2015年04月06日の日記です


アイザック・アシモフ 命日(1992)  2015-04-06 10:32:00  今日は何の日

今日はアイザック・アシモフの命日(1992)


アシモフは好きな作家なのですが、語れるほどいろんなことを知っているわけではありません。

すごく有名な作家で、大好きな人は多いので、生半可な知識で語ったら怒られそう。



でも、大好きだから思い出話をするのです。


たぶん子供の頃(おそらく小学3年生ごろ)に、学校の図書館で本を借りて読む、ということをやりはじめました。

子供向けの冒険小説…いわゆる「ジュブナイル」ものをよく読んだように覚えています。


「SOS地底より」とか、楽しく読んだ覚えがあるのだけど、内容はもう忘れた。

(これはアシモフではないです)


そんな中に、タイトルも忘れた本がありました。

木星の衛星(たしかガニメデ)に作られた人類の移民基地で、少年とロボットが交流するお話でした。


この中に「ロボット三原則」とか出てくる。

ロボットは、確か運命に流されて少年と離れ離れになり、少年に会いたくて、その時の主人の命令に違反して逃げ出すんじゃなかったかな。

三原則違反だというアラームが電子頭脳の中で響きながら、人に見つからないように物陰に隠れている…


そんなシーンを覚えています。


後から考えるとアシモフの作品だったのかな、と思います。でも、記憶もあいまいで定かではない。

少なくともアシモフの考案した「ロボット三原則」が効果的に使われていたのは覚えています。




アシモフのもっとも有名な顔は「SF作家」で、特に「ロボットSFの第1人者」でした。


ロボット三原則は彼のロボットSFで貫かれたテーマです。


第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。

第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。

第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。



欧米では、フランケンシュタイン・シンドロームと呼ばれる心理があるのね。


「フランケンシュタインの怪物」は有名な恐怖小説ですが、若い科学者が人工生命を作り出してしまう。

その生命は、すべてにおいて人間よりも優れている。そうなるように作ったのだから。


…えーと、原作では科学者は「神の領域に手を付けてしまった」と後悔して逃げ出し、人工生命は作り主である「お父さん」に捨てられた悲しみを背負いつつ、彼を追います。

恐怖小説と言っても、心に沁みる悲しいストーリー。


でも、映画化されたときには、怪物は生まれてすぐに「自分より劣る」科学者を、殺してしまう。

この映画の方が人々の心に残っていて、「人間が作り出した、人間に似たものは、いつか人間に牙をむく」という社会通念を作り出しました。


#カレル・チャペックの戯曲で、「ロボット」の語源となった劇が、こうした「人間に反乱するロボット」のイメージの元なのだけど、影響力の強さは上に書いた映画の方が大きかったため、「フランケンシュタイン・シンドローム」と呼ばれます。



それで、ロボット物はSFではなくて「恐怖小説」のテーマになってしまっていた。

そこをアシモフが、ロボットは科学の範疇であるとしてSFの枠組みに入れようとしたとき、問題となったのがこの恐怖感をどう取り除くかでした。


その時、編集者からヒントが出され、それを元にアシモフが簡潔な言葉でまとめなおしたものが「ロボット3原則」。


だからまず、「人間に危害を与えない」が来ます。人間を守ることも明示されます。

これを最重要の項目としながら、以降、反乱を起こさないための「服従」、そして、人工生命としての「自己防衛」と続くのです。




アシモフのロボットSFが面白いのは、ここまで「恐怖を与えないこと」をテーマとしながら、ロボットがやっぱり反乱を起こすからです。

三原則を守りつつ、反乱を起こすことができる。一体どうやって強力な三原則を守ったままで反乱を起こすのか、というのが見どころになっている。


ただ、やっぱり反乱と言っても人間を殺すようなことはしないんです。


たとえば、「鋼鉄都市」のシリーズでは、ロボットが生活に溶け込んだ未来社会の中で、殺人事件が起こります。

現場には、人工知能に異常をきたした、壊れたロボット。


壊れたロボットが殺人を犯したのか?

いや、いくら人工知能が壊れていても、人工知能は人間で言えば「知性」の部分です。

「本能」である三原則は、知性が壊れていても守られるはず。


壊れたロボットは、おそらく殺人現場を目撃し、「人間を守れなかった」ために人工知能に異常をきたしたのではないかと推察されます。


でも、この都市ではロボットが重要な労働力となっていて、人間が少ない。

もし殺意を持った人間が、別の人間に近づいていけば、まだ壊れる前のロボットは「人間を守る」本能によって殺人を食い止めるはずです。



一体何が起こったのか…


えーと、確かこれは、鋼鉄シリーズの中の「はだかの太陽」だったと思う。

ここで、SF作家らしく、ちゃんと論理を積み重ねた推理劇が展開されます。


推理小説なので、ネタバレはしない。気になる人は読んでみてね。




ロボットが、「人間と同等の存在になりたい」と奮闘し、そのために周囲の人々を幸せにしていく「バイセンテニアルマン(200歳の人)」は心に残る名作。


彼はロボットだから、人と同等になるのは「命令に服従しない反乱」なのだけど、そのために取った方法が、周囲の人を幸せにすることなのね。

ロボットだから寿命は無い。長い時間をかけて、多くの発明をし続けて、社会にとって必要な存在になっていく。


しかし、彼がどんなに社会にとって必要な、有名な存在になっても、人々にとって彼は「良いロボット」なのです。

彼は人々の意識を変えるために、大きな賭けに出なくてはならなくなる。


短編なのだけど感動的で、後に映画化もされています。



アシモフのロボットは、ロボット三原則を守りつつも、常に反乱を起こそうとします。

でも、それが人間にとって悲劇ではないことも多いのね。心温まるお話が多い。


これが、アシモフがロボットSFの第一人者だと呼ばれる理由になっているように思います。




アシモフのもう一つの顔は、推理小説家です。

上に書いた「鋼鉄都市」シリーズは、ロボットSFと推理小説が融合したものでした。


SFだと何でもありにしやすいのだけど、あえてそれはしない。

SF世界と言えども、そこには人間の地に足が付いた生活が描かれていて、諸条件を提示したうえで読者に「推理」を投げかけます。


ちゃんとした推理小説として成立しているのです。


そして、純粋な推理小説として有名なシリーズが、「黒後家蜘蛛の会」。

…と、純粋ではありますが、本格推理ではないです。連続短編のオムニバス形式。


いわゆる「安楽椅子探偵」で、冒険活劇も、足で証拠を探すこともしません。

6人の仲の良い男性が、毎回1人のゲストを招いて、話を聞きながら晩餐会をする、というだけの話。


ただ、毎回ゲストが困りごとを持ち込みます。

(もともとそういう会ではなく、知らない分野の専門家の話などを聞いて楽しもう、という会だったのに、と嫌がるメンバーもいます)


で、その困りごとを、いろんな分野の専門家である6人が知恵を絞って解決しようとする。


でも、いつもこの6人は解決できないのです。

6人とも、いろんな分野の専門家ではあるのだけど、自分の専門分野で狭く考えすぎてしまう。


いつも、見事な解決を提示するのは、晩餐会の給仕を務める初老の男、ヘンリーです。

彼は給仕なんて勤めているくらいだから、決して高学歴の男ではない。


でも、給仕という立場上いつも脇にいて、皆の話に耳を傾け、出しゃばらずに考え続けます。

専門分野が無いからこそ、他の人の意見を横断的にまとめる力を持ち、解決に至るのです。


高学歴の男たちが、いつも学のない男の言葉に感心する、というのがこのお話の見どころの一つ。

でも、メンバーはみんなヘンリーの「学は無いけど頭は良い」ことに一目置いているので、嫌味にならないのね。



短編小説集なので、気軽に読めます。こちらも、気になる人は是非。




「ファウンデーション」シリーズも有名です。


こちらは、壮大なスペースオペラ。

地球が衰退した後に、宇宙に散った人間たちが、一度は文明を衰退させながらも、また発展していく数百年単位の歴史を描いたものです。


「ローマ帝国衰亡史」に触発されて、それをSFでやってみたもの、らしいのですけどね。

予言者に従ってみんなが行動する段階を経て、宗教が力を持ち、やがて武力を持つものがそれを上回る…


SFですから、予言とか宗教とか素直に出しません。

予言者は「心理歴史学」という分野の専門家で、数学を駆使して今後の来るべき展開を示している、ということになっている。

宗教も、大型コンピューターとそれを扱える技術者たち、という形に変わっている。


その翻意が見事です。現実に起こった歴史をSFに置き換えたものなので、重厚感がある。


…そして、アシモフ途中で飽きてます(笑)

最初はローマ帝国の歴史をSFに置き換える形で展開するのだけど、途中からお得意の推理劇も入ってきます。



今調べたら、7部作なのね。

僕、前期三部作しか知らないや。三部作でも、途中で飽きたな、と感じる急展開が入っている。

(急に雰囲気が変わるだけで、つまらなくはないです)


後から書かれた四部は、前期三部とはかなり違って、ロボットなども出てくるのですね。

まさに、アシモフの集大成なのでしょう。




SFや推理小説家としてのアシモフの著作は、実は僕はほとんど高校の時に図書室で借りて読んでいます。

その頃アシモフが大好きで、ものすごく読んだ。でも、借りて読んだから手元に残っていません。


手元にあるのは、「空想自然科学入門」。


アシモフのもう一つの顔は、生化学の博士としての顔です。


大学の医学部で講師をしていたそうですし、教科書を執筆もしたそうです。

論文も、非常にたくさん書いている、そうです。

(こっちは伝聞調。アメリカの教科書とか読んでないから知らない…)



空想自然科学入門では、彼の科学者としての知識を駆使して、いろんな疑問に答えています。


「空想」とついているけど、空想科学読本のような、架空の物語を論考するような本ではないよ。


実験では確かめられないようなことでも、可能性として「空想」してみよう、という内容で、内容はいたって真面目。

でも、小説家としての手腕を発揮して、非常に難しい内容でも想像しやすく、分かりやすく書いてある。



特に、生化学はアシモフの専門分野。

この本の中に、「これが生命だ!」という章があって、宇宙に生命がいるかどうかを考察しています。


えーと、最近でも、木星の衛星ガニメデの地下に海があって生命がいるんじゃないかとか、エウロパの方がいそうだとか、土星のエンケラドゥスの可能性とか…

まぁ、生命の可能性はいろいろ言われています。


ここで、「可能性」として言われている場所は、全部液体の水が存在しうる環境なのね。


こうした発表を聞いて、「宇宙生命が、地球と同じように水が必要と考える必要はないんじゃないか」と疑問に思う方はいるようです。

ネットでそういう意見見たことが何度もある。


で、アシモフは1963年に書いた(もう50年も前!)この本の中で、その疑問にちゃんと答えています。


水星には水は無いけど、液体の硫黄がある。液体硫黄に炭化フッ素を入れれば、水中の蛋白質と同じようにふるまう可能性がある。

木星には水は無いけど、液体のメタンがある。液体メタンに脂質を入れれば、水中の蛋白質と同じようにふるまう可能性がある。


…などなど、どの惑星にも、その惑星に適応した生物の可能性はある、という内容を、科学的な裏付けも付けて示します。


この本は、各種惑星探査計画に先駆けて書かれているのね。

だから、「期待できる」ことを書いている。今では、どうも生命はいないようだ、となっているけど、必ずしも水が必要なわけではない、と示しているのは読んで面白いです。




チオチモリンについても書いておこう。

これは、化学知識を元に作り出した、架空の物質。


アシモフは短編が多いのですが、チオチモリンは「架空の論文」という変わった形式で発表されました。


この物質、非常に良く水に溶けます。なんと、水を入れる前に溶けてしまうのです。

物質の原子の一部が、四次元方向にのびていて時間を吸着する(吸時性を持つ)ためとされています。


ただし、水が入ってくる「可能性」だけでは溶けません。

確実に水が入ってくる時だけ溶けます。


人が水をそそごうとしている場合、その人の「精神状態」に反応することになります。



時間を扱う可能性を示しながら、そこでタイムマシンみたいな壮大なものに話を飛ばすわけではない。

でも、「精神状態を外部から調べられる」という可能性に言及し、精神科医が使用できるかもしれないと示唆する。


この物質自体存在しないわけですが、非常に面白い特性を見つけながら、小さな利用可能性しか見いだせない。

話が大きくなり過ぎないあたりが、いかにも「本物らしい」論文です。


アシモフもこの「架空の物質」が気に入っていて、何本か論文を書いています。

最初に発表されたものは読んだことないのですが、途中の一本を読んだことがあります。




さて、アシモフは非常にたくさんの著作を残しました。


エッセイも上手で、短編集では必ず本編の間に、「その短編を書いたときの裏話」が挟まっていました。

この裏話が本編より面白い、という人もいるくらい。


どんなに短い短編でも1本、1ページのエッセイでも1本、科学論文でも1本…と数えた時、アシモフは一番多い年には、年間400本以上の原稿を書いたそうです。

とんでもない化け物です。



もちろん原稿は高速に書くことができるタイプライターで書いています。

短編集に書かれた「裏話」で、タイプライターを忘れてしまって万年筆で書かざるを得なかった、なんて話もあったけどね。


#その苦行を想像しただけで絶対に無理だ! と思いながら、しかし今書かないと原稿が間に合わないから、決死の覚悟で書きはじめ…

 と、その心中を仰々しく告白しながら「気づくと何の問題もなく書きあがっていた」そうです。




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