2015年04月29日の日記です


ポール・バラン 誕生日(1926)  2015-04-29 11:13:53  コンピュータ 今日は何の日

今日はポール・バランの誕生日(1926)。


…この人も知りませんでした。

「今日は何の日」のネタが無いかな、と探していて知る人多数。

偉そうな記事を書いているのに、実際には非常に無知で恐れ入ります。



もっとも、ポール・バランに関しては知らなかったのも道理で、非常に重要な研究をしていたにもかかわらず、その研究は結局日の目を見ていません。



彼は、エッカート・モークリー社(同名の ENIAC 設計者が設立し、後にレミントン・ランド社に合併され、UNIVAC I を設計した)に入社したコンピューター学者です。

後に転職して、ヒューズ・エアクラフト(億万長者のハワード・ヒューズの持つ航空機会社)に入社します。


そしてさらに転職。航空機の知識も持ち、コンピューターの知識を持つ彼は、米空軍のシンクタンクであったランド研究所にスカウトされます。



1961年、彼は空軍からの依頼で「核攻撃に会っても停止しないコンピューターネットワーク」の研究を行います。


空軍は SAGE という「核攻撃に備えた」レーダーネットワークを持っていました。

(1958年から構築開始)


このネットワーク自体を破壊される、ということを恐れたのかもしれません。


この報告書をまとめたのが翌 1962年です。




報告書に書いた内容は、大体次の通り。


・中央コンピューターは設けず、複数のコンピューターが分散・協調動作する。

・通信経路は近くのコンピューター同士を結ぶ形で複数用意し、状況に応じて適宜使用される。

・データは小さな単位に分割して送り、それぞれが独立に複数の通信経路を経由し、受け取った側で再構築する。


何のことを言っているか、今の我々なら容易に想像がつきます。


しかし、当時はこの考え方は新しすぎました。

なにせ、1台のコンピューターが非常に高価で、通信線1本を準備するのにも大変な費用が掛かったのです。


1964年には一般の雑誌にも要約が発表されます。

しかし、そのまま忘れ去られることになりました。




同じような問題は、アメリカとは独立してイギリスでも研究されていました。

ただし、こちらでは「多数のコンピューターを結ぶ際に、最も安く回線を引くにはどうすればよいか」という問題として。


当時のコンピューターを通信させるには、「中央コンピューター」を用意するのが普通です。

このコンピューターと、各端末を回線で結びます。端末が 100台あれば、回線は 100本必要です。


その上で、端末 A と端末 B でデータを送受信したければ、A から中央コンピューターを経由して、 B と接続を行います。

中央コンピューターに関係のないデータの送受信でも、中央コンピューターが監視するため、速度低下にもつながります。


これは大変な事でした。

もっと安く回線を用意できないものでしょうか?

無駄に中央コンピューターの速度を低下させない方法は無いのでしょうか?


イギリスのドナルド・デービスは、この問題に答えを出しました。


・中央コンピューターは設けず、複数のコンピューターが分散・協調動作する。

・通信経路は近くのコンピューター同士を結ぶ形で複数用意し、状況に応じて適宜使用される。

・データは小さな単位に分割して送り、それぞれが独立に複数の通信経路を経由し、受け取った側で再構築する。


全く異なる問題を考えていたのですが、ポール・バランと結論は同じでした。


デービスは、最後の「小さな単位」をパケットと呼びました。現在のパケット通信の語源。

この論文の発表は、1968年でした。


ポールバランの報告書からわずか6年後。

でも、この6年でコンピューター技術は大きく進んでおり、依然として先進的ではあるものの、「実現可能な技術」になりつつありました。




アメリカでの、ARPANET …現在のインターネットの前身が計画されたのは 1966年でした。

ただし、この時点では、どうすれば大規模ネットワークが作れるのかわからず、問題が山積みでした。


1968年、デービスの論文に解決方法を見出し、ARPANET の計画が急に進み始めます。

最初のシステムが稼働し始めたのは 1969年12月でした。



ただ、ARPANET に触れた人の中で、いくらかの人は、ポールバランが 1964年に雑誌発表した論文も見ていたらしいのね。


ここから、「ARPANET は核攻撃に耐えられるネットワークとして実験が始まった」という都市伝説が興ります。

今でも、この話を信じている人は結構多いのではないかな。



たしかに、システムのアイデアはほぼ同じものでした。

でも、別々の問題への対処を考えた結果、同じような結論に達しただけです。




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