今日(11/16)は宮本茂さんの誕生日(1952)。
任天堂のゲーム製作者。社長の岩田さんより有名かもしれませんね。
イギリス女王から名誉騎士の称号も与えられています。
任天堂に父親のコネで入社し、商品ラベルなどのデザインの仕事をしていました。
その流れから、インベーダーブームの時に任天堂が真似をして作ったゲーム「スペースフィーバー」のキャラクターデザインを行います。
…ほぉ、あの偽物感漂うデザインは宮本さんの手によるものだったか…
1980年に横井軍平さんの推薦で「ドンキーコング」をアイディアからすべて作成(プログラムは別人)。
この時の主人公には名前がありませんでしたが、宮本さんは「ミスター・ビデオゲーム」と呼び、今後のゲームにも登場させることで任天堂イメージを作り上げようとします。
後に「マリオ」と名付けられるキャラクターです。
ニンテンドーのアメリカ支社の関係者の名前を取ったそうなのですが、その人が「キャラクターにそっくり」だったとも「ドンキーコングがすごく上手だった」とも言われています。
多分両方とも真実なんじゃないかな (^^;
マリオの名前が初めて登場するのは、続編の「ドンキーコング Jr.」で、その後「マリオブラザース」で2プレイヤーキャラのルイージが登場。(緑を基調とするイメージは同じですが、現在のルイージと色遣いが違います)
そして、スーパーマリオブラザースの登場。世界一売れたゲームソフト、でした。(過去形)
今では Wii Sports に抜かされていますが、スーパーマリオが特別なゲームだった、と言う事実は変わりません。
僕は何に関しても、「オリジナルじゃないと認めない」と考えるところがあります。そういう性格なのです。
特に子供の頃はこの思いが強かった。
当時はゲームセンターで大ヒットしていた「パックランド」の衝撃があり、スーパーマリオはその真似じゃないか、と思いました。
当時の背景を書いておくと、当時すでに「画面スクロール技術」はありましたが、スクランブルやゼビウスのような「強制スクロール」が普通でした。
マッピーやドルアーガのような「任意スクロール」もあったのですが、こちらはスクロールと言っても2画面に制限されています。
ところが、パックランドは横方向に世界がどんどん広がっていく任意スクロール。
さらに、当時としては驚くほどキャラクターが大きく、スクロールする背景と相まって「アニメみたい」な印象でした。
#実際、アメリカで作られたパックマンのアニメを元にしており、過去のゲームの「パックマン」とは全く違う内容でした。
操作方法も斬新なものでした。
3つのボタンで、右、左、ジャンプを操作します。レバーと違いボタンなので「連打」することができ、歩いたり走ったりというスピード調節を可能にしていました。
そして、ゲーム中に隠された数々の謎。背景だと思っていたものを押したら隠しアイテムが出たり、特定箇所でのジャンプで点数が入ったり、迷路状の面があったり…
ファミコンでは、スーパーマリオは移植版の「パックランド」以前に発売されました。
でも、ゲームセンターで遊んでいた人の多くは、これが「パックランドのパクリ」だと気づいていたと思います。
そして、後でパックランド発売。
…ファミコンのハードに合わせてキャラクターは小さくなり、美しかった背景も残念なものに。
3ボタン操作、という独特の部分も、ファミコンでのパッド操作にせざるを得ません。
ゲームセンターの物とは全く違うゲームでした。
先に書いたように、僕は「オリジナル偏愛」だったため、友人にスーパーマリオが面白いと聞いても遊びませんでした。
最初にアイディアを考えたナムコを応援したい、と言う気持ちもあったのですね。
そして、ファミコンに移植されたパックランドを遊んでから…「コレジャナイ」とおもってやっとスーパーマリオを友達に借ります。
(友達はすでに遊びこんでおり、飽きはじめていたので借りられたのです。)
素晴らしい出来でした。それまで見ようともしなかったのを悔やんだくらい。
その素晴らしさを説明する必要はありませんよね?
宮本さんは、パックランドに衝撃を受け、それをファミコンの制約の中で楽しめるようにするにはどうすればよいかよく研究して作ったそうです。
#2014.9.13 追記。上のリンクで参照した記事は、インタビューなどの記事を参考にして書いたように装った憶測にすぎませんでした。
考察としては鋭いけど、事実かどうかは不明、と言うところです。
詳細は「スーパーマリオの発売日」の記事に。
宮本さんの苦労は後に知るのですが(この頃はまだゲーム作者の名前なんて気にしてなかった)、真似していると言って毛嫌いするのはよくないな、と自分で思った出来事です。
工夫のない真似は今でもだめだと思います。
しかし、工夫を加えれば真似でも素晴らしいものが作れる…と、教えてくれたのがスーパーマリオだったように思います。
今では、あまり偏見を持たずに物事に接しよう…とは思っているのですが、元々の性格なので「オリジナル主義」はまだ残ってます (^^;;
さて、宮本さんは他にも魅力的なキャラクターをたくさん作っていますね。
「ゼルダの伝説」シリーズのリンク。
マリオはプレイヤーの分身。だからプレイヤーが上達することで、行けなかったところにも行けるようになる。
それに対し、リンクはプレイヤーが操作する、ゲーム内の主人公。
プレイヤーとは別の存在で、ゲーム内の出来事によって成長し、強くなります。
逆に考えると、遊ぶ人にテクニックを要求する「難しいゲーム」はマリオ、時間をかけて遊べば「誰でも先に進める」ゲームはリンク、というのが宮本さんの考えのようです。
…ゼルダシリーズ、最近は難しすぎません?
強くするのに時間がかかるうえにテクニックもかなり要求されて、気軽に遊べないように思います。
そして、最近はピクミンも人気シリーズに入れてよいのでしょう。3つしか出ていないけど。
うちの子供も大好き。ゲームは遊べなくても、見ているだけでかわいいらしい。
1も2もかなりやりこんだけど、まだ3は手を出していません。Wii U 買ってないからね。
マリオがプレイヤーの分身、リンクが成長するものだとすれば、ピクミンたちは「チームの部下」です。
多くの仕事を効率的にこなすために采配を振るうのが自分の役目。自分が仕事を手伝うことはできず、部下がこなすのを心配しながら見ていないといけない。
これ、宮本さんが偉くなって直接ゲームが作れなくなった時に思いついた、というのが非常に面白いです。
「ゲームが作れない」ことで新しく作れるゲームがあるんですね。
1はこの采配を極限まで極めて最短時間を目指すゲームなのだけど、2では冒険が中心。
あまり時間は気にしないでいいし、目指すべき目標もあいまい。どうも、薄ぼんやりとしたゲームです。
だから僕は、以前は1が好きで2はいまいち、と公言していました。
先に書いた「オリジナル主義」とは違って、両方遊びこんだうえでの感想として。
でも、世間には2の方が後で出来たのだから出来が良い、という人も少なからずいました。
そしたら、3の発売に際して宮本さんが「2は周囲の意見を聞き入れたら、なんか違う作品になった」と後悔発言をしていました。
あぁ、やっぱそう思っているんだ。僕が原作者の意図をくみ取れていないだけでなくてよかった、と安心しました。
僕は、友達の間では「任天堂派」とされています。
他の会社のゲームだって好きなんだけどね。でも、自分の考える「ゲーム」に一番近いものを作っているのは任天堂だとは思う。
そして、そのほとんどは宮本さんの考え方なのでしょう。
…ここで「これからも面白いゲームを作って」と書くのはよくあるまとめなのですが、どちらかと言うと「早く引退できるように頑張って」と思っています。
引退できる、ということは、わざわざ宮本さんが口を出さなくても、後継者が育って面白いゲームがどんどんできる状況だから。
そして、口を出さなくてよくなったら、宮本さんには趣味で小さな作品を作っていただきたい!
きっと、面白いものができると思うんですよ。
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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【ゆーすけ】 ゼルダ昔のほうが難しいよ。 (2013-11-16 08:19:02) |