今日は、西角友宏さんの誕生日(1944)
名前はあまり有名ではありませんが、作り出したものは多くの人が知っている。
スペースインベーダーの開発者です。
過去に世界最初のゲームについて書いていますが、まぁ、多くの人が世界最初のゲームは PONG だと考えています。
これは商業用として最初にヒットし、ゲーム業界を作り出した作品。
でも、その前に同じ作者による、「COMPUTER SPACE」というゲームがあります。
PDP-1 で遊ばれていた「SPACE WAR!」を業務用にしたもの。
…なのですが、もちろん業務用にするためにルールは違いますし、最大の違いは、SAPCE WAR! がプログラムで作られていたのに対し、COMPUTER SPACE は回路で作られているということ。
当時、コンピューターはまだ非常に高価でしたし、プログラムを解釈して処理できる機械を作ろうとしたら大変でした。
だから、安くするためには回路で組まないといけなかったのです。
PONG も回路ですし、その後の多くのゲームも回路で作られています。
しかし、タイトーから発売されたスペースインベーダーは CPU 8080 を利用して作られ、回路では実現できないような複雑な内容を持っていました。
そのために大ヒットしますし、同じように「プログラムされた」ゲームが大量に作られ、ゲーム業界を作り出すことになります。
#ソフトウェアで作られた初の業務用機、ということではない。
インベーダー以前に日本でもヒットした「サーカス」(風船割ゲーム)も 6502 を使用している。
ただ、サーカスは絵がきれいになり、遊びに幅は出たものの、ブロック崩しの亜流に過ぎない。
インベーダーは、ブロック崩しのブロックが動いたら面白いのではないか、というアイディアから着想されたそうです。
ブロック崩しは、ただでさえ狙うのが難しいゲーム。
動いたらとても狙ってられないので、直接「撃つ」ことにします。
ということは、ボールがないのだから、「落としたらダメ」にはできない。
そこで、敵からも反撃があるようにします。
このままだと戦争ゲームになってしまい、なんだか血なまぐさい。
当時スターウォーズが流行していたので、宇宙戦争ということにします。
これで大体インベーダーゲームの骨子の出来上がり。
非常に論理的に組み立てられていますが、「全く新しいゲーム」を感じさせてくれました。
プログラムで作られたゲームとしては最初期のものなので、バグも多いです。
ミサイルがインベーダーの「下」ではなく、「2つ下」から出てしまうため、密着するとやられない。
いわゆる「名古屋撃ち」です。
インベーダーは左右に動きますが、右に進むときは、左に進むときよりもわずかに速いです。
これもバグだったそうですが、微妙な速度の緩急により、ゲームを単調ではなくしていました。
ビットマップの画面にキャラクターを描き、動かすときには消す必要があります。
でも、インベーダーは左右にしか動かないのだから、左右の余白を大きくしておけば、新しく「描く」時に、以前のものも消してくれる。
…はずでしたが、一番大きな 10点インベーダーが、上に書いたバグにより、最高速で右に進むと軌跡を残しました。
いわゆる「レインボー」。
バグかもしれませんが、すべてがいい方向に動きました。
他社からも真似をしたゲームが多数発売されましたが、バグをとってしまったゲームは「つまらない」と言われてしまう始末。
PONG のコピー基盤でアメリカのゲーム業界が形成されたように、日本ではインベーダーのコピー基盤でゲーム業界が形成されます。
コピーというより「パチモン」と言ったほうがいいかな。
まるっきりコピーする、いわゆる「デッドコピー」ではないです。
(デッドコピーもありましたが)
任天堂も、セガも、コナミも、アイレムもニチブツも、インベーダーのコピーを作っています。
もちろん、今でも残るメーカーは「真似」だけで終わらずに、その後オリジナル作品などを作って生き残ってきたのですが。
インベーダー以前のゲーム機は、遊園地や、デパート屋上スペースや、映画館や、喫茶店などに置かれるようなものでした。
でも、インベーダーの大ヒットで、インベーダーだけをたくさん並べたお店、いわゆる「インベーダーハウス」が乱立します。
ブームの終焉と共に無くなった店も多いですが、これらの一部が「ゲームセンター」として生き残っていきます。
メーカー側、店舗側、どちらもインベーダーの出現で大きく変わったのです。
インベーダーが日本のゲーム業界を形成した、と言ってよいかと思います。
西角友宏さん個人については、実のところ僕はそれほど知りません。
まだ精力的に活動しておられる方で、実際にあって話をしたような人の記事も、ネットを探せばたくさん見つかります。
インベーダーが大ヒットしてしまったがゆえに、「アフターサービス」で、インベーダー基盤の交換用ソフトをしばらく作っていた…なんて話もあります。
他社製品ではスプライトが使えるようになったりする中ですから、羨ましくもあったようです。
でも、制約の中で作ったゲームは大ヒットとはいかずとも、よく考えられた面白いゲームだったと聞いたことがあります。
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