目次
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2007-01-20 人生初ギャグ?
2007-03-22 忙しい
2008-01-03 あけましておめでとうございます
2008-03-31 花見
2009-01-06 Q&Aコミュニティ
2009-04-01 春眠暁を覚えず
2009-05-25 雨上がりの散歩
2009-07-29 冷蔵庫に乾杯?
2009-08-28 ドーラと類似のアニメ
2009-10-01 爪
2009-11-13 読んだ本
2010-04-05 花見
2011-03-28 何がデマで、何がデマでないのか。
2011-04-11 花見
2011-05-09 しんぶんし
2011-07-27 節電その後
2011-08-05 不正侵入
2011-08-23 節電その後(その2)
2012-04-04 言葉の定義
2012-04-16 ピューロランド
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昨日、うちの子が風呂場で丸めたハンカチを落とし、「おとしだま!」と言いました。
人生初ギャグか?
いや、いろいろな背景がありまして…
正月に親戚の家などに行った時に、お年玉をもらっても、まだあまり金の価値がわかっていないので無関心です。
でも、親がお年玉としてあげた「トミカ」は非常に喜んでおり、「おとしだまにもらった」と何度も言っています。
なので、お年玉という言葉は記憶しているらしい。
一方、最近因果関係、というものがわかり始めており、物をわざと落として反応を見ている節があります。
「落としちゃダメ」というと余計にやりたがるタチの悪さで、先日はお皿を落として割りました。
とにかく「ダメ、といったらわざとやる」ことをやめさせたいので、お皿を割ったのもぬいぐるみを落としたのも同列に叱っています。
で、さんざん怒られているので「おとしちゃだめ!」という言葉は本人もわかっています。それでもわざと落とすのですが。
で、どうやらこの二つが急につながったようで、物を落として「おとしだま!」になったようなのです。
因果関係がわかる、というのは人間らしさへの第一歩のようで、トイレトレーニングも因果関係が理解できてから始めないと無意味だそうです。
(トイレトレーニングを早めに始める人は多いそうなのですが、そもそも「おしっこしたくなったらトイレ行く」が理解できないのに教えても無意味)
そういう意味では、因果関係がわかるのは喜ばしいこと。
でも、それが別の興味にもつながっていて、「こうしたらどうなるのか?」を、ひたすら実験で確かめようとしている節があります。
勉強なので多少は許しているのですが、ダメと言われたことをわざとやるのは止めさせないと、本当に危険です。
別年同日の日記
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仕事が、いろいろとあって怒涛のごとき状態。
とりあえず、今日は小休止。
ここ二週間、寝る時間を削って働いていたが、昨夜は良く寝た。
月末に向けてもうひとがんばり〜。
別年同日の日記
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既に3日ですが。
昨年は多忙な年でした。
一昨年も多忙な年でした。
その前も…
ここ数年、多忙でなかった年なんてあるだろうか? とも思います。
暇ができたら、いろいろとページ更新したいとは思っているのですが。
最近のうちの子。
年末に書いてからわずか3日で成長が見られます。
上の子。2日にレゴブロックで急に「造形を作る」ことに目覚めました。
それまでは変な形の塊を作っているだけだったのに、左右対称にちゃんと形を作って「カニ!」とか言って遊んでいます。ちゃんとカニに見えます。
#「カニ!」というのは、子供の少ない語彙では会話が成立しなくなったときに口走る、いわばオールマイティの単語です。
ほかにも「おばけだぞ〜」「眠い」など、大人と会話していて、自分の言葉で言いたいことがうまく表現できなくなったときに出てくる言葉が、いくつかあります。
下の子。1日に急に階段のぼりを覚えたようです。
1日は多少補助が必要だったのですが、2日には自力で登っていました。
うちの階段は途中に踊り場(?)があり、その先で曲がります。
曲がる場所はうまく登れないようで、踊り場まで登るのに成功。
別年同日の日記
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毎年恒例、高校仲間との花見に参加。
とはいえ、去年は下の子の出産直前で参加せず。
一昨年以来の参加です。
#花見の最中もずっと、一昨年の参加を去年だと思っていたよ…
今年は、上の子は崖のぼりはほどほど。
でも、公園を走り回ってなにやら楽しそう。
しばらくすると帰ってきて、「さびしいの」としばらく膝の上に座って飲み食いしたら、また走りに行く。
そのうち、帰ってきたと思ったら「うんち」。
あわててトイレまで走っていく。
公園内の花見が出来る広場から、記憶では斜面の上と下にトイレがあるが、上が近かったはず。
が、階段を一気に駆け上がるのは辛かった。
時間がかかったこともあり、ウンチは出ず。
次には下に行ってみるが、なんか下のトイレは水がつまり気味の様子。
しばらく後で行ったらあふれてた。汚いのでその後は上のトイレ使用。
で、4回ほど「うんち」を繰り返して、やっと出る。これで安心して飲める。
…という考えは甘かった。
うんちが出て安心したのは子供も同じ。
思いっきり遊び、崖のぼりもして、そのまま公園内探検に行きたがる。
これは、さすがに親が付いていかないわけには行かない。
公園内には緩やかで長い階段もある。
半年くらい前にジャンケンのルールを理解した子供に、「グリコ」を教えてみる。
子供と余り離れないように、と思っていたのだが、そこは運のゲーム。うっかり勝ち続けて離れてしまうと、次に子供がグーで勝った。
しかし、グーじゃ近づかないな…と思ったところ、子供が自分の勝ちにニヤリと笑うと、
「グリグリグリグリグリグリ…」
と叫びながら階段を突進し始めた。なるほど、「グリコ」と終わらせてしまわずに、言葉を言い続ければ進めると考えたらしい。
花見会場に戻ると、下の子も野に放たれ、雑草を抜いたり土をつまんだりして遊んでいました。
まだ立てない、一歳前の子供が一人で遊んでいる事に周囲の花見客は心配そうにしていたそうですが、変なもの食べないようには注意しているし、案外大丈夫なものです。
そうそう、花見の前日に「アルキメDS」購入しました。
前日夕方から天気が崩れ、雨の場合は友人宅で飲む予定だったので、その際の話の種にと思って…
当日晴れたので出番は減ったのですが、花見終了後の友人宅で少しプレイ。
面白い受け答えが出来る人間でないとつまらないゲームなので、面白そうな人間に、半ば強制的にDSを渡します。
最初は「なんですかコレ?」とか言っていた周囲も、やっていることを見てだんだん笑いの渦に…
が、持続せず。
DSで遊んでいる、という事実と、なにやら大人たちが楽しそうにしている事に、花見に参加していた子供4名が寄ってきます。
そして、「面白い答えが出せないと、周囲の目が痛い」事に気づいた大人2名が、DSを子供に譲って離脱。
この時点で、事実上のゲーム終了でした。
なかなか面白いゲーム…というか、「システム」だと思うので、また別の集まりでもやって見ます。
関連ページ
別年同日の日記
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Q&Aコミュニティに対する見解。
私見なので、「そうは思わない」人がいてもかまいません。怒らないでください。
まず、先日書いた日記で、Yahoo!知恵袋のことを少し書きました。
その部分を、全部引用しておきましょう。
おまけ。
Yahoo! 知恵袋で、今年の夏に、エジソンロックのことを質問した人がいたようだ。
おもちゃの名称や特徴まで正確に覚えていたにもかかわらず、「デルタックスの間違いではないか?」という唯一の回答がベストアンサーで解決、という事態になっている。
まぁ、この手のQ&Aコミュニティで正しい答えが得られるはずも無いのだが、あまりの的外れっぷりに愕然。
これに対し、以下のコメントが寄せられました。
【エジソンロック】 知恵袋でエジソンロックを質問したのは私。確かに全く期待していた答ではなかったのですが、回答下さった方が1人だったのでBAに選ばせていただきました。が、思い出し又検索したところこちらで画像を見つけ感動しました。こんなタイヤもあった!!美味しそう、と思いながら遊んだ事も思い出しました。わざわざこちらで取り上げていただいてるのであれば知恵袋での質問の時に回答が欲しかったですが。 (2009-01-03 00:11:31)
あまり詳細を書かずに「正しい答えが得られるはずも無い」と言い捨ててあったのですが、このようなコメントをいただいたからには、自分の考えを説明しておく必要があると感じたため、明記しておきます。
まず、自分自身は先日の日記に書いたように、「はてな」や「Yahoo!知恵袋」のような、Q&Aコミュニティに対して、かなり懐疑的です。
知識を持っている人は、大抵ある程度の「問題解決能力」を備え持っています。
そして、それがゆえに人に聞く前に、自分で解決してしまうことが多いです。
問題解決能力が低い人は、人に聞くこともあります。
通常は、問題解決能力の高い人に聞くことになるわけですが、Q&Aコミュニティでは、「不特定多数」に聞くことになります。ここで、問題解決能力が高いか低いかはともかく、「沢山の人がいれば、中に正解を知っている人もいるはず」であることに期待するわけです。
しかし、そもそもQ&Aコミュニティは「相互扶助」のシステムで成り立っています。
つまり、コミュニティの住人である「質問に回答しようとする人」はまた、「積極的に質問したいから住人になっている人」、つまり問題解決能力の低い人であることが多いのです。
これが第1の問題。
3人寄れば文殊の知恵ではありますが、能力の低い人間が集まっても「烏合の衆」となってしまい、解決に至りません。
もちろん、問題解決能力の高い人間や、知識としてたまたま答えを知っている人間は実際に存在しています。
しかし、質問数の多さに対し、それらの「答えられる人」の数は不足しています。
今のコミュニティが十分に大きくないから、という側面もありますが、割合の問題なのでコミュニティが大きくなっても解決できないでしょう。
今回、私はたまたま答えを知っている質問に出会いました。
…というか、ネットで検索していると、かなり頻繁に自分が答えを知っている(そして、正しい答えが提示されていない)質問に出会います。
しかし私は、その質問に回答しません。
理由は簡単で、回答期限を過ぎているために、システムが回答を受け付けないのです。
私は、そもそもQ&Aコミュニティの住人ではないため、「たまたま検索で知った」という形で質問に出会うことが多いです。
ここで、多くの人が知っているように、検索エンジンにページが登録されるのには数日かかります。
GoogleRank のような手法では、登録されたページがそれなりに上位に来るのには、さらに長い時間がかかります。
そして、質問の多くは、数日で回答が締め切られます。
つまり、多くの人にとって、質問は「締め切られた後に読むもの」なのです。
良心的なシステムであれば、締め切られた回答であっても「コメント」や「トラックバック」で訂正を行うことが出来ます。
しかし、私の使用している CMS ではトラックバックは作れませんし、コメントを書くにはQ&Aコミュニティの住人になる必要があります。
気軽に訂正できるのであればともかく、そこまで面倒を負ってまで間違いを訂正してあげよう、という気にもなりません。
これが第2の問題。
正解を知っている人間が質問を読んだときには、既に回答は締め切られています。
訂正が可能であったとしても、そのための方法は非常に面倒くさいため、訂正されることはまずありません。
私の場合、間違った答えがベストアンサーに選ばれているのを見るたびに「多くの人が間違えに気づかずにその回答を鵜呑みにするのかな」…と密かに危惧しています。
中には正義感に燃え、面倒を乗り越えて訂正する人もいるかもしれませんが、今回はとりあえず、自分の日記のネタにしました。
これで、「検索する人は、間違えた答えと同時に、正しい答えも見つけることができる」と期待するためです。
面倒を乗り越えて訂正を試みるよりは簡単です。
日記へのコメントには
>わざわざこちらで取り上げていただいてるのであれば知恵袋での質問の時に回答が欲しかったですが。
とご指摘いただきましたが、回答しなかった理由は以上のようなものです。ご了承ください。
Q&Aコミュニティでは、相互扶助を促進するために、なんらかの「ポイント制」がとられています。
質問に良い答えを返せばポイントがもらえる、というようなシステムです。
しかし、このポイントを集めることのみが目的になってしまっている利用者を度々見かけます。
自分の書こうとする答えが正しいかどうかも検証せず、自ら「よくわからない」としながらも回答する、などです。
質問者が正しい回答にのみポイントを与えられればよいのですが、そもそも質問者は「正しい解答がわからない」から質問をする場合が多々あり、どんな些細な情報でも…嘘情報であっても、ポイントをもらえる可能性があります。
そのため、混乱を招くだけの情報を答える回答者が後を絶ちません。
質問者側にも問題があり、解決に至らない場合でも、明らかに違うとわかっている答えに対して「せっかく書いてくれたのだから」とお礼にポイントを渡してしまう場合があります。
こうなると、その答えは「正しい答えだった」とシステムが認識し、永久にネット上に掲示されることになります。
後でQ&Aを検索する人にとって混乱を招くだけの情報であるにもかかわらず、質問者がそれを流布することに積極的になってしまうのです。
これが第3の問題。
Q&Aコミュニティでは、回答者と質問者が結果的に共謀して、嘘の情報をネット上に流し続けることが常態となっています。
日記へのコメントには
>確かに全く期待していた答ではなかったのですが、回答下さった方が1人だったのでBAに選ばせていただきました。
とありましたが、期待した答えでなければ「ベストアンサーなし」とすべきだったように思います。
そうすれば、質問も回答も全て消去され、少なくとも後で検索するユーザーを混乱させることは無かったでしょう。
#と書いたところで、良く調査したら「嘘でもベストアンサーにする」ようにすると、質問者のポイントが多くもらえる、というのが Yahoo! 知恵袋のシステムなのですね…
システム自体が、混乱を助長する方向に作られている、ということであれば、なおさらQ&Aコミュニティには懐疑的になります。
私がQ&Aコミュニティーに懐疑的な理由は、以上の3つの問題によります。
正しい回答が得られないばかりか、間違えた回答が正しいとお墨付きを得て、ネット上で情報として流布し、さらにその情報を誰も訂正しようとはしない…という恐ろしい循環になっています。
相互扶助は崇高な考え方ですが、純粋な相互扶助ではなく「ポイント」という動機付けを行ったために、不純な輩が沢山入り込んでしまったのでしょう。
回答期限を区切らないといけない、ユーザー登録しないと回答・コメントできない、というシステムもそれに輪をかけています。
もっとも、こちらは「ポイントを与えるために」期限を区切り、「ポイントを管理するために」ユーザー登録する必要があるのですから、ポイントを撤廃してしまえば何の問題も無くなるはずです。
では、回答期限もユーザー登録もポイントもなくすとどうなるか…といえば、Wikipedia のようになるのでしょう。
Wikipedia は、ユーザー登録は本来前提ですが、匿名でも記事の編集が出来ます。
間違えた記述に関しては、発見者が、いつでも、誰でも修正可能です。
報酬は基本的に「正しい情報の配布に寄与できた」という自己満足だけで、非常に崇高な考え方です。
もっとも、少なくとも日本語版の Wikipedia は、語句数も少ないですし、間違いだらけであまり信用できません。
それでも、Q&Aコミュニティーよりは信頼度は数段上でしょう。
最後に、ここまで書いておいてなんですが、Q&Aコミュニティーにも、時々感心するQ&Aを見つけることがあります。
ただ、割合が圧倒的に少ないと言うだけです。
Wikipedia は質問する場ではないため、Q&Aコミュニティーの替わりになるものではありません。
そのため、今後もQ&Aコミュニティーは残り続けるのでしょう。
ただ、僕自身は今後も質問することも、回答することもなく、時々検索して行き当たっては、「間違えた情報が…」と要らない憂慮をし続けるのだと思います。
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【イーさん】 遊んでいる最中、部品が足りなくなり二人で取り合いをしています。もう、1セット買い求めようとしてひらいたのがこのページでした。私と同じ思い出を持っている方たちがいるのを知りちょっと感動です。 (2012-04-14 12:47:12)【イーさん】 エジソンロック、家にもあります。息子と娘に買い与えた物ですが今孫が遊びに来たときに夢中になって遊んでいます。 (2012-04-14 12:43:33) |
春暁/孟浩然
春眠不覺曉 春眠暁を覚えず
處處聞啼鳥 処処啼鳥を聞く
夜来風雨聲 夜来風雨の声
花落知多少 花落つること知りぬ多少ぞ
先日、妻が急に「春眠暁を覚えずって、どういう意味?」と聞いてきた。
自分が知っている意味を答えたら、妻も全く同じ認識だという。
自分は高校で習った覚えがある。妻は、中学・高校・大学の第2外国語(中国語を選択していた)で、やはり同じことを聞いたという。
それだけ多くのところで教えているのだから、多少の意味のずれはあるかもしれないが、正しい認識なのだろう。
が、その解釈が、インターネットのどこを探しても出ていない、という。
気になって自分も調べたが、確かにその解釈に出会わなかった。
ネットで標準的に解説されている内容。
代表的なものとして、Yahoo!辞書から。
大辞泉:
《孟浩然「春暁」から》春の夜はまことに眠り心地がいいので、朝が来たことにも気付かず、つい寝過ごしてしまう。
大辞林:
〔補説〕 孟浩然の詩「春暁」に「春眠不レ覚レ暁処々聞二啼鳥一」とあるのによる
春の夜は短い上に寝心地よく、暁になってもなかなか目がさめない。
…ちょっとまて。
寝心地がよいから寝過ごした、というのでは、「夜来風雨の声」と矛盾してしまう。
少なくとも、孟浩然は夜のうちに風雨が来たことを知っているのだ。「寝心地良くて寝ていた」のではない。
春の夜は短い、ということについては、似たことを解説したページが他にも多数あった。
冬に比べて朝が早くなるから、朝起きることができない、という解説。
ただ、後で書くようにこれも違うように思う。
冗談として「春は眠い」という意味として使うのはかまわないが、辞書の解説としてはちょっとおかしい。
(もっとも、「一般的に広まっている」意味はこちらなので、必ずしも間違いではない。辞書は原義に忠実であることよりも、多くの人が使っている言葉の使い方に従っている方が重要なこともあるだろう。また、電子辞書だから細かな解説が省かれている、という可能性だってある)
別の意見として、こんなものもあった。
どこのページで見かけたか失念。「自説」だとして紹介していた。
孟浩然は大学者だったので、勉学に励んで夜更かしをしたのだろう。
そんな日の連続なので、この日は夜が明けても気づかず、寝過ごしてしまった。
夜起きていたので、風雨が来ていたことも知っている。花も落ちたことだろう。
しかし、眠くて外を確認する気にもなれない。
(勉強のほうが大切で、花などどうでもよいから確認しない)
これなら矛盾は無い。
この詩を、孟浩然が何を考えながら書いたのかはわからないが、解釈というのは読み手にゆだねられるものだから、十分な解釈だと思う。
妻と僕が学校で学んでいた解釈、というのは以下のようなもの。
夜の間に風雨が訪れ、せっかく咲いた春の花(古代中国だから桃でしょうね)が散ってしまうのではないかと、気が気でない。
そのためなかなか寝付けず、いつの間にか寝入ってはいたが朝が来たのに気づかなかった。
どうやら雨は止んだようで、鳥の声で目覚めはしたが、花はどれほど散ってしまったのだろう。
(目覚めのまどろみの中で考えているため、外の様子はまだ確認していない)
花がどれほど散ったか、と気にするほどの人なので、勉強に興味があるから花などどうでもよい、ということは無いと思う。
鳥が鳴いている、というのどかな描写で、天候は既に回復していることがわかる。
詩全体は心優しく、美しい情景なのだが、「春眠暁を覚えず」の原因に関して言えば、春が心地よいからでも、夜明けが早いからでもなく、「睡眠不足だから」である。
解釈は読み手にゆだねられている、とはいっても、最初の1行だけを取り出して「春は眠い」って解釈はどうかと思う。
…ってなことを、仕事の都合で徹夜作業しながら書いております。
明日の朝、起きられるかなー。子供に起こされるんだろうなぁ… (^^;
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
3人目が1ヶ月を過ぎたので、近所の神社までお宮参りに。
朝から降っていた雨が上がった夕方、外で遊べず不満げな上二人の散歩目的であることも大きい。
まだ道は濡れているので、子供は長靴で歩く。無意味に空のリュックを背負って、お出かけ気分が嬉しいらしい。
途中、桑の木を発見。
うちの庭にも桑がある。鳥が勝手に植えて行ったものだ。
まだ小さな木だが、毎日5~6個の桑の実が食べられるので子供も楽しみにしているのだが、なにぶん二人とも「自分が取りたい」ので争いの種。
この、散歩中に見つけた桑は、空き地に生えていたものなので勝手に実をいただく。
日当たりのよいところだったからか、非常に甘くておいしい。
その後も、神社の参道で2本の桑の木を発見。
こちらも、熟した実をおいしくいただく。日陰だからか固体差か、熟していても少しすっぱい。
たくさんの桑の実を食べられたことに、子供は大満足。
庭で取れるものは、家族で分けると毎日1~2個しか食べられないのに、今日だけで20個近く食べた。
桑畑があれば、ジャムにするほど取れるのにね。
うちの子は桑の実が好きで、公園に遊びに行く際も、あそこにある、ここにあると発見している。
残念ながら手のとどこか無いところだったり、人のお宅だったりして今日のように味わえたのは初めてなのだが、子供のおかげで「思ったより桑というのはそこらじゅうに生えているものだ」ということを知った。
でも、公園の片隅に生えていても、誰もとろうとしないんだよね。
公園のものは川沿いのフェンスの向こうに生えており、確かにうちの子供には手が届かないのだけど、小学生とかだったら難なく取れるようなものなのに。
どうも、最近の小学生は桑の実がおいしい、ということを知らないらしい。
僕が小学生の頃は、桑の実があるところは子供が集まったものだけど。
別年同日の日記
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冷蔵庫買った。
エコポイントが背中を押した、というのは確かにある。
今まで使っていたものも、まだ十分に使えていた。
しかし、機械として十分使えた、ということと、使い勝手が良い、ということには隔たりがある。
7年前に買ったものは、夫婦二人で、アパート暮らしの際に買ったのだ。
あの時はコンビニも近かった(上に住んでいた)し、食料が無くなったら気軽に買出しに行っていた。
引っ越したら、近所に気軽に買い物できる店がない。
子供がいると、買い物もままならない。
しかし、子供の食べられるものと大人が食べたいものは違う。
結果、買い物が出来る時に大量に買い込んで、それでしばらく食いつなぐ、ということが増えた。
そうしたら、今までの冷蔵庫では手狭になってきたのだ。
まずは、各社のカタログをもらってきて吟味。
現状への不満を元に機種を絞り込んでみる。
現在使っている冷蔵庫、自動製氷機能が邪魔になっている。
冬は氷なんかいらないからそこに食品を詰め込みたい。でも製氷機が邪魔で入らないのだ。
自動製氷なんかいらない!
…ってカタログを見ると、いまどき付いていない機種ないのね。
ただ、以前のような「冷凍庫の中に」自動製氷機があるのはさすがに使いにくいと思ったらしく、独立した製氷室になっている。
現在機種、年間使用電力(目安)410kw/h 。
これ以下の電力使用量におさえたい。
…いまどき、多少大きな機種にしても消費量減るのね。
飛びぬけて消費電力が低いのはナショナルだけど、カタログスペックで「No.1」を語るための特別機種らしく、普及機は他社と同程度。
現状、冷蔵庫はそれほど詰め込んでいない。でも、冷凍庫はつめこみが激しい。
野菜室は…ぎゅうぎゅう詰めの時と、空っぽの時の違いが激しい。
冷凍庫が多少大きめのほうがありがたい。
…どのメーカーも、冷凍庫を大きくする傾向にあるようだ。
そして、以前多かった横幅 60cm 程度よりも、大型機種は 68cm 程度が増えていることに気づく。
家の冷蔵庫スペースを図ってみると、68cm なら入る。
CM で見るような「切れちゃう冷凍」とか「熱いまま冷凍」とかどうなんだろう?
…各社似たような機能は備えている。
多少の違いはあるが、自分が利用するか状況を想定してみると、多用はしないと思うので、多少の違いはどうでも良い。
機能が多いメーカーでも、使う時は「どれか一つ」の選択式。つまり、切れちゃう冷凍状態で食品保存していたら、熱いまま冷凍は使えない。
現在3ヶ月の子供がいるので、調理したてで冷凍する機能は近いうちにあると便利かも。それ以外の機能は無くても良い。
明らかに駄目なメーカーはふるい落とされていくが、なかなか決め手に欠ける。
他にも紆余曲折あって、最終的に決めた冷蔵庫は東芝の511ℓ。
ポイントは3つ。
冷凍庫が他社より大きく、内部構造も使いやすそう。
野菜室が冷蔵庫の一部、という扱いになっており、「冷蔵庫は空いているのに野菜室がぎゅうぎゅうずめ」という状況の多い我が家には使いやすそうなこと。
(これは、冷蔵庫内が野菜室のように高湿を保っている、ということでもある。食品が乾燥してカピカピになることがない、というのも高ポイント)
ドアが観音開きで「片方だけ開けて取り出す」こともできるので、冷気が逃げなさそう。
(これは、消費電力に直結する問題)
まぁ、最後までナショナルとどちらにするか悩んだので…そういう意味では、やはり大きな決め手は無かった。
些細な問題で、東芝はナショナルより 10ℓ 大きかったとか、ナショナルは「たまごポケット」がたまご専用だが、東芝はたまご立てを外してただの小物入れにできるとか、そういう違いの積み重ねは重要ではあったけど。
購入したのは、もう2週間くらい前。
人気機種で納品に時間がかかる、ということで届いたのは先ほど。
一応配送時に下取り査定をしてもらうことになっていたが、以前の機種は買い取れないという。
「7年前までの機種」と条件にあって、今過去の日記を調べたら、7年を僅かに超えているので仕方がない。
冷蔵庫の中のものを移し変えてみると、確かに大きくなっているのがわかる。
345リットルから一気に 511リットルにもなったのだから、何でも入る感じ。
今までかき氷をしようにも氷を作る余裕が無かったのだが、これでこの夏もかき氷が食べられそうだ。
さて、前回の冷蔵庫買い替えにならって、ずっと床下収納に入れておいたワインでも冷やしてみるか?
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別年同日の日記
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2年半前に書いた「ドーラと大冒険」の日記ページにコメントをいただきました。
で、今日は以前の日記以降にいろいろと感じた「ドーラ」にまつわる話をまとめておこうと思います。
まず、コメントの返事から。
2年半前、ドーラは東京のローカル局であるMXテレビで放映されていました。
が、その放送もとっくに終わり、現在はテレビ東京で放映されています。
名称も「ドーラといっしょに大冒険」から「ドーラ!」に変わり、主要登場人物の「リュック君」も「バックパック」という、原作のままの名前になりました。
(以降、「~大冒険」を旧作、「ドーラ!」を新作と呼ぶことにします)
コメントを下さった方が見ているというテレビ愛知版も、テレビ東京の系列局として放映されている新作です。
さて、話がややこしいのですが、原作のほうも、どうやら第1シリーズと第2シリーズがあるようです。
(厳密に区別されているかどうかは知りません。あくまでも僕個人による区分です)
現在は第2シリーズが続いている形で、この二つはオープニングの主題歌部分で簡単に区別できます。
子供部屋の実写から、パソコンに写ったドーラたちのアニメに入っていくのが第1シリーズ、アニメ+3DCGで作られているのが第2シリーズです。
で、日本語版の旧作は、主に第1シリーズを扱っていましたが、最後のほうの数話だけ第2シリーズでした。
以前の日記で「無理に英語を使おうとする」と書いたのが第2シリーズ部分。
他にも、第2シリーズでは第1シリーズに無かった趣向として「スター集め」があります。
お話の途中で「スター」と呼ばれる星たちが現れ、みんなで捕まえます。
そのうち一つは特別な力を持ったスターで、お話の終盤でその力で活躍することになります。
ところで、アメリカではドーラは放送開始からあっという間に人気者となり、他社も類似番組を作るようになったようです。
特に有名どころが、ディズニーが手がけた「ミッキーマウスクラブハウス」(以下、クラブハウス)。
これも以前はMXテレビで放映していましたが、現在はテレビ東京に移っています。
(テレビ東京で放映しているものは、後半に東京ディズニーランドの宣伝番組が入るため、お話をダイジェストにしたもの。不自然な位置で映像が途切れたりする)
これが…ディズニーファンの方も多いようなので反感を買いそうですが、ドーラを見慣れた目で見ると、子供番組としての出来が非常に悪いです。
自社コンテンツの品質にこだわるディズニーがこんなものを放映しているのか、と思うとがっかりするくらい。
まず、これは日本語版だけの問題かもしれませんが、主人公格であるミッキーとドナルドの声が悪いです。
ミッキーの声は少しくぐもった感じ、ドナルドの声はしわがれたノイジーな感じで、何を言っているのか聞き取れません。
大人の知恵で一生懸命聞き取ろうとすれば、まぁ言っていることは判るのですが…
原作の声に近いイメージで日本語版を作っているのだと思いますが、元々ノイジーな発音のアメリカ英語のイメージで日本語を発音されると、ほとんど聞き取れません。
ここら辺は「大人のファンをがっかりさせない」ことに重点が置かれているように思います。
つぎに、ターゲット年齢層が不明です。
ドーラでは、時々「テレビの前のみんな」の手を借りるような問題が起こります。それはクラブハウスでも同じで、これらの問題は主に「数を数える」とか「特定の形のものを探す」など、4~5歳向けの課題です。
ところが、クラブハウスのお話の内容は、小学校高学年くらい、10歳児くらい向けのものではないか、というようなストーリー性のあるお話が多いのです。
同じ問題が「お助けキャラ」にもいえます。
ドーラでは、困った時にはバックパックの中に入っている荷物を選ぶことで「助けて」もらえます。
クラブハウスでは「トゥートルズ」と呼ばれる謎の存在がいます。
お話の開始時点で3~4個の道具の存在が明らかになり、困った時点でトゥートルズを呼ぶと道具をもらうことが出来ます。
これが…「ちょっとひねった」ものが多いのです。
長いねじり飴があれば、木の枝に引っかかったものを取ることができる、という具合に。
4~5歳の子には判らないです。10歳なら大丈夫でしょうけど。
さらに、トゥートルズには、毎回「ミステリー」なツールが1つ、隠されています。
困ってはいるけど、どうやら使えそうな道具が無い…というときは、ミステリーが(何の躊躇も無く)呼び出され、その場に応じた適切な道具が提供されます。
これがもう、先に書いた「ちょっとひねった」問題と絡めて、4~5歳児には理解できない。
ただでさえ、道具の使い方が判らないことが多いのに、唐突に「存在が明らかにされていない」ものを使わないといけない局面がある、というのは、大人でも納得しがたいものがあります。
おそらく、ドーラとクラブハウスの大きな違いは、発達心理学者の関与の度合いでしょう。
ドーラは、毎回最後のスタッフクレジットに、数多くの発達心理学者の名前が並んでいます。
クラブハウスでは発達心理学者がどの程度関与しているのかは不明ですが、本当の子供の心を理解しないで、大人の立場から見て「こんな簡単な問題じゃつまらないんじゃない?」とか、ドーラのやり方をベースに、改良のつもりで改悪してしまっているのだ、と思っています。
いずれにせよ、出来たものは4~5歳児向けをターゲットにしているように見せかけながら、10歳程度でないと理解できないシチュエーションも時々現れ…出演キャラクターは、大人のディズニーファンが喜ぶような作りをしているのだと思います。
子供番組としては、あまり質がよろしくない。
(…と批評できる程度には、うちでも見ているのですが)
もうひとつの類似番組。
もうずいぶん前になるのですが、カートゥーンネットワークで機関車トーマスの放映を開始する際に、記念として1時間程度の特別版を流していました。(従来のトーマスは15分番組)
このストーリーが…時々、「テレビの前のみんな」の力を借りて、トーマスが起こった問題を解決するお話で、ドーラが作り上げたお話の作り方を、そのまま真似したものだったのです。
こちらの真似は、クラブハウスのような問題は無く大成功。
ただ、普段のトーマスと余りにも雰囲気が違うので、子供が戸惑ってはいましたが。
ドーラでは、「ワンパターンを繰り返す」ことで子供たちの心を掴むことに成功しています。
そういう意味では、このお話は実験的に作られた1話限りのものだったようなので、もっとたくさん作ったほうがよいのかもしれません。
ともあれ、既に人気があるシリーズまでもが真似している、ということを知り、アメリカでのドーラの人気は本当にすごいのだな、と改めて感じた次第です。
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【りおこ】 続き(連続投稿失礼):クラブハウスは私も好きではないです。ミッキーもドナルドもキャストを変えてしまうと大騒ぎになりかねなさそうなぐらいキャラクターにマッチした声ですが、後者は特に聞き取りにくいなと思いました。(ごめんなさい、山寺さん)あと、ドーラのほうに多くの発達心理学者が携わっていたのにはびっくりしました。では (2009-10-28 20:18:09)【りおこ】 こんにちは。返事ありがとうございました。(コメントが遅れてしまってごめんなさい) (2009-10-28 20:13:50) |
瓜に爪あり、爪に爪なし。
…いや、爪って字を書こうとすると思い出す言葉。この日記には余り関係ないけど。
もう1ヵ月半ほど前、家族で海に行ってひどい日焼けをして帰ってきた。
その時の日記では「日焼けで痛い」程度にさらっと書いたが、もう、全身大やけど。
その後1週間はお風呂は入れませんでした。
(でも、子供を風呂に入れるのは僕の役目なので、湯船には入らず子供を洗ってやる)
右手の人差し指の爪が割れたのは、その1週間と少し後。キャンプに持っていった大量の食器などを、帰ってきてから洗っていたとき。
何かに引っかかった時に、おかしな痛みを感じて慌てて手を引っ込めた。
「爪がはがれたか?」と思ったが、そうではなく、なにか爪が白っぽいおかしな色になっている。
どうも、爪が剥がされる方向に折れ曲がったらしい。半透明プラスチックを無理に曲げたら白っぽくなる、というのを想像していただくとよいのだが、同じような状態になっている。
ずっと水を触っていて、爪が柔らかくなったかな、と思うが、その時は特に気に留めず。
翌日、また同じように引っ掛けてしまい、今度は少し割れる。
割れて引っかかりやすくなると、どんどん割れることが予想される。
とりあえず、瞬間接着剤で止めてみる。
でも、瞬間接着剤はお湯に弱いのね。
先に書いたように、子供をお風呂に入れるのは僕の役目。接着剤は長くは持たない。
妻のマニキュアを借りて塗ってみる。
こちらのほうが多少はよい。
割れた部分の状態は、言葉にすると難しいがこういう感じ。
右手人差し指の爪の、付け根付近で、横に向かって右側3分の1ほどが割れている。
ただ、まっすぐ下に割れているのではなく、先端方向に向かって、削ぐように割れている。
つまり、接着しようと思えば「のりしろ」にあたる部分が十分に取れる状態。
しかし、これが逆によくない。
爪の先に力がかかった場合は、梃子のようになって、表面の割れているところに強い力がかかることになる。
このため、マニキュアで皮膜を作っても、時々ぱっくりと割れてしまうことになる。
そうしたら、また塗りなおすしかない。結構面倒。
これが、人差し指だけでなく、右手の親指にも同じ現象が起こった。
こちらは、親指爪の左右両側に、小さな切れ込みが入ったような状態。
さらに、中指、薬指、左手人差し指にも、割れてはいないが「小さな傷跡」が。
面倒くさい、と思いながらマニキュアなどを塗り続けて1ヶ月ほどして、急に理解が出来た。
これはつまり、日焼けの後遺症なのだった。
全身大やけどの修復のためにケラチンが大量に使われ、爪に使われるべき分が足りなくなったために爪が弱くなったのだ。
そのため、傷は全ての爪で、同じような位置に出来ている。
理解できたから何かが解決するわけではない。
1週間ほど前には、ついに右手人差し指の爪の、割れているところから先がはがれてしまった。
爪が伸びて、傷は爪の中央あたりに来ていた。
先に書いたように、そこから「削いだように」割れていたため、はがれたとはいっても、実際には薄い爪が残り、本当に爪が無いのは先端の少しだけ。
ちょっと深爪したような感じだ。
ただし、その深爪の近くの爪は、薄くて柔らかい。
さらに、深爪部分の横は普通に硬い爪があるため、何かと引っかかる。
で、2日前には、親指の爪も同じように一部はがれた。
このときは、はがれたのが仕事で外出する時だったので、一日中いろんなところに引っかかって不快だった。
(はがれたところは、爪きりで大きな引っかかる部分を切り取った後に、マニキュアで保護しています)
ところで、子供の頃に読んだ科学の本で、「今作られた爪が先端まで行くのに、2ヶ月くらいかかる」と読んだ。
これを確かめたくて、爪の根元に油性マジックで印をつけたりしたものだが、大抵はいつの間にか印が消えていて、実験は失敗していた。
体が日焼けの修復に一番エネルギーを使っていたのが、日焼けの3日後だとして、今日で1ヶ月と1週間くらい。
爪の傷は、大体中央あたりに来ている。
大体2ヶ月、というのはどうやら正しそうだ。
別年同日の日記
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もう2ヶ月ほど前に読んだ本だが、いまさら記録しておく。
自宅で仕事をしていると、通勤時間も無いので本を読む暇もなかなか無い。
その中でも、それなりに本は読んでいるのだが、わざわざ人様にお勧めしようというような本にはなかなかめぐり合えない。
しかし、これは非常に面白かった。オススメ。
(大体、買ったのは1年も前だ。いまさら感はある)
一級の生物学者が、本のタイトルどおり「生物」と「無生物」の違いについて講義してくれる教養書である。
…と、いうつもりで読み始めた。
教養書である、というのはある意味正しい。生物に興味がある人なら素直に楽しめるだろうし、そうでない人でも「生きているとはどういうことか」というのは興味のあるテーマだろう。
この本は、この大問題の歴史を追いかけながら、作者なりの結論を教えてくれる。
しかし、ただの教養書には終わらない。
非常に良質な、青春小説としても読める。
なぜなら、作者なりの結論は、作者のアメリカでの研究生活に根ざしているからだ。
読者にそこのところを理解してもらうため、大学での研究生活の楽しさ、マンハッタンでの生活のわくわく感などを伝えるべく、研究生時代の回想をずいぶんと織り交ぜている。
これが、アメリカ文化の俯瞰にもなっていて、非常に楽しい。
「生きているとはどういうことか」の歴史もまた、研究生時代の回想と絡んでいる。
筆者の研究していた大学では、歴史上の偉人も研究をしていたためだ。
この本のすごいところは、これだけで終わらないところである。
本は終盤、良質なミステリー小説の様相を見せ始める。
「生きているとはどういうことか」という問題の思想史を追い、生物について発展してきた学問体系を読者に覚えてもらったところで、「現在の研究者たちの興味」に話は移っていくのだ。
「生物の仕組み」についての、重要な仮説。この仮説を検証するための研究レースが始まる。
レースに参加するものは、他の研究者より先に真実にたどり着かなくてはならない。
一番乗りは長く歴史に名を残すが、2番手はまったく忘れ去られる。
ここでも、過去の「研究レース」についての裏話、人間ドラマがちりばめられ、非常に楽しく読むことが出来る。
そして、それらの裏話は、研究レースの熾烈さを読者に追体験させることにもなる。
研究レースって、研究だけすれば良いんじゃないんだ。
どろどろした人間関係、渦巻く陰謀。疑心暗鬼の中で突き進まなくてはならない。
さて、筆者は研究レースに勝てるのか?
はらはらしながら読み進めることになる。…はらはらする教養書なんて、はじめてだ。
最後に、研究レースが終着すれば話は大団円…と思いたいのだが、ここにも大きなどんでん返しがある。
事実は小説より奇なり。フィクションなら「めでたし」になりそうな最後の場面で、もうひと悶着あるのだ。
ここら辺は、詳しく書くと読者の楽しみを奪うことになるので書かない。是非読んでいただきたい。
別年同日の日記
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毎年恒例高校仲間との花見に行ってきました。
(去年の日記は書いていなかったようだが、行っています)
今年は例年とは場所を変更し、掃部山(かもんやま)公園にて。
これは、昨年参加者の一人が「車で来ると酒が飲めないから、公共交通機関でいける公園がよい」と発言したため。
発言者責任で、その人が幹事で、場所探し・場所取りからやってくれました。
ところが、予定の3日前になってうちの次女(11ヶ月)が39度越えの高熱を出しました。
…あきらかに突発(突発性発疹)だよねぇ。でも、突発も馬鹿にできないので、妻と次女はお留守番決定。
長男(5歳)には花見の予定を伝えてあったので、お母さんは留守番だけどどうする? と聞いたところ「行きたい」との意向。長女(2歳11ヶ月)も行くと言うので、僕が二人を連れて電車で行くことに。
実は、僕だけで子供を連れて電車に乗るのは初めて。どきどきでしたが、案外問題なく現地まで行けました。
会場に集まる時間をとっくに過ぎてから桜木町駅について、「やっと駅に着いた」と幹事に連絡。
丁度買出しに出る予定だった、と言うので、駅近くのコンビニで合流。
子供も馴染みになっているメンバーなので、手が増えて助かりました。
公園は…花見客でいっぱい。
例年の公園より混んでいて、子供は走り回って遊んだりすることができず、ちょっと不満そう。
でも、いつもは「ちょっとだけ」のお菓子も、チョコレートもたくさん食べて、ジュースも好きなだけ飲んで、食べるのに飽きたら砂や草を集めて遊んでいます。
長女は長男について歩いていて、大丈夫そう。
…というわけで、子供が生まれて以来始めて、花見でほろ酔いになれるほど酒を飲む。
「ほろよい」どまりだけどね。
長男:「あ! 食べるのに夢中で、お花みるの忘れてた!」
いいんだよ。花見はそれで。
#花見は、神様のご機嫌を取るための神事、という説があります。
楽しく会食をすることで、神様のご機嫌を取る。だとすれば、見るのは2次的なこと。
詳しく知りたい人は「サ神信仰」を調べてみてください。
花見の後は解散。
でも、子供の「もっと遊びたい!」と、友人の子供(6歳)の「誰かうちに来てくれないの?」の言葉で、友人宅へ。
友人の子供、長男とは1歳違いですが、会うたびに仲良く遊んでくれるので助かります。
結局、帰りは5時半過ぎ。
家に帰ったら7時過ぎでした。
子供の感想。
「来週はおかあさんと一緒にあの公園行く! 綺麗だったからみせてあげたいの!」
非常に思いやりのある言葉です。
でも、来週には盛りが過ぎてるだろうな…
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別年同日の日記
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そろそろ落ち着いたころなので書いておこう。
震災2日後あたりに、「デマに惑わされないように」との政府公式見解が出された。
これを受けて、新聞などでもデマに気をつけるように、との報道、告知が繰り返し行われた。
では、混乱が落ち着きつつある今、あえて問おう。
デマとは何なのか?
我が家でとっている新聞(あえて名は伏す)では、チェーンメールでデマが出回っている、と報道された。
だからメール情報は信じるな、と書く一方で、ツイッターでは善意の輪が広がっており、活用することが呼びかけられていた。
ツイッターでもデマが回っている、と新聞社が認めた記事を書いたのは、震災から1週間も経ってからだ。
その後も、一度報道した内容を覆すのが恥ずかしいのか、ツイッターは善でメールは悪、と言う形の報道姿勢は変わらない。
デマの多くはツイッターで広まっているのに、それらを「信用できる情報」だと活用を勧めているのである。
この報道自体は「デマ」ではないのか?
東京電力は、少なくとも計画停電については、当初から十分な情報を提供していた。
ただし、その情報は、「電力」に関しての基礎的な知識がなくては理解できない情報だった。
混乱の中で、他者に十分伝えるための方策を練る時間がなかった、ともいえる。これは仕方のないことだ。
しかし、多くの報道機関が、東京電力の情報を、適切でない省略を行って伝えた。
省略は紙面の都合などもあり仕方のないことだが、その省略が適切でなかったのは、報道機関が不勉強だったせいである。
報道機関はその後、この計画停電による混乱を糾弾した。しかし、混乱は適切に情報が伝えられなかったことによって起こったものだ。
「チェーンメールやRTによってデマが広まる」と告知をしている報道機関は、内容を理解しないまま情報を伝えることで多くの混乱を引き起こしたのである。
この報道自体は「デマ」ではないのか?
原発の事故について、政府は(というより首相は)いち早く対応を開始した。
このことは評価すべきだ。しかし、対応が早かったのは「政府主導」を演出したかったためだ、という疑いがでている。
真相を僕は知る由もないが、東京電力や原子力保安院、原子力安全委員会が記者会見を行おうとしても、それを制して「まず最初に政府が発表する」という形を取ろうとしたそうである。
ところが、専門外の人間が記者会見を行おうとすれば、その人間に必要十分な知識を与えるために、必要以上に時間をかけなくてはならない。
このことにより、発表は遅れに遅れ、その発表の準備のために対策の「次の一手」を繰り出すのも遅れ、災害が深刻になった節がある。
首相が、自分にとって都合のよい形で情報を発表しようとして、適切なタイミングを逸した情報しか出せなくなり、混乱が広まる。
この発表自体は「デマ」ではないのか?
非常時には十分な情報を得る事が難しくなる。
その状況では、得た情報の妥当性を検証する事も難しい。
実は、これは「非常時」に限らない。
平常時であっても、我々は思ったほど情報を得られていない。
「デマに惑わされないように」
というのはたやすいが、デマとそうでない情報を見分ける簡単な方法は存在しないのだ。
かくして、デマに惑わされないように、という政府発表自体が、人心を惑わすデマに過ぎなくなる。
正しくは、こう言うべきなのだ。
「情報に振り回されないように」
問題は、情報の質ではなく、受け取った側の対応なのだ。
地下を巡る情報に振りまわされるのは
ビジョンが曖昧なんデショウ
頭ん中バグっちゃってさぁ
多くの人が知っていると思う歌「アポロ」の一部。
地下を巡っているかどうかはともかく、情報に振り回されないためには「ビジョン」を持つことが大切だ。
自分がどうすべきか、どうあるべきかを明確に分かっていれば、どんな情報が入ってきても振り回されることはない。
先に、新聞社の例を二つと、政府の例を一つあげた。
これらに共通している事は、情報を受け取ったものが、本来行うべき仕事をしていない、と言うことだ。
新聞社は、報道機関として、事実の裏にあるものや、情報発信者が発信しきれていない「真意」を汲み取らなくてはならなかった。
混乱時であることを言い訳にして、それらの仕事を怠り、単に入ってきた情報を再発信した。チェーンメールやRTと同じ事をしたにすぎない。
これでは、ツイッターでデマが出回りやすいのと同じ行動だ。それを、責任を自負するメディアが行っているのだから、罪はさらに重い。
政府も、情報を受け取ったら「かっこつけて発表する」準備に明け暮れるのではなく、すぐに打開策の策定に走らなくてはならなかった。事態は一刻を争うのだ。
しかし、それらの仕事を怠り、単に入ってきた情報を再発信した。…こちらもRTしたに過ぎない。
その間に、事態は深刻になった。情報は遅きに失するものとなった。
「デマに惑わされないように」と発信する政府が、情報に振り回されているのだ。
この罪は重い。
我々はどう行動すべきだろう?
有用な情報とデマを見分けるための簡単な方法は存在しないが、行動の指針は立てられる。
まず、入ってきた情報を二つに分けること。
情報には、事実の報道と、誰かの意見の二つがある。ただし、どんな情報であっても、この「どちらか」に単純に属しているわけではない。
どんなに事実をストレートに報道しているように見えても、それは事実の「断片」でしかない。全体は膨大すぎて伝えられないため、誰かが「必要と思われる箇所」だけを抽出しているのだ。となれば、それは既に事実ではなく、誰かの意見を反映していると見なくてはならない。
「必要と思われる部分」を抽出した人間が、本当にその分野の専門家であれば良い。
しかし、新聞記者は「記事を書く専門家」であるだけで、記事内容の分野の専門家ではない。抽出方法が間違っていることは、往々にしてありえる。
(だから、ツイッターが善でメールが悪、なんて頓珍漢な記事を書くのだ)
新聞によく出ている「有識者の意見」などは、事実ですらない。その分野に詳しくない新聞記者が、詳しいだろうと勝手に推察して記事の執筆をお願いしているだけだ。
その分野に詳しい人間が推薦する人間は、確実に詳しい。しかし、まったく素人が適当に探し出した人間が、詳しいとは限らない。
少なくとも、僕の購読していた新聞では、放射線と放射能の区別もつかない「原子力の専門家」が記事を書いていた。そして、新聞社はその記事がおかしいことに気づかずに、そのまま「専門家意見」と銘打って掲載したのだ。
この、混沌とした状況の中から、何が少なくとも事実で、何が個人の意見に過ぎないのかを分別しなくてはならない。
これが、情報に振り回されないための第一歩だ。
次に、情報の裏づけ調査を行わなくてはならない。
事実の断片であれば、別の断片を見つけ出して、より全体像に近いものを描き出す必要がある。
個人の意見であれば、その意見がどの程度の妥当性を持っているのか、その意見のよりどころとなる事実が本当なのかどうかを調べなくてはならない。
緊急性の高い報道ではよくあることだが、個人の意見を出している「有識者」も、断片的な情報を元に状況を推察している場合がある。
ここで、事実の断片を組合せて「全体像」を描き出すことが役に立つ。
有識者のコメントは新聞に多いが、印刷や配布の都合から、その記事は今あなたがいる状況よりも、数時間前に書かれているはずだ。
今の最新情報と照らし合わせると、前提条件自体が間違っていて、意見そのものが無効となっている場合もある。
逆に、有識者が「仮定」として書いていることが現実化している場合、意見は情報としての信憑性を増す。有識者が本当にその分野に詳しいことが前提だが。
事実の断片を集める時は、より多くの情報を当たらなくてはならない。
可能であれば、発信源に近い情報を当たること。誰かによって省略される前の情報が、一番多くの情報を含んでいるためだ。
どこに行っても同じ情報しかなかったり、発信源不明の情報であれば、その時点で怪しいものとして扱うこと。
なんらかの「憂慮すべき事態」が起こっているのであれば、情報がそんなに薄っぺらなものであるわけがない。
そして、十分な情報を得られたところで、情報を活かさなくてはならない。
その情報は、自分の行動を決定付けるのに十分なものか?
今すぐ自分が行動を起こすべきだ、と考えるなら、その行動を起こすべきだろう。
家を捨てて避難する必要があるならば、今すぐそうすべきだ。
パンを買わないと困ったことになるなら、今すぐ買いに走ればよい。
節電のために電気を消す必要があれば、今すぐ不要な家電品をプラグから抜こう。
自分で十分に吟味した情報であれば、それはデマではない。情報を分析した上で、自分が生きるためのリスク管理だ。
推論が間違っていて困ったことになっても、それは自分の責任だ。
パンを買い込んだのに翌日もパンが店に並んでいたのなら、カビる前に食べるしかない。
もしくはスズメの餌にしても良い。…金銭的に損したと思っても、自分の責任なのだ。
さて、推論の結果、自分がすぐに被害をこうむるわけではないが、家族や友人には警告しなくてはならない、との結論に達したとする。
では、警告すべきだ。…ただし、自分の言葉で。誰かが言っていた、とか、どこかに書いてあった、ではなく、自分の責任で。
十分に吟味した情報なのだから、それはデマではない。自分が発信者である事を添えて、堂々と発信しよう。
間違えていたとしても、あとで友人や家族から怒られたり、笑われたりするだけだ。
人に情報を伝える時は、その程度の覚悟を持って望もう。
さて、最後に重要な事を一つ。
長々と書かさせてもらったが、ここに書いてある事を無条件に信じてはならない。
感心しようとも、反感を持とうとも、もしくは全く無視しようとも構わない。
しかし、無視する場合を除いて、情報の裏を取ること。
僕が何か、根本的な間違いを犯して意見を述べている可能性がある。
情報の裏を取らずに信じれば、「情報に振り回される」ことになる。
それは、この記事の趣旨から言って、本意ではない。
間違いがあれば意見を書いてもらえれば幸いだが、後で読む人はその意見を信じてはならない。
僕の間違いを訂正してくれる意見だったとしても、その意見自体が間違っているかもしれない。
必ず裏を取ること。
今の世の中は、昔に比べて情報があふれている。
しかし、情報の質は決して上がっていない。
昔なら情報が少なかったため、一つづつの情報を吟味する時間があった。
今ではそれすらも難しい。乗り切るには一定の技術が必要だ。
技術は磨かなければ身につかないが、身についてしまえば難しいものではない。
すぐに情報を見分ける技術を磨こう。
まずは今、目の前にあるこの情報を疑うことから始めるのだ。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【azip77】 参考まで | 「吉田調書」など公開 菅直人元首相は福島原発事故で何を批判されているのか? | 2014.09.24 | thepage.jp | http://thepage.jp/detail/20140924-00000020-wordleaf (2015-04-08 13:31:44) |
毎年恒例、高校仲間との花見をした。
毎年、開花予想がでたころ…だいたい3月上旬に予定を立て、十分に参加者が準備できる時間を置いてから実施する。
ところが、今年はいつも花見の実施を呼びかける(呼びかけるだけで幹事はやらない)役の僕が、忙しくて呼びかけていなかった。
そして、3月11日の震災。
まだ混乱の収まらぬ15日ごろ、試しに「花見はどうする?」と呼びかけてみた。
呼びかけるからには、やる気は十分ある。
でも、この時点ではガソリンの供給は滞り、店にも商品は十分ではなかった。
話し合いの結果、この様な時に自粛を行うことは経済を停滞させるだけで、自粛すべきではない、との意見が多数。
その一方、僕も含めて子持ちが多いため、公共交通機関は乱れ、ガソリン供給にも不安がある状況では、実際問題として実施は難しい、というのも事実だった。
何よりも問題だったのは、毎年幹事を行っている友人が、会社から急な特命を受けて忙しく、余裕がないことだった。
急な特命とは、計画停電に対する対応として、数週間で会社の事務所を、関西以西に立ち上げること。
あまりにも無茶な要望だがやらざるをえず、家に帰る暇もないという。
というわけで、毎年やっている花見だが、今年は中止。
花見は「旧交を温める」ために行っているので、花が見られなくても余裕ができたときに集まろう、ということになった。
ただし、最初に書いたとおり、自分としては花見をやる気は十分。
個人的にでも花見をする人がいればかけつけるのでよろしく、と表明しておいた。
そして、5日ほど前。
後輩から、花見をしようと声がかかった。
毎年幹事をしている友人にも連絡を取ったところ、新たな事務所は立ち上がったが、計画停電も早期終了となったため、事務所移転は中止となって暇になっているそうだ。
(夏の停電に備えて、資材などは確保したままだそうである)
というわけで、急な召集でいつもよりは人数が減ったが、恒例の花見開催。
人間が、どんなにおろおろしていようとも春はくるし花は咲く。
良し悪しはともかくとして、時間は過ぎていくのだ。
自粛していたってなにも始まらない。止まっているより動いた方がいい。
今回花見の会場とした川の土手では、多くの人がそれぞれの方法で春を楽しんでいた。
子連れが多かったのが微笑ましい。
ところで、最初に僕が開催の是非を問うたときに「自粛する」と答えた後輩がいる。
花見の席で、参加した後輩が、自粛するとと言った後輩に、メールで現状を尋ねたらしい。
…別の場所で家族で花見してた。それなら来ればよかったのに。状況を見極めた前言撤回は、別に恥ずかしいことではない。
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
購読する新聞を変更した。
震災以来の日記に、いろいろと強い主張を書いているが、これは購読していた新聞の論調に対する反論、という側面が半分くらいあった。
別に言論の自由を阻害したいわけではない。
新聞各社にだって論調はあり、その論調が自分の考えと食い違ったとしても、怒らない。
でも、余りにも事実と違う報道がなされているのは、害悪だ。
明らかにおかしな記事を読んだ場合、僕はネットで別の新聞社の記事も調べ、裏を取るようにしている。
ところが、他の新聞社も同じ報道をしていたりする。
この場合、「自分が間違えていたことに気づいた」のなら、単に恥ずかしい話ですむ。
ところが、新聞各社の報道内容が同じであるにもかかわらず、より「一次情報ソース」に近い部分での話と食い違っている場合は、ちょっと問題がある。
通常はこのようなことは起こらないのだが、震災後の1ヶ月は、情報が錯綜していて頻繁に起こった。
地震や原子力をはじめとする発電方法、電気送信システムの仕組みなどは、どちらかといえば理工学系に属する話題だ。
ところが、新聞記者のほとんどが自分が文系であることを標榜しており、「理系の話はわからない」と理解の努力もしようとしない。
結果として、紙面は「政府がそういった」とか「偉い学者さんがそういった」というような伝聞記事ばかりになる。新聞社に対して求められている「情報の検証・編集」はなされない。
注:理系・文系というわけ方は無意味だが、世の中には、自分をそのような型で分類しようとする人間が多い。
…それどころか、自分の理解がおよばないことの言い訳にする人が多い。
そのため、あえて「新聞記者は文系」という文脈で書いた。
本当は、文系だから理解できない、のではなく、怠惰で(もしくは取材で忙しいのを言い訳に)理解の努力をしていないだけだ。
実際、震災直後は新聞記者は忙しかったかもしれないが、いつまでもそれを言い訳にしているのは、情報を扱うプロとして恥ずべき行動だと思う。
先に書いたとおり、ネットを使って震災後しばらくの記事を比較検証した結果、自分の購読していた新聞の報道姿勢は、残念ながら「比較的ひどい方」だった。
…どこの新聞かは、あえて言わない。
好きで読んでいる人もいるだろうし、「ひどい」と気づいていないなら、知らないままの方が幸せだ。
この新聞を、以降「A新聞」と書くことにする。
比較的、と書いたのは、他にもひどい新聞社があるから。先に書いたように、自分の購読していた1紙がひどいだけなら、黙って解約して終わりだが、同様の新聞が数社あったために、普段は日記に書かないような強い論調の記事を書いたのだった。
で、震災後1ヶ月を目処に、新聞を切り替えることにした。
ここまでにある程度記事比較はできていたので、比較的まともだと考えた新聞社を購読することにする。
以降、購読を決めた新聞を「B新聞」と書くことにする。
まず、B新聞のWEBページに行ってみたところ、1週間無料で試読できるらしい。
ただし、朝刊だけ。とりあえず申し込む。
そしたら、すぐに家に販売員が来て、「とりあえず」夕刊を置いていった。対応が早い。
約束どおり、翌日からは朝刊だけだったが、1週間を過ぎても届き続ける。
1週間で販売員が来て、購読を迫られると思っていたのに。
そこで、B新聞の購読を本格的に決める前に、それまで購読していたA新聞を解約することにする。
解約を販売店に告げるのは気が重い。実は、震災直前に1年間の延長契約をしてしまっているのだ。
延長時に「契約とはいっても、何かあれば解約できますから」といわれていたが、解約を渋られる可能性もある。
そこで、ネットで解約できないか、検索。
…ここで知った。震災後、A新聞を解約する人が急増しているようだ。
その解約理由のほとんどが「関連会社の震災後の態度が気に食わないから」。
関連会社を詳しく書くと新聞社名もバレるので、あえて書かない。
でも、新聞の報道内容と関係なく、関連会社にムカついたから新聞を解約する、というのも、新聞社が少しかわいそうな気はする。
これも風評被害の一種ともいえる…のか?
もっとも、実際に解約されて困るのは「新聞販売店」なので、僕のように記事内容に憤りを感じて解約するのも、結果としては同じことかもしれない。
(願わくば、解約が急増している事を受けて、新聞社が姿勢を正してくれると良い。たぶん、僕と同じように「報道内容に問題を感じる」ために解約する人もいるだろうから。しかし、そのくらいの良い姿勢があれば、最初から問題のある報道はしないはず。きっと、社内的には関連会社のせいにして終わりなんだろうな…。)
ネットで解約はできないとわかったので、販売店に電話をかけ、解約を告げる。
理由を聞かれた。報道内容に問題を感じる、と答える。
料金は引き落としで払っているので、区切りのよいところまでは届けてもらいたい、と伝えると、区切りの日付については、調査して折り返し連絡する、といわれた。
ともかく、解約できそうだとわかったので、新しい新聞の購読も申し込んでしまう。
販売店の人が来てくれると思っていたのに、連絡先もわからない。
仕方なく、ネットで購読申し込み。この場合、4日後からの購読しか申し込めないらしい。
もし、明日から今までの新聞が来なくなったらどうしよう。
今までの新聞販売店からは、翌日連絡あり。
月末で区切りだったから、4月いっぱいまで届けます、とのこと。
で、「あと1ヶ月か、2ヶ月でいいから購読を続けてもらえませんでしょうか」との懇願。
解約が多くて困っているのだろう。でも、申し訳ないがここはキッパリと断る。
とりあえず、新聞が読めないブランク期間なしに解約できてほっとした。
そして、しばらく読み比べられる期間ができた。
これを書いている今は5月であるため、既にB新聞しか届いていない。
しばらく読み比べられる期間があったので評価しておく。
A新聞は、震災以前からも、科学記事が余りにも弱いのが気になっていた。
また、1面コラムの内容が以前からひどかった。1面コラムは、新聞の顔、社説と同じくらい大切なのに。
もしかしたら、この新聞社は1面コラムは重視しておらず、新人社員の練習とかに使っているのかな?
…と思った時期もあったが、そうではなかった。ベテラン記者が一貫して書いており、新聞の広告などでも時々引用するほど「新聞の顔」として使われている。
でも、その内容が残念至極。読むといらいらするレベル。論理性がまるでなっちゃいない。
先の日記に書いたのだが、A新聞は、記事を「新聞社の記事」として一貫して書いている。
個々の記事を誰が書いた、と言うような署名は、基本的にない。
それが故、先に書いた震災直後の報道のように「Twitter は善でメールは悪」と言うような論調の記事を一度載せてしまうと、その後の他の記事もその論調で統一されてしまったりして、報道姿勢に問題があった。
つまり、科学記事が弱いこと、コラムの論理性がおかしいこと、記事の論調を無理に統一しようとして破綻することなど、全て含め言えばA新聞は「論理性がおかしい」のである。
新しく購読を始めたB新聞は、個々の記事が署名記事で、「新聞社の主張」としての記事は少ない。
(一面トップ記事や社説は、新聞社の主張として記名しないようだ)
個人の裁量をかなり許しているようで、すぐ隣にある記事が、同じ事を違う視点から論じているために、整合性が取れていないこともある。
震災後は各界の有名人が今後の日本について論じる連載を行っているようだが、ここの論調も全くバラバラだ。それぞれがそれなりに根拠のある事を言っているので、読む方に知識のベースが無いと混乱することは必至。
でも、個々の記事の中では論理性はしっかり取れているし、バラバラな事を書いているのも「切り取られた事実」であることがわかるようになっている。
ただ、記事が切り取られた事実であるなら、全体がどうであるかを想像するのは読者の役目。
それができないと、記事ごとの内容がバラバラで、おかしいように見えてしまう。
ここら辺、好みが分かれるところなのだろう。
僕としては、整合性を取るために歪んだ情報を伝えるよりも、いろいろな視点で書かれた記事があるほうが良いと思っているので、これでよい。
もともと、B新聞を購読するに当たり決め手となった、科学記事に対する正しい報道姿勢は輝いている。
たとえば、毎日のように全国の放射線量が報道される。
A新聞では、「最新の」放射線量が明示される。まぁ、これでも十分な報道だ。
B新聞では、最新に加えて、過去2日間と、「震災以前の標準値」が明示される。
ただでさえ限りのある紙面で、大きな表を掲載し、しかもそのほとんどが数字の羅列、というのは、見るのも嫌になる人もいるかもしれない。
でも、値だけ載せても意味が無い。その値が「異常かどうか」を見極めるには、過去のデータもなくてはならない。「過去の新聞を引っ張り出せばわかる」ではなく、その場ですぐデータが見れることが大切。
この意味で、B新聞の方が、値の取り上げ方として正しい。
これは一例。他の記事でも、A新聞は科学的に何が重要かわかっておらず、報道としては正しいのだが、大事な部分を省略してしまったために、疑問が残ることが多かった。B新聞ではそのようなことが少ない。
一方、報道の速度は、B新聞の方が若干遅いようだ。
どうやら、編集方針として「十分な検証」がなされてからの報道を心がけているようである。
ここも、人によって好みが分かれるところ。
僕としては、速報はテレビやネットで良い。新聞は検証と編集を十分に行ってから報じるべきである、と思っている。
最後に書いておくが、この新聞、それほど評判はよくないようだ。だから、人に購読を薦めるものではない。
評判がよくない最大の理由は、やはり、「論調がバラバラ」なところにあるだろう。
事実を切り取り、できるだけフィルタも通さないで報道しているわけだが、それは「背景を知らない人には理解しにくい」ことでもある。
新聞を読むだけでなく、その「隙間」にあるものを自分で考えないと、論調がバラバラであることに混乱してしまう。
実のところ、この「混乱」は新聞のせいではなく、世の中は複雑である、という当たり前のことに基づいている。
でも、新聞を「なんとなく」読む大多数の人にとっては、余りにも不親切な編集方針である。これが不評の最大の理由と思われる。
元々不評なので、叩かれやすい。
震災直後の週刊誌では、記事内容が「他の新聞や週刊誌」と違う、と言う理由で叩かれていた。
(今まで購読していた新聞の、週刊誌の広告で見出しを見ただけだが。内容は、原発トラブルに対する論調を問題視するものだった)
実際、購読を決めるに当たり、その見出しのことも頭をよぎり、躊躇した。
しかし、ネットで記事を読む限り、記事内容が違った理由も「他のマスコミ各社より、科学的な素養のある記者が多いため」だという気がしたので購読に踏み切った。
ゴシップ中心の週刊誌で書かれたような「評判」を、どの程度の人が信じるのかわからない。
でも、震災から2ヶ月たって検証する限りでは、B新聞の報道内容が他の新聞社と違ったことは、問題なかったように思う。
原発トラブルに関しては、A新聞などでは、不安を煽るような内容が書き連ねられていた。
この原因の一つは、不勉強で放射線に対する知識がいないため、「記者自身が」無用に不安になっていたためだ。
しかし、しばらくたって記者も勉強した。それから風評被害を問題として、「実際には不安はない」ことを伝えようと努力していた。
B新聞はこれに対し、事故の内容は当然伝えつつ、科学記事に強い記者が多い事を活かして「不安はない」ことを全力で伝えようとしたようである。
とはいえ、全く安全とも言い切れないため、後に時間をかけて詳細な解説記事を載せ、「放射能を正しく恐れること」を啓蒙しようとしている。
A新聞が間違っているとは言わない。
何らかのリスクがあるときに、とにかくすぐ逃げろ、と言うことは間違いではない。
新聞を読む一般市民は放射線に対する知識を持っていないので、その視点に寄り添うことも必要だろう。
でも、B新聞のやり方も間違っていない。
妙な不安を煽るより、まず落ち着かせてから、正しい現状を把握させようとする、というのは良いやり方だ。
ところで、B新聞を叩いた週刊誌は…というより、週刊誌各誌は、不安を煽り続けた。
うがった見方だが、定期購読されている新聞と違って、週刊誌は不安を煽った方が売れ行きが伸びるからだ。
(人は、不安になれば情報を求める。不安にさせておけば、次号も買ってくれるだろう)
だとすれば、「不安はない」と断言するB新聞は週刊誌にとって邪魔な存在であり、叩きたくなる気持ちも理解は出来る。
もっとも、僕はこの「叩かれた時」のB新聞を直接読んでもいないし、叩いた週刊誌も読んでいない。
もしかしたら、叩かれるに値するような、もっと別の理由がある可能性もある。
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【あきよし】 話が長くなるので、最新の日記に返事を書きました。 (2012-08-24 11:20:40)【通りがかりです】 なんかどうしても知りたいです、、こっそり教えてもらいたい。 (2012-08-23 21:05:34) 【通りがかりです】 具体名が書いてないのであれですが、私もそうです。最初は余震で手がいっぱい。原発など考える余裕もなく過ごしましたが、あとから深刻なんだなあと。その後社説で脱原発と決別をなんて書かれたのでちょっといが悪くなりまして、Aに変えました。前のYは気に入っていましたが、流石に堪えられないので。あなたも同じですか。 (2012-08-23 20:54:50) |
そんなわけで、経済産業省いわく「59%の削減になる」節電メニューはちゃんと守りましたよ。
というか、月にエアコンを使わない日は20日、と目標を立てたが、今のところ1度も使っていない。
で、実際の削減率は -27% でした。
サランラップをもらえるかもしれない権利獲得。
いま、節電メニュー作成画面を見直したら、「今年から新たに始める項目を」入力するように促されていた。
最初からこうだったのか、後に追加されたのかはわからないが、自分が見落としていただけの可能性は高い。
そんなわけで、去年からやっていたことは、チェックをはずした。
59% の削減になるよ、という内容は、一気に 4% の削減までトーンダウンした。
しかしまぁ、現実には 27% なので、がんばったと言い訳しておこう。
本当は、30% 程度を狙っていたのだけどね。
ちなみに、節電メニューには項目がないが心がけていたのは、
・テレビをできるだけ見ない。もちろん見ないときは主電源を落とす。
(節電メニューでは「必要な時以外消す」なのだが、その必要性も削減する)
・パソコンの買い替え。自宅で仕事しているので使用時間が長い。
・2台あったサーバーをバーチャル化して1台にまとめる。
・Wii は使わないときプラグを抜く。Wii Connect24 ってなんだっけ?(笑)
・Wii を使わないのだから、Wii 近くの HUB や WiFi ステーションの電源も切る。
他にも、こまごまと節電の意識は持っていますが、こまめに電灯を消したりする程度。
ついでなので書いておくと、「以前からやっている節電」では、節電メニューに挙げられたところでは、エアコン設定温度28度(冬場は20度)とか、夏場の日除け・緑のカーテン・冷蔵庫弱設定・電気保温ポットを使わない・食器のまとめ洗い(食洗機使っているので)などなど。
それ以外には、電気掃除機は使わない、あたりが特筆するところか。箒(ほうき)とちりとりでやっています。
以前はRoombaも使っていて、壊れて不便を感じたりもしたのですが、最終的に使いやすさを求めていったら箒にたどり着きました。
電気掃除機の、コードの取り回しが面倒なんだよね。それを考えると箒のほうがはるかに簡単。
(絨毯がないから、という要因は大きいので、万人に薦められるものでもありませんが)
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【あきよし】 大人は根性でなんとかなるのですが、子供…うちの場合2歳児が問題で。そこらへんの詳細を新しい日記に書きました。 (2011-08-23 11:05:36)【結衣りん】 うちは冷房30度、暖房18度ですよ。夏は扇風機で、冬は寒さに強い家系っていうのと、あと根性(!)でなんとかしてますw (2011-08-22 16:32:02) |
仕事先のサーバーが、不正侵入されていた。
「されていた」というのは、すでに4ヶ月も前のことが、今週になって発覚したから。
震災の翌日、3月12日に、仕事先のサーバーが妙に「重い」状態になった。
これはリセットしたら直った。その後は順調…に思えていたのだが、2週間ほど前に、サーバーが一台死んでいるのが発覚。
サーバーが死ぬことに問題はない。クラスタ構成をとっていて、1台が死んでも別のサーバーが肩代わりすることで、サービスの停止を防げるからだ。
しかし、死んだことが管理者に通知されなかった。そのことに問題がある。
管理者が原因を探っていたら、定期的にサーバーを監視するプログラムが一台のマシンで起動されていないことがわかった。
本来、cron で定期的に起動されるのだが、その記述がなくなっているのだ。
その代わり、cron には見たことのない記述が残っていた。
…厳密に言うと、本来記述されている記述と「わずかに違う」記述になっていた。
この時点で、管理者の人から僕に相談が来た。「なんか心当たりあります?」と。
この記述のわずかの違い、が問題だった。
sh . ../update
なんて書いてある。
update ってプログラムは以前から使っているが、その起動記述は、こんなに . (ドット)だらけではない。
調べてみたら、 . .. と言う名前のディレクトリが作ってあった。
ドットで始まっているので、普通は表示されない。
一見すると . (現在のディレクトリ)、 .. (1個上のディレクトリ)のように見えるので、コマンドラインからはこのディレクトリの存在には気づきにくい。
こんな「気づきにくい」ことをしている時点で、なんらかのものを「隠そう」としていることがわかる。
そう、何者かにクラックされているのだ。
入れられたファイル群の中で、特徴的なファイル名を手がかりにネット検索開始。
…日本語の情報はほとんどないが、海外にはわずかに情報があった。
なぜか、多くの情報は中国語。ほかにロシア語もあるが、英語もあった。
で、英語のページを読んでみる。
多くのページが「こんなの入ってたけど、なに?」と言う内容で、役に立たず。
でも、役立つものもあった。
どうやら、入れられたプログラムは直接の悪事は働かないものの、定期的に IRC (チャット)に「自分の存在」を通知し続けるようだ。
セキュリティホールがあるからプログラムが入れられ、入れられたことにも気づかないから動作し続けるわけだ。
つまり、IRC に通知がある限り、「セキュリティの甘いコンピューターがここにある」ことを知らせることになる。
直接の悪事は働かなくても、悪いものをおびき寄せる十分な餌となってしまうだろう。
あるページでは、さまざまな証拠を元に「script kiddies」の仕業だと結論していた。
script kiddies 、つまり「スクリプトを仕掛けることしかできない、おこちゃま」。ハッカーではない。
この攻撃が主に中国から仕掛けられている、とも明記するページもあった。
あぁ、それで中国語の情報が多かったのか。納得。
仕事先に仕掛けられたものも、ディレクトリ名に多少の工夫はあったものの、慎重さに欠けていた。
多くのファイルのタイムスタンプは3月12日、午前0時半。おそらく、ファイルを展開した時刻なのだろう。
なによりも、crontab を「置き換え」たのは軽率だ。追記だったらすぐには気づかなかっただろう。
動作で書き換えられるファイルの最終タイムスタンプは、12日の午後11時ごろ。
このころ、どうもサーバーが重い、と再起動を行った。
あれ? じゃぁ、その後プログラムは動いていないの? とプログラムの中を読んでみると、プログラムは cron で一定時間ごとに起動されて、すでに別のプログラムが起動しているときはなにもせずに終了する、というしくみになっていた。
起動しているかどうかは、前のプログラムが残したファイルで確認する。正常終了時にはこのファイルは消去されるので、ファイルが残っていれば起動中だ。
…いや、そうではない。
異常終了時にも、ファイルは残ったままになる。そして、ファイルがあるとプログラムは起動しないので、2度と起動しない。
サーバーが重い、と再起動されたとき、まさにプログラムは途中で「異常終了」させられてしまい、ファイルが残ってしまったのだろう。
その後、cron にプログラムは登録されたままだったが、事実上起動していなかった。
さて、「今は害がない」とわかったところで、当然興味は「どうやって入れられたか」に移る。
サーバーの管理者は、定期的にアップデートもかけているし、セキュリティホールはないはずだからどうやったかわからない、と言う。
でも、ssh で PasswordLogin できるのはまずいと思う。root でも入れるし。
秘密鍵を使用して、パスワードログインを禁止したほうがよい、と言ったのだけど、当面やるつもりはないようだ。どうも、管理者が使用しているソフトの一部が秘密鍵暗号に対応していない模様。
このサーバー管理者の保守しているサーバーは、過去にもクラックされている。
そのころだって、「セキュリティは十分」と言っていたのだけどね。
まぁ、いいや。これ以上はサーバー管理者の領分なので、僕は強くいえない。
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 【あきよし】 後日談。その後、迅速に対策がとられ、sshdの設定でパスワードログイン不可、rootログイン不可となりました。 (2011-08-10 10:16:08) |
節電の話。
8月の削減率は 37% でした。
先月よりアップ。
と言ったところで、先月から特に生活が変わったわけではない。
…変えなかった、と言ったほうがよいか。
昨年ならクーラーを使った時期になっても、クーラーを使わなかったので。
クーラーの代わり(?)に、子供たちが大活躍。
庭中に水をまいて(日中に花に水をやるとよくないので、通路にしかまかない)、涼しくしてくれた。
子供にとっては水遊びの延長。大人としてはありがたい。
ちなみに、水は隣の田んぼからあふれ出て側溝を流れてゆくものなので、水道代はかからない。
子供たちは汗をかくが、遊んだ後は水風呂へドボン。
自分が子供のころの夏って、そういうものでした。
夜も窓を開けて寝れば暑くはない。
自分は中学のころからベーデン・パウエルへのあこがれで、寒くても窓を開けて寝るのは好きだった。
(スカウティング・フォア・ボーイズの中に、そういう話が出ているのね)
妻は防犯上の理由から、寝るときは窓を閉めないとダメだった…のだが、今年は「開けてもよい」という許可が出た。
なので、窓を大きく開けて寝る。夜も快適。
子供たちも特に問題ない様子だったのだが、次女(2歳)だけはそうではなかったようだ。
あせもがひどかった。
家では夜だけでなく朝も風呂に入れて、保育園では冷房も利かしていたし、水浴びもしていたのだが…
8月17日、今年の夏でもっとも暑かった3日間の初日、寝ていて急におき「痛い、痛い」と騒ぐ。
あせもが悪化してオムツかぶれになっていた。
さすがにこれはかわいそう。寝るときだけ冷房を入れることにした。
温度はもちろん 28度で。
オムツかぶれは、薬も使ったこともあり、翌朝には軽くなっていて、その夜にはもう直っていた。
でも、18日、19日の夜も冷房を入れる。
そしたら、20日からは雨になり、気温も5度~10度下がった。
なので、クーラーを使ったのは今年は3日間のみ。今後は秋になっていくので、もう使うことは無いだろう。
検針日の関係で、このクーラーを使った日は9月分にカウントされるはず。
だから、37% 削減は「まったくクーラーを使わなかった」ために実現された数字。
9月分は、それほど削減できないのではないかと思います。
別年同日の日記
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NHK E テレ(教育放送)で放送している子供向けの料理番組(…ほぼ名指しだな)で「イチゴは野菜か果物か」なんてクイズをやっていた。
答えは野菜、といわれて、長女(もうすぐ5歳)が驚いている。
「イチゴは野菜なの?」と僕に尋ねる。
理科の勉強ではね、と答える。
野菜といっても間違いではないけど、くだものといっても間違いではない。
だから、くだものって思ったままでいいよ、と教えると安心したようだ。
イチゴが野菜だというのは、植物学的な知識に基づく「一方的な」見解に過ぎない。
「くだもの」とは「腐(くた)るもの」という古語からきている、という説がある。
甘くてやわらかい草木の実は、すべて「くだもの」だ。
これに従えば、イチゴもスイカもバナナもトマトも、みんな「くだもの」だ。
#別説に「木(く)だもの」の意味、というのもある。「だ」は、「の」とおなじ意義。
この場合も、木のもの、と呼んでいるが、草木の実一般を呼ぶことに異論は無い。
果物、と書くとき、「果」は木の上の田、つまり木に付いた収穫物(=実)を示す。
…と書くと、やっぱりイチゴは木ではないから野菜だ、という人が出そうだ。
しかし、「果物」は漢語由来で「かぶつ」と読むのであって、これを「くだもの」と読むのは、漢語に対して、似た意味の大和言葉を当てはめたに過ぎない。
むしろ、古文では「くだもの」に「菓子」の字を当てている。「果」の字の上に、さらに くさかんむり が付いている。木の実だけでなく、草の実も含むのだ。
菓子は後に違う意味に転用されるようになったので、くだものは「水菓子」と呼ばれるようになったが、後に「果物」に「くだもの」の音が当てはめられた。
同様な話題で最近よく聞くのは、「イチゴの食べる部分は実ではなく、種だといわれている部分が実」だという話。
これも植物学的には正しいが、一方的な見解に過ぎない。一般には食用に適する部分を「実」と呼ぶのだから、食べている部分は実で構わない。
「くだもの」も「実」も、言葉は植物学の発達以前から存在している、ということに気を遣わなくてはならない。
植物学の発達により、より厳密な定義が必要になったので、言葉を再定義した。
その結果、今まで使っていた言葉と意味が異なってしまった。だから、この言葉は「植物学者」の間でのみ通用するもので、一般的なものではない。
学問の発達による言葉の再定義は珍しいことではない。
専門家が使う用語は、一般的な用語と同じように見えても、違うことがある。
この「あたりまえのこと」を踏まえていれば、イチゴが野菜か果物か、とか、どうでもよい論争をしなくてすむようになる。
植物学では野菜だけど、普通はくだものって呼ぶよ、というのは「正解は野菜」というよりも、はるかに正解に近い。
そして、逆もまた真なり。自戒もこめて…
専門家は話をする際に、わかりやすく伝える努力をしなくてはならない。
この日記、もとは上の話は「おまけ」で、メインは昨日の嵐の話だった。
でも、わかりやすいので上の話をメインに挿げ替えた。
昨日の嵐、事前に気象庁が警告を出していた。
前日の新聞にも、「970 hPa の爆弾低気圧」が関東付近を通るので、嵐になることが書かれていた。
970 hPa ってのは大事だ、と我が家では話題になったのだが、新聞ではこの記事の扱いは小さかった。
気象庁は確かに正しい用語で警告を出したのだけど、それは気象学での用語の話だ。
危機感を伝えたければ、嘘を承知で「超大型の台風」と言わなくてはならなかったように思う。
#通り過ぎた後の発表では「超大型の台風並だった」としていた。
もしかしたら、気象庁発表は変わらないまま、ことの重大性に遅ればせながら気づいた新聞社が気を利かせただけかもしれない。
メインとサブの話をすげ替えたけど、「おなじ話が近いうちに2個あった」のではない。
こんな話、毎日2個も3個もある。
日本人はコミュニケーション下手だ。
もっと相手に伝える努力が必要だ。
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
昨年秋にピューロランドに行ったとき、お誕生日に来ると、さまざまな特典があることを知った。
その後、次女(2歳)が、テレビでピューロランドの CM を見るたびに「ここいったねー またいこうねー」と繰り返す。
また行きたい、ではなく、またいこうねー なのがポイント。行ってやりたくなる。
長女(4歳)も楽しかったようで、参加型の劇「どきどき!マジカル☆マーチ」で使った魔法使いの衣装を時々着て遊んでいた。
次女も長女も4月が誕生日。
そこで、14日の土曜日に行くことにした。
事前に下調べして、行ける事が確定したら子供にも「いくよ」と教えておく。
これで、あとは勝手に盛り上がって、当日を心待ちにしたのだった。
さて当日。
「誕生日の人」の特典は、開園直後から始まる。
10時開園だが、10時半から「ハッピーはっぴ~バースデーSHOW」という舞台があるのだ。
うちはピューロランドまで1時間以上かかるので、子供たちを朝6時に起こす。
運悪く雨。荷物を増やしたくないが、傘を持っていかないわけには行かない。
濡れることを予期して、タオルなども持っていかないといけないだろう。
7時には家を出て、7時半には電車に。
現地についてから開園をのんびり待つくらいで行きたい。
が、計画をぶち壊したのは、僕のケアレスミスだった。
電車の乗り継ぎの都合で、途中駅が終点の電車に乗らざるを得なかった。
その駅で降りて、乗り継ぎ。
次の電車に乗ったところで気づく。
荷物を網棚に載せたまま、忘れてきた。
誕生日の特典を受けるには、誕生日の証明が要る。
それは、忘れた荷物の中だ。
入園割引券も、ビデオカメラも、全部その中。
雨のためいつもより荷物が増え、結果として子供たちも「自分のリュック」を持っていた。
乗換駅で、子供が荷物を落としたので忘れないように拾ったりしていて、自分の荷物を忘れたのだった。
次の駅が乗換駅だったので、降りて忘れ物預かり所に相談。
降りたところが終着駅なら、そのあと車掌が点検しているはず、とまずは問い合わせてくれる。
しかし、荷物は無かった。
電車の運行をしらべて、この後車庫に入ってしまうと教えてくれた。
車庫に入ると点検は不可能、次は20分後に車庫から出てくるので、始発駅で点検するはず、とのこと。
仕方が無い、妻がその駅に行って荷物を取ってきてくれることになった。
…と、相談していると、また駅員さんから声がかかる。
先ほど調べた運行表が違っていたそうで、車庫には入らず折り返した、とのこと。
終着駅のしばらく前の駅が始発になって、遠ざかっているところ。
すでに追いかけても間に合わない。
一番最後まで行って折り返すところで、また荷物のチェックがなされるだろうから、そこまで行かないといけないと言う。片道1時間以上かかる。
それならそれで仕方が無い、と妻が終着駅の電話番号を聞く。
追いかけるのが無理なら、ともかくピューロランドへ行こう。
で、先に進む電車の中で妻が問い合わせ。
忘れ物した、と告げると、いろいろ調べてくれ…回送した電車の、始発駅で見つけられて預かっているらしい。
そこなら往復しても1時間かからない。
妻がとって来てくれる事になった。
僕は、子供をつれて先に進む。
(特に次女が僕になついているので、僕一人での行動はできない。妻一人でなら行動可能)
ピューロランドの開園前には、ギリギリで間に合った。割引チケットは使えないが、仕方が無い。正規料金で入る。
(妻の分のチケットは、後ほど割り引いて購入)
園に入ってすぐ、インフォメーションカウンターに行って、事の次第を説明。
あとで必ず証明するから、なんとかお誕生日のあれやこれをさせてもらえないか?
幸い、最初の「バースデー SHOW」には証明は要らなかった。
また、当日予約が必要なパーティ、「バースデータイム」も証明不要、とのこと。
証明が必要なのは、バースデーカードをもらうこと。
これを首からさげていると、キャストの方々に「おめでとう」といってもらって、キャラクターのシールをカードに貼ってもらえる。
これは、仕方が無いので後ほどもらうことにする。
バースデータイムの予約をレストランに行って入れてしまう。
「誕生日の人の参加費は2千円」となっていたので、長女・次女の2人分必要かと思っていたら、これは一人分でも OK らしい。
その場合、ケーキやプレゼントも1人分になるけど、別に構わない。
バースデー SHOW が終わる頃、妻到着。
二人分のバースデーカードも、すでにインフォメーションでもらってきてくれている。
ありがとう。本当に助かった。
これで、あとは幸せに長女・次女の誕生日を祝ってやれた。
CLUB KITTY では、長女と長男は楽しく踊っていた。
次女は恥ずかしさもあるのか、僕にずっとしがみついていた。
長女・次女とも「見たい」と言っていたマイメロディーの劇も見られた。
(自分で見たいと言っていたのに、前と同じ内容なので長女は途中で飽きていた…)
イベントの「ジュエルペットパラダイス」は…子供3人で、「ふわふわ」を楽しんでいた。
次女が怖がるので僕も一緒に入って、中で遊びやすいように誘導していたのだけど。
(ふわふわって、楽しそうだけど中に入ると何をしていいか、途方にくれることも多い。
周囲にジュエルペットがたくさん描いてあったので、「ルビーはどこ?」「サフィは?」とか問題を出してやると、子供たちで走り回って絵にタッチして楽しんでいた。
もちろん、わざと次女の近くの絵を言ったり、みんなが「勝った」感じが出るように演出。)
さて、バースデータイムについて。
これは、多少高いと思ったが頼んでよかった。
(先に書いたように、誕生日の人は2千円、他の参加者は5百円。
誕生日の人はケーキとプレゼントが付く。他に、全員にキティ型のクッキーの小袋。フリードリンク。
3歳未満無料だが、その場合はクッキーは付かず、ドリンクは飲める)
誕生日の人がいるグループしか参加できないし、少人数にするため、早めに予約しないと入れない。
(誕生日の証明は不要)
内容的には、キティちゃんがきて、歌を歌ってくれる。
1グループごとに誕生日の人を紹介してくれ、バースデーカードを手渡しして、記念撮影してくれる。
…まぁ、大まかに言えばそれだけ。
でも、「キティちゃんが間近にきた」というだけで、長女も次女も照れ照れ。
少人数であることはここに活きていて、1つづつのテーブルを、ゆっくり時間を掛けて回ってくれる。
この日は、JCF … ジャパンコスプレフェスティバル in ピューロランドの日だった。
3時から、コスプレした方々が入ってくる。
別にコスプレイヤーに偏見は無い。
変な…というと失礼だが、いろんな格好の方がいても問題は無い。
でも、せっかく一生懸命やっているのはわかっても、僕が詳しくないので元ねたがわからない。
元ねたがわかったら、声ぐらい掛けてあげるのに。…申し訳ない。
マイメロディとクロミ(メロディのライバル)の格好(?)をした二人組みがいた。
写真撮りたかったけど、子供の相手をしている間に声をかけるタイミングを失って撮れず。
とりあえず、TPO にあわせたコスプレをできる人はエンターテイナーだと思う。
「自分が楽しいから」するので構わないのだけど、ピューロランドなんだからサンリオキャラで、というのは、周囲を楽しませようとしている態度だ。
#今調べたら、毎月ペースで開催されているようだ。
年に一度かな、と思っていたので、たまたま変わった日に行ったと思っていたのだが。
関連ページ
別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |