今日はバーコードの特許登録が成立した日(1952)。
今ではどこでも見かけるバーコードや QRコードですが、その基本的な仕組みの特許は、1952年の今日成立しています。
話は 1948年にさかのぼります。
フィラデルフィアのスーパーマーケットチェーンの社長が、地元のドレクセル工科大学に相談にきました。
お客さんがどのような商品を購入したのか、レジで自動的に確認できるようなシステムは作れないか、と言う相談でした。
大学院生バーナード・シルバーは、偶然この相談内容を知ることになります。
すぐに友人のノーマン・ウッドランドとともに、システムの開発に取り掛かります。
ここで、このシステムが求められている背景について説明しておきましょう。
1900年代初期の商店は、カウンター販売が普通でした。
お客さんは店の人に欲しいものを伝え、店員がカウンターケースから取り出したり、店の奥から在庫を持ってきたりします。
1916年、アメリカで「お客さんが自分でほしい品物を探し、出口で店員が清算して料金を払う」という新しいシステムの店舗が出来上がります。
この方式ですと、品数を増やし、在庫を置く棚が増えても、品物を探すための店員の数を増やす必要がありません。
お客さんの方としても、1つの店で多くの品物をそろえることができるためメリットが大きく、この方式の店舗はあっという間に全米に広まります。
(最初の店舗の考案者はこの方式を特許出願しており、フランチャイズ店を増やしていきました)
1930年代には世界恐慌により店舗側もコスト削減を余儀なくされ、従来型の店舗に打撃を与えました。これがスーパーマーケットをさらに普及させることになります。
たとえば、Kroger は従来型店舗を持つチェーン店でしたが、この時期にスーパーマーケットへと転換しています。
また、それまでのスーパーマーケットでは「在庫できる品物」を中心に扱っていたのが、肉や野菜などの生鮮食品も扱うようになってきます。
これにより、お客さんのまとめ買い需要は増え、レジでの清算時間が延びる、と言う問題が生じました。
待ち時間が伸びたならレジを増やせばよいのですが、ライバル店が増えたためのコスト削減競争や、生鮮食料品が増えたための「売れ残り」のリスクによるコスト増もあります。
スーパーマーケット方式は、コストを増やさないでレジを増やすための方策を求めていたのです。
これが、「商品を自動的に確認できるようなシステム」の開発相談に繋がっていました。
さて、大学院生のシルバーとウッドランドは、試行錯誤の末に一つのアイディアにたどり着きました。
品物の1つ1つに、目に見えないインクで印をつけて置き、それを特殊な機械で読み取ればよい、と言うものでした。
目に見えないインクとしては、当時まだ高価だった紫外線蛍光インクを使用します。
通常の可視光下では見えませんが、紫外線ライト(ブラックライト)を当てると光を発します。
しかし、実験してみるとこの方法は使えないことがわかりました。
インクが高価すぎてすべての品物に印刷するには不向きだったうえ、強い光を当てるとインクが「色褪せ」を起こしてしまうため、時間がたつと紫外線を当てても光らなくなってしまうのです。
しかし、アイディアは悪くないように思いました。
シルバーとウッドランドは、「目に見えない印」である必要はないと考え、白黒印刷のシールを品物に貼ることにしました。
シルバーは、モールス信号が「・」と「-」で文字を表すように、縞模様を印刷すれば品物の種類を表せるに違いない、と考えました。
どのような角度で品物を示されても読み取れるように、同心円状の縞模様を印を考案します。これはブルズアイ(牛の目)コードと呼ばれました。
試験すると、500W の強い電球の光の下で、RCA社の光電子倍増管を使用すると、この印を読み取ることができる、と判りました。
シルバーとウッドランドは、1949 年にこの装置の特許を出願します。
特許は 1952年の今日認められました。
特許出願から登録成立までの間の1951年、ウッドランドはIBMに就職しています。
ウッドランドは「品物コードの読み取り装置」の研究をつづけたくて IBM にアイディアを披露。
IBMとしての結論は、興味深いし将来性はあるが、商売にするには少し早い、というものでした。
IBM は、特許成立後に、この特許を買い取りました。しかし、結局商売にはならない、と考え、1961年に RCA に売却しています。
1966年、RCA はこの特許の活用を狙います。全米フードチェーン協会(NAFC : National Association of Food Chains)に「自動精算機」のアイディアを披露し、会議を開催したのです。
kroger は、チェーン展開する店舗での実証実験に名乗りを上げます。
1970年代に入ると議論は一気に加速し、商品をどのようにコード化するか、ブルズアイ以外に良い形式の印刷はないか、などが次々検討されていきます。ここで、11桁の「全米統一コード」が開発されます。
1971年、RCA はカンファレンスで、ブルズアイコードを使った実証実験を行います。
これは非常に話題になり、RCAのブースには人だかりができました。
この時、このカンファレンスに出席していた IBM の人間が、RCA のシステムはウッドランドの特許のものだと気づきます。
ウッドランドはまだ IBM の社員でした。IBM はウッドランドを支援し、このシステムの開発に参加することを決めます。
1972年の7月、Kroger の1店舗で半年の実証実験が開始されました。
ここで、ブルズアイが「思ったより使えない」ことがわかります。
コードの印刷の際には、紙が送り出されます。これによりインクが紙の移動方向に滲んでしまい、実際の印刷が綺麗な同心円にならないのです。
ウッドランドは、これを受けてすぐに新しい印刷形式を考案します。
ブルズアイは、最初のシステムが「目に見えない」コードを使用していたことの名残でした。
目に見えないのであれば、機械をどの角度で使っても読み取れるようにしなくてはなりません。
しかし、すでに印刷されるコードは「目に見える」ものになっています。
ならば、どのような方向でも読める、ということは諦め、印刷が一方向に滲んでも良いように、最初から「帯状の縞」にするのです。
ブルズアイに対し、たくさんの「棒」が並んでいるように見えるこの印刷は「バーコード」と呼ばれました。
ここに、現代でも使われているバーコードが完成します。
IBM が考案したこのコードは NAFC の会議で採用され、1974年に、実用第1号機がスーパーマーケットに導入されます。
1974年の6月26日、第1号機で「10パック入りフルーツガム」が購入されました。この際に印刷されたレシートとガムは、現在スミソニアン博物館に展示されています。
その後、NAFC の働きかけによって、商品にはあらかじめバーコードが印刷されるのが普通になります。
全米統一コードが制定されたことにより、「商品にシールを貼る」というコストも削減できるようになったのです。
さらに、もう一つの利点がありました。
バーコード以前から、売れ筋商品の管理などの概念は登場していたのですが、管理の手間が大きすぎて実用にはならない状態でした。
これが、バーコードによって手間がほぼなくなり、実用に至ったのです。販売時点情報管理…いわゆる POS (Point of Sales) システム です。
これにより商品在庫の管理が容易になり、さらにスーパーマーケットはコスト削減に成功します。
もちろん、POS にはコンピューターが必須ですから、IBM も…つまりは、元のアイディアを考案したウッドランドも儲かっています。
考案から実用化まで長い時間がかかったシステムは「考案者が報われない」ことが多いのですが、バーコードはなんだかいい話です。
特許の有効期限は 20 年なので、特許を買い取った RCA は結局権利を行使できず、発明者においしいところを持っていかれたという、かわいそうな話でもあります (^^;
#でも、バーコードは光学的な読み取りに「RCA の光電子倍増管」を使っていたので、それほど損してないのかな?
#バーコードの仕組みとか、デザインバーコードの話も書こうと思っていたのだけど、歴史だけで長くなりすぎた。
またそのうち、忘れなければ…書きたいところ。
→翌年書きました。
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