2015年07月10日の日記です

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07-10 ファイナルアーチ
07-10 ニコラ・テスラ 誕生日(1856)


ファイナルアーチ  2015-07-10 12:29:09  業界記

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さて、そろそろ昔話を再開しよう。


1995年の夏、ST-V用のゲーム、「ファイナルアーチ」がリリースされました。

自分では正確な日付は覚えていないのですが、ネットの情報では6月~7月発売ということになっているようです。

なので、そろそろ 20年たったことになる。



一応「ファイナルアーチ」を説明しておくと、世界初のポリゴン3D野球ゲームです。

それほどヒットしたわけではないので、知らない人の方が多いでしょう。


あまり動画が無いようですが…手相は1本も動画が無かったのに、1つアップされていたのに感謝。


でも、動画アップしてくれた人、はじめてプレイしたようで上手ではない。

というか、説明書もないしジョイスティックの調子悪いそうで、ずっとぼやき続けているだけで、失礼ながら見ていても特に面白くない。


一応、「世界初のポリゴンゲーム」ということは、従来のゲームの延長から抜け出せていない、ということでもあります。

ファミスタなんかと同じく、ボールを見るのではなく「ボールの影」を見て位置を把握し、バットを振らなくてはならないのですが、理解していただけていない御様子。




さて、以前書いたように、僕は2月ごろまで「手相占いちょっとみせて」を作ってました。


当時は、AM1研はゲームを作るごとにチーム編成していました。

手相のチームは、役目を終わって解散。

すぐには次の仕事も決まらず、主にテストプレイなどの雑用仕事していたと思います。


次に入ったのは、先日まで「The J League 1994」を作っていたチーム。

今度は ST-V で野球ゲームを作っているけど、人手が足りないので入って、とのことでした。



その前に作った Jリーグは、それほど売れませんでした。


日本でサッカーのプロリーグができて盛り上がっているから、とゲームを作ったものの、新し物好きで、人と一緒に騒ぐのが好きな人が盛り上がっているだけだった。

ゲームセンターに来る、一人で遊ぶ方が好きな人には全くウケません。


店舗からは、暇つぶしに来るサラリーマンのために、サッカーよりも野球の方が受け入れられる、という意見。

じゃぁ、誰か野球作れ、という上層部判断で、サッカーを作ったチームが引き受けることになったのです。




でも、サッカー作ったチームの人たち、それほどスポーツに詳しくない。

というか、チームスポーツが得意なプログラマーって、それほど多いと思えない。


#黙々と山登りが好きな人、とかはそこそこいるのですが。僕も結構そうだし。


サッカーも企画の人が一生懸命ルールとか調べながら作ったのですが、野球もよくわからない。


詳しく知らないのですが、どうも企画の人は野球好きな人に変わったみたい。

と言っても、野球のテレビ中継が好き、という程度で、元野球部だったとかいう話ではない。


後の話になるけど、モーションデータ作っていて、重要な点を見落としていても気づかない程度。


それは上層部から仕事を請け負って来た部長も同じで、「野球もサッカーも似たようなもんだから、メインルーチン流用で作れるだろ?」発言だったようです。

そういわれてメインプログラマーの人も納得してしまったのですが、全然違って1から作り直しだった、と後でぼやいていました。




それはさておき、リクエストは「野球ゲーム」だったのですが、ただ作るのでは面白くない。

時代的に、作るなら ST-V 用でしたし、ポリゴン出るハードなのだから(と、この頃はまだ思われてました)、3Dで作れ、となったのです。


着想としては単純。でも作るとなると大違い。


1研では人型ポリゴンなんて動かしたことありませんでした。

どうやって動かせばいいの? というところから始まります。


ややこしいプログラム作っている時間もないし、アニメーションの頂点データ全部持ってしまって、それらを読み出しながら再生しよう…なんてことも行われたようです。

でも、あっという間に膨大なデータ量になる、と判明して取りやめ。


結局、AM2研で開発途中だった、SGL の非常に初期のバージョンを使わせてもらえることになります。

そして、やっと画面の上でポリゴンの人が投球動作を始めた…というところで、僕が投入されました。


ポリゴンになると、今までのゲームとデータ量が桁違いになってきます。

データ整理だけで一苦労なので、誰か新人頂戴、とリクエストされたようで、そこに僕が手が空いたし、手相占いで「データ整理が速い」と言われていたので投入された、という経緯だったようです。





この話、長くなるので何回かに分けます。

のんびりと書いていく予定。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

ニコラ・テスラ 誕生日(1856)  2015-07-10 16:24:39  歯車 今日は何の日

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ニコラ・テスラ…名前は有名なのですが、何をした人かさっぱりわからん、という人も多いでしょう。


え? それ以前に名前も知らなかった?

電気自動車会社で有名なテスラ・モーターズとか、磁石の強さ(磁束密度)の単位「テスラ」とかに名前を残すのですが…


テスラ・モーターズは名前を貰っただけで関係ないし、磁石の強さの単位としては、一般的に「ガウス」が用いられます。

(10ガウス=1ミリテスラ)




この人、すごい発明しているのに不遇なのです。

まず、交流電流。これが彼の最大の発明。


交流発電機で電気を起こし、変圧器を使って送電し、交流モーターを動かせます。

また、交流は放電に向いているので、蛍光灯を点けることができます。


彼の発電機はナイヤガラの滝に設置され、発電を行いました。



電気関連の発明では、エジソンが有名。

エジソンは、直流を使っていました。


でも、交流発電機の方が構造が簡単でエネルギー効率も良い。

交流の方が変圧も簡単。変圧することで送電時のエネルギーロスも減らせるし、モーターも交流の方が効率が良い。


そして何よりも、交流から直流を作り出すのは簡単だけど、直流から交流にするのは大変。


交流の方がいいことばかりなので、現在世界中で交流が使用されています。


実は、テスラはエジソンに憧れていて、エジソンの作った会社に入社しました。

そこで研究を行い、交流の方が優れていることを見つけたのです。




しかし、エジソンは直流にこだわりました。

直流の電気回路は小学校の理科でも学ぶくらい、単純なものです。しかし、交流はいろいろとややこしい。


エジソンは優れた発明家でしたが、学はありませんでした。小学校中退、というのはあまりに有名なエピソードです。

交流回路を正しく理解するには、刻々と変わる電圧を把握するため、微積分の知識が必要になります。


どうも、学のないエジソンにはこれが理解できなかった。

交流の方が良い、と強く主張するテスラを、会社から追い出しています。



テスラは自分の会社を興し、交流送信網を構築しようとします。

しかし、エジソンはこれを執拗に妨害します。


エジソンは当時から大発明家・実業家として知られていました。

一方、テスラは今でこそ評価が高いのですが、当時は無名です。勝負は見えていました。


エジソンの発明品の中に、電気椅子があります。

実は、これは交流の普及を防止するためのもの。


死刑囚に高電力の交流電流を流すと死ぬ、ということを見せつけ、交流を「危険でとても使い物にならないもの」だと印象付ける作戦でした。


実のところ、問題は「高電力である」ことで、交流かどうかはあまり関係ありません。


テスラもそれはわかっていて、エジソンの主張を逆手にとって「交流電流を人体に通してもなんともない」というショーを行ったそうです。




テスラの名前をもっとも有名にしている発明と言えば、テスラコイルでしょう。


…すみません。僕、電気回路詳しくないのでよくわかりません。

以下、間違えているかもしれないので鵜呑みにせぬようお願いします。


テスラコイルは、変圧器の一種です。

変圧器というのは、電圧を変えるための仕組み。先に少し書きましたが、交流は電圧を簡単に変えることができます。


テスラコイルは、超高圧・高周波電流を作り出します。電圧が上がる代わりに電流は少なくなるため、危険性はそれほどありません。


しかし、あまりに高圧・高周波になるため、激しい放電を起こすのが特徴です。

というか、テスラコイルの真の目的は変圧にあるのではなく、「放電」というパフォーマンスを見るためにあるように思います。



電線がぐるぐる巻きにされた武骨な鉄塔から、激しく青白い電気を放つ姿は…マッドサイエンティストのイメージそのものです。

というか、それは因果関係が逆。


あまりに異様なその姿から、テスラコイルは、映画などに登場する「マッドサイエンティスト」必携の道具となっているのです。

現代人である我々は、そのイメージでテスラコイルを見てしまうため、マッドサイエンティストに感じる、というわけ。





さて、先に「人体に交流電流を通すショーを行った」と書きました。


どうも、このテスラ・コイルを応用したものだったようです。

変圧器で電圧を挙げると、その分電流が減ります。


(電力)=(電圧)×(電流)


となっていて、電力は常に変わらないのです。


ところで、電圧が高ければ、遠くまで電気が届きます。

また、「高周波」になると、導体…電気を流す経路の「表面付近」にのみ電流が流れるようになります。



つまり、テスラコイルで昇圧した電気を体に流すと、身体の表面だけを電気が通ります。

元々電流は小さいですし、心臓などの電気に弱いところを電気が通らないのですから、問題は出ません。



テスラはこれらの現象をちゃんと研究したうえで、高電圧・定電流の電気を自分の体に通して、ショーを行いました。

このショーで使われたのが、彼が改良した「蛍光灯」です。


実は、特定のガスの中に電気を放電すると輝く、というネオン管の原理はすでに知られていました。

「放電」ですから、テスラコイルの電流と相性はいいです。


テスラは、これを改良し、さらに輝くようにしてショーに利用したようです。



ところで、蛍光灯は、実はわずかな電気で輝きます。

冬、セーターを脱ぐ際の静電気で点灯できるくらい。


エジソンの作った電球を点灯するのであれば、人間の体を通した電気で…というのは難しかったかもしれません。

でも、蛍光灯ならできました。テスラはそれをショーに利用したのです。


彼の蛍光灯は、1893年のシカゴ万博でも展示されています。


#現在の蛍光灯は、紫外線を発生させて、管の表面に塗った蛍光物質を光らせています。

 しかし、彼がショーで使用した蛍光管は、どうもネオン管に近いものみたい。

 蛍光灯、と言ってよいかわかりませんが、一応蛍光灯の元祖ということにされているようです。



#なお、この時、可視光線だけではなく「透過性のある謎の光線」も同時に出ていることに気付き、研究を行っています。

 後にレントゲンが発見する「X線」なのですが、テスラはこの時は存在に気付いたものの、有用性に気付かなかった様子。




1888年にドイツのヘルツが「電波」を発見し、離れたところに信号を送れることを示しました。

ただし、この時点での伝送距離は、ほんの数メートルです。


テスラも電波送信に興味を持ち、1901年に大きな電波塔を建て、実験を開始しています。


電波は、交流電流の一種です。

交流であれば、テスラのお手のものでした。



…が、実験は失敗します。

当時は、周波数が低いほうが遠方への伝送に適している、と言われていました。

(現在、この知識は間違っていることがわかっています)


テスラもそれに倣ったのでしょう、非常に低い周波数を利用したのですが、現代から見るとこれは誤りだったのです。


そうしているうちに、イタリアのマルコーニが、無線の遠距離通信に成功します。



テスラはこれを悔しがり、マルコーニの手法の中でテスラの特許が多数使用されているのを見て、特許料の支払いを求めて裁判を起こしています。




さて、伝記としては、大体以上…だと思います。


ところでテスラさん、発明家である以上に「研究者」で、非常に多岐にわたる科学研究をしています。

頭もかなり良かったご様子。


でも、同程度の学力を持っていないと相手に意図が伝わらない、という経験は、痛いほどしたみたい。

なによりも、憧れていたエジソンが数学などを全く理解していなかったのが、かなりショックだった様子。


その後の言動では、深い理論を言わないと理解してもらえ無さそうな話や、彼自身にもよくわからない話になると、たとえ話で相手を煙に巻いて終わることが多いようです。


たとえば、「宇宙人と交信してる」とか、「地球も破壊できる」とか言ったらしいのね。


宇宙人との交信は、電波通信の実験の前段階として、宇宙線(宇宙からくる電波)の受信研究があったため。

当時は、宇宙線は存在も明らかになっていませんでした。(発見は 1912年で、テスラが研究していたのは 1897年ごろ)


宇宙からくる謎の電波を説明するのに「宇宙人と交信している」以上に適した言葉があるでしょうか?



「地球を破壊する」は、高周波の振動を与えると大きなものでも瓦解する、という実験から。


構造の全体を高周波で揺らすと、各部にきしみが生じて、大きな力を与えなくてもやがて瓦解します。

超音波を利用した汚れ落としなどはこの応用。


地球全体に高周波を与えられるかどうかは別問題として、同じ原理で「地球でも破壊できる」というのは、適切な言葉のように思います。



以上、頭がおかしかったわけではないですが、テスラコイルの持つ強力なイメージと結びついて、「マッドサイエンティスト」に仕立て上げるのには格好の素材。

今では、彼の言葉は針小棒大にとらえられ、すっかりおかしい人だったことになっています。




逆に、彼が不遇の人で、認められていないけど、実は現代生活の多くが彼の発明によるものだ…という説明も多数。

こちらも針小棒大。


長距離無線の実験はしましたが、成功したのはマルコーニです。

長距離ではなく「短距離での」無線は成功しているのですが、これは他の人の実験を追試して、応用しただけ。

(無線操縦でボートを動かす公開実験をやっています)


でも、テスラが無線やラジオ、ラジコンやリモコンを発明したのだという主張は多いです。



また、彼のやろうとしていたのは無線ではなく、「ワイヤレス送電だった」とする説も多数。


それだったらマルコーニが成功した時に悔しがって裁判起こしませんよ。

明らかに、事実を捻じ曲げて先進的に見せようとしているだけ。



軍艦をワープさせたけど、実験に失敗して多数の怪死者がでた、というオカルト話もありますが、これも完全に否定されています。

ワープしたことになっている軍艦の、当日の「通常業務」の日誌が残っているからね。




でも、冷静にとらえて「交流の発明」、特に発電機・変圧器・モーター・蛍光灯の4点セットは、その後の世界を大きく変えました。


これだけでも、偉大な発明家であることに間違いないです。


ちなみに、交流電流の存在は「テレビ」の発明に大きな影響を与えています。

60Hz(NTSC) ・ 50Hz(PAL)でテレビ電波が送信されたのは、それが交流の周波数だったから。


当時は、家庭用機器で気軽に使える「クロック信号」としても交流周波数は重要だったのです。

交流が普及せずに、エジソンの主張する直流が普及していたら、テレビは生まれなかったかもしれません。



彼の晩年、1915年に、IEEE (アメリカの電気・電子学会)から最高栄誉であるエジソンメダルを送られます。


が、彼はこれを辞退。

彼は本当にエジソンのことが嫌いで、エジソンの名前の付いた賞など貰いたくなかったのです。


このため、1915年は「該当者なし」となり、翌年改めて受賞を打診されます。


IEEE としては、テスラの業績を認め、彼が受け取らないのであれば他に該当するものなどいない、という態度でした。

テスラが受賞しないのは、テスラ一人の問題ではなく、他の科学者にも迷惑をかけることになります。

また、丁度この頃に無線実験の失敗が確定的となり、テスラの生活は困窮していました。


IEEE としては、どうしてもテスラに受け取って欲しいから、生活の困窮という「弱みに付け込んだ」形です。

テスラもこれに折れ、1916年にエジソンメダルを受賞。



さらに、1930年にノーベル賞候補に推薦されますが、この時は「エジソンと同時受賞」という条件でした。


エジソンの「名前がついている」だけならまだしも、壇上で一緒に、にこやかに受賞しなくてはならない。

彼はこの条件を拒否し、候補を辞退。これにより、エジソンもノーベル賞を逃しています。


翌 1931年、エジソン死去。

テスラは、ライバルの死に際してインタビューに来た新聞記者に対し、「エジソンは、本で学習することや、数学の知識を軽視していた」と厳しい批判をしています。


とにかく、テスラは生涯エジソンを許さなかった様子です。



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