2015年03月24日の日記です

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03-24 山猫料理店
03-24 ぎーちさんにお会いした


山猫料理店  2015-03-24 16:53:20  料理

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大船近郊に住んでいると、当然ながら大船のレストランにはそれほど入らない。

遠出した時なら何も考えずにレストランに入るのだけど、大船だったら「家帰って食べるか」となってしまうから。


でも、時々来客があった時に、おいしいお店には案内したい。


こういう時に使うお店は、大体二つある。


食事しながら話をしましょう、という時には、バロッコ

おいしくて落ち着いたイタリアレストラン。


店内にはアンティークのおもちゃなどが置かれていて楽しい。

誕生日の人は、誕生日だと告げるとオルガニートでお祝いしてくれる。


ちょっとコーヒーでも飲みながら、という時は、バナナフィッシュカフェ

地下にあるお店で、大きな水槽でアロワナが飼われているのが目を引く。


店内は広くないが、ゆったりとした雰囲気になれる空間。

もちろんコーヒーもおいしい。




お昼時にちょっとした来客があり、バロッコに案内しようと思った。

そしたら、今日火曜日は定休日だった。


ありゃー、他に昼ご飯食べられるいい店あったかな。

昔ならバレンシアに案内したのだけど、あの店は数年前にビルの建て替えに伴って、惜しまれつつ閉店してしまった。(本店が鎌倉にある美味しいお店)


むむむ、他にいい店は無いか…


ネットで探したら、「山猫料理店」を見つけた。

あぁ、そうだ。あの店、気になっていて行ってみたかったんだ。


ネット上での評判はいいらしい。よし、良い機会だから新規開拓だ。行ってみよう。




山猫料理店は、別に山猫を食べさせる店ではない。

…って冗談(?)は、ネット上では半ば常套句になっているようだ。


動物病院のすぐ隣にあって「山猫料理店」という名前だから、怪しさ倍増ですね。



「山猫」で「料理店」と言っているのだから、宮沢賢治ですよ。

「注文の多い料理店」という有名な童話の舞台は「山猫軒」と名乗る料理店だ。


山猫料理店は、小さいけどアットホームな雰囲気の定食屋さんで、メニューはわずかしかない。

「山猫御膳」1000円がお勧めらしいので、それを食べる。



お客様があった都合上、写真なんかは取っていない。

天ぷらとローストビーフ、お味噌汁に煮物、ひじき、そしてごはん。

微妙に和洋折衷なのだけど、非常においしい。



お客さんと話をするので長居すると申し訳ないかな、とも思っていたのだけど、来ているお客さんの多くが、ゆったりとおしゃべりの時間を楽しんでいたみたい。

小さな店だけど、席数はそれなりにありました。


店内の稠度もかわいらしい。ちょっと古風で、ちょっとおしゃれで、童話の世界に浸っている感じ。


うん、なかなかいいお店。

バロッコも好きなのだけど、こちらのお店もこれから時々こよう。


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ぎーちさんにお会いした  2015-03-24 16:54:29  コンピュータ 業界記

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そんなわけで、はじめて入る山猫料理店で、ぎーちさんとお会いしてきました。


僕の意識としては「MSXマガジンのぎーちさん」です。

高校生の時に読んでいたら、ぎーちさんの4コマ漫画がよく載っていました。


だから年上の方だと思っていたら同じ歳でした。

当時のあれは、投稿だったのですね。


現在はテレビゲーム関連のフリーライターをしておられる。



何でそんな人と会って話をすることになったのだろう…





まずは、ぎーちさんのこちらのツイート。

話の流れを説明しないと、いきなりわからないかもね。


マイコンBASICマガジン、というのは、その昔存在した伝説の雑誌。

…いや、伝説とかいうと持ち上げすぎだし、全然説明になっていない。


パソコン黎明期は、パソコンと言う機械を買ってきて(もしくは部品のセットを組み立てて)、自分でプログラムして使うのが当たり前だった。

「ラジオの製作」という、名前の通り電子部品の組み立て趣味の人向けの雑誌でも、パソコンの記事がたびたび載っていた。


でも、電子回路がわかる、というのと、プログラムがわかる、というのは別問題だ。

コンピューターを手に入れたはいいが、どう使っていいかわからない、という人々が多数いた。


そこで、ラジオの製作では、プログラムの投稿を受け付けた。

パソコンを役立てられるプログラムを掲載すれば、「どうしていいか分からない」人たちに道を示せる。


これが大人気で、本誌には乗せられないほどのプログラムが来て、別冊として「マイコンBASICマガジン」が発売され、やがて独立した雑誌となっていく。



これ、アメリカのパソコン黎明期の、「PCC」「DDJ」と全く同じ構図だ。

ピープルズ・コンピューター・カンパニー(PCC)は、パソコンを自作する人たち向けの会報だった。

やがてプログラムが投稿され、1度だけ別冊で「ドクター・ドブズ・ジャーナル」(DDJ)が発行され、定期刊行化されていく…




マイコンBASICマガジン(以下ベーマガ)以外にも、プログラムを掲載する雑誌はあった。

それらの雑誌では、レベルの高いプログラム…時には市販ゲームのプログラムを掲載した。


ベーマガはそれらとは一線を画した編集方針を取った。

ベーマガのプログラムは、すべて素人が作ったもので、レベルも低く、非常に短かった。


荒削りで短い、というのは「改良の余地がいくらでもある」ということだ。

改良版、移植版、元ネタからインスピレーションを受けた別のゲーム、など次々投稿された。


当時のパソコンは、とにかくいろんな会社から出ていて、互換性がなかった。

ベーマガではありとあらゆる機種のプログラムを載せていて、50機種以上あったのではないだろうか。


とはいえ、基本的にどの機種も「BASIC」言語を搭載している。

文法やハードウェア性能などに違いはあるけど、根本的には似ている。

移植のテクニックなどを教える記事もあり、他にも機械語入門、ゲームを作るうえでのアルゴリズムの考え方など、様々な解説記事もあった。


「すごいプログラムに触れ、真似てみる」ことも奨励されている節があった。

そのため、普段見る機会の少ない海外のゲームの紹介記事や、業務用ゲームの紹介・攻略などの記事もあった。


ある時、「ゲームスタジオ」を解答陣に迎えた、ゲームプログラミング講座のページができた。


ゲームスタジオって、ゼビウス作った遠藤雅伸さんを中心として独立したゲーム作成会社ね。

素人が「こういう処理どうやんの?」とか、「ドット絵を動かすコツ教えて」とか質問したことに、プロが丁重に答えてくれる。


同じころ、誌上公開質問状、というページも出来た。

パソコンメーカーの営業や開発者に、疑問や質問を直接ぶつけられる。



プログラムの初歩から、プロが教えるコツまで。とにかく幅の広い雑誌だった。

もちろん、読者投稿コーナーもある。プログラムも投稿で成り立っているけど、漫画、イラスト、ネタ、なんでもこいだった。


充実したベーマガはもちろん大人気で、1980年代中盤から後半にかけ、黄金期を迎えたように思う。




さて、そんなベーマガも、今は休刊した。

休刊、というのは雑誌業界の方便で、「休んでいる」わけではない。休刊と言った場合、事実上は廃刊だ。


#廃刊にすると、雑誌発行に必要な ISBN コードというものを返却しなくてはならない。

 いろんな都合でこのコードを取得するのは大変なので、「休んでいるだけ」ということにして保持し、別の雑誌に使ったりする。


ところが、休刊したベーマガが復活するという。

いきなり雑誌になるのではなく、別の雑誌の1コーナーとして、だけど。



最近、電子工作がまた復権している。

ハードよりソフトの時代になり、電子工作を行う人は一旦減った。


しかし、現在では昔より高性能の部品が増え、簡単な工作で新しいものを作り出せる。

ハードとソフトは別の物ではなくなり、電子工作の一部としてのプログラム、もあり得るし、プログラムの一部としての電子工作もあり得る。


その昔、「ラジオの製作」で、自作したパソコンのプログラムを掲載し始めた時と状況は似ている。


海外に Raspberry Pi という電子工作キットがある。

非常に小さな基板だが、Linux を動作させられる。I/O ポートなどむき出しなので、LED やセンサーを繋いで、プログラムして遊べる。


同じような環境を、日本人が作りだした。 IchigoJam という。

Linux は実のところ初心者向けではない、という思想で、BASIC を搭載している。


同様に、Nintendo 3DS に「プチコン」というアプリケーションがある。


「初心者でも扱える言語」として BASIC を扱える。

こちらの BASIC は非常に強力で、3DS の機能をガシガシ扱えるし、即時コンパイル実行なので非常に高速に動く。


そして、先に書いたように、「電子工作マガジン」のコーナーとして、ベーマガが復活した。

まずは IchigoJam から、となっているが、プログラムの投稿を受け付けている。



さて、もう一度先ほどの、ぎーちさんのツイートを振り返ろう。



上に書いたように、ベーマガも復活し、「プログラムを作る」ことが再びブームの兆しを見せる中、ベーマガの投稿者の話を聞いてみたい、とのことだった。


僕はこのツイートに返信…はせずに、リツイートして自分のつぶやきとしてこう書いた。



ツイートに「お呼びでない」と書いた通り、冗談だったつもり。僕は常連ではなかったからね。


ベーマガ常連だった「Bug太郎」さんとか、アスキーから2005年に発行された PC-8001・6001 の懐古本にインタビュー載ってたね。

そういう記事を書きたいのだと思っていた。



…で、なぜか常連でもない僕が、今日ぎーちさんと会ってお話してきたわけです (^^;;




ぎーちさんは本当に「投稿者の話を聞きたかった」だけだそうです。


ぎーちさん自身、何度か載った投稿者で、他の人が自分と同じ気持ちで投稿をしていたのか、それとも違ったのか…などを確かめたかっただけだそうで。


僕もゲームプログラマーだった人間で、ぎーちさんもゲーム関連のフリーライターしている。

だから、サンプルとしては偏っているかもしれない。


それに、ベーマガの話とはどんどん脱線しつつ、いろいろと楽しい話をしてきました。


話が楽しかったので、サイン貰おうとぎーちさんの漫画が載っているMSXマガジン永久保存版3を持っていったのに、サイン貰い忘れました (^^;




自分でも半ば忘れていたような話も、人に話していると思い出したりするもんです。


ベーマガ投稿などの話は、いわゆる「ゲーム業界記」ではないのだけど、すでにゲーム業界記と言いつつ自分の昔話になっているので、今後少しづつ書き留めていこうかと思います。



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