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11-13 キム・ポレーゼの誕生日(1961)
11-13 全ての国民が…
今日は、キム・ポレーゼさんの誕生日(1961)。
コンピューター業界の「偉人伝」としては珍しく、女性の方です。
…えーと、僕は男女平等を標榜しているので、わざわざ「女性だ」と区別したくはない。
でも、現状男性が多いのは事実。だからこそ、女性だって頑張ってますよ、と明記しておきます。
多彩な方ですが、Java の名付け親、というのが一番有名なエピソードではないかな。
以前にジェームス・ゴスリング(Javaの開発者の一人。最初の実装を作ったプログラマ)の話で取り上げましたが、要約しておきましょう。
1990 年ごろ、元々ベンチャーとして始まった SUN は急速に成長し、すでに大企業病にかかっていました。
この状況を打破するため、社内で新しいプロジェクトが起こります。
#すでに SUN が存在しない会社なので説明すると、UNIX ワークステーションを開発し、広めた会社でした。
SUN 以前、UNIX は存在しましたが、主に大学などで研究目的に使われ、製品としてそれほど売れていたわけではありません。
SUN はこの UNIX を信頼性のおける製品として一般に広めた会社です。
このプロジェクトでは、「SUN の技術を信じず」、新しい製品を開発しようとしていました。
プロジェクトでは、「当面のハードウェア」として SUN の CPU が使われました。
しかし、SUN の技術を信じない、というのがプロジェクトの重要な思想だったため、そのままではプログラムができません。
そこで、特定の製品に依存しない「仮想 CPU」を考案し、その上で動作するプログラムを作ることにします。
同時に、それまでのプログラム言語の問題点を解消した、新しい言語でこの仮想 CPU をプログラムできるようにしました。
この言語が、oak 言語です。
これは素晴らしいアイディアに思えました。
…が、プロジェクト自体は失敗します。
その後、キム・ポレーゼが SUN に入社し、過去に失敗したプロジェクトを見直し、言語を発見します。
彼女は、この言語にはまだ使い道が残されているように思いました。
それまでのプログラム言語の問題点を解消し、気軽にプログラムが組める言語。
この「気軽さ」は、もっとアピールされるべきポイントです。
その気軽さを示すため、oak という名前を別の名前に変えることにしました。
そしてつけられた名前が、コーヒーの品種である「Java」でした。
丁度、WWW の登場によってインターネットが注目され始めていました。
インターネットでは、CPU の違う多数のコンピューターが使われます。
Java の「仮想 CPU」の考え方を使えば、それら多数のコンピューターの、すべてで動くプログラムを作れます。
彼女の指示により、Windows / Mac / SUN の Java 環境と、その上で動くキラーアプリである「HotJava」が用意されます。
HotJava は、Java で作られた WEB ブラウザでした。
当時のブラウザは、Netscape が急成長中。その元となった Mosaic もまだ多少使われており、IE が開発されたばかり、という時期でした。
その熱い戦場に、新しいブラウザを投入してきたのでした。
#Netscape は、現在 Firefox として知られるブラウザの元となったものです。
Mosaic の開発者が新たに1から開発したブラウザでした。
また、IE は Mosaic のソースを元に開発されたブラウザでした。
HotJava には「プラグイン」という、新たな機能がありました。
WEB ブラウザが知らないデータ形式があると、自動的にそのデータ形式を扱えるプログラムを探し出し、ダウンロードし、ブラウザに機能を追加するのです。
今ではブラウザに「プラグイン」があるのは当然ですが、HotJava が最初に打ち出したアイディアでした。
激しく移り変わるインターネット技術に、常に追随していく、自らを拡張していくブラウザ。
それが HotJava でした。
Java と HotJava は、熱狂的に世に迎え入れられます。
素晴らしいアイディアでした。
と同時に、Netscape は SUN と提携。Netscape のブラウザの中に Java の実行機能を作り込みます。
マイクロソフトもこれに追随。さらに、両者とも「プラグイン」の概念をブラウザに取り込みました。
これにより、Java の普及は促進されましたが、HotJava の優位性は消えてしまいました。
また、Java の実行機能に各社少しづつ違いがあったため、「どこでも動く」はずの Java は、実際に動かすのに非常に苦労する環境となってしまいました。
同時に、HotJava の見た夢も消し去られています。
たとえばプラグイン。
Netscape は独自の形式でプラグインを作れるようにしましたが、これは CPU 毎に別のプログラムが必要でした。
Windows / Mac / SUN で別のプログラムを開発する必要があるのです。
もちろん、一部の機種用しか提供されないプラグイン、というものも存在しました。
さらに、IE は別形式のプラグインを必要としました。
その上、こちらは基本的に Windows 版のブラウザしかありません。
#初期の頃は Mac / SUN でも作られましたが、動作が全然違ったりしました。
HotJava の「プラグイン」は、ブラウザの動くどの環境でも、同じようにブラウザを拡張できるものでした。
新しいデータ形式が登場した際には、ユーザーが気にすることなく、自動的にそのデータを扱えるようになる…
全てのユーザーが同じ体験を共有できる、夢の世界がそこにありました。
しかし、Netscape や IE の「プラグイン」は、ユーザーの使用環境により、データを見られたり見られなかったりさせるだけの、邪悪なものでした。
WEB ブラウザに取り込まれた Java には、もう一つの問題がありました。
本来、Java は「どんなマシン上でも動かせる」という特徴を除けば、通常のプログラムと同じようにふるまうものでした。
HotJava も、この「通常のプログラム」として WEB ブラウザを作ったものでした。
しかし、WEB ブラウザ上の Java は、WEB ページの一部として動作することになります。
ページが移動すると、動作していたプログラムは強制的に停止させられてしまい、データは消えてしまいます。
そして、再び同じプログラムを動かそうとすると、ネットワークからゆっくりとプログラムを読み込み、起動するのです。
起動は遅いのにうっかり終了してしまい、とてもまともな仕事にはつかえない。できてもせいぜい簡単なゲーム程度。
これが、WEB ブラウザに取り込まれた Java の姿でした。
さらに、Netscape は Java 以前から作成していた「プログラム言語」を、Javascript の名前で発表します。
SUN との提携の元で使用した名前でしたが、これが混乱をもたらしました。
Javascript は、WEB ページの一部として動作するプログラムです。
表示を切り替えたり、操作を手助けしたり、簡単なゲームを作るくらいのことは出来ました。
…技術に詳しくない人から見たら、Java と Javascript の区別はつかない上に、名前も似ているのです。
キム・ポレーゼは SUN を退社し、「マリンバ」社を作ります。
世に「普及」し始めた Java を使い、当初の理想を追い求めるための会社でした。
WEB ブラウザに閉じ込められた Java ではなく、環境を問わずにプログラムを作れる、インターネット世代のプログラム環境としての Java へ。
…彼女の理想は高かったのですが、時代を先取りしすぎていました。
当時の資料などで彼女の「理想」をそのまま語るよりも、その後普及したサービスとの違いを書いた方がわかりやすいでしょう。
まず、マリンバ社の核になるサービスが「カスタネット」でした。
カスタネットでは「マルチメディアコンテンツ」…つまりは、多少のインタラクティブ性も持たせられる動画を配信することを商売の中心と考えていたようです。
当時はまだパソコンは「よくわからない」と言う人が多く、しかしインターネットは爆発的に成長していました。
テレビのように「見るだけ」なら受け入れやすい、ということでしょう。
つまりは、YouTube を作りたかったのだと考えてください。
ただ、この頃のインターネットはまだ通信速度が遅く、動画配信なんてできません。
カスタネットでは、「プログラム」を配信します。
そのプログラムが、アニメーションなどの形でユーザーに動画を見せるのです。
ユーザーは「受信機」を自分のパソコンにダウンロードし、実行します。
パソコンらしい作業が必要になるのはここまで。将来的にはあらかじめインストールされた状態で出荷され、ユーザーは一切パソコン知識がなくて良い、というのを想定していたようです。
受信機ではチャンネルを選ぶことができます。
あらかじめお気に入りのチャンネルを複数登録しておけば、すぐに番組を見られます。
先に書きましたが、番組はプログラムとして配信されます。
そこでユーザーが求める最新の情報を見たり、プログラムですからゲームで遊ぶ、アンケートを取るなんてこともできます。
このプログラムは、あらかじめ「お気に入り」のチャンネルに登録しておけば、見ていない間に勝手に更新されます。
ダウンロードしてインストール…ではなく、いつの間にか最新になっているのです。
しかも、プログラムが一部改編などでほぼ同じ場合、「変更された部分」だけがダウンロードされ、適用されます。
これ、「差分情報」がサーバーにあるのではなくて、サーバーに置かれたファイルは常に完全版。
配信時に、双方で情報を送り合いながら自動的に差分を検出する技術なのね。
#rsync みたいなもの、と言えば、わかる人にはわかるでしょうか。
…今では当たり前の技術ばかりですね。でも、当時はこんな環境は他になかったのです。
当時、プログラムを動かしたければ、自分のパソコン環境にあったプログラムを選び、ダウンロードし、インストールする必要がありました。
バージョンアップがあれば、最新版のプログラム全体をダウンロードしなおすところから始めます。
何度も書きますが当時は回線が遅く、ダウンロードには長い時間待たされました。
「いつの間にか」ダウンロードされ、インストールされているというのは、この待ち時間も手間も無くすことになります。
欲しいと思ってからダウンロードするものを「PULL 配信」と呼んでいたのに対し、勝手に最新版になっているこの方法は「PUSH 配信」と呼ばれ、当時注目の技術でした。
カスタネットは、チャンネルがあってマルチメディアコンテンツが見られる…という娯楽面でとらえると、 YouTube に似ています。
しかし、おそらくこの考え方は当初の物で、すぐに「もっと商売になる」場所に気付いたようです。
実際、リリース時には「大企業を中心としたビジネス」を考えていたようでした。
カスタネットで配信されるのは、先に書いたように Java プログラムです。後には、Java に限らずプログラム一般をなんでも配信できるようにしています。
たとえば、有料でチャンネル契約すると、各種オフィスソフトが使用できる、なんてサービスもありました。
Java で作成されたワープロや表計算、図形描画ソフトなどが使え、さらに常に最新ソフトになっているのです。
…これ、今では Adobe がやっている Creative Cloud と非常に似ていますね。
Creative Cloud では、月単位で契約し、すべてのアドビ製品の最新版を自由に使えます。
Adobe に縁が無い人でも、Android や iPhone で、アプリが自動的に更新されたりするのを見たことはあるのではないでしょうか。
個人で使っていても、勝手に常に最新版になってくれている、というのは非常に便利です。
大企業では、「便利」以上のメリットがあります。
多数の端末を使っていて、重大なセキュリティホールが見つかったから一斉にアップデート、その間は仕事がストップ…とか、当時は実際に起こり得る悪夢でした。
しかし、勝手に最新版になる、という仕組みがあれば、この悪夢から解放されます。
カスタネットが最初のターゲットに企業を選んだというのもそのためでしょう。
ゆくゆくは、個人向けに…まさに、今の Adobe や Android / iPhone などがやっているような「アプリケーション配信」をやりたいと考えていたようですが。
マリンバ社では、カスタネット以外にも Java プログラムの作成支援ツールである「ボンゴ」や、「トランペット」という製品も出していたようです。
(トランペットの詳細がわからず…)
楽器の名前ばかりですが、キム・ポレーゼは当時のインタビューで「いわゆるパソコンらしい名前は使いたくない」と言う趣旨のことを言っています。
「変わっていて人に覚えてもらいやすい」ことや、「エネルギッシュで情熱的」であることを伝えたい、と。
カスタネットって、日本人の考えている奴じゃなくて、世界的には「フラメンコダンサーが持っている楽器」ですからね。
非常に情熱的で激しい楽器です。
その一方で「ネットだとか、サイバー、ウェブ、といったいかにもそれらしい名前」とは違うものにしたかった、とも言っています。
でも、Castanet って、Cast-a-net (ネットで放送する)という意味に、明らかに掛けてますよね…
残念ながら、カスタネット環境は非常に注目されていたにもかかわらず、思ったように普及せず、今では無くなっています。
(技術は別の会社に吸収され、サーバー製品群に組み込まれたりしているようです)
でも、これは決して「失敗」だったとは思わないんですよ。
マリンバ社としては失敗だったけど、方向性を示したことで、後に続くものがちゃんと育っている。
先に書いたように Adobe や Android / iPhone 、最近では WEB ブラウザも自動更新が当たり前ですし、他にもそうしたソフトは山ほどあります。
ただ、PC 上では自動更新のソフトって、「ソフトごとに」仕組みが作られているのね。
カスタネットみたいに、皆が共有するような仕組みが一つあれば、無駄をいろいろと省けるのでしょうけど。
(Android / iPhone では OS が仕組みを持っています。)
さて、キム・ポレーゼ女史は現在、ClearStreet 社の会長をしているそうです。
一般人向けに、人生計画に基づいた資金計画を考えるお手伝いをする会社…ということでいいのかな。
「普通の人にはややこしいことを、出来るだけ簡単に出来るようにしてあげたい」という部分は変わっていないようです。
2011年にはオバマ大統領のイノベーション諮問委員会の一員となり、アメリカの技術革新のためのレポートをまとめています。
この際には、サンフランシスコの新聞によって「もっとも影響力のある女性」に選ばれています。
…もっとも、サンフランシスコ近郊(ベイエリア)に住む女性を150人も選んだものですが。
さらに以前、マリンバ在籍中にはタイム誌によって、「最も影響力のあるアメリカ人 25人」の中にも選ばれています。
いずれにせよ、パソコンの世界だけでなく、政治や経済にも影響力をもつ女性であることに間違いありません。
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別年同日の日記
申し訳ありませんが、現在意見投稿をできない状態にしています。 |
今日が誕生日のキム・ポレーゼさんが、オバマ大統領のイノベーション諮問委員会メンバーだった、ということで、以前から書きたかったことを、つらつらと。
えーと、先に書いておくけど、基本的にはネタです。
それなりに真面目に考えているのだけど、真面目に受け取られると困るかも。
もう1年ほど前、オバマ大統領が米国民に「すべての国民にプログラムを学んでほしい」と語りかけました。
これにはいくつか意味があると思っています。
製造業はもうアジアの国の安い人件費で作られてしまうと太刀打ちできない。
プログラムも、インドあたりで開発するのが増えている。
でも、ちょっとしたアイディアでいろんなものを組み合わせて、新しいものを作り出すこと…
あえて枯れた技術の水平思考とか言っちゃいますけど、そういうものは、「いろんなもの」をすでに持っている国が強い。
つまりは、アメリカはそういう分野で生き残っていかないといけない。
iPhone は良い例で、部品は安いものを使っているし、技術は既存の物ばかりだけど、うまく組み合わせて成功している。
でも、「組み合わせる」には、つなぎとめる何かが必要。
お団子でいえば、突き通す「串」がいるんです。
プログラムって、こういう時に団子の串になれます。
昔、アスキーから、いろんな分野の一線で働いている人がコンピューターをどう使っているか、というインタビュー本が出ていました。持ってないのだけど。
その本の宣伝で、たしかこんなことが書かれていたのです。
第一線の研究者はコンピューターを使っているかもしれないが、コンピューターは主役ではない。
でも、団子の串を名乗るくらいの資格はある、のではないか。
主役は団子ね。でも、串が無いとまとまらないし、食べづらい。
非常に名文句だと思います。そして、そのコンピューターを見事に「串」として振る舞わせるには、プログラムが不可欠です。
つまりは、「すべての人がプログラムできるように」は、決して高いレベルのプログラムを求めているのではなくて、「必要な時に貫き通せる串くらいもっておきなよ」という意味合い、かと思います。
また別の解釈。
アラン・ケイは、コンピュータープログラムの学習をすることで、子供たちに科学的思考が芽生える、と考えています。
今は、高度に科学的な思考を出来る人と言うのは、世界人口の 5% もいないかもしれない。
でも、コンピューターで教育を行えば、500年後には 95% が科学的な思考を身に着けるだろう、と。
なんだか突拍子もない話ですが、500年前には、文字を読める人は全人口の 1% 程度でした。
でも、今は多くの人が文字を読めます。じゃぁ、今は 5% しか科学的思考ができなかったとしても、500年後には…
という、それなりに根拠のある話。
ケイは、このために「プログラムができる」ことが重要だと考えていますが、これは決して、プログラムを作ることが目的ではありません。
ある程度「出来る」能力があれば、やらなくてもいい。でも、その能力は絶対別のところで役に立つ。
僕としては、オバマさんの意図はこちらではないかな、と考えています。
全員をプログラマーにして、アメリカを IT 産業しかない国にしたいわけではない。
でも、科学的な思考が身に付けば、それはどんな業種でも必ず役に立ちます。
科学的思考っていうと、科学知識と混同されそうだけど、そうではないのね。
たとえ話をしましょう。
僕が通っていた大学で、特別な入試がありました。
高校の成績は不問。いわゆる通常科目の試験もやらない。
ただ「科学的思考」を持ち合わせているかどうかのみを見る試験でした。
出題時に、2つのバナナが配られます。
1つは今朝買って来た新鮮なバナナ。もう1つは、3日前に買ってきて置いておいた古いバナナ。
この2つを食べ比べ、どちらが甘いか、その甘くなった理由はなぜか、自分で考えて教授の前で話をしなさい、というのが問題でした。
サークルの後輩の女性が、この試験を受験したのですが、彼女の答えは以下のようなものだったそうです。
甘いのは古い方。
新鮮なバナナには少し酸味を感じた。これが、古いほうが「甘い」と感じる原因ではないか。
柑橘類など酸味があるものは香りが強いことも多いし、お寿司を作るときには結構お酢を入れても酸っぱくならない。
香りが強いというのは蒸発しやすいということだし、寿司飯を作る際もウチワで仰いで蒸発させている。
ということは、酸味は蒸発しやすいのではないか。3日前のバナナは酸味が蒸発して消えてしまい、結果として甘くなったのだと思う。
…彼女、試験終了後にすぐに事典で答えを調べ、間違っていたので不合格だと確信したそうです。
でも、結果は合格。
これ「知識」があれば、バナナが追熟することを答えて終わりでしょう。
でも、おそらくそれだけでは不合格。知識を問う問題ではありませんから。
自分の持っている知識を組み合わせて、「もっともらしい説明」を考え出せるかどうか。
これが「科学的思考」です。
#注意:決して知識が不要だというわけではないよ。
彼女の答えがそうであるように、知識が間違っていれば間違った結論にたどり着いてしまう。
でも、知識なんて本を見れば載っているんです。それを「正しく」組み合わせられる能力の方が、ずっと重要。
ここでは、断片知識をつなぎ合わせて一つの形にしている。
…そう、やっぱり「団子の串」を持っていることが重要なのです。
プログラムを作る練習をすると、こうした思考能力が身に付く。
アラン・ケイがプログラムに求めているのは、そうした部分です。
さて、先の入試の例で、「教授の前で答える」というのも、実は科学的思考を見るうえでも重要でした。
これ、プレゼン能力を見ているのですね。
プレゼンと言っても、よどみなく、はきはきと喋れとか、そういうことではない。そんなのは練習すれば身に付く技術に過ぎない。
相手が何を理解していて、何を理解していないか。自分の考えをどのように順序立てて説明すれば、相手に伝わりやすいか。
ということは、常に「相手に伝わりやすい」ことを考えなくてはならない。
「自分の考えを知っている自分」でありながら「自分の考えを知らない他人」の目線も持っていなくてはならないのです。
「他人の目で見る」というのは、「わかったつもりの物でも、逆の方向から、全く知らないものとして見てみる」ということでもあります。
たとえば、「色の三原色は、赤・青・黄色である」というのは、多くの人が知っていること。
じゃぁ、「三原色」という言葉は、常識として説明いらずで使っていい…かな?
「パソコンでは赤・青・緑 (RGB) だよ」と知っている人もいるでしょう。ということは、先の言葉は必ずしも正しくないのです。
これが「減色混合」と「加色混合」の三原色だ、と知っている人もいるかもしれません。
じゃぁ、「減色混合の三原色」なら使っていい?
…いや、たぶん人には伝わりにくくなるでしょう。減色混合って言われてわかる人は少ない。
「三原色(赤・青・黄)」と補足した方が、よりわかりやすいかもしれない。
話の文脈によっては、「三原色」自体を疑わないといけない場合もあります。
人間の目の中には「赤・青・黄色」に反応する神経があります。(本当はちょっと違うのだけど、そう考えてください)
たとえば、緑色は、周波数の近い青と黄色が同時に刺激されることで「緑」だと知ることができます。
でも、黄色と青の色が「混ざった」ものがあったら、やっぱり同時に刺激される。この時「緑」と区別がつかなくなります。
だから、青と黄色を混ぜると緑になる、と言われる。
でも、これは「人間にはそう見える」というだけで、青と黄色を混ぜても、それは「混ざった青と黄色」に過ぎないのです。
人間とは違う仕組みで色を見る…たとえば昆虫なんかには、緑には見えないかもしれない。
これをちゃんと理解していないと、三原色と言い出した時点でおかしい、ということだってあり得る。
…と、こういうのが、「わかったつもりでも逆から見る」ということ。
説明するうえで、自分では当たり前だと思っていることでも、いちいち「人に伝わるか」を考えて、伝わりにくそうなら伝える方法を工夫しないといけない。
ここでも、知識を問いたいわけではありません。
すぐに「ほかの人はどう思っているかな?」「他の見方はできないかな?」と、目線を切り替えられることが重要。
さて、話をプログラムに戻すと、実は「目線の切り替え」ができない人が作ったプログラムは、バグだらけで動きません。
自分の作りたい処理を作っただけではだめだから。
処理を作ったら、それが「どんな極端な状況でも正しく動くか」を検証しないといけない。
検証すると、結構うまくいかない特殊例が見つかるものです。
そうしたら、再び別の方法を考える。その方法をまた検証する。
プログラムを作る際には、こうした「目線の切り替え」が連続して起こります。
最初は大変なのだけど、慣れるとどんな時でもすぐに目線が切り替えられるようになる。
これがまた、科学的思考に役立つのです。
#こういう話、過去にも書きましたね。
さて、ここからは、ネタと言うか与太話。
アメリカでは、コンピューター産業に力を入れたいので、皆がプログラマーになるようにする。
それはいいと思うんですよ。
じゃぁ、日本も同じようにプログラマーを目指させる?
それじゃぁ、アメリカに遅れを取るだけで、あまり意味がないように思います。
実のところ、プログラマー教育まではしていませんでしたが、アメリカでは「プレゼン能力」を磨くような授業はすでにさかん。
ある程度の科学的思考能力があるのを前提に、全員がプログラムできるように、と言っているのですね。
日本の場合、残念ながらアメリカよりも科学的思考能力がある人が少ないように思います。
今からこの分野で追いかけても、アメリカに勝てないかもしれない。
やるなというわけではなくて、やってもいいのだけど、別の方法で科学的思考が身に付くように考えてみるのもいいのではないかな。
…で、思うわけですよ。
プレゼン能力と言うのが一つのキーワードです。誰にでも伝わる、伝える能力。
これ、日本が世界的に非常に強い分野がありますよね。クールジャパンとか言われて、世界的にも人気があります。
というわけで、アメリカが「全国民がプログラムできるように」と言うのであれば、日本では「全国民が漫画を描けるように」ってやればいいんじゃないかな。
もちろん、「伝える能力を磨く」のが狙いですから、ただ絵が描ければよいのではないです。
むしろ、絵は下手でもいいから、みんなが面白いと言ってくれる内容で勝負。
僕はちっとも絵が描けないので、本気でこんな政策打ち出されたら大変なのですけど、僕レベルでもアメリカ人から見れば「絵がうまい」部類のようです。
子供の頃に真似して描いていたので、スヌーピーとウッドストックのイラストくらいは描ける。
(常に同じポーズのイラストで、顔だけだけど)
ドラえもんの絵描き歌だって、他の国の人から見ると「絵が描ける」レベルであることは多いです。
日本人、この分野では確実に国民のレベルが高い。年配の方でも、絵手紙とか趣味教室で人気高いし。
嘘だと思うなら、アランケイが書いた顔の絵を見てみるといい。
ちなみに彼、コンピューター関連で有名だけど、ジャズが好きで演奏家になりたかった…という「アーティスト」だからね。
#5秒程度で描いた絵をいろいろ言うのも申し訳ないのですが。
彼の過去の論文には、もっと上手な絵が載っています。時間があれば上手に描けるのでしょう。
#2017.6.26 追記
後で知りましたが、「上手な」方のイラストは、ケイのものではなく、依頼して他の人に書いてもらったんだそうです。
だから、やっぱりケイは絵が下手な模様…
でも、絵が描ける、というだけでは「イラスト」であって漫画ではない。
漫画として、なにかお話を伝えられるレベルにしようと思ったら、たぶんすごく頭を使わなくてはならない。
この部分で「頭を使って、工夫する」ことが何よりも重要です。
ある程度人に読んでもらって、面白いと言ってもらえる「漫画」を描こうと思ったら、かなり高いプレゼン能力が身に付くのではないかな。
そして、それはとりもなおさず「科学的思考」に密接しているわけで、絶対に他の分野でも役に立つ。
なによりも、「実際に自分の手で何かを作り出す」ということは、新しい視点をもたらせてくれます。
それを繰り返し行うことで、より良いものを作れるように繰り返し考える癖が付きます。
これ、アメリカが「プログラム」で狙っているのと同じ効果、だと思います。
だから、目指すものが漫画であってもよいはず。
アメリカは「輸出産業」としてのプログラムも見越しているわけですが、現在「クールジャパン」戦略によって、漫画は重要な輸出品でもあります。
描く人が増えて底辺が広がれば、その中から次世代を担う人も出てくるでしょう。
なによりも、政府が「国民全員が漫画を描けるように」なんて言い出したら、諸外国から「crazy...」ってため息が聞こえてきそうです。いや、褒め言葉として。
クールだ、っていうんなら、それくらいのことやらなくちゃ、存在感を示せないのではないかな。
これ、結構悪くない戦略なのではないかと思うのですが、どうでしょう?
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