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2009-09-04 訃報(3/5)
2009-09-04 訃報(4/5)
2009-09-04 訃報(5/5)
2009-09-21 訃報
2009-10-07 血筋
2009-10-09 テレビゲーム
2009-10-29 忙しくて
2009-11-04 子供料理番組
2009-11-09 風邪惹き
2009-11-16 食育フェスタ
2009-11-22 風邪…ひいた?
2009-12-04 風邪
2009-12-13 風邪その後
2010-01-06 あけましておめでとうございます
2010-01-15 ポケモンスクランブル
2010-02-08 かわいくて おっきいの!
2010-02-08 ヒーローごっこ
2010-02-22 八景島
2010-03-02 おゆうぎかい
2010-04-06 入園式
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家に帰って寝たのが4時半過ぎ。いつもなら起きる時間です。
(子供を寝かしつけるのと一緒に寝て、早起きして家事をするのです)
長女が起き出し、「おとーさん おーきーてー」と僕を起こしたのが6時半。
「おとーさん ごはん つくってー」というので朝ごはんを作っていると、長男と妻も起きてきました。
さて、この日は子供たちも懐いている、妻の大学時代の友人である、かおるさんが遊びに来る予定。
部屋を適当に片付けつつ、いろいろと準備をします。
片付けていたら、その様子で察したのか、長男が
「かおるさん いつ来るの?」と聞いて来ました。
なんて勘が鋭いんだ。
黙っていても意味は無いので、全て明かします。
まず、かおるさんが今日遊びに来るよ、という子供の喜ぶ話題から。
そして、子供たちも何度かお見舞いに行っていたが、おじいちゃんは病気で入院していたこと、病気を治そうと頑張っていたのだけど、難しい病気で治らなかったこと、そして、昨日の夜死んでしまったので、お父さんはおじいちゃんの家に行って、いろいろな仕事をしてこないといけないこと。
お父さんは、お母さんに車でおじいちゃんの家まで送ってもらうから、子供たちもおじいちゃんに最後の挨拶をしていきなさい。
その後は、かおるさんを駅まで車で迎えに行って、今日はかおるさんと一日遊んでもらいなさい。
…かおるさんには、この時点で父の訃報は伝えていません。
妻一人で1日中3人の子供の相手をするのは無理だし、かおるさんに訃報を伝えたら、きっと遠慮して来てくれなくなるので、ほぼ騙まし討ち状態。
長男、長女ともお線香をお供えして手を合わせましたが、どの程度意味を理解しているかは不明。
長男は、ペットのハムスターが死んだ時は意味を理解したので、「死」というものは判っていると思います。
ただ、ハムスターはよく見ていたけど、おじいちゃんは年に3回くらいしか会わなかったからね…
長女は、「おじいちゃんにバイバイしてね」というと、「バイバイ」と手を振ったあと…「ぼく おうちかえる!」
つまり、バイバイとは家に帰ること、という認識なのでした。
かおるさんも待たせているので、妻と子供たちはここで帰宅。
ふたたび兄弟が集合し、昨日(というか、今朝未明)に葬儀屋と相談した内容を確認します。
ここで、妹と次姉が、日程を一日後ろにずらせないかと提案。
この日が既に土曜日ですが、日曜日に通夜、月曜日に告別式、という日程にしていました。
しかし、朝になってこの日程を周囲に伝えようとして…会社は土曜日だから伝えられない、ということに気づいたのでした。
せめて月曜日が通夜であれば、月曜朝に会社に伝え、夜の通夜に列席してもらえるかもしれません。
…なによりも、妹の気持ちの整理がまだついておらず、お別れするのが辛い、という気持ちが最大の理由のようでした。
しかし、喪主でもある長兄は、すでに親戚にも日程を伝え、会社にも休みを申請した後でした。
今から日程を変えると、かなり予定が狂います。
お互いの気持ちはわかるが、どうしてよいかわからず、しばし膠着状態。
で、僕のほうから提案。
日程変更したとして、大阪の親戚は新幹線のチケット取るのも難しくないだろうから、まだ何とかなるでしょう。
北海道の長姉は、すでに飛行機のチケットを取ったと言っているので、こちらで余分に一泊してもらうことになるかもしれません。
近所の友人などは、申し訳ないが連絡の手間さえかければ変更は可能でしょう。
あとは、葬儀社のほうで既に式場の手配などを行っているので、これが変更可能かどうか。
変更するかしないか、ではなく、変更できるかどうかを葬儀社に問い合わせて、可能だったらその条件を見てから再び検討してはどうだろう?
この提案で、長兄も「それなら、まず葬儀社に聞いてみよう」と言ってくれます。
聞いた結果は「不可能ではないが、やめたほうがよい。過去の例では、大抵連絡不十分で当初日程で来てしまう人が出て、せっかくのお式にケチがつくことになる」でした。
一応、参考に日程を変えた場合に開いている式場も探してくれました。
その場合、より広い式場になり、値段も上がるそうです。
この結果を受け、今度は義次兄から提案。
月曜が通夜になれば、連絡はしやすい一方、平日なのでこれない人も出て、参加者は同程度だと思われる。
だとすれば、式場が広くなると閑散とした雰囲気になり、さびしい式になってしまう。
連絡不十分になりやすい、ということも含め、当初日程のままのほうが、よい式になるのではないか?
これで全員が納得。
意見は多少食い違っても、よい式で父を送りたい、という思いは皆同じです。
明日の通夜の準備もあるので、家の遠い次兄家族が帰り、ついで次姉家族も帰ります。
葬儀社の人が来るまで、僕は少し仮眠。
…1時間ほどで葬儀社の方が来ました。打ち合わせを続けます。
葬儀社の中には、お任せパックを用意するようなところも多いとのことでしたが、この会社の場合はそういうことはしていないそうです。
お任せパックだと、手軽ではあるが後で後悔することも多いから。
故人にしてあげられる最後のこととして、すべて納得した上で望んだほうがよい、という考え方のようです。
打ち合わせられる内容は多岐に渡ります。
祭壇を飾る花の種類の大まかな指定、なんてことまで出来ます。
洋花で、父が好きだったという赤と紫を中心にそろえてもらうことにしました。
祭壇を豪華にするよりも、その周りに飾られる供花を増やしたほうが値段の割りに見栄えがする、というアドバイスもあったので、従うことにします。
打ち合わせ終了後、妹夫婦も帰り、残されたのは僕だけ。
妻に連絡を取り、タイミングを見て迎えに来てもらうことにします。
打ち合わせの結果、手伝いをしてくれる人が1日目、2日目とも4人、のべ8人必要、とわかったので兄は電話で手配を始めます。
遺影用の写真が必要なので、僕はこちらの作業。
デジカメで取った写真が入っているフォルダを片っ端から眺め、父が大きく写っている写真を手当たり次第にピックアップ。
…父は照れ屋で写真に写りたがらなかったため、顔の小さな集合写真程度しかありません。
それでも、多くの写真を探して、6枚のスナップ写真を選び出すことが出来ました。
どの写真も、明るすぎたり暗すぎたり、一長一短。
でも、葬儀社はこの道のプロですから、なんとかしてくれるはず。
(自分でも、時間さえあれば Photoshop で加工できますけどね)
技術には疎い長兄に、表情さえよければ加工できるはずだから、6枚の中で表情だけで優先順位をつけておいて、あとは葬儀社と相談してくれ、と託します。
これで事前準備は終了。
お礼も兼ね、かおるさんも交えて夕食へ。
かおるさんはこの日、長男の誕生日プレゼントを持ってきてくれたそうなので、COCO'S へ食事へ。
COCO'S って、誕生日の子にはケーキとプレゼントくれるんだよね。長女の誕生日に確認済み。
およそ半月遅れ、2回目の誕生祝です。
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別年同日の日記
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通夜の日。
通夜というのは夜やるものだと思っていたら、遺族は4時間前から準備があるのでした。
礼服はあるのですが、数珠は持っていません。
また、使えると思っていた革靴が加水分解していたことに気づきます。
…葬儀場に向かう前に、仏具屋、靴屋をはしごします。
直前に慌てているのもよくないのだけど、葬式っていうのは常に急なもので。
うちの子供は5歳以下で、まだ参加は無理だろう、と思っていたのですが、あえて連れて行くことにします。
従兄弟と遊んでいれば何とかなるかも、という妻の淡い期待です。
買い物があったので家を早く出ましたが、早すぎたようです。
式場についても誰もいませんでした。
祭壇すら、まだ準備中だというのでとりあえず控え室へ。
しばらくたってから見ると、立派な祭壇でした。
結局、供花が18個、供物も3個集まっていました。あわせて10個もあれば立派なお式だ、と葬儀社の方は言っていましたから、豪華な部類なのでしょう。
供花は指定どおり赤・紫を中心にまとめられていましたが「お義父さんが好きだった色とは微妙に違うね」と妻。
まぁ、そこは言葉で微妙なニュアンスを伝えるのは無理なので、心を尽くしたということでOKでしょう。
そのうち長兄が父の遺体と一緒に到着し、他の兄弟も集まり、やがて納棺式が始まりました。
子供たちも、まだ興味深々でおとなしいです。納棺式に参加することにします。
まず死水を取ります。列席した全員が綿に含んだ水を遺体の口につけるのですが…なにぶん、人数が多すぎます。
うちの子供たちも参加して、母と子供、孫までで総勢23名。なかなか終わりません。
つづいて、また全員で体を拭いて清めます。
(遺体の保存のためにドライアイスで冷やしてあったため、手が触れたらすごく冷たかった…)
続いて、父の遺体に改めて死化粧が施されます。最後の髭剃りも。
次兄の「…へぇ、ひげそるんだ」発言に、周囲にもちょっと笑いが。
その後、また遺族全員で死装束を着させます。
最後に、死装束の「意味」を説明してくれて、遺族男性の手で納棺。
遺族男性のみなのは、一応力仕事なのと、持ち上げる都合で人数が多すぎると作業できないから。別に男尊女卑ではありません。
納棺時に一緒に入れたもの。
酒(200ml紙パック)、タバコ1箱、蕎麦(乾麺)、お守り、千羽鶴(作りかけ)、よく着ていたセーター。
食道癌が死亡原因でタバコと酒というのもどうかと思いましたが、あの世に病気は無いそうなので、好きなものを思い切り楽しんでもよいのではないでしょうか。
蕎麦は好きで、入院してから飲食禁止になって食べたがっていたので。
お守りは、入院してから妹が買ってきたものです。
千羽鶴は、同居の長兄の次女が人知れず作っていたらしい。
セーターは、よく来ていたのを覚えていますが…
「このセーター、あんたのよ」と母に言われます。
僕が高校生のころ、母が買ってきたのだけど、僕が全然着ないのでその後父が着ていたのだとか。
そんなの、全然覚えていません。
これで納棺式は終了です。
線香を供え、控え室に戻ります。
だんだんと親戚が集まってきました。
うちの子は、飽きてきて走り回っています。
親戚もたくさんいます。兄弟の配偶者の弟、とかのレベルになると、誰だかよくわかりません。
知っている顔だと、話をしたり、お茶の準備をしたり…それなりに忙しくすごします。
通夜開始。
うちの子は完全に飽きているし、1時間も座っていられるわけが無いので、最初から妻と控え室に残ることにします。
(それでも、式の途中に時々叫び声が聞こえていました)
焼香など、形式どおりに進むので詳細は割愛。
土曜日の連絡になったので友人たちはメールを見ていないかな…と思っていたのですが、みんな来てくれていてびっくり。
小学校の友人4名、高校の友人・恩師3名、仕事上の友人1名。
遠くてこれなかった大学の友人や仕事上の友人も、翌日の葬儀の際に弔電をくれていました。
(これで、期待していた…期待以上の知り合いを全て網羅)
通夜の後は会食。
食べることも供養のうちです。
うちの長女、珍しいものがたくさんあるので、ひたすら食い続けて…吐きました。
こういうハプニングも、まぁご愛嬌。
本来の「通夜」の意味どおり、兄弟数名はそのまま夜を明かします。久しぶりに兄弟揃っての昔話が、結構楽しかったそうです。
僕は子供たちもいる都合上帰りましたが、できることなら寝ずの番に加わりたかった。
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別年同日の日記
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冒頭から読む場合はこちら。
告別式。
台風が来て、朝からすごい雨でした。
昨夜も雨は降っていましたが、これは葬式らしい涙雨。
この日ほどの暴風雨は、もう涙雨のレベルではない。
もっとも、当家の冠婚葬祭に赤道直下からの大物ゲストは欠かせないのかもしれません。
この日も実際の式の1時間半前に集合していましたが、特に早く来てやることもなし。
遅刻者などがいないように、あらかじめ早く時間が設定してあるのでしょうね。
うちは、長男、長女を保育園に預けてからの参加です。
平日とあって、親戚以外の出席者は1名だけ。
でも、親戚だけでも50名近い人数でした。これで十分。
ひととおりの読経・お焼香が終わった後、いよいよ献花に入ります。
祭壇を飾ってあった供花を棺に入れます。
親戚の人数が多いので、てきぱきと…全員が入れても、まだ花は大量に余っています。
遺族や特に親しかった人などは2度、3度と花を入れます。
大阪の親戚は「最後に飲みなさい」と酒をどんどん遺体周辺にふりかけ、涙ながらに周囲の笑いを誘います。
「最後だから、お父さん触っとこう」と兄弟がぺたぺたと顔に触ります。
僕もほほに触れました。冷たくはなっていますが、結構軟らかい。
見舞いに行ったときにはいつも握手をしていたので、もう一度握手したい気持ちになりましたが、それは叶いません。
「最後にお父さんのおでこにキスしていい?」
との妹の発言で、周囲に笑いが。
「じゃぁ、わたしも」と次姉、長姉。
「お母さんもしときなよ」と妹。私はいい、という母に「最後のキスがお母さん以外じゃ駄目だよ」と迫ります。
でも、母のキスの後に「やっぱほっぺたにもしておこう」と妹。両頬にキスをします。
「小さい頃、お父さんに(頬へのキスを)よくやられたよね」「ひげが痛かった」
と次姉、長姉の思い出話に、また笑いが起こります。
泣き笑いの中、遺族男性の手で蓋が閉められ、出棺となります。
遺族が笑いながら見送る告別式って、幸せなことなのだと思う。
この後は車で火葬場まで移動です。
参列者にはマイクロバスが用意されていますが、僕は自家用車です。
終了時刻が微妙なので、場合によっては妻が車で子供たちを保育園に迎えに行くために。
車の中で妻が思い出します。
「そういえば、次女のお食い初めまだやってなかった」
次女は4ヶ月になったばかり。お盆の頃に100日だったので、お盆に家族が集まった席でお食い初めを、と考えていました。
でも、父の入院があってすっかり忘れたままに…
お食い初めというのは、親戚一堂の前で、初めてのご飯を食べる(ふりをする)儀式です。
大抵は海のものと山のもの、豪華な食事が用意されます。
…あるじゃん、この後。喪主である長兄の許しが出たら、そこでやらせてもらうことにしよう。
火葬場。
全員が揃ったところで遺体が火葬場に入れられ、その前で焼香が行われます。
その後は控え室へ。50人もいると、控え室はギュウギュウでした。おそらく、こんなに多くの人が参列することは少ないのでしょう。
1時間ほどで火葬は終わります、昔は3時間くらいかかった覚えあるけど、今の炉は高性能らしい。
つづいて骨上げとなります。
…箸が長いステンレスだ。木と竹ではないんだ。
人数が多いためか、それともここではそういうシステムなのか、2人づつ2組になって、4人づつ骨上げを行います。
(通常、火葬後の骨を、木と竹など材質の違う箸で、二人一組になって骨壷に入れる。このことから、不揃いの箸を一組にして使ったり、箸を使って2人で1つの物を持ったりすることは縁起が悪いとされる)
非常に立派で大きな骨が残っています。
リハビリ士に丈夫だといわれた、と自慢していたことが思い出されます。
参列者全員が骨上げを終わったところで、職員が丁重に説明。
「故人の方、非常に体が丈夫でいらしたようで、このままでは全ての骨が骨壷に入りません。
失礼して、すでに入っているお骨を整理させていただきたいと思うのですが、よろしいですか?」
誰も何も言わないので、長兄がお願いします、とだけいうと、骨壷の中央にステンレス箸を突き立てます。そしてぐりぐりぐりっ…とかき混ぜる。
これで、骨が砕けて半分くらいの容積になりました。せっかく綺麗な骨を拾ったのに、いいのかな。
「では、続けて残ったお骨を、説明しながら収めさせていただきます」
この骨は大腿骨です、腰骨の一部です、背骨です、腕の一部です、手の指です…と説明しながら骨壷へ。
残った細かな灰もざらざらと骨壷に納めますが、骨壷の蓋のほうにいくつかの骨があらかじめ取ってあります。
「最後に、これが喉仏です。座禅して合掌している人の形に見えます。
そして、下あご、頭蓋骨を入れさせていただきます。」
そして、遺品のめがねを骨の上に乗せ、骨壷に蓋をしてからテープで蓋に封をしました。
位牌は喪主である兄が持ち、母が遺骨を、妹が遺影を持って帰途につきます。
初七日・精進落し。
場所を料理店、鎌倉御代川にうつします。
すでに宴席が整っていました。
まずは繰上げ初七日法要。初七日は、本来命日を1日目と数えて7日後に行うものですが、今では葬式の後に続けてやってしまうことが多いそうです。親戚一同が1週間後にもう一度集まるのは大変だから。
料理、座席は人数分ぴったりに揃っています。葬儀社の人が、火葬場で人数を確認して1時間前には人数の連絡を入れてあるのです。
でも、一つ困ったことが。うちの次女(4ヶ月)を寝かせるために、座布団もう一つ欲しいな…。
仲居さんに「子供を寝かせたいので、座布団一枚いただけませんか?」と言うと、「少々お待ちください」と、2枚の座布団と、なにやら熊のプーさんが描かれたバッグを持ってきました。
なにやらひらりひらりと座布団2枚をひっくり返しながら繋げて敷き、プーさんバッグの中から子供用のシーツ、枕、タオルケットを取り出し、即席の簡易ベビーベッドが完成します。
そこまでは期待していなかったのに、高級料理店だけあって、さすがによいサービスだ。
しかも、妻が「すごい! 座布団敷く作法があんなにしっかりしてるの、はじめてみた」と驚いています。
僕は作法なんて知りませんでしたが、座布団は相手の前で両面を見せ、二つ折りにして、それから敷くものなのだそうです。そうすることで、座布団の中に毒針や刀などを仕込んではいないことを証明するのだとか。
さすがです。でも、妻が作法を知っていたからよかったのですが、作法知らなかったら「なんかひらひらやってて、なかなか敷いてくれないなー、なんだろうなー」で終わりでした。作法というのは面倒くささと紙一重。
全員揃ったところで、繰り上げ初七日の法要開始。
お坊さんが、ここはお料理屋さんで焼香はできないので、と、代表して長兄に線香を供えるように促します。
そして、読経。
…列席者はただ合掌しているだけです。
僕はお坊さんのすぐ近くだったので、読経している経典を覗き見て、「あぁ、言葉だけじゃなくて、ちゃんと楽譜になっているんだな」とか、「なかなかリズミカルでいいノリだなぁ」とか、そんなこと考えていました。
宗教にとって、音楽って非常に大事です。
初七日の法要が終わったことで、形式上忌が弱まります。
そこで、忌中は絶っていた肉・魚を食べてもよいことになります。
これが精進落しの会席。すでに並んでいた料理は、このためのものです。
親戚(母の弟)の献杯の辞で、宴席開始。
ここまで来たら忌が弱まったのだから、多少のお祝いも許されるだろう、ということで長兄に相談です。
「もしよかったら、次女のお食い初めやりたいんだけど。お盆にやりたかったのだけど、お父さんの入院でそれどころじゃなかったからね。」
急な話なので最初理解されませんでしたが、お食い初めだから親戚が集まっていたほうがよい、豪華な食事があったほうがよいことを説明したら
「じゃぁ今やっちゃいなよ…あ、でも、こういう席でやっても良い物なのかな?」と長兄。
死者を弔う場所だからこそ、新たな命をつなぐ儀式は供養になると思う、と僕なりの考えを披露。
「じゃぁ、せっかくだから親戚の前で発表してからやんなよ」
というわけで、隅でこそこそとやろうと思っていたことを、次女を抱きかかえて前に立って、大々的に発表。
11人目の孫で、今4ヶ月なので、お食い初めをやりまーす。と言ったら、拍手喝采。
急に思いついたので、カメラを持っていませんでした。
次兄が車にある、というので持ってきてくれます。
お食い初めに必要な石(歯固め石)は、さっきよさそうな石を拾ってきました。
本来氏神様に借りるものですが、この際何でも良いです。最後に氏神様に奉納することで良しとさせてもらいましょう。
多分、こんなに多くの親戚に囲まれてお食い初めをする子というのは珍しいのではないか、と思います。
親戚で酒を酌み交わす人もいて、思い出話に花が咲き、やがて終了時刻となりました。
式で祭壇を飾っていたお供物が、小分けしてビニール袋に入れられてお土産になっています。
遠方から来ていて重いからいらない、と辞退する人には無理強いせず、しかし供養だから食べてください、と皆に呼びかけ…
無造作にとっていく人、缶詰の品定めをする人、高級フルーツを狙う人、それぞれです。
余った分は、とりあえず僕が家に持って帰ることにしました。
後日また集まるでしょうから、缶詰はその時分けます。フルーツは傷むものだからうちで食べさせてもらいます。
式次第が遅れることも無く、子供たちを保育園に迎えに行くのに丁度良い時間でした。
僕は多少飲んだので妻に運転してもらって…夫婦揃って喪服で保育園に行ったので、先生に驚かれましたけどね。
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別年同日の日記
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訃報が続きます。
9月16日、父方の祖母が他界しました。百歳でした。
通夜が19日、告別式が20日に行われました。
子供の頃は、毎年正月には祖母の家に集まっていました。
しかし、20年ほど前からは「もう年だから、人が集まるのは疲れる」と祖母が言ったため、集まらなくなっていました。
最後に会った記憶は、確か15年位前。
戦死した祖父(当然あったことが無い)の50回忌法要でした。
僕の子供も妻も、祖母には当然あったことが無いので、僕だけの参加。
実は、祖母が「もう、数日しかもたないと思う」という連絡が入ったのは、まだ父が入院中の8月初旬。
父が癌であることはわかり、しかし詳細な状況はわからないまま、「あぁ、(親より先に死ぬ)親不孝にはならないでよかった」と心の中で思ったものです。
しかし、祖母はそれから1ヶ月近くもち、父は容態が急変して先に他界しました。
そのような「心の準備」はあったとしても、やはり訃報というものは突然やってきます。
祖母の家は千葉の松戸。JR船橋駅から東武線に乗り換えて沿線です。
泊まるところを確保しようとホテルを探すと…
連休の始まりで、船橋はディズニーランドからそう遠くないところ。
ホテルは全部埋まっています。
兄に「ホテル取れた?」と聞くと、少し離れた本八幡にとった、とのこと。
調べたらまだ空き部屋があったので、同じホテルにしました。
実は、兄弟のうち4人が同じホテル。
今回、立場としては、ただの「親戚」なので、列席しただけです。
なので、詳しい話は省きます。
自分が面白かったことだけ、四方山話で。
祭壇周囲の幕の色。青白でした。
後で気になって携帯で調べたら、青白幕(浅葱幕、というのが正式な名前)は鯨幕(黒白の幕)より歴史が古いんですね。
「神様が来る場所である」ことを示すために昔から青白の幕を張るそうです。弔慶どちらにでも使われたとか。
これが、江戸時代には「高貴な色」として青の変わりに黒が使われるようになり、その後江戸末期から明示にかけての西洋文化の流入で「黒=死の色」となって、弔事にのみ使われるようになったとか。
で、弔慶両用だった鯨幕が弔事専用になってしまったため、慶事用に作られたのが紅白幕。歴史が一番浅く、正式名称も「紅白幕」です。
これが、白黒の鯨幕よりも…なんというか、軽やかで清潔感があり、非常にいい感じです。
重たい空気になりがちな葬儀が、必ずしもそれだけにはならない感じがしました。
ただ、仏式の葬式で「神様が来ている場所」なのはどうなのだろう?(神仏習合だけどね)
初めて知ったので、家に帰ってから妻に話したところ、青白の幕を葬式に使う地域があることは知っていたとか。でも、歴史は知らなかったそうです。
で、ついでに「鯨幕は、鯨尺が由来ではないの?」と妻。
僕は白黒の色が鯨のようだから、だと思っていました。
妻によれば(注:ここに書く上で裏づけ調査もしましたが)、鯨尺というのは、着物を作るための物差し。
着物の身頃として必要な長さは一尺ですが、縫い代を考えて二寸長く作ってあります。
で、鯨幕は、その一尺二寸の反物を、そのまま縫い合わせただけ(必要以上の加工をしていない)だから「鯨」なのではないか、というのが妻の説。
初めて聞いた説ですが、それなりの信憑性があります。
現代人の多くが「鯨尺」を知らないため、白黒が鯨なのだろう、程度に考えている可能性もありますし、きっと、語源なんて一つではないのです。
というわけで、一説としてここに書いておきます。
(この説に従うのであれば、色が何色であっても鯨幕と呼んでよいことになる。実際、江戸以前は浅葱幕しかなかったわけで、それが「鯨幕」と呼ばれていたかもしれない)
天気図では台風が来ていましたが、遠い海上を北上していきました。
なので天気は晴れ。
「今回は台風来なかったね」と妹に言うと、「あれはお姉ちゃんのせい」だそうです。
お姉ちゃんとは、北海道の長姉のこと。
自身の結婚式も雨(これは僕は忘れていた)で、妹の結婚式にも、父の葬儀にも参加したが、今回は参加しなかったので台風が逸れたのだ、ということ。
父の骨は、骨壷に収まらないほど立派でした。
さすがに、祖母は多くの骨が火葬時に砕けてしまったようで、拾えたのは僅かでした。
しかし、死ぬ1ヶ月前まで、非常に元気だったといいます。
2年前には脳梗塞で入院したそうですが、半年ほどで完全に回復して、お医者さんも年齢のわりに元気だ、と驚いていたとか。
それでも、百歳にもなると当然のことながら、体が弱っていたのでしょう。
死因も老衰。なんの病気でもありません。
葬儀にも多くの孫・ひ孫が列席し、堂々の大往生でした。
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別年同日の日記
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で、特に大事にしているのが…トミカ・プラレールのカタログだったりする。
僕が時々おもちゃ屋さんで入手してきたものだが、これを年代別に並べ、新製品に喜び、廃盤となった商品を「欲しかった」と残念がる。
前回もらっていたカタログは、2008年秋バージョン。
2009年春は近所で探していたが見当たらなかった。
同じくカタログみたいなものだが、「トミカ・プラレールビデオ」(DVD)というものもある。
これは、毎年夏以降に対象商品を買うともらえるもの。
うちの子の誕生日は夏なので、1歳の時から毎年もらっている勘定になる。
で、2009年の夏のものももらったのだが、当然2008年秋の紙カタログとは、新製品情報が違う。
「これはまだ載ってない!」など、比較しながらビデオを見ている。
うーん、そろそろ秋カタログが出る頃か。
古いのを見て喜んでいるのも不憫なのでもらってこよう、としばらく前から仕事で外出のたびに、いろんなおもちゃ屋を覗いて来た。
で、秋カタログはまだ作られていなかったようだが、春カタログ入手。
子供に渡すと、早速「あっ! 前のカタログで NEW! って書いてあったやつが、NEW! じゃ無くなった」など、大人から見れば当たり前のことで感心している。
無料でもらえるカタログでこんなに喜べるなんて、安上がりだなぁ、と思う一方、考えてみれば自分も家電品を買う時に大量にカタログを入手して比較しているわけで、血は争えないのか。
ちなみに、妻も欲しいもののカタログを熟読するのが好きです。
子供がどっちの遺伝かしらないけど、どっちの血を受け継いでもこうなるわけだね。
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別年同日の日記
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…と、先日と同じ書き出しで始めてみました。
トミカには周辺商品が多数あり、テレビにつないで遊べる子供向けテレビゲームなんかもある。
で、うちの子が「遊びたい」としょっちゅう言っているので、Wii ware の「トミカドライブ しゅつどう!緊急車両編」を買ってやる事にした。ソフトだけなら安いしね。
ただ、「買うことに」してから、実際の購入まで1ヶ月くらい迷った。
これが、子供が遊べるゲームなのかどうかわからないから。
ゲームマニアが買うような商品ではないので、ネットを見てもほとんど情報が無い。
というわけで、人柱レポートです。
今後買う人の参考になれば幸い。
うちの子は5歳と2歳5ヶ月。
上の子は、Wii Fit の「スキージャンプ」程度は遊んだことあります。
あれはコントローラー持たなくていいし、「タイミングを見て立ち上がる」だけのゲームなので。
つまり、ゲームはほぼ初体験。
心配していたのは、子供が操作できなことがストレスになるゲームではないか、ということ。
しかし、心配は要りませんでした。
基本はドライブゲームです。
「トミカタウン」の中を走り、パトカーで信号無視の車を追いかけたり、消防車で火災現場に急行したり、救急車で怪我人を搬送したりします。
ドライブゲームではありますが、カーブは勝手に曲がります。
ハンドル操作はありますが、「車線変更して前の車を避ける」だけ。
アクセル操作も、ブレーキ操作もありません。
でも、「スピードアップ」はあります。これは、急行している感じを出すアクセント。
緊急車両なので、サイレンを鳴らすことが出来ます。
鳴らしていないと信号で止まりますが、鳴らしていると通過できます。
マイクで前の車に呼びかけることも出来ます。
呼びかけると車線を開けてくれるので、ハンドル操作がうまく行かない子供でも安心。
他に、ライトをつけたり、ワイパーを動かしたりも出来ます。
雨が降ることはあるのでワイパーの存在意義はありますが、ライトは気分程度のもの。
…さて、ハンドル操作はほぼいらず、簡単なゲームか、というとそうでもない。
信号待ちの車は動いていないので、マイクで呼びかけてもどいてくれません。
これは避ける必要があります。
避けないと、ゲームクリア時の「安全運転」が減点されます。
100点満点で、車にぶつかるたびに10点減点。
他に「サイレン」も100点満点で、信号につかまるたびに10点減点。
「マイクよびかけ」は、使わないと50点。使うと100点。
重要なのが「時間」で、設定タイム(公表されないが、ゲームごとに設定されている)以下でゲームクリアすれば100点。時間オーバーは、1秒ごとに1点減点。
この400点満点で競うわけですが、大人がやっても気を抜くと減点される。
まぁ、子供が適当にやって400点取れる場合もあり、運の要素も大きいです。
5歳の子供は、すぐに慣れて楽しんで遊んでいます。
二人用で遊ぶと、プレイヤー1は全部の操作が可能、プレイヤー2はハンドル・スピードアップ以外の操作が可能です。
大人がアシストしてハンドルは子供に任せるもよし。
逆に大人が完全操作できる状態で、子供にサイレン鳴らさせてあげるもよし。
2歳の子供は、これでかなり喜んでいます。
ちなみに、トミカ好きならわかる「T君」がトミカタウンの中に立っていたり、遠くにプラレールが走っているポイントがあったり、結構細かな部分で遊び心もあります。
交差点もあるのに自由に曲がれない、というのに、うちの子は少し不満そうではありますが、これは「ハンドル操作が簡単」なのでトレードオフなので仕方ないところか。
というわけで、トミカ好き・特に緊急車両好きの幼稚園・保育園児なら買い。
多分、小学生には物足りないゲームでしょう。
(その子がはじめて遊ぶテレビゲームだというなら、十分楽しめると思いますが)
これ、「緊急車両編」なのだけど、続編予定あるのかな。
うちの子は工事車両とか、ごみ収集車も好きなんですけど…
…どうゲーム化すればよいか、自分でもわからん (^^;
#簡単操作、というのと、工事車両でできることの自由度の高さが両立できなさそう。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【なつみ】 はじめまして。ごめんなさい、間違ってしまい、何度も書き込みをしてしまいました。我が家もwiiのトミカドライブを購入しようか迷っております。レビューもほとんどない中、ここへ辿り着きました。とっても参考になりました。ありがとうございます。あまりにも知りたいことが書かれていたので、お礼を言いたくて書き込みをしました。助かりました、ありがとうございます。 (2009-11-28 06:54:10) |
忙しくて日記を書いている暇がなかった。
ので、ここ2週間ほどの出来事をまとめて。
10月12日、父の四十九日法要が行われました。
子供がいるとフットワークが重くなり、法要には遅刻ギリギリ、その後墓地には完全に遅刻して到着。
親不孝で申し訳ない。
日付は遡って10月11日。子供の保育園の運動会。
本当4日の予定でしたが、台風が来たために延期していたものです。
開始早々に急に曇り、雨が降り始めたので心配しましたが、すぐに止んでその後は晴天でした。
僕の母(子供から見ると祖母)が初めて応援に来てくれました。
というか、父が他界して寂しいのではないかと思い、誘ってみたもの。
事実上、母に3人目(5ヶ月)を見てもらっている間に、自分は障害物争・綱引きに参加。妻もリレーを走っていました。
お父さんは綱引き勝ちましたよ。翌日筋肉痛だったけど。
最終的に、僅かな点差で子供の属した白組勝利。
16日は遠足…の予定日でしたが、中止。
保育園でこの3日ほど前にインフルエンザに罹患した子がいたため、緊急の中止判断でした。
残念だけど仕方が無い。むしろ、このインフルエンザ禍の中で、ここまで発症者を出さなかった保育園に拍手。
(もっとも、姉妹園では全国紙に載るほど大量の患者を出してしまった。衛生管理は同じだったので、運の良し悪しとしか言いようが無い)
17日は保育園の避難訓練。
「家まで歩いて帰る」ことの訓練なのだけど、多くの方が車や自転車で来ていた。ダメじゃん。
うちの子はといえば、訓練でなくても家まで走って帰るのが好きなので、まったく問題なし。
(ちなみに、大人の足で歩いて15分くらいの距離。2歳の子が歩くには結構遠いです)
18日は、保育園の行事で近くの老人福祉施設へ。
福祉施設でバザー的なイベントがあったのですが、長男のクラスは、ここで歌を披露したのでした。
「おじいさん、おばあさんに聞いてもらう」という意気込みで言ったのですが、部屋にいたのはほとんど園児の肉親。別に園の人が占拠したわけではなく、人が入れるスペースがあっても、自分の子供でもない保育園児の歌に興味が無いようです。
「昔の遊びのコーナー」で、新聞紙を使ったけん玉を作って大喜び。
(けん玉ではなく、cup and ball 。日本のいわゆる「けん玉」はせいぜい100年の歴史だが、cup and ball は400年の歴史がある。作り方を教えていたボランティアの方にそれを教えたら、知らなかったらしく驚かれた。うちのサイトのネタとしても書きたいところ)
ここ1週間くらい、うちの中はハロウィンモード。
妻が部屋飾をハロウィンにしたのは10月に入った頃だが、1週間前に僕が、Jack O'Lanternのキャンディーベンダーを買ってきたため。
子供が「あめほしい」と言っても、Trick or Treat と言わないとあげない。
これで、毎日朝晩は「とりっくおあとりーこ!」の元気な声。
ちなみに、「カボチャ大王」ではないです。キャンディーベンダー買う時に、ハロウィングッズを見ながら子供にそう教えていたお母さんがいたので気になりました。
うちの子語録。
2歳5ヶ月の長女が、「おくちが きこえてるの」と。
何のことやらわからずよく話を聞こうとしたら、シャックリしてました。
しゃべってもいないのに口から何か聞こえる、ということだったらしい。
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結構料理を作るのが好きだ。下手の横好きだけど。
自分では、料理を趣味にしたのは大学卒業後、と考えていた。
某大手ゲーム会社に就職が決まり、趣味だった「ゲームプログラム」を仕事とするうえで、何か別の趣味を持とうと思ってはじめたもの。
就職後しばらくして始めたこのサイトに料理コーナーがあるのも、当時は「新しいこと」が楽しかったため。
…が、どうも振り返ってみると違うらしい。
高校の夏休みに、プレーンオムレツを上手に作れるようになりたくて、毎日朝ごはんは自分で作っていた記憶がある。
中学の頃から、休日の朝はトーストと卵料理で、これは「自分で料理したいから」という理由だった。
そういえば、中学卒業の時、クラスの掃除担当区域だった「家庭科室」の本棚にある本を、どれか一冊くれると家庭科の先生に言われた。
(当時は、男子は家庭科は履修せず、家庭科の先生と仲良くなることは普通は無い。掃除当番で仲良くなったのだ)
僕がもらった本は、「アリスの国の不思議なお料理」というレシピ集だった。
もっと遡ると、小学生の頃、「3分クッキング」などの料理番組を見るのが好きだった覚えがある。
頼まれもしないのにレシピを覚え、母親に「作って」とレシピを伝えたものだ。
なぜこんなことを思い出したかというと、うちの子供が NHK の子供料理アニメ「アイ!マイ!まいん!」を大好きだから。
前番組の「味楽る!ミミカ」の際にはあまり興味を持っていなかったし、「まいん」も4月に始まったのに最近までノーチェックだった。
が、ここ1ヶ月余り、「まいん!」をビデオで見るのを、長男(5歳)、長女(2歳半)ともに楽しみにしている。
もっとも、興味対象は違っていて、長女は主題歌などを一緒に歌うのがすき、長男は実写パートでの料理に興味があるらしい。
先週木曜日の放送で、パエリアの作り方をやっていた際に「僕、これ食べてみたい」。
そこで、材料を買ってきて昨日(祝日)に作った。こういうのは男の料理で、僕の担当。
多めに作ったのに、大好評で完食。
子供向けにと思ってコショウを少なめにしたら、大人には少し物足りない味だったが。
(コショウをかけながら食べたらおいしかった)
食事の際には、該当の回のビデオを見ながら「ほら、同じように作ってあるでしょ」と主張するのを忘れなかった。
「エビが小さいけど、いっしょだねぇ」など、子供に変なほめられ方をした。
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年になんどかは風邪の話を書いているな。
幸い、インフルエンザではないです。
10月29日(木)、保育園から電話。
長女(2歳半)が急な発熱、とのこと。これが始まりでした。
慌てて迎えに行き、39度あったので念のため病院へ。
…お昼休みでした。一端帰宅。
昼寝したら 38度程度まで熱が下ったのと、保育園の先生によれば最近保育園でインフルエンザに罹患した子はいない、とのことなので、様子見。
翌金曜日をお休みし、週末には元気に。
もっとも、39度の熱があっても元気いっぱいだったけど。
これで終わりじゃない。
今度は長男(5歳)が、11月1日、(日)の夜に発熱。
月曜朝には平熱になっていたが、念のため休み。しかし、夜になってまた発熱。
火曜日は祝日。この日も昼は平熱、夜に発熱。
水曜日も様子見でお休みして、平熱に下ったのでやっと木曜から保育園に。
これで終わりじゃない。
水曜朝から、妻が調子を崩す。
その分は僕ががんばっていたが、僕も木曜から発熱。
僕は金曜には38度を超えて、寝込む。
その分、妻は土曜日には回復基調。
しかし、週末に子供が休みで、親が休まるわけも無い。
さらに、次女(6ヶ月)も、土曜日には発熱。
食欲が落ち、機嫌が悪い。
親も疲れているのに…面倒くさい。
で、やっと今日、次女・妻・僕とも復活。
もっとも、僕は今朝まで体がだるかった。夜になった今は結構平気、かな。
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11月14日は、子供の保育園の「食育フェスタ」でした。
食育…とか、なんだか良くわからない名前ですが、つまりは「バザー」兼、子供の工作などの発表会なのです。
昔ならともかく、現代では不用品を持ち寄って売ったところで、あまり買い手がつきません。
それならばと、売るものを食べ物に限定し、子供の工作なども食べ物をテーマとして「食育」と銘打ったほうが楽しいものになる、ということらしい。
2年前にお手伝いで参加し、楽しかったので昨年も参加登録していたのですが、長女が風邪を惹いたために参加できず、今年2度目の参加となりました。
当日はあいにくの雨。
まずはテントを建てることから始めます。
この作業のため、開始時刻になってもまだ食べ物の準備が出来ておらず、早くから来ていただいたお客様には雨の中待っていただくことに。
僕の今回のお手伝い担当は焼きソバ。
毎年参加している方が鉄板前で焼いているので、裏方でソバ、キャベツ、もやし、肉を小分けします。
今年のソバは330食分。
昨年よりも安いソバを買い求めてきたら、粉末ソースが入っていなかった、というので、PTA会長婦人が慌てて追加のソースを買いに行く。
液体ソースも用意して会ったのだけど、絶対足りないことが早々に判明したので。
他には、餅つき、焼き鳥、綿菓子。ヨーヨーつりやスーパーボールすくい、おもちゃをいれた魚釣りもあります。
焼き鳥と綿菓子は、保育園OB等による参加。
30分遅れでやっと開園。
この時点で屋台の料理はどこも準備できていませんでしたが、屋内で食べ物に関するさまざまな体験・講習などがあります。
焼きソバの鉄板前のうち一名が、暑さに音を上げて「誰か代わって~」というので、僕が入ります。
こういう仕事は結構好き。
で、焼いているところにうちの子供たちもやってきました。
「お父さんの焼きソバを一番に買う」と決めていたそうで、焼き上がりをしばらく待ちます。
お父さんの焼きソバ、といわれ、裏方で麺ほぐしている時でなくて体面が保てたとほっとします (^^;;
子供たちは焼きソバを買ったら屋内の食堂へ行き、僕はそのまま昼間で鉄板前。
昼になったので「交代でお昼取りましょう」とPTA会長が言ったのですが、みんな遠慮して休もうとしないので最初に休ませてもらいます。
お手伝いの人には、園からカレー券の支給があります。
毎年恒例、保育園自慢の根菜カレー。大根やレンコンも入っていてとてもおいしいです。
このお野菜、保育園のOBの方や、保育園の先生の旦那さんなど、近所の農家の人が作っている…「顔の見える野菜」というやつです。
けんちん汁は無料。これもいただきました。
早々に食べ終わり、せっかくなので屋内の展示を見に行って見ます。
丁度、子供が2階にいるのに遭遇しました。
長男が作った「お弁当バス」の工作。思い思いにお弁当の具を作って箱詰めしたものです。
先生が「パイの実くらいの箱を持ってきてください」と各家庭に指示したので、やたらパイの実率が高い。
お弁当箱には大きすぎるようなものも。
親をびっくりさせるために何を作っているかは内緒にしたようなのですが、「お弁当箱にします」といわれれば用意するほうもそのつもりで探すのにね。
年長さんは巨大工作。
アンパンマンと…「たこやきマントマン」の電車。
な、なぜいまさらたこやきマントマン!?。
骨密度測定と血管年齢測定ができるコーナーがあり、「是非やっていって」と誘われたのでやりました。
骨密度、年齢平均より 140% 、20歳平均よりも 105% 良い、という結果が出て喜んでいたら、これらの平均値が「女性」の平均で設定されていました (^^;;
休憩後はまた鉄板前でひたすら焼きソバを焼きます。
例年ソバがなくなっても野菜が大量に余るそうなのですが、今年は最初に計算したので大体全部同時に終わります。
…いや、最後はもやしが通常の2倍以上入ったかな。
で、330食全部作り終わり…入れるための容器が足りない。
「じゃぁ、残りは打ち上げでみんなで食べましょう」と、大きなボールに入れておきます。
容器は50パックづつ、350パック用意してあったそうなのですが…
350パック使い切ってしまったのか、50パック行方不明になって300パックなのか不明。
雨で出足が悪かったこともあり、最後は20食ほどあまった焼きソバを売るために声を上げます。
勝手にやって良いなら売り歩くし、多少値下げしても売り切るのだけど、そういうわけにも行きません。
なんでも、雨で来なかった人もいるのか、前売り券が全部回収できていないそうです。
なので、売り切るのは少し待って欲しい、といわれてそのまま待ちます。
…で、値下げして売り歩こう、と決定した時には、既にお客さんはほとんど帰っておりました。
結局、PTAの参加者で「もう疲れて夕飯準備したくない」というお母さん方が買ってくれて、売り切りました。
終了後。「お茶の準備がございますので、お時間ありましたらどうぞ」と先生に言われて屋内へ。
実はこれが楽しみでもあります。「お茶」といいながらお酒が振舞われます。
おでん、フランクフルト、カレー、焼きソバ…つまり、売れ残ったものをつまみにしながら酒も入った歓談です。
しかも、この酒がすごくいい酒ばかりと来ている。
ここの保育園、お寺が運営しています。園長先生は住職さん。
檀家の方も多く、いいお酒をよく戴くようなのですが、立場上飲むわけにも行かない。
で、こういう場で振舞ってくれるのです。
普段なかなか話をしない、園児のお父さん方とも話をして、顔は合わせてもやはり話をしないお母さん方とも話をします。
今までは「食育フェスタ」は、PTA本部が準備していたそうなのですが、今年は「準備委員」をつくって、本部の仕事の負担を軽くしたのだとか。
で、準備委員のお母さんと話をしていたら…あれ、なんか僕、狙われてる?
「やはり男の人が委員長になってくれると説得力があるので、(長男)くんのお父さんに是非委員長になってもらいたいって、みんなで話してたんですよ~」
子供を迎えに良く園にいくので、育児に理解のあるお父さんとして狙われているらしい。
丁重にご辞退申し上げてきました。
#自営業なので、自分の仕事だけで手一杯で、これ以上仕事を抱え込む余裕はないです。
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別年同日の日記
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前回からわずか2週間。また風邪惹きました。
16日(月)、なんか体の調子が悪い…と思います。
でも、寝込むほどじゃない。熱も無い。翌日は仕事で打ち合わせ予定。
ということで、様子見。
17日(火)、朝熱を測っても平熱。相変わらず体調は悪い。
なんとなく、で仕事を休むことも出来ない。
体調が悪くなったら打ち合わせ切り上げも考慮しつつ、仕事へ。
行ってみれば、それほど調子が悪いわけでもない。
でも、午後からなんか体がだるいような…
いつもは午後5時過ぎまでの打ち合わせを、4時過ぎに切り上げさせてもらう。
家に帰ってみると、38度越えの熱があった。
熱と同時に、なんか気になることが。
少し腹が痛いような…風邪のせいだと思いたい。そう思うことにする。
水曜日は熱が更に上がり、一日寝込む。
木曜日午後には平熱まで下るが、まだ調子が悪い。
金曜日朝にはまた少し発熱。午後平熱に。
…なんか、ただの風邪じゃないみたい。病院に行ってみる。
病院での診断は、細菌感染症でした。
病気ってたぶんにプライベートなので細かなことは書きませんが、臓器が炎症起こしてました。
抗生物質と消炎剤をもらう。
土曜日はまだ調子が悪かったけど、今日(日曜日)になってかなり回復。
日常生活にはあまり影響なさそうだけど、少し長期治療が必要かも、とのこと。
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PHSサービスが始まった日(1995)【日記 16/07/01】
別年同日の日記
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最近風邪の記事ばっかり書いている気がしますよ。
長男(5歳)が風邪惹きました。
これが、ちょっと長くて1週間たっても治らない。
そもそもは先週の土曜日。
妻が保育園PTA の仕事で忙しく、僕が子供たちの相手をしていました。
長女(2歳8ヶ月)は昼寝してしまい、長男は「パソコンでゲームしたい」と。
普段はこんなことは言いません。
待機児童だった2歳代の頃に、家の中で遊んでいてパソコンのゲーム(ドーラのページ)を良く遊ばせてあげてはいたのですが、その後「パソコンはお仕事に使う大事な道具」だと認識し、遊びたいということはありませんでした。
PCで作業中の状態だったので「仕事中だからダメだよ」と言ったら泣き出しそうに。
仕方なく、「じゃぁ、別のゲームをやらせてあげよう」と、Wii で「乱戦!ポケモンスクランブル」の体験版を…
5歳児にはきっと難しく、体験版で1年遊べるのではないか、と思っていたのですが、すぐに操作を習得し、体験版で遊べるところまでクリア。
その後も「もう一回やる!」と、3回ほど遊びます。
その間に長女も起き、おやつの時間になったので中断。
おやつの後「もう一度遊ぶ」というので、「部屋を片付けてから」と約束します。
実は、ここでちゃんと片づけが出来たら、製品版かってあげても良いかな、という心積もりでした。
が、長男は少し手伝っただけで、「疲れた。眠い」と寝てしまいます。
夕食時に起き、なんか調子悪そうなので熱を測ると、37度6分。
後で考えれば、パソコンで遊びたいと言い出したのも親に構って欲しかったからだし、すぐ泣きそうになったのも体調が悪かったから。
翌日には最高で40度2分まであがり、深い感じの咳も出ます。
そして、食べたものを吐き、食欲も無いです。
保育園で3日前にインフルエンザの発症者が出た(蔓延しているこの社会状況なのに、3人目の発症者というのは善戦)と聞いていたので、「インフルエンザか?」と思いましたが、行きつけの小児科は日曜で休診。
月曜日には再び37度代まで下りましたが、念のため病院へ。
診断の結果「インフルエンザではないです」と、吐き気止めの薬だけ処方されます。
火曜日、僕は仕事で外出。
妻によれば、また39度4分まで発熱し、本人もグッタリした感じだったとのこと。
また、咳が更にひどくなっています。
熱が2回ピークを迎える「二峰性発熱」はインフルエンザの特徴。
2度目の発熱の頃、咳がひどく出るようになるそうです。
また、インフルエンザの簡易検査キットでは、3割程度は陽性でも陰性と出てしまうとのこと。
…やっぱりインフルエンザかも?
と疑いながら、水曜日に再び医者へ。
実は、次女(8ヶ月)の予防接種の予約があったため、「ついでに」見せる形を取りました。
今度は咳止めが処方されます。
解熱剤は出ません。初回もそうだったけど、お医者さんもインフルエンザの可能性を警戒している気がします。
(インフルエンザでは、解熱剤を使うことで重症化することがあります)
そのまま、37度台で熱は推移し、咳がひどいのも治りません。
夜など咳のために2~3時間おきに起きてしまい、本人も辛そうです。
(時々、咳のあとに泣き出します)
金曜になって、やっと熱は下ってきました。
散々咳をしているし、近くで兄弟も親もいるのに、インフルエンザは発症しません。
ただ、(自分も含め)喉が多少痛くなり、発熱は無い風邪にはかかっているようです。
つまり、やはりこれはインフルエンザではなく、喉風邪なのだけど、長男だけ気管支炎などになってしまって熱が出ているのではないか…と考えるようになりました。
咳止めは多少効くようで、咳が出なくなるわけではないのですが軽減しています。
なので、薬があるうちは様子を見て、週明けになっても治らなければもう一度医者に行くつもり。
子供が辛そうにしていると、替われるものなら替わってあげたいと思います。
なんか、自分にも人並みの親の感情があるのだな。
ただ、こっちも夜中に何度も起こされるので、寝不足でふらふらです。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【MNY】 同じ様な感じでしたが3度目に陽性とでました (2010-02-05 19:12:47) |
11月28日から長男(5歳)が風邪を惹いています。
1週間たった12月4日の日記にそのことを書いたのですが、その後の経過もあまりよくない。
4日の日記には熱も下ってきた、と書きましたが、その後再発熱。
本当に熱がなくなったのは6日(日曜日)でした。
でも、月曜日にはまだ保育園いけないの。
まだ咳が出て、本人は咳がひどくて辛かったときの「恐怖の」記憶があるので、保育園を休みたがります。
少し話は戻って、5日(土曜日)の夕方には、長女(2歳7ヶ月)も発熱。39度2分。
週末で小児科はやっていないので、月曜日に長男・長女二人で病院に行きます。
長男のほうは、咳が長引いたと聞いて、医者の先生は喉を見ます。
「軽い気管支炎に発展していたようですね。もう回復に入っていますから、大丈夫でしょう」。
で、長女のほうは「お兄ちゃんのが染っちゃいましたね」で終わり。
それぞれ、咳止めの薬を中心に処方されます。
やっぱり、解熱剤は出ないのがポイント。
(一応インフルエンザでも大丈夫にしているらしい)
どうせ長女が保育園休みなので、仕事にはなりません。
火曜日までは、長男・長女とも休みます。
火曜日は僕が仕事の日。
「仕事行ってくる」というと、玄関で長男・長女とも号泣。
今生の別れじゃないんだから…と言いたいが、風邪で弱気になっているようだ。
お土産を買ってくるから、と約束して外出。
(ちゃんと、ドーナツとハンバーガー買って帰りました)
水曜日、長男はまだ咳は出ますが保育園へ。
長女は…朝起きたら熱も下がり、非常に元気です。
本人から「きょう ほーくえん ある?」と聞いてきます。
行って友達と遊びたいらしい。
で、二人とも保育園に行ったのですが…
長男はともかく、長女はまだダメだったらしい。
おやつの時と夕方の2回吐いて、元気がなかったと保母さんに伝えられました。
で、木曜日は長女はお休み。熱は下っていますが、念のため。
更に、金曜日。
長男も体が完全回復しないのに保育園に行って疲れたのか、休みたいといいます。
どうせ長女が休みなら仕事にならない、という状況は同じ。休ませます。
そのまま週末に入ったわけですが、相変わらずのようです。
長男はまだ咳がでます。
長女は、体調が完全ではないようで、ご飯を食べてちょっと遊んだら「眠い」と言ってお昼寝、の繰り返しです。
ところで、次女(7ヶ月)もこの間に風邪惹きました。
僕が仕事で外出した火曜日がピークで、何度か吐いたそうです。
乳児なので回復も早く、熱は上がったり下ったり。
まぁ、まだ完全には治っていない感じです。
そんなわけで、2週間たってもまだ回復しない風邪。
年末進行だというのに、仕事はなかなか進まないし、大変です。
翌日追記
日記を書いた後、次女も本格的に発熱しました。
日曜夜から月曜にかけて、39度前後の熱。
病院に行ったら「兄弟のうつっちゃいましたね」という、長女の時と同じ反応。
でも解熱剤は出ません。
薬局で薬剤師の人に「熱は無いんですね」と聞かれたので「39度あります」といったところ、逆に驚かれました。
先生は何も言わないが、おそらく先生もインフルエンザを疑っている、と言ったら納得した模様。
今日は、長男長女は保育園へ。早めにお迎えに行く予定です。
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
本当は喪中なのでおめでとうって言っちゃいけないかも。
大晦日~元日は朝4時までかかっておせち料理を作る。
今年僕が作ったのは、豚の角煮(八角抜き)、栗きんとん(くちなし抜き)、鳥ハム、伊達巻。
妻は巣蓮、田作り、煮〆、煮卵。他にもあったかもしれないけど主要なものはこれくらい。
大晦日、きんとんを作った後、年越しソバの天ぷらを揚げるついでに芋の皮を揚げてかりんとうにする。
初めて作ったし、レシピもなしにアドリブでやったのだが、子供に大うけ。
新年に入ってからも、苦労したおせちよりも、かりんとうばかり食べる。
2日。
今年の獅子舞はいつもより遅れてやってきて、慌てて去っていった。
どうやら世代交代して、全体の進行がつかめずに時間が押しているらしい。
そういうわけで、いつもと違って、玄関をノックされたから開けたら、いきなり獅子舞が玄関の中に入ってきた。
長女(2歳8ヶ月)は驚き、怖がって声も出ずに僕にしがみつく。
あとでポツリと「こわかった」との感想。
獅子舞が帰った後、実家へ。
兄弟配偶者甥姪併せて20人+犬一匹が集まる。
長男(5歳)は従兄弟(既に大学生)に遊んでもらって非常に楽しんでいる。
長女は途中で眠くなって、「おうち帰って寝る」とぐずぐず。
それでも、十分楽しんだらしい。
次女(8ヶ月)が年末からつかまり立ち&伝い歩きをするので見せたかったが、机の上に所狭しとご馳走が並んでいるので危険で披露できず。
3日。
長男が行きたがっていた「トミカ博inYOKOHAMA」へ。これが今年のお年玉。
一昨年夏に東京まで出たが、面倒で次は冬の横浜にしよう、と思っていたのだが…
テーマが、一昨年の夏の使いまわし。半年遅れで同じ内容、ではないのね。
長女は前回の内容は覚えていない。4ヶ月だったので当然か。
長男と一緒にトミカ遊びをしているので、それなりに興味はある。
会場に入るなり、長女は「トミカふあふあ」に興味を持ち、妻と一緒にそちらへ。
よくある、トランポリンみたいな空気ドームね。
長男は「トミカ組立工場」をやりたいと言うので、僕とそちらへ。
組立工場のラインナップは3機種。トヨタハイエース、スカイラインGT-R、Honda 2000。
前回来た時はハイエースの赤色を作ったし、GT-Rは家にあるので…と長男に Honda 2000 を作るようにそれとなく説明すると、泣きそうになりながら「ハイエースの黄色がいい」と言う。
家の車がワンボックスだから似たやつがいいのかな、と思い理由を聞くと、「赤を持っているから、色違いをそろえたい」。
全て納得。父も母もコレクター気質で、子供も5歳にしてコレクターだ。
ハイエースの列に並びます。
ボディカラー以外にシートの色も選べるのですが、これは「以前と同じ黒がいい」そうで、無闇に変更点を増やすのは美しくないと考えているらしい。
コレクターとして完璧です。子供らしさとしてはどうかと思うけど。
次作る時は青にするそうです。いつの話になるのだろう?
長女と合流。
ふあふあに入ったとたん、親と離れたことで泣き出して、すぐに終了したとか。
あまりに早かったので、かかりの人がチケット返してくれたらしい。
兄弟揃って「大きなプラレール」に乗りに行く。
こちらは兄弟で乗れてニコニコ。
乗っている間に、母がトミカ釣りに並びます。
長男は「クレーン輪投げ」をやりたかったのですが、とりあえずトミカ釣りへ。
#子供に渡したチケットは、それぞれ11枚つづり。(千円分)
組立工場は5枚、大きなプラレールは2枚、クレーン輪投げは4枚で、子供なりに遊ぶものを計算していたので、違うところに行くことに戸惑っていた。
トミカ釣りでは、長女は母が代わりに釣り、長男はしばらくトライした後で僕に交代。
二人とも欲しいミニカーを入手してニコニコ。
ところで、トミカ博inYOKOHAMA は日テレが主催。
ステージで「ズーミン&チャーミン」のショーが始まるので、長女が見たいと言う。
そこで、また別行動。
長男は長女の使い残しの券をもらって、クレーン輪投げへ。
輪投げは…失敗。
成功すれば銀ピカのトラックだったが、残念賞は特別仕様の RX-8。
泣きそうな顔の長男に、「でも、RX-8 は世界でも珍しいエンジンを積んだ、日本を代表するスポーツカーで…」などと解説してあげたら、にわかに喜びだした。
その後、チケットを1枚追加(100円)して「トミカふあふあ」へ。
「僕、中で走る!」と良くわからない宣言をして、「すごい走りにくい!」と叫びながら大喜びで走り回っていました。
これで長女の分も使いきり。
#大きなプラレール2枚、トミカ釣り(2人分)8枚、トミカふあふあ2枚。
終わったところで、携帯に妻から「できるだけ早く戻って」のメール。
戻ると、長女はグズグズ。
なんでも、ズーミン&チャーミンのショーはグダグダで、非常につまらなかったらしい (^^;;
ずっと妻が抱えていた次女が腹をすかしてグズグズなので、妻は一端会場の外へ。
(会場内飲食禁止で、ベビーコーナーにも給湯設備は無い!)
長男は、ズーミン&チャーミンショーから30分後の「レスキューファイアー」ショーは見たいと言うので、そのままショースペースに居座る。
レスキューファイアーの隊員、ファイアー1が登場すると、長女は「こわい」と僕にしがみつく。
獅子舞と同じ驚き様。で、そのまましがみついて寝てしまった。
ショーが終わったら、長男は自分の貯めていたお小遣いでお土産のトミカを買い、帰る。
帰りは「赤い靴号」にのってしばし横浜名所見物。
子供たちにはたっぷり楽しめた1日だった。
大人には…非常に疲れました (^^;;
別年同日の日記
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5歳の長男が、12月頭にポケモンスクランブルの体験版を遊ばせてから、2週間くらいは体験版をしつこく遊んでいた。
で、それほど遊びたいならと、正規版を買ったのが12月23日。クリスマスプレゼントの一部ですね。
このゲームは結構遊んでいる人が多いようなので、レビューなどは探してみてください。
公式サイトも内容が充実していますし、本編とは違う作品だけど、結構力を入れて作っているみたい。
とはいえ、簡単なゲームの内容を…
基本的に、敵に突進していくだけのゲームです。
敵からも攻撃してきますが、攻撃前に「溜め」の時間があり、「溜め」の最中にこちらの攻撃が当たれば敵の攻撃はキャンセルされるので、常に敵に突進していればやられません。
そして、敵をやっつけると、たまに「ゲット」することができます。
これで仲間のポケモンをどんどん増やせます。
ポケモンは体力が無くなれば「倒れ」て、3回倒れるとゲームオーバーです。
しかし、体力があるうちに仲間に「交代」すれば、体力満タンの状態でまた始まります。
(体力が減ったポケモンは、ステージクリアまで体力回復しません。
また、「倒れ」たポケモンでも、ステージクリアで復活します。
死んではおらず、倒れただけと言うことらしい)
というわけで、大人なら「どうやればゲームオーバーになるかわからない」ゲームですし、ゲーム慣れしていない子供で十分遊べます。
複数人数同時プレイもできるので、大人が協力して、子供をサポートすればより楽しめるでしょう。
(Wiiリモコン+ヌンチャクで2人で遊べるので、ヌンチャク2本あれば、最大人数である4人プレイができます)
ところが、ある程度ゲームが進んでくると、大人でも十分楽しめる難易度になってきます。
こちらも強いポケモンを手に入れ、強い技を使えるようになると、強い代償として「溜め」が長くなったり、技を出した時におかしな動きをするようになります。
また、敵も四方八方から集団で襲ってくるようになり、必ずしも「敵を攻撃し続ける」ことができなくなります。
ポケモンには個性があり、同じキャラでも使える技が違います。(お金を使って新たな技の習得もできます)
時々、非常にバランスが良く、使いやすいポケモンが手に入るので、子供にそういうキャラを使わせておいて、大人は「使いにくいが強い」ようなポケモンで子供をサポート…
というような接待プレイ(?)になって行きます。
それでも敵が強すぎる時は?
…慌てないで、時間をかけてプレイするだけで大丈夫。
プレイすればポケモンの数は増えますし、それにしたがって強いキャラも増えます。
だから、時間さえかければ、強くて攻略できなかったステージでも簡単に進めるようになります。
というわけで、非常にバランスが良い。
5歳児でも十分遊べる単純な内容である一方、大人でも十分楽しめます。
この日記は、別にレビューを書きたいのではない。話はここから。
うちの子供、保育園の別の子の影響で、去年の春くらいからポケモンに興味を持ち始めました。
テレビアニメも時々見て(CATV に入っているので、古いシリーズも新しいシリーズも見られる)、徐々に世界観はわかってきていた様子。
去年の夏には、セブンイレブンのスタンプラリーで、「ポケモン全キャラカレンダー」をもらっていた。
毎日「~~の日」が書いてあり、そこにあわせたポケモンが載っている。
このカレンダーは壁に張っていたのだが、いまいち興味を持っていなかった。
しかし、ポケモンスクランブルを遊び始めてから、「ポケモン」の世界観と、全キャラなど、今まで断片的だった知識が一気につながったらしい。
カレンダーを眺め、どのポケモンがどのポケモンの進化である、などと僕に教えてくれ(カレンダーには進化までは示していないので、形や名前から類推しているようだ)、ゲームで出てきた知らなかったキャラをまたカレンダーで探す。
お絵かきで描く絵も、ポケモンばかりになった。
ゲーム開始時には、初代ポケモンで遊んだことのある僕のほうが知識が上だった。
しかし、すでにすっかり逆転。ゲーム中にボスが出てきた瞬間に、名前を言い当てる。
(ゲームの演出として、ボスが出てしばらくたってから名前が表示される)
公式サイトで既にネタばれしているので書いてしまうが、このゲームで集められるポケモン、「初代」の150体だと思っていたら、大体集めたところで「つづき」が現れた。
詳しく知らないのだけど、今まで登場の全キャラ集められんのかな?
そんなわけで、子供に「ポケモンぜんこく全キャラ大事典」を買ってやろうと決定。
たかが遊びだけど、多くのものを覚える楽しみ、というのは勉強法の練習になるから。
ポケモンなら、キャラ同士の関係性や属性などのパラメーターも多数あるので、勉強の練習として申しぶんなし。
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別年同日の日記
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1階リビングの片隅でお昼寝していた長女(2歳9ヶ月)が、いきなりおきて「おとーさーん」と僕を探す。
何事かと思って見に行くと、「だっこ」とせがまれ、抱きかかえると今度は「あっち!」と階段のほうを指差す。
2階では次女(9ヶ月)がお昼寝中。不用意に行って起こしたくないので、2階に行きたい理由を聞く。
なにか取ってくるの?
2階で遊びたいの?
長女はなにかもごもご言っているが、何を言っているのかよくわからない。
やっと判ったのは「なにかいる!」と言うこと。
何がいるの? と聞くと、人差し指を頭に持って行って「こーなってて、こーなってて…」
どうやら角が生えているらしい。
節分の鬼の話の影響かな?
「怖いのがいるの?」と聞くと「かわいいの」とのこと。
長女がお昼寝している横で、ポケモンスクランブルを長男と遊んでいたので、夢の中にポケモンでも出てきたのかと思い「ポケモン?」と聞くが、そうではないらしい。
窓際で寝ていたので、鳥かなんかが飛んでいるのを見たのかと思い「ちいさいの? おおきいの?」と聞くと「おっきい!」とのこと。
つまり、角が生えて、かわいくて、おっきいのが2階にいるから、お父さんと一緒に見に行きたい、ということ。
まぁ、この時点で、夢を見たのだろうね、と言うことで確定。
騒ぎを聞きつけて2階から降りてきた妻(2階で仕事していた)に、「つのがあって、かわいくて、おっきいのがいるの!」と説明している。
これは、すでに僕との会話で情報が整理されたことを、面白がって繰り返しているに過ぎない。
一体何を見たのか、今の長女の語彙能力では説明できない。
そして、説明できるくらいの語彙を持つ頃には、このことは忘れているだろう。
長男もそんなことあったな。
今の長男に聞いても、すっかり忘れているらしく、真相は闇の中。
別年同日の日記
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長男(5歳)と長女(2歳9ヶ月)が遊んでいる。
何気なく聞いていると「よわそうレンジャー!」とか言っている。
その名前は、ヒーローとしてどうなのか。
…しばらくたって、まだ続きを遊んでいる。
どうやら、ヒーローがバージョンアップ(?)したらしい。
「ちょー よわそうレンジャー!」
超が付いたが、強くなったのか弱くなったのか…
別年同日の日記
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妻が保育園のPTAの仕事で忙しい。
ここしばらく、休日も子供と出かけることができないでいた。
2月20日土曜日。
とりあえず妻の手が空いた、というので、たまには子供をつれて出かけることにする。
連れて行ってあげたいね、と以前から妻と話している候補地はいくつかあるが、急なことなので下調べ不足などもあり、比較的近所の「八景島シーパラダイス」へ。
僕はここに来るのは10年以上ぶり。
妻と子供は初めて。
やっぱり下調べ不足なので、駐車場が判らず右往左往。
島に入っても、チケットをどのように買うか悩む。
入り口すぐのメリーゴーランドを見て「乗りたい」と騒ぐ子供をなだめながら、悩むことしばし。
現在、子供は長男5歳7ヶ月、長女2歳9ヶ月、次女9ヶ月。
基本的に4歳以下は無料なので、子供で料金が必要なのは長男だけ。
そして、多くの乗り物が、身長制限で子供は乗れない。
というわけで「なかよしおやこ5回券」を。
身長制限のない乗り物のみ、子供と2人で5回乗れる券。2000円。
ほとんどの乗り物が、4歳以上は大人と同じ料金で300~500円なので、結構お得。
早速メリーゴーランドへ。
妻と上2人が乗り、僕は次女を抱えて外から写真撮影。
子供はいきなりテンションが上がった。
次女を抱っこするためのベルトを家に忘れてきていたので、係員に「ベビーカーってレンタルありますか?」と聞く。
幸い、レンタルがあったので借りに行く。500円。
が、実は次女は、初ベビーカー。
(家に長男の時に買ったベビーカーはあるが、長女、次女とも使っていない。どうもうちの生活スタイルに合わないので)
驚いて泣きまくる次女を見ながら、長女が「ぼく 乗りたい」。
長女にとってはこれも「珍しい乗り物」で、アトラクションのうち。
長男も乗りたがったが、ベビーカーは4歳まで。
ベビーカーを借りる間に、上二人はコインライドに乗ったそうだ。200円。
コインライドの近くに「バイキング」があるのだが、長女はこれが動いているのが怖いらしい。
逃げるように場所を移動して、昼ごはんを食べに行く。
昼はフードコートで、フライドチキン、ロッテリアのチーズバーガーセット、カレー。
フライドチキン屋は、実はロッテリアが運営しているらしい。
水族館に…行こうと思ったが、どうも子供は興味がないようなのでパスし、広い道をお散歩。
長男は走るのが好きなので、道を走り回っている。
長女は、道脇の植え込みの段差を歩くのが気に入ったらしく、僕と手を繋いでお散歩。
(段差が高いので、手を繋いでいないと怖いらしい)
シーパラダイスタワーが近くなってきたので、乗ることにする。
高く上るのを見て、長男が「怖くない?」と聞くが、大丈夫だと言い聞かせて乗る。
長男は「ブルーフォール」を見てああいうのを想像しているらしい。
高いところから園内を眺め、次の目標を立てる。
長男は、タワー脇に広場があるのを見つけ、そこで遊びたいらしい。
長女は丁度マリーナ内に航行していた遊覧船を見つけ、「お船にのりたい」とのこと。
まずは広場へ。
と言っても、長男も広場にはあまり興味がないらしく、周囲の芝生の丘を駆け回り、転げまわって遊ぶ。
芝生には松が植わっており、長女は松ぼっくり拾い。
次女はずっとベビーカーを嫌がっていたが、ここで寝たのでベビーカーに寝かせつける。
やっと楽になった (^^;; (ずっと僕が抱っこしてた)
しばし遊んで「まだ遊びたい」という長男をなだめながら、長女の乗りたいという船のほうへ。
もっとも、乗船場所は入り口のメリーゴーランド脇にあったのを知っている。
サーフコースターが轟音を上げながら動く下を歩いて抜け、「オクトパス」が見えてくる。
「これのって見たい」と長男が言うのだが、身長制限は110センチ。
あれ? 今長男何センチだっけ? と思いながら、身長を測るが、110センチに届かず。
そういえば、先日計って108センチであることを確認していたのでした。
残念がる長男に「これに似た乗り物で、身長制限が無いのがあったから、後で乗ろう」と約束。
船着場の時刻を見ると、15分余裕があった。
すぐ近くの…最初に乗った、コインライドの場所へ。
ここに「ドランケンバレル」がある。
構造的には「オクトパス」と類似。
どう似ているか、長男に説明しながら説得し、載ることに。
妻は次女を抱えて外から写真撮影。
「怖いから乗らない」と言っていた長女も、僕と長男が中に入ると急に「乗りたい」と言い出して、係員に説明して入れてもらう。
内容的には「ティーカップ」だが、回転中に全体が斜めに傾く、と言うところが変わっていて「怖そう」なところ。
…ところで、「ティーカップ」が見た目と裏腹に「絶叫マシン」だ、と言うのをご存知の方はどれほどいるだろう?
大抵は、乗ったカップ自体が人力で回転し、カップが4~5個一組で回転するテーブルに載っており、更に全体でこのテーブル4~5個を回転させている。
この、3重に回転する構造が、局所的に強いGを生み出し、子供なら十分泣き出すくらいには怖い。
ドランケンバレルの構造を見たとき、ティーカップが斜めに傾くのだと気づいて、これが一番心配だった。
しかし…杞憂だった。
全体テーブルが傾くことで重力が偏り、「自力で回す」のは難しくなる。
結果、各カップは「重力に対して安定」した状態になり、3重回転のうち一つ、最も回転半径が小さく、強いGを生み出す部分が無くなるのだ。
というわけで、ドランケンバレルは、見た目とは裏腹に、ティーカップ以上にお子様向けな乗り物でした。
船の時間があるので、船着場へ。
長男が「おしっこ」と言うので、慌ててトイレへ往復していると、丁度船が来て乗船の時間になっていた。
乗りたがっていた次女はもちろん、長男も結構喜ぶ。
岸にいる人に手を振ると、みんな結構手を振り返してくれる。
乗り物を見ることのほうが好きな長男、船がマリーナに入ったところで「別の船の写真を撮って欲しい」と騒ぐ。
自分が乗っていることは、結構どうでもいいんだよね。
長女は途中で寝てしまった。
島を一周するのだと思ったら、半周したところで終了。
考えてみると、この遊覧船だけ「子供は6歳以上」で、「子供半額」。
妻の考察では、航海に出る以上気軽な「アトラクション」として作ることはできず、公共交通機関の扱いなのだろう、とのこと。
なるほど、それで「同じ場所に戻ってくる」のではなく、島半周なのか。
島の裏側は、フードコート近くの、丁度ベビーカーを借りた場所。
ここでベビーカーを返却。
チケットが1回分あまっているので、もう一度ドランケンバレルのあった場所へ。
ここで「レッドバロン」に乗る。アームに付いた飛行機がぐるぐる回る乗り物。
親子2人で乗れて、前座席では飛行機の上下動を操作できる。
ピロピロ音のなる「機関銃」が付いているのもご愛嬌。(レッドバロン=撃墜王 だからね)
妻が、寝ている長女と次女を同時に見ることになったが、親切な女性が次女を抱っこしていてくださった。
ありがとうございました、と別れ際に手を振ると、次女も真似をして手を振る。
次女がバイバイするのは初めてだが、なかなかいいタイミングでやってくれた。
(相手の女性が喜んでいた)
というわけで、チケット5回分の乗り物終了。
(メリーゴーランド、シーパラダイスタワー、ドランケンバレル、遊覧船(パラダイスクルーズ)、レッドバロン)
最後に、長男が「砂浜言って遊びたい」というので、少しだけ…のつもりで寄ったら、これが長かった。
砂浜は、遊覧船の船着場のすぐ脇。小さな人工の砂浜だ。
人工の、と書いたが、本来は干潟。
砂が波に流されるので、海の近くは今でも干潟。
最初は波打ち際で遊んでいたが、他の親子が「石をひっくり返すと蟹がいる」ことを発見したので、大喜びで石を返しまくる。
そのうち、今度は潮干狩りをしていた初老のおじさんが、潮干狩りのコツを子供に伝授してくれる。
もっとも、長男はまったく興味なし。
おじさんは、僕に「持ってきなよ」と、その時取れたアサリをくれた。
長女がこれに興味を示したので、伝授された方法で僕が掘る。確かに簡単に取れる。
で、貝をお土産に帰る。
翌日、砂出しをしている貝に興味津々の長男・長女。
「みんなほねなし?」をテキストに、貝について教える。
ついでに、昨日見た「アメフラシ」の仲間らしきものや、イソギンチャクの仲間らしきもの、カニ、フジツボなどについても教える。(全部この本に載っていた)
で、夕飯は、ボンゴレロッソ。僕が作りました。
新鮮な貝は、貝独特の臭みもなく、おいしいと子供もおかわり。
今度はもっと暖かい時に、潮干狩りの支度をして行こう。
乗り物よりも、波うち際で遊ぶことのほうが楽しかったみたいだから。
関連ページ
八景島シーパラダイス 開業日(1993)【日記 15/05/08】
別年同日の日記
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2月27日(先週土曜日)は、子供の保育園の「ひなまつりおゆうぎかい」でした。
今年は、長女(2歳10ヶ月)も上手に踊れました。
去年は、ステージに立ったらキョトンとして踊れなかったのだけどね。
でも、今年も踊っていたのは、15人くらいの1歳児クラスで、長女を含めて3人だけ。
長男(5歳8ヶ月)は、真剣な…ある意味、余裕のない顔で踊っていました。
でも、真剣なだけあって、他の子よりもリズムに合っている。
…まぁ、保育園のおゆうぎかいなので、楽しそうに踊っているのと正確に踊っているのの、どちらがよいのかは良くわかりません。
長男はもう一演目。舞踊劇がありました。
「僕、王子様の役だよ」と事前に言われていたのですが、王子様がどんな役どころかわからないので期待せずに聞いていたのですが…
王子様、と言うだけあって、準主役でした。
もっとも、主役(女の子)も3人、準主役の王子様(男の子)も3人いるのだけどね。
先に書いたように、踊る時はかなり正しいリズムで踊れるので、「リズム役」で選ばれたみたい。
あとの二人は、長い台詞回しでも覚えられる子と、体が大きくて見栄えのする子。
気になる演目は「魔法使い見習い中!」という劇。
…えーと、僕も一応魔法使い見習いを名乗っていますが、何の因果でしょうか。
今年のおゆうぎかいには、子供たちのおばあちゃん(僕の母)が見に来てくれました。
子供たちは結構喜んでくれたみたい。
次女が泣いているときにあやしてくれたりしていたし、いろいろとありがとうございます。>母
別年同日の日記
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本日、次女がいよいよ保育園に入園しました。
鎌倉市もご他聞にもれず、待機児童が大きな問題になっています。
…「ご他聞」もなにも、これは首都圏の地域的問題だそうで、ここら辺は特にひどい地域の一つですが。
既に入園済みの長男は、いよいよ年長さん。長女は2歳児クラスです。
#3歳児が「年少さん」、4歳児が「年中さん」となる。2歳以下は「未満児さん」だが、2歳児と0~1歳児に分かれる。
入園式の参加も3回目。すっかり気軽に普段の服装で出かけたら、周りの保護者はスーツ着てました。
入園式は、進級式も兼ねています。
年長さんとして名前を呼ばれる長男には感慨深いものがあるが、返事の声がちょっと小さいぞ。
未満児さんは長い式には耐えられないため、別室で保育中…
式の後、新規入園の人たちへの説明があります。
朝の保育室での支度などの説明もあるため、未満児さんが遊んでいる「別室」へ…
当然のように長女がこちらを見つけ、駆け寄ってきました。
次女が居ることに大喜びで、「あそぼう、あそぼう」と誘います。
騒ぎを聞いて、他の子たちも集まってきます。
僕はお迎えの時に、他の子とも話をするほうなので、遊んでもらえると思っているようです。
でも、ごめん。今はそういう時間ではないのだ。
説明が終わって帰ろうとすると、長女は「さびしいーーー!」と駄々を捏ねています。
先生方によろしくお願いしますと頭を下げて帰宅。
次女は、今日は入園式だけです。
明日から馴らし保育。最初は2時間から。
2週間かけてだんだんと預かり時間を増やし、通常保育になる予定です。
#でも、慣れてきた頃にゴールデンウィークが入って、子供が保育園忘れちゃうんだよね…例年のパターン。
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