世界初の…
目次
BROWN BOX(1968)
BROWN BOX は、サンダース・アソシエイツ社のラルフ・ベア(Ralph H. Baer)によって作られた機械です。
サンダース・アソシエイツ社は軍需企業で、ベアは飛行機に搭載するレーダー部品を設計していました。
1966年8月、ベアはバス停で「つまらないテレビ番組を見るかわりに、自分で映像を表示してゲームができたら面白い」と思いつき、同僚のウィリアム・ハリスン(William H. Harrison)と試作品を作ります。
試作品は、テレビにテストパターンを表示させるための機械を改造して作られています。画面に表示された2つの点を、それぞれ別の人間が動かせる…ただそれだけの装置でした。これで追いかけっこなどをして遊べます。
これを上司に見せると、上司は理解を示し、予算を付けてくれました。ただ、軍需企業の中で「ゲーム」を作ることには理解を示さない幹部もおり、開発を中止しろと言う圧力もあったようです。
1967年1月には、開発にウィリアム・ラッシュ(William T. Rusch)が加わります。彼は MIT で電気電子工学修士を修め、その後いくつかの電子回路の特許を取得していました。
そして、本格的に開発がスタートします。
ラッシュは、アイディアを次々と回路にし、実際に動く試作品を作り上げます。
彼が来る以前は「追いかけっこ」しかなかったゲーム内容は、光線銃が追加されたり、ジョイスティックが作られたり、「プレイヤーが操作しないのに動くオブジェクト」というアイディアがもたらされ、ピンポンゲームが作られたり、急に完成度を高めていきます。
…彼が MIT で作られたいくつかのゲームを知っていたかどうかは不明ですが、おそらく知っていたのでしょうね。
光線銃は TX-0 の「ライトガン」から、ジョイスティックは SPACE WAR! のスイッチボックスから、そして操作しないで動くオブジェクトは、SPACE WAR! の弾から発想されているように思えます。
いくつかの試作品が作られ、7度目の試作は、実際の商品化を意識して作られます。これが「ブラウンボックス」と名付けられた機械でした。
冒頭の画像は、この一部を切り出し、縮小したものです。
BROWN BOX は、基本的には「テレビの上で光の点を動かす装置」であり、ゲームとしての体裁は今ほど整っていません。この道具を使って、どのように遊ぶかはユーザーに任されているのです。
ブラウンボックスは、初めて「ゲーム機を量産する目的で作られたプロトタイプ」でした。そして、「テレビ」受像機を使用する、はじめての「ゲーム機」でした。
そう、ここにやっと「テレビゲーム」が出現したのです。
これが初めて「テレビゲーム」という言葉が使われた記録。
もっと知りたい!
CLASSIC VIDEO GAME STATION ODYSSEY 2001 の BROWN BOX のコーナー
ODYSSEY 2001 は2度目の登場。「ファミコン以前」の家庭用テレビゲーム機関連では、日本では一番詳しいサイトだと思います。
こちらも2度目の登場。冒頭の画像をクリックして見られる画像の左端、試作1号機で使われている「テレビのテストパターン発生器」について書かれています。
ラルフは学校でテレビ表示技術を学んでいたからこの機械を作ることができた…という説明をしているページが多い中で、ラルフ自身はテレビ技術には詳しくなかったことが示されています。
COMPUTER SPACE(1971)
先に書いた SPACE WAR! を見た、ノーラン・ブッシュネル(Nolan Bushnell)は、この面白いゲームを商品化したら一儲けできるのではないか、と考え、開発のために SYZYGY 社を創設します。
SPACE WAR! を遊ぶには、高価なコンピューターが必要でした。そこで、ブッシュネルは、同じことを行う、安価な電子回路を作成します。ディスプレイにも、高価なベクタースキャンではなく、通常のテレビを使用できるようにしました。
これでもまだ、家庭に売り込むには高価すぎるものでしたが、業務用としては問題ない値段で作ることができました。
通常1ゲーム1ペニー(1セント)だったことから、ペニーアーケードと総称された。
現在でも、東京ディズニーランドの「ペニーアーケード」では、20世紀初頭までの(テレビゲームではない)ゲームを楽しむことができる。
(内部は改造され、現代の機械に置き換えられたりしているが、内容は昔のまま。ただし、料金は1ペニーではない。)
SPACE WAR! は二人で対戦するゲームでしたが、COMPUTER SPACE は一人で、コンピューターの動かす敵を撃ち落とすゲームになっています。
1回の制限時間は99秒で、敵を撃ち落とした数と、自分がやられた数が別々にカウントされます。時間終了時に「撃ち落とした数」の方が多い場合は、時間が延長されます。
現代のような「3機やられたら終了」などとはルールが違いますが、勝敗の判定がゲームの一部として組み込まれています。
1つは、ピンボールのように失敗するまで遊べるもの。
もう一つは、一定時間で終了し、その間の点数を競うもの。
COMPUTER SPACE は後者の方式だった。
これが、業務用テレビゲームとして世界初の機械でした。
ナッチング・アソシエーツ社によって1500台が作られましたが、売れたのは500~1000台程度で、再生産には至りませんでした。
売れ残りがあまりに多かったため、ナ社は独自に基盤を改造し、後日「2人用」を作成する。
ナ社はブッシュネルに2人用の販売許可を求めるが、ブッシュネルはこの後挙げる「PONG」で忙しく、2人用の販売はPONG以降の1973年となった。
生産台数は不明だが、大ヒットのPONGの陰に隠れ、350台程度だった模様。
すでに説明していますが、SPACE WAR! は迷路のねずみや、その他の「ゲーム的なもの」を見慣れている人の間で作られたゲームです。しかも、多くの人により改造され、ルールが複雑化されています。
COMPUTER SPACE は、回路設計の面からもルールを単純化してはいますが、まだはじめてテレビゲームに触れる人たちにとっては、難しすぎるゲームでした。結果として、一度は遊んでみた人もルールが理解できず、ヒットゲームとはならなかったのです。
SN09082 23556 / SN10126 00585 / SN10126 00015
SN10462 00011 / SN10482 04430 / SN10487 02721
SN30416 00840 / SN30447 06256 (左の2つは2人用)
このカウンターは、「当時の」遊戯回数とは限らない。転売され、無料で遊べる状態で遊ばれた回数を含んでいるかもしれない。
23556回は特別多いが、これを除くと多くて6256回。11回や15回もある。1回25セントだから、とてもゲーム機の購入値段に見合わないだろう。
もちろん、これらは現代まで壊れず生き残っていた…言い換えれば、遊ばれる回数の特に少なかった機械たちだ。その点を考慮に入れても、COMPUTER SPACE が当時の人々に受け入れられなかったことがよくわかる。
これはヒットする、と確信していたブッシュネルにも、ナッチング・アソシエーツにも、再生産がかからなかった…それどころか、初回ロットを売り切ることができなかったということは「失敗」でした。
しかしこれが、誰でも好きな時に遊べるテレビゲームを発売した世界初の例でした。
もっと知りたい!
COMPUTER SPACE について、おそらく一番詳しいサイトです。(英語)
本文中からもリンクしましたが、2人用が1973年発売で生産台数が350台程度と思われることや、遊ばれた回数のカウンタが写っている画像など、非常に多くの資料があります。
これも、上に書いたサイトの中にあるページです。Windows 用の COMPUTER SPACE シミュレータを、画像すぐ下のリンクでダウンロードできます。
当時のソフトをそのまま動かしている「エミュレータ」ではなく、そっくりに作っている「シミュレータ」です。(回路で実現されていたので、パソコン上でそのまま動かすことはできない。)
画面右下の「START GAME」ボタンでゲームスタート。A S D F で操作。DF で左右に回転、A で攻撃、S で加速。
この項冒頭の画像は、このシミュレータのものですが、キャラクタを全て「点」で表現していることもあり、静止画だと背景の星に埋没して何が何だかわからない…。
そこで、冒頭画像は星の輝度を落とす処理を行っています。実際の画像と雰囲気が変わっているので、ぜひシミュレータを試してみてください。
日本で COMPUTER SPACE の実機を遊びたかったらここへ…って、僕は行ったことありません。
COMPUTER SPACE は黄、ラメ赤、ラメ青の3色の筐体がありましたが、すべてここにあります。さらに2人用(筐体はラメ緑のみ)も。
Wikipedia にはオリジナル(1人用)に緑もあったように書いてあるけど、これは間違い。英語版の方では1人用に白もあったように書いてあるけど、これは映画の小道具用に1台しか作られなかった特別色。
というわけで、高井商会さんは全て持っていることになります。希少品なのにすごいな。
ところで、高井商会さんのとこのマシンは、上に書いてあるページの「生き残っている」リストに入っていないのかな?