今日はジョン・スカリーの誕生日(1939)
アップル・コンピューターの元社長です。
ジョン・スカリーは、ペプシ・コーラの社長でした。
アイディア豊富な人で、コカ・コーラに対して敵意丸出しの比較 TV-CM を次々と作ります。
コカ・コーラのルートトラック(配送車)を、ペプシのマークの入った大型コンボイが追い抜く、というイメージ CM が有名。
当時大人気だったマイケル・ジャクソンを CM に起用したのもスカリーの時代。
また、「ペプシ・チャレンジ」という、コカ・コーラとペプシをブラインドテストで飲み比べ、おいしいほうを教えてもらう、というテストを街角で行い、その様子をそのまま CM として使用しました。
これは日本でも同じ手法の CM が放映され、話題になりましたね。
これらの CM が話題を呼び、結果的にペプシはコカ・コーラを抜いて、No.1 コーラ企業となります。
全米一の大企業の社長となったスカリーは、そのまま悠々自適の人生を送れる…はずでした。
彼の手腕に期待する企業から、社長をお願いしたい、という依頼が数多く彼の元に寄せられていました。
しかし、彼は全てを断っていました。
そんなある日、スカリーも信頼している超一流のヘッドハンターから、「シリコンバレーにあるコンピューター企業が、最高経営責任者を探している」という情報が寄せられます。
友人でもあり、超一流と認める彼が薦めるのであれば、とスカリーは「ちょっと話をするだけ」の約束で、その企業を訪れます。それがアップル・コンピューターでした。
1度だけの約束が何度か訪問を行い、3日ごとに電話で会談をし、新製品の開発チームの紹介まで受け…
スカリーは、アップルに心惹かれるようになっていました。
しかし、ペプシの社長の座は、捨ててしまうには惜しすぎます。
これを棄てる見返りとして、十分なものがもらえるのであれば…と、彼はほとんど無理難題ともいえる要求を出します。
前渡し契約金100万ドル、年棒に100万ドル、うまくいかなくても退職金100万ドル、アップルのオプションストック(株式)を35万株、それと、アップル本社近く、北カリフォルニアの半島部に、現在住んでいるのと同程度の自宅を用意しろ、と言うものでした。
この条件を全て呑む、と言う返事と共に、ジョブズは挑戦的な言葉を彼につきつけます。
「残りの余生を砂糖水を売って暮らしたいですか? それとも、世界を変えるチャンスに賭けますか?」
そして、スカリーはペプシを辞任し、アップルの社長に就任します。
スカリー以前のアップルは、成長の一途をたどる企業で、非常に自由な社風でした。
しかし、スカリー就任時のアップルは、Apple// の売り上げを IBM-PC に奪われ、続く AppleIII の開発には失敗し、社運をかけた新商品「Lisa」も全然売れない、と言う状況でした。
スカリーは次々と経営陣を解雇し、経営体制を完全に入れ替えます。
さらに、パートタイマーを400人解雇します。
しかし、これは「支出を抑える」ための策です。
どんなに支出を抑えても、収入が上がらなくては仕方がありません。
ちょうど、完成を控えた新商品…これは、スカリーが説得されているときから紹介されていました…がありました。
ジョブズとスカリーは、この新商品に社運をかけることにし、膨大な予算で TV-CM を作成、全米のテレビ番組の中で視聴率が一番高い(そのため CM 放映料も一番高い)スーパーボールの中で放映を行います。
これが有名な「1984年は、"1984年"にはならない」という、Macintosh の発表予告 CM でした。
1回だけ放映した CM のために、160万ドルがつぎ込まれたと言います。
#Mac 発表は 1984年。1948年に書かれた「1984年」というディストピア小説が話題となった年でもありました。
小説の 1984年、当時話題だったから読んだけど、題名で話題になっただけで面白くはないです…
スカリーの社長としての対外的なデビューは、この Mac の発表会。
コンピューターが音声合成で自己紹介を行い、グラフィックを使って操作可能…という、それまでのコンピューターとは全く違う「ユーザーフレンドリー」な演出は非常に注目されます。
アップル・コンピューター社長、ジョン・スカリーの華々しいデビューでした。
しかし Mac は売れませんでした。発表会こそ華々しかったものの、現実に入手し、使ってみようとすると非常に使いにくい…使い物にならないマシンだったのです。
にもかかわらず、ジョブズ率いる Mac 開発チームは社内で偉そうにし、優遇されていました。
「古い製品」をまだ改良し続けている Apple// 開発チームは、いわれもなく「無能のごくつぶし」呼ばわりされていました。
しかしこの当時、現実には Apple の売り上げの7割が Apple// によるものでした。
Apple の創業メンバーであり、Apple// の責任者だったスティーブン・ウォズニアクは、この状況に反発して退社します。
#Apple I と Apple// の設計はウォズによるもの。大失敗だった AppleIII は別人の設計。
Apple//はウォズの退社により、今後の展開は無くなりました。
Mac は、消費者からそっぽを向かれました。
その前に発売していた Lisa は、開発責任者だったジョブズの陰謀で「失敗は無かったことに」されて、いつの間にか生産が停止していました。
…問題を起こしているすべての原因は、ジョブズにありました。
ここでスカリーは、社内の混乱の原因がジョブズにあることを指摘します。
この時点では、ジョブズはスカリーを招いた人間であり、スカリーにも遠慮があったようです。
しかし、ジョブズはこれに反発。自分が招いたスカリーを失脚させようと裏工作を開始します。
…が、発覚。お家騒動ともいえるアップル社内の内紛劇に発展します。
最終的に、スカリーは自分とジョブズ以外の役員に「どちらかを残して、もう片方を追放せよ」と決断を迫ります。
結果、追放されたのはジョブズでした。
ジョブズは、Mac は完全な商品で、変更する必要は一切ない、と言い張っていました。
しかし、スカリーはジョブズ追放の直後に改良を始めます。
まずは、単純にメモリを4倍に増やしました。次に、拡張性をもたせ、最後に CPU をパワーアップします。
これで「使い物にならない」原因が解消され、Mac は人気商品になります。
しかし、この改良は「コンピューターが使えない人へ」と作られた Mac を、ただのコンピューターにしてしまう行為でした。
スカリーには、ジョブズのような強烈なビジョン…コンピューターがどうあるべきか、と言う考えはありませんでした。
しかし、それでは今後ブレなくアップル社を牽引できません。スカリーは「ナレッジナビゲーター」という…夢物語ともいえるコンピューター像を示し、未来社会をイメージする短編映画を作ります。
そして、その頃開発が始まっていた新商品、Newton に「ナレッジナビゲーター」のイメージを重ね合わせます。
まだ新製品で1円ももうけを出していない Newton には、莫大な予算がつぎ込まれました。
その一方で、売れている Mac 開発チームの予算は削減されます。
これに対し、Mac 開発の責任者であった(そして、Newton の開発許可を与えた重役でもあった)ジャン=ルイ・ガセーが反発。
スカリーはガセーを追放し、その後 Mac の開発は混乱をきたすことになります。
…Mac に、Apple//と同じ道を歩ませてしまったのです。
Newton はアイディアは悪くないのですが、発売時点で大きすぎる夢を詰め込んだ機械でした。
現実的には、使い物になりませんでした。
しかし、「デスクトップコンピューターを小型化したもの」ではなく、「持ち歩く情報端末」として、後の多くの機械に指針を与えています。
スカリーはこの後、売れている Mac に注力せず、売れもしない Newton に予算をつぎ込むことで業績を悪化した、という責任を問われ、退任に追い込まれます。
最終的に彼は、Apple// にとどめを刺し、アップルに残っていた創業メンバーを追い出し、Mac を混乱させ、Newton を失敗作とし、「ナレッジナビゲーター」という夢物語で業界をミスリードしただけでした。
しかし、彼がいなければアップルはもっと早く倒産していた、とも思います。
彼の経営手腕があったから、もうほとんど死にかけていた企業を延命させ、低空飛行ながらも生きながらえる会社に出来たのでしょう。
アップルの復活は、この数年後にジョブズが呼び戻されるまで待たねばなりません。
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