そろそろ、昔話を再開しましょう。
記憶にはなく、ネットで記録を探しても見つからないのですが、1996年の AOU エクスポは、おそらく2月の16~17日。
毎年、2月第3週の金・土にやっていた…と思いますので。ちょうど20年が過ぎたところ。
で、このショーに出品予定だったのですが、間に合わずに出せなかったゲームの作成に参加していました。
この後、このゲームはロケテストもしないまま開発中止になっています。
つまり、どこにも披露せずにお蔵入り。関係者以外誰も知らないはず。
そんなゲームの話を書いてよいのか、と自分でも迷いますが、20年もたっているのだからそろそろ書いても良いでしょう。
ファイナルアーチの海外版 (Super Major League) の開発が終了したのは、1995年の暮れのこと。
開発が終わり、チームは解散。僕はすぐに別のチームに配属になりました。
このチームが作っていたのが、ST-V の縦スクロールシューティングゲームで、この時点での仮タイトルが「秒殺 - Second kill」でした。
先に書いた通り、開発中止したので正式タイトルはありません。以降「秒殺」と呼びます。
セガって、ほとんど縦シュー作ったことがない。
いや、皆無とは言いませんが、経験が蓄積されるほど頻繁には作っていないのです。
でも、まだこのころは縦シューというのはゲームの重要ジャンルの一つでした。
社員の中でも、縦シューが好きだという人は結構いた。
そういう人たちが集まって、ST-V の性能なら新しい縦シューが作れる、と会社に掛け合って開発をしていたのが、秒殺でした、
縦シューは上に書いたように重要ジャンルなのですが、稼げるジャンルではありませんでした。
お店にとっては、ゲームの種類を揃えるために2~3台は置いておきたいけど、良くてトントン、場合によっては投資を回収できないジャンル。
だから、できるだけ安く作らなくてはなりません。
ST-V は発売前から、3D が使えるのに非常に安価なボード、とされていました。
安価なら縦シューを作るのに十分。3D なら、他社が出せないような新しい表現ができる。
そうした「新しい縦シューのジャンル」を作り出すのがプロジェクトの目標でした。
でも、新しいジャンルの創出って、言うほど簡単ではないのよ。
ST-V の実機が動き始めるはるかに前から、縦シュー好きの企画の人が、アイディアを温め続けていました。
ただ、実際の 3D がよくわかってないから、申し訳ないけどアイディアのほとんどが「机上の空論」。
3D だったらこんなことができる、あんなことができる…と、空想を膨らましているだけで、実際に作ってみないとわからない「3Dの欠点」には一切気づいていない。
企画先行型の落とし穴です。
たとえば、3D でパースを付けた街の上を飛べることになっているのに、地上物と空中物を同じ弾で倒せることへの違和感は考えていなかった。
パースがついているから、そもそも「弾の真下にいる」地上物は、俯瞰したカメラでとらえた画面の上では、弾と重ならないのです。
でも、座標上では重なったことになるから、「敵に当たった」と判断することになる。
この程度なら、画面の見た目で重なることを優先、で済むのですが、一事が万事そんな調子。
3D にする、3D の表現を取り入れる、ってかなりややこしいことでした。
そもそも縦シューの開発経験が乏しく、ノウハウがない、というのも問題でした。
秒殺のメインプログラマは、手相占いでメインプログラマをやった先輩。
怒首領蜂など、CAVE系の縦シューが大好きでした。
自分が好きだから一応かなり研究して、基礎部分を作り上げます。
でも、「遊ぶのが好き」という観点で研究したとしても、実際に作ってみないとわからないことがある。
このときに作成した基礎部分、それほど設計が良くありませんでした。
そして、企画担当者は彩京シューティングが好き。
僕は、チームに入るときに企画の方から「ガンバードを遊び込んでほしい」といわれました。
彩京の当時のヒットゲームの一つね。
#僕は縦シューはそれほど好きなジャンルではないのですが、仕事でやるのだからソフトを購入して、クリアできる程度にはやりこみました。
だから、ガンバードはそこそこ好きなゲームの一つ。
ゲーム好きでないとよくわからないかもしれないけど、「縦シュー」といっても会社ごとに個性が違い、ゲーム内容はかなり異なります。
CAVE系のゲームは、アクション性が強くてパターンを作りにくい。反射神経が勝負です。
でも、彩京のゲームはパターン化しやすい。敵の弾もそれほど自分を狙ってこないため、繰り返し遊んで記憶することが大切。
さて、メインプログラマーが CAVE 好きで、企画が彩京好き、というのは困った問題を引き起こしました。
最初に CAVE のようなゲームを想定したプログラムを作ったのに、企画書ではそうではない動きばかり要求されるのです。
チーフ以外に2名のプログラマがいましたが、それぞれに担当したボスの動きなどの必要性から、元のプログラムをコピーして改造し、微妙に違うプログラムが多数存在する状態になっていきます。
コピーが多数あるので、バグが見つかった時には全部を修正しないといけないし、そもそもメモリを無駄遣いしている。
だんだん収集がつかない状態になっていきました。
僕がチームに入ったのはそんな時。
メインプログラマの先輩が、手相で一緒にやった僕の腕を信頼してくれ、僕をチームに入れるように部長に掛け合ったのです。
しかし、これが難題でした。
先に書いたように、秒殺のプログラマーは僕のほかに3人。
メインは、先に書いたように手相のメインプログラマの先輩でした。
手相の時は、この先輩と2人でプログラムを作りました。
もう1人、手相でご一緒した先輩がサブプログラマをしています。
…僕とメインの二人が手相の時のプログラマだったのに、もう1人一緒にやったプログラマがいる、というのは計算に合いませんね。
この人、手相の時は企画でした。
手相の前に作った占いもヒット、手相は大ヒットで、そのまま企画を続けるのに実績は十分…と思うのですが、なぜかプログラマに転向。
入社前は個人でゲームを作っていたようで、プログラムも、企画も、グラフィックもできる人でした。
この方とは、後に別のゲームでまたご一緒することになります。
あと一人、メインプログラマーと仲の良い後輩で、僕よりは当然先輩の方。
以前に書いたけど「わくわくタマ&フレンズ」作った人。
この方とも、後に別のゲームでまたご一緒しました。
この話、長いので次回に続きます。
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