2016年02月05日の日記です


ノーラン・ブッシュネル 誕生日(1943)  2016-02-05 17:46:42  コンピュータ 今日は何の日

今日は、ノーラン・ブッシュネルの誕生日(1943)


ビデオゲームの会社、アタリ社の創業者だ。

…というより、ビデオゲームを発明した人。



ブッシュネルは、子供のころから数学や電気工作が好きで、遊ぶことも好きだった。

子供の頃に父親が死ぬが、保険金が下りたので生活は苦しくはなかったらしい。


とはいえ、お小遣いはもらえなくなった。

(彼が子供のころからギャンブル好きで、お金を渡すとすぐ使ってしまったからだ、という話もある)


そこで、ブッシュネルは得意の電気工作の腕を活かして、電気修理などをして自分で稼いだ。



1961年、ユタ州立大学に入学。さらに後に、ユタ大学に転学している。

ややこしいけど、実はユタ大学も州立。ユタ州立大学と、州立ユタ大学だ。


どちらもユタ州北部にあり、120km くらいしか離れていない。

そして、その中間に「ラグーン遊園地」という老舗の遊園地がある。


ユタ州立大学は、毎年5月16日を「物理の日」として、この遊園地で物理学のイベントを行っている。

遊園地は物理の大きな実験場だ。物理学、という観点から見てみると、とても興味深いものも多い。




ユタ大学にいつ転学したのか、調べてもよくわからなかった。

でも、1968年に卒業している。


ユタ大学は、当時まだ珍しかったコンピューターを持っていた。どうやら、PDP-1 もあったようだ。

このコンピューター目当てで、1966年にはアラン・ケイが大学院に入っている。


また、MIT 出身のアイバン・サザーランドが 1968年に教授として着任している。

ブッシュネルとちょうど入れ違いなのだけど、サザーランドは「コンピューターグラフィックス」という概念を作り出した人だ。



ブッシュネルは、ユタ大学在学中に、先に書いたラグーン遊園地で働いている。


普段は週末だけの勤務で、主な仕事はゲームコーナーの接客だった。


この頃のゲームコーナーというのは、射的とか、ボールを使った的当て、一定時間内にバスケットボールをゴールに何回入れられるか、なんていうゲームが多かった。

電気式でタイマーと得点がカウントされていて、一定の得点を挙げれば景品がもらえた。

ブッシュネルは、こういう接客をやったわけだ。


そして、時々機械の調子が悪くなると、電気工作の腕前を活かして修理をしていた。



ある夏休み、ブッシュネルは毎日働いた。

すると遊園地のほうでも働きぶりが認められ、ゲームコーナーの運営にも意見を出せるようになった。


お客さんにより楽しんでもらうために、どうすればいいのか。

ちょっとした工夫によってお客さんの笑顔が増え、売り上げも上がる。


ブッシュネルは、このときに「アーケードゲーム運営の面白さ」を知ったという。




ブッシュネルは、コンピュータープログラムの授業を受けて、PDP-1 に触れる機会があったようだ。

このときに「SPACE WAR!」で遊び、その面白さに感銘を受ける。


自分でもプログラムをしてみて、いくつかの簡単なゲームを作っているようだ。

しかし、先に書いたラグーン遊園地での経験と合わせ、このゲームをゲームコーナーで提供したら、絶対に儲かるはずだと考え始める。


しかし、コンピューターはまだ非常に高価な機械だった。



ブッシュネルはエンターテインメントで働きたかったようで、大学卒業後はディズニー関連の会社で働こうとしている。

しかし就職先が見つからず、AMPEX に就職する。ビデオテープレコーダーの会社だ。


しかし、これが幸運を招き入れた。

ビデオテープの会社だから、テレビ信号などに詳しい技術者が多数いたのだ。



1969年、ブッシュネルは会社で働きながら、同僚と共に新しい会社 Syzygy 社を設立した。

惑星直列を意味する単語だけど、SPACE WAR! をまねたSFっぽいゲームを作るつもりだったし、変わった単語なので誰も使っていないだろう、と思ったのだ。

(しかし、実際には同じ名前の会社の存在が後でわかる)


ここで「ビデオゲーム」の開発を開始する。


SPACE WAR! はコンピュータープログラムとして作られていたが、同じような内容を電気回路で実現すればもっと安くできる。

画面には高価なベクタースキャンディスプレイではなく、安価なテレビ受像機を使えば安くできる。


ブッシュネルは電気工作が趣味ではあったけど、テレビ信号を扱うような機器を作るほどの腕前ではなかった。

ビデオゲームの開発は主に同僚に任せ、ブッシュネルは同僚に給料を支払う方法を考えなくてはならなかった。



そこで、ラグーン遊園地でやっていたように、ゲーム機器の修理の仕事も見つけてくる。

これは同時に、ゲーム機器の製造販売をしているメーカーを探す目的もあった。


そして、2台のピンボールマシンを修理し、ナッチング・アソシエーツとコネを持つようになる。


1971年、完成したゲーム「COMPUTER SPACE」がナッチング・アソシエーツから発売になった。


よく「SPACE WAR! と同じゲーム内容」としている紹介があるのだけど、参考にしているだけでゲーム内容は全然違う。

SPACE WAR! は二人で対戦するゲームだけど、COMPUTER SPACE は宇宙船で UFO を落ち落とすゲームだ。


一定時間遊ぶことができて、UFO を破壊した数と、自分の宇宙船が破壊された数をカウントする。

時間切れの際に UFO の破壊数が上回っている場合は、時間が延長されて遊び続けられる。

(詳しくは、過去に書いた記事を読んでほしい)




このゲームは売れなかった。

1500台生産したのだけど、売れたのは 500~1000台程度だった。


300万ドルの売り上げだったらしいけど、全く新しいタイプのゲームなので生産コストもかかっている。

材料費と生産コスト、ナッチング・アソシエーツの取り分を引いたら、Syzygy にはわずかな額しか入ってこなかった。


作成に2年もかけていることを考えたら、採算に合っていない。商業的に失敗だった。


ブッシュネルとしては、面白さに自信を持っていた。もっと売れるはずだ。

売れないのは、ナッチング・アソシエーツの売り方が悪いせいだ。



次のゲームはもっと大きな会社に任せないといけない。

ブッシュネルはそう考え、ATARI 社を設立する。


「あたり」って囲碁の用語だ。ブッシュネルは囲碁が大好きで、世界で一番面白いゲームだと考えていた。

わざわざ新しい会社にしたのは、Syzygy が別の会社が使っている名前だと知ったかららしいのだけど、もしかしたら Syzygy のゲームはナッチング・アソシエーツが扱う、というような契約を交わしてしまったのかもしれない。



ナッチングアソシエーツの売り方が悪い…と言いながら、ブッシュネルはラグーン遊園地で学んだことを忘れていなかった。

お客さんを笑顔にするにはどうすればよいのか。実際に COMPUTER SPACE の遊ばれ方を観察した。


主に酒場の片隅に置かれ、酒を飲みながら遊ばれていた。

片手にグラスを持っていたいのに、宇宙船の操縦と発射ボタンで両手を使わないといけない。


それに、酔っぱらって遊ぶには、内容が難しすぎた。



よし、次のゲームはもっと簡単にしよう。

なじみのないSFではなく、誰にとってもなじみのあるテーマを使う。


ドライブゲームを作ることにして、新たなエンジニア、アラン・アルコーンを雇い入れる。




しかし、そのころマグナボックス社が、家庭用の「テレビゲーム機」オデッセイを発売した。

ブッシュネルはこの機械を見て、もっと単純でも面白いゲームは成立する、と気づいた。


オデッセイのゲームは単純だけど、いくつかの内容が遊べた。

ブッシュは、その中でもテニスゲームはよくできていると思った。


そこで、アランにテニスゲームの内容を伝え、同じようなものを作るように依頼した。

出来上がったゲームは、オデッセイのものともまた少し違っていた。


…オデッセイのものよりも面白いゲームになっていたのだ。


このゲームは PONG と名付けられる。


PONG は、片手でダイヤルを回すだけで遊べた。もう片手には、グラスでもサンドイッチでも持っていられる。

ただ相手側から飛んできた球を受けるだけ。単純だけど、受けた位置によって球の方向をコントロールできたから、戦略性があった。


酒場に置くのに申し分のないゲームだった。



試しに酒場に置いてみたところ、すぐに「壊れてしまった」と連絡が来た。お金が入れられないという。

慌てて店に行って筐体を開けると、コインがあふれるほど入っていて、投入口をふさいでいた。


これを見て、「次はもっと大きな会社に生産を任せよう」と考えていたけど、全部を自分たちでやることに決める。

このゲームは確実に売れる。話題になる。


ならば、宣伝力はいらない。中間に別の会社を入れて売り上げを分けるよりも、自分たちでやったほうがいい。



そして、PONG は大ヒットする。


アタリ社はまだ零細企業で、生産記録なんて残していなかった。

なので、実際の販売台数はわからない。しかし、いろいろな証拠から、1万台程度売った、と考えられている。


でも、それよりもデッドコピーが多く売られた。

本物と合わせて、全世界で10万台が売られた、と推計されている。



ブッシュネルは、デッドコピー業者を訴えなかった。

訴えている時間がもったいないほど PONG が売れていたし、資金に余裕ができたので次のゲームも考えたかったのだ。


デッドコピー業者は、ビデオゲーム市場のうまみを知り、後には自社でも開発に乗り出したところが多い。

日本ではタイトーもセガも、PONG のコピーを作っていた。


これにより、それまでは存在していなかった「ビデオゲーム市場」が一気に立ち上がる。



「ビデオゲーム」というのは、PONG を宣伝するために作り出したキャッチコピーだ。

それまでにない、全く新しいタイプのゲームだったから新しい言葉が必要だった。


余談になるが、同じ意味に使われる「テレビゲーム」という言葉は、先に書いたオデッセイで使われている。

だから、この記事の冒頭ではブッシュネルを「ビデオゲームの発明者」と書き、オデッセイは「家庭用のテレビゲーム」と書いた。




ブッシュネルは PONG の類似ゲームをどんどん作る。

特に転機となったのが、一人用の PONG 。


基本的に、PONG は対人対戦ゲームだ。それを、一人でも遊べるようにしたかった。

PONG はテニスゲームだけど、一人で壁打ちテニスを遊ぶようにした。


ただし、ボールが当たるたびに壁が崩れる。崩した壁によって点数が入り、点数を競うゲームにした。


刑務所の囚人が、所内レクリエーションとして壁打ちテニスをするふりをしつつ、壁を壊して脱走を企てる…

そんなストーリーで「BREAK OUT!」(脱獄の意味)と名付けられたゲームは、日本では「ブロック崩し」として知られている。


後には、このブロックを動かしたら面白いだろう、という発想で、タイトーで「スペースインベーダー」が開発されるきっかけになっている。



それはともかく、ATARI が BREAK OUT! を作っているとき、アルバイトを雇って基盤の回路を簡略化させた。

開発時は、とにかく動くことを目指す。でも、大量生産時には、同じ動作を保てるようにしながら少しでも回路を簡略化し、生産コストを下げるのが普通だった。


この仕事を請け負ったのが、後にアップル・コンピューターを創業するスティーブ・ジョブズだ。

ジョブズは、やはりアップルを共同創業するスティーブ・ウォズニアクに仕事を丸投げした。


ウォズニアクは、天才的なセンスを発揮して、回路をものすごく簡略化して見せた。

確かに元の回路と同じ動作はするのだけど、切り詰めすぎて理解が難しい回路になっていた。


生産コストは下がるのだけど、万が一何か問題があったときに修正するのも難しい。

ブッシュネルの注文で、ウォズは不本意ながら回路を「冗長に」作り直さなくてはならなかった。


ジョブズは、この仕事でブッシュネルから 5000ドル受け取っている。

でも、ウォズには嘘をついて 350ドルしか渡していない




ブッシュネルは家庭用ゲーム機を発売しようと考えたけど、そのためにはもっと資金が必要だった。

そこで、ATARI は、ワーナー・コミュニケーションズの傘下に入る。


ブッシュネルは相変わらず社長だったし、この身売りによって億万長者になった。


そして、ゲーム機 ATARI VCS が発売される。大ヒットだった。



しかし、しばらくして ATARI の株が急落する。

VCS が飽きられた、という説もあるけど、これは単に経営上の問題で、まだ VCS は人気だった。


しかし、これが原因でブッシュネルは社長を降板することになり、ATARI を去った。


以降、ATARI は業績が徐々に悪化し、会社は3分割されて売られる。



ATARI の業務用ゲーム部門は、一時期ナムコが所有していましたね。

S.T.U.N. Runner が近所のキャロットハウス(ナムコ直営ゲームセンター)に置いてあって、大好きだった。

ひるいなきスタンランナーズ。コインいっこいれる。ほし20こで あショックウェイブ。




ATARI の子会社も、囲碁用語を取ったものがある。


SENTE 社は、ブッシュネルが始めた子会社。

「先手」から取った。

ゲームのレンタル業だったらしいけど、あまりうまくいかずに廃業。


TENGEN は、ブッシュネル退社後に作られた会社。

囲碁盤の中心を意味する「天元」から取っている。

コンシューマー(家庭用)部門のゲームを作っていた。



ATARI 以外にもブッシュネルはいろいろな仕事をやった。

上に書いた SENTE もそうだけど、ピザ屋を経営したり、コンピューター周辺機器を作ったり。


でも、結局どれもうまくいかず、すべての事業から手を引いた。


今は、各種団体のメンバーに名を連ねていて、自家用ジェット機2台でアメリカ中を飛び回っているけど、自称「忙しい失業者」だ。




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