2021年11月20日の日記です


料理コラム  2021-11-20 20:20:31  料理

先日、過去に料理コーナーに書いた、「料理文化と火の使い方」のコラムを面白いとツイートしてくださっている人がいた。


古い記事だが、おほめいただきありがたい。

料理コーナーには、あの1記事だけを書くために、「料理コラム」というサブコーナーを作ってある。


実は、他にも書きたい話題があったから別コーナーを作ったのだ。

でも、自分の料理知識のなさに気づき、書こうとしたことが正しいかどうかすらわからなくなった。

そのため公表できないままだ。


ところで、僕はこのWEBサイト作成に当たり、できるだけ信頼性を担保するようにしているのだが、日記だけは別、と以前から公言している。

日記は思ったことを書く場所で、信頼性を担保しない。


というわけで、書こうと思ったことの概要だけでも示してみよう。




1つめ。万能調味料について書きたかった。


ここで、万能調味料とは、醤油、ウスターソース、トマトケチャップの3つのこと。

これらが万能調味料だ、というのは僕が子供の頃に思ったことで、とくに裏付けがあるわけではない。


しかし、日本料理は大抵醤油で味を調えられるし、洋食はウスターソースで何とかなる。

トマトケチャップも、洋食や中華の多くの料理の味付けで中心的に使われる。


こうした万能調味料はそれほど多くない。

独特の万能調味料を作り出した料理文化はすごいなぁ…と、子供だからそう思っていたのだ。




魚醤という調味料がある。魚を発酵させたものだ。

イワシなどは、死ぬと自らの消化酵素で溶けてしまう。この時に、腐らないように十分な塩を入れて殺菌しておくと、たんぱく質が分解されて適度にアミノ酸が生成され、とてもおいしくなる。


でも、たんぱく質が分解されたものって、とても臭い。美味しい一方で嫌われる。

なので、西洋では一旦廃れた。


日本では宗教の関係もあり、魚ではなく豆を発酵させた味噌が作られるようになり、さらにそこから「醤油」が生まれる。

醤油は、魚醤の発展形だ。




魚醤は西洋では一旦廃れたと書いたが、17世紀ごろ、東インド会社を通じて東洋から西洋に伝わたる。

ただし、非常に高価な輸入調味料だった。西洋人には作り方もわからなかった。


このころの西洋には、発酵調味料という概念がなかったようなのだ。

なので、発酵に頼らずに似たような味を作ろうと頑張った。


多くは、自然の状態でアミノ酸がたっぷりなキノコ類に、スパイスなどを混ぜたソースとして作られたようだ。

そういうソースはたくさん作られた。


その一つが、イギリスのウースターで生まれた「ウスターソース」だ。

これもキノコや野菜を中心とした数多くの食材にスパイスを混ぜたものなのだが、決定的な違いは「発酵」にあった。偶然から生まれたものなのだけど、ここで発酵調味料を再発見したのだ。


ただ、イギリスのウスターソースは、日本でいうウスターソースとは全く別のものだ。

万能調味料ではなく、料理の際に味に深みを出すために少しだけ入れるもの。

スパイスたっぷりで辛いしね。


それがなぜ、日本で醤油と並ぶ万能調味料になったのかは、よくわからない。

多分、醤油を使い慣れた日本人にとって、「食卓で自由に使える調味料」が西洋料理にも欲しかったんじゃないかと思っている。

ともかく、ウスターソースと名付けられているだけの全くの別物が、日本で独自に発展した。


だから、ウスターソースが万能調味料ですごい、という話は、根本が間違っていたのだ。

日本のウスターソースは、醤油のように使うものとして発展したから、醤油に似ている。ただそれだけのこと。


しかも、本来のウスターソースも、魚醤を真似しようとしたものだった。

似ているのも必然なのだ。




ところで、ウスターソースがまねようとした魚醤は、中国に起源をもつものだ。

「鮭汁」という。

鮭というのは、現代日本でいう鮭のことではなく、川魚の意味だ。淡水魚で作る魚醤だな。


そして、「鮭汁」のベトナム読みは「ケィ チァプ」となるらしい。

(ベトナムは現在ではアルファベットを使うが、漢字文化圏だ)


鮭は日本語でも「ケイ」と読むね。汁は日本では「ジュウ」なのだけど、広東語で「ジャプ」らしい。そして、ベトナム語は上に書いたように「チァプ」だ。


西洋には、KE-CHAP として伝わっている。


さて、先に書いたように、西洋人は鮭汁を知り、模倣し始める。

多くはキノコ類でアミノ酸の味を出そうとした、というのもすでに書いた通り。


後にアメリカ大陸が発見され、トマトが西洋文化にもたらされる。

(食べるまでに紆余曲折あるが、その話は今回はどうでもいい)


トマトは、野菜としてはアミノ酸がかなり多い方だ。

そこで、アメリカの人たちは、キノコではなくトマトを使った鮭汁モドキを作り始める。


これが、トマト ケィ チァプ…トマトケチャップだ。

そんなわけで、トマトケチャップもまた、魚醤を頑張ってまねようとしたものだった。


「トマト」と頭につけるのは、今でもキノコやフルーツから作られるケチャップも作られ続け、人気があるから。

日本ではケチャップといえばトマトだけどね。




この話のまとめというか、書くのを断念した理由。


そもそも万能調味料スゲー、という発想が日本のお子様だった。

食材の味を最高に引き出すためにはそれぞれに最適なソースを、という料理文化では、万能調味料なんて考え自体が許しがたい。


ソースやケチャップを万能調味料だと感じているのも、結局慣れ親しんだ醤油と方向性が似ているので「国内では」そのような使われ方をした、というだけの話。

ケチャップをスパゲティにからめたナポリタンとか、ご飯にからめて卵で包んだオムライスとか、日本で発案された料理。


まぁ、中華にもケチャップ炒めがあったり、カナダではケチャップ味のポテトチップが人気だったり、比較的多様に使われている調味料だとは思う。




2つめ。

料理文化の発展って、その地域の地理的条件とか、歴史とかと切り離せない。

そういうことを知ると、料理を食べるときにも味わい方が変わってくるなぁ、という話を書きたかった。


しかし、話題がとっ散らかりやすくてまとめられず、断念。

こちらも概要だけ示す。




フランス料理は、全体に均一に作らなくてはならない。

ソースはできるだけ均質に。付け合せのじゃがいもも、どれをとってもすべて同じサイズに。

フランス料理は貴族社会での政策の道具として発展した歴史があり、テーブルに着いたすべての人に同じものを提供できなくては問題を生じるのだ。


中世のフランスは飢饉が度々起きるような土地だった。

だから、何でも食べるように工夫した。時間をかけて食材を下処理し、臭みや硬さなどをなくし…言い換えれば素材の持ち味を消し、ソースの濃厚な味付けを楽しむような料理が発展している。



日本料理は不均一さをあえて作り出す。

卵焼きを作るのに卵を混ぜすぎてはならない。白身部分と黄身部分で味が違うのが、食べていて飽きないアクセントとなる。


これは、素材そのものを楽しもうという考え方だ。煮物を作るにしても、味付けは薄めにして、それぞれの食材の味を楽しもうとする。


場合によっては、生の魚を切っただけで提供する。味付けも何もしない。

それでも、数種の魚を盛り合わせると、それぞれの味の違いを楽しめる料理、刺身盛り合わせとなる。



中国は国土も広く、食材の流通も大変だった。

そのため、乾物を作り、料理する技術が発展している。


乾物ではなく生の素材が入手できたとしても、鮮度を保証できない。

だから、必ず火を通して料理した。そうしなくては、食中毒の危険性があるためだ。

刺し身のような料理はとても受け入れられない。


基本的に中華料理は「皆で同じ食卓を囲む」ことで連帯感を感じさせるもので、大皿で提供される料理を各自で取り分けるようになっている。

各自の裁量で取り分けるため、フランス料理のような、提供時の「均質さ」はない。見た目もあまり気を使わない。



均一さを良しとする文化、不均一を良しとする文化、生に近い食材をありがたがる文化、絶対に火を通さないと危険と考える文化…


料理に対する文化は色々とあり、相容れない部分も多い。

そうした文化をすこしでも理解していると、料理を食べるときにも味わいが深くなるように思う。



…しかし、こうした話も「伝統的には」とうくらいで、今はそうでもなかったりする。


ヌーベールキュイジーヌは、和食の考え方を取り入れた、現代フランス料理の潮流だ。

味付けは薄め、不均一さを楽しみ、素材の味を引き出そうとする。


ヌーベルシノワは、ヌーベルキュイジーヌに影響された、現代中華の流儀だ。

料理は一人分づつ提供され、料理人によって盛りつけされた皿は見た目にも美しい。

料理の提供順も考えられたコースとなっていて、自由に食べる従来の中華とは大きく異なる。


最近は、中国でもサラダのように「火を通さない」料理に抵抗がなくなってきているそうだ。

もっとも、卵かけご飯はまだゲテモノ扱いのようだけど。

(日本からの輸入卵の鮮度を知った一部の人達が食べ始めている。)


逆に、日本ではカエルとか虫とか、ホビロン(孵化しかけの卵)とかはゲテモノ扱いされる。

美味しいと食べている人たちがたくさんいるのだから、美味しいのだと思うのだけど。

(僕はカエルやホビロンは食べたことない。虫の料理は何種類か食べたけど、おいしかったよ。)




中華料理って大皿から取り分けるけど、基本的に「各自の取り分け皿」はずっと同じものを使う。

中華はソースがかかっているものも多く、味が混ざってしまうと日本人は嫌がるのだけど、中国の人たちは「美味しいものが混ざりあえばもっと美味しくなる」と考えるようだ。


同じ理由で、日本人は丼を食べるときも、上に乗った具材を崩さずに下のご飯を食べたりする。混ぜることが下品とされるのだ。

韓国のビビンパプはご飯に具材が乗った状態で提供されるため、丼のような食べ方をする人も多いのだが、本来あれば「混ぜご飯」だ。よく混ぜて食べた方が美味しい、とされる。


これらの料理は日本でも気軽に食べられるのだが、文化を理解しないと味わいも変わってきてしまう。




…などなど。最初に書いたとおり、とっちらかってまとまらない。


料理文化を理解して食べないといけない、ということでもない。

食は個人の愉しみなのだから、自由に食べればいい。


ただ、せっかく外国料理を食べるのであれば、本来の味わいを楽しみたいと僕は思うのだ。


(最初に書いたとおり、ここに書いたのは「僕がそう思っている」というだけで、信憑性が担保できない。料理文化についても専門家ではないし、現地に足を運んで料理を食べたこともない。多分に間違えている可能性があるので、鵜呑みにしないようにお願いします)




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