今日はスティーブ・ブリストーの命日(2015)。
昨年訃報を見たときにはじめてこの方のことを知りました。
いや、名前くらいは見かけていたはずなのですが、ちゃんと興味を持っていなかった。
ATARI のエンジニアで、スプライトを考案した人ですね。
リンク先では特許書面がリンク切れになっていますがこちらにあります。
以前、ATARI の設立者の、ノーラン・ブッシュネルの話を書いたことがあります。
そこで「ブッシュネルのアイディアを元に、コンピューター・スペースを作り上げた同僚」というのが出てくるのですが、このうちの一人がブリストーです。
ちなみに、ATARI 最初のヒットゲームである PONG! は、別の人。
やはり AMPEX 時代の後輩技術者、アラン・アルコーンが作っています。
アルコーンは、PONG! の大ヒット後、ブッシュネルに誘われて ATARI に移籍しています。
その後、ブリストーも ATARI に移籍。
ブッシュネルは、技術者としてはアルコーンよりもブリストーのほうを高く評価していたようですから、実際ブリストーの腕前は大したものだったのでしょう。
その後、続々とゲームを作り出します。大ヒットとなった Break out! もブリストーの作。
スプライト開発の経緯は、先にリンクしたページが詳しすぎて、ここで改めて(丸パクリで)書くのもはばかられるので、そちらをご覧ください。
まぁ、簡単に書けばアメリカン・フットボールのゲームを作りたくて、多数のキャラクターを表示する方法を考案したようなのです。
これで作成された ATARI Football は、アメリカでは大ヒット。
日本ではあまり知られていない…ということなのだけど、僕このゲーム知ってるわ。
アメフトって、フォーメーションをどのように決めるかがすごく重要なゲームで、局面に応じて適切なフォーメーションを選択し、そのうえでボールを適切にコントロールする…つまり、アクションゲームとなる部分があるわけです。
頭脳プレイも必要、アクションプレイも必要、このバランスを絶妙にそろえたゲームでした。…だったようです。
というのも、このゲームを見たことはあるのだけど、アメフトのルールを知らないものにとってはあまりにもハードルが高いゲームなのです。
フォーメーションを定めて、そのフォーメーションごとに定められた「最適な動作」を行うことが重要なのだけど、アメフト知識がないと全く何してよいのかわからないのね。
日本で売れなかった理由、よくわかります。
でも、近所のお店にはこれ置いてあったんだよね…
さて、ブリストーは後に「キーゲームス」の技術者も務めています。
これ、今日調べていて初めて知った。
Wikipedia に書いてあったのだけど、非常に面白い話なのに、書き方が悪くて伝わりにくい。
かみ砕いて説明しようかと思います。
#Wikipedia を見ただけで、そもそもの出典を僕が読んでいません。
なので、勘違いがあったらごめんなさい。
まず、ゲーム業界の商習慣の話を十分に知らないと理解できないのに、それらは全く書いてない。
そこの説明から。
ゲーム商売は、「メーカー」と「ディストリビューター」「オペレーター」に分かれています。
メーカーは、ゲームを作る会社。ATARI 社なんかもそうですね。
オペレーターは、ゲームセンターなどの運営者。お客様に触れる、一般に一番目にするところです。
その間に「ディストリビューター」があります。
ゲーム会社からゲームを大量に仕入れ、オペレーターに卸す流通業。
さて、アメリカの場合、州ごとに各種の規制などが異なります。
なので、ディストリビューターも州内の流通だけを受け持ち、他州にまでは手を出さないのが普通。
そして、1つの州の中にも、当然複数のディストリビューターがいて競業しています。
ATARI 社創設当時のアメリカでは、商習慣として、メーカーは「1つのゲームにつき、1つの州で、1つのディストリビューターとだけ契約する」ことになっていたようです。
ゲームごとに流通独占契約を結ぶのですね。
PONG は大ヒットゲームで、コピーが公式の 10倍も作られた、と考えられています。
これも、ATARI がある会社と契約してしまうと、州内の別のディストリビューターは契約できなかったため。
ゲームが大ヒットしていて、扱えば莫大な利益があるのに、契約できないから諦める…なんて物わかりのいい話はありません。
出来が多少悪くても、似たようなコピー品があり、契約できるなら扱うのです。
会社を維持するための努力ですから、綺麗ごとは言っていられない。
ブッシュネルは、これを馬鹿馬鹿しい商習慣だ、と考えました。
なんとか、ATARI 社が複数の会社と契約できるようにしたいと考えました。
そこで、たまたま近所に住んでいた keenan さんに掛け合って、ダミー会社の社長に据えます。
愛称 kee さんのゲーム会社なので kee games 。でも、会社のマークは key (鍵)のような形にしてあります。
ここで重要なのは「ATARI のマークとは全く違う」ということ。ATARI とは別会社であることが重要なのです。
重役は、ブッシュネルと、アルコーン。でも、これは「経営重役」なので、あまり名前を表に出しません。
そして、技術者は、ブリストー。「ATARI から寝返って別の会社に就職した」という噂を広めました。
ATARI 社がゲームを作ると、それを元にすぐにキーゲームズも「コピー品」を作ります。
事実上2社は同じ会社なのですから、そっくりで高品質のゲームを作るのは簡単でした。
そして、1つの州で最大手のディストリビューターと、ATARI は契約します。
2番目の規模のディストリビューターは、「そっくりのコピー品を作る」キーゲームズが契約します。
これで、ディストリビューターはほとんど抑えられてしまう。
その他のコピー品を扱うところもあるかもしれませんが、流通にあまり乗らなければ儲かりません。
儲けがなければ、そのうちコピー品を作る業者もいなくなるでしょう。
もちろん、キーゲームズは事実上 ATARI と同じ会社ですから、利益は全部 ATARI に入るのです。
ブリストーが独自にゲームを作ることもあり、その時は ATARI がコピー品を作ります。
とにかく、2つの会社をうまく使って、商習慣を気にせずにゲームを流通させることが大切でした。
同じようなゲームが複数流通し、「独占契約」に意味がなくなったことで、徐々に商習慣は崩れていったようです。
後には、ディストリビューターの独占契約自体が無くなってしまいました。
これでキーゲームズも役割を終えました。ATARI 社に吸収合併されます。
でも、ATARI 社としては取り立ててこの事実を公表することもなく、両社は「何か関係がありそう」だと推測される程度にとどまっていました。
関係が明るみに出たのは、結構最近になってからなのだそうです。
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