2014年11月01日の日記です


続・男と女とLGBT  2014-11-01 12:19:41  その他

先日LGBTのことを書いたのですが、書いた後で新聞の夕刊見たら「ティムクックが同性愛者であると告白」という記事が出ていました。

記事内の詳細を読む限り、性癖としての扱い。


家で購読している新聞が最近になってLGBTへの理解を求めるキャンペーンを張り始め、そこでこの問題を深く知ったのですが、同じ新聞の中でLGBTを「性癖」として扱うのを見て、問題の闇の深さを改めて思い知った次第。




LGBTの話題なんて書くと反発がかなり来るかな、とこわごわ書いたのですが、思った以上の方が読んでくださり、真面目に受け止めてくれた模様です。

まぁ、反発意見は来ていますが、大抵は趣旨を理解しないで感情的に反発しているだけで、予想の範囲内でした。



真面目に考えた上での反論としての「ロリコンはどうなんだ」というのは、実は先の記事を書くときに僕も悩んだ問題。

「スカトロとかSMとか」を例に出しながら、ロリコンやペドファイルを含まなかったのは、議論を単純化するためでした。


反論として筆頭に考えていたので、自分なりの答えはすでに用意できています。



でも、その前に別の話題から。



▼LGBTの「生物学的」役割


以下に書くことは、僕の思考実験に過ぎません。

LGBTの問題を考えるとき、生物学的に「なぜ」LGBTが必要なのだろう、と考えていました。

5%というのは、結構多いです。決して、遺伝子欠損などの奇形として生まれてくるわけではない。


生物学的には、男と女がペアにならなくては子孫を残せません。

合理性でいえば、「それ以外」の性であるLGBTの方々は、子孫を残せないので遺伝的に「消滅する」はずです。

にもかかわらず5%という高割合で残されているというのは、生物学的にも重要な意味を持っているに違いない、と思います。



人は知恵を持ちすぎたため、単に「動物的に」セックスを行うのではなく、頭で考えて快感を作りだそうとする、という話があります。

これは事実でしょう。背徳的な状況を作った方が「秘め事」としての快感が上がる、という話もあります。


そして、LGBTが「背徳」であるがゆえに、その性癖を好む人々がいるのだ、という説もあります。


この考え方は違うように思います。

キリスト教では、LGBTは背徳です。しかし、男色が好まれた古代ギリシアや、LGBTに特に宗教的偏見のない日本では、「背徳」ではないにも関わらず、やはりLGBTは一定割合で存在します。


これはまた、LGBTが後天的に獲得する性癖ではなく、生まれついての「性別」の一つである、という主張の根拠ともなります。



また、同性愛は人間に限らず、野生生物一般にみられる行動です。

これも「背徳」説を否定するものとなります。


これがLGBTと同じなのか、僕にはわかりません。

一生「同性」にしか興味を持たないゲイなどは、ペンギンなどで観察されているようですが、その他の動物は長期観察例も少なく、一時的な行動(バイ)なのか、一生を通じた行動(ゲイ・レズ)なのかもわかりません。


特に、自己認識の性の問題であるトランスジェンダーは、外部から観察してもわからないでしょう。




水生生物…魚や貝などでは、「性転換」も普通のことです。

♪良くあることさ…海ではと歌われちゃうくらい。



大抵、卵と精子では卵の方がはるかにおおきいです。

そのため、卵を作るにはエネルギーがいります。それに比べると精子はエネルギーが少なくて済む。


一方で、卵を作りだせば「確実に」自分の遺伝子の子孫を残せます。

精子をつくるのでは、残せる可能性はありますが、他の雄との競争に敗れると子孫を残せません。



そのため、十分に餌があり、安全な環境ではメスでいる方が有利。

餌が減るなどの環境変化があると、オスに性転換してエネルギー消費を抑えて生き延び、子孫を残せる「可能性」を高めます。


性転換しない場合でも、卵の孵化する際の環境で雌雄が決まったり、遺伝的には同じで後天的に性別を獲得する例は非常に多いです。



人間の場合も、雌雄は体内の「環境で」左右されます。

この体内環境は遺伝によって…ホルモンバランスによって作られるため、先天的に決まっているともされるわけですが、トランスジェンダーの方への治療としてホルモン注射によって体内環境を操作することもあります。


#治療と言うと病気のようですが、トランスジェンダーは再三書いたように「性別」であり、病気ではありません。

 しかし、社会的な無理解により、鬱など精神病の発症原因とはなります。

 この際、本人の「性別不一致」の悩みを軽減するための方法として、ホルモン投与が行われます。


#このことは、LGBTの方々が「ホルモンバランス異常という病気である」という意味ではありません。

 LGBTが生まれながらの性であり、その状態で健康です。

 それが社会的にも認められれば、何の問題も生じないのです。




さて、生物にとって性とは非常に曖昧な存在で、性転換する生物もいるし、同性愛も一般的、と判ったところで、「なぜ」それが必要なのか、という疑問が残ります。


性転換については、先に理由を書きましたね。そうするほうが、子孫を残すうえで有利だからです。

では、「同性愛」はどうなのでしょう?


ここで、二つの可能性があると思います。


1つは、「性転換」する生物の名残である可能性。

性転換が不可能になっても、意識の上だけで性転換が行われてしまい、生物学的な性と意識の上での性が一致していない、という可能性です。


原因の一つとしてあり得そうです。


もう1つは、LGBTの存在は、「種の保存」としては有利に働いている、という可能性。

LGBTの固体は、残念ながら子孫を残せません。

なので、LGBTが「過去の遺物」でしかないなら、遺伝子が残せないことで消滅するはずです。


にもかかわらず、5% という「無視できない数」で残っているので、僕としてはこちらなのではないかと思っています。

LGBTが存在することで、何らかの形で人間全体としては生存に有利になるように働いている。


この場合、LGBTの方々を排除し、社会的な「抹殺」を行うのは、人間全体にとって不利な事のはずです。

彼らを社会に受け入れ、彼らでないとできない役割が担えるようにするといい。


LGBTの存在が人間にとって「有利」だったのであれば、必ずそのような役割があるはずです。



#注:子孫を残せません、と書いてますが、Bに関しては残せますね。

 しかし便宜上「LGBT」で一語としてあつかわさせてください。



▼ロリコン・ペドファイルの存在


ここで、最初の話に戻ります。

LGBTとロリコン・ペドファイルは同じなのか?


#ロリコン、という言葉が、日本では誤用され「ペドファイル」と同義として使われています。

 本来的には違うのですが、以下は日本人として馴染みのある「ロリコン」で統一します。



スカトロやSMは、「そちらの方が性的興奮を得られる」という趣味の問題で、快感を求めて徐々に過激になっていくものです。

「初心者」という言い回しがあったりするのも、そのため。

この点、先に書いた「快感を作り出す背徳的な状況」の一つかと思います。



しかし、ロリコンは、どちらかといえばLGBTにちかい、生まれつきのものなのかな、と思っています。

では、なぜLGBTとロリコンが区別されるのか?


LGBTは、生まれついての「性別」です。

でも、人間だから当然性欲も持ちます。


ゲイの男が、好みの男を見つけ、恋をしたとします。


この恋は…異性に対する恋心よりも前途多難にも思いますが、恋愛感情は本人にも制御できない、というのは多くの人が知るところです。


相手に告白したところ、相手もゲイ・もしくはバイで、無事カップルになれたとしましょう。

なんという幸運。めでたしめでたし。これなら、何の問題もなく幸せな結婚生活が送れるように思います。


#日本では法的に婚姻が認められない、という問題はありますが。


でも、なかなかパートナーを見つけられず、性欲がおさえきれなくなって、そこらへんにいた好みの男を捕まえて「強姦」したとしたら、これは犯罪です。


「性別」の問題ではなく「異常性欲者」であることが問題です。

別に、ゲイでなくて相手が異性だったとしても同じく犯罪になります。


ここでも、「ゲイだから」と特別視する必要は全くありません。



ロリコンにも同じことが言えるのですが、困ったことに、ゲイと違って「ロリコン」はロリコン同士を欲しているのではありません。

欲している相手は結婚が認められないどころか、性行為をすることが認められない幼少者なのです。


ロリコンを生まれついての「性別」と認めた場合、性により差別されてはならない、という憲法規定により、彼らの「幸せ」である、幼少者との結婚を認めなくてはならなくなります。


しかし、幼少者は十分に自分の意思決定に責任を持てるとは考えられず、婚姻すること自体が認められません。

婚姻が認められる年齢まで待てば、ロリコンの「幸せ」である幼少者ではなくなります。


ここで、矛盾が生じてしまうのです。



おそらくは、ロリコンはLGBTと同じような「性別」のひとつではないかと思います。

しかし、現代社会において、残念ながらこれを法的に「性別の1つ」と認めることはできないのです。




しかし、ロリコンもまた「生まれついての性別」だとすれば、LGBTと同じで生物学的な役割があるはずです。

僕はこちらの方がLGBTよりも説明しやすいのではないかな、と思っているので、先に話を出しました。



猿の集団などにも、異性には全然積極的にならず、子供の相手ばかりしている猿、というのが存在しています。

恐らくは、ロリコンと同じような性別なのです。


こうした猿は、「保育園」の機能を作ることで、群れ全体の役に立っています。

親が狩りに出かけるときに子供を預かっていたり、子供をまとめて引き受け、様々な知恵を授けたり。


これは群れの中に必要な機能なので、「子供好き」の猿がいなければ、誰かが代役を行うでしょう。

でも、「仕事を割り振られたから仕方なく」やるよりも、子供が好きでたまらない猿がやる方がきめ細やかなケアができ、リスクが少ない。



現代的にも、保育園などの機能は必須のものですし、「小さい子が好き」な人の性格は十分に役立ちます。

幼少者がかわいくてたまらない、というのは全然問題ないのです。


ただ、「好きだから結婚したい」というのは、残念ながら認められません。

先のゲイの例で挙げたように、異常性欲者となれば犯罪者として社会的な制裁を受けなくてはならなくなります。



▼ふたたび、LGBT


では、ふたたびLGBTに話を戻しましょう。


ペンギンではゲイのカップルが現実に観察されていて、飼育下では「親が育児放棄した卵を温める」という役割を見事にこなしたことが報告されています。



恐らくは、自然界であっても同じ状況では、同じようにふるまうのではないかと思われます。


彼らは、卵を産む能力を持ちませんが、育児能力は十分にあります。

そして、厳しい自然界では、何らかの理由による「遺児」は頻繁に発生するのです。



育児放棄した親が酷い、とかいう話も出そうだけど、これもLGBTと同じ問題。

何度も書いているように「性別は無段階のグラデーション」だと思います。

産む能力があるのと、母性本能の強さは全く別の問題。


つまり、ゲイやレズのカップルは、何らかの理由で「親のない子供」が生じた際の受け皿として、集団の中に「必要な」存在だったのではないかと思うのです。


遺伝的に直接の子孫が残せない、というのは事実ですが、そのために子育て期に入っても、準備は整っているのに子供がなく、手が空いています。

ここに「遺児」が発生すれば、すぐに後を引き継ぐことができるのです。


結果として、子を産めないにもかかわらず、ちゃんと子孫を残す役に立っている。



バイはどっちにもなれるワイルドカード的存在として良いとして、トランスジェンダーはどうなのでしょう?




途中にも書いたように、野生生物にトランスジェンダーが存在するのかは確認の方法がありません。

「自己認識」と言うのは比較的高度な技能なので、自己認識の上で自分の性別について思い悩む、というのは人間に特有のものかもしれません。



そして、人間の場合、脳の機能が男性と女性でずいぶん違うことも判っています。

男性は右脳と左脳をつなぐ「脳橋」が女性に比べ細く、そのため右脳と左脳をバランスよく働かせることが苦手です。


結果として、男性は「専門性」を持った職業に適しています。

左脳偏重だと論理性を持った仕事に向いていますし、右脳偏重だと発想を必要とする仕事に向いています。


女性は、右脳と左脳をバランスよく働かせることができます。

このため、全体の総合バランスをとる能力に優れ、人を相手として気配りする必要がある職業に向いています。


#以上は、もちろん個人の差もあります。

 繰り返しますが、「性別は無段階のグラデーション」なので、単純に切り分けられるものではないです。



さて、このような違いから、男女ではかなり思考のパターンも違います。

男と女で話がかみ合わないとか、そのためです。時には集団でいがみ合うこともあります。


でも、トランスジェンダーは、その中間に位置していることが多いです。

外見と内面が違うので、男からも女からも「ちょっとおかしい仲間」とみられ、どちらからも受け入れてもらえることがある。


男女がいがみ合い続けていれば、群れに危機が訪れます。子孫を残せなくなるかもしれません。

しかし、トランスジェンダーを仲介することでお互いの考えが伝わり、群れの仲が良くなれば危機を回避できます。


トランスジェンダーもまた、生物学的に子孫を残すことに寄与できるのです。



▼まとめ


最初に書いた通り、以上は全て僕の思考実験に過ぎません。

生物学的な知識とかそれほどないし、間違った前提もあるかもしれません。



しかし、LGBTが事実として5%も存在する以上、これは「異常」ではなく、社会的な必要性があって存在しているのだろうなぁ、と思うのです。


思考実験として示したものは、その「一例」にすぎません。

間違えた前提の指摘があったとしても、別の例はいくらでも作り出せるように思います。

つまるところ「存在している以上、それは必要だからに他ならない」ということです。


ならば、LGBTを嘲笑し、排除しようとするよりも、必要と認めて受け入れたほうが、社会全体のためになるはずです。



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