2017年03月01日の日記です


エドウィン・ハーバード・ランド 命日(1991)  2017-03-01 14:04:34  今日は何の日

今日は、エドウィン・ハーバード・ランドの命日(1991)


ポラロイド社の創業者です。


ポラロイド(偏光板)の科学的合成法を開発したことから、会社名もポラロイドでした。

偏光板は、世界を変える大発明でした。あまりに当たり前になりすぎて、身の回りにたくさん使われているのに気づかない人が多いくらい。


このあたりの話は、誕生日の際に書いた記事を参照してください。


そして、ランドはもう一つの大発明を行います。

それが、会社名から一般名詞化してしまった「ポラロイド」…つまり、インスタントカメラです。




今となっては、昔のカメラの原理から説明する必要があるでしょうね。


今ではカメラと言えば、デジタルカメラ。

CCD イメージセンサや CMOS イメージセンサと呼ばれる素子を使い、光を電気信号に変え、デジタルに変換して撮影します。


電気信号なので、撮影してすぐにみられるのが特徴。



でも、こんなカメラは 1994年に発売された QV-10 以降の話です。

それ以前のカメラは、全く違う原理で撮影されていました。




中学で習う「元素周期表」をどのくらいの方が覚えているでしょう?

「水兵リーベ 僕の船…」ってやつ。H He Li Be B C N O F Ne ですね。


周期表では、横方向に順次「重さが少し違う」元素が並び、縦方向には「性質が似ている」元素が並びます。


そこで、先ほど最後から2番目に書いた F の下に縦に並ぶ元素を「ハロゲン族」と呼びます。

非常に反応性が高く、ほかの元素とよくくっつきます。


くっついたものは「化合物」と呼ばれるのですが、「塩」(「しお」ではなく「えん」)と呼ばれることもあります。



さて、銀とハロゲン族がくっつくと「ハロゲン化銀」、または「銀塩」と呼ばれるものになります。

昔のカメラは、この銀塩の性質を使って撮影を行っていました。


そのため、いまでは「銀塩カメラ」と呼ばれます。


#当時としてはこれが当たり前なので、普通に「カメラ」と呼んでました。



銀塩は不安定な物質で、光に当てると分解してしまい、「金属としての銀」に変わってしまう性質があります。


ただし、こうしてできる銀はほんのわずかで、ほとんどの部分は変わりません。

ほんのわずかしか変わらないので、変わった部分を目で見ることもできません。


その後、「現像液」と呼ばれる薬品に浸けることで、強制的に銀塩を分解します。

この際、金属銀は触媒として働くため、すでに金属銀がある部分は早く分解が進み、分解によって金属銀ができるため、反応が加速していきます。


(現像液の組成や、化学変化の詳細は、使用する銀塩によっても異なります)



成長した銀結晶は、十分に肉眼で見ることができるようになり、いわゆる「写真」として機能します。

ただし、そのままでは成長し続け、やがては全体が真っ黒になってしまいます。


そこで、頃合いを見て「停止」します。

現像液は一般にアルカリ性なので、酸性の液に浸けることで、この反応を止めるのです。



しかし、このままでは銀塩が全体に残っています。

光に当て続ければ、徐々に黒ずんでいってしまうでしょう。


そこで、最後に、金属化した銀はそのままに、銀塩だけを溶かす「定着液」と呼ばれる薬品に浸けます。

銀塩がなくなってしまえば、もう光に対して反応することは無くなり、気軽に写真を見ることができます。


仕上げとして、水で薬品をすべて洗い流し、乾燥すれば写真の出来上がりです。



これらの作業は、光の入らない「暗室」で行う必要があります。




以上、これが銀塩写真の「現像工程」でした。

町の写真屋さんにフィルムを持ち込めば、2~3日で現像してもらえました。


実際には、フィルムを現像すると、色が反転した「ネガフィルム」が得られます。

このネガフィルム越しの光を「印画紙」に当てると、再び色が反転して「ポジ写真」が得られます。

この工程を焼き付けと言います。


つまり、「写真現像」とは、フィルム現像後、24枚程度の写真に対して焼き付けを行い、その24枚の現像工程を行うのです。

時間がかかるのも当然の作業でした。



デジカメが現れる直前…1980年代後半から90年代前半には、自動的に現像工程を行う機械を使用し、55分、さらには 23分で全工程を終了する、なんて店もありました。


しかし、どんなに高速化しても 30分程度はかかってしまうのです。

化学変化によって写真を作成している以上、反応時間を待つ必要はあるための限界でした。




もっとも、別の手段による「高速化」は、1950年代には作られていました。


フィルムを現像し、できたフィルムから印画紙に焼き付けを行い、この印画紙を現像し…というのは、さすがに工程が多すぎて遅いのです。


フィルムを使わず、最初から「印画紙」に当たるものに撮影を行っていれば…

こうして作られたのが、Photomat 、日本ではデビッド・ローゼンにより改良されて「2分写真」と呼ばれたものです。


とはいえ、「2分」は少し誇張した言い方で、実際に出来上がるのは撮影後3分くらいしてから。

しかも、最後の「乾燥」工程は入らず、湿った状態で出てきました。



写真をすぐに手に取りたい、という要求は、19世紀末にはすでにあり、1883年には同じような機械がすでにあったようです

5分程度で写真が出てきましたが、「人が写っていると認識できない場合もある」程度のものだったようです。


後の「2分写真」でも、結局は機械の中に暗室があり、自動で現像を行っているだけ。

現像を行える「暗室」が無くては、写真は見られません。


ともかく、写真をすぐに見たいという需要はあれど、なかなかそれに応える技術が無かったのです。


#一般には、フィルムに塗られている感光剤は光が当たったところが黒くなります。

 これは色が逆なので、もう一度反転するために焼き付けを行う必要があります。


 しかし、光が当たったところが白くなる感光剤もあり、この場合「印画紙」に直接撮影できるのです。




ランドは、娘から「何で写真はすぐに見られないの?」と聞かれ、すぐにみられるカメラを作ろうと決意します。


…そして、出来上がったのが 1947年に発表する「インスタントカメラ」です。


通常のカメラはフィルムを入れるだけですが、インスタントカメラでは最終的に写真となる「印画紙」を入れます。

ただし、この印画紙自体も特殊なもの。


実は、印画紙とフィルムが2枚張り付いて密着する構造になっています。

さらに、印画紙の端にはカプセルがついていて、現像液が入っている。



撮影すると、まずはフィルム側に光が当たります。

その後、カメラから出てくる際には、ローラーで圧着する形で、フィルムと印画紙が張り合わされます。


この圧着の際に、端のカプセルが潰され、現像液がフィルムと印画紙の間に浸透します。

ちなみに、フィルム自体は不透明なもので作られていて、現像中のフィルムと印画紙を光から守るようになっています。


さて、普通の写真と違うのはここからです。


フィルム側の「ネガ」が現像されると、光の当たった部分の銀塩は金属銀に変わります。

一方で、光の当たっていない部分は、銀塩のままです。


印画紙側には、あらかじめ「目に見えないほど細かな金属銀の粒子」が塗られています。

フィルム側で、光に当たらなかった部分の銀塩は現像液に溶けて印画紙側に移り、金属銀の粒子を触媒として分解が進んでいきます。


このため、印画紙側では「光の当たらなかったところ」が黒く表現される、ポジ写真が出来上がります。


撮影後、1分ほど待って、フィルムと印画紙を引きはがすと出来上がり。

フィルムから印画紙に銀塩が移行する反応が止まるため、「停止液」が無くても、現像はそこでストップします。


元々印画紙側に銀塩はないため、「定着液」で銀塩を取り去る必要もありません。


非常に巧妙なしくみです。



さらに巧妙なのが、この現像工程の「化学」について、特許書面(米特許番号2435720)に一切書いてないんですね。

インスタントカメラの構造と、印画紙の現像液カプセルが破れて現像される、ということしか書かれていない。


特許書面って、公開されるものです。

公開されるからこそ、他の人が「真似しちゃいけない」と知ることができる。


インスタントカメラの仕組み上、「カプセルから現像液が出る」とかは、避けられない構造です。

だから、ここを特許書面に書けば同じようなカメラを発売できない。


でも、一番重要な化学反応は隠してあるわけです。

特許で縛り、さらに重要な秘密は一切公開しないことで真似を防ぐ。


ランドは、「技術」の価値を本当によくわかっていたのだと思います。




後には、インスタントカメラは、コダックや富士フィルムからも発売になっていました。

特許って、最大で 20年しか権利主張できないからね。


しかし、その20年で、インスタントカメラのことを「ポラロイド」と呼ぶように、一般名詞化してしまった。

他社が作っても、みんな「ポラロイドカメラ」と呼んでいました。


それくらい、当時のポラロイドのインパクトは強かったのです。



一方で、通常のカメラに比べると、専用本体に専用フィルムが必要なので、割高でした。


その上、通常のカメラでは「フィルム」から「印画紙」にコピーする仕組みのため、同じ写真を何枚でも作れます。

ポラロイドカメラでは、原理上これができません。


初期投資もランニングコストも高く、コピーできないという致命的な問題がある。

その代わりに「撮ったその場で見られる」という、他には変えられないメリットがある。



…つまりは、カメラでありながら、カメラとは全く違うものだったのだと思います。

家族旅行の記念写真を撮るようなものではない。


工事現場で報告書に現場写真を添付したり、パーティ会場なんかで貸し出していたり、「仕事で所有する」ものが多かったのではないかと思います。




ポラロイド社は、創業者のランドが 1991年 3月 1日に亡くなるまでは、順調な大会社でした。


しかし、1990年前後から、先に書いた「1時間現像」の自動機械によるサービスや、特許切れによる他社のインスタントカメラへの参入、さらに、1994年にはデジカメが登場します。


写真の世界に、相次いで激変が起こったのです。

「撮ってすぐ見られる」というポラロイドカメラの優位性は、あっという間に失われました。



ポラロイドでもデジカメの開発などを行いますが、これは多くのカメラメーカーとの戦いになります。

今まで独自の路線を取っており、競争に慣れていないポラロイドは、魅力のあるデジカメを作ることはできませんでした。


時代に完全に乗り遅れ、2001年の10月に経営破綻。


しかし、一時代を作り上げた「ポラロイド」の名前は強かった。

他の会社に買収され、子会社になりながらもポラロイドは生き残ります。


…が、その親会社は、有名な商標を使って荒稼ぎをしようとしただけでした。

ポラロイド社は事業から次々と撤退し、部門ごとに切り売りされ、2008年12月に2度目の経営破綻。




その後、2度目の買収が行われ、まだ「ポラロイド」は存続しています。


現状のメイン商品は、まず、特殊な用紙による写真プリンタ。

用紙側に特殊なインクをしみこませてあり、プリンタはその色を引き出す処理だけを行うため、非常に小型です。


そして、このプリンタを内蔵したデジカメ。

取ってすぐ「紙の」写真を見られる。

デジタル時代のポラロイドカメラ、という風情があります。


…でも、ディスプレイは付いてないのね。

見たければ印刷しないといけないし、友達相手ならデジタルデータでシェアしたほうが喜ばれそう。


「普段使い」にはやっぱり適さなくて、パーティグッズのような方向性になっています。

悪く言えば、好きものでないと買わない。


これもまた、ポラロイドらしさなのかもしれません。




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