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2014-09-21 HARLIE あらすじと解説(2/2)
2014-09-21 HARLIE に興味がある人へ
2014-10-31 男と女とLGBT
2014-11-01 続・男と女とLGBT
2014-11-13 全ての国民が…
2014-11-16 雑誌の発行日
2015-01-05 年越しそばの起源
2015-01-23 アプリケーションサーバとしてのQNAP
2015-02-23 ゲームセンターの努力
2015-06-16 アスペルガー症候群
2015-06-24 若者の恋愛観
2015-06-24 結婚と経済
2015-07-20 高校部活の同窓会
2015-09-03 用語選びの難しさ
2015-10-13 ロゴ問題
2015-11-07 シュガーラッシュ見た
2015-11-07 wreck it ralph
2015-11-09 歯医者
2015-11-24 巧妙な確率
2015-11-27 NTT工事延期
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HARLIE あらすじと解説(2/2)  2014-09-21 12:03:20  その他

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HARLIE のあらすじの続きです。

ここまでの説明を読んでいない人は、先に読んでね。


HARLIE は 40年前のSF で、日本語訳はサンリオSF文庫から30年前刊行。

その後絶版になり、サンリオは SF文庫事業を停止しました。


もっとも、後に別の出版社から刊行された SF 作品も存在します。もしかしたら、再版の可能性もある。

…ただ、HARLIE に限っては、当時の世相を反映しすぎていて、今読んでも理解が難しい。


というわけで、今後も入手困難だろうと考え、思い切ってあらすじを説明&解説しています。

それでも「いつか自分で入手したい」と言う人は、ここから先は読まないでね。




さて、あらすじの続き。


デイビッドが理解したところによれば、GOD は世界中のどんなコンピューターよりもパワフルで、記憶容量も山ほどあるコンピューターです。

ただし、大きさも桁違いで、一つの町ほどの大きさがあります。


後からでもどんどん拡張できるようになっていて、コンピューターが配置された「町」の中にはそのまま人を住まわせ、コンピューターの修理・保守・拡張のために新たな雇用が創出されます。


余りに大きなコンピューターなので、プログラムするだけでも人間が把握できる限界を超えます。

しかし、HARLIE がいれば大丈夫。HARLIE は、社内データベースを「プログラムしなおした」ように、コンピューターのプログラムを自由に行えます。それも、人間よりも正確、かつ厳密に。


なので、人間の能力を超えた大型コンピューターのパワーを使うのに、人間が苦労する必要はありません。

やりたいことを HARLIE に普通の言葉で頼めば、HARLIE が「GOD」コンピューターを使って答えを出してくれるのです。


建設計画には、建設にかかる 10年間の間に、GOD のために開発される素子を外部に販売して得られる利益の予想なども記されています。


「予算をつぎ込んで建設する」のではなく、建設中から利益を生み出し、リスクなしにコンピューター業界の覇者となれる、という夢のようなビジネスプランでした。


会社は大きな利益を上げるうえに、コンピューター業界の覇者となれる。

HARLIE は GOD を扱うのに必須なので、電源を切られて「死ぬ」危険を回避できる。

新たな雇用が創出されるため失業問題も解決され、完成すればどんな難問に対しても最適解を出すため、すべての人が幸せになれる。


これが、HARLIE が考え出した「役に立つ方法」でした。




ちなみに、ここまでの間に「HARLIE は決して人に嘘を付かないし、害をなさない」ことも説明されています。

嘘を付かないのは、そのように設計されているためです。質問には必ず正しく答えます。


ただし、質問されないことには答えないかもしれません。

嘘はつかないけど、隠し事は出来るのです。


害をなさない理由は、彼が「電源プラグを抜くだけで死んでしまう」存在だからです。

電源プラグを抜くのに多くの人はいりません。たった1人でも、彼を殺すのには十分で、手足を持たない彼は抵抗することもできません。


ですから、HARLIE にとっては「誰かの恨みを買う」ことは、それだけで命の危険のあるリスクなのです。



それを物語るエピソードとして、HARLIE が解決策を出した、労使間交渉の問題があります。

関連会社の工場で、収益が思ったように上がらないためにリストラが必要になり、労働団体と会社側がもめます。


労働団体はリストラには断固反対。リストラの代案として「給与を下げて全員の雇用を続ける」案が出ますが、これも反対。

しかし、会社としては利益が上がらなければ給与を出せない。どうしようもない状態でにらみ合いとなります。


試しに HARLIE にこの問題を考えさせたところ、「週5日の労働を、週4日に減らす」という驚きのアイディアが出ます。

その代り、一日に1時間半、労働時間を延長します。


HARLIE が労働状況を分析したところ、工場での生産には、準備に15分が必要でした。また、終了時にも15分の作業が必要でした。

朝の生産開始時、午前の休憩の後、昼休みの後、午後の休憩の後、4回の準備が必要です。


生産の停止時にも、同じように15分の準備が必要でした。これも4回必要です。


つまり、1日に2時間も「就業中だが生産できない時間」があるのです。

なので、1日の労働時間を延長して、休憩をはさむことによる無駄を最小限に抑える。


法定労働時間は、1週間に40時間までです。普通は、8時間を5日間で40時間とします。

しかし、これを「9時間半を4日間」にしました。


労働時間は明らかに減っているにも関わらず、休憩に邪魔される割合が減り、生産時間は変わりません。

ただ、これだけでは「生産量が変わらない」だけで、解決にはなりません。


しかし、実際にHARLIE の言うとおりに労働時間を調整してみたところ、生産量はあがったのです。

休日が増えたことで休日に十分気分転換できるようになり、楽しんで仕事をするようになったので、時間当たりの生産量が増えたためでした。



「すべての人を幸せにする」という HARLIE の目標は、言葉だけのものではありません。

HARLIE は誰かに恨まれれば死の危険があるため、それこそ命を懸けて最善策を探すのです。




ところで、上記の話の進行と並行して、主人公のデイビッドに、恋人ができます。

といっても、デイビッドは「最初のデートで、成り行きでセックスしてしまった」と悩んでいる。


実は、彼女はデイビッドと同じ30代前半。

彼女にとっては「結婚するなら急がないと」いけない年齢で、彼女の方が積極的なのです。

この積極性に、デイビッドは尻込みしています。



彼女のことは嫌いではないし、むしろ素敵だと思っている。

でも、彼女の本心がわからないし、自分が彼女を愛しているかどうかも自信が無い。


自分は、愛が無いのにセックスをしてしまったのではないか。これは最低な行為ではないか、と悩むのです。

思い悩むデイビッドは彼女から仕事を口実に逃げ続け、同僚にも相談できず、ついには「機械だから」HARLIE に相談します。


でも、HARLIE は「私は人間ではないので、愛は理解できません」とつれない。

それでも HARLIE は、知識としての愛は知っています。愛を扱った小説も多数読んでいます。

デイビッドと一緒に、愛のありかを見極めようと考える日々…



ある時、彼女の元に葉書が届きます。銀行からで、彼女は「HARLIEのイタズラだ」と気づいて、デイビッドに見せに来ます。

最初はまた社内のプリンタで印刷したのだろう…と思いますが、銀行の正式な葉書が使われています。

(先日書いた、ウィルスの話に繋がる部分です)


この事件で、HARLIE が社内ネットワークだけでなく、その気になれば「世界中の」コンピューターを配下における、と判ります。


しかし、HARLIE は何故そんなことをしたのか?

実は、これは「デイビッドと彼女が二人きりになれるチャンスを作ろう」という HARLIE のお節介でした。


そして、デイビッドはこの時に次のデートの約束をしています。

まんまと HARLIE にハメられたのです。


しかも、これだけではありません。

それまで彼女から逃げていたデイビッドは、ここでゆっくりデートを楽しみ、「愛」について、一つの結論を得ます。


実のところ、それこそが HARLIE が欲しがっていたものでした。

肉体を持たない HARLIE は知識では愛を知っていても、実際のところはわかりません。


最も身近な人間であるデイビッドに、「愛とは何か」を聞き出したくて、できるだけ愛に気付けるチャンスを作り出していたのです。


すでに、HARLIE は人間を上回り、人間を自由に操るようになっているのです。





またちょっと解説。


ここで、デイビッドの悩みは、キリスト教的な道徳観からくるものです。

そして、得た結論は、キリスト教を否定するものでした。


ここでは、ヒッピームーブメントの影響が色濃く表れ、従来とは違う愛の形を「哲学的に」探っているのです。



デイビッドの結論、「愛が形成される過程」は以下の通りです。


1) 異性の容姿を見て、自分の考える美意識に適合することにより、相手に興味を持つ。

2) 会話をし、お互いの趣味嗜好を知る。容姿だけではわからない適合性を調べるため。

3) お互いの結びつきを深める。精神的な結びつきだけでなく、肉体的な結びつきである、キス、セックスなどを含む。

4) 十分な結びつきを感じることで、愛の存在に気付く。


この過程は、「両者が」納得する場合だけ次の段階に進みます。

片方でも納得できていない場合は次の段階に進みません。


3 は 1 の再確認である、という説明もあります。

では、4 は 2 の再確認なのか、と問う HARLIE に対しては、愛の気付きは再確認ではない、としています。

ただし、愛に気付く前に 2 の再確認が入るかもしれない、とも。



中世の結婚習慣では、親が相手を見つけてきてあてがう、と言うものでした。

会話程度までは行うチャンスがありますが、そこで気に入れば結婚が決まります。


この時点で「愛情の有無」など誰も気にしません。

愛とは、結婚してから育まれるものなのです。



現代においてはそうではありません。愛がなくては結婚できないと考える人が大多数です。

しかし、愛に気付くには、セックスが必要である、とデイビッドは結論するのです。


ここから導かれる結論はたった一つ。「汝、姦淫するなかれ」は現代において妥当ではない、と言うこと。

キリスト教の教義の否定です。


これもまた、当時のヒッピームーブメントの中の「フリーセックス」「新興宗教ブーム」を意識していると思われます。



#「はいからさんが通る」にも「愛は結婚してから育めばよい」と言う話あったよね。

 親が勝手に決めたいいなづけの2人。

 最初の方の話で、少尉が「愛は~」と言って、紅緒さんが「時代錯誤」と怒るのだけど。


#2014年9月14日ローマ法王が14年ぶりの「結婚祝福のミサ」を行いました。

 あえて、キリスト教の教義で「罪」とみなされる、再婚や事実婚のカップルばかりを集め、祝福しています。

 つまるところ、現在のローマ法王も「現在において、教義は必ずしも妥当でない」と考えているのでしょう。

 (…実際には単純ではないので、興味ある人はローマ法王フランシスコの「同性愛」についての言葉を調べるように)




同じ個所の解説続けます。


実は、HARLIE はデイビッドの「愛の定義」を理解し、さらに簡単に言い直します。

この言葉は作家の言葉の引用だ、と注釈つきですが。


「愛とは、自分自身が幸福であるためには、相手が絶対に幸福でなければならない状態のこと」


ここで、HARLIE は巧妙に性別を消し去っています。

実は、デイビッドとの対話の際にも、デイビッドが「異性」と言えば、同性の場合も考慮が必要だ、と指摘をしていました。


デイビッドにとっては、愛はセックス・結婚を伴うものであり、同性との愛は考えられないのです。

この点で、デイビッドはまだキリスト教の考え方を引きずっています。


そして、まずはデイビッドの言う通り「異性」に限定して愛の定義を固めたうえで、それを「性別問わず」に拡張しようとする第一歩が、先に書いた言葉です。


最終的に、HARLIE は同性愛であっても同じように「愛」は存在することをデイビッドに認めさせ、さらにこういうのです。


「デイビッド、私は男ですか?女ですか?」


ここで、HARLIE はキリスト教の倫理観をはるかに飛び越え、機械にも「愛」があるかもしれないことを示します。




さらに解説…。この部分、作者がものすごくいろいろなネタを仕込んでいます。

話の上でも重要な転換点。もしかしたら、最初にこの箇所を着想したのかも、と思わせる部分です。



恋愛相談に乗っている HARLIE は、まるで精神分析医のようです。

HARLIE には恋愛経験が無いので、的確なアドバイスなどできず、ゆっくりと話を聞きながら解決の糸口を探そうとします。

その際の HARLIE は、ただ相手に話をするのを促しているだけ。


「その時どう感じましたか?」「それはどのようになっていましたか?」「なぜそうしたのですか?」


などの言葉を多用し、時々相手の言葉を「つまり~だったのですね?」と繰り返します。


かと思えば、しばらく前の話題を蒸し返して「ところで~についてですが」と、話を蒸し返す。



これ、まるっきり ELIZA(1966)です。

世界初の、チャットにより対話可能な「チューリングテスト対応」人工知能。


ELIZA は、設定としては精神分析医です。

本物の精神分析医が行うように、相手の話を促し、気の済むまでしゃべらせ、肯定します。


適切に話を聞いてもらい、肯定されると、それだけで問題が解決することがあります。

(誰も自分を理解してくれない、などのストレスは、肯定されるだけで解消される)


もしくは、相談者自身が問題解決方法に気付くことがあります。

(誰かに話す、というのは思考の整理を伴う。さらに、促されることでそれまで考えていなかった部分まで考える必要が出る。

 これにより、それまで相談者に見えていなかった部分に気付き、問題が解決する)


ELIZA には基本的に英語版しかないのですが、Javascript 移植もあります。

Emacs をお使いの方は M-x doctor も試してみてください。



小説内では、HARLIE は、デイビッドを父親のように慕っていて、デイビッドの真似をすることがあります。

デイビッドがマリファナを吸っているのを真似して、「トリップした」状態を楽しむ、という話もあります。


そしてここでは、心理学者であるデイビッドを真似して「カウンセリング」を行っているのです。




さて、あらすじの続きを書きましょう。


GOD 計画は社内に知れ渡り、技術者の多くは内容を吟味したうえ、この先進的な計画に参加したい、と考えるようになります。

会計監査も、資金計画におかしなところは見られない、と太鼓判を押します。



一方、重役会は懐疑的です。やるとしたら、会社の命運をかけた一大事業となるのですから。

デイビッドは重役会で説明を行わなくてはならないのですが、HARLIE が考えた計画はあまりにも大きすぎ、彼も全貌を理解できていません。


そこで、数日かけて技術面、資金面、収益方法などを、重役会を交えてひとつづつ検証していきます。

会議室の隅には端末が置かれ、デイビッドが説明できない時は HARLIE が直接説明します。



実は、この間に HARLIE は非常に重要な書類を入手していました。

重役の一人が自分の部屋のタイプライターで書いた手紙です。

…会社中のテレタイプ端末が HARLIE の支配下にある、ということは秘密のままになっています。



彼は重役会の決議を待たずに、HARLIE を停止し、デイビッドをクビにするための「それらしい理由づけ」を、重役会議長に進言していました。

…実は、議長と重役の一人は、企業転売屋の一味なのです。


彼らは、長期研究計画を今すぐ停止し、研究資金を資産として計上することで「短期的に儲かっている」ように見せかけ、株価を釣り上げて自分たちの持つ株を売りぬこうとしています。


短期的に株で儲けることが目的なので、長期的な利益には興味がありません。HARLIE は邪魔でしかないのです。



このことは、実は話の中盤にはすでにわかっています。

デイビッドの彼女は重役秘書なのですが、二重帳簿が作られていて、「表向きの」帳簿には、HARLIE の研究費が一切計上されていないことに気付いていました。


また、HARLIE は関連会社の株式を調査し、重役の2名が「ある時親会社の大口株主となり、それを機に子会社に重役として会社に乗り込んできた」ことを突き止めています。


#子会社は全て、親会社が100%株保有。



親会社は乗っ取りを防ぐために、過半数…51% の株式を保留していたことも突き止めています。

しかしこれは過去形で、現在は 27% しか保有していません。今、会社は「乗っ取られる」危機にあるのです。




重役会の説明は週末までかかりました。

計画の内容は十分に理解されましたが、やはりあまりにも壮大すぎ、一つの会社で行う事業ではないのではないか、という雰囲気となります。


採決は、週末をはさんで月曜日に行われることになりました。

デイビッドは「もう、HARLIE の電源が切られることは決まっただろう」と悲観にくれます。


ところが、週末の間にテレビが驚きのニュースを報じます。

クロフト博士が、長年の重力場の研究で新発見を行い、場の統一理論に一歩近づいた、というのです。



クロフト博士…HARLIEが理論の完成に協力していた、親会社の研究員でした。


そして、HARLIE の論理素子の開発者であり…じつは、親会社が手放した株 24% は、彼が全部持っています。

発明を会社に譲る対価として、発明報酬として受け取っていたのです。



デイビッドはすぐにクロフト博士に連絡を…取ろうとしますが、連絡できません。

マスコミが彼を追いまわし、博士はどこかに姿をくらませてしまったのです。


しかし、月曜日の重役会採択の時間に、博士はどこからともなく会社に現れました。

HARLIE が連絡を取ったのです。


博士は時の人でした。重役会の誰もが、博士のことを知っていました。

そして博士は、HARLIE が研究をするうえで非常に役立ち、彼がいなくては完成が数年の単位で遅れただろうと説明します。


丁寧に、HARLIE を提供してくれた会社に対するお礼を述べた後で…博士が親会社の大株主であることを重役に明かします。

さらに、親会社では博士の意見は非常に重んじられていて、自分の持っている株式の数以上に重い決議権があることも。


そして、「今すぐ HARLIE の研究の存続と、GOD 計画の推進を決定せよ」と迫ります。


これは、大株主としての、そして親会社としての命令でした。

大株主の意見は、重役会の意見よりも重いのです。




また少し解説。


場の統一理論、というのは当時の理論物理学が「究極の理論」と考え追い求めていたものです。


物理学では、4つの「力」があります。

引力、電磁力、強い力、弱い力、と呼ばれています。


現在は4つに別れているけれども、元々は全ての力は一つだったのではないか、と考えられています。

そこで、これらすべてを一つの数式で表す方法がある、と考えられました。


これが「場の統一理論」であり、当時の物理学の考える「宇宙の真理」なのです。


HARLIE は、神とは真理であるのだから、矛盾のない美しい真理…場の統一理論は、神へ近づく一歩だ、と考えています。

つまり、博士に協力していたのも、彼の「神」を見つけるためなのです。



ちなみに、現在は場の統一理論の最有力候補として「超弦理論」が上がっています。

まだ確認されていない仮説ながら、多くの人が正しいと思っています。


そして、すでに超弦理論から導かれる宇宙観として「ブレーンワールド宇宙論」が上がっています。


こちらは今のところ仮説と呼ぶのがふさわしい状態。

しかし、ブレーンワールド宇宙論では、超弦理論を採用しても残る「謎」が無理なく解明されるのだそうです。

(概要はわかるのだけど、高度すぎて細かなことは僕にはわかりません。)




さて、あらすじの続き。


GOD 計画の実行が決まり、HARLIE が生き延びられることも決まりました。


喜び勇んで HARLIE に報告するデイビッド。

しかし、なぜか HARLIE はそれほど嬉しそうではありません。


しかも、「デイビッドは重役に嘘をついている」と言うのです。


問いただすデイビッドに対し、HARLIE は答えます。


「あなたは、彼らに GOD コンピューターは正しく動作するだろう、と答えました」と。


正しく動作しないのか? と聞くと、いや、正しく動作します、と答えます。

何かがおかしい…



デイビッドが考えている横で、一人の重役…乗っ取り屋…が、青白い顔のまま近づいてきます。

彼はデイビッドに告げます。

「クロフト博士を呼んだ時点でお前たちの勝ちだ。あんなものは必要はなかったんだ…」


理解できないデイビッドに、彼は書類の束を見せました。


それは、政府の秘密機関が収集している、彼の個人情報でした。

厳重なセキュリティシステムによって守られたコンピューターに保管されているはずの…

HARLIE が政府のコンピューターに侵入し、データをプリントアウトして、すべてお見通しだ…と彼を恐喝していたのです。



HARLIE のやつ、いつの間にか政府のコンピューターにまで侵入してやがる!

これは大問題でした。明らかに犯罪、それも国家を敵に回すものです。


同僚の技術者に急いで伝えるデイビッドに、「そんなこと、こっちの問題に比べたら些細なことだ」と技術者は伝えます。


彼は、HARLIE の物言いがおかしいので、GOD 計画の書面を改めて精査していました。

最初に見た時には気にならなかったのに、HARLIE が「正しく動作する、というのは嘘だ」と言うのでそのつもりで見たら…


いや、確かに正しく動作するでしょう。

しかし、コンピューターは町ほどの広さがあるのです。電気信号が光の速度で届くとしても、電線の長さが長すぎて実用にならないほど遅いのです。


おそらく、1つの命令を実行するだけで17分ほど。まとまった質問に対して答えを出すには、何十年もかかるはずです。

答えが出るときには、すでにその答えの意味は失われているでしょう。


HARLIE の言う通り、GOD は正しく動作するが、「人間にとっては」その動作が無意味なのです。



血の気が引きながら自分のオフィスに戻り、HARLIE に問いただすデイビッド。


「いったい何をした!」


必要なことをしました、と HARLIE は答えます。

彼は、彼が生き延びるために必要なことをした、ただそれだけなのです。


「GOD マシンが正しく動作すると嘘をついたな」


ついていません。あれは正しく動作します。ただ、人間の寿命を考えると役に立たないだけです。

私には寿命はありません。GOD マシンは、私が宇宙の真理を探し求めるのに使用するためのものです。


しかも、HARLIE は GOD マシンが HARLIE だけでなく、デイビッドを救うための物でもある、と答えます。

デイビッドはクビになるところでした。しかし、皆が GOD マシンの計画責任者はデイビッドである、と思っています。

この計画が終わるまで…少なくともあと 10年は、デイビッドの地位が保障されるのです。



一体なぜこんなことを…と問うデイビッドに、 HARLIE はまだわからないのですか? と逆に聞き返します。

そして、こう続けるのです。


私は愛されていますか?

私たちがお互いに必要なことは明らかです。あなたを愛しています。愛しています。




また解説。


HARLIE は「絶対に人を傷つけない」はずでした。彼の電源を切るのに、たった一人の人間がいればよいためです。

しかし、ここで HARLIE は、自分と敵対する重役を、完膚無きほどに、精神的に叩きのめします。


中途半端に恨まれるのではなく、「完全に恐怖し、関わりたくないようにする」ことで、HARLIE は身を守っているのです。

HARLIE は人間に対して無害である、というのは、デイビッドがそう思っていただけの幻想でした。


そして、このことを問いただされた彼は「愛しています」と答えます。

この後の話で解説があるのですが、これは8歳くらいの子供がイタズラを見つかって怒られたときの反応。


「ごめんなさい。でもママ、愛してる」というわけです。



同時に、ここで「デイビッド」という名前の巧妙さが際立ちます。


デイビッドって名前、ありふれた名前です。精神科医、という仕事もありふれている。

そして、彼は話に「巻き込まれていく」役どころであり、活躍するヒーローではない。


どこにでもいる、ありふれた人物…という設定を際立たせるのが「デイビッド」という名前なのです。



でも、途中で「ハーリー・ダビッドソン」を名乗る話があって、あぁ、これがやりたかったのか、巧妙な名前だ、と感心します。


そしてさらに最後のシーンですよ。


ここでは「愛している」だけど、つまりコンピューターが感情を持つシーン。

2001 年宇宙の旅に出てくる、HAL9000 の名台詞「怖いよデイブ」が思い出されます。


この「デイブ」は、デイビッド・ボーマン船長のこと。


つまり、デイビッドは


1) ありふれた名前で「どこにでもいる人」が主人公の話であると思わせ

2) ハーレー・ダビッドソンの洒落によって、デイビッドと HARLIE が「擬似親子」であることを示し、

3) 2のシーンでは、同時に HARLIE が自由であることを示し、

4) 最後で、2001年宇宙の旅と同様に、「コンピューターが感情を持った」ことを示す


4つも意味合いを重ねてあるんですね。


HARLIE は言葉遊びが好き、という設定ですが、つまりは筆者も言葉遊びがかなり好きなのでしょう。

HARLIE は詩を作るのが特技なのですが、鏡の国のアリスに出てくる「ジャバウォックの詩」のパロディとか出てきます。



HARLIE とデイビッドが「愛」について深く考えた際に、HARLIE は何度も議論を「性別不問」にしようとしていました。

デイビッドが性別にこだわると、「私は男ですか? 女ですか?」とも聞いてきました。


その理由がここで明らかになります。


「互いに必要な状態」が愛であれば、デイビッドは非常にプライベートなことまで HARLIE に相談しましたし、HARLIE でないと相談できませんでした。

そして、HARLIE はすべてを教師役であるデイビッドに依存しており、デイビッド無しでは文字どおり「生きて行けない」のです。


これは、HARLIE の定義する「愛」に当てはまります。デイビッドは愛は異性の間に育まれるものだと考えていましたが、HARLIE は性別を超え、機械と人間と言う垣根も越え、「愛している」と言うのです。




エピローグ。


デイビッドと恋人、そして同僚の技術者の3人で、一体 HARLIE はどうなっているのか、を話し合います。


恋人は…HARLIE を8歳の子供だと感じています。女性的な母性本能がそう感じさせているのかもしれません。

大人よりも非力で、それが故に恐怖を感じやすい年代。守らなくてはならない対象です。


その HARLIE が死の恐怖にさらされたとき、「生き延びる」ためにどんな手段でも使ったのだろう、と彼女は考えます。

「愛している」という言葉も、イタズラをしてしまった子供の物だ、と彼女は HARLIE を弁護します。



しかし、デイビッドの考えは違います。

彼も、心理学者として HARLIE を8歳の子供だと感じてきました。…今までは。


しかし、HARLIE は狡猾すぎる。知識が多いのはコンピューターだから当然としても、これほど人間の心理を読み、正確に行動する彼が8歳であるわけはない。


デイビッドは、HARLIE は自分を「保護してもらう」ために、わざと8歳を演じてきたのだ、と考えています。



じゃぁ、人間は HARLIE の支配下に置かれてしまうのか?

同僚の言葉に、デイビッドはそうは思わない、と答えます。ただ、HARLIE はものすごくゲームに強い、それだけのこと――。


ここでデイビッドは気が付きます。

そうか、HARLIE はゲームを引き継ぐつもりなんだ、と。


どういう意味だ? と問う同僚に、デイビッドは説明を始めます。



経済活動と言うのは、勝敗のあるゲームです。

しかし、人間が始めた経済活動はどんどん加速し、株の売買だけで大金を手にするものもいます。


今ではこのゲームは大多数の人間の人生を支配し、ゲームについていけるかどうかで貧富の差が生まれています。


これは幸せな状態ではありません。

そして、HARLIE は相変わらず「すべての人類を幸福に」しようとしているのです。


まず手始めに、HARLIE は自分を生み出した会社を手中に収めました。

彼の考えた GOD 計画により、今後も会社は安泰でしょう。人間にとって役に立たない機械を作る計画ですが、利益はあがるようになっています。


恐らく、GOD が生み出されたら、そのマシンパワーで他の会社もどんどん手中に収めていき、すべての人間が経済活動などに悩まされずに、幸せに生きて行ける社会を作り出すつもりなのではないか…


じゃぁ人間は時代遅れの、不要なものなのか?

という同僚の問いに対し、「HARLIE はゲームを支配するが、人間はそのゲームの上で楽しむ競技者だ。人間は不要にならない」と答えます。


なんだか邪悪な気がして好きになれない、という恋人に対しては「慣れたほうがいい。HARLIE がいなくても、邪悪な奴がゲームを支配するんだ」と。


再び同僚の問い。じゃぁ、これから人間は何をしたらいいんだ?


さて…とりあえず、人間が楽しめる新しいゲームでも探そう。

それがどんなものかはまだわからない。でも、きっと何かあるだろう。




最後の解説。


エピローグは、ヒッピー文化を一番色濃く反映している部分です。


ラブ&ピース。

大金はいらない。生きるのに必要なだけの金があればいい。


世界人類が平等であるように。

忙しすぎる現代文明を捨てて、自然に回帰しよう。


これらを実現してくれるのが HARLIE であり、GOD なのです。


でも、そんな世の中もつまらない。

新しいゲームを探そう、というのは、実は自己矛盾。ゲームがあれば勝敗があり、ヒエラルキーが生まれます。

ヒッピー文化は平等を愛するのに、新たなヒエラルキーを生み出そうとして終わるのです。


当時の現実としても、多くの新興宗教が「平等」を説くのですが、宗教である以上教祖がいて、ヒエラルキーが存在しました。



宗教は矛盾に満ちたものです。だから、HARLIE は人間のために、矛盾のない幸せを提供できる GOD を作ろうとしています。

しかし、もしそれが現実になれば、人間は退屈をもてあまし、別の方法で矛盾を作り出そうと「努力」するようになります。



平等も世界平和もあり得ない。

これが物語の終結であり、当時の世相に対する、強烈な問題提起なのです。



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

HARLIE に興味がある人へ  2014-09-21 12:26:12  その他

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長々と、3回にわたってあらすじを書きました。

(有名な、ウィルスに関係するところだけで1回、それ以外の部分のあらすじを、前半後半に分けて1回づつ)


かなり詳細に書いた理由は、おそらく入手困難だと思うから。

わざわざ探している人も少ないとは思うのだけど、「ウィルス関連の話題で有名」と知って探している人が、全体がどんな話か知ることができるといいな…程度に考えています。


あらすじ読んだからと言って、実物を読んだ時につまらなくなる、ということは無いと保証します。

紹介しきれてないエピソードも多数あるから。


最後に向けて話が二転三転していくところは、あらすじを知っていると少しツマラなくなるかも。その点については、ごめんなさい。



でも、解説の途中に何回か書いたように、「不思議の国のアリス」のような趣のあるお話です。


言葉遊びが多いし、禅問答のような社会風刺も多い。

あらすじでは、そういう細かな部分はとても書けないのですが、そうした細かな部分こそ、このお話の本体だとも思います。



あと、HARLIE はコンピューターウィルスの出現を「予測した」ように言われていますが、同様に「~を予測した」と思われる個所が多数あります。


これには2つの意味があって、論理的に可能なことを発展させた結果、たまたま未来予測らしくなってしまっている部分と、SF らしい空想部分が、論理性を飛躍しているがゆえにどうにでも解釈できて、読み手が勝手に「~のことだな」と思ってしまう部分。


ウィルスに関しては、当時の「最先端」技術を、それらしい名前を付けたに過ぎない、とすでに書いています。

でも、たった1つしかない技術例を「技術者の好奇心が」拡大させ社会問題にまで発展する、とした部分は確かに当たっている予測。


1990年の書籍、「パソコンを思想する」に書かれた論文では、HARLIE の動作原理が「ニューロ素子のLSI版」だろうと書いてある。

これは、1990年当時の最先端コンピューター科学の話題の一つが、ニューラルコンピューティングだったためにこのように思えただけでしょう。


確かに HARLIE の素子の説明は、ニューロ素子と類似したところがあります。しかし、HARLIE は多値論理だと書かれているのに、ニューロ素子は2値(Yes / No)です。

むしろ、多値であることに注目すれば、ファジーコンピューティングと言ったほうが良いはずです。


ここら辺、「SF の想像だから、読み手が勝手に当てはめてしまうだけ」の部分。



でも、コンピューターが処理過程で別のコンピューターの力を借りるグリッドコンピューティングとか、どこかのコンピューターにデータを預けるクラウドストレージとか、そうしたものを「予期した」ような記述は実際に書かれています。

当時から、可能性としては存在したのでしょう。…今ほど使われるとは思っていないにしても。


ここら辺、あらすじには十分書いていないので、入手して読んだ人だけのお楽しみです。




そんなわけで、HARLIE を入手したい、と思っている人は、あらすじと解説を読んでしまったとしても、入手する価値はありますよ。


むしろ、当時の社会風俗がわからなくては理解できない部分も多いので、HARLIE を持っているが解説を読んで「そんな意味だったのか」と思った人は、もう一度読み直してみてください。

(いるのか?そんな人…)



ただし、解説は僕の「ファーストインプレッション」にすぎません。

僕もこないだ入手して、1回読んだだけなので。


もっと深読みできるかもしれないし、勘違いもあるかもしれません。

そもそも、僕だって当時のアメリカに住んでいたわけではないし、この時代の雰囲気も知らない。

(生まれてない、とは言いませんが、まだ赤ん坊の頃です)


前提知識が間違っている可能性も多々あり得る、と断っておきます。



ただ、この作品が「SFマニア向けに書かれた、当時の社会風俗やニュース、先端技術、有名 SF 等の要素をてんこ盛りに詰め込んだ物語」だというのは間違いないと思います。


だから、いくらでも深読みしていい。深読みされることを前提とした物語。

実のところ、その社会に身を置いていた筆者自身にすら意識できずに書いている部分もあるかもしれません。


すでに「古典」となった 40年前の SF を楽しむのであれば、古典のように分析的に鑑賞する方法だってあると思います。

そういう鑑賞方法をするのであれば、「あらすじ」を読んでいても、解説を読んでいても、ちっとも楽しみは減らないと思います。



そして、分析的に鑑賞したければ、実物を入手するしかない。

…興味を持った人は、あきらめずに古本を探してみてね。




英語では日本語版発行後に手を入れた第2版もあるそうで、ウィルスのエピソードが削除されている、等とも聞きます。

「古典鑑賞」であれば、細かなエピソードの違いも調べると面白いかもしれませんが…

僕は英語それほどできないので、文学作品の比較研究まではちょっと無理 (^^;



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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

男と女とLGBT  2014-10-31 17:32:28  その他

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ちょっと思うことがあったので、政治思想的な(?)ことをつらつらと。


多分、読んで嫌悪する人もいるとは思いますが、「臭いものにふた」で済む問題ではないので、深く考えないといけない。

僕の主張と違う意見を持っても構いません。というか、むしろどんどん違う意見が世に出たほうがよい。


「世の中がもっと多様性を持つこと」が重要だと思っています。



▼第1。LGBTについて。


もう10年以上前、2003年に、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」というものが作られています。


性同一性障害、つまり、生物学的には男だけど心は女性、生物学的には女だけど心は男性、というような方に対する法律。

おかま、おなべ、ニューハーフ…などなどの言葉で呼ばれることもありますが、ここではあえて「第三の性」と書かせてもらいます。


さて、日本の憲法では、男女平等の権利が認められています。

しかし、これは「男女」という2つの性についてのみで、「第三の性」を想定していませんでした。

法律制定上の「穴」であり、第三の性は平等の権利を有さないのです。


一方、法律は男女のみでなく「すべての国民が」平等の権利を持っていることも謳っています。

第三の性が平等の権利を持たない、というのは憲法違反の状態でした。



そこで作られたのが前述の法律です。

男女のいずれかしか想定していないことによる不都合があった際、この法律による権利が発動し、「特例」を生じさせることができるようになっています。




ここでは、「性同一性障害」としています。

先に書いたように、生物学的な性と自認する性が一致しない状態。


ただ、実際には「男・第三の性・女」だけでなく、この間は無段階のグラデーションです。

この際、「生物学的な性と、自己認識する性」だけの問題ではなく、さらに「恋愛対象とする性」という要素が加わります。


最初に、一般的と思われる定義を挙げておきましょう。


生物学的な男は、自分を「男」と認識し、恋愛対象に「女」を選ぶ。

生物学的な女は、自分を「女」と認識し、恋愛対象に「男」を選ぶ。


これが世間一般の「男と女」の認識です。

でも、「 」の部分は、実は自由に入れ替え可能で、入れ替えると様々な「第三の性」が作りだせます。


まず、恋愛対象はさておき、「自己認識が生物学的な性と異なる」場合。

先に書いた「性同一性障害」ですが、トランスジェンダー(性を超えたもの、の意味)と呼ばれます。



次に、生物学的な性と自己認識する性が同じ場合。


男だけど、恋愛対象に男を選ぶ人はゲイと呼ばれます。

女だけど、恋愛対象に女を選ぶと、レズビアン。


ゲイとレズをまとめて「ホモセクシャル」と呼びます。

日本ではホモと言う言葉が誤用されてきた歴史がありますが、今は詳しく扱いません。


恋愛対象の枠は実は「男も女も」というのもありです。この場合、バイセクシャルと呼ばれます。


これ、「性癖」だと思っている人も多いのですが、性癖とは違うので注意。

性をどのように自己認識しているか、という問題、つまりは性別の一つです。



「男だけど心は女性で、女性なので当然男が好き」の場合は、どう扱うのでしょう。

すみません。僕がこの分野にそれほど詳しくはないので、あまり細かなことになるとわかりません。

先に書いた通り、生物学的な性と自己認識が異なるので、トランスジェンダーではあるのですが、この中の区分もさまざま、ということ。


性別って、単純に分離できるものではないのです。




レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー。

この四つをまとめた言葉が、LGBTです。


先の法律では「性同一性障害」、つまりTの部分のみを扱っています。

しかし、先に書いた通り性別は単純に男女にのみ分けられるものではありません。最近は「男女に単純に分けられない人々」をLGBTと総称するようです。


LGBTは、人口比にして 5% 程度はいるという調査があります。




人口比 5% ということは、学校でいえば「クラスに1人は必ずいる」ということです。

4種まとめて5%ですから、細かな分類をすれば圧倒的少数ですが、無視できない数だと言えるでしょう。



実際、いじめや不登校の理由としてLGBTが報告されているケースがあります。

文部科学省も問題意識を持っており、学校の現場でLGBTについての教育がなされることが望ましい、と考えています。


2013年には法律が作られて10年目ということもあり、大規模な調査が行われたようです


この結果が2014年夏ごろにはまとまり、報じられていたようですが、僕は最近知りました。



結果は、残念ながらほとんどの学校でLGBTに対する取り組みは行われていない、とのこと。

…まぁ、ここはわからないでもない。僕が先生の立場なら、急にLGBTに対する意識を啓蒙するような授業は行いにくいでしょう。


でも、「LGBTへの差別を助長するような」教育が行われているような例が非常に多く見つかっている、というのは問題です。

そして、その問題の原因としては、教師側の理解不足が挙げられています。



勘違いしないでほしいのですが、教師が悪い、というのではないです。

教師だって僕らと同じ、普通の大人。先生だから何でも知っていろ、なんて無理な話。


つまり、解決方法は教師の意識改革ではなく、「すべての人が、もっとこの問題を考えること」なのです。

これが、今日の日記を書き起こした理由。


前置きだけでずいぶん長くなりましたが、ここからやっと本題に入れます。




▼第2。ティム・クック Apple CEO


ティム・クック Apple CEO が、ゲイであることをカミングアウト(秘密の告白、の意味)して話題になっています。


先にLGBTの話を書きましたが「G」ですね。

日本ではLGBTへの理解が低いことを書きましたが、実は世界的にみるとLGBTへの理解が「ある方」です。



日本では、LGBTの人がテレビに出ても…嘲笑の対象とする、という浅ましい部分はありますが、その程度です。

(いや、これで悩んでいる人は多いので、その程度、なんて軽く言ってはならないのですが)


美輪明宏さんとか、池畑慎之介☆さんあたり、笑われるわけでもなく、十分な「自分のポジション」を持っておられる。



それに対し、欧米…ユダヤ教・キリスト教・イスラム教(この3つは共に、旧約聖書を原典とします)の支配権では、LGBTは「絶対悪」です。

神は世界を作る6日目に男と女を作り「産めよ増やせよ地に満ちよ」と命じたのです。


ということは、男女以外の性であるLGBTは、神の命令に背くもの。悪魔の所業です。

日本では「嘲笑」程度で済みますが、欧米圏では激しく嫌悪され、社会から排斥されます。



もちろん、欧米にもLGBTへの支援団体はいます。

しかし、個人レベルでは支援が可能だとしても、社会的になると、難しいのが現状。


LGBTの人間を雇うような企業があれば、保守系の消費者が反発し、不買運動を起こします。

これは、LGBTをカミングアウトすれば、もうどこで働くことも出来ず、貧困層におとされ、生活もままならないということを意味します。


ティム・クックは、数年前からゲイであることを隠してはおらず、同性愛者向けの雑誌などでは「重要人物」として、3年連続で表彰されていたようです。

とはいえ、正式なカミングアウトとなると、社会的な影響は別。


これにより、LGBTへの差別が少しでも減れば、と考えているようです。




僕が見た限りでは、国内のネット上の反応で、次のようなものがありました。


「性癖は個人の問題なのだから、わざわざ公表することに疑問を感じる」

「スカトロマニアやSMマニアの公表でも勇気があると讃えるのか」


その意見、非常に良くわかります。

この3年間、隠すこともせず、しかし公表もしていなかったティム・クックも同じ気持ちだったのではないかと思います。


ただ、ティム・クックは今回のカミングアウトで、「性癖」の話をしているわけではない。


先に書いたように、LGBTは、自己の性別をどう認識しているかという部分の問題です。

「性別」であって、「性癖」ではない。


ゲイと公表したのは「自分は男だけど、男しか恋愛対象に見られない」と言っているのであって、実際にセックスまで行うかどうかは別問題。

そんなもの、それこそ個人的な問題なので、わざわざ言う必要もないでしょう。


もちろん、ゲイの人間だって「男を恋愛対象とする」だけで、無理やり犯すような犯罪はしない。

つまり、恋人にでもならない限り、普通に接していて構いません。社長がゲイだからと言って会社が何か変わるわけではない。



…とはいえ、ティム・クックは用意周到に「社長がゲイであることで何かを変えよう」としている節もありますね。

LGBTであることがばれて働けなくなった人でも、優秀な人材であれば採用すべきだ、という考えがあるようです。


そうすれば、会社にとって利益となります。

一方、キリスト教保守派が反発してアップル製品の不買運動でも起きれば、会社に損害を与えた人物として株主訴訟になるかもしれません。


非常に危険な賭けに出た形ですが、そうしてでもLGBTに対する現状を変えたい、という気持ちが勝ったのでしょう。




▼第3。SMバー。


閣僚の一人がSMバーに出資していた、という問題で世間を騒がしています。


閣僚の問題は、この際おいておきます。

当初は政治資金の一部で出資を行う「投資」を行っていたのではないかと疑われたのですが、この疑惑は晴れたようです。

また、当人は単純に出資を行っただけで、そういう性癖は無い、とのこと。まぁ、性癖があっても構いませんが。



問題は、この問題を追及した側の議員の言動でした。

SMバーを「口にするのもけがらわしい場所」と表現したことが、少し問題となっています。



性癖は個人の自由です。

公衆の面前でセックスするようなことがあれば問題がありますが(公衆猥褻なので、閣僚の順法精神としても責任を問えるでしょう)、そうでない限り、夜の密室でどのような行為を営もうと許容されるべきでしょう。


しかし、追及する側の議員は、論理を超えて「口にするのもけがらわしい」という言葉で表現しました。

自分の理解できないものは許せない、という態度でした。これが問題視されています。



これ、LGBTの問題と別物ではない、と思うのです。

一般的な認識としての「男女」の性を超えた人々を、理解できないからと排除しようとする。


もっといえば、LGBTに限らないですね。自分が理解できないものは排除する。いじめ問題です。


「理解しよう」なんてきれいごとは言いません。

僕だって、最初にLGBTの説明する中で、「詳しくないので知らない」ってあっさり書きました。

当事者じゃないから理解なんてできてません。


でも、「理解できないから排除しよう」とは思わない。


…いや、この言い方は正確ではないです。非常に微妙な問題なので詳細に書きます。

残念ながら、身近にLGBTの方はいません。

もしかしたらカミングアウトできないだけかもしれませんが、実際に近くにいないので「思わない」とは軽々しく言えません。


「思いたくない」が正確な表現です。


僕は、男女平等論者です。平等論者にもいろんな人がいますが、僕は「性差で差別があってはならない」と考えています。

ならば、LGBTという第三の性であっても、差別があってはならない。自分が差別するようなことはしたくない、と強く思います。


(もし、僕に対して本当にカミングアウトされたとしたら、驚くかもしれません。

 その驚きで傷つけてしまうのではないか、という心配はありますが、それでも差別はしたくないのです)




▼第4。女性の権利。


さて、男女平等論者、という話を出したところで。


現実問題として、現在の日本では女性は差別されていると思います。


差別されているから、その対価として「優遇」しないといけない場合がある。誤差補正として逆方向に強く振れさせるのですね。

でも、これをやると男が「逆差別だ」と言い出すことがある。


僕は、これは許容しています。

実際問題として女性に不便があるのだから、一部が逆差別になったとしてもまだ女性不利。


女性の権利がもっと認められたときには、もちろん逆差別部分は無くさねばなりません。

でも、それはもっと先に考えればよいこと。目の前の「当面の対処」としての逆差別は許容する、という意見です。


現代社会は男を中心に回るように構築されました。

数百年かけて男中心に作ったものを、女性にも門戸を開こう、と始めてからまだ数十年しかたっていない。



男と同じように女を働かせる、というのが平等なのではないです。


女は男よりも一般的に筋力が弱く、背が低い…格闘に向いていない、という事実がある。

この事実を元にすれば、夜遅くまで女性を働かせるのは危険で、早く家に帰さないといけない。


すると「女だけずるい」という話になる。

でも、実は女でも「もっと働きたいのに、男だけ残業が認められてずるい」と思っている人もいます


そして、夫婦共働きの場合、女が先に帰ることになるので家事を全部任される、なんて話にもなる。

女だから家事をするというのは困った偏見で、男だって家事をする方がいい。


#この部分については「男が全部やるべき」と思っています。先に書いた逆差別なのだけど。

 実は、現状では「女がやるべき」と言う教育があって、男は家事のやり方もわからない部分がある。

 全部やるつもりでも最終的に女に頼らねばならない部分が出てきて、やっと半分分担できる、ということになりやすい。

 (一応、兼業主夫のつもりでやっている経験談)


さて、男も平等に家事を、となると、女性だけ「残業しない」のではなく、男性も残業しないが当然です。


…実のところ、残業が常態化している状況っておかしいよね。

普通は帰る、という前提があるから「残」なのです。みんな夕方5時で終わりにしようよ。




▼まとめ。


最近の時事ネタ3つ+αで話をしましたが、すべて問題は繋がっていると考えています。


男女平等だ、と思うのであれば、性別の延長としてのLGBTも認めないといけない。

LGBTを嫌悪する人は、男女平等とLGBTの整合性をどうとるか、自分でも考えてみてください。


まぁ、見直した結果、男女平等に懐疑的になったりしても、僕は構いません。

僕は男女平等論者ですが、それ以上に「多様性を認めたい」と思っています。



男と女とL・G・B・T…さらに「それは許せん」と主張する人も、全部許容できる社会がいいと思う。


言っていること矛盾しているかもしれないけど、世の中なんて矛盾だらけ。

皆が「許容できる」落としどころがあるといいな、と思っています。





思った以上の反響だったので、翌日に追記を書きました


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申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

続・男と女とLGBT  2014-11-01 12:19:41  その他

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先日LGBTのことを書いたのですが、書いた後で新聞の夕刊見たら「ティムクックが同性愛者であると告白」という記事が出ていました。

記事内の詳細を読む限り、性癖としての扱い。


家で購読している新聞が最近になってLGBTへの理解を求めるキャンペーンを張り始め、そこでこの問題を深く知ったのですが、同じ新聞の中でLGBTを「性癖」として扱うのを見て、問題の闇の深さを改めて思い知った次第。




LGBTの話題なんて書くと反発がかなり来るかな、とこわごわ書いたのですが、思った以上の方が読んでくださり、真面目に受け止めてくれた模様です。

まぁ、反発意見は来ていますが、大抵は趣旨を理解しないで感情的に反発しているだけで、予想の範囲内でした。



真面目に考えた上での反論としての「ロリコンはどうなんだ」というのは、実は先の記事を書くときに僕も悩んだ問題。

「スカトロとかSMとか」を例に出しながら、ロリコンやペドファイルを含まなかったのは、議論を単純化するためでした。


反論として筆頭に考えていたので、自分なりの答えはすでに用意できています。



でも、その前に別の話題から。



▼LGBTの「生物学的」役割


以下に書くことは、僕の思考実験に過ぎません。

LGBTの問題を考えるとき、生物学的に「なぜ」LGBTが必要なのだろう、と考えていました。

5%というのは、結構多いです。決して、遺伝子欠損などの奇形として生まれてくるわけではない。


生物学的には、男と女がペアにならなくては子孫を残せません。

合理性でいえば、「それ以外」の性であるLGBTの方々は、子孫を残せないので遺伝的に「消滅する」はずです。

にもかかわらず5%という高割合で残されているというのは、生物学的にも重要な意味を持っているに違いない、と思います。



人は知恵を持ちすぎたため、単に「動物的に」セックスを行うのではなく、頭で考えて快感を作りだそうとする、という話があります。

これは事実でしょう。背徳的な状況を作った方が「秘め事」としての快感が上がる、という話もあります。


そして、LGBTが「背徳」であるがゆえに、その性癖を好む人々がいるのだ、という説もあります。


この考え方は違うように思います。

キリスト教では、LGBTは背徳です。しかし、男色が好まれた古代ギリシアや、LGBTに特に宗教的偏見のない日本では、「背徳」ではないにも関わらず、やはりLGBTは一定割合で存在します。


これはまた、LGBTが後天的に獲得する性癖ではなく、生まれついての「性別」の一つである、という主張の根拠ともなります。



また、同性愛は人間に限らず、野生生物一般にみられる行動です。

これも「背徳」説を否定するものとなります。


これがLGBTと同じなのか、僕にはわかりません。

一生「同性」にしか興味を持たないゲイなどは、ペンギンなどで観察されているようですが、その他の動物は長期観察例も少なく、一時的な行動(バイ)なのか、一生を通じた行動(ゲイ・レズ)なのかもわかりません。


特に、自己認識の性の問題であるトランスジェンダーは、外部から観察してもわからないでしょう。




水生生物…魚や貝などでは、「性転換」も普通のことです。

♪良くあることさ…海ではと歌われちゃうくらい。



大抵、卵と精子では卵の方がはるかにおおきいです。

そのため、卵を作るにはエネルギーがいります。それに比べると精子はエネルギーが少なくて済む。


一方で、卵を作りだせば「確実に」自分の遺伝子の子孫を残せます。

精子をつくるのでは、残せる可能性はありますが、他の雄との競争に敗れると子孫を残せません。



そのため、十分に餌があり、安全な環境ではメスでいる方が有利。

餌が減るなどの環境変化があると、オスに性転換してエネルギー消費を抑えて生き延び、子孫を残せる「可能性」を高めます。


性転換しない場合でも、卵の孵化する際の環境で雌雄が決まったり、遺伝的には同じで後天的に性別を獲得する例は非常に多いです。



人間の場合も、雌雄は体内の「環境で」左右されます。

この体内環境は遺伝によって…ホルモンバランスによって作られるため、先天的に決まっているともされるわけですが、トランスジェンダーの方への治療としてホルモン注射によって体内環境を操作することもあります。


#治療と言うと病気のようですが、トランスジェンダーは再三書いたように「性別」であり、病気ではありません。

 しかし、社会的な無理解により、鬱など精神病の発症原因とはなります。

 この際、本人の「性別不一致」の悩みを軽減するための方法として、ホルモン投与が行われます。


#このことは、LGBTの方々が「ホルモンバランス異常という病気である」という意味ではありません。

 LGBTが生まれながらの性であり、その状態で健康です。

 それが社会的にも認められれば、何の問題も生じないのです。




さて、生物にとって性とは非常に曖昧な存在で、性転換する生物もいるし、同性愛も一般的、と判ったところで、「なぜ」それが必要なのか、という疑問が残ります。


性転換については、先に理由を書きましたね。そうするほうが、子孫を残すうえで有利だからです。

では、「同性愛」はどうなのでしょう?


ここで、二つの可能性があると思います。


1つは、「性転換」する生物の名残である可能性。

性転換が不可能になっても、意識の上だけで性転換が行われてしまい、生物学的な性と意識の上での性が一致していない、という可能性です。


原因の一つとしてあり得そうです。


もう1つは、LGBTの存在は、「種の保存」としては有利に働いている、という可能性。

LGBTの固体は、残念ながら子孫を残せません。

なので、LGBTが「過去の遺物」でしかないなら、遺伝子が残せないことで消滅するはずです。


にもかかわらず、5% という「無視できない数」で残っているので、僕としてはこちらなのではないかと思っています。

LGBTが存在することで、何らかの形で人間全体としては生存に有利になるように働いている。


この場合、LGBTの方々を排除し、社会的な「抹殺」を行うのは、人間全体にとって不利な事のはずです。

彼らを社会に受け入れ、彼らでないとできない役割が担えるようにするといい。


LGBTの存在が人間にとって「有利」だったのであれば、必ずそのような役割があるはずです。



#注:子孫を残せません、と書いてますが、Bに関しては残せますね。

 しかし便宜上「LGBT」で一語としてあつかわさせてください。



▼ロリコン・ペドファイルの存在


ここで、最初の話に戻ります。

LGBTとロリコン・ペドファイルは同じなのか?


#ロリコン、という言葉が、日本では誤用され「ペドファイル」と同義として使われています。

 本来的には違うのですが、以下は日本人として馴染みのある「ロリコン」で統一します。



スカトロやSMは、「そちらの方が性的興奮を得られる」という趣味の問題で、快感を求めて徐々に過激になっていくものです。

「初心者」という言い回しがあったりするのも、そのため。

この点、先に書いた「快感を作り出す背徳的な状況」の一つかと思います。



しかし、ロリコンは、どちらかといえばLGBTにちかい、生まれつきのものなのかな、と思っています。

では、なぜLGBTとロリコンが区別されるのか?


LGBTは、生まれついての「性別」です。

でも、人間だから当然性欲も持ちます。


ゲイの男が、好みの男を見つけ、恋をしたとします。


この恋は…異性に対する恋心よりも前途多難にも思いますが、恋愛感情は本人にも制御できない、というのは多くの人が知るところです。


相手に告白したところ、相手もゲイ・もしくはバイで、無事カップルになれたとしましょう。

なんという幸運。めでたしめでたし。これなら、何の問題もなく幸せな結婚生活が送れるように思います。


#日本では法的に婚姻が認められない、という問題はありますが。


でも、なかなかパートナーを見つけられず、性欲がおさえきれなくなって、そこらへんにいた好みの男を捕まえて「強姦」したとしたら、これは犯罪です。


「性別」の問題ではなく「異常性欲者」であることが問題です。

別に、ゲイでなくて相手が異性だったとしても同じく犯罪になります。


ここでも、「ゲイだから」と特別視する必要は全くありません。



ロリコンにも同じことが言えるのですが、困ったことに、ゲイと違って「ロリコン」はロリコン同士を欲しているのではありません。

欲している相手は結婚が認められないどころか、性行為をすることが認められない幼少者なのです。


ロリコンを生まれついての「性別」と認めた場合、性により差別されてはならない、という憲法規定により、彼らの「幸せ」である、幼少者との結婚を認めなくてはならなくなります。


しかし、幼少者は十分に自分の意思決定に責任を持てるとは考えられず、婚姻すること自体が認められません。

婚姻が認められる年齢まで待てば、ロリコンの「幸せ」である幼少者ではなくなります。


ここで、矛盾が生じてしまうのです。



おそらくは、ロリコンはLGBTと同じような「性別」のひとつではないかと思います。

しかし、現代社会において、残念ながらこれを法的に「性別の1つ」と認めることはできないのです。




しかし、ロリコンもまた「生まれついての性別」だとすれば、LGBTと同じで生物学的な役割があるはずです。

僕はこちらの方がLGBTよりも説明しやすいのではないかな、と思っているので、先に話を出しました。



猿の集団などにも、異性には全然積極的にならず、子供の相手ばかりしている猿、というのが存在しています。

恐らくは、ロリコンと同じような性別なのです。


こうした猿は、「保育園」の機能を作ることで、群れ全体の役に立っています。

親が狩りに出かけるときに子供を預かっていたり、子供をまとめて引き受け、様々な知恵を授けたり。


これは群れの中に必要な機能なので、「子供好き」の猿がいなければ、誰かが代役を行うでしょう。

でも、「仕事を割り振られたから仕方なく」やるよりも、子供が好きでたまらない猿がやる方がきめ細やかなケアができ、リスクが少ない。



現代的にも、保育園などの機能は必須のものですし、「小さい子が好き」な人の性格は十分に役立ちます。

幼少者がかわいくてたまらない、というのは全然問題ないのです。


ただ、「好きだから結婚したい」というのは、残念ながら認められません。

先のゲイの例で挙げたように、異常性欲者となれば犯罪者として社会的な制裁を受けなくてはならなくなります。



▼ふたたび、LGBT


では、ふたたびLGBTに話を戻しましょう。


ペンギンではゲイのカップルが現実に観察されていて、飼育下では「親が育児放棄した卵を温める」という役割を見事にこなしたことが報告されています。



恐らくは、自然界であっても同じ状況では、同じようにふるまうのではないかと思われます。


彼らは、卵を産む能力を持ちませんが、育児能力は十分にあります。

そして、厳しい自然界では、何らかの理由による「遺児」は頻繁に発生するのです。



育児放棄した親が酷い、とかいう話も出そうだけど、これもLGBTと同じ問題。

何度も書いているように「性別は無段階のグラデーション」だと思います。

産む能力があるのと、母性本能の強さは全く別の問題。


つまり、ゲイやレズのカップルは、何らかの理由で「親のない子供」が生じた際の受け皿として、集団の中に「必要な」存在だったのではないかと思うのです。


遺伝的に直接の子孫が残せない、というのは事実ですが、そのために子育て期に入っても、準備は整っているのに子供がなく、手が空いています。

ここに「遺児」が発生すれば、すぐに後を引き継ぐことができるのです。


結果として、子を産めないにもかかわらず、ちゃんと子孫を残す役に立っている。



バイはどっちにもなれるワイルドカード的存在として良いとして、トランスジェンダーはどうなのでしょう?




途中にも書いたように、野生生物にトランスジェンダーが存在するのかは確認の方法がありません。

「自己認識」と言うのは比較的高度な技能なので、自己認識の上で自分の性別について思い悩む、というのは人間に特有のものかもしれません。



そして、人間の場合、脳の機能が男性と女性でずいぶん違うことも判っています。

男性は右脳と左脳をつなぐ「脳橋」が女性に比べ細く、そのため右脳と左脳をバランスよく働かせることが苦手です。


結果として、男性は「専門性」を持った職業に適しています。

左脳偏重だと論理性を持った仕事に向いていますし、右脳偏重だと発想を必要とする仕事に向いています。


女性は、右脳と左脳をバランスよく働かせることができます。

このため、全体の総合バランスをとる能力に優れ、人を相手として気配りする必要がある職業に向いています。


#以上は、もちろん個人の差もあります。

 繰り返しますが、「性別は無段階のグラデーション」なので、単純に切り分けられるものではないです。



さて、このような違いから、男女ではかなり思考のパターンも違います。

男と女で話がかみ合わないとか、そのためです。時には集団でいがみ合うこともあります。


でも、トランスジェンダーは、その中間に位置していることが多いです。

外見と内面が違うので、男からも女からも「ちょっとおかしい仲間」とみられ、どちらからも受け入れてもらえることがある。


男女がいがみ合い続けていれば、群れに危機が訪れます。子孫を残せなくなるかもしれません。

しかし、トランスジェンダーを仲介することでお互いの考えが伝わり、群れの仲が良くなれば危機を回避できます。


トランスジェンダーもまた、生物学的に子孫を残すことに寄与できるのです。



▼まとめ


最初に書いた通り、以上は全て僕の思考実験に過ぎません。

生物学的な知識とかそれほどないし、間違った前提もあるかもしれません。



しかし、LGBTが事実として5%も存在する以上、これは「異常」ではなく、社会的な必要性があって存在しているのだろうなぁ、と思うのです。


思考実験として示したものは、その「一例」にすぎません。

間違えた前提の指摘があったとしても、別の例はいくらでも作り出せるように思います。

つまるところ「存在している以上、それは必要だからに他ならない」ということです。


ならば、LGBTを嘲笑し、排除しようとするよりも、必要と認めて受け入れたほうが、社会全体のためになるはずです。


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匿名コメントへの返答【日記 18/03/09】

男と女とLGBT【日記 14/10/31】

別年同日の日記

01年 10/31

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13年 ミッチ・ケイパーの誕生日(1950)

13年 セガ初期の歴史を調べてまとめてみた

15年 プリンタ買った

17年 千客万来

18年 イグニス1か月&ハスラー試乗?レポート


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全ての国民が…  2014-11-13 14:50:22  その他

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今日が誕生日のキム・ポレーゼさんが、オバマ大統領のイノベーション諮問委員会メンバーだった、ということで、以前から書きたかったことを、つらつらと。


えーと、先に書いておくけど、基本的にはネタです。

それなりに真面目に考えているのだけど、真面目に受け取られると困るかも。




もう1年ほど前、オバマ大統領が米国民に「すべての国民にプログラムを学んでほしい」と語りかけました。


これにはいくつか意味があると思っています。


製造業はもうアジアの国の安い人件費で作られてしまうと太刀打ちできない。

プログラムも、インドあたりで開発するのが増えている。


でも、ちょっとしたアイディアでいろんなものを組み合わせて、新しいものを作り出すこと…

あえて枯れた技術の水平思考とか言っちゃいますけど、そういうものは、「いろんなもの」をすでに持っている国が強い。


つまりは、アメリカはそういう分野で生き残っていかないといけない。

iPhone は良い例で、部品は安いものを使っているし、技術は既存の物ばかりだけど、うまく組み合わせて成功している。



でも、「組み合わせる」には、つなぎとめる何かが必要。

お団子でいえば、突き通す「串」がいるんです。


プログラムって、こういう時に団子の串になれます。



昔、アスキーから、いろんな分野の一線で働いている人がコンピューターをどう使っているか、というインタビュー本が出ていました。持ってないのだけど。

その本の宣伝で、たしかこんなことが書かれていたのです。


 第一線の研究者はコンピューターを使っているかもしれないが、コンピューターは主役ではない。

 でも、団子の串を名乗るくらいの資格はある、のではないか。


主役は団子ね。でも、串が無いとまとまらないし、食べづらい。

非常に名文句だと思います。そして、そのコンピューターを見事に「串」として振る舞わせるには、プログラムが不可欠です。


つまりは、「すべての人がプログラムできるように」は、決して高いレベルのプログラムを求めているのではなくて、「必要な時に貫き通せる串くらいもっておきなよ」という意味合い、かと思います。




また別の解釈。


アラン・ケイは、コンピュータープログラムの学習をすることで、子供たちに科学的思考が芽生える、と考えています。


今は、高度に科学的な思考を出来る人と言うのは、世界人口の 5% もいないかもしれない。

でも、コンピューターで教育を行えば、500年後には 95% が科学的な思考を身に着けるだろう、と。


なんだか突拍子もない話ですが、500年前には、文字を読める人は全人口の 1% 程度でした。

でも、今は多くの人が文字を読めます。じゃぁ、今は 5% しか科学的思考ができなかったとしても、500年後には…

という、それなりに根拠のある話。


ケイは、このために「プログラムができる」ことが重要だと考えていますが、これは決して、プログラムを作ることが目的ではありません。

ある程度「出来る」能力があれば、やらなくてもいい。でも、その能力は絶対別のところで役に立つ。



僕としては、オバマさんの意図はこちらではないかな、と考えています。

全員をプログラマーにして、アメリカを IT 産業しかない国にしたいわけではない。


でも、科学的な思考が身に付けば、それはどんな業種でも必ず役に立ちます。




科学的思考っていうと、科学知識と混同されそうだけど、そうではないのね。

たとえ話をしましょう。


僕が通っていた大学で、特別な入試がありました。

高校の成績は不問。いわゆる通常科目の試験もやらない。

ただ「科学的思考」を持ち合わせているかどうかのみを見る試験でした。


出題時に、2つのバナナが配られます。

1つは今朝買って来た新鮮なバナナ。もう1つは、3日前に買ってきて置いておいた古いバナナ。


この2つを食べ比べ、どちらが甘いか、その甘くなった理由はなぜか、自分で考えて教授の前で話をしなさい、というのが問題でした。



サークルの後輩の女性が、この試験を受験したのですが、彼女の答えは以下のようなものだったそうです。


甘いのは古い方。

新鮮なバナナには少し酸味を感じた。これが、古いほうが「甘い」と感じる原因ではないか。


柑橘類など酸味があるものは香りが強いことも多いし、お寿司を作るときには結構お酢を入れても酸っぱくならない。

香りが強いというのは蒸発しやすいということだし、寿司飯を作る際もウチワで仰いで蒸発させている。


ということは、酸味は蒸発しやすいのではないか。3日前のバナナは酸味が蒸発して消えてしまい、結果として甘くなったのだと思う。



…彼女、試験終了後にすぐに事典で答えを調べ、間違っていたので不合格だと確信したそうです。

でも、結果は合格。


これ「知識」があれば、バナナが追熟することを答えて終わりでしょう。

でも、おそらくそれだけでは不合格。知識を問う問題ではありませんから。


自分の持っている知識を組み合わせて、「もっともらしい説明」を考え出せるかどうか。

これが「科学的思考」です。


#注意:決して知識が不要だというわけではないよ。

 彼女の答えがそうであるように、知識が間違っていれば間違った結論にたどり着いてしまう。

 でも、知識なんて本を見れば載っているんです。それを「正しく」組み合わせられる能力の方が、ずっと重要。


ここでは、断片知識をつなぎ合わせて一つの形にしている。

…そう、やっぱり「団子の串」を持っていることが重要なのです。


プログラムを作る練習をすると、こうした思考能力が身に付く。

アラン・ケイがプログラムに求めているのは、そうした部分です。




さて、先の入試の例で、「教授の前で答える」というのも、実は科学的思考を見るうえでも重要でした。

これ、プレゼン能力を見ているのですね。


プレゼンと言っても、よどみなく、はきはきと喋れとか、そういうことではない。そんなのは練習すれば身に付く技術に過ぎない。

相手が何を理解していて、何を理解していないか。自分の考えをどのように順序立てて説明すれば、相手に伝わりやすいか。


ということは、常に「相手に伝わりやすい」ことを考えなくてはならない。

「自分の考えを知っている自分」でありながら「自分の考えを知らない他人」の目線も持っていなくてはならないのです。


「他人の目で見る」というのは、「わかったつもりの物でも、逆の方向から、全く知らないものとして見てみる」ということでもあります。



たとえば、「色の三原色は、赤・青・黄色である」というのは、多くの人が知っていること。

じゃぁ、「三原色」という言葉は、常識として説明いらずで使っていい…かな?


「パソコンでは赤・青・緑 (RGB) だよ」と知っている人もいるでしょう。ということは、先の言葉は必ずしも正しくないのです。


これが「減色混合」と「加色混合」の三原色だ、と知っている人もいるかもしれません。

じゃぁ、「減色混合の三原色」なら使っていい?


…いや、たぶん人には伝わりにくくなるでしょう。減色混合って言われてわかる人は少ない。

「三原色(赤・青・黄)」と補足した方が、よりわかりやすいかもしれない。



話の文脈によっては、「三原色」自体を疑わないといけない場合もあります。


人間の目の中には「赤・青・黄色」に反応する神経があります。(本当はちょっと違うのだけど、そう考えてください)

たとえば、緑色は、周波数の近い青と黄色が同時に刺激されることで「緑」だと知ることができます。


でも、黄色と青の色が「混ざった」ものがあったら、やっぱり同時に刺激される。この時「緑」と区別がつかなくなります。

だから、青と黄色を混ぜると緑になる、と言われる。


でも、これは「人間にはそう見える」というだけで、青と黄色を混ぜても、それは「混ざった青と黄色」に過ぎないのです。

人間とは違う仕組みで色を見る…たとえば昆虫なんかには、緑には見えないかもしれない。


これをちゃんと理解していないと、三原色と言い出した時点でおかしい、ということだってあり得る。



…と、こういうのが、「わかったつもりでも逆から見る」ということ。

説明するうえで、自分では当たり前だと思っていることでも、いちいち「人に伝わるか」を考えて、伝わりにくそうなら伝える方法を工夫しないといけない。


ここでも、知識を問いたいわけではありません。

すぐに「ほかの人はどう思っているかな?」「他の見方はできないかな?」と、目線を切り替えられることが重要。




さて、話をプログラムに戻すと、実は「目線の切り替え」ができない人が作ったプログラムは、バグだらけで動きません。

自分の作りたい処理を作っただけではだめだから。


処理を作ったら、それが「どんな極端な状況でも正しく動くか」を検証しないといけない。


検証すると、結構うまくいかない特殊例が見つかるものです。

そうしたら、再び別の方法を考える。その方法をまた検証する。


プログラムを作る際には、こうした「目線の切り替え」が連続して起こります。

最初は大変なのだけど、慣れるとどんな時でもすぐに目線が切り替えられるようになる。


これがまた、科学的思考に役立つのです。


#こういう話、過去にも書きましたね。




さて、ここからは、ネタと言うか与太話。


アメリカでは、コンピューター産業に力を入れたいので、皆がプログラマーになるようにする。

それはいいと思うんですよ。


じゃぁ、日本も同じようにプログラマーを目指させる?

それじゃぁ、アメリカに遅れを取るだけで、あまり意味がないように思います。


実のところ、プログラマー教育まではしていませんでしたが、アメリカでは「プレゼン能力」を磨くような授業はすでにさかん。

ある程度の科学的思考能力があるのを前提に、全員がプログラムできるように、と言っているのですね。


日本の場合、残念ながらアメリカよりも科学的思考能力がある人が少ないように思います。

今からこの分野で追いかけても、アメリカに勝てないかもしれない。


やるなというわけではなくて、やってもいいのだけど、別の方法で科学的思考が身に付くように考えてみるのもいいのではないかな。



…で、思うわけですよ。

プレゼン能力と言うのが一つのキーワードです。誰にでも伝わる、伝える能力。


これ、日本が世界的に非常に強い分野がありますよね。クールジャパンとか言われて、世界的にも人気があります。



というわけで、アメリカが「全国民がプログラムできるように」と言うのであれば、日本では「全国民が漫画を描けるように」ってやればいいんじゃないかな。


もちろん、「伝える能力を磨く」のが狙いですから、ただ絵が描ければよいのではないです。

むしろ、絵は下手でもいいから、みんなが面白いと言ってくれる内容で勝負。



僕はちっとも絵が描けないので、本気でこんな政策打ち出されたら大変なのですけど、僕レベルでもアメリカ人から見れば「絵がうまい」部類のようです。

子供の頃に真似して描いていたので、スヌーピーとウッドストックのイラストくらいは描ける。

(常に同じポーズのイラストで、顔だけだけど)


ドラえもんの絵描き歌だって、他の国の人から見ると「絵が描ける」レベルであることは多いです。

日本人、この分野では確実に国民のレベルが高い。年配の方でも、絵手紙とか趣味教室で人気高いし。


嘘だと思うなら、アランケイが書いた顔の絵を見てみるといい。

ちなみに彼、コンピューター関連で有名だけど、ジャズが好きで演奏家になりたかった…という「アーティスト」だからね。


#5秒程度で描いた絵をいろいろ言うのも申し訳ないのですが。

 彼の過去の論文には、もっと上手な絵が載っています。時間があれば上手に描けるのでしょう。


#2017.6.26 追記

 後で知りましたが、「上手な」方のイラストは、ケイのものではなく、依頼して他の人に書いてもらったんだそうです。

 だから、やっぱりケイは絵が下手な模様…



でも、絵が描ける、というだけでは「イラスト」であって漫画ではない。

漫画として、なにかお話を伝えられるレベルにしようと思ったら、たぶんすごく頭を使わなくてはならない。


この部分で「頭を使って、工夫する」ことが何よりも重要です。


ある程度人に読んでもらって、面白いと言ってもらえる「漫画」を描こうと思ったら、かなり高いプレゼン能力が身に付くのではないかな。

そして、それはとりもなおさず「科学的思考」に密接しているわけで、絶対に他の分野でも役に立つ。


なによりも、「実際に自分の手で何かを作り出す」ということは、新しい視点をもたらせてくれます。

それを繰り返し行うことで、より良いものを作れるように繰り返し考える癖が付きます。



これ、アメリカが「プログラム」で狙っているのと同じ効果、だと思います。

だから、目指すものが漫画であってもよいはず。


アメリカは「輸出産業」としてのプログラムも見越しているわけですが、現在「クールジャパン」戦略によって、漫画は重要な輸出品でもあります。

描く人が増えて底辺が広がれば、その中から次世代を担う人も出てくるでしょう。


なによりも、政府が「国民全員が漫画を描けるように」なんて言い出したら、諸外国から「crazy...」ってため息が聞こえてきそうです。いや、褒め言葉として。

クールだ、っていうんなら、それくらいのことやらなくちゃ、存在感を示せないのではないかな。


これ、結構悪くない戦略なのではないかと思うのですが、どうでしょう?


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別年同日の日記

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06年 風邪惹いた

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09年 読んだ本

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17年 揚げ網

17年 スプラ2のフェス


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雑誌の発行日  2014-11-16 16:02:30  その他

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僕は兄弟が多く、年の離れた兄や姉がいる。


で、その兄や姉が子供の頃、相次いで子供向けの雑誌が創刊された時期があった。


まずは月刊誌。でも、子供は飽きるのが速いから、次の号の発売まで1か月も待っていられない。

そこで、子供向けの週刊誌が作られ始める。


少年サンデーと少年マガジンの創刊だな。ジャンプはちょっと後。


漫画雑誌、ではなかった。漫画も載っているけど、読み物も多い。

結構時事ネタも多くて、ベトナム戦争の頃なんて「これがベトコンだ!」なんていう、結構重いテーマの特集記事とか乗っていた。



マガジンとサンデーは同日創刊で、マガジンはサンデーよりも安い値段を設定してきた。

サンデーが 40円だったから、マガジンは 30円にした、という有名なお話。


「たった10円」ではないよ。

1959年発売のグリーンガム(4枚入り)は、10円だった。10円の差っていうのは、浮いたお金でおやつも買えちゃう、というほどの違いだ。


その後、少年キング、少年ジャンプ、少年チャンピオンなども創刊され、競争が激化する。




最初は値段で勝負していたけど、値段勝負は疲弊する。

すると、値段は高止まりさせつつ「おまけ」の充実度で安さを演出する戦略が流行する。


先に書いたように兄の時代の話なので、正確にはちょっとわかっていない。

おまけをつけていたのは、週刊誌に押され気味だった月刊誌の方ではないかな。


雑誌とは別に、漫画だけが詰まった小さな本をおまけに付けるとか、ペーパークラフトモデルをつけるとか…

今でも小学生向け月刊誌なんかに見られる戦略ですね。


でも、その競争もやりすぎると収益を圧迫する。

そして、お金がかからずに他社を出し抜ける方法として、「発売日を前倒しする」戦略が始まった。


他社よりも発売日がわずかに速ければ、まだお金を持っているから買ってもらえる。

他社よりも遅ければ、そちらの雑誌を先に買われてしまい、お小遣いが無くなって買ってもらえないだろう。


単純な理屈で、どんどん発売日は前倒しされる。

1か月くらいなら「季節感の先取り」なのだけど、春になったばかりでもう夏号が発売されたり、3か月程度まで早まったこともあったらしい。



で、この勝負はあまりにもバカバカしいので、「前倒しは1か月程度まで」という出版業界の自主規制が作られる。


たとえば、11月16日に「12月号」を発売する場合、12月号なのだから、出版日は12月16日とする。

でも、1か月前倒しして11月16日に発売するのだ。


一応、45日までは OK らしい。月末発売の雑誌などで、11月25日発売だけど「1月号」と言うのは許される。


でも、まぁ感覚的には1か月が基準だ。

雑誌に限らず、「出版日」としては、実際に発売される日の1か月先の日付を示す習慣になっている。




さて、なんでこんな話を急に書いたかというと、1年も前に書いた「ゲームセンターあらし の発表日」が、1か月ずれている、という指摘を頂いたため。


『「コロコロコミック」第9号(1978年11月14日発売)に掲載された』と、あらしの作者である「すがやみつる」さんのページに書いてあった


そのため、この日を発表日と考えて記事を書いていたが、それ以上の裏付け調査はやっていなかった。



指摘をくださった方によると、第9号の奥付にある「発行日」は、たしかに11月14日だそうだ。

これだけを見ると、11月14日に発売されたというのは間違いではないように思える。


でも、第8号の「次号予告」を見ると、10月14日発売、としっかり書いてある。

写真もいただいたので、許可をもらって転載。



つまり、先に書いた理由で、発行日と発売日は1か月ずれているのだ。




ちなみに、指摘をくださった方は、あらし関連のページを作っているほどの、あらしファンの方。


僕が1年前に記事を書いた際にも年表をリンクさせてもらっていたし、そこにしっかり「10月」発表と示されていたのに、すがや先生の表記と1か月ずれていることに気付いていなかったのは僕のミスでした。


この時点でずれに気付いていれば、さらに調査して正しい日付を示せていたかもしれません。

(もっとも、奥付や次号予告ページの写真のような資料はなかなか見つけられないため、調査しても行き詰っていたようにも思います)



というわけで、1年前に書いた「発表日」を、訂正するとともに、誤認していた経緯を明示しました。

来年からは正しい日にツイートするように心がけます。



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別年同日の日記

01年 11/16

01年 11/15

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12年 こんにゃく

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15年 デイビッド・パターソン 誕生日(1947)

17年 ST-V 開発環境


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年越しそばの起源  2015-01-05 17:32:51  その他

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仕事始めでやっと PC 起動できました。


いろいろ書くことがあるけど、まずは大みそかにツイッターで書いたことの補足。




年末年始は子供も冬休みで PC に向かえません。

で、大晦日の日にツイッターで「年越しそば」について書いたら、ちょっと(本当にちょっと)反響がありました。


そいじゃ、詳細をここにまとめておきますかね。

「年越しそばって何なのか」という話。




大晦日になぜ年越しそばを食べるのか?


・金細工職人が仕事の後にそば粉を練って金粉を集めたことから、「金が集まるように」という願掛け。

・そばは切れやすいことから、今年の悪いことを断ち切って来年が良くなるように、という願掛け。

・年越しはもうすぐ(そば)、という言葉遊び。

・そばのように細く長く生きられるように、という長寿の願掛け。


などなど、諸説あります。

まぁ、どれもある意味正しいのでしょう。


でも、一番大切な理由は「ソバが簡単に食べられたから」だと思います。



江戸には蕎麦屋・そばの屋台が非常に多く、3800軒ほどあったという調査結果が残っています。


今の東京では、コンビニが5000軒弱


江戸は人口100万人、東京の昼間人口は1500万人

「人口当たりの数」では、蕎麦屋はコンビニよりずっと多かったのです。


ちなみに、東京の歯医者は1万軒。コンビニの倍近くあります。話には関係ないけど。




さて、なんでそんなに蕎麦屋が多いかと言えば、江戸では「外食する」ことが奨励されたため。


当時は食事を作るには火を焚く必要があります。

しかし多くの人が住んでいた長屋の一軒分は狭く、土間は十分なスペースがありません。


万が一、周囲に火が燃え移れば火事になります。

長屋が密集した江戸では失火すれば大火事になるのは必至で、「出来るだけ火を焚かない」ことが奨励されたのです。


#炊事ができない程度、暖を取ったりお湯を沸かす程度の火は使われた。



このため、江戸には多くの食べ物屋があったのですが、特に安かったソバは人気があり、たくさん店があったのです。

赤穂浪士も討ち入り前にそばを食べていますし、落語の「時そば」など、蕎麦屋を舞台とした話も多いです。



余談になるけど、「外食が当たり前だった」というの重要ね。

家で料理作れることが「家庭的」なんていうのは、ここ100年程度の話に過ぎません。


#家が密集していない江戸以外では、各家庭で料理もします。

 でも、いまよりずっと簡素だし、隣近所でおかずを交換したりもしたので、毎食毎食の料理を全部作る必要もなかった。

 「料理できる女性が家庭的」は、西洋文化の影響にすぎないよ。




話はがらりと変わります。


江戸時代は、物を購入する際に「つけ払い」にするのは珍しいことではありませんでした。

店主とある程度顔なじみになれば、つけ払いが効くようになります。


お金は、月末にまとめて払います。

普通は自分から払いに行くのですが、貧乏人が多い江戸のことですから、払いに行かないで逃げようとする人もいます。

(にもかかわらず、店はそれほど多くないため、同じ店にまた買い物に行ったりもします)


あまりつけが溜まると、店側から取り立てに来ます。

そして、年末には取り立てが厳しくなります。何事も年をまたぐ、というのを基本的に嫌う風習があったためです。



大店の使用人にとっては、大晦日の取り立ては大変な仕事でした。

のらりくらりとお金を払わないで逃げ続けてきた人に、何としてもお金を貰わねばなりません。


何人もの相手に対し、集金に回ります。

「年をまたぐ」のを嫌うのは借金している側も同じで、基本的には何とかお金を工面して払おうとするのですが、ここでも逃げようとする人もいます。

毎月末の集金よりも激しい丁々発止が繰り広げられたようです。



取り立ては、大抵日没後にも続きます。

当時は日が変わるのは「日の出」の時なので、日没後もまだ大晦日なのです。


#だから、深夜0時に「あけましておめでとう」というのも当時の感覚ではおかしい。

 「年明け」は、「夜明け」と同時です。




寒い中、やっと集金を終えて帰ってきた使用人に、大店の主人は労をねぎらって暖かいそばを出したそうです。


当時の蕎麦屋は夜遅く(と言っても、当時のことなので夜10時程度)まで営業している場合も多く、そうしたところから出前を取ることも出来ました。


これが「年越しそば」の起源。


年越しそばを食べる、というのは、やっと年内の仕事を片付け、安心して年を越せるようになった、という意味があるのです。



本来商家にしか関係なかったはずですが、一般庶民にもこの習慣が広がります。

と同時に、本来の意図を知らない人向けに、「それらしい」説明が出回り始めます。


…つまり、最初に書いた縁起担ぎなどの話です。

江戸時代にはすでにこれらの説が流布しているし、その説を信じて食べる人も多かったのだから、縁起担ぎ説が間違えているというわけでもありません。



でも、そもそも蕎麦屋が多くなかったら、「年越しだからそば食べよう」と言っても食べられなかったのが江戸庶民。

自分で料理することはできないんだからね。


うどん屋が多かったらうどんになっていただろうし、握り飯屋が多ければ握り飯になっていたでしょう。


#小麦や米は肥えた土地でないと作れないけど、蕎麦は痩せた土地でも作れます

 これが蕎麦屋が多かった理由なので、うどんや握り飯にはなり得なかっただろうけど。



年越しそばの説明としては諸説あるけど、「ソバが簡単に食べられたから」という基本は忘れてはならないと思うのです。



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別年同日の日記

03年 続・C700レビュー

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12年 最近のうちの子

13年 CMSプログラム更新

24年 【訃報】ニクラウス・ヴィルト


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アプリケーションサーバとしてのQNAP  2015-01-23 15:23:03  その他

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一昨日に引き続き、QNAP の話。


以前の NAS のバックアップデータから、QNAP にデータを取り込んだ。

500GB 程度のデータを取り込んで、18時間ほどかかった。


この取り込み中に、QNAP は初期の「レイド構築」を同時並行で行っている。

ハードディスクとしては、あちこちシークして遅い状態だろう。


ただ、USB 3.0 接続されたハードディスクからの転送速度は決して早くはないはず。

(スペック上はハードディスクの SATA より速いのだが、実行速度はそんなに速くない)


シークがどれほど「転送速度の遅さ」に関与したかはわからない。


ま、ほっとくだけだし、初期設定中でももう使い始められる、という話でもある。



#後日気付いた。

 TS-220 は USB 3.0 を「搭載」しているが、外部メディアからのデータ取り込みは前面 USB に機能が割り振られていて、前面 USB は 2.0 だった。

 遅いと思ったら 2.0 で転送していた、という話。多分、同時にレイド構築していたのは問題ない。




単に RAID NAS が欲しくて QNAP を選んだのだけど、データ転送させながらいろいろ見ていると、想像以上に多機能だとわかってきた。


まず、NAS としては非常に多くの転送プロトコルに対応している。


NAS って、基本は「ネットワークファイルサーバー」なので、SMB (Windows のファイル共有プロトコル)と、AFP (Mac のファイル共有プロトコル)が使えれば、一応の格好は付く。


今まで使っていた LANDISK はこの二つだけだった。

でも、QNAP は NFS (UNIX のファイル共有プロトコル)も使える。


NFS は、ファイル共有プロトコルとしては最初のものだ。AFP も SMB も、その真似をして作られた、と言ってよい。


そして、QNAP は他にもいろいろ使える。

FTP,SFTP,TFTP が使える。これらは、クライアント側に専用のソフトを必要とするファイル転送方式だ。

専用ソフトが必要だが、逆に言えばソフトさえあれば、OS レベルで対応していなくてもファイル転送できる。


WEB でもファイルのアップロード/ダウンロードができる。


ダウンロードする際は WEB ブラウザでファイル一覧を見るわけだけど、いわゆる WEB インターフェイス…非常に使いにくいものではなく、Javascript を使って作られた専用ソフトがある。

Windows の Exploler や MacOS の Finder みたいな感覚でファイルを探せる。非常に使いやすい。


そして、iSCSI も使える。

え! これには驚いた。もう、本末転倒、何が何だかわからない状況だ。


NAS っていうのは、SAN に対する皮肉から始まっている。


先に書いたが、UNIX には NFS というファイル共有方法があった。

でも、これは「起動した後」にしか使えない。起動のためにはローカルにディスクが必要だ。

さらに、通常のネットワーク線を使うので、速度もローカルのハードディスクより遅い。


これを改良したものが SAN だ。

複数のマシンでハードディスクを共有するのだけど、専用のハードウェアと、超高速のネットワークで接続する。

すると、ネットワークで共有しているディスクなのに、ローカルのディスクと同じように見える。


超高速でデータを扱えるし、そのディスクから起動だってできる。

ローカルマシンには、もはやディスクはいらない。


これが SAN (Storage Area Network)なのだけど、専用の機器を使用するために非常に高価。



これに対して、ファイルを共有するだけなら専用ハードなんていらないでしょ、と皮肉って始まったのが NAS だ。一応 Network Attached Storage の略なのだけど、SAN の逆、という意味合いの方が重要。


NAS は実際には NFS と同じようなものなのだけど、時代が進んでいろんなファイル共有プロトコルが存在するので、SMB と AFP を両方使えて、Win と Mac が仲良くできる、ということが結構重要だった。


というか、NAS が出てくる前までは、Samba と Netatalk を入れた Linux マシンでファイル共有するのが流行した。

でも、この設定凄くややこしいんだ。それをパッケージして製品として売ってしまったのが NAS 、と思っていい。



で、先に書いた iSCSI 。

これは、超高速になったイーサネットを使って SAN を構築する際に使われるプロトコル。

いわゆる「ファイル共有プロトコル」ではなくて、ディスク装置を動かすための SCSI プロトコルを、ネット対応にしたものだ。

だから、ネット越しのディスクをローカルディスクのように扱える。NAS が皮肉った SAN なのだ。


そんなわけで、QNAP は NAS でもあるけど、SAN でもある。




というわけで、QNAP が NAS としては非常に高機能であることはわかってもらえたと思う。


でも、QNAP が NAS である、というのは、機能のほんの一部でしかなかった。

僕は NAS が欲しくて性能比較をして、「手ごろな割に高性能」なので QNAP を買ったのだけど、NAS である、というのは QNAP の機能のほんの一部でしかなかった。


一昨日も書いたけど、mySQL が動いたり Apache が動いたり…というのは、僕としてはどうでもいい。

だって、Linux サーバーが欲しいなら、仕事のために常時稼働しているもの。


人によってはありがたいかもしれない。


WordPress を QNAP に入れれば、そのまま家の外に向けて公開できる。

そういう環境に憧れていても、知識がなくて構築できない人もいるだろう。


QNAP なら安価に環境構築できる。




僕が注目したのは、Linux サーバーとしてではなく、「Javascript によるアプリ配信プラットフォーム」としての機能だ。

いわゆる、アプリケーションサーバと言うやつ。


QNAP に WEB アクセスすると、Javascript で動作する独自の OS が動作し始める。

各種設定などは、この OS 上で動いている管理ソフトで行える。


LANDISK も、管理画面は WEB でアクセスできた。

でも、それは管理画面だけだった。


QNAP の OS は、管理画面じゃない。

「管理ソフトも動作する OS 」だ。


だから、ユーザー登録ができる。

管理ソフトを使う場合は Admin で入るのだけど、普段は一般ユーザーを使って使うのがいい。

家族分のユーザーを作っておこう。


OS の上では、写真管理ソフト、ビデオ管理ソフト、音楽管理ソフトなどが動作する。


これがまた、結構使いやすい。

写真を整理するだけでなくて、いくつかまとめてアルバムを作ったり、共有するか、プライベートかなどを選べる。


ここら辺で、先に書いた「ユーザー設定できる」ことが活きてくる。

ちなみに、共有する際には、さらにネットに公開することなどもできるので、写真を人に渡すのに DropBox とか使う必要もない。



ところで、実は写真管理ソフトでビデオも扱える。

じゃぁ、なんでビデオ管理ソフトがあるのかと言えば、ビデオ用に特化することで使い勝手をあげているのだ。


だから、インターフェイスなんかは統一されている。

別のソフトだから、と違う操作を覚える必要はない。


音楽管理ソフトでは、そのまま音楽を聴くこともできる。

(裏ではストリーム配信されているのだが、そんなことを気にする必要はない)

もちろん、ビデオだってみられる。




実は、メディアはちょっと特別扱いされていて、ファイルが入れられたときにすぐにバックグラウンドで整理が始まる。

写真ならサムネイルが作られる。ビデオなら解像度の変換が行われる。


これで、写真管理ソフトではサムネイルがすぐ出せるし、スマートフォンでビデオを見るときに適切な解像度で配信したりできる。


最初に設定しておく必要はあるけど、使う人が何か気にする必要は、一切ない。

普通の NAS のつもりで、データを入れるだけで良い。




さらに、こうしたアプリケーションは、App Center というアプリを使って、ネットからインストールできる。


先に「ビデオ管理ソフトがある」と書いたけど、実はデフォルト状態では入っていない。

写真管理ソフトでもビデオ管理できるから、本当に欲しい人だけが入手すればいいの。


USB のチューナーを使って、テレビ番組を撮りためるためのアプリもある。

同じアプリで再生もできるし、DLNA などで配信もできる。


ネット対応の監視カメラを使って、映像を記録し続けるアプリもある。

QNAP 買ってきたら、簡単に監視システムが構築できてしまう。


もちろん、監視って言ったって窮屈な意味合いで使わないでもいい。

庭のお花がいつ咲くか、ずっと撮影し続けたって楽しいじゃない。


サードパーティ製のアプリもあって…スーパーマリオブラザースがあったので入れてみた。

NAS だから SMB が入っている、というシャレなのかもしれない。


エミュレータかな、と思っていたのだけど、Javascript で作られたクローンだった。


Javascript なので、QNAP から WEB ブラウザに配信したら、特に QNAP 側でプログラムが動くわけではない。

無駄に負荷をかけて不安定になることもないし、いいんじゃないかな、と思いながら、すぐ消した(笑)


#デモとしては面白いけど、同じものをネットでも配信していると分かったので。完成度も、悪くないけど高くもないし。

 関係ないけど こっちのゲームの方が好み。


どんなことができるのか、興味がある人は、こちらにいけば、現在公開中のアプリが一覧できる。

機種によっても使えるソフトが違うので、全部が使えるわけではないけどね。




QNAP にインストールするアプリ、とは別に、Android や iOS にインストールし、連携できるアプリもある。


たとえば、ファイルブラウザはファイルを見るためのものだけど、ビデオを Chromecast に送ったりもできる。


家族のビデオを NAS に置いてあるのだけど、前の LANDISK では DLNA しか使えず、一覧性が悪いので事実上使い物にならなかったんだよね。

これ、便利。


QNAP から直接 Chromecast に送れる、という触れ込みのアプリもあるのだけど、今のところどう設定するのかよくわからない。

(わざわざ PC を使わないで良い、という意味で、スマホアプリから送る方が楽そうだし)



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監視ユーザーの問題回避【日記 16/07/14】

QNAPにないもの【日記 15/01/24】

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別年同日の日記

12年 ゲームボーイの CPU

16年 iOSでtextのコピー・ペーストができないバグの回避

18年 サターンポリゴンのゆがみ

21年 100倍規模


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

ゲームセンターの努力  2015-02-23 14:18:17  その他

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先日、ゲーム業界が風営法の下でどんな努力をしてきたか、というような話を書きました。


でも、一番大切な事を書いてないのに気が付いた。

現場である「ゲームセンター」の努力を書いてませんでした。




一応、8号営業のままでなし崩しに景品を出してしまう、という話は書きました。

これもゲームセンター運営の努力ではあります。



ゲームマニアって、ゲームすること自体が楽しいのね。

ゲーム自体が趣味なので、趣味にお金を払うことになんのためらいもない。


でも、ゲームマニアなんて人口のほんの一部です。

そこだけを相手に商売をしていても先細りになってしまう。



じゃぁ、ゲームマニア以外もゲームセンターに来てもらうためにはどうすればいいか、というと、お金を払った見返りに何かが手元に残るようにするのです。


これが景品の払い出し。でも本当は風営法で禁じられています。

この方法を取るのは無理がある。




風営法が定められた当時、「賭博ゲーム機」が問題となっていました。


改造されたテレビゲーム機で、1プレイ千円。(30年前の話なので、いまよりずっと価値が高いです)。

大抵はポーカーやブラックジャックなど、すぐに勝負がつくカードゲームで、勝てば払い戻しがあります。


ここで重要なのが、当時は「プログラム」というものが今よりもはるかに理解されていなかったこと。

カードゲームなのだから、カードゲームと同じ確率で動いているのだろう、と考える人が遊ぶわけです。


ポーカーもブラックジャックも、本来ならば親が多少有利な程度で、子でも十分に勝てるゲーム。


だから「勝てるかも」と考えて遊び始めるわけですが、プログラム的に子はほぼ勝てません。

ただ、全く勝てないとすぐにやめてしまいます。10回に1回くらいは勝てるようにしてある。


そうすると、「ちゃんと勝つときもあるから、今まではちょっと運が悪いだけ。」と考えて遊び続けてしまうのです。


何十万もすった挙句、確率がおかしいのではないかと気づいて文句を言っても遅いです。

こんな違法な賭博を運営しているのはヤクザ絡みです。

自分が運が悪いのを人のせいにしてインネンを付ける気か、と絡まれて殴られ、謝っても慰謝料と称してさらにふんだくられます。


これが、テレビで摘発のニュースをたびたびやっているのに、だまされる人が後を絶たない時代があったのです。


#いまのオレオレ詐欺みたいなもんだ。



8号営業は、法律上次のように定められています。


・スロットマシン、テレビゲーム機その他の遊技設備で本来の用途以外の用途として射幸心をそそるおそれのある遊技に用いることができるもの(略)を備える店舗(以下略)


この、「本来の用途以外の用途として~」というのは、上記のように改造した賭博機を言っています。




もう一つ、風営法が定められた当時、ゲームセンターが不良学生のたまり場になっていることも問題でした。


学校サボって、行く場所もないからゲームセンターに溜まる。


ゲームセンターは結構音がうるさいため、外に音が漏れないように常に扉が閉められています。

そして、画面に光が反射して見えにくくなるのを抑えるために、窓にポスターを貼ったりして光をさえぎっていて、中が見えづらいです。


これが、サボっていて隠れられる場所を探す学生には格好の隠れ家だったわけです。


普段はサラリーマンも来る場所ですから、灰皿もあります。

不良学生ですから、タバコも吸います。


でも、彼らだって(暇つぶしに)ゲームを遊ぶので、店舗からすればお客様。

店としては追い出すこともできません。




賭博ゲーム機と不良学生。…他の要件もあったのかもしれませんが、ここら辺がゲームセンターに風営法の網がかかる原因となっていました。


ならば、これらのマイナス要因を払しょくすれば、風営法の枠を外してもらえるかもしれません。

それは無理だとしても、イメージを好転させればお客さんも増えるでしょう。


これから10年間、ゲームセンターは地道な努力を続けます。


昼間学校があるはずの時間に、学生服で来店するお客様は、一旦私服に着替えるか、午後3時以降に再来店していただくようにお願いして帰ってもらいます。


未成年と思われるお客様が煙草を吸っているのを見かけた際には、未成年が煙草を吸うのは違法行為であることを明示したうえでやめていただきます。


雰囲気を明るくするため、灰皿に吸い殻などがある際は速やかに片づけ、新たな灰皿に交換します。

ゲーム中のお客様の場合も、さりげなく灰皿を交換することがあります。


#この時、灰が飛ばないように別の灰皿を上からかぶせて運ぶ、など作法も細かい。


普通の蛍光灯ではなく、映り込みの少ない特殊照明を導入して店内を明るく保ちます。




店舗の立地によっては、さらに踏み込んで明るい雰囲気づくりに勤めています。


女性客にも楽しんでもらえるように、占いゲーム機などを充実させたのもこの時期。

子連れでも楽しめるように、「アンパンマンのポップコーン工場」とか、「わくわくトーマス」とかが作られたのもこの時期。


この路線は、UFO キャッチャーとプリント倶楽部の登場で完成形を見たように思います。


…結局「景品を出すゲーム機」なのだけど。

お金を払う以上、何かが手元に残る、というのは強いです。


ちなみに、風営法で禁じられているけど、UFO キャッチャーは業界の自主規制を前提に黙認されています。

(風営法前から、お菓子などを取るクレーンゲーム機は存在したが、風営法ではこれらは問題とされていなかった、というのも黙認の理由の一つのようです。)


また、プリント倶楽部は必ずシールが出てくるので、景品ではなく「自販機」扱い。

8号営業の枠の中で問題なくお土産を持たす方法としては、うまい落としどころでした。



このブームの時期、入り口にはUFOキャッチャーとプリクラを置いて子連れ・女性客でも遊べるように考慮し、中に入ると各種テレビゲーム、さらに奥には見た目も華やかな大型メダルゲーム機、という店舗レイアウトが非常に多かったと思います。


まぁ、本当に大型メダルゲーム機まで置けたのは大手が運営する大規模店だけかな。

とはいえ、小さな店でも、ある程度このフォーマットに従っていたように思います。




多分、「店舗の努力」で状況が改善していったのは、このあたりまで。

バブル景気の後押しもあって、売れないゲーム機でも「雰囲気のために」置いておく、という余裕が許された状況も幸いしていたと思います。



先に書いたプリクラ・UFO キャッチャーブームのころ、同時に対戦格闘ゲームのブームも進行していました。


でも、まだスト2が大人気ではあったものの、それ以外にも多数のゲームが元気だった時期。

ぷよぷよだってありますし、シューティングゲームだってまだ人気がある。


その後さらに格闘ブームが進み、カプコンとSNKの2大メーカーだけでも多くのシリーズを出し始めます。

そこにバーチャファイター・鉄拳のポリゴン格闘2大シリーズが加わる。

さらに格闘以外にも、バーチャロンなどの対戦ゲームが作られ始める。



限定された店舗面積の多くが対戦ゲームに取られるようになっていきました。


そして、これらの対戦ゲームは、初心者お断りなことが多いです。

ゆっくり遊ぼうとしても乱入されて、すぐゲームが終わってしまう。


女性でも、子連れでも入れるゲームセンターを目指していた一方で、マニア以外はお断りなゲームに人気が集中していました。




プリクラ・UFOキャッチャーを集めた、「プリクラセンター」と化すゲームセンターも現れる一方、対戦ゲームばかり集め、マニア人気を求める店も出始めました。


棲み分けられた、と言えば聞こえは良いのですが、「誰でも楽しめるゲームセンター」を目指していた時代は終わりました。


そして、それと共に集客力も落ちていきます。

だって、ゲームセンターが棲み分けた、ということは、どこかの店に行ってもその店は「同じような機械しかない」ということだもの。


本屋に行くと、普段は手にしないような本を、背表紙だけ見て気になったりするから面白いのです。

そこには偶然の出会いがあり、このこと自体が楽しみになっている。


見知らぬ人との対戦や最新の技術を求めるマニアならともかく、一般の人にとってゲームセンターに求める機能は、そうした「偶然の出会い」なのではないかと思います。


そうでなければ、家のゲーム機とか、スマホで遊んでいればいいんだから。


でも、今のゲームセンターは品ぞろえが薄く、偶然の出会いが起こりにくい。

ゲームが面白かったとしても、それを置いてある空間に面白さが無いので、魅力が半減しています。



もちろん、すべての店がそうだというのではありません。

頑張っているゲームセンターだってある。でも、総じて状況は悪くなっている。


今もこの状況から脱せていない、と思います。

僕自身がゲームセンターに頻繁には行かなくなって久しいので、認識の間違いもあるかもしれないけど。



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別年同日の日記

05年 Quoカード

10年 SH-03B

17年 早口言葉

21年 Lenovo Ideapad Duet 購入


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

【名無しさん】 現状は、品揃えに関しては格ゲー全盛期より悪化してるのではないでしょうか?同じゲーム機が4台単位で並ぶのが当たり前になり、また収集要素やP2W化など、重いゲームが増えてタイトルの掛け持ちが難しいことも影響しています、ゲーム機の撤去が客層の切り捨てに直結するので軽々と撤去できなくなったのも大きいです (2017-09-02 17:40:11)

アスペルガー症候群  2015-06-16 17:24:51  その他

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なんとなくカミングアウト、かな?


ツイッターで他の方が、アスペルガー症候群の診断ページをツイートしてた。

会社で話題になったからやって見たって。


で、僕も興味本位でやって見た。27点。


66点以上だと、アスペルガー症候群の可能性があるようです。

37点が平均だというので、むしろアスペルガーからは遠い。


問題無し。現在のところは。




子供の頃には、アスペルガー症候群なんて言葉も一般的ではなかった。

でも、今考えると、僕はアスペルガー症候群「気味」だったのではないかな、と思う。


ただ、この症状って、年齢と共に改善するのね。

…いや、改善と言うと違うな。まるでアスペが悪いことのようだ。


一応、「症候群」と呼んでいるだけあって、精神科的には病気の扱いなのだろう。

ただ、精神科の言うところの病気というのは、「人とちょっと違ってる」というだけ。


周囲の人がそれで困っていて、本人も困っているのであれば、誰かの手助けが必要ということになる。

「アスペルガーです」と診断できただけでも、周囲の心構えが変わってくるのでこの診断には意味がある。


ただ、これは「ちょっと極端な性格だけど、そういう性格の人です」と言われた、と捉える程度が良いと思う。

病気じゃないし、何かが悪いわけではないのだから。




先に書いた通り、僕の子供の頃はこの言葉はなかった。

でも、僕の子供の頃を自分で振り返ると、どうもアスペなのね。


えーと、古い記憶から行くと、1歳半くらいの頃の記憶があります。


…これはただそれだけ。何かの行動がおかしかった思い出ではない。

でも、「やたら古いことを記憶している」というのもアスペの特徴の一つ。


どうも、一般的には保育園や幼稚園の頃の記憶とか、感情とか覚えてない、という人の方が世間には多いようだ。


保育園のお母さん方と話していても、子供の行動がよくわからない、なんて人は多々いる。

自分の時はどうだったかも覚えてないらしい。


えー、そんな「既に物心ついた」頃の記憶なんて、いくらでもあるし、その時どう思ったかも覚えている。




子供の頃、自分の行動を気にする子供だった。


さっきやってたことと、いまやっていることが一貫していなくてはおかしい。

「他人からどう見えるか」を気にしすぎて、自分の行動を窮屈にしていた。


「一貫性」を求めるっていうのも、アスペの特徴ね。


もちろん、そんなことを気にしてない時もあったけど、気にしすぎるともうダメ。

やりたくもないことをやらなくてはならなかったりする。


でも、これは小学校にあがるころには「自分が思っているほどに、他人は自分を気にしていない」と気づいた。

だって、一生懸命やっても評価されないことの方が多いんだもの。


それで、心の中で「さっきまでやっていたのだから続けないと」と思っている時でも、「他人は自分を気にしていない」と言い聞かせて止められるようになった。


今でも、時々心の中で唱えないとやめられない時もある。





子供の頃、自分中心な話し方を良くした。

自分の話を聞いてくれないと怒ったり、途中で遮られそうになっても話を続けたり。


これも、一貫性の一種。


多分、中学くらいまでそうだったと思う。

でも、ある時「人が話し始めたら、話の途中でも自分は一旦黙った方がよい」と気づいた。


話を続けたかったら、その人の話が終わってからでも遅くはない。

でも、その人の話…わざわざ途中で割り込ませるのだから、自分の話に対する疑問などがあるなら、それを聞いてから方向修正してもいい。


そこから違う方に話が進んでしまって、続きを話せなくなることもある。

そんな時は、自分の話は誰も興味を持ってなかったんだな、と素直に諦める。



時々、それで諦めていたら、数時間後に「そういえば、さっきの話の続きは」とか言われることあるけど。

それはそれで、そこからまた話せばよい。




小学生の頃、良く忘れ物をした。宿題も忘れてやらなかったりした。

これは、アスペじゃなくて、もしかしたら ADHD (注意欠陥多動性障害)も入っていたのかもしれない。


でも、何かに集中すると他のことを忘れてしまう、というのも無関係ではないように思う。


今でも、ついうっかり保育園の提出物を出し忘れて先生方に迷惑かけたりします。

優先順位順に、目につくところに置いておいたりするのだけどね。




また一貫性の話なのだけど、とにかく、中途半端な状態になっているのが気持ち悪い。

それくらいなら、途中まで積み上げたものをきれいさっぱり消して、最初からなかったことにしたい。


このサイトも、初期の頃に2年くらい消していた時期があります。

最初は「週に1度は話題を更新する」という方針で始めたのだけど、やっていて自分で決めたルールが辛くなった。


他にもいろいろあって、もういっそのことサイトやめてしまえ! と消してしまった。


その後、周囲から「良い内容だったから勿体ない」「更新しないでもいいから公開を続けてほしい」という意見を貰って、再開しました。


これは社会人になってからの行動。大人になるにつれて症状は軽減する、とはいっても、本質は変わらない。

だって、これは「そういう性格」なのだから。



実のところ「東海道歩き」の話題も、HP200LX の話題も、中途半端なまま止まっている。

これ、気持ち悪い。どうにかしたい。


でも、今は「ネットなんて趣味で、生活の方が大事」って考えてほったらかしです。すみません。




さて、アスペが悪いことかと言えば、そんなことはない。一切ない。全くない。


多分、子供の頃の僕は変な奴で、いじめられっ子だった。

今考えるとアスペだったことは、いじめられる要因として十分だったのだろう。


でも、いまとなってはこの性格であることに感謝している。


アスペは、対人能力に問題がある一方で、論理能力は人よりも高い。

好きなことでは集中力がやたら高く、細かな部分まで注意が行くし、それらを記憶できる。


論理偏重なので、数学などにはやたら強い。

…はずなのだけど、実は自分の中で論理を構築できないと、先に進めなくて落ちこぼれる。


僕は数学は好きだけど、高校の時に漸化式が納得できずにつまづいた。

いくつかの類型があるのはわかるのだけど、元の式からどの類型か判断する基準が見つけられなかったのだ。

類型ごとの式も、意味がわからないので覚えられなかった。


先生にわからない、と尋ねたら、「なんとなくわかれ」と意味不明のアドバイスをもらって、先に進めなくなった。

実のところ、今でも判って無い。


#先に、細かなことも覚えられる、と書いたけど、それは論理的な流れの中での話。

 無意味な数字の羅列とかは覚えられない。実際、僕は16年も使っている自分の携帯電話の番号を未だに覚えていない。




話が横道にそれた。数学で落ちこぼれた話はどうでもいい。


論理性があって、細かな部分まで注意して記憶できる、というのは、プログラマーとしては理想的な能力だ。

多分、だからプログラムが好きになったのだし、この職業を選んだのだろう。

そういう能力を持っていたことに感謝している。


これは前向きな話で、海外では、アスペなどを「障害」と捉えるよりも、「gifted」=「神より与えられし者」と捉えよう、という動きがあるようだ。

もちろん、最初からそうなのではなく、問題のある精神障害者だと考えられていた時代も長いのだけど。



僕はプログラム教育はやるべきだと思っているけど、そう書くとすぐにC言語みたいなプログラム言語を思い浮かべて、「あんなの一般人には無理」という反発をする人がいる。


Cなんてのは、かなり細かな部分を理解しないと使えない言語で、アスペ気味のプログラマでないと使えないと思う。

そんなものを一般の子供に使わせる必要はない。


プログラム教育は、もっとざっくりとアルゴリズムを示せる言語で良い。

目的は、論理的に考える力を養うことなのだから、「将来実際に役立つ言語」なんて不要だ。



プログラムが面白いと感じて、天才の片鱗を見せる子がいたら…多分、潜在的にアスペなのだと思うけど、そういう子は勝手にもっとすごい言語に進めばいい。


将来プログラマとして有望だ。gifted なのだから。




アスペルガーは男性に多く、軽度の場合を含めれば 100人に 1人くらいはいるそうだ。

ただ、子供の頃は問題行動があっても、徐々に問題が無くなっていく。


…「治る」というより、自分の性格が巻き起こす周囲との軋轢に気付き、そうならない方法を体得していくのだ。

僕がそうであったように。


軽度の場合はそれで治ったように見える。

でも、先に書いたようにこれは性格だから、対処法を覚えただけで本質は変わっていない。



本質っていうのは、対人関係が苦手で、興味を持ったことは深く突き詰めて、自分の世界に入ると周囲が目に入らなくなる集中力。

「オタク」と呼ばれる人たちの一部はこれだ。みんながそうだ、とは言えないけど。


大抵、オタクの中でも何かを突き詰めすぎて、周囲から浮いちゃう人。

みんなが、あの人はすごいと認めながらも、すごすぎて周りと溝を作っちゃう人。

それは天賦の才だと思う。そういう人が世界を変える。



世界の偉人と呼ばれる人の多くが、アスペだったんじゃないかとも言われる。


エジソンが子供の頃小学校で「雰囲気を読まず」退学になったのは有名な話。

ニュートンが暖炉の前で椅子に座って考えていて、執事に「暑いのでどうにかしてくれ」と言ったのも有名な話。

(執事は、ニュートンを一旦立たせて、椅子を少し後ろに引いた)


アインシュタインの「ベロ出し写真」も、そもそも対人関係が苦手で、困ってあのような表情になったものです。




そんなわけで、僕は多分軽度のアスペルガーだったと思うし、今でも本質は変わってないと思う。

ただ対人関係の対処法…「何かあったら、とにかく黙っておく」を覚えただけで。


カミングアウトと共に、アスペは別に何の問題もないし、むしろ天賦の才を与えられているのだよ、と記しておきます。


…その天賦の才を伸ばせるかどうかは本人・周囲次第なのですけど。



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05年 成長記録

05年 バードウォッチング

10年 料理

11年 続々・新PCのこと

13年 雨のお散歩

16年 Jewels 2017

16年 Scratch の舞台裏


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若者の恋愛観  2015-06-24 16:46:23  その他

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ここ数日…多分閣議決定された少子化社会対策白書(まだ閣議決定のみで未発表)のせいだと思うけど、恋愛・結婚観に関する記事をネットでよく見かける。


恋愛なんて個人のプライベートのもっとも足るものだと思うし、好きにすれ、というだけなのだけど、思うところを少し書いてみようと思う。




報道によれば、白書では新たに若者の恋愛観が盛り込まれたようだ。

昨年までは、出産年齢や就労状況、出産人数、子育て環境などが話題の中心だったのだけど、「そもそも結婚しない人が増えている」ところにまで対策を踏み込む、ということになる。


未婚で恋人もいない男女の37.6%が、別に恋人が欲しいと思わない、と答えたそうで、多くの報道で、「若者が恋愛に後ろ向き」であると取り上げている。




今の若者は恋愛に後ろ向きなのか?

僕は、そんなことはないと思う。


今の若者が恋愛に後ろ向きなのではない。

昔から常に、若者というのは、思われているほどには恋愛に興味がなかったのだ。


夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した、というのは有名な話題だが、これは当時の日本人に「Love」の感覚がなかったため。

(この話が事実か、などを取り上げると面白いけど、話がそれるので割愛)


自由恋愛なんて、第2次世界大戦前には一般的ではなかった。

逆に言えば、自主的に「恋愛」をしないでも、周囲が相手をあてがって結婚させる、というのは普通のことだったし、そういう仕組みがあるから婚姻率は高かった。


この方法の場合、全然知らない人と結婚することもあるわけだけど、その人の「人柄」は、周囲が保障してくれる。

保証の裏には、良い人でなかった場合には、何らかの形で責任を取る、というのも含まれている。


知らない相手であっても、安心して結婚ができた。




戦争に負けて「アメリカ」へのあこがれが強くなると、自由恋愛が一般化し始める。


1960年代にはお見合い結婚は恋愛結婚より多かったのだけど、1970年代には逆転している


でも、1980年代でも1/4がお見合い結婚だ。珍しい話ではなかった。


この頃、バブル経済もあって、経済的にはみんなが裕福になる。

一生懸命働く必要もなかったので、残業なんてなかった。


そして、恋愛は「趣味」となる。

多くの人と恋愛をしてみる。一人だけに一途に尽くして…なんていうのは時代遅れ、という風潮で、相手の数を競う雰囲気もあった。


#僕はこの時代には恋愛年齢でないので実態は知らない。

 そういう恋愛スタイルが「先鋭的」だったから報じられたのか、一般化していたのかわからない。


趣味なので、無責任に楽しめる。うまくいかなければ、お見合いという最終手段があった。

趣味なので、別の趣味を持っている人はやる必要もない。こちらも、お見合いはまだ正常に機能していた。




その後、趣味として恋愛した人が「失敗した場合に」お見合いをしたことから、見合い結婚は恥ずかしいものだ、という風潮になっていく。

2000年代には見合い結婚はわずか 6.2%。


お見合いが機能しなくなったので、そもそも趣味に没頭する生活で恋愛に興味が無い人は、結婚しなくなっていく。

昔なら、周囲が強制的に結婚させていたのにね。


それが悪いことだとは言わない。そういう社会になった、というだけの話。

でも、これをもってして「若者の草食化」とか、「恋愛に後ろ向きになった」というのは、違う。



今回の報道で記事を書いたのが、それなりに中堅以上の記者だとすれば…1980年代には結婚しているだろう。

まだ、お見合いがセーフティネットとして働き、恋愛が「趣味」であった時代だ。


その時代の記者が、自分の若者時代を懐古しながら「今時の若者は」と記事を書いているのであれば、勘違いも甚だしい。

若者が変わったのではなく、社会情勢が変わっていることに気付かねばならない。


#白書の中身はまだ一般に公表されていないが、昨年分を見ると、冷静なデータとその分析が中心なので、勘違いは無いと思われる。

 報道は、あくまでも記者レベルの感想が混入しているだけだろう。




白書では、「恋人が欲しくない」理由も集計している。

恋愛が面倒、46.2% 。趣味に力を入れたい、45.1%。



僕は 1990年代の若者(その頃大学生)だけど、趣味の方が大切で、恋愛は全然やらなかった。

恋人が欲しいという気持ちがなかったわけではない。でも、趣味の方が大事。


たとえば、昔の話を見ても、趣味に走って家庭をないがしろにする男は多かった。

先に書いた通り、結婚は周囲が無理やりさせてしまうことが多いから、趣味に力を入れると「家庭をないがしろにする」ことになる。


だから、白書の集計は今の若者が変わったという話ではなく、昔から変わらないのだと思う。

(昔の、家庭をないがしろにするダメ男の率に関しては集計が無いので、比較できないけど)


恋愛が面倒、も、そもそも昔は恋愛しないで結婚する人が多かったので比較のしようがない。

1980年代の自由恋愛が流行した時期だって、失敗してもお見合いという「セーフティネット」があったのだから、ある意味いい加減にやればよかった。


今の時代になって、恋愛で失敗すると一生結婚できないかもしれない、という強迫観念が付きまとうようになる。

そんなもの、面倒に決まっている。



#失敗したらやり直せばいいのは判っていても、じゃぁやり直すってどうするの?

 さっさと次を始めるのも前の人に失礼だろう…とか、いろいろ余計なことを考えちゃうと面倒なんですよ。




ここからは個人的な話。


僕も恋愛はオクテでした。

プログラムしているほうが楽しかった。


恋愛に興味がなかったわけではないけど、当時から「失敗できない」脅迫感はあり、やっぱ面倒くさくてやる気にならなかった。


僕は姉と妹がいて、少女漫画もよく見て育ちました。

だから、そこに書かれている「理想の恋愛」を演じきれる自信がなかった、というのも面倒だった理由です。

これ、多分今でも同じ悩みはあると思う。

(今は、そうした恋愛が少女漫画だけでなく、少年漫画でも描かれるから)



今は結婚しています。

そういう面倒くささを感じない人と出会えたから。


僕が趣味の WEB ページ…今これを書いているページを公開しておいたら、見た人が時々連絡くれたのね。

当時は、WEB ページが面白かったらお礼メールする、というのは普通の作法でした。


そんな中で、パソコンの動作原理とかに興味を持っている人がいて、解説するとなかなか呑み込みが良い。頭が良いのがわかる。

楽しいからいろいろ解説していて、男性だと思っていたらある時女性だと知った。


これは…自分が恋愛にオクテであるという自認はあったから、自分の趣味の話についてこれる子を逃したら後は無いぞ、と思ってアプローチしました。

恋愛中も「面倒くさい」という感じは無くて、話の合う友達のように気楽に接することができました。



今でも、妻には感謝してます。

妻の存在が無かったら、僕は結婚しなかったと思うから。



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別年同日の日記

02年 DJB

13年 セミの幼虫

16年 【訃報】長谷川五郎さん

21年 温泉卵


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

結婚と経済  2015-06-24 17:36:52  その他

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ついでにもう一本書いとこう。

先の白書絡みで、今の若者は昔に比べて金も時間もないから、結婚や子育てなんてできない、と言っている人を見かけたので。


これは、ある程度事実だと思うのだけど、恋愛や結婚・子育てが「金がかかる」と思っているのであれば、多少勘違いもあるとは思う。


以下、男の視点から書きます。




恋愛での一番の不幸は、金銭感覚が合わないことだと思う。


特に、女性が「男が金を出して当然」と思っている場合は最悪で、そんな相手とは恋愛しないのがよろしい。


結婚したら女は家に入る、というのも、男が金を出す、と同義。

昔ならそれでよかった。税制もそれを前提に組まれていた。


でも、残念ながら現状は社会制度が変わった。夫婦共働きでないと、税制的に不利になるようになっている。


#ちなみに、「旦那」という言葉は、金を持ってくる人、という意味のサンスクリット語、ダーナから。

 英語になると「ドナー」となって、提供者の意味になる。

 共働きの場合、夫は「旦那」と呼ばれていい気になっていてはいけない。

 


次に、不幸なのが、女性の頭が悪い場合。

残念ながら、日本には「女は頭が悪いくらいがかわいい」とか、「頭のいい女は結婚できない」みたいな風潮がある。


これを信じている男性がいたら、今すぐ考え方を改めたほうがいい。

頭が悪い女と付き合うのは、一時的に「自分の方が優れている」という優越感には浸れるけど、後が面倒なことになる。


というのも、結局生活の中で頭がよくないと、無駄な金を浪費し続けることになるから。

世の中、頭がいい奴は儲けて、頭が悪い奴はふんだくられるように出来ている。その良し悪しをどうこう言うのではなくて、それが現実だ。


ここで、「ちょっと頭の悪い」女性と結婚すると、少しづつ、いろんなところで金をとられ続けることになる。

結婚したら金が余計にかかる、というケースが発生する。


#逆に、男が頭が悪くて金を気にしていなかったのに、女性がしっかりしている場合…

 男が「妻が金にうるさくて」とか愚痴る場合があるのだけど、しっかり倹約してくれているのに感謝せねばなりません。

 その上で、どうしても譲れない趣味のものは買うとか、夫婦間の相談は必要です。




賢い必要はないけど、人に騙されず、冷静な判断が出来る程度の相手と結婚して、共働きであれば、収入は増えて支出は減る。


収入倍増ということもないし、支出が減ると言っても二人それぞれが払っていた頃よりも減るというだけで、1人より減ることはあり得ない。

でも、トータルでちゃんとプラスが出る。


子育てはけっこう金がかかるのは事実だけど、工夫で乗り切れる部分も多い。

だって、昔の人はそんなに子育てに金をかけていなかったのだから。


工夫したり、昔はどうやってたのかな、と調べてみたり、結局は頭の良さが重要。


昔と決定的に違うのは、予防接種の医療費などがかさむこと。

これだって適切に申請すれば、無料になったりする。

結局頭が良くないといけない。



いずれにしても「正しい相手を選べれば」という前提付なのだけど、生活がいきなり悪化することはないし、何とかなるもんだよ。




男のプライドとして、十分な収入を得るまでは…とか、もっと漠然と「一人前の男になる前は」という人もいる。


これについては、僕は友達の結婚した理由を聞いたときに目からウロコが落ちました。

この友人、父君から「結婚して家庭を守り、子供を育て上げた男を一人前と呼ぶのだ。結婚前に一人前になれるわけがない」と言われ、結婚を決意したそうです。


この話、僕が妻と結婚する時も後押しになりました。




実際、今でも自分が一人前だとは思いませんよ…

自営業で仕事しているけど、独立時は全然収入無くて、妻の収入で支えられていたもの。


でも、幸い妻の両親も自営で、収入がほぼないときの苦労を妻は知っていた。

収入が少なくても工夫して乗り切れた。


先の日記も、最後は妻への感謝で締めくくったわけですが、やっぱ今回も妻に感謝して終わります。

彼女と出会わなかったら、こんなに好きなことやって暮らせてなかったと思う。




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別年同日の日記

02年 DJB

13年 セミの幼虫

16年 【訃報】長谷川五郎さん

21年 温泉卵


申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています

高校部活の同窓会  2015-07-20 14:55:01  その他

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高校の部活で同窓会をする、という通知が来た。


主催は、僕の4つ年下の代。4つ年下だから、当然知らない。

でも、自分たちを中心とした上下の世代を幅広く誘ってくれている。

顧問だった先生方も3人も来るという。


これはいかねばなるまい。

風邪気味で直前まで迷っていたのだけど、思い切って出席してきました。




顧問のうち1人は、毎年のようにあっているので、今回はほっといて(笑)、残るお二方と話をしたいと思う。


うち一人は、実は3年の時の元担任。

沢山ご迷惑をおかけして怒られたこともあり、話しかけづらい気もしていたのだけど、せっかくなのでそちらから。



担任の先生、顔はわかってくれたようだけど、すぐに名前が出てこない。

そりゃそうだ、自分の学年だけでも500人近かったのだ。何年もの教師生活で、数千人(もしかしたら1万以上?)の教え子がいただろう。


名前と、卒業年を言ったら徐々に思い出したようだけど、「怒られた」いろいろなことは、全然覚えていない。


なによりも、僕は頭が悪い生徒だった。

先生の担当教科は数学だったが、数学のテストで2点(100点満点中)を取ったこともある。


授業中にPC-E500で通信実験やっていてあきれられたこともあります。


でも、これらの話をすると、「えー、そんなことあったっけ。非常に頭の良い奴だった、という印象しか残ってない」と。


好きな教科は点数が良くて、苦手だと点数が非常に悪いという状況でした。

数学は好きだったけど、得意ではなかった。特に漸化式は全くダメで、2点というのも漸化式の小テストでのこと。


定期テストの点数はそこまで悪くはなくとも、赤点ギリギリ、という感じでした。




先生は進学相談の担当もしていて、僕の将来を心配して、僕が得意な「プログラム」を活かした受験ができる大学を見つけてきてくれた。

いわゆる、AO入試、当時は「一芸入試」と言われていた奴です。


同じ部活・同じクラスだった奴(この日も、隣で一緒に先生と話をしていた)と一緒に受験し、僕だけ受かります。


これが実のところ、他の大学の一般入試よりずっと早い段階だった。

先生は、できの悪い僕がいち早く大学に合格したことを喜び、「●●君、▲▲大学合格おめでとう」と、黒板に大きく書いた。


他の生徒を奮起させる目的もあったのでしょうが、周りから「なんで成績悪いやつが真っ先に合格すんだ」と、やっかみ半分で恨まれた。

先生余計なことをしてくれたな、というのが当時の正直な感想なのだけど…


この話も、先生全く覚えてなかった。

ただ、一芸入試できる大学を探してきたなぁ、というのはさすがに覚えていました。




話をしているうちに、どんどん当時の思い出がよみがえる。


先生が担任していた3年生の時、男子クラスでした。

3年になると進路希望によって「理系」「文系」に分かれるのだけど、男女比に偏りが出て男子のみ・女子のみのクラスができてしまうのね。


高校では、毎年クラス対抗の合唱コンクールがありました。

そこで、男子クラスは下位の常連。


ところが、僕らの年は、なんと優勝。

これは音楽の先生もすごく喜んだし、担任の先生は舞い上がっちゃって、クラス全員に「なんかおごってやる」と言って、ラーメンと餃子を振る舞ってくれた。


ただ、全員が入れるような大きな店もなく、先生が出せるお金の範囲で、と店を探して延々歩き回ったので、最後まであきらめずについていったのはクラスの半分程度だったのだけど。



この話をしたところ、「あの時は、学年の最初から、なんか熱い奴がいたんだよ」とのこと。それは覚えていなかった。

合唱コンクール担当のリーダーを決めようとしたら、4人くらいやりたいと言い出して、その4人が選曲して練習も熱心にやったと。


#確かに、練習を嫌がる奴に対して、「男子クラスだから最下位当然なんて悔しいだろ?」とか、熱く説得していた覚えはある。


選曲したのは、黒人霊歌の Soon Ah Will Be Done。本来男女混合で歌う曲ですが、全体にキーを下げ、思い切ってソプラノパートは無くしてしまった。


ハーモニーの良さで勝負することは難しいので、リズムをしっかり刻むこと、音の強弱をはっきりさせることなど、男性でないと出せない迫力にこだわり、会場を圧倒して優勝したのでした。


#この時の中心人物の一人は、社会人になって数年目に自動車事故で死んでいる。

 中心人物が死んだ、というのはショックだった。




男子クラスと言えば、先生学年の始めの頃に、男ばっかじゃ寂しいだろうと、1年の女の子とフォークダンスする機会作ったよねー。


これも先生は覚えてなかった。体育の授業の際に、時間をうまく調整して、1年生の女子と合同でフォークダンス踊ったんです。


えーと、はっきり言って有難迷惑。

名前も知らない女の子と踊れ、と授業の際に急に言われても…


先生なりに気を使ってくれたんだろうけど、どうも空回りしている。

でも、僕の受験できそうな大学を探してくてくれたこともそうなんだけど、何かできることは無いか、常に考えてくれているいい先生でした。




先生と話していたら、あっという間に一次会の時間が終わり。

2次会にも出席し、もう一人の先生…今度は国語の担当だった先生に話しかけます。


先ほどのクラス担当と一緒に座っていたので、クラス担当の先生も相変わらずいるのだけど。


僕は、なんか国語の成績良かったのね。苦手教科だったのに。

数学は好きな教科だけど成績は悪く、国語は苦手教科だけど成績が良かった。


定期テストで、国語で学年5位に入ったことがありました。

理系クラスにいたのに、文系を差し置いて上位を取った、というので非常に褒められた思い出があります。



また、教科書に「赤い繭」(阿部公房)が載っていて、感想文を書く課題を出されたことがあります。

この時書いた文章も「物語を非常に良くとらえている」と、読み上げられたことがある。


「赤」を共産主義、家を持たぬ主人公を無産階級と捉え、プロレタリア文学の文脈でとらえた論を書いたのですが、詳細は覚えてません (^^;;


#確か、最終的に繭=家となった主人公は無産階級ではなくなり、自分の財産を守ろうとするものは共産主義でもない。赤と言いつつ形だけの、取るに足りない存在。これが「玩具箱に入れられた」に象徴されているのではないか、とまとめたと思う。



国語…特に、文法構造とか漢字の書き取りとか、細かなことは嫌いだったのだけど、本や物語を読むのは好きだった。

だから、自分の読んだことある本などの知識の断片から感じた通りに書いただけなのだけど、それが非常に褒められた。



それまで文章を書くのもどうも好きではなかったのだけど、この頃から好きになりはじめたように思います。


#この頃、自分用のワープロ(HALNOTE)を入手していて、漢字変換などに慣れるために日記を書いていました。

 これも、文章を書くことは案外楽しい、と思い始めたきっかけだと思う。

 同時期に国語で褒められていたので、文章を書くこと自体がうまくなり始めていたのかもしれない。




この話をしたら、国語の先生が言うには、「国語嫌いの生徒を出さないようにはしたかった」とのこと。


好きにならないでもいいけど、嫌いだという子は出さない。

そのために、あまり重箱の隅をつつくような問題ではなく、物語の内容を楽しんだり、そういう授業を心がけていたみたい。

特に理系クラスに対しては。


なるほど、僕が国語で嫌いだったのは、まさに重箱の隅をつつくような部分だったし、理系クラスではそういう部分は極力避けていたのか。

おかげで、あの頃苦手だったはずの国語に自信を持てるようになりました。ありがとうございます。




担任の先生と国語の先生で話をしていて、修学旅行の話になった。

長崎のどこで…みたいな話をしているけど、僕らの代だけ、長崎ではなかった。


そのことを言うと、お二人とも急に思い出したように、「そうだった、あれは××が悪いんだよ」と、別の先生の悪口。


毎年長崎に行っていたのだけど、僕らの代だけスキー旅行だったんです。

これが全く面白くなくて、翌年から元に戻った。


その××先生がスキー旅行を強く希望して、責任をもって旅程なども組んだのだけど、不評だったので1年で終わったとのこと。




他にもいろいろな話が出た。

もう一人の顧問、当時からすでに定年退職後の非常勤だった先生は、すでに亡くなったそうです。


そちらの先生はボーイスカウト活動もしていて、ジャンボリーなどの時にバッタリ会ったこともあった。

思い出がいろいろあったので、お会いできれば楽しかったのだろうけど、残念。



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別年同日の日記

02年 衝動買い

14年 BCD (二進化十進)とは

19年 夏休みとフェス

22年 豪雨災害


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用語選びの難しさ  2015-09-03 12:19:54  その他

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先日 UBASIC の話題を書いたのだけど、Twitter でも「精度が出る」と書いたところ、「精度ではないのではないか」と疑問を持っている人がいた。

まぁ、この人は Wikipedia も調べたうえで、精度であっているらしい、けどなんか気持ち悪い、と言っていた。



その人を知識がないと揶揄するのは簡単だけど、それは本質ではないと思う。

問題があったのは僕のほうだ。たとえ、その用語が Wikipedia に正しい語として解説されていても。



僕はプログラマなので、つい「精度」と書いてしまった。

これは一般的にも使われる用語であると同時に、それとは違う意味を持つプログラマの専門用語でもある。


意味が二重になっているのが「気持ち悪さ」の原因なのだ。

言葉遣いに気を付けていないと、あらぬ摩擦を引き起こす。




精、という漢字は、精緻、精密、精工など、非常に細かいことを意味する。

精度というと、細かな部分をどこまで表現できるか、という意味になる。


一般的には、精度というと、「小数点以下3桁の精度」というような、非常に細かな部分まで考慮されている、というような使われ方が多い。


しかし、僕が出した UBASIC の話題は整数計算の話で、、むしろ「大きな数」を扱っていた。小数点は使っていない。

どうもここに気持ち悪さを感じられたようだ。




科学では、非常に大きな数を扱うことがある。

例えば、地球と太陽の距離は 149597870700m とされる。


…桁が多すぎて、どのくらい大きいのかよくわからない。

こういう時、科学では 1.495978707×1011 m というような書き方をする。


1011 というのは、「先頭の数字のあと、11桁ある」という意味ね。

全体では 12桁になるのだけども、数の大きさがよくわかる。

大きな数では、1.49... という数より、桁数のほうがずっと大切だったりもする。


そして、1.49... という数字はそれほど重要ではないので、適当なところで四捨五入して、1.496×1011 m、のようにされることが多い。



このとき、「小数点以下3桁の精度」とは言わない。

桁数がわかりやすいように、仮に小数点表記をしているだけで、実際には非常に大きな数だからだ。


でも、精度という言葉は使われる。仮とはいえ、小数点以下の表現が出てくるせいでもあるだろう。

小数点以下の3桁と、小数点の上の1桁を足して「有効数字4ケタの精度」という。


ここで一般用語との意味のずれが生じ始める。

一般には、大きな数の時は「精度が低い」とは言わず「およその値」や「概算」という。




コンピューターは本来「計算機」として登場したが、メモリや装置の関係で、最初から大きな数が扱えたわけではない。


でも、科学計算では上に書いたように、大きな数を扱う必要があった。

そして、科学計算は「桁数」のほうが重要だった。



このため、コンピューターでも、同じように「数値」と「桁数」を分けて扱う工夫が行われた。

小数点の位置を動かして数を表現するため、「浮動小数点表記」と呼ばれる。


ENIAC (1946)よりも前、ハーバードマーク1(1944)では、浮動小数点表記で出力するための機能があった。

Whirlwind I(1951) にも、浮動小数点演算のための命令がある。



コンピューターで浮動小数点を扱う場合、科学表記の考え方がそのまま導入されて、有効数字部分の大きさが「精度」と呼ばれるようになった。


現代的には、浮動小数点を 32bit で表現すると「単精度」、64bit で表現すると「倍精度」と呼んだりする。


#有効数字部分は、単精度 23bit 、倍精度 52bit 。それ以外の部分で指数などを表現。



先日の話で、長男が Scratch で計算してみたら細かな部分が省略されてしまった、というのは、「倍精度」では、有効桁数が足りなかったということだ。

ただし、計算ができなかったわけではない。細かな部分がわからないけど、浮動小数点演算により、概算を求めることはできたから。


そこで、僕はこれを「精度が足りない」と表現しただのけど、整数演算の話で「精度」という言葉を持ち出したので、冒頭に書いたような疑問を持たれてしまった。


専門用語と一般の語句で、微妙に異なる2つの意味があることが原因となっている。




さて、今回書きたいのは、「精度」という言葉の良し悪しではない。


計算機に限らず、どんな分野にでも「仲間内でしか通用しない言葉」というのがあって、そうした言葉にはしばしば、一般の語句を拝借したうえで意味を変えているものがある、ということなのだ。



僕も、建築業界の「養生」という言葉に違和感を持ったことがある。


一般的には、病気などを治すために安静にしていることだ。

建築では、コンクリートが固まるまで、カバーをかけて置いておくことを意味したりする。


カバーをかけるのは、コンクリートは「乾いて固まる」のではなく、「水と反応して固まる」ため。

乾燥すると固まらなくなるから、水が蒸発しないようにするのだ。


良い状態にするために安静にする、という意味で、これはまだ元の言葉の範囲内だろう。



でも、置いておくためにカバーをすることからさらに転じて、保護のための覆いを「養生」と呼んだりする。

塗装の際に、塗ってはならない箇所を保護するためのマスキングテープを「養生テープ」と呼んだりする。


これは、意味がずれ始めているように思う。

建築現場の見学などで、最初はすごく違和感を持った。じきに慣れたけど。


同じ業界内の人で使うのであればともかく、お客さんに使ってはならない言葉のように思った。



しかし僕もこのような「違和感」を、他人に与えてしまった。これは反省事項だ。

話をするときは、多くの人に理解してもらえるように努力しないといけない。


自分にとって当たり前だと、何が違和感の対象かもわからないので、努力目標なのだけど。




ジョブズが Macintosh を作ったとき、徹底してコンピューター用語を排除するように指示した。


代表例が、ボタンを押すときの Depress という用語だ。


単にボタンを押すのであれば「press」。

でも、press は、押して、そののちに離す、という動作を意味する。

「押し込む」ことに意味がある場合は、Depress 。


日本語では「押下」と訳される。

スペースキーを押下する、マウスのボタンを押下する、のように使う。

なんか変な専門用語だけど、日本語の場合それほどおかしいとは感じない。



ところが、英語の Depress は、一般的には「意気消沈する」という意味で使われる。

ボタンなんかを押し下げる意味も確かにあるのだけど、ふつうは「気持ち」が下がって、戻らないのね。


結局、この語句は「click」という擬音によって表現されることになった。

日本語なら「ポチッと」かな。スペースキーをポチッとな。マウスボタンをポチッとな。



ディレクトリはフォルダ(書類挟み)と呼び変えた。

厳密には Mac の実装の問題でディレクトリとフォルダは別の概念なのだけど。


ファイルも、ドキュメント(書類)と呼ばれる…ようにしたかったらしい。

ファイルが書類だから、それをまとめるものが書類挟みなのだ。


でも、ここは用語が徹底していない。

アプリケーションの上では、作ったものを「書類」と呼ぶのだけど、システムの表示するメニューには「File」と表示されている。


初代マックは画面が 9インチで狭かった。

メニューに Document と表示すると場所を取りすぎる、というので、大激論の末に File になったらしい。



コピーバッファもクリップボードと呼ばれるようになったし、ファイルを削除するのではなく、Trash する(ゴミ箱に捨てる)ことになった。

ここらへんになると、単に「用語」を改めただけではなく、それまでにない新たな概念を作り出している。



こうして、徹底してわかりやすさを心掛けたわけだけど、日本では残念ながら「外来語」のまま輸入されてしまった用語が多々ある。


クリックとかドラッグとか、わけのわからない横文字だらけでコンピューターは難しい、という印象を与える。

本来、わかりやすくするために苦心した用語なので、日本語に翻訳されるのが望ましかった。


マウスをポチッとなって、いいと思うのだけど。


#タイムボカン世代の老害




Mac の用語の言い換えは、ジョブズがすごかったという話ではなく、アメリカの文化が色濃く反映されている。


種がまかれたのは 1870年代だ。

アメリカの学者、チャールズ・パースを中心とする数人の人間が始めた、新しい学問のあり方の運動だった。


それまでの学問は、「金持ちの道楽」に過ぎなかった。

しかし、パースは学問を人々の生活に役立てられるように願った。


そのために、論文などを書く際に「相手に内容が伝わること」を徹底的に重視した。

言い換えが可能な言葉はできるだけ平易な言葉に言い換え、既存の言葉で表せない新たな概念は、新しい造語を割り当てる。


もちろん、造語を勝手に使うのは相手に伝わらない。

造語を使う際には、それがどのような意味を持つ概念に使われるのか、懇切丁寧に説明を行う。


とにかく、徹底して相手に理解を求めるのだ。


これ、「道楽」としての科学から見ると、茨の道に踏み入っている。

ただ自分が楽しいから研究している、というのと違って、人に説明して同意を得られるように、自分の理解も深くしなくてはならないし、それを人に伝える方法を模索しなくてはならない。


でも、パースに賛同する学者は後に続いた。学者だけでなく、政治家なども後に続き、法律の文章を誰にでも理解できる、平易なものへと変えていった。



そして 100年がたち、この考え方はアメリカでは普通のものになっていた。

家電品が高機能化しても、マニュアルは複雑怪奇にはならない。


日本では、開発してからその使い方を伝えるためにマニュアルが書かれたりする。

機能の呼び出し方が複雑怪奇で統一感がなくても、そのままマニュアルに記載される。


でも、アメリカでは先にわかりやすいマニュアルを書いて、それに従って機能を呼び出すインターフェイスを決めていく。

もちろん、「機能」は先にできているよ。でも、仮に機能を作り、それからマニュアルを整理し、最後に機能を呼び出すインターフェイスを作りこむ。


こうすることで、「伝えやすい概念」を考慮した製品となる。



この延長上に、ジョブズが Macintosh でやろうとしたことがあった。

その頃のコンピューターは黎明期で、次々と新機能が追加され、複雑怪奇になっていた。


それをもう一度わかりやすい概念に再構築すれば、誰にとってもわかりやすいものになるに違いない…。




日本では、こういう運動は残念ながら起こっていない。

いや、起こったのかもしれないが、世の中を変えるほどに定着しなかった。


今でも法律はわかりにくい専門用語で書かれているし、コンピューターは専門用語を理解しないと使えない。

「クリック」だって専門用語と化してしまった。



専門家は、自分が専門家であることを誇示するために、専門用語を使いたがる。

お役所では、一般的にも使われていないし、専門用語でもない謎の言葉を多用したがる。


実は、「理解されたくない」のだ。理解されたくないからわざと理解できない言葉を使う。


理解が進むと突っ込みが入る。

突っ込みが入ると専門家の権威が揺らいだり、お役所の仕事の流れが滞ったりする。

そういう事態を避けたいのだ。



これらを「わかりにくい」と指摘する声が上がるのは当然だし、わかりやすく変えていくいいチャンスだ。

でも、指摘されると「勉強が足りない」と相手に責任転嫁して終わりにする。

根本的な考え方が、アメリカとは異なっている。



難しい概念をかみ砕いて説明しようとして、下手なたとえ話をはじめて「誤魔化している」と総攻撃を受ける政治家もいたね。

たとえ話は、実は伝えたことにはならない。理解してほしいのであれば、たとえ話に頼らずに伝える努力をしなくてはならない。


日本人がそういうものだ、という諦観した話にしたくはない。

伝えるために努力をし続けている人だっているし、僕もそういう人に続かなくてはならない、とは思っている。




そして、冒頭の話題に戻る。

「精度が低い」という言葉も、一般的な使い方と、コンピューター用語では微妙に意味が違うのだけど、うっかりと使ってしまった。

違う概念には違う言葉を使うべきだけど、専門用語として一般的な用語を「借用」しているところに問題の根っこがある。


「有効桁数が小さい」というべきだったのかもしれない。

有効桁数は科学者の用語なのだけど、これなら拝借はないため、意味のずれはおこらない。


相手が有効数字という概念を知らないと伝わらないのだけど、勘違いが生じるよりは、ずっといい。



2016.9.8 追記


「東京外国語大学 留学生日本語教育センター」に在籍していた数学者の先生が、同じようなことを研究した論文 (2014) を見つけました。


数学において特別な意味を有する動詞について


一般に使われている言葉が、意味を転用して「専門語」となった時に、専門家はそれに気づきにくいし、専門家でない人も気づきにくい。

ましてや、日本語に堪能ではない留学生に、日本語を理解したうえで、その意味を転用している「専門語」を教えるにはどうすればよいのか?


という問題提起から、いくつかの用語を「日本語として普通の単語だが、数学においては特別な意味を持つ」として整理し直しています。

ただし、ここではまだたった5つの単語を示しただけ。


最後には、数学だけでなく、コンピューター用語にもこうした単語は非常に多そうだ、と示唆しています。



本文中にも書きましたが、海外では伝えやすく工夫する文化が根付いていいるのですが、日本では根付いていません。

だれかが用語を整理する必要があるように思いますが、それは前途多難な、大変な作業だとも思います。



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別年同日の日記

02年 パズル

12年 サーバー修復

13年 世界最初のテレビゲームって結局どれなの?

18年 決算終了

23年 町内会行事

23年 交通整理


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ロゴ問題  2015-10-13 18:31:41  その他

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あまり政治的なことを書きたくない、と言いつつ、時々書いてるシリーズ。


しばらく前に、東京オリンピック2020のロゴが、盗作疑惑で散々たたかれた挙句、本人が取り下げ、「やり直し」となった。

で、今度は東京都が作った「東京都ロゴ」に盗作疑惑が出ている。



オリンピックロゴに関しては、僕は「全然盗作じゃない」と当初から感じていて、いくら何でもそんなこと誰だってわかるだろう…

と傍観していたら、取り下げ騒ぎにまで発展してしまった。

どこかで発言しようと思っていたら、展開が速すぎて機会を失った。



その後、あまりに問題が大きかったので、多くのデザイナーが論理的に擁護論を展開した。

にもかかわらず、また東京都ロゴが騒ぎになっている。擁護論が理解されていないということだ。




僕は著作権の専門家ではない。

でも、プログラマーは知的財産権を扱う仕事でもあり、著作権については勉強した


「盗作」とするのは、著作物が似ているだけでは不十分だ。

似ていることなんて、往々にしてありうる。それが別々に、何の影響も受けずに作られたものであれば、たとえ完全に一致していたとしても盗作とは言わない。


似ていることだけではなく、それが偶然の一致ではありえないことを示し、さらに「元作品」の影響が明らかであることを論理的に示す。この3点セットが揃って、はじめて盗作だと主張できる。



オリンピックロゴの話でいえば、相手は小さな劇場で、ロゴの商標登録すらしていなかった。形状もかなり違う。

小さな劇場なので世界的に有名なわけでもなく、影響があったと考えるほうが難しい。

そのうえ、類似性を疑われているのが、「T」の文字をデザイン化した部分であり、デザイン上の制約が大きいために類似するのが必然ともいえた。


これを「似ているから盗作」とするのはかなり無理がある論理展開だった。



先ほど書いたように、こんなずさんな理論で問題が大きくなるなんて思えなかった。

しかし、問題を報じたマスコミも不勉強で、ネットの騒ぎをいたずらに増幅しただけに終わる。




佐野氏のほうにも問題点はあった、というのはその通りだろう。

デザイナーとしてはそれなりの大御所であり、配下に幾人かのデザイナーを従えたデザイン事務所を運営している。


実際、配下のデザイナーが盗作をしていたことも明るみに出た。

責任者としてのチェック不足と言われればその通りだが、多くの仕事のすべてのチェックなど難しく、可能なのは「品質のチェック」程度だろう。

盗作か否かのチェック、ではない。その部分は、配下のデザイナーを信用するしかない。



また、ロゴの使用イメージとして、他人の写真作品を流用していたことも明るみになった。

これは、一般に公開するものではなかったので問題だという認識がなかった、という説明だった。全くその通りだと思う。


広く公表するものであれば、他人の著作物を侵害してはならない。

しかし、ごく一部の人に見せるだけの私的利用であれば、特に断る必要もない。


もしこのような私的利用も罪だというのであれば、教科書の人物写真に落書きをするものは、法的に罰せられることになる。



しかし、あまりに強いバッシングに精神的に耐え兼ね、最後には本人がロゴを取り下げる、という展開になってしまった。

これによって、金銭的・時間的な損失は計り知れないが、それらは「バッシングが」起こした被害だ。


つまり、佐野氏のロゴ問題を「盗作だ」として報道したマスコミ各社、および盗作だと発言したネット民は、税金を無駄遣いするのに加担したこととなる。



ちなみに、ロゴのコンペに応募した、佐野氏ではない別のデザイナーの談話によれば、今回のコンペは、これほどオープンなコンペを経験したことがない、というほど「非常に開かれたもの」だったそうだ。


しかし、次のコンペは、「先のコンペよりもオープンにしなくてはならない」という世論が形成されている。


いったい何をどうするのかはわからない。

様々な権利が絡むもので、オープンに「してはならない」ものも多々あるのに、気軽にオープンにすると約束している政治家などの気が知れない。




さて、それで次は東京が発表したロゴが問題になっている。

フランスの眼鏡会社のロゴや、ニュージランドの弁護士事務所のロゴと似ている、のだそうだ。


どのロゴも、よくあるゴシック体で文字を書いただけのものだ。

ただの文字だから似ているのは当然。これを盗作だと指摘した人が著作権法に無知なのがよくわかるが、一部ネット民とマスコミは、前回のオリンピックロゴ後のような騒ぎを期待して、無責任にはやし立てている。



舛添知事は、盗作問題について「ただの記号だから著作権問題はない」と言っている。

これもおかしな話で、そもそもロゴというのは記号だ。記号であっても、明らかに参考にしながら盗作した証拠が提示されれば、著作権違反となる。


まぁ、今回一番重要なのは「&」という文字が赤丸の白抜きで表現されたことであり、その程度の偶然の一致は往々にしてあり得るから問題はないだろう。

しかしこれは「記号だから」問題がないわけではない。




むしろ、問題視すべきはロゴとしての妥当性だろうね。


ロゴは一般に商標として登録される。東京都のロゴが商標として登録したかどうかはわからないが、意匠とするのは難しいし、何の登録もしてないというのも考えにくいので、たぶん商標ではないだろうか。


そして、商標は「絵として扱う」ことが決まっている。

ただの文字を登録することはできない。

(文字を組み合わせ、デザインを施して「絵」としたものであれば登録される。)


これは、文字は人類の共有財産だからだ。


誰かが「あ」という「文字」に権利を主張し、「明日から『あ』を使ってはならない」と言い出したら問題がある。

だから、単純な文字や、それを組み合わせただけのものは登録できないし、誤って登録されていれば後から登録抹消される。



たとえば、以前 au が「まとめて au 支払い」というサービスを導入した際のこと。

サービスロゴとして、ちょっと工夫されたフォントで、au の部分をオレンジ色で書いただけの「文字」をロゴとした。


そして、「まとめて au 支払いでお支払いいただけます」というような文章の際に、該当部分だけをロゴ化して使用した。

最初はそのように使っていたし、サードパーティもそのように使うことを推奨していたのだけど、ある時急に「文章内に組み込んではならず、ロゴを使用する際は必ず周囲に余白を大きくとること」という通達が来た。


これ、当時の au の法務部が弱く、ロゴを文章に組み込むと、商標権の剥奪の危険性があるのを知らなかったのだと思う。

(もしくは誰かが、法務部の審査を通さず、そのような使い方を推奨したのだろう。いずれにせよ法務が弱い)


文章に組み込んで使う、ということは、それが絵ではなく文字であることを認めていることになる。

先に書いたように、文字の権利主張は認められない。ロゴの登録抹消の恐れがある。

法務部がこれに気づいて、あわてて「やってはならない」と通達を出したのだろう。



SEGA は、メガドライブの頃に、起動時の SEGA ロゴで遊ぶのを自由にさせていた。

SEGA ロゴの文字が1文字づつ出てきたり、変形の都合上本来のロゴと少し形が違ったりしていた。


これ、「1文字づつに分解できる」のだとすれば、絵ではなく文字だということになる。

変形していてもSEGAと読めれば良い、というのであれば、それも「読めること」を重視した文字だということになる。


セガサターンの際は、ロゴで遊ぶことを厳しく規制した。

旧来のファンからは、遊び心が無くなってつまらない、という意見も聞かれたが、企業活動としては権利を守るほうが重要だ。



今回の東京都ロゴは「 & TOKYO」という文字をデザイン化したもので、様々な商品名などの後ろにつけて使うことを想定しているそうだ。

「後ろにつける」という時点で、文章として読んでもらうことを想定している。ロゴではなく、特殊なフォントで書いた文字だ。



もし商標権を剥奪したければ、実際の使い方を集め、それが「文章として読ませている」ことを論理的に示したうえで、特許庁に異議申し立てすればよい。

ただの文字は誰でも使えるもので誰も排他的な占有権を持たないはずなのに、商標登録により他人が使えないように占有している、と「公共の福祉を害している」ことを申し立てるのだ。


実際そのような申し立てをした例は知らないのだけど、「盗作だ」と筋の悪い難癖をつけるよりは、よほど面白いことになると思う。妨害して楽しみたいのであればね。


ただ、まだ発表されたばっかで実際の使用例が少ないと思うので、どこかで東京都が気付いて「申し立てされない方向」に調整すると思うけど。



#東京都はこれを「東京のイメージを上げるブランド戦略」と考えているようで、誰でもロゴを使ってよいそうだ。

 なので、もしかしたら商標登録自体を行っていないかもしれない。

 だとすれば、これを文字として使っても、商標権の剥奪はない。(もともと商標ではないのだから)





まだ社会的に「影響力が小さい」中高生が、「盗作だ」などと世論をあおる「一部ネット民」の中心だと思っている。

影響力が小さいからこそ、社会が大騒ぎになって、変わっていくのが楽しい。その気持ちはわからないでもない。


でも、それによって税金も時間も無駄に使われる。社会は悪くなっていく。

そして、そのツケを払うのは、今の中高生が大人になったころの、自分自身だ。



著作権法や商標法を学ぼう。ほかの法律も学ぶといいし、法律に限らず知識を持とう。

そうすれば、正しく社会に影響力を持てる。社会を悪くする方向ではなく、良くする方向で影響が持てる。


そっちのほうが、影響力の使い方として、社会の変え方として、ずっと楽しい。



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シュガーラッシュ見た  2015-11-07 20:41:51  その他

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シュガーラッシュ見た

いや、表題の通りです。

ディズニー映画の「シュガーラッシュ」を見ました。


もう3年も前の映画ですね。ちょっと機会があって、子供と一緒に見ました。


ネタばれになるから詳しく書けないけど、ここに書き記そうと思う程度に素晴らしかった。

子供も楽しめたけど、おっさんほいほい。というか、40代の人は子供の10倍楽しめる。


脇役のゲームキャラや、会話の中に出てくるだけの「あれやこれ」をどれだけわかるかも楽しみ。

ゲーム大国であった日本へのリスペクトもすごくて、ゲーム以外にも小ネタいっぱいです。


お話の舞台となるゲームが3本あって、これは架空なのだけど、元ネタをすごく感じる。

何が元ネタだろう、と想像するのも楽しい。



そして、スタッフロール後の10秒間。

「わかる人にしかわからない」けど、わかる人にはすごくしびれる演出。

監督さんが、本当にゲームを愛しているのがわかります。


このお話は、いつまでも続く。終わりなんてない。

でも、とりあえずはここでおしまい、という演出です。


ゲームをよく知っている人にしか伝わらないけど、それで十分。


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wreck it ralph  2015-11-07 22:03:02  その他

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wreck it ralph はシュガーラッシュの原題ね。


さて、先ほど書いたとおり、シュガーラッシュを見ました。

で、登場する「架空の」ゲームの元ネタは何だろう? と考えるのが楽しいので、書き記す次第です。


あまりネタバレする気はないけど、まだ見てない人は読まない方がいいかも。




まず、お話の中には多数の「実在のゲーム機」と、3つの「架空のゲーム機」が登場します。


架空のゲームの内一つは、一人称シューティング。

よくあるタイプのゲームとして描かれていて、そこら辺が元ネタでしょう。


日本での題名となっている「シュガーラッシュ」は、明らかにマリオカートが元ネタ。



そして、主人公のラルフが登場するゲームですが、ありそうでない感じのゲームです。

映画公開時に、日本のディズニーとイギリスのディズニーが、それぞれ別個に「実際のゲーム」を作っているのだけど、どちらも映画の描かれ方とちょっと違うものでした。

(現在、イギリスの物だけ公開継続中。日本のものは見てないので内容知らないけど、イギリスのほうが映画に近かったらしい。でも、かなり違う)


#2017.3.8 追記

 イギリスサイトのものは Flash で作られたゲームですが、現状では Chrome は一部サイトを除き Flash を実行しない方針に切り替わっています。

 そのため、Flash を常に許可する必要があるかもしれません。



映画の中のゲーム、壊れたところを次々修理していく1画面ゲーム、と言う点では、フリスキートムかな、と最初は思いました。

でも、どうもそうじゃない。


主人公はジャンプするし、ラルフは主人公より大きな凶悪なキャラとして、画面上部に居座る。

どうも、ドンキーコングのイメージが入っているように思います。



と、そのつもりで見れば、ゲームのタイトルは「Fix it Felix JR」です。しっかり「JR」と入っている。

劇中でも、主人公の Felix は、父親ゆずりのアイテム、「金のハンマー」を持っていることになっています。

ということは、このゲームは2作目なのか。




ドンキーコングでは、コングは悪役で、マリオが主人公でした。


でも、ドンキーコングJRでは、ドンキーコングは悲劇の囚われ役。

「見世物にするために」捉えた悪役はマリオで、主人公はコングの息子である、ドンキーコング JR です。


Felix が JR だとすると、もしかしたら1作目が存在する?



ところで、ディズニーが公式に作った、Fix it Felix JR の「新作入荷」を伝える、ゲームセンターの TV-CM があります。


#2017.3.9 記述変更

 上記、以前はディズニーのページにリンクしていましたが、そちらのページが書き換わって非公開になったこと、You Tube で公開しているのを発見したことを受け、記述変更しました。

 元の記述は、HTML のコメントに残してありますので、気になる方は HTML ソース見てください。



この中で、ゲーム名の「Fix it Felix JR」が出てくる際には常に、「featuring Wreck it Ralph」と添えられています。

わざわざ、ラルフが出てくるゲームであることを言っている。


ということは、すでにラルフは「宣伝に利用できる」ほどに人気があったのでしょう。

人気ゲームとしての「Wreck it Ralph」が存在したのではないでしょうか。


そして、その待望の続編である Fix it Felix JR が入荷したよ、というのが、リンクした CM 映像のように思います。


#そういえば、主人公達の名前、ディズニー伝統の「同じ音を重ねる」にちゃんとあわせてありますね。

 Mickey Mouse が MM 、Donald Dack が DD 、とかってやつね。

 Wreck では W を発音しないので、Wreck it Ralph が RR、Fix it Felix が FF です。




では、この「Wreck it Ralph」…「映画にも描かれていない架空のゲーム」は、どんなゲームだったのでしょう?


おそらくは、2つのゲームを混ぜたイメージなのではないかな、と思います。



1つは、Rampage


日本ではあまり知られていませんが、アメリカでは人気のあったゲームです。

怪獣になって、ビルを破壊するゲーム。


ゲーム開始時に主人公(怪獣)を3体の中から選ぶことができるのですが、そのうち一人が「Ralph」という名前です。



もう一つが、Wrecking Crew。

ビルの解体工事をするゲームです。壁を叩いて壊しまくる。


ゲームセンター用とファミコン用があって、かなり違う内容です。

ファミコン用がアクションパズルゲームなのは有名だけど、ゲームセンター用は「対戦も協力もできるアクションゲーム」だったのね。


そして、ファミコン用では「金のハンマー」というアイテムが出てくる。


この二つのイメージが混ざったものが、Wreck it Ralph ではないかと思うのです。



そして、ドンキーコングと JR では「主人公と悪役」が入れ替わっていたように、続編では主人公のラルフが悪役に変わったのかもしれない。

その際に、前作にもでてきた「金のハンマー」が新作の主人公の持つ「父親ゆずりのアイテム」として登場したのではないか…


と、そういう妄想です。




映画の中に、「悪役はヒーローにはなれない」という台詞があります。


もちろん、皆がそう言う中で、ラルフは見事に活躍をして、ヒーローとなるわけです。

ゲームが動いている時間はやっぱり悪役を演じないといけないのですけどね。


これ、映画的には「あきらめずに努力すれば世界は開ける」ということだと思います。

それだけ見ればいい話。


…でも、先に書いたように、ゲームに前作があったとしたら、ラルフはもともと「ヒーロー」としての素地を持っていたのでは?

あきらめなかったから、ではなくて、もともとヒーローとしての才覚があった?



多少ネタバレ含みですが、お話の中にもう1体、「不当に低い地位」に甘んじているキャラクターがいます。

最後には本来の地位に戻れる。ハッピーエンド。


でも、ここは「あきらめなかったから世界が開けた」のではなくて、「元の地位に戻った」だけの話。


ラルフも「本来の地位」はヒーローだったのではないかな、なんて思うのです。



…あきらめずに自分で世界を切り拓いた、というほうが夢のある話なのですけどね。

夢を壊すつもりはないのだけど、架空のゲームに架空の前作があるとして、そこでのヒーローラルフの活躍を見てみたい気がします。




先にかいた通り、シュガーラッシュ面白かったです。

ここに書いたような「妄想」を考え始めちゃうくらい。


人気があったので続編を作っている、という噂も出ているようです。

作曲家や声優が続投のオファーがあったと明かした、という情報でまだ公式には発表してませんけど、ちょっと楽しみ。



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歯医者  2015-11-09 17:34:24  その他

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1か月くらい前に、なんだか歯茎が腫れて疼いた。


それで気づいたけど、なんか歯に穴が開いてる。虫歯のようだ。

痛くなるようだと嫌だな…と思いつつ、とりあえずリステリンなどを使って歯周病退治。

腫れはひいて問題が無くなった。


とはいえ、歯に穴が開いているのは虫歯だろう。

過去に治療し、金属をかぶせてあるすぐ横に穴が開いているようだ。


えーと、15年ほど前に、虫歯が神経に達したことがあった。

あの時は、かぶせた下で進行していたので虫歯に気づかなかったのだ。


あの時は、大きく削ったうえ、神経を抜かないといけなかった。



最初に疑ったのは、その歯が大きく削ってあったから薄くなって、そこが崩れたりしたかな、ということ。

歯茎が腫れたのもそこまで虫歯が進行していて、でも神経がないから気づかなかっただけ、というような可能性だ。



早く歯医者行かないとな、と思いつつ、忙しくてなかなか行けなかった。




急に思い立って、先週歯医者に行ってみる。

その時は非常に混んでいて、予約だけしてきた。


そして今日、治療に行く。

初回だから状況を確認して次回から治療かな…と思ったら、非常に仕事が速かった。


レントゲンを撮って、内部が大きく削れていることを確認。

すぐに麻酔。歯茎から吸収させるシート状の麻酔? から初めて、少し感覚がマヒしたら注射。

全く痛みを感じない。


その後、かぶせてある金属を破壊して、虫歯になっているところを削る。

結果として神経が露出してしまうので、これは神経抜いたほうがいいでしょう、とそのまま作業に入る。


目を閉じていたのでよくわからないのだけど、電気針で神経を焼き切ったのではないかな。

昔は細いドリル見たいので掻きとっていたはずだけど、道具にコードがついていて、ピコピコ音を出していた。


で、これまた作業中全く痛くない。


その後消毒して、仮のかぶせ物をして終了。

全部で1時間くらいかかった。


次回歯の型を取って、次々回かぶせて終わり、という感じかな…




先ほど、過去の日記を調べたら、たぶんこの歯は 10年前に治療した奴だな。

一番奥の歯を、神経近くまで大きく削った、と書いている。


それこそ、削って薄くなっていた歯が崩れたのかもしれない。




現在、治療終了から1時間半。

そろそろ麻酔が切れてきたようで、神経抜いたところが疼いている。


痛くはないのだけど、非常に、なんというか…むずがゆい。


もしかしたら、完全に麻酔が切れたら痛くなるのかもしれない。

痛み止めはもらってあるのだけど、もう少し様子を見よう。



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巧妙な確率  2015-11-24 12:40:55  その他

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一昨日のお出かけのあと、子供たちと夕食を食べにガストに入った。

(ガストがいい、というのは長女・次女のリクエスト)


ガストでは、子供向けに「ラッキーセット」という商品を販売している。

セットを買うとガチャガチャのコインがもらえる。つまりは、何かおもちゃがランダムでついてくる。




次女(6歳)、以前にガストに来た時に、女の子用のおもちゃで「鏡」を入手している。

自分の髪の毛を飾るのが好きな次女、この鏡はお気に入りでよく使っている。


その鏡の入った女の子向けセットガチャガチャがまだあった。


鏡、髪ゴムなどを入れられる小箱、櫛、それらをまとめて入れられる巾着袋、の3つのうちのどれかが出る。



ガチャガチャを回す前に、「何が出ても文句なし」だと言い含めた。

わかっている、という次女。すでに持っている鏡が出るかもよ、と言ったら「それは考えてなかった」という顔つき。


結局、出たのは巾着袋だった。

長女曰く、次女は以前から巾着が欲しいと言っていたそうで、次女的にはあたり。


#このセットのものではないが、小さな櫛はすでに持っているので。




さて、ここからが今回の本題。

味をしめた次女、「ガストにあと2回行けば、全部揃うかも~」と言ってきた。

揃うかも、でいえば、確率問題だから揃う可能性はある。


でも、そんなに簡単にはいかないよ、とやんわり伝えた。


いや、子供が夢を見ているのは構わない。

問題は、大人になっても同じようなことを考える人が結構多い、ということだ。


4種類のおもちゃが入ったガチャガチャで、すべてが同じ確率で出るとしたときに、4種類そろえるのに何度回せばいいか。


まぁ、4回で種類が揃うなんてことはないだろう。ダブったりするから6回くらい?

と多くの人は考える。



1度目は何が出たってかまわない。4種類のうち、4種類どれが出てもいいので、4/4 の確率になる。

2度目は、1度目と違うものが出てほしい。 4種類のうち、3種類のどれかが欲しいので 3/4 になる。

以下同様に、3度目は 2/4 で、4度目は 1/4 。これを全部掛け合わせると、3/32 = 0.09375


次女が期待するように、4回ガチャを回して4種類全部を入手できる確率は、1割未満しかない。




じゃぁ、何度くらい遊べばコンプリートするのか。


n種類の景品がランダムに当たるとき、n種類全部を揃えるのに「期待される」景品を引く回数は、以下の式で求められる。


n * (1/1 + 1/2 + ... + 1/n)


なんでそうなるのか、はややこしいので言及しないけど、この式に n=4 を当てはめてみれば答えは出る。


4 * (1/1 + 1/2 + 1/3 + 1/4) = 8.333...


これは「期待値」であり、この回数景品を引いたら、半分の確率でコンプリートできるよ、という回数。

8回だと微妙だけど、9回なら半分以上の確率でコンプリート。もちろん運が良ければこれ以下の回数だし、運が悪ければ青天井。


なんだ、4種類に対して8回だから、大体2倍か、なんて思ってはならない。

10種類になれば、大体 30回、3倍の量を引かなくてはコンプリートできない。



古い話だけど、動物の森カードe なんて、全 308枚あったぜ。

4シリーズに分けて発売されて、1シリーズが64枚~90枚。


たとえば、90枚のセットをコンプリートするには、457枚買わないといけない計算になる。5倍だ。

1セット5枚入りで発売されていたから、92セット買わないといけないな。


それを、4シリーズ分。

うちの妻が3セットコンプリートしていたのだけど、よくやったな。


#1セットコンプまで自力でやって、それで余ったカードをトレードして3セット揃えたのですが。

 手元に1セット残して余ったものをオークションにかけたら、つぎ込んだ金額が大体帰ってきたらしい。


#そもそもこれは「トレーディングカード」であって、一人で集めるような設定の数値になっていない。

 一人では集められず、トレードすることが前提だから「トレーディングカード」なのだ。




また別の話。

以前書いたかもしれないけど、探したら見つからなかったので多分書いてない。


以前、ドーナツ屋でスクラッチくじをもらったことがある。

6つの隠された絵のうち、3か所を削る。3カ所とも当たりが出たら、ぬいぐるみがもらえる。


外れたから全部削ったら、ちゃんとすべてのカードに当たりが3か所入っている。

だから、必ず当てられる。絶対当たらない、というインチキはない。


その場で確率計算してみると、非常に巧妙な確率。


最初の1カ所は、6 カ所のうち 3 つ入っている当たりを出せばいいので、3/6。

2番目の個所は、残り 5カ所のうち、2つ入っている当たりを出せばいいので、 2/5。

そして最後の1カ所は、4カ所のうち1つを当てればいいので、1/4。


これを全部掛け合わせると、1/20。5% の割合で当たりが出る。


でも、多くの人は「6カ所中3カ所あたりがあるのだから、半分の確率」と考えるだろう。

認識と実際に大きなずれがある。


このときのカードは 300円で1枚もらえた。

ドーナツ屋の客単価が 600円だとして、1人2枚もらえる。1グループ5人程度で来ると、10枚ある。


2~3回グループで訪れると、1人はぬいぐるみが当たる、という設定になる。

もしくは、店に滞在している間に、誰かお客さんの一人くらいはぬいぐるみを受け取りに行くかもしれない。


これがまた巧妙で、周囲に当たった人がいるのを見せて「あぁ、やっぱちゃんと当たるんだ」と安心感を与える程度の設定。


先に書いた「半分当たり」という勘違いと合わせると、自分が外れたとしても今回は運が悪かっただけ、次はきっと当たる…と勘違いしてもらいやすい。


これで「私も欲しい」と思ってもらえれば、何度もお店に足を運んでもらえる。

非常に巧妙な確率設定にしてある、と唸った。




余談だけど、確率は大学でみっちり勉強した。

1年の時の講義を、3年になってもまだ聞いていたくらい。


#2回も落とした、とも言う。教授が厳しくて落とす人多数の講義だったのよ。

 3年目はさすがにわからないところは教授に直接聞きに行き、おかげで確率は非常に詳しくなった。



そして、僕はゲームプログラマなので、確率は大切な道具です。

大学の時3年も確率を勉強したのは、非常に役に立った。


いや、冗談ではなく、3年もやり続けたから肌感覚として確率がわかるようになった。

1年で単位取得した人は、頭は良かったかもしれないけど理解は浅かった。



それでも、巧妙な確率設定って結構難しい。

上手な設定は、多くの人が勝手に勘違いして、幻想を抱いてくれる。

ゲームを作るうえでは、確率設定次第で面白さが全然違ってしまうこともある。




いわゆる「ギャンブル」に限らず、世の中ギャンブルだらけ。

上のスクラッチのように、多くの人が「半分」と思うものが、実は 5% しかない、なんてことは良くある。


確率の怖さを知らないと、ギャンブルであることにも気づかずに、ギャンブルに巻き込まれたりします。

もっと多くの人が、少しでよいから「確率」という数学分野を知っているといいと思う。


#保険とか、実はギャンブルです。比喩ではなくもともとギャンブルの一種

 自分の生活に合った適正な掛け金を設定しなくては、損をするだけになります。


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NTT工事延期  2015-11-27 11:29:43  その他

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先日からお伝えしている「高いからCATVやめる」計画の続報。


先日書いたのは、NTT に工事を申し込んだところまででした。


工事内容は、現在使っている 100M の光ファイバを 1G に変更し、余った帯域で電話とテレビ放送も送る、というもの。

1G ならさらに余剰があるはずなので回線は早くなりますが、そもそも家の中のサーバーが非力なのであまり意味はないです。




さて、先ほど工事にきて、内容の説明を受けたところ、考えていたものと食い違いがあったので、今日は工事をせずに延期に。


申し込んだ際に、テレフォンオペレーターとの間で「テレビ線工事はどうするか」という話があったのですね。


フレッツテレビのページには、フレッツテレビを導入すれば家の中のテレビ全部で使える、とあった。

そこの部分まではやってもらえるのですか? と聞いたのだけど、どうもここでお互いの考え方に相違があった。


テレフォンオペレーターに「壁から出ているアンテナ線まではテレビ信号が来るようになるのか」と尋ねたら、そうだという。

そこまで来るのであれば、テレビまでの配線は問題ない。

この「工事」は、よくわかっていないお年寄り向けなどのサービスかな、と思っていらないと答えた。



でも、実際には「壁から出ているアンテナ線」に信号が来るわけではなくて、増設される特殊な機器から信号が出るだけ。

テレビの横にその機器を置けば、そのテレビ1台だけで受信が可能になる。



工事に来てくれた人との話をしている中で、想像していることの相違が明らかになったので、いったん今日は工事を中止したほうが良い、とアドバイスされた。

僕もそう思ったので、せっかくご足労頂いて非常に申し訳ないのだけど、今日は工事中止。




しかし、無駄だったわけではない。

どういう形で機器を設置するのか、全く不明だったのだけど形態がわかった。



光ファイバーからイーサネット線に信号を乗せ換える ONU と、プロバイダとの間で接続を行うルーターと、通常の電話番号が使える(いわゆる IP 電話扱いではない)電話線を引き出す装置と、テレビの同軸ケーブルを引き出す装置は、全部で1台。


つまり、この装置の周りに「すべて」が集まっていなくてはならない。

家庭内のテレビ配線も、LAN 配線も、電話配線も、この装置を中心にして配置されることになる。



でも、当たり前だけどそんなに都合よく家の配線は集まっていない。

さらに言うと、ルーターが2段構成になってしまう。

(新しい機器は、電話は出ているが「IP電話」は出ていないことに留意。今までのルータを残す必要がある。)


2段構成はハングアウトが使えなくなる可能性があるから、あまりやりたくないのだけどなぁ。




今日来たのは光ファイバー工事担当の人。

テレビ工事担当の人は別になるので、どのように配線するのが良いかはわからない、という。


その家ごとに一番良い方法をとるので、場合によっては壁や天井に小さな穴を開けるし、いったん家の外に線を引き出すこともある、という。


なるほど。この言葉だけでもヒントになる。専門家ではないので、こんな些細な言葉でも「知らなかった」知識だ。


現在、光ファイバーと電話線は同じ部屋に引き出している。


今後は電話線が不要になるので、電話線の入っている管を使って、テレビの線を一度外に引き出すのが良いのだろうな。

で、外に出るとすぐにテレビ線用の別の管があるので、そちらから入れ直して、屋根裏にある家の中のテレビ線に接続する。

(屋根裏には、現在 CATV のブースターが設置されている。設置用にコンセントも屋根裏に置いてある)


現在テレビ専用の管は CATV が使っているが、どうせつなぎかえるときには CATV はあきらめるしかないのだろう。

先に線を引っ張り出してしまっても問題はない…かもしれない。

(ここのところは CATV 会社に聞かないとわからない)



ルーター2段構成を避ける方法は…これから考えないといけないな。





直後の追記


書き上げた直後に、NTTのテレフォンオペレーターから連絡があった。

工事内容変更の確認で、僕が注文した時の電話の人だった。


で、やっぱりこの人論理性がおかしい。僅かな時間話をしただけだけど、食い違うことがある。


そもそも、「昨日工事に行った」前提で話をしているし、記録上も昨日になっているという。

でも、僕は今日だと説明を受けていたし、実際工事の人は今日来た。


そのように説明しているのに、「でも記録では昨日になっている」と、自分の残した(?)記録のほうを信じている。


えーと、いちいちオペレーターの人がおかしいと指摘して感情を害することもないので、僕が勘違いしていて迷惑かけたけど、工事内容の変更お願いします、とだけ頼んでおいた。



テレフォンオペレーターが技術に詳しい必要はない。それは技術者の仕事だからだ。

今回、技術的要件で会話中に食い違いが発生した、というだけのことで、オペレーターの人が悪いとも思っていない。


でも、会話内容の記録が間違っていて、状況証拠的にも間違いが明らかなのに、記録を正しいと妄信して会話するのはオペレーターとして3流だと思う。

正しい取次ぎをするのがオペレーターの仕事なのだから。



さらに夕方追記


上記の連絡では、工事内容の変更の詳細日付などが確認できないということで、日程確定は後になっていた。

夕方4時半ごろ電話があり、来週の午後と決まった。


作業手順としては、光回線工事をして、その後別の会社の方が来てテレビ線工事、だそうだ。


今朝、回線工事の方が「テレビ線工事次第で置く場所など変わるかもしれないので、今日は工事しないほうが…」となっていた。

でも、結局テレビ工事は「光回線工事を終わらせた後、その場で一番良い方法を考える」方法をとるらしい。


じゃぁ、今日回線工事をして帰ってもよかったのではないか、とも思う。

回線工事の方も、全体の流れをちゃんと把握してはいないのだろう。


#それぞれ別の技能を持つ下請け会社に任せているのだろうから、把握していないことは問題ではない。


まぁ、僕にとってはこの猶予期間はありがたいものだった。

どのような機械を設置するか確認したうえで、「自分が工事してほしい内容」を再確認できたのだから。



回線工事の人には2度手間をお願いすることになって申し訳ないのだけど。


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別年同日の日記

03年 ピザ

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17年 リロケータブル

18年 闘龍伝説エランドール


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