2018年10月22日の日記です


NAOMI  2018-10-22 11:28:17  業界記

テクニカルサポート部の重要な業務に、NAOMI 用開発資料の配布がありました。


NAOMI というのは、ドリームキャストの業務用基板ね。

セガサターンの業務用に ST-V があったように、ドリームキャストには NAOMI がありました。


ドリームキャストは 1998年 11月 27日 発売で、春ごろから開発中の実機でゲーム作成が始まったように思います。

開発が本格化したのが、夏から秋にかけて。



その資料を配布していたわけですが、ハードウェアに関してはハード研が作って配布していたのではないかな。

でも、NAOMI 用ライブラリ、開発時の名称は「カムイ」の資料はこちらでまとめて渡していました。


ハードウェアもまだ開発中で、このライブラリも開発中。

だから、定期的にバージョンアップして、マニュアル内容も変わります。

確か、最初はマニュアルは印刷して渡していたと思うのですが、すぐに CD-ROM 内の HTML ファイルに変わりました。




当時は、CD-R がやっと普及し始めた時代。


CD-R ドライブは、たしか4倍速での書き込みに対応していました。

ただし、まだドライブ側にバッファを持っていない時代。


どういうことかというと、CD-R ドライブは一定速度でディスクにデータを書き込んでいるのですが、そのデータは「常に」CPU から送り続けていないといけないのです。

データが途切れるとディスク作製は失敗。メディアは使えなくなります。


多数のファイルを順次送って…なんてとてもできないので、事前にパソコン上の作業で「書き込みイメージ」を作成し、一気に書き込みます。

4倍速だと失敗率も上がるので、あえて遅い2倍速で。

Windows 98 の時代で、一応複数のソフトを同時に動かせるのですが、CD-R ライティングソフト以外はすべて終了させ、書き込み中は使用禁止です。



CD-R のメディアも、まだ高価でした。

社内にはサターン用の「公式 CD-R メディア」が存在していて、配布用の CD-ROM も当初はそのメディアで作っていました。

このメディア、1枚1000円くらいします。


…でも、上に書いたように、時々書き込みに失敗するのです。1000円が無駄になります。


テクサポ課長が、「ちょっとメディア高すぎるから、この店行って値段調査してきて」と地図を渡して僕に命じました。


大鳥居にあった本社から、電車で蒲田まで行き、そこからさらに徒歩15分くらい。

片道 30分くらいかかる店でしたが、課長が言うには「会社からは一番近い PC ショップ」とのこと。



行ってみると、CD-R もいろいろと売っていました。

有名メーカーが作ったものでも 10枚で 5000円くらいだったのではなかったかな。

安いのだと、10枚3000円くらいで売っていたように思います。


というわけで、値段を調べ、社に戻って報告。

「え、そんなに安いの? じゃぁ、試しにまずは一番安いのを10枚買ってきてみてよ」とお金を渡されます。


Imation の CD-R だったと思います。

これが品質的に何の問題もなかったので、以降は 50枚づつ、時々買ってくることになります。




CD-ROM の内容は、ライブラリの最新版とそのソースコード、リファレンスマニュアル…だったかな。


リファレンスマニュアルは、HTML で書かれていて、関数ごとに別ページでした。

つまりは、関数と同じ数だけファイルがある、ということです。


HTML にしてあったのは、相手がどんな環境でも読めるだろう、という期待。



HTML のファイル名は関数名と合わせてあるのですが…

よくあることだけど、ライブラリの関数名、機能をそのまま表したもので、長いです。


ISO 9660 では入らないので、Rockridge / Joliet / TRANS.TBL のマルチフォーマット対応にしました。

当時はこのマルチ対応をできるソフトが無くて、テクサポ課長が試行錯誤していたのを覚えています。



…って話題を書いて「懐かしい」と思ってくれる人がどれだけいるか。

マルチ対応 CD-ROM の話、掘り下げると面白いのですけど、無駄に長くなるので割愛。




カムイ・ライブラリは、AM2 研で開発を行っていました。

ST-V 用のライブラリだった SGL も AM2 研が開発したものでしたし、そうすることがごく普通の流れ…という感じでした。


AM1 研テクサポ課としては、開発されたライブラリと資料をまとめ、配布するのが業務。

開発とサポートが別の部に跨っている形ですが、ST-V の時もそうだったし、これもごく普通の流れ。



ところが、このライブラリ開発が難航。

僕は NAOMI の開発をやっていなかったのでよくわかっていないのですが、機能の切り分け方を微妙に失敗していたり、期待するような性能が出なかったり…

ついには、まだライブラリが明らかに未完成の段階なのに、これ以上の機能追加が難しい、という状態になってしまったようなのです。



これに対して、以前書いた凄腕プログラマの一人…部署内でC++を普及させるべく、一人でライブラリをつくりあげた先輩が噛みつきました。

AM2 研に行って、こんなんじゃだめだ、ここのコードはこうあるべきだろ、って次々と実際のコードを示して指摘したのだそうです。


…で、それまで AM2 研が開発していたライブラリは、AM1 研との共同開発となりました。

AM1 研からは、この先輩が出向しただけですけど、開発中心メンバーの一人になったようです。


AM1 研でライブラリにかかわるなら、テクサポ課所属にしないとならんだろう、ということで、この先輩もテクサポに移動になりました。

とはいっても、朝出社するとすぐに AM2 研に行き、昼休みとかに時々戻ってくる程度ですけど。


以前から仲良かったのですが、同じ部署に配属になり、話をする機会が増えました。


200LX と、プログラムの話ばかりしていたと思います。




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