2013年09月25日の日記です


シーボルト国外追放の日(1829)  2013-09-25 10:56:38  歯車 今日は何の日

今日はシーボルトが国外追放になった日。


知ってる人は知っている事件ですね。


長崎の出島に暮らしていたオランダ人医師、シーボルトが帰国しようとした際、船が座礁してしまい、事故の検分の中でシーボルトが「国外への持ち出し禁制品」を多数持ち出そうとしていたことが発覚します。

シーボルトはスパイの容疑がかかり検分を受けますが、その後国外追放となります。


1829年の今日が、その追放が決定された日。




しばらく前から始めた「今日は何の日」では、主にパソコンの歴史を扱ってきましたが、僕は歯車や古いガジェットも好きなのです。「当時の最新技術」が好きだと言ってもいいかな。


その関係もあり、伊能忠敬の話も好きです。

小学校の時に、尊敬する人はだれか尋ねられたら伊能忠敬と答えていたくらい。


#旧友がスポーツ選手や歌手の名前を挙げるのに対し、「好きだというのと尊敬は違う」と思い、歴史上の人物に答えを求めた結果です。

 実のところ、小学生の時は伊能忠敬の業績を正しく理解しておらず、理解できたのは大学生以降。



…話が飛びすぎて理解できませんね。すみません。


伊能忠敬は、江戸時代の末期に日本地図を作製した人です。

日本人は、太閤検地をできる程度には昔から測量技術を持っていました。でも、江戸末期に至るまで、日本の正確な地図は作られていませんでした。


理由はいくつかあります。

まず、田畑を測るのと違い、日本全国となると規模が膨大過ぎること。


昔は藩単位で地図を作ることはありましたが、あまり正確過ぎると他藩が攻め入る際の参考になるかもしれません。

地図が不正確でも、そこに暮らしている自分たちは詳細情報を知っています。

このため、「わざと」不正確にしていた、という理由もあります。


藩の思惑とは関係のない幕府が地図を作ろうにも、上記理由により藩から協力を拒まれることもあり、地図は作成できませんでした。


伊能忠敬は江戸時代の末期に地図を作ります。

明治の開国まではまだ間がありますが、幕府は諸外国が力をつけており、日本も外国からの侵略に備えなくてはならないことをわかっていました。


そこで、伊能忠敬が大役を仰せ使うのです。

忠敬たちは、他藩に警戒されないよう少人数で全国を回り、国防上必要だが、各藩の秘密には触れにくい「海岸線」だけを精密に測量します。


詳細は割愛しますが、この測量の際に、「当時の最先端ハイテク機器」と、「絶対に間違いの起こりえない原始的な方法」の両方を駆使しているのですね。

最新技術と枯れた技術を同時に使って信頼性を担保する、と言うやり方が非常に好きです。

(先に歯車好き、と書いたのはこのあたりのガジェットのことです)


ところで、弟子の一人が間宮林蔵です。彼は蝦夷地(現在の北海道)を測量してまわり、当時半島だと思われていた樺太が、島であることを「発見」しました。

今でも日本では樺太と大陸の間の海を「間宮海峡」と呼んでいます。


弟子たちが手分けして全国を回ったこともあり、日本全図は完成します。

この「伊能図」は驚くほど正確で、今の地図とほとんど変わりません。


#全く余談ですが、80年代のパソコンPC-8801用に「まみりん」というソフトがありました。

 2DのRPGを自作できるソフトで、後の「RPGツクール」に発展するソフトです。

 この「まみりん」は間宮林蔵のこと

 RPG作成ソフトなので「地図を作る」ことにくわえ、当時の蝦夷地が未開の地で「冒険する」必要があったため、間宮林蔵の名が付いたのです。




今日は伊能忠敬の話ではありませんでした (^^;

シーボルトが持ち出そうとした禁制品のなかに、伊能図の写しがあるのです。


先に書いたように、地図は攻め込む相手にとっては非常に重要な情報。

だからこそ幕府は持ち出し禁制品としていましたし、シーボルトはスパイの嫌疑をかけられて厳しく取り調べを受けることになります。



ところで、最初に「シーボルトが帰国しようとした際、船が座礁してしまい」と書きましたが、これは一般に信じられている話。事実は違うようです。(僕も、今調べていて知りました(笑))


間宮林蔵は蝦夷地の測量をしただけでなく、植物標本を採取して帰っています。

シーボルトは、帰国の土産としてこの標本が欲しかったようで、林蔵に贈り物をしています。


しかし、当時は異国人との付き合いは政府に許可がいる時代。林蔵は、この贈り物をもらってよいものかどうか、開封する前に幕府に届け出ます。


幕府が開封すると、シーボルトからの書簡と贈り物の布が入っており、書簡には、高橋景保がシーボルトに伊能図の写しを許可した、と言うことが書かれていました。


景保は伊能忠敬を援助し、伊能図完成に尽力した人物です。

彼は地図の完成を急ぐために樺太近辺の情報が載った書籍をシーボルトにもらい、そのお礼として伊能図を写す許可を与えていました。



これにより高橋景保は投獄され獄死、シーボルトも取り調べを受け、国外追放になったわけです。


#ちなみに、シーボルトはオランダ人を名乗って出島に暮らしましたが、実はドイツ人。

 当時の幕府は、オランダ人以外の異国人が日本に暮らすことを許していなかった。


間宮林蔵を描いた4ページ漫画。

 調査中に見つけて、上手くまとまっているのに感心したのだけど、話のネタバレなので最後に紹介(笑)




ところで、シーボルトの写した伊能図は、江戸近郊の海岸線の形がおかしいそうです。


これは、日本人の測量技術の精度を疑ったシーボルトが、独自に測量を行って描き変えたため。

自分の技術の方が正しい、と信じたのでしょうが、現在では伊能図の方が正確であったとわかっています。


シーボルトは医者であり、植物学者であり、博物学者でした。

当時の日本の資料を多数持ち出そうとしたのもそのため。


スパイ嫌疑が事実だったのかどうかは、すでに誰にもわかりませんが、僕は単に学者の好奇心だったのではないかと思っています。

(もっとも、シーボルトがスパイでなくとも、地図情報が外に持ち出されるのは安全保障上問題があります。この点は禁制品としていた幕府の意図は十分理解できます)


シーボルトは日本で見つけた美しい草、あじさいを「おたくさ」として海外に紹介しています。

後に日本の植物学者、牧野富太郎は、あじさいを「おたくさ」と呼ぶ地方は日本のどこにもないことを示し、これはシーボルトが日本で妻としていた「お滝さん」の名前を取ったのだろうと推測します。


シーボルトはおたくさを学名として付けましたが、日本のあじさいがヨーロッパのハイドランジアの近縁種と判ったため、現在では学名として残っていません。




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