今日はチャールズ・バベジの命日(1871年)。
みんなはチャールズ・バベジ卿を当然知っていると思うけど…
あ、知らない。そうですか。まぁ、僕が大好きだからと言って、普通の人は知らないよね。
以下に簡単にまとめます。もっと詳しく知りたい人は、記事中に示されるリンク先を読んでください。
歯車計算機が最先端の機械だった時代に、階差機関という超歯車計算機を作ろうとした人です。
当時の歯車計算機は、四則演算を行うのがやっと。なのに、バベジは平方根や立方根、累乗などの関数を計算させようとした。
しかも、計算結果は自動的に活字を組んで、数表をつくって「印刷」できる。
これで本を出版すれば、間違いが一切ない数表の本が出版できる、と言う寸法です。
当時は船を使った貿易が盛んな時代。
数表を使って観測結果から現在位置を求め、進路を決定します。
ところが数表にミスがあったため船が座礁して、国家予算をつぎ込んだプロジェクトが水の泡…なんて事例が実際にあったのです。
数表の本も、別冊に分厚い正誤表が付いていて、さらにその正誤表に数枚の正誤表が挟まれている…というのが当たり前の時代。
だって、ひたすら数字だけで数百ページ、とかって本ですから。計算ミスもあれば誤植もある。
そして、その小さなミスが命取りで国家予算が水の泡と消える。
バベジは、これをどうにかしようとした熱血漢なのです。
彼は若いころから熱血漢で、イギリスの誇る大天才、アイザック・ニュートンの仕事を否定しようと頑張ったことがあります。
ニュートンの当時、イギリスのニュートンと、ドイツのライプニッツが、同時に微分・積分学を確立します。
ところが、当時はニュートンの方が有名人でした。ライプニッツは「盗作だ」と非難されます。
いまではライプニッツはニュートンと独立に微分・積分学を確立した、と認められています。
それどころか、ニュートンの作った微分・積分学は使用する記号など、記述方法が論理的でなく、他の数式と組み合わせにくい、という問題点を持っていました。
バベジの頃、大陸側の数学者は使いやすいライプニッツ式記述を使用し、イギリスの数学者だけが、「母国の誇り」であるニュートン式記述を使用していました。
そして、この使いにくい記述方法のせいで、イギリスの数学界は大陸側に比べて遅れていました。
バベジは、過去の栄光を守ることで現在の地位を失っている、という馬鹿馬鹿しさに腹を立て、ニュートン式の記述を棄てさせる運動を開始しました。
若気の至りもあったのでしょうが…仲間数人と「ニュートン式は使用しない」ことを決め、過去に書かれた文献などもライプニッツ式に翻訳する活動を開始します。
後に、イギリスでもライプニッツ式の記述が主流になりました。
そして、バベジはかつてニュートンが務めた、イギリス数学界の最高栄誉、「ルーカス教授職」を務めるようになります。
ニュートンの否定をした人がニュートンの後継者となる、というのは皮肉なものです。
ところで、先に階差機関としてリンクしたページは自分が書いたものですが、バベジを変人気味に扱っています。
まぁ、天才と言うのは大抵変人なのも事実ですが、興味を持ってもらいたくて面白おかしく書いているのもあります。
ルーカス教授職、と先ほど書きましたが、バベジやニュートンの他に、近年ではディラック(量子力学を発展させた人)やホーキング博士(「車椅子の物理学者」として知られる)も務めています。
ルーカス教授職は数学界の最高栄誉ですが、量子力学のディラックや、物理学のホーキング博士が入っているように、「数学だけ」を専門とするような人は務まりません。幅広い知識が求められるのです。
バベジも自分の目で確かめなくては気が済まない性格で、高温が生物に与える影響を調べるために高温の部屋に入って火傷したり、火山の詳細を調べるためにガスが噴き出す噴火口に降りて行って死にかけたり、まぁ、エピソードには欠かせない変人でした。
…あ、しまった。また変人扱いしてしまった。
しかし、これも強い好奇心があるからこそ。そして、その好奇心こそが天才のゆえんなのです。
統計学の父としても知られています。郵便料金制度の考案者、近代的生命保険の考案者としても知られています。
統計調査の結果、郵便物を配達する際に一番コストがかかるのは窓口業務と個別宅配業務でした。
特にコストがかかるのは、郵便物を送る距離を調べ、距離に応じた料金を算出する処理。
長距離を送る部分は、多くの郵便物をまとめて運ぶため、コストは微々たるものでした。
…では、距離に応じた料金を算出する部分を無くせば、一番コストが削減できます。そこで、バベジは全国均一料金制を提案したのです。
この方法は、世界中で使用されました。
日本の現在の制度でも、全国均一料金で郵便物が送れるのは、バベジの考案した方法を受け継いでいるためです。
生命保険は16世紀ごろ、大航海時代に生まれたと考えられています。
この頃の船旅は冒険で、出発した船が戻らないことも多く、「次に出航する船は帰ってこれるかどうか」が賭け事の対象になっていました。
そこで、船員は「自分の船が帰ってこない」方に財産をかけ、受取人を家族にすることがありました。もちろん自分が死ぬことを望んではいませんが、万が一自分が死んだ場合は、家族に財産を残すことができます。
また、問題なく自分が帰ってくれば、冒険に成功して金持ちになれるでしょうから、多少の掛け捨て金は惜しくないのです。
…これは生命保険のはじまりとされる一説にすぎませんが、実際ありそうな話です。
そして、バベジの時代まで、生命保険と言うのは「賭け事」にすぎませんでした。
バベジは、統計によって年齢ごとに残り寿命がどの程度であるかを予測する表(生命表)をつくり、掛け金と死亡リスクのバランスをとるための、年齢ごとの掛け金を算出しました。
これによって、生命保険は驚くほどの発展を遂げました。
一か八かの賭け事ではなくなり、多くの人が許容できるコスト(掛け金)で、安心を手に入れられるようにしたのです。
さて、話を階差機関に戻しましょう。
彼が考えた「ややこしい関数を自動的に計算し、印刷までしてくれる機械」は、荒唐無稽なものではありませんでした。
バベジは天才です。ちゃんと自分で設計図面(論理的な図面で、工作のための設計ではないです)を引き、理論上間違いなく動作することを確認して実際の作成にかかっています。
しかし、理論上動作することと、それを作れることは違いました。
当時はまだ、何かを作成するときはネジから手作りしていた時代。
バベジの構想が大きすぎるので、やとわれた職人は「ネジの規格化」から始める必要がありました。
とにかくネジが大量に必要なので、一定の規格を決めて大量生産することにしたのです。
このような「工業の規格化」は現在では当たり前ですが、世界初の概念でした。
その作業を行ったのはやとわれた職人ですが、バベジの影響でもあります。
で、そんなことやっている間に、バベジは階差機関に飽きます(笑)
というか、「もっといいアイディアを思いついた! 仕様を変更する!」と言う状態。階差機関は完成しないまま頓挫しました。
そのアイディアが、解析機関。
よく、階差機関を「歯車でできたコンピューター」と表現する人がいるのですが、階差機関はただの計算機だからね。
バベジを「コンピューターの父」と呼ばしめているのは、この解析機関の方。
階差機関は、ただひたすら計算を行い続ける装置でした。
しかし、解析機関には「アルゴリズム」が導入されました。一定の計算手順に従って、計算を続けるのです。
アルゴリズムはパンチカードで指定されました。これがいわば「プログラム」。
プログラムが可能な計算機になって、はじめて「コンピューター」と呼ばれるわけです。
しかし、階差機関も作れない段階で、解析機関は無理難題でした。
階差機関は国家予算を使って作られていましたが、その完成も見ずに投げ出してしまったバベジに対し、新たな予算も降りるわけがありません。
階差機関は、近年になって設計を元に作成され、実際に動くことが確かめられました。
しかし、解析機関は、いまでも夢想された機械のままです。
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