以前に書きましたが、ST-V ってネオジオの開拓した「駄菓子屋ロケーション」を奪う戦略商品でした。
でも、そういう位置づけでありながら、社内は「売上」でノルマを課せられていました。
基板もソフトも単価の安い ST-V を一生懸命やるのは、社内的には「馬鹿げている」のです。
これも以前にも書きましたが、AM1研は、社内で必要とされていることはやる、という感じの部署でした。
決して派手ではないが、ゲームセンターの隅に1台は置いておかないといけないようなゲーム…
コラムスとか、野球ゲームとか、占いとか。そういうものを開発するのは AM1研の仕事でした。
こういうゲームは、それほど売り上げが伸びないとわかっているので、安くないと買ってもらえません。
必然的に ST-V で作ることになります。
でも、AM1 研だけで作っていても、ゲームの数は少ないのです。
せっかくカートリッジ式でソフトの交換を簡単にしているのに、肝心のゲームが少ない。
ST-Vの弱い部分でした。
どこかの段階で、会社の方針としてもう少し ST-V に力を入れる、となったようです。
ここら辺、詳しい経緯は知りません。
でも、売り上げベースのノルマは変わらない。
当然、開発各部署は、ST-V のゲーム開発に力を入れたいとは思わない。
内部開発がだめなら、外部に頼めばいいじゃない、ということで、ST-V 基板をサードパーティにも広く開放するようになったようです。
もちろん、今までもサードパーティ作品はありました。
でも、これらは主に2つの群に分かれていて
・セガが資金提供して開発させたサードパーティ作品
・元々業務用ゲームを作っている会社が、開発ターゲットとして ST-V を選んでくれた作品
でした。
これに加えて、新たに以下のような枠を広げようとしたのです。
・サターンのゲームの ST-V 移植作品
これまで、ST-V のゲームはサターンに移植できる、というメリットは利用されてきたのですが、その逆はあまりありませんでした。
でも、この道ができれば、ST-V のゲームは大幅に増えるはずでした。
この戦略のために、営業に ST-V 専任の人が割り当てられたようです。
AM1研内に、テクニカルサポート部署ができたのもその流れの一環のようです。
そして、当然のことながら、営業の人とテクニカルサポートの ST-V 技術担当…つまり僕は、頻繁に連絡を取り合うようになります。
何社か、営業の人と一緒にあいさつ回りをした覚えがあります。
その時の1社、…名は伏せますが、塾の教室のようなところで開発を行っていました。
学校の教室ほど広くないスペースに、小さな机が、同じ方向を向いて整然と並べられています。30人くらいでしょうか。
パソコン置いたら他に何もスペースがない。椅子の後ろはすぐ他人の机で、席を立つのも気をつかう。
資金的な問題などもあって仕方がないのだとは思いますが…こんな状況では、気持ちの余裕は持てなくて、良いゲームは作れないだろうな、と思いました。
(実際、その会社のゲームは面白くないものが多かったので…)
これは一番ひどかった例で、多くの中小企業は少人数でした。
30人くらいも雇っておきながら、狭い部屋しかもっていない、というのがかなり変な例なのね。
大抵は数人で開発していて、狭い事務所か、マンションの一室を借りています。
大学時代に2カ所ほど、ゲーム会社でアルバイトしていましたが、そこもそうした感じでした。
セガの環境がいかに恵まれているか、よくわかりました。
いろんな会社を見ることは大切で、プログラマーだけをやっていたらそうした機会はなかったでしょう。
営業の人との交流は、それまでになかった視座を与えてくれました。
それまでは「開発の人間として」良いゲームを作ることが一番大切だと考えてきました。
良いゲーム、という定義も難しいのですが、まずはゲーム好きな人に認めてもらえるようなものを作りたい。
ただ、AM1 研の方向性として、特にゲーム好きでない人に気軽に遊んでもらえるもの、というのもアリです。
でも、営業の立場から言うと、それらは決していいゲームではないのね。
「お客さん」を、ゲームを遊ぶ人だと思っているから。
営業にとってのお客さんは、ゲームセンターの経営者。
ゲームセンター経営者が儲かって喜んでくれるのがいいゲームです。
もちろん、面白くて遊んでもらえるものがいいに決まっている。
でも、それに加えて安く買えること、プレイ時間が短く連続して遊んでもらえること、お客さんの多く来る夏休み・年末年始などの前に発売されること、なども重要です。
特に発売時期に関しては、作成現場では全く意識されていませんでした。
2月と9月のショーでお披露目をする、という意識はあっても、これらのショーは「ゲームセンターが暇な時期だから」その時期に開催しているフシもあります。
みんながその時期を目指してしまうと、ゲームセンターの人・営業の人にとっては、ゲームが欲しい時期に良い商品がない、となってしまうのです。
#と、コラムス97 のところで書いた話は、作っているときにはちゃんと理解できておらず、後から真意を知った話なのです。
もう一つ、営業の人と外回りをしたのも勉強になりました。
外の会社を見るということは、自分の会社を外から見る機会にもなります。
小さな会社の開発者は、開発期間やコスト意識に敏感な人が少なからずいました。
セガでは、そのような開発者は、部課長クラスを含めても多くはありませんでした。
小さな会社では、会社の状況を開発者まで感じていて、とにかく儲かるゲームを作ろうと一生懸命なのですね。
ゲームが売れずに会社がつぶれてしまえば、自分の明日からの暮らしに困るのですから。
そうなると、妥協は許されません。ゲームを作るための情熱が違います。
セガだって情熱をもってゲームを作っている人はたくさんいましたよ。ゲーム作るの好きで入社したのですから。
でも、「お仕事」と割り切っている人も、少なからずいました。
ゲームを作りはするが、そこから先は営業の仕事・店舗の仕事で、自分が作ったゲームがどう評価されているかもわかりにくい。
作ったゲームを遊んでいる人の姿が見えず、徐々に情熱を失う人も多いのです。
で…それまでに持っていなかった視座を持って、改めて自分の会社を見てみると…
なんというか、こう、「やばい」感じがするのですね。
商品を作る開発部と、商品を販売する営業と、実際の商品を遊んでもらって外貨を稼ぐ店舗と、すべてを統括する人事部が、ちゃんと意思疎通できていない。
各セクションが思い付きのように「状況を改善」しようとする動きを起こしても、チグハグな感じで効果が出ない。
例えば、店舗が「シンプルな古いゲームを好むお客さんは結構いる一方で、最近の新作はややこしすぎてあまり遊ばれていない」という報告を上げたとしましょう。
もっとシンプルなゲームが欲しい、という要求です。
でも、開発部に開発命令が下されるときには、伝言ゲームの結果全く意図と違うものに変わっているのです。
古いゲーム、というところだけ取り出して「ヘッドオンをリメイクしろ」とか「コラムスをリメイクしろ」とか。
とはいえ、やばいと感じ始めたのはもっと後の話。秋ごろだったと思います。
半年後の1999年4月には、1000人規模のリストラを発表。
各部署も分社化されるのですが…実は、やばいと感じて早々に僕はセガを辞めて独立してしまいました。
なので、その頃のことは知りません。
今書いている「20年前」、1998年の春ごろは、まだ慣れないテクニカルサポート業務で、日々追われていたと思います。
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