今日は、PHSサービスが始まった日。
1995 年の今日、NTT の子会社である NTT Personal(現在は docomo に吸収)がサービスを開始しました。
PHS は、Personal Handy-phone System の略称。
「個人用の持ち歩ける電話」の意味です。
この当時、携帯電話はありました。
でも、とても高価なもので、会社の重役など、いつでも連絡する必要性がある人が会社から貸与されて使う、というようなものでした。
それに対して、「個人用の」安価なシステムを作ろうというのが PHS でした。
以下の歴史話は、昔読んだ新聞の記事などの知識を「記憶で」書いているものです。
すでに手元に資料はないため、細かな部分は間違えているかもしれません、とお断りしておきます。
1980 年代の後半、日本は好景気でした。
電話の通信料は、まだ3分10円が基本。30分も話をしていれば100円になってしまう。
1980年代が始まったころには、100円というのはそれなりのお金だったように思います。
でも、後半に入るころには、100円くらいはどうということのない、安いお金になっていた。
それどころではありません。
電話を引くには、7万6千円の権利料が必要でしたが、大学生くらいになれば自分のお金でこの権利を買える程度の好景気。
それで、女子大生あたりを中心に、自分の部屋に専用の電話を引いて、友達と電話で毎日何時間もおしゃべりする、なんていう人がたくさんいました。
1987年に電話機の「無線化」が認可されます。
家の中で、電話回線に接続した親機との間に、電波で通信できる「子機」を作れるようになったのです。
そして、当時は電波法も今とは違っていました。
何も遮蔽物がないところで、100m 程度まで届く電波は認められています。
家の中で使うはずの「子機」を、家の外に持ち出せました。
といっても、電話をしながらゴミ出しをできる、程度の簡単な外出でしたが。
こうした使い方の延長として、「親機」を 100m 程度置きに設置すれば、子機をどこまでも持ち出せるのではないか、という技術的アイディアが出てきます。
携帯電話は、2km 程度の距離で電波を飛ばさなくてはならなかったため、電波局としての認可も必要となり、高価なものになっていました。
しかし、100m 程度であればずっと安く作れるのです。
このころ、すでに日本の電話の基幹線は光ファイバー化されています。
NTT が埋設した ISDN で、1本のケーブルで 64K の回線を2本と、制御信号用の 16K の回線を1本使えました。
まだ各家庭までは光ファイバーは届いていませんでしたが、「公衆電話」など、NTT が管理する設備では積極的に光ファイバー化が行われていました。
すでに日本全国に埋設されたケーブルがあり、そこには通話可能な 64K の回線が2本も入っているだけでなく、制御信号用の別の線もある。
もちろん音声回線の1本は公衆電話用だとしても、もう一本を PHS で使用して、親機から親機に渡り歩く際にも「制御信号回線」を使えば…
もう、事実上システムは完成していたのです。あとは組み合わせて仕上げるだけ。
これが PHS という構想でした。
当時は電話を使ったパソコン通信でも、33.6Kbps 程度の速度の時代。
ISDN は 64K ですから、PHS でも最大 64Kbps が出る、しかもどこでも通信できる、というので、パソコンマニアからも期待されていました。
後で書きますが、PHS の主要なシステムは、NTT の子会社である NTT Personal が開発し、サービスを行う各社はこのシステムを使っていました。
そのシステムでは、最初の通信速度は 32K から。
DDI Pokect は、独自の技術で「みなし音声通信」を行い、モデムと同等の 33.6Kbpsを可能としていました。
後には 56Kbps での通信も可能とするのですが、そのころには NTT Personal のシステムでも 64Kbps になっています。
PHS は安かったため、女子高校生などに支持されました。
これ以前はポケベルで連絡を取り合っていた世代。
PHS のサービスが始まるころには、携帯電話もずいぶん安くなってきていて、女子大生などは携帯電話を使っていました。
PHS とかいて「ピッチ」と読む読み方も、女子高生世代が広めたように思います。
さて、NTT は NTT 法で縛られており、国は一番の大株主でした。
PHS 構築は国の指導の下で行われ、NTT にも協力が求められました。嫌とは言えません。
その一方で、NTT は携帯電話のサービスも行っていました。
普及させようと頑張り、やっと量産効果でコストが下がり始めたところでした。
ここで、わざわざ携帯電話を自ら潰しにかかる、対抗サービスを始めよというのです。
しかし、大株主でもある国には逆らえません。
NTT は、国の求めに応じて子会社である NTT Personal を設立し、PHS の研究を開始します。
PHS には多くの期待が集まりました。
当時はまだ、携帯電話の電波網も、今ほど細かくありません。
地下やビルの中では電波が届かず、通話できないこともありました。
でも、PHS はもともと安い基地局を大量に作る方式です。
地下やビルの中にも基地局が設置され、携帯電話よりも通話範囲が広い、とされていました。
さらに、最寄りの基地局の位置を取得することで、100m 程度の誤差で「現在地」がわかります。
いまでいう GPS みたいなものですが、携帯電話などでこうした「位置情報」が使えるようになるのは、ずっと後のこと。
こうした特性を活かしたサービスも想定されていました。
しかし、運用後半年程度で「安かろう悪かろう」だという風評が広がります。
基地局が頻繁に切り替わる方式ですが、その際に2~3秒通話ができない、という問題があったのです。
歩いているだけならまだしも、車や電車の中ではとても使い物になりませんでした。
すぐにシステムの改修が行われ、半年程度で問題は軽減しますが、「PHS は安物だ」と印象付けるには十分でした。
一方で、携帯電話はどんどん安くなり、0円端末も現れるようになります。
その分月額料金が高いのかと言うと…通話プランを吟味すれば、それほど高いわけでもない。
PHS の人気が無くなるのに、そう長い時間はかかりませんでした。
独自路線の DDI Poket は頑張りましたが、それ以外の PHS 会社は、「さっさと」撤退することになります。
NTT Personal も、早々に NTT DoCoMo に吸収されました。
技術的な面はわかりません。
最初の「基地局を渡り歩く際の通話ができない問題」は、本当に技術的な不具合だったのかもしれません。
しかし、その一方で、これは最初から NTT の策略だった、国は NTT にまんまと騙されたのだ、という噂もあります。
国は NTT に無理を言って PHS の研究を始めさせました。
NTT は、国の命令だから仕方がなく子会社まで作り、研究をする「ふりをした」だけ。
最初から、「事業が成り立たない」という形を作って DoCoMo に一本化するつもりだったのだと。
NTT って、実はこういうこと繰り返しています。
それが悪いというのではないよ。所詮は一企業で、利益を追い求めるのが本来の姿。
なのに、国に採算に合わないことを命じられて、仕方がなく「やったふり」をして終わりにする。
シティフォンとか、覚えている人いますでしょうか?
それまで使っていなかった新しい電波帯域を実験的に DoCoMo に割り当てて、仕方がないから作られたサービス。
使ってなかった帯域だから、電波網を全部再構築しないといけない。
そんなことを今更新しくやっても採算に合わないから、大都市でだけサービスした。(だから「シティ」フォン)
都市部でしか使えない携帯電話なんて魅力がないから売れるわけがない。
そして、「採算に合わないから撤退します」という終わり方になる。
誰が悪いのかと言えば、NTT ではなくて、国だと思う。
新しい事業を研究できるほど体力のある会社として NTT を使いたい意向もわかるのだけど。
以下思い出話。
HP200LX を使っていた時、NTT Personal の Paldio 321S 使っていました。
知る人ぞ知る、当時の「名機」ですね。
2つ折りの携帯電話なのだけど、下側のカバーを外すと、PC カードになっているの。
(PC カード自体、すでにわからない人も多そうだ…)
HP200LX は PC カード使えましたから、そこに携帯電話を直接差し込んで、通信ができる。
電車の待ち時間にパソコン通信のログをダウンロードして、電車内で読んで返事書いたりしていました。
(返事は、次回接続時にアップロードする。そういうスクリプトを書いて運用)
そのころ、今の妻とネットで知り合って付き合い始めたのだけど、妻も DDI Poket の PHS 使っていました。
最初に書いたけど、PHS はもともと「家庭用の無線子機」を外に持ち出す発想だった。
そして、この頃の DDI Poket の端末は、「家庭用子機モード」が付いているものがあった。
家で対応する親機を使っている場合、PHS を親機に接続できるの。
外に行くと公衆網に繋がるから電話代が割高になるけど、家では安く通話ができる。
いまの、スマホを家では WiFi で使うような感じ。
SL-Zaurus …いわゆる「りぬざう」を使っていた時は、bitwarp でした。
So-net のやっていたサービスで、通信発信専用の PHS 端末なのだけど、月額料金で使い放題なの。
この通信端末は、CF カードサイズだった。
…これも説明が必要だな。PC カードのサイズを切り詰めて小さくしただけの、拡張カードね。
りぬざうでは CF カードが使えたから、差し込んだらそのまま通信できた。
そして、W-Zero3 も持ってました。[es] と Advance ね。
これは PHS 端末にパソコン機能を付けたもので、国内初の「スマートフォン」という触れ込みだった。
#国内初、とされるのは W-Zero3 の初代機ね。
僕が持っていたのは、2代目の [es] と、3代目の Advanced [es]。
スマートフォンって、バズワードね。都合によって意味が変わる。
ここでいうスマートフォンは「キーボードを備えたパソコンとして使える端末」の意味。
当時、海外でもそういう端末が流行し始めていて、W-Zero3 は国内初のものだった。
ちなみに、最初に「スマートフォン」という言葉が出てきたときの定義は、インターネットとデータのやり取りができる端末。
メールだけでもいいけど、簡易な WEB ブラウザが付いているとなおよい。
というわけで、この意味での「国内最初のスマートフォン」は i-mode だったりします。
実は世界初でもある。
海外では「スマートフォン」と言って憧れの的だったものが、日本人にはごく自然に生活に溶け込んでいた。
だからこそ「憧れのスマートフォン」として、日本ではキーボードが付いていることが条件にされたのだけど。
最後に関係ないネタ。
PHS が話題になっていた当時、Apple は Macintosh 互換機を許可する戦略をとろうとしていました。
みんなが同じリファレンス(参考物)を元に共通のハードウェアを作り、プラットフォーム(基盤)とする。
…英語で言えば、Common Hardware Reference Platform。頭文字を取って、この互換機のことを CHRP (チャープ)と呼びます。
また、当時はやっとインターネットが一般に普及し始めたころでもあります。
職場や家庭内で LAN を構築することが流行しはじめていました。
そこで「PHS で CHRP 端末を結び、LAN を構築する」という「ネタ話」が出来上がるのです。
真面目そうな話として語っておいて、最後に
♪ピッチピッチ チャープチャープ ランランラン
と歌って落とすんですけどね。
ただの駄洒落なんだけど、この小話好き。
今となっては PHS も CHRP も理解されないので、とても披露できませんね。
#って、どさくさ紛れに披露したわけだけど。
2017.4.21 追記
最後まで PHS 会社として残っていたのは Willcom でした。DDI Pocket が社名変更した会社。
途中で書いていた、W-Zero3 を発売した会社でもあります。
2014年に Softbank 系列の携帯電話会社と吸収合併され、Y!mobile の一部となっていました。
(ブランドは存続)
しかし、本日…2017.4.21 の発表で、来年3月末をもって、PHS の新規受付を終了するそうです。
PHS サービスは完全に終わることになります。
もっとも、これは「新規受付」の終了で、当面は通話サービスも使えるでしょう。
PHS 以前に流行していたポケットベルも、大幅に規模を縮小したとはいえ、一部では特定用途として使用されています。
契約者に最新のニュース(株価情報など)を文字で届ける、などの使われ方ですが。
同じように、これで PHS が完全になくなる、というわけではないと思います。
現在、PHS は自動販売機などにも内蔵され、データ通信を利用して在庫・売り上げ情報をセンターに送信、適切な在庫補給タイミングを通知するのに役立てられたりもしています。
同じ用途で WiFi 接続を行う機種などもあるようですが、PHS のほうが設置場所が限定されにくいメリットがあります。
おそらくは、こうした「知られていないが実は使われている」というような技術になっていくものと思われます。
2018.4.20 追記
上の追記から1年がたち、PHS の新規受付は終了したようです。
そして、2020年7月に、サービス自体を終了すると発表されました。
上に書いた、自動販売機の在庫管理などの、機器監視用通信はまだサービスを続けるようです。
機器監視用ということは、発信源の位置が固定されていて、「移動電話」ではない、ということですね。
不要なアンテナも撤去していき、最低限残すことで採算に合うのでしょう。
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15年 A Dark Room , Candy box! , Cookie Clicker.
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