2014年08月30日の日記です


ジョン・モークリーの誕生日(1907)  2014-08-30 17:30:09  コンピュータ 今日は何の日

ENIAC を作った2人のうちの一人です。

もう一人のジョン・エッカートは過去に記事を書きました。


モークリーは ENIAC を構想した人で、エッカートは実際に作った人でした。




ENIAC の設計前、気象学の仮説として「十分なパラメータがあれば、気象は完全に予測できる」と言うものがありました。

この頃、経験と勘で天気予報を行うことはあったけど、完全に出来るかどうかは不明だったのね。



モークリーは、この仮説を実証したかったのだけど、「完全なパラメーター」がわからないし、もしパラメータが入手できても、膨大な計算が必要だと予測されました。


それどころか、いま手に入るパラメーターを計算するだけでも、手回し計算機ではとても間に合いません。

恐らく、当時最高速だったリレー計算機や、アナログの微分解析機を使ってもダメでしょう。


#アナログと言うと遅そうですが、微分解析機はデジタルが「遅すぎるから」作られた機械でした。



そこで、超高速の計算機を作るにはどうすればよいかを考え始めます。


モークリーは自分で勉強をして、真空管を使えばリレー回路と同等の回路をくみ上げ、物理的な動作が無い分だけ高速に計算ができそうだ、という考えに辿りつきます。


モークリーはいくつかの試作機を作りますが、電子回路設計の体系だった知識は持ち合わせていませんでした。


その頃、ヨーロッパで第2次世界大戦がはじまります。

アメリカでも参戦は免れないとの考えが広まり、戦時要員の確保のために、電気工学者の養成講座が開かれることになりました。


モークリーはこの養成講座に参加します。最年長の受講生でした。

しかし、この講座の目的は「素人に最低限の電気工学を教える」ためのもので、独学とはいえ計算機を試作しているモークリーにとっては満足できるものではありませんでした。



しかし、彼はここでエッカートと出会います。




エッカートは、最年少の講師でした。

電気工学の天才で、若くして講師に選ばれていたのです。


モークリーは、講座の参加者の前で、真空管を使えば超高速の計算機が作れるはずだ…という自分の考えを披露しました。


素人の集まりの中では、この主張はあまり理解されなかったようです。

また、熟練した講師陣に於いては、壊れやすく不安定な真空管を何本も組み合わせる回路など、実現できるようには思えませんでした。



ただ一人、講師の中で最年少のエッカートだけが、この考えに共感しました。

ここに、最年長で最も知識を持った「素人」と、最年少で経験の浅い「専門家」のタッグが組まれます。


やろうとしていることは、理論的には出来るはずでした。

ただ、経験があればそれがどれだけ難しいかわかるのに、中途半端な知識ゆえに前に踏み出すことができたのです。




ところで、先に「アナログの微分解析機」という話題を出しました。


電気工学者養成講座が行われたペンシルバニア大学ムーア校では、この微分解析機を使った、大砲の弾道計算業務を請け負っていました。


大砲を打つ際には、角度と火薬の量、風向き・湿度・気温など、非常に多くのパラメーターを考慮する必要があります。


当時の大砲は急に高性能になり、地平線の向こうまで届くようになっていました。

敵を狙う際に「撃ってみて、着弾点を見て少し方向修正する」という従来の方法は使えないのです。


そこで、多くのパラメーターを考慮して、撃ったらどこに着弾するか、をすぐに調べられる「射表」を使って敵を狙う必要がありました。


この計算がとにかく大変で…地平線の向こうまで届くのですから、わずかな計算誤差が非常に大きくなります。

砲弾の飛行中の動きを全て計算し、着弾までをシミュレーションすると、当時最高の計算能力を持つ微分解析機ですら、射表を1つ完成させるのに1か月かかっていたのです。



戦局が動き、新たな地が戦場になると、湿度や気温などが大きく変わるため、新たな射表が必要となりました。

新兵器が開発されると、砲弾の空気抵抗などがすべて変わるため、新たな射表が必要となりました。


1つの射表に1か月もかかっていては、とても戦えません。

ムーア校に計算業務を委託していた陸軍では、もっと早い計算機を必要としていました。



そこに、モークリーとエッカートが超高速の計算機を作ろうとしている、という話が届きます。

射表計算を統括していた陸軍将校ゴールドスタインは、この計画にすぐに資金提供を申し出ます。


そうして、ENIAC の開発が始まるのです。




ENIAC に関しては、ずっと昔に書いた記事を読んでね。

もっと、このページのごく初期に書いた(もう17年も前だ)ものなので、今見ると拙い記事ですが。


まぁ、ざっとまとめると ENIAC は以下のようなものです。


・「世界初のコンピューター」として、広く知られています。


・でも、今のコンピューターと違って2進法ではなく、10進法を使っています。


・配線板があって、配線を変えることで計算内容を変えられます。

 今のように、メモリにプログラムを書き込む方式ではありません。


・つまり「世界最初のデジタル電子計算機」ではありますが、現代人の考えるコンピューターとは全然違います。




ENIAC の作成中から、モークリーとエッカートは「次の機械」を構想していました。


ENIAC は10進法ですが、これは陸軍の「技術に詳しくない」人々を納得させるために、あえて手回し計算機と同じ構造を採用している節があります。

もっとも、モークリーとエッカートも、設計当初はちょっとした勘違いで「2進数より10進数の方が良い」と考えていたようですが…


また、配線板によるプログラムは複雑で、内蔵したメモリにプログラムを書き込む、というアイディアも、すでに出ていました。


2進法の採用と、プログラム内蔵方式。この二つのアイディアを中心として構想されたのが、EDVAC でした。

これは、ENIAC に比べるとずっと現代のコンピューターに近いものです。


…が、途中からプロジェクトに参加した(というか、呼ばれてもいないのに割り込んできた)フォン・ノイマンによってプロジェクトチームが分裂、完成が大幅に遅れます。


モークリーとエッカートは、プロジェクト途中で離脱、「エッカート・モークリー・コンピューティング・カンパニー」を設立し、商用機である BINAC を作成します。


この会社はその後資金繰りで躓いて、レミントン・ランド社に身売り。

安定した資金で二人はそのまま開発を続け、商用コンピューターとして最初のヒット商品である「UNIVAC-I」を生み出します。


ここら辺の経緯は、エッカートの誕生日の際に書いていますので、そちらを参照してください。




同じテーマの日記(最近の一覧)

コンピュータ

今日は何の日

関連ページ

ジョン・モークリーの命日(1980)【日記 15/01/08】

クリストファー・レイサム・ショールズ 命日(1890)【日記 15/02/17】

クリストファー・レイサム・ショールズ 命日(1890)【日記 15/02/17】

別年同日の日記

11年 ブログパーツラッパー

16年 著作権の初出年


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています


戻る
トップページへ

-- share --

1000

-- follow --




- Reverse Link -