2013年10月01日の日記です


KDDI発足日(2000)  2013-10-01 10:45:02  コンピュータ 今日は何の日

今日は…

10月1日って、第四・四半期の始まりだし、4月始まりの日本でも年度後半が始まる日なので、いろんな発表が行われやすい日です。


1956年のNASA発足、1969年のNASDA設立、1982年の CD発売、2000年の KDDI発足など…

D&Dの考案者の一人、デイブ・アーンソンの誕生日、というのは、こうした意図とは無縁の話題。


D&Dもレトロゲームを語るうえで外せない話題なのですが、今日は僕が仕事柄よく覚えている、KDDI発足について書いてみましょう。




その昔、日本では通信事業は国営でした。


まぁ、これはある意味当然で、情報の流通と言うのは社会にとって非常に重要な意味を持つのです。

郵便物は郵政省、電話は日本電信電話公社(以下、電電公社)の専売事業でした。


電電公社の民営化、というと NTT への組織変更が思い出されますが、実は 1953年に一部事業を分割し、民営化しています。

それが、電電公社の国際電話部門を独立させた、国際電信電話株式会社 = KDD (Kokusai Denshin Denwa) でした。

ただ、民営化して株式会社は名乗っているものの、KDDを規定するために法律が存在する特殊会社でした。



アメリカの電話独占企業 AT&T が分割されたのは 1984年。

これを受けて、日本でも電電公社を分割・民営化し、電話事業を自由化しようという動きになります。


そこで、1984年に「第二電電企画株式会社」が発足します。

この時点ではまだ電話事業は自由化されていないので、あくまでも自由化されたときに備える「企画」会社。


その後、1985年4月に、電電公社は民営化され、NTTと名前を変えました。

この時、第二電電企画も名前を変え、第二電電株式会社 = DDI (Daini Denden Inc.)となります。


KDD もこの時に、法律で事業内容などを細かく規定される特殊会社ではなくなり、普通の会社になっています。


そして、NTT と KDD 、第二電電、さらに数多くの電話会社が、国内の電話事業の奪い合いを始めます。

通信料金は劇的に下がり、資本力のない会社から事業を断念、他の電話会社に事業譲渡したり、合併したりが始まりました。


1988年、電電公社時代はもちろん、民営化されてからも NTT だけに認可されていた、無線電話サービスも自由化されます。


これを受けて、日本移動通信 = IDO が、自動車電話サービスを開始します。


1989年には、IDOがサービスを行っていなかった地域で、DDIセルラーがサービスを開始。

名前の通り、DDI 系列のサービスです。IDO とは別会社ですが、お互いに協力して日本全国をカバーすることになりました。


さらに、少し遅れて 1991年、日本テレコムが「デジタルホン」サービスを開始します。


この後、1992年にややこしい事態が発生します。

DDIが、一番需要が高く、儲けが見込める関東・東海エリアでのサービスを開始します。

そのエリアは IDO がサービスを行っているエリアであり、DDI の子会社である DDIセルラーはサービスを行っていませんでした。


DDIセルラーは IDO との連携を行ったまま、DDI としては新たなサービスに乗り出すために、「ツーカーセルラー」というブランドが新設されます。



実は、先に書いたIDO、デジタルホン、ツーカーセルラーの3社は、この「一番儲かる」エリアのみで営業をしていました。

ただし、IDO は DDIセルラーと協力することで全国をカバーしています。


全国カバーがないデジタルホン・ツーカーセルラーは、他地域への展開にあたり、協力体制を取ります。

儲けの多いエリアでは戦うが、そうでない場所では手を組もう、というわけです。

これにより、デジタルツーカーブランドが新設されます。


さらに1995年、PHS 事業が認可され、NTT パーソナル、DDIポケット、アステルの3社が全国サービスを開始します。


PHS は携帯電話とは異なりますが、すでに日本全国をカバーしていた光ファイバー網(ISDN)を利用し、高速・高音質な通信が可能で、端末が安く作れるという特徴がありました。

デメリットとして電波の到達距離が短く、基地局が多数必要になるという、都市向けのサービスでした。


さぁ、ややこしくなってきました(笑)


PHS 系のサービスは、同じ系列なら全国で基本的に同じサービスでした。

また、携帯電話でも、NTT は全国均一でした。


しかし、それ以外の携帯電話会社は、同じ系列でも地域ごとに値段やサービスが異なりました。

場合によっては、電話をかける相手がサービス外地域だと、オプションプランが適用されない、と言う場合もありました。


携帯電話を買おうと思うと、すくなくとも自分の住んでいる地域の会社は比較しなくてはなりませんが、その際によくかける相手の地域も考慮する必要があったのです。

さらに、越境して別の地域で電話を買うと、自分の地域で同じ系列の会社から買うよりも安い、というような場合さえあったのです。



唐突に私事ですが、当時の僕は現在の妻と遠距離恋愛中で、「電話をやすくかけられる」サービスを探していました。


固定電話でかけると、距離によって値段が変わります。

当時の携帯電話は基本料も通話料も高かったのですが、距離による値段差が「サービス地域内」か「地域外」の2種類しかありませんでした。


結果、遠距離電話は携帯の方が安上がりになる場合があり、全国の電話の情報を集めて比較しました。

結果、IDO の電話を僕名義で2台購入し、1台は彼女に貸し、彼女はサービス地域外で使用する…というのが一番安いと判明。

これがなかったら、遠距離恋愛なんて続けられなかったかもしれません (^^;




さて、PHS の登場で競争が過熱し、携帯電話の料金はどんどん下がります。

ついには、「安いけど不便」な PHS は、安さと言う武器も失って消滅。

NTT パーソナルは NTT ドコモに吸収されます。


2000年、KDD と DDI と IDO が合併。KDDI となります。

IDO と DDIセルラーもこの時統合され、株式会社 AU となります。

(この株式会社 AU も、1年で KDDI に統合されます)


もっとも、当初は会社が統合しただけで、サービスなどは以前のまま継続されました。


「スッキリ by KDDI」という広告を打っていたのを覚えているのですが、中身は以前のままなので非常にややこしく、全然スッキリしていませんでした


残ったデジタルホン・デジタルツーカーは、J-Phone となり、Vodafon となり、ソフトバンクとなります。


…あれ? ツーカーセルラーは?

しばらくは、AU とサービス提携している別会社、という扱いでした。


記憶のみで書きますが、KDD と DDI の合併時に、IDO が条件でなかなか折り合わなかったはずです。

その時に、KDD/DDI が「まぁ、その地域はツーカーあるから、IDO がなくてもいい」と言うような態度を示し、慌てて IDO が条件をのんだはずです。

実際は、ツーカーセルラーは当時から IDO に隠れて弱く、KDD/DDI は IDO も新会社に参加することを望んでいました。


ツーカーはだしに使われた挙句、仲間外れのまましばらく放置…

しかし、後に AU に統合されます。

サービス的には、ツーカーユーザーに AU 乗り換えの優遇策を示し、乗り換えてもらったのですけどね。


DDIポケットは、Willcom になり、PHS 事業としては唯一続いています。



余談になりますが、総務省は当初は携帯電話は「地域ごとに3社」と考えていました。

競争させることで消費者の利益になる、と考えていたのですね。

(この考え方は正しいです)


ただ、群雄割拠になってしまい、わかりにくくなったために、PHS は「全国均一サービスで3社」としました。

微妙に違う技術で、同じ目的の会社が合計6社。これが総務省の考えた、ちょうどよいバランスでした。


ただ、ドコモは一枚上手でした。

すでに携帯電話事業をやっているのに重複する事業を行うのには乗り気ではなく、パーソナルは「計画的に失敗し、吸収合併した」節があります。


シティフォンも「形だけ展開してすぐにやめた」感じですし、ドコモは総務省の思惑通りには動きません。

(ドコモを dis っているのではなく、大手だからやってよ、と儲からない仕事を押し付ける総務省にも問題があります)



総務省は、もういちど6社体制を狙っています。

現在、イーモバイルやWiMax が参加し、Willcom も含めて6社体制が復活していますが、どうも強弱の差が激しすぎて競争にならない様子。


総務省の思惑通りに通信料金が下がってくれればうれしいのですが…



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