今日は、世界最初のビデオゲーム、「PONG」が発表された日(1972)。
発表といっても、プロトタイプは8月には完成して、地元のバーに置いてもらっていたそうです。
そこでお客さんに好評だったので量産体制を整え、1972年の今日、正式発表。
ポン以前、ビデオゲーム市場は存在しませんでした。
「テレビゲーム」が存在しなかったわけではなく、市場が存在しなかったのね。
しかし、ポンは大ヒット。それまでピンボールなどを置いていたバー(酒場)を中心に、多くの店がゲームを置きます。
非常に単純なゲームで対戦型だったため、酔っ払いが気軽にお金を出して遊ぶことができました。
ポンの類似ゲームを各社が作り出しますが、ポンの作者であるノーラン・ブッシュネルは特に訴えませんでした。
ポンの売れ行きが良く、生産・販売で忙しく、訴える時間が惜しかったのです。
ポンの販売台数は正確に把握されていませんが、およそ1万台。
コピーゲームを含めると10万台程度売れたとされています。
ポンのコピー商品を作ることで、ビデオゲーム会社が乱立し、流通網も出来上がり、「ビデオゲーム市場」が形成されます。
2年後、ポンの生産は終了します。さすがに市場にポンとその類似商品があふれかえり、売れなくなったのです。
(人気が衰えたわけではなく、お店に置かれた台はまだ人気がありました)
この状況は他社も同じで、それぞれが「次のゲーム機」を工夫して作り始めます。
これによって、多種多様なゲームが生み出されていくことになるのです。
最初に「世界最初のビデオゲーム」と書き、その数行下に「テレビゲームが存在しなかったわけではない」と書きました。
実際、家庭用テレビゲームの元祖である「オデッセイ」は、ポンより先に発売されています。
…それどころか、ポンはオデッセイで遊べたゲームのうち一つを、より面白く作り直したものでした。
それでも、ポンは世界最初のビデオゲームなのです。
なぜなら、「ビデオゲーム」という言葉が、ポンを表現するためにノーラン・ブッシュネルが考案したものだから。
ポンは日本でも発売されているし、コピー品を作っていたメーカーもあるのですが、それほどメジャーな存在にはなり切れていませんでした。
酒場でも遊べるように極度に単純化した「ポン」を、エレメカ中心で複雑な内容が多い日本の遊技場においても、見栄えが悪かったのかと思います。
このため、ビデオゲームという呼称は日本では普及していません。
#日本には、酒場にゲームを置く習慣はありませんでしたし。
遊技場は主に遊園地の一角や観光地の片隅、デパートの屋上などにありましたが、それほど人が来るところではなく、注目度は低いです。
ところで、オデッセイは「テレビゲーム」と銘打っています。
日本では、オデッセイを発売したマグナボックス社の協力の元、エポック社が「テレビテニス」を発売しています(1975)。
これが多くの日本人にとっては最初の「テレビゲーム」となり、テレビゲームという呼称が一般化するのです。
ただ、家庭用としては非常に高価だったため、認識はあっても「遊んだ」ことのある人は多くありません。
そのあと、タイトーが「テーブル型筐体」を開発し、それまで遊技場にしか置かれていなかったテレビゲームを、喫茶店に設置できるようにします(1976)。
当初は、ポンから派生したゲームである「ブロック崩し」が入れられました。
ポンはヒットしなかったけど、これはヒット。
気軽に手の届く範囲にある、ということが大切なのです。遊技場はそれほど人の来る場所ではなかったからね。
欧米での「酒場」に相当する場所が、日本でもやっと見つかった格好です。
この直後、タイトーがブロック崩しと、当時のSF映画ブームをヒントに作り出した「スペースインベーダー」(1978)が大ヒット。
日本でも業務用ゲーム市場が形成されることになります。
ポンは、世界最初のビデオゲームであり、市場を形成した重要な作品でした。
でも、これ以前にもテレビゲームはたくさんある。
興味を持った方は、「世界初のテレビゲーム」も併せてお読みください。
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