いていて、その年が何を示すのかは詳しく書いていなかった。


Twitter の TL で、ゲームの発売年を調査している人がいて、書籍などとして刊行されている情報や、Wikipediaにまとめられている情報が間違えていることが多い、ということを言っていた。


タイトル画面には発売年とは違う年が書かれていることがあり、しかしそれを発売年と勘違いする人が多いために間違いが多い、という内容だった。

その人の推察では、年末などで年内に発売するつもりで作成していたものが、何らかの理由で年をまたいでしまうことが多いのではないか、となっていた。



タイトル画面に書かれているのは、発売年ではなく、著作権表記だ。

ずれが生じているのはそのためだ、と僕は知っていた。


でも、表記する年がいつを基準とするのか、以前書いた記事では書いていなかった。

そこで簡単に追記しておいた。




これに対して、間違えているのではないかという指摘が寄せられた。

どうやらその方もゲーム業界の方で、著作権法の条文は読んだうえで、「発売年」を書くのが正しいと考えていた。


正直に認めると、僕は万国著作権条約の条文までは読んでいなかった。

もしくは、読んだかもしれないけど覚えていなかった。


#国内法は読んだ


僕の知識のほとんどは、会社で先輩から叩き込まれたものだ。

必ず、最初に公開した年を書かなくてはならず、その公開とはプライベートショー(わずかな関連企業の人にだけ公開するイベント)のようなものも含む、と教わった。


会社からもらった書籍も読んで勉強したので、そこに条文が載っていたかもしれない。

でも、いずれにしても僕が覚えていた知識は先輩の言葉だった。


だから、僕が間違えているかもしれないと思い、改めて法律関係を調べてみた。



そして分かったことは、万国著作権条約の翻訳が微妙だということだった。




今回、教えていただいた条文は次のものだ。

(万国著作権条約の日本語訳)


第六条 〔発行の定義〕 この条約において「発行」とは、読むこと又は視覚によつて認めることができるように著作物を有形的に複製し及びその複製物を公衆に提供することをいう。


指摘をくださった方は、「複製」とあるのだから、大量生産することが前提だと考えていた。

ロケテストやショーへの展示は、大量生産ではない。


そもそも、「発行」というのは大量生産を前提とした言葉だ。

だから、ここでいう「発行」とは発売のことだ。そういう指摘だった。



しかし、原文(英語)では「発行」は Publication となっている。

確かに「発行」とも訳される語句なのだけど、原義は Public 、つまり公にすることだ。


作成者とその関係者だけが知っているような状況ではなく、第三者に見せる。

たとえその人数が非常に限られているプライベートショーのようなものでも、Publication となる。


ここは翻訳上の問題だ。

Publication に当たる言葉では日本語では複数あるのだけど、その複数をいちいち列記していては日本語としておかしくなる。

だから、翻訳の際に「発行」を選んだというだけ。


普段は法律なんて法律家しか気にしないし、法律家なら疑問のある時は原文を当たる。

だから、「発行」の単語は英語における Publication だよ、とわかっていれば何の問題もない。


そんなわけで、「発行」が大量生産の市販品に限られる、という理由はなくなる。




次の問題が「複製」だ。

もう一度条文を示そう。


第六条 〔発行の定義〕 この条約において「発行」とは、読むこと又は視覚によつて認めることができるように著作物を有形的に複製し及びその複製物を公衆に提供することをいう。


じつは、こちらの問題のほうが説明が難しい。

たしかに「複製」(原文でも copies )と書いてあるのだけど、これはいわゆる複製のことではない。



万国著作権条約では、絵画も保護の対象であると明記されている。

肉筆で書かれ、複製物のない1点ものであったとしても、著作権が与えられる保護対象だ。


「複製」と明記されているにもかかわらず、いわゆる複製物でなくても良いことになる。


じつは、ここの「複製」は、その前の言葉と切り離してしまうと意味を失う。

「有形的に複製」で一つの概念だ。


さらに言えば、「読むこと又は視覚によつて認めることができるように」が、「有形的に複製」にかかっている。




著作物とは、何か特定の「もの」をいうのではない。


本があったとしよう。その本は著作権で保護されている。

しかし、保護されているのは本ではない。「その内容」だ。


だから、違う体裁で、1ページの行数や、1行の文字数が違う形式でコピーしたとしても、同じ著作物として認められる。

本としての体裁は全く違うのに、保護される。

本が保護対象なのではなく、内容が保護対象だというのは、そういうことだ。


じゃぁ、保護する対象としての「内容」を明示してくれ、と言われると困ってしまう。

やはり、本などの形でしか示せないからだ。


これを、法的には「無形物」「有形物」という。

保護対象である「内容」は無形物なのだけど、その無形物を示すためには、有形物である「本」や「原稿」を示さないといけない。


たとえ肉筆画や、まだ活字組前の原稿だとしても、それは著作権の保護対象だ。

保護対象である無形物の「内容」を、有形物として明示できるようにした…つまり、無形物を有形物の形に「複製」したものだからだ。



これが、「有形物に複製」の意味だ。

なぜ有形物に複製しなくてはならないのか、という説明が「読むこと又は視覚によつて認めることができるように」となる。


つまり、文章全体で、いわゆる複製品ではなく、「アイディアだけでは保護されず、何らかの形で示さないといけない」と言っているに過ぎない。




もっとも、これには異論もある。

法律学者にとっては書かれた条文こそがすべてで、それをどう解釈するのかは揉める部分なのだ。


僕に指摘をくれた方のように、「複製」とあるのだから、それは複製物でないといけない、という立場をとる人もいる。

この場合、1点ものの美術品は保護されない。

美術品は人類の公共財産であり、また芸術家の卵などが模写することで学ぶことができるように、保護対象外であることが正しい、という立場もある。


#その際も、美術品を撮影し、本などとして発行する際には美術品の持ち主の許可が必要で、財産権は保護される。


#また、1点ものは保護されないのに、美術品としての版画なら保護されるのか、など、不平等の問題もある。



ところが、この立場を取った場合でも、コンピュータープログラムは、最初の1つから「複製品」となる。

プログラムとして記述されたのは「ソースコード」であって、実行バイナリではないためだ。



複製の言葉の定義としては、機械的な作業によって同じ意味を持つものが作り出されることだ。


世界観を使った同人誌や、小説を元に映画化するような「2次著作物」とは違う。

機械的な作業であることが重要で、そこに新たな著作権が発生しない時、複製物とされる。


ここで、複製物が元のものと違っていることは構わない。

たとえば絵画の場合、肉筆のタッチ・凹凸が失われたとしても「複製物」と認められる。

場合によっては色を失い、白黒で印刷されることになっても「複製物」だろう。


プログラムは、ソースコードを著作し、コンパイルした結果、バイナリが得られる。

法的な立場では、このバイナリは「著作物の複製物」とされる。


そのため、テレビゲームなどを作った場合、それがロケテスト用の1台しかないものであったとしても、複製されたものにあたる。

「発行」の定義でいう「複製」を満たしているため、最初にロケテストなどで公にした年を明記する必要がある。




以上の理由から、法的な解釈は多少違う場合があっても、テレビゲームに表示する著作権表記としては、ロケテストやショーなどの「最初に第三者に見せた」年を書かなくてはならない。


発売年を書くのは誤りだ。

(もちろん、発売年と公表年が同じである場合はそれで構わない)


じゃぁ、指摘をくださった方のように誤認があり、公表年と発売年が違うにも関わらず発売年を書いていた、として、どのような問題があるだろう?



直接的な問題は、特にないだろう。

以前書いたけど、万国著作権条約はすでに時代遅れとなっていて、現在は国際的な著作権保護はベルヌ条約で行われている。

(条約である以上、加盟した国でしか適用されない。今でもベルヌ条約に加盟していない国はあるため、全く無意味なわけではない)


しかし、ここではあえて万国著作権条約のみが有効であるとして考える。そういう国もまだどこかにあるらしい。



あなたがゲームAを作ったとしよう。

2015年にロケテストをして、2016年に発売した。タイトルには発売年である 2016年の表記がある。


ところが、ロケテストの際に別会社がアイディアを盗み、そっくりのゲームBを発売した。

こちらは、とにかくゲームAの発売前に出してしまえ! と、2015年中の発売となり、表記も 2015年だ。


ゲームBは盗作である、と訴えても、万国著作権条約では認められない。

2016年に公表されたゲームAが、2015年に公表されたゲームBに影響を与えることなどありえないからだ。


万国著作権条約は、方式主義…つまり、実際がどうなっているかではなく、どのような申請が行われているかを重視する。

タイトルで明記された…「申請された」年のみがすべてで、実は 2015年にロケテストで公表している、というような主張は聞き入れられない。



もっとも、先に書いたように、万国著作権条約は今となっては時代遅れだ。

多くの国で、方式主義ではなく、無方式主義…実際に著作されたのがいつか、ということが判断基準となる。


例え表記が 2016年でも、ロケテストで 2015年には公表していたことを主張できる。

ただし、その主張のため、自らが年を間違えるほど無能であることを認めないといけない。

さらに、2015年に公開した十分な証拠を集めなくてはならないし、その証拠を集めたのが「無能な人」なのに、信じてもらう努力をしないといけない。


この点でも、最初に公開した日を正しく書いておいた方が面倒は少ないだろう。



なお、ロケテストの結果が芳しくなかったので、大幅に作り変えるなどして内容がかなり変わっている場合に、公表年と発売年を併記するのは構わない。

最初の著作物に対し、大幅な改変を加えた2次著作物と認められるからだ。新しい部分は、新しい著作物として保護されるので、2つの年が書かれていて構わない。




ところで、上に書いたような盗作騒動が起こったとしても、「似ているから盗作」とはならない。


インターネット上ではすぐに「盗作」とか言い出す人がいるので、盗作の要件を示そうと思ったのだけど…


書き始めてみたら、それだけで1記事書かないといけないくらいの概念だと気づいた。


概念の意味も教えずに書けば、盗作となる要件として


・部分ではなく、全体として似ていること

・盗作とされるものが、原作とされるものに依拠できる可能性が十分に示されること

・類似している部分に明らかな著作物性があること


などを示さないといけない。


ネットで「盗作」と言われるものは、大抵これらを満たしていない。

ただ似ているだけで盗作と言われてしまうクリエイターがかわいそうだ。


これ以上の解説は、面倒なので書かない。

興味のある人は自分で調べてみるといい。




2016.8.31 追記

文中に「申請」という言葉を入れたので、著作権の申請に興味を持っている方を見かけた。


著作権は、現在の日本では著作した瞬間に生じることになっている。

特許権や商標権と違い、申請や審査は必要ない。


でも、著作権譲渡などの際に後でもめないように、国に対して登録申請を行うこともできる。

効用についてはリンク先を参照してくれ。



文中で申請と書いたのは、歴史的な経緯に対してだ。

その昔、著作権に関する対応は国によって異なり、申請がないかぎり認められない国もあった。

これを方式主義という。


しかし、方式主義では国ごとに申請を行わなくてはならない。

商売に関わる特許などならともかく、随筆などについてまで世界中の国で申請を行う、というのは難しい。


そこで、万国著作権条約が作られた。

この条約では、著作物に対して一定の記述をすることで、申請がなされているとみなすことになっている。


たとえば、アメリカは方式主義の国だった。

しかし、万国著作権条約には加盟していたので、実際には国に申請は行わず、著作権表記を行うことで代替できた。

代替している以上、この表記は「申請」に当たるため、本文中では申請と書いた。


その後、アメリカでも申請は形骸化し、著作権表記をすればいいだけの、事実上の無方式主義になっていた。

そのため、1989年にやっと、方式主義ではなく「無方式主義」に移行できた。


1920年ごろから、無方式主義に移行するために少しづつ準備を進めてきたそうだから、気の長くなる話だ。

(1920年ごろに登録された著作物の申請が期限を迎えるまで待ったのではないかな、と思う)


これで、主要な国はほぼすべてが無方式主義に切り替わり、著作権行使に際し「申請」は不要となっている。



ただ、僕も今調べて初めて知ったのだけど、アメリカでは著作物に著作権があることを知らずに侵害してしまった場合、罪には問われない規定があるそうだ。

著作権表示がある場合は「知らなかった」とは言わせないことになっているので、今でも著作権表示することには意味がある。


その内容は以前ほどの厳密性を問われなくなっている。

とはいえ、本文中に書いたように、厳密に従っていたほうが法的に有利になるだろうと思う。


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「人工知能」の生まれた日(1955)  2016-08-31 11:02:56  コンピュータ 今日は何の日

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今日は、Artificial Intelligence という語句が生まれた日。

略して AI 。日本語では「人工知能」と訳されます。


Art というと美術とか芸術と訳されることが多いのだけど、原義は「技巧」。

Artificial となると「技術的に作り上げた」という意味になり、「人工」と訳されます。


Intelligence は知能、理解力、思考力、知性など、頭の良さを意味する言葉。


Artificial Intelligence で、「技術によって作り出された知性」の意味で、人工知能と訳されるわけです。




以前にも書いたことがありますが、ジョン・マッカーシーという方がいました。

MIT の教授で、学生に積極的にコンピューターを開放して、ハッカー文化を花開かせた功労者の一人です。



彼が助教授になったのは MIT ではなく、ダートマス大学です。1955年のことでした。

数学の博士号を持っており、知能を数学的に表現する研究をしています。


アメリカの大学は、夏休みが長いです。

また、アメリカの大学は企業と共同で研究を行うことも多いです。


マッカーシーは、1955年の夏休みに、IBM で仕事をしていました。

そして、そこで別の研究者に出会います。


当時ハーバード大学に在籍していた、マービン・ミンスキー

彼は幅広い知識を持つ数学者で、マッカーシは彼と共に「考える機械」の可能性を語り合いました。



そして2人は、このような話し合いがもっと広くできないものかと考えます。

そこで、IBM で同様の研究をしている人を探し当てました。


ナサニエル・ロチェスター。

彼は MIT で Whrlwind I の設計に携わった後、IBM に入社して IBM 701 の主任設計士を務めています。

さらにその後、IBM でパターン認識やニューラルネットワークの研究を行っていました。


そしてもう1人、コンピューターの話をするなら当時この人は外せない、クロード・シャノンとも連絡を取ることに成功します。



夏休みの最後の8月31日。マッカーシーは彼らに、来年の夏に自分の大学に来てほしい、という招待状を送ります。

この招待状の中で、マッカーシーは彼らが興味を持って研究している分野に対して名前を付けています。


その、新しい分野を示す語句が Artificial Intelligence、人工知能でした。




翌年の夏、マッカーシーは約束通りにダートマス大学で会議を行います。

ロックフェラー財団が、この会議を行うための費用 $7,000.- を出資しています。


会議は、10人の研究者が集まり、多様なテーマについて1か月の間熱く語り合うものでした。


事前に挙げられた会議テーマは、コンピューター、自然言語処理、ニューラルネットワーク、計算理論、抽象化と想像力。


自然言語処理は、現在の機械翻訳などの元となっている技術です。

ニューラルネットワークは、ディープラーニングの元となる技術。

計算理論は、コンピューターを動かすための理論。


抽象化と想像力というのは、むしろ人間の問題。

「抽象化」というのは、例えば林檎を見て「りんご」という言葉で認識するような問題です。

そして、リンゴという言葉から、アップルパイのように全く違うものを連想できる。


一体人間はどのようにしてそれを成し遂げているのか?

哲学的な問いですが、人工知能の研究…「人間はどのように考えているのか」を明らかにしようとする研究では、これは一番大切なテーマです。


ここに挙げられたテーマは、扱い易そうなものから扱いにくいものまで、「人工知能」に関係しそうなことであればどんなものでも取り上げる、という姿勢です。

実際の会議の内容はよくわかりませんが、事前に用意されたテーマでなくても、自由な雰囲気で話し合いができたようです。


#言い方は悪いのですが、ずっと雑談しているようなもの。

 「会議」という名前が示すような固いものではなく、とにかく同好の士が一緒に生活しながら、寝ても覚めてもアイディアを語り合う場です。



この会議は大成功だったそうです。

これによって初期の人工知能研究は一気に進展します。




この会議の後、マッカーシーは MIT に移籍します。

その後、マービン・ミンスキーも合流するように MIT にやってきます。


マッカーシーが MIT の学生にコンピューターを開放したり、非常に高価な IBM 7094 を改造してマルチタスクにしてしまったり、マービン・ミンスキーと一緒に獲得した「研究費」である 300万ドルを好き勝手使い始めるのは、その後のこと。


結果的に、人工知能研究を強力に推進したことになるのですけど、日本ではなかなかいなそうなタイプです。




さて、人工知能は近年急速に進歩しています。

人間の命に直接かかわるような判断そのものにも使われ始めている。


今年8月の頭には、人工知能が、多くの医師が見抜けなかった難病を見抜き、治療法まで正しく示したために命が助かった、というニュースが伝えられました。

積極的に命に関与したかったわけではないけど、結果的に人の命を助けた人工知能です。


その一方で、自動車の自動運転技術なども開発されています。

上の話の1か月前…7月頭には、世界で最初の自動運転車による死亡事故が起きています。


こちらも、自動運転とはいえ運転手はハンドルを握らないといけない決まりでした。

にもかかわらず任せっきりにしていたが故の事故。AIに全面的に責任があるわけではありませんが、結果的に人命を失ってしまった。


今後も、自動運転車などでは、AIは責任を負えないので最終判断を人間ができるようにしたほうが良い、という意見と、人間にはミスがあるので究極的にはすべてをAIに任せた方が被害を最小に食い止められる、という意見の両方があります。


そして、同じことは積極的に「人を殺す」ための、戦闘兵器についても議論されています。

すでにイスラエル軍はロボット兵器を実戦配備し始めています。


まだ人間のサポートを必要としますが、最終目的は、自動的に敵を殺せるようにすること。


人を殺す判断を機械に任せてよいのか、という議論もあります。


一方で、機械だからこそ、確実に敵だと判断できるまでは、たとえ危険にさらされても攻撃しない、味方や非戦闘員への誤射を無くせるという期待もあります。


ロボット兵器により、戦争が今よりも「安全になる」という期待です。




ダートマス会議では、想像力のような人間側の問題も話し合われました。

そして、十分に人工知能が進化した今、やはり最後に残された問題は、道徳や倫理といった人間側の問題となっています。


自動運転車が事故を避けられない時、乗員1名の命を守ろうとしたら、3人の人をひき殺さないといけないとします。

でも、わざと壁に突っ込めば3人の命を助けられる。乗員は死亡しますが。


こうした状況をどう判断するか、究極の決断を迫られているのは、まもなく人工知能社会を迎える、我々全員なのです。





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