2009年09月04日の日記です


訃報(2/5)  2009-09-04 16:30:07  家族

癌の告知から数日、ステント治療は無理であることがわかりました。

気道が思った以上に狭くなっていたためです。


癌が大きくなって狭窄を起こしていることは間違いありませんが、気道側まで癌が突き抜けてしまっているのかは不明。


あとは、放射線治療で早めに癌が小さくなってくれれば、との思いで放射線治療を開始します。

これが、8月初旬の話。



ところが、この頃から再び体調が悪化。

微熱が続いたり、肺炎を起こしたりで治療が中断したままになります。


とはいえ、結構元気で会話もできます。

見舞いに行くと、病院生活の四方山話が出ます。

寝たきりにならないように歩行リハビリをして、年齢からは考えられないくらい丈夫だとリハビリ士にほめられたとか、向かいのベッドの人は誰も見舞いに来てくれないのに、俺は子供たちが次々来てくれて幸せだとか…

退屈な病院暮らしの中でもそれなりにいろんなことを考える毎日を送っているようです。


家が近いこともあり、頻繁に見舞いに行っていたら「仕事は大丈夫なのか」と逆に心配されてしまいました。

病気はいつか治るんだから、そんなに見舞いに来ないでいいよ、とも言われます。



8月21日、お見舞いに行って子供とキャンプに行ってくると報告した時は、子供に楽しい夏の思い出を作ってやりなさい、と朗らかでした。


ところが、キャンプから帰った23日、留守番電話に容態が悪い、という連絡が入っています。

留守電に気づいた時は既に深夜だったので連絡が取れず、翌朝再び連絡をくれた時には僕は子供を保育園に連れて行っているところで…


とにかく判ったのは、容態が悪くて酸素マスクをつけている、ということ。

容態が悪くて面会謝絶なのか、お見舞いに行ってよいのかわかりません。


やっと昼頃に連絡がついて、お見舞いは大丈夫ということなので慌てて病院へ。


思った以上に元気でした。

酸素マスクで声が聞き取りにくいのですが、十分に会話できます。


このとき見舞いに来ていた妹と母によれば、昨日はもっと苦しそうで、会話なんて出来なかった、とのこと。

ただ、酸素は最大濃度にしているそうですが、それでも息苦しそうではあります。


しゃべったり体を動かして苦しくなることを避けるため、できるだけ寝ているように言うのですが、近くに人がいると話が気になって仕方がない様子で身を乗り出してきます。


酸素飽和度のチェッカーによる数値は、89。

通常の状態を 100 としたもので、93 を下回ると苦しいはず、と看護婦さんの説明。


また、時々痰がからんでむせます。

自分で出せる元気がないので吸引するのですが、これが非常に痛いらしいのです。



お医者さんが来て、説明してくれます。

気道が狭くなっているため呼吸困難だが、癌が大きくなったのか、炎症を起こしているのかは不明、とのこと。

ただ、急な呼吸困難なので炎症を疑っているようで、炎症を抑える薬を投与していきたい、とのこと。


また、全身の苦痛を取り除くため、徐々にモルヒネを使って行きたい、とも言われます。

この際、今の状態だとモルヒネで眠ったような状態になると、目を覚まさなくなる可能性も説明されます。


このときは男の兄弟が僕以外におらず、僕がモルヒネ使用の許可を出します。

(後で長兄に事後承諾を受けようとしたところ、長兄も既に使用許可を出していたそうですが)



翌日25日。

仕事で外出していたのですが、仕事先で妹からのメールを受けます。

意識が混濁した状態になった、とのこと。

モルヒネも使用していますし、仕方が無いことでしょう。


26日、仕事の合間を縫って病院に行きます。

妹と姉がいました。

このときも意識は無く、目はうつろな感じでした。

寝苦しいのか、時々手足を動かしています。


25日はもっとグッタリしていていて、動かなかったそうです。




また1日あけて、28日。

仕事は忙しかったのですが、週末に入る前にもう一度お見舞いに行っておこうと思い、時間はわずかしかありませんでしたが病院へ。

夕方5時と見舞いには遅い時間だったこともあり、他に誰もいませんでした。


父は目を開けてはいますが、うつろな状態。モルヒネが効いているのでしょう。

誰と会話できるわけでもなく手持ち無沙汰ですが、なんとなく10分ほどその場にいます。


酸素飽和度のチェッカーを見てみようと思いましたが、センサーが外れていて数値が出ていませんでした。

センサー自体は、常に付けていないとならない性質のものではなく、測定の際にだけつければよい、と聞いていましたが、今の状態の父が自分で外すこともなさそうなので、誰が外したのかな、と思うと同時に、数値が見れないことを多少残念に思いました。



しばらく待っても誰も来ないようなので、ベッド脇のメモ用紙に

「様子を見に来ました PM5:00 また月曜に来ます」

と書置きして帰ります。

父に、というよりは、この後見舞いに来るであろう誰かに宛てて。



車まで来て、メールが来ていたことに気づきます。

妻から「義姉さんより電話有。バイタルが下っており、今夜危ないかも知れないそうです」という内容でした。

時間を見ると、病院に入る前には届いていたらしい。


しまった、病室に入る前にメールに気づいていれば…とは思いましたが、どちらにせよ子供を保育園に迎えに行かなくてはなりませんので、そろそろ帰らなくてはなりません。

見ていたとしても、何も出来ませんし、同じことだった、と思います。


詳しい話を聞きたかったので、夜7時ごろ長兄に電話しました。

看護婦さんが言うには、今夜危ないかも、という同じ内容。

ただ、他の兄弟にも連絡は入れたことなどは判りました。

自分は子供がいるのでまだ病院に行けませんが、たとえ深夜でも、異変が起こったら連絡をもらう約束をします。



子供を寝かしつけ、深夜の連絡に備えて準備をしていると、10時40分ごろ電話が来ました。

呼吸が止まった、とのこと。

すぐに自転車で病院に駆けつけます。

距離が近いので車を使ってもあまり時間が変わらないことと、必要であれば妻が子供たちを連れて自動車で移動する必要があるためです。



呼吸が止まった、と連絡をもらったので、もう間に合わないことは判っていました。

自転車で夜の街を疾走しながら、夕方にあったのだから、死に目に会えなかったわけではない、と自分に言い聞かせます。


病室に入ると、北海道に住む長姉以外は、兄弟全員揃っていました。もちろん母もいます。

10時46分に死亡が確認された、と聞かされます。


次姉と妹は目を赤くして静かに泣いていました。


まだ次兄の配偶者(義次姉)が来ていません。(次兄だけ、先に電車できたらしい)

待つあいだ、しばらく思い出話となります。



次姉によれば、父は生前「おれは目を閉じてから死ぬんだ」と言っていたそうです。

これは、戦争で目を開けたまま死んだ人をたくさん見てきた記憶から。

そして、意識が混濁しても開けていた目は、死んだ時に自分から閉じたのだそうです。


そういえばお父さんが赤い花好きだって知ってた? と妹。

お見舞いにヒペリカム(主に赤い実を観賞用にする植物)を買って来たら、この花は好きだ、と言っていたのだとか。

父は庭弄りは趣味でしたが、特にどんな花が好きだとか言うことは余りなかったので、初耳です。


#もっとも、この後家に帰って妻に話したところ、

 「お義父さんの好きな花は、朱色と薄紫。大輪のものよりも、小さな花がたくさん咲く、房やスプレー状のものが好き」と明確な答え。ヒペリカムはこの指摘に確かに適合します。

 妻も園芸好きなので、父がうちの庭においていった植物を見るだけで大体好みが判るそうです。


母が言うには、看護婦さんは「深夜11時から1時」と時間を予測していたそうです。

10時46分、というのはそれより少し早いけど、さすがに専門家なんだねぇ、とみな感心します。




しばらくして、義次姉と子供が到着しました。

これで、来られる人は全員来た、ということで、看護婦さんを呼びます。


体を拭いて、服を着替えさせるというので一端病室を出ます。

深夜の病院です。他に寝ている患者さんもいるので、談話スペースに静かに移動します。


…談話スペースの椅子が全部埋まってしまいました。駆けつけた人間だけで、16人いました。




その後、体を拭き清めたので、死化粧をします、と看護婦さんが呼びにきてくれ、母、次姉、妹が化粧をしにいきました。

終わったというので見に行くと、土気色になりかけていた顔に赤みが差し、開いていた口が閉じられ、穏やかに寝ているようになっています。


葬儀社の手配など、病院に任せていましたが、しばらく後にお迎えが来ます。

この日は、一端実家へ。父も早く家に帰りたがっていましたから。


遺体を安置し、線香を供えます。


そのまま、葬儀社の人と今後の相談をします。

大筋が決まり、細かな詰めは明日、ということで打ち合わせが終わったのが深夜3時半でした。




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